そこはまさしく異空間
思えば先生が泊まっている宿屋や借家に女性を連れ込むとき、決まって私がいないときだった。まあ偶に追い出されて、別の家や宿屋にお世話になるときもあったが、でもそんなことは数少なかったように思う。連れ込むときは私がいないとき。夜から朝方まで共にする場合は、自分から出て行く。それは気遣いだったのだろうか、もしかして。あの人にそんなものがあったのか、と思ったが特別な趣向でもない限り、子供なんて邪魔なだけだろう。というか他人なんて邪魔以外の何者でもないはずだ。でもそれでも、私を追い出すのではなく自分から出て行くところが、数少ないあの人の遠慮、だったのかもしれない。遠慮という言葉がこの上もなく似つかわしくないが。だがしかし、そんな風に実は気を回してもらってたのかも、と思いつつもタイミングが悪いということは、まあ生活していく上では避けて通れない事象なのではなかろうか。
もしもここが日本家屋のように靴を脱いで上がる、という習慣のある場所であったのならば、私はそのまま家を出て行き、ほとぼりが冷めるだろう頃までぶらぶらと時間を潰していたに違いない。けれど現実はそう簡単ではなく、私がいるのは故郷の日本ではなく全くの異国の地。
英語圏もバリバリの外国で靴を脱ぐなどという習慣は欠片ともなく、家の中で土足は当たり前なのだ。だから誰がいる、というのを靴で確認することはできない。見慣れない靴だなーお客さんかーなんてわからないのだ。入ってすぐが客間なら嫌でも人は見えるが、奥に引っ込まれるとよっぽど声がしない限りはわからないんじゃないかと思う。だから、これは、ある意味で、仕方ないことだと思うんだ。
掃除をしようと思って開けたドアの向こう側。ノックをしたけれど聞こえない返事に、寝ているか留守かのどちらかだろうと考えて、とりあえずドアを開けた。
留守だったらそのまま掃除を実行。寝ていたら、まあちょっと遠慮して出て行くか、時間が経てば起こして無理矢理掃除を開始するかのどっちかの選択肢がある。大抵そのパターンで済ませられていたのだから、今更三択目が存在するなんて考えてなかったのだ。迂闊。音も無く滑るように開いたドアの先では、ベッドの上がこんもりと盛り上がり、二つの山を形成していた。不自然な凹凸。
そしてドアを開けた瞬間の嗅いだことのないような、あるような、慣れない篭った臭い。
窓を開けていなかったからだろうか。熱気すらも感じ取れて、ドアを開けたことによる空気の動きが敏感にそれらを感じ取らせたのかもしれない。ひゅっと息を呑んで瞬きを繰り返した。
ベッドの上の二つの山。白いシーツから出ているのは見慣れた赤い髪。シーツのかかっていない上半身は当たり前のように裸だ。赤い髪が乱れるその向こう側に、更に混ざるように別の髪の色がチラチラと見える。綺麗な金髪。見覚えがない。一瞬頭が真っ白になった後、怯んだように入り口で足を止めた。
・・・・おおぅ?視覚から入ってくる情報の処理が結構な難易度だ。え、あれこれって・・・あのその。あれ私結構イケナイシーンに遭遇してるんじゃないですかちょっとおぉぉ!!?
はっと思い当たってやばっとドアを条件反射で閉めようとしたとき、もぞりとベッドの上の山が動いた。ぎくり、と動きを止めた私は負け組だ、確実に。それは鈍い動作で動き、ゆっくりと横たわっていた体を起こす。だるさを感じさせるように、緩慢な動きで見えたのはしなやかな背中と、首筋から背中へと流れて少し乱れた金糸の髪。柔らかな白い肌に金髪がより眩しく見えたが、カーテンが閉められて薄暗い室内では清楚というよりも婀娜っぽい様子の方が強く印象に残る。細い二の腕の横から僅かに垣間見える二つの大きな膨らみに思わず目がいった私は馬鹿じゃないか。ごめん女の人の体って結構好きです親父じゃないよ!!それでもナイスバディですお姉さま。グッジョブ。
けれど真っ白なそれを覆い隠すものなんてなくって、そういえばベッドの下には二人分の服と靴が散らばっているような。ちらちら見える真っ赤な布はもしかしてお姉さまの下着かしら。
そんなことをグルグルと取りとめもなく考えながら、起き上がったお姉さまがその気だるげな寝起きと疲労感を感じさせる。あぁ、あれが色気というものか!というものをアリアリと見せ付けるなんともいえない艶っぽい表情で、顔をこちらに向けた。
ピッタリと合った視線に私はどうすればいいんでしょうかマイティーチャー。そろそろ自分の思考がわけわかめです。
「あら・・・」
「あ、」
