ゴールデン・ハンマー
朝も早くから雀の鳴き声がちゅんちゅんと外から聞こえてくる。夜も明けて、太陽こそまだ高くないものの、外は明るく窓から差し込む光は大層爽やかなものだ。
早朝のほんのりと肌寒い空気を服越しに感じながら、炊いたお米をにぎにぎと握っていく。手が小さいせいでなんていうか、常にコンパクトなおにぎりにしかならないのが不満だが、こればっかりはどうしようもない。朝ごはん用に握っていくおにぎりの数は少なくて、3、4個ほど作ってしまえばそれで終いだ。綺麗に三角にできると妙な満足感を覚える。
ちなみにおにぎりは形が崩れないようにしっかりと表面を固めることが大事だが、中はふっくらと締め付けすぎないのがベストだ!ってどこかの和食のプロがいっていた気がする。手を洗いながら、あと簡単にスープでも作れば朝ごはんはこれでいいかなぁ、と戸棚から鍋を取り出して出汁もごとりと調理台に置いた。量を作る必要がないから、お鍋も一番小さいものだ。もう何度かここに来て繰り返していることだが、これより倍の大きさのものを常日頃扱っていたので、妙に小さく感じる。・・・しかも量間違っても食べてくれる人いないからなぁ。アレンがいたら残飯なんて残らないのに。
あぁアレン、今頃何してるかなぁ。元気にしてるかなぁ。怪我とかあんまりしていないといいな。いや無理か、立場上。食欲はきっとあるだろうけど・・・ティムも元気だろうか。
まぁあれが体調を崩すことはないだろうけど。つらつらともう長いこと顔を見ていない少年のことを思い描き、ふっと笑みを浮かべる。彼にかける食費のことは心配しなくなったけれど、やっぱりいないと寂しいなぁ。
しかも別れ方があれだったし。・・・本当に無事だったのだろうか。超心配。また会えるものならば会いたいな、と解した溶き卵をスープの中に入れてふんわりと表面に浮かんでくる金色の衣をじっと見つめた。
朝食は一人分。テーブルに並ぶものも買い揃えるものも、洗濯物の量も全部が全部私一人だけ。ぐるりと鍋をおたまで掻き回して、慣れたけれど微妙、と密やかに呟いた。
アレンがいなくなってからぐっと量が減った。だけどそれでも成人男性がいたからそれなりに量はあったのに、しばらくはそれもない。あの人が海の向こうに消えてどれぐらいたったことか。卵スープをお椀に盛って、鍋に蓋をしてカレンダーを見た。
ひのふのみぃ、・・・・結構経っているような、そうでもないような。微妙な時間、と首を傾げると刻んだ葱をスープの中にぽいと散らせる。あの人も無事だろうか。ここにいろと言われて置いていかれてからの時間は、寂しいというほど女々しくもないがふと物足りなさを覚えるには十分だ。待っていろとも迎えに来るとも言われなかった。ただ、ここにいろと言われて置いていかれた。多分、次の約束をしなかったのは、それだけそこが危険な場所だったからだろう。それでもきっと、あの人がどうこうなることはないと思えるのはそれだけあの人の存在が鮮烈に刻まれているからだろう。性格とか、なんかその辺が。
何があっても死にそうにないもんなぁ、あの人。大胆不敵とか傲岸不遜とかそういうのを地で行く人なだけに、案外私も余裕である。きっとピンチなあの人を想像できないことと、ピンチになっているあの人を見たことがないからだ。そこがどれだけ危険であるかも、目で見ていないから実感が湧かない。そういうことなのだろう。おにぎりとスープを持って、踵を返した。
なぁに、ここに帰ってくる保障はないけれども、だけどきっとあの人は無事に違いない。私はここにいろと言われたのだからここにいればいいし、帰ってきたあの人をいつも通りに迎えればいいのだ。さて、今日も一日お仕事を頑張ろう。ことん、とテーブルにおにぎりとスープを置いた音が静かな室内に響いた。
※
落とし穴に落ちるという経験を皆様したことがあるだろうか。もしかしたら幼い頃、そういう遊びとかをしていた人もいるかもしれない。バラエティ番組などでお笑い芸人がドッキリしかけられて大きな穴に落とされることも多々あるだろう。だがしかし、人を落とすにはそれなりの技量がいるしそもそも穴を掘るだけでもかなりの労力がいる。ちなみに私は今まで落とし穴に落ちたことも落とし穴を仕掛けたこともない。滅多にないんじゃないかな、普通。
崖の上から怨霊に落とされたことはあったけどね!あれは怖かった、展開知っていたけど怖かった。白龍ありがとう!・・・そっちの方が珍しい経験だろうけどさ。
いやでも、大体、普通落とし穴なんて仕掛けないし、かからない。あまつさえそれが室内とか、どんなビックリ忍者屋敷だと叫び声をあげるところだ。落とし穴があるにしても外だろう。室内に作るとかどんだけ物好きなんだその人は。きっと人をおちょくるのに全力をかける人に違いない。超迷惑。まぁ、つまり、何が言いたいかって。
「ひぎゃああああああ!!?????」
何故に家の中で、二階でもない一階のキッチン兼リビングで!落っこちなければならないのかということだ!!何故!?何!?ホワイ!?なにがどうなってこうなった!!?
