雪原危機一髪



 外から聞こえてくる爆音に身を縮こまらせていたら、唐突にマリアン先生に引き寄せられて、それから少しの間の記憶が酷く曖昧だ。何か物凄い音と衝撃が襲い掛かってきたようにも思うのだが、抱き抱えられると後頭部を大きな掌で押さえつけられ、肩口に無理矢理顔を押し付けられたので周囲の様子はわからない。ただ、耳はしばらく使い物にならなかった気がする。それも曖昧だ。
 気がついたときには先生の怒声が聞こえてきたので、もしかしたら少しの間気も失っていたのかしれない。それぐらいあっという間の出来事だったのだ。

「この馬鹿弟子が!!金槌で殴られたいのかっ」
「し、師匠!は無事なんですか?!」

 そんな大音声のやり取りが聞こえて、ぱちりと無意識的に閉じていた目をあけると数度瞬きを繰り返し、恐る恐る顔をあげる。
 先生の首に腕を回したまま、視界に入ったのは眩しいぐらいの銀世界。キラキラと輝く雪面の眩しさに一瞬目を焼かれそうになりながらも、肌を刺す冷たい空気にぶるりと反射的に体が震え、ぴったりと先生の体に縋りついた。
 そのまま、視界をぐるりと回せば遠目にあの不気味な球形のAKUMAがアレンの頭上近くを漂っており、見えたおどろおどろしい魂に顔を顰める。それにしてもアレン、髪の色と相俟ってなんか風景に同化しかかっているような。というか敵に背中を向けていて大丈夫なのだろうか。
 発動された状態のアレンの大きな左手を見ながら、くらくらする額に手を添える。こみ上げてくるものを我慢しながら、多少くわんくわんする頭で現在の状況を考えた。・・・何故に私は外にいるのでしょうか?

「ったく、あの馬鹿弟子め・・・後でお仕置きだな」
「あれ?先生?え?・・・何が?」

 苛立たしそうに私を腕に座らせたまま、子供抱き状態で短くなったタバコの灰を雪の上に落とすマリアン先生に問いかける。いや、それは独り言に近いものだっただろう。問いかける、というには多少不適切であったかもしれない。
 私はアレンがAKUMAの体をあの大きな、人のものとは思えない左手で粉砕するのを見ながら、爆音に咄嗟に耳を押さえてひどく近い位置にある顔を見つめた。多少離れていても、届く爆風は並大抵のものではなく、ばさばさと吹き付ける風は熱を帯びていた。
 外の空気にすっかり冷やされた体にはありがたかったが、風の強さを思うとそうでもないかもしれない。舞い上がる雪が視界を不明瞭にし、髪も衣服も盛大に乱れて肌を打つ。何度か慣れた光景ではあるが、何度体験してもこの爆音と爆風、そしてあの悲しく醜い魂は嫌悪感で一杯になる。破壊されると同時に、光を伴って、微笑みを浮かべて消える魂が見えたが、私の胸のうちには安堵と同時になんともいえない感情が渦巻いた。
 溜息を零せば、吐く息が白い。ていうか物凄く寒い。思えば私、コートも何も防寒着は着ていない。雪の中にいるのでそりゃ勿論厚着といえば厚着だが、それだけで凌げるほど自然は優しくはないだろう。寒い、と呟くと同時に、アレンの呼び声が聞こえて首を動かした。

ーーー!!!」
「アレン」
、大丈夫ですか?!怪我はしていませんか?!すみません、僕が油断したから!」
「え、あ、うん?・・・えーと、とりあえず寒いだけで怪我もしてないし大丈夫だよ。アレンこそ、怪我してない?」
「僕は平気です。そんなことより、無事でよかった・・・」

 そういって、駆け寄ってきたアレンを見下ろしながら手を伸ばせば、アレンはほっとしたように表情を緩めて伸ばした手を掴み、頬に押し付けて微笑んだ。うーん。見たところ、アレン自身が言うように怪我はしていないらしい。雪の中での戦闘だったというのに、よくまぁ無事でいられたものだ。
 動きにくくなかったのだろうか、と思いながら掌に擦り寄るアレンに笑みを浮かべると、げしっとアレンの体を長い足が問答無用に蹴りつけた。

「へっ?」
「この馬鹿弟子が。よっぽど死にたいらしいな?」

 マリアン先生が、不機嫌そのものといった様子で雪の上に蹴り倒したアレンをげしげしと踏みつける。遠慮容赦が全くない。雪の上に押し付けるようにぐりぐりと背中を踏みつける様子はさながら女王様のようだ。ピンヒールだったらまさしくといった感じだろうか。
 多少呆気にとられていたが、うつ伏せの状態で雪に押し付けられたら息がろくろくできないだろう。気がついて慌てて先生にストップをかけた。

「ちょ、先生!なにしてるんですかっ」
「あぁ?これは当然の制裁だ。小屋は大破させる、荷物は瓦礫の下、何より俺をこの寒空の下に巻き込みやがった。至極真っ当な行いだろう?」
「大破・・・?瓦礫?」

