独身男の理想像



 ざくざくっと長ネギを切る音に丁度重なるようにして、ノックもなしにドアのノブを回す音が聞こえた。その音に気がついて、包丁を置くと長ネギを鍋の中に投入してざぁっと手を洗う。
 そしてエプロンで手を拭きながらわたわたと駆け足に玄関まで出迎えると、マリアン先生とアレンが少し薄汚れた姿で玄関に立っていた。いささか先生が不機嫌そうな辺り、アレンが何かやらかしてしまったのだろうか?そう思いながら、脱いだ先生のコートを受け取り、アレンのマフラーとコートも受け取る。

「おかえりなさい、先生。アレン。ご飯とお風呂、どっちも準備できてますけど、どうします?」
「先に風呂だな」
「わかりました。着替えは持っていきますから、どうぞ。アレンは先にご飯でいい?」
「はい。今日はなんですか、
「鍋焼きうどん」

 先生のコートって大きい上に重いよね、と思いながら、首元のスカーフを乱暴に解いて、赤い髪をかき乱してお風呂場に直行する先生を見送る。アレンに手を洗ってきてねーと軽く声賭けをすると、アレンはハーイをよい子の返事で流し場に向かった。
 それとほぼ同時に、コートを専用のスタンドにかけて、アレンのコートとマフラーも一緒にかける。パンパン、と誇りを払うようにコートを軽く叩いて踵を返すと、言われたとおり手を洗っているアレンの横から火にかけていた鍋を持ってテーブルの上の鍋敷きの上に置くおいた。
 寒い日にはやっぱり鍋物だよねぇ。最後の仕上げに溶き卵を落としつつ、ほかほかと立ち上る湯気にむわっと周囲が一瞬白く濁った。

「わぁ、あったかそうですねー!」
「冬にはこういうのが一番だからね」

 あぁ、懐かしき日本の冬よ。鍋のあとの雑炊とか大好きでした。
 手を洗ってテーブルにやってきたアレンを振り返り、にこりと笑いかけてうきうきと椅子に座る様子にコタツがあればなぁと、アレンの前に箸と器を置く。アレンなら鍋から直接食べそうだが、さすがに火傷しても大変なのでちゃんと取り分けるように。あと野菜も食べてね。
 すでに口いっぱいにもぐもぐとうどんを頬張っている様子はさながらハムスターの頬袋。可愛いなぁ、と和みながら今度は先生の着替えを準備するために一旦寝室へと戻った。
 クローゼットから服一式を取り出し、リビングを通り抜けて脱衣場に入る。ザーとシャワーの水音が聞こえる曇りガラスの向こう。ぼんやりと、形はわからない赤色が目だって見えて、籠の中に服を置いて先生に声をかけた。

「先生、服置いておきますからねー」
「あぁ」

 シャワーの音のまぎれて低い声の返事が返ると、頷いて外に出た。そして、そのタイミングを見計らったように、アレンが声をかけてくる。

、うどんがなくなっちゃったんですけど・・・」
「早!!もう食べ終わったの?」
「はい。今日はAKUMAとも戦って一杯動きましたし・・・あ、野菜とお肉も追加お願いしていいですか?」
「あぁ、今日はAKUMAとも会っちゃったんだね。それはお疲れ様。わかった、ちょっと待ってて」

 いいながら鍋を覗き込めば、大家族でもこんなに綺麗には食べられないだろうというぐらい綺麗に出汁しか残っていない中身に感嘆の声を零す。
 これだけ食べてくれれば、本当作り甲斐もあるというものだ。見ていて清々しいね、本当。
 台所に駆け戻り、もともと切り分けておいた野菜やらお肉やらを、うどんの玉と一緒に適当にどばっと中にいれて、煮立たせる。出来上がるまでちょっと時間がかかるのが難点だよねぇ。まあ、アレンには多少我慢してもらうとして。その少しの間に、先生用の火酒を用意して上座に置いておく。だって用意しておかないとうるさいし、あの人。
 これで一通りできたなぁ、とほっとそこでようやく一息ついた。椅子を引いて、アレンの正面に座る。

「アレン、鼻が出てるよ」
「え、あっ。温かいものを食べたから・・・」

 そういって、ずるずると鼻をすするアレンにティッシュを差し出してやると、チーンと鼻を鳴らすアレンが鼻を取りながら、くるくると丸い目で私を見つめた。それに気づいて、鍋を伺っていた私は小首をかしげてアレンを見返した。

「ん?どうかした?アレン」
「いえ・・・そういえば、って理想の奥さんですよね」
「は?」

 いきなりなに言い出すのこの子。予想外のネタ振りに、思いっきり訝しげな声をあげて眉を寄せれば、アレンは一人納得しているかのように頷いていた。待て待て。何をどうしてそんな結論にいくの、アレン。

「今日、バイト先の人たちと話してたんですけど、その時に理想の奥さん像っていう話題になって」
「その人たち、全員独身でしょ」
「え、なんでわかるんですか、
「わからいでか」