ばさばさと風を受けて膨らむスカート、ばっさぁ、と重力に反して翻る髪、足元に当然地面はなく、不安定この上ない空中に放り出されるというミラクル。
あの家って欠陥住宅だったの!?床がいきなり底抜けるとか有り?!いやでもだからといってこの高さはないよ!!あそこ普通に地面に家があったよ!?空中都市だなんてファンタジーな立地条件ではなかったよ!?ていうかなんで私落ちてるのぉぉぉぉぉぉ!!!
色んな意味で真っ白になった思考で、為す術もなく落下をしていると、思ったより一瞬でどすん、と衝撃を受けて落下が止まった。同時に「ぎゃぁ?!」という声が聞こえたが、正直強かどころか盛大に打ちつけた腰とかお尻とか背中とか、とにかく体が痛すぎてそれどころではなかった。
・・・地面よりも柔らかい感触だったから、骨とかに異常はなさそうではあるが、しかしそれでも衝撃は相当で、痛い、と涙目になりながら(ちなみにこれは落下の恐怖も八割含まれている)俯いていた顔をあげて辺りを見渡した。あぁもう本当、何がどうなって・・・?
ズキズキと傷む腰を擦りながら、混乱の極みに見渡した周囲は、ぶっちゃけ異常だった。
知らない部屋。壁も床も天井も真っ白で、汚れなんて一つも見当たらない。白すぎて病院の一室を連想するぐらいだ。オフホワイトというよりも白、という他ない・・・なんだかとても綺麗で寂しい部屋だ。そして部屋には、数人の人がいた。これまた部屋の白さとは反対に、黒い服をきた人たちで、しかし目にも痛々しい有様だった。服はボロボロ、体は傷だらけ、包帯をあちこちに巻いて、どこにも欠損のない部屋とは大層対照的な様子に、目を真ん丸く見開いて首を傾げた。あちらもポカンとした顔をしているだけに、お互いどうにも状況を掴めていない節がある。目が合うとびくっと体を揺らした美少女になんとなく申し訳ないような気持ちになりながら、しかし私とて途方に暮れた顔をしているだろう、と顔を反らした。
あぁ、いい加減ビックリ現象はやめて頂きたい。切実に。まさかまたどこかにトリップしてしまったんじゃぁ・・・?と一抹の不安を覚えていると、ぽつりと視界の範囲外から、声がかけられた。
「・・・?」
「え?」
声に反応してぱっと振り返ると、白い部屋にはミスマッチなような、いやしかし絵になるような、大きなグランドピアノがぽつんとあった。そしてその前に佇む、見慣れた、姿。
大きく目を見開いて、ひゅっと息を呑んだ。格好はボロボロもボロボロで、服なんてほぼ服の役割を果たしていないのではないかという有様で、見ていられないほど傷だらけで。
だけど、真っ白な髪とか、薄い色素の瞳とか、綺麗に整った顔とか、・・・額の、赤いペンタクル、とか。
「・・・アレン?」
「・・・・っ!」
間違うことなく、彼そのものだ。呆然と、いきなり且つ信じられない現象に、ひどく頼りなく掠れ声でぽつりと呟けば、刹那、彼は息を止めて、それからぐしゃりと顔を崩した。
あ、泣きそうな顔だ。何かに耐えるような、それでも堪えきれないような、引き攣った口元がわなわなと震えてきゅっと噛んだ唇が白く色を変える。細くなった瞳に薄っすらと何かがぼやけて見えて、ぼんやりと瞬きをすると、一瞬彼の姿が掻き消えるように視界から消えた。
あれ?と首を傾げようとした刹那、正面から衝撃が再び私を襲い掛かった。無防備だったところにいきなりの邀撃で、思わずぐふっ!?と変に息が逆流してしまい、ごほりと小さく咽ると同時にやっぱりしたから「ぐえっ」とカエルを潰したような声が聞こえてきた。果たしてこの下には何がいるのだろうか。
浮かんだ疑問は、同時に背中に回った腕に気を取られているうちに掻き消えてしまった。
ぎゅう、と抱きしめられるといつの間にか私はアレンの腕の中にすっぽりと納まっている状態になっていた。なんという早業。驚きの連続にそろそろ思考回路もショート寸前だ。
「・・・・!!・・・!」
「い、いた、痛いよアレン・・・っ」
耳の横で震える声で何度も何度も名前を呼ばれる、しばらくぶりに聞く声だ。薄れ掛けた記憶がその瞬間に鮮やかに耳の奥に蘇り、あぁアレンの声だと納得する。納得するが、ちょっと、いや、かなり、苦しい。きつく抱きしめられて、身じろぎの一つも許されないほど互いの体に隙間はない。この子怪我してるくせになにこの力・・・!抱き潰されそうだ、とちょっと現状を省みるに洒落にならない想像にぞっとしていると、アレンは益々腕に力を込めて、肩口にすりすりと頬を寄せてきた。すん、と鼻を鳴らす声が、密やかに耳に届く。
それにあぁちょっと泣いているのだろうな、