視線が合うと、女の人は物憂げだった碧眼を瞬かせて、軽く目を見開く。そうすると今までの、物凄く、なんともいえない、あの居心地の悪い微妙な空気が少しだけ軽くなったようで、私はふっと息を吐き出した。
お姉さまはマジマジと私を見て、それからまだ寝ている先生を見て、それからまた私に視線を向けて、それはもうこっちが赤面しそうになるぐらいの綺麗な笑顔を見せ付けてくださった。
「おはよう、小さなお嬢さん」
「おはよう、ございます・・・・」
あ、思ったよりフレンドリィ。そんな馬鹿なことを考えて、私はきっと上も下も裸のままなのだろうお姉さまにいささかぎこちない笑みを浮かべてからお邪魔しました、と声をかけてそっと丁寧にドアを閉めた。
お姉さまは始終ニコニコしていらっしゃって好感度はばっちりだね。でも笑顔の裏で般若だったら怖いなぁ、と思いながらピッタリと音もなくドアを閉めると、額を木製のそれに押し付けてはあぁぁぁぁぁ、とマントルに届きそうな大きく深い溜息を零した。
「やっべぇ・・・」
何がやばいってあの状況とそれをばっちりしっかりきっかり見てしまった自分がやばいよえ、なにこれどう対処するべきなの。思わずドアに爪を立てながら内心で悶絶して転げまわりたい衝動に駆られた。
うっわちょっとこれは初体験というか恥ずかしいというか居た堪れないというか居心地悪すぎるというか私このまま外に逃げてもいいですか!?
え、え、え。何今の。何今のっていうか明らかに情事の後ですよね。あっはすげぇなエロイないかがわしいよやめて私中身成人しててもそういうこと全くなかったんだって!
知識はあっても体験してないからね?!ていうか体験してても他人の情事の後見るとかどうしようもないだろこれはあぁもうちょっと先生女の人連れ込むならドアになんかわかるものかけておいてくださいよ鉢合わせちゃったヤッフー!
「あ、そろそろ自分が可笑しい」
そんなことを冷静に思う自分がすでに可笑しいのかもしれない。とりあえずスパークするような混乱から立ち直るべく深呼吸。すーはッすーはッすーーーーはーーーー・・・・・・・・・よし。
ドキドキと跳ねている心臓がまだ五月蝿いけれど、それでもあの室内の熱に中てられたようなほてりはいくら収まったように感じ、多分赤くなっただろう頬をペチペチと叩いた。あぁ、もう本当に恥ずかしい。身内のそれを見せられたみたいで本当に恥ずかしい。恐らくは室内で先生を起こしているかまた寝たか、あるいはイチャコラしているのかもしれない二人を頭の中からポーンと外に放り投げて、私はくるりと踵を返した。こういうのは気にしたら負けなのだ。気にしない方向で行くべきだ。いつも通りに行動しようぜとりあえず外に出ておくべきかしら。あれでもご飯とかいるよね。きっとお腹空いているだろうし。軽食でも用意しておくか。サンドイッチでいいかな。じゃあコーヒーも用意しておこう。あ、でも女の人コーヒー好きなのかな。紅茶にしておく?とりあえずどっちも準備しておこう。あぁそうだ、シャワーもいるよね。タオルの準備しておかなくっちゃ。そう思ったら体は嘘みたいにテキパキと動いて買い物してきたものを仕舞いこみサンドイッチを作りコーヒーと紅茶の準備をしてお風呂場に行きタオルを取り出して籠の中へと置いて、それから私はまだ部屋から出てこない二人を確認してから、黙って静かに何事もなかったかのように外へと出る。思わず玄関も静かに静かに音もなく閉めちゃったよ!そして思わずダッシュでその場から離れた私を誰が責めるっていうんだいベイベ?!走って走って息を切らして商店街を抜けてアルバイト先の食堂へと裏口から駆け込み、そこの女将さんが目を見開いたところで私は思いっきり声を張り上げた。
「すみません女将さん唐突でいきなりで申し訳ないのですがこれからバイトって入れますかねぇ?!」
「え?あ、・・・構わないけ、ど?」
「ありがとうございます!!」
「・・・一体どうしたんだい、ちゃん」
「気にしないで下さい!」
むしろ突っ込まないで!赤くなった顔は走ったからだと思わせるように肩を大きく上下させながら、目を白黒させている女将さんに貼り付けたような満面の笑みを見せつけた。
とりあえず、いつも通りにバイトに勤しめば落ち着くだろう、という魂胆ではあるけれど、なんかもう、居た堪れなくて仕方ないよ私・・・!頼む先生、女の人連れ込むなら私にわかるようにしてくれ!さすがに身内のそんな現場は目撃したくはないんだあぁぁ!!!帰ったら目合わせらんないかも、と思いつつ、エプロンを身に着けた私はスマイルゼロ円を実施した。
事後であるだけマシなのだと思うように努力します。