 え、なんですかそれ。きょとり、と目を瞬かせると、先生はじたばたともがくアレンの頭を足の下にして、雪の上に押し付けながら(窒息死させる気か、この人)くいっと顎で横を示した。
 その仕草につられてひょい、と先生の体のライン上から身を乗り出し、確認を取れば・・・見る無残って、多分あんな感じ、とばかりに崩れ落ちている小屋、だったものがそこにはあった。一瞬あまりの光景にポカーンとして、一拍後に恐る恐る先生に問いかけた。

「あの、先生。あそこはもしかしてもしかしなくても、私達が休んでた山小屋ですか?」
「もしかしてもしかしなくともそうだな。こいつが下手な避け方をするせいでとんだとばっちりだ。おい、アレン。寝てないでさっさと荷物を掘り起こせ」

 言いながら更に一蹴り、とげしっと蹴りつけた先生に、アレンはえぇ!?と声をあげながらガバッと状態を起こした。寝てないでっていうか、先生が無理矢理寝かせてたと思うのだが、そこは突っ込むべきところではないだろう。アレンもそんなにダメージを負ってない辺り、先生が手加減していたのか、それともアレンが丈夫になったのか、果たしてどちらだろう、と少しだけ悩んだ。どうでもいいことだが。
 それよりも、と先ほどの先生の答えを反芻し、私は俄かに顔を青ざめさせる。・・・それって、もしかして、アレンがAKUMAの攻撃を避けた拍子に、その攻撃が見事山小屋を直撃したとかそんなノリですか?・・・・うわー!うわー!怖っ。怖すぎる!なにそれ超危ないじゃん!!下手したら瓦礫の下だったとかそんなオチ?!ちょ、なんて人生の危機一髪。九死に一生?あ、でもそれ結構体験したことあるかも。いやいやそんな物悲しい過去はさておき、うわー・・・マリアン先生がいてよかった。いなかったら確実にぺしゃんこだよ私。
 恐らくあの時、逸早く事態に気づいた先生がなんらかの方法で乗り切ってくれたのだろう、と考えると、安堵感に見が包まれる。ありがとう先生。ありがとう!!内心で今更ながらばくばくと慌て始める心臓を落ち着けながら、顔に雪をつけて、鼻の頭を真っ赤にしたアレンの顔を見下ろす。アレンは目を見開いて慌てたように口を開いた。

「1人であれ掘り起こすんですか?!」
「当たり前だ。お前のせいでああなったんだからな、お前が後始末をするのが筋ってものだろう」
「あの状態の小屋を、雪の中でですよっ?1人じゃ無理ですよっ」
「ギャーギャーうるさい。文句言う暇があったらさっさと取り掛かれ!こちとらコートもなく寒いんだよわかってんのか?!」
「うっ・・・で、でも1人は・・・!」
もこのままだと確実に風邪を引くが?」
「すぐ取り掛かります!」

 あ、素早い。先生もさすがにコートもなく外にいるのは寒すぎて仕方ないのか、いつもよりも沸点短く(いや、いつもこんなものか?)アレンを怒鳴りつけて、私をしっかりと抱き抱えると(あれ、これはあれか。私ホッカイロ的役割か、もしかして)すぐさま走り出したアレンを見送って、短くなったタバコを捨てると新しいものを取り出した。
 手伝うべきかな、と折れた木材を使って、別の木材を持ち上げようとしているアレンの背中をみてもぞりと体を動かしたが、それを引き止めるようにしっかり体を固定されると眉を潜めて先生を振り返った。

「先生」
「お前が行っても無駄だ。大体碌な防寒具もない状態で動けるはずもないだろう」
「そうですけど、でもアレン一人じゃやっぱり酷ですよ、あれは」
「碌に動けない奴が行っても邪魔なだけだ。大体あれはあいつの自業自得なんだからな、気にすることでもない」

 そういわれて、先生の言っていることも尤もなので(いや別にアレンが自業自得とかじゃなくてね、私が邪魔って辺りにだよ?)反論に窮しながら、ちらり、とアレンに視線をやる。苦労しながら瓦礫を退けている姿をみると、やっぱり1人じゃ、というか先生が動けばいいんじゃ、とも思ったのだがこの人が動くはずもないよなぁ、と溜息を零した。
 しかしその拍子に吹いた風に、思わず肌を粟立たせてぴったりと先生の体に寄り添う。うぅ・・・真面目に寒い。寒すぎる。これは本気で風邪を引くかもしれない、と詰まった鼻をずず、と啜りながら、黙々と作業をするアレンの後ろ姿を見た。ごめんよアレン。私手伝いにいけないわ。

「ていうかこの状態で夜になったら凍死しますよね、私達」
「昼までには終わらせておかないとまずいだろうな」
「・・・アレーン!真面目にちょっと急いでーーー!!」

 風邪どころじゃない生命の危機である。冷静に話す内容じゃなかった!と慌てて声かけをしながら、この状況に危機感も一塩だ。あー寒い!!出来る限り風に晒される面積を減らそうと、ぴっとりと先生の体に張り付く、そんな雪原の中でのこと。うぅ・・・筋肉がある人ってあったかいよね・・・っ。