 そんな話題で盛り上がるのは結婚、花嫁、新妻などに理想を持っている悲しき独身男ぐらいだ!まぁ既婚者でも盛り上がるだろうが、大体理想というのを求めるのは現実を知らない者ぐらいである。それはともかく、そこから何をどうして理想の奥さんに私が当てはまるのか、甚だ不思議極まりない。どこをどう見て理想になるの、私が!ほへー、と感心した吐息を零すアレンに視線で続きを促すと、アレンは僕にはよくわからないんですけど、と前置きをしてから口を開いた。

「なんでもいい奥さんの条件は料理上手で気立てがよくて、男をたてて、気のつく美人な人らしいんです」
「典型的な理想像だね」

 そうそう滅多にはおらんぞそんな人間。

「それを聞いて考えたんですけど、それならがぴったりだなって」
「何故に」
「だってのご飯は美味しいですし、よく気を回してくれるし、控えめだし、何よりあの師匠の世話を細かにみれるんですから、理想通りですよ!」
「美人じゃないよ、私は」
「僕は可愛いと思いますよ?」
「ありがとう」

 軽い言葉遊びの感覚で最後は交わしつつ、いやでもなんか違うだろう、と私は顔をしかめた。
 どうにもアレンと私の間で認識のズレが起こっているというか、うん。噛み合っていない。
 何か違うんだよ、確かに言葉にすると自分でもうっかりそう思いかねない言葉の羅列だったけど、違うんだよ!私はそんないいもんじゃなーーーーい!!!

「あ、それと」
「・・・まだ何か?」

 ため息をついて、うどんも煮えただろう、とよいしょと立ち上がり鍋つかみを両手に装着すると、後ろからアレンの呟きが聞こえて振り向いた。・・・まだなんか、そんな典型的かつ、恥ずかしい話があるのだろうか。

「仕事から帰ってきたら、奥さんには「ご飯にする?お風呂にする?それとも・・・」とかなんとか言ってほしいとかも言ってましたね」
「うっわ、どこの昭和日本だよ」

 ここ外国だよね?なんで日本のネタがあるの。ねぇ。さすが仮想十九世紀。そういう話題に国境はないのね。がくーんと呆れながら、ベタベタな話だなぁ、と鍋を引っつかんでテーブルの中央に置く。アレンはすちゃっと箸をもって待ち構えながら、でも、と口を開いた。

、師匠に向かっていってましたよね。さすがに最後のはありませんでしたけど」
「へ?」
「聞いた時、僕この会話を思い出して感心してたんですから」
「・・・言ってたっけ?」
「言ってましたよ」

 こてん、と首を傾げれば大真面目に肯定され、私はあれー?とばかりに米神に指を添えた。
 ・・・そんなベタな台詞、私言ってたっけ・・?ふーふーとうどんに息を吹きかけながら、アレンはちゅるちゅるとうどんを頬張り、もぐもぐと口を動かしてごくりと喉を鳴らした。

「ほら、やっぱりは理想の奥さんですよ」
「いや、でも絶対違うと思うんだよね・・・」

 そもそも奥さんになりたいわけじゃないし?今のこの現状って、いわば成り行きというもので、私がなろうと思ってなったポジションじゃないし。ていうか結婚はおろか恋愛もろくろくしたことないのに、そんなレッテル貼られても!恥ずかしく居た堪れないだけだよ!

「まぁ、でも」
「ん?」
が誰かの奥さんになるなんて、考えたくないですけど」

 そういって、牛肉を租借し始めたアレンに、私は目を丸くした。今何ていった、この子。うっかりきゅんってすること言わなかった?
 言葉もなくまじまじと見ていると、アレンは自分の発言が多少恥ずかしいものだという自覚はあったのか、うどんを食べているせいなのか、それとも恥ずかしいからか、どちらかわからないながらも頬を染めて、若干上ずった声で鍋の中をかき回した。

「ほ、ほらも食べないとまた僕が全部食べちゃいますよ」
「え、あ、うん」

 促され、脇に用意していた器と箸を持ち出しながら自分の分を取り分けつつ、うーん、と内心で呟いた。嬉しいには嬉しいし、可愛い発言だなぁと思うのだけれども。
 どう転がるにせよ、結局アレンの好意であることは変わりないわけで。うん、嬉しいことだな、と頷いてうどんをすする。・・・味薄かったかな?野菜の煮汁が出てしまったからかも、と思いつつ、ちゅるん、一本の先まで口に含んで。正面で美味しそうに食べているアレンに、なんだかな、とうどんを租借した。





「お前、それはガキが母親をとられたくないのと同レベルの話だろ」
「あぁ・・やっぱりそう思いますよねぇ?」

 先生と入れ替わりでお風呂に入ったアレンの知らぬところで、お酒片手の先生に、やっぱそういうニュアンスだよねぇ、今のは、と私も頷いた。道理で腑に落ちなかったはずである。
 私はアレンの母親代わりなのか・・・せめて姉がよかったな、なんとなく。まぁ、どちらにしろ結婚なんて夢のまた夢だろうし、アレンの心配なんて取り越し苦労というものだ。
 そう思って、熱いお茶を一口、ずずぅ、と啜ってほっと一息吐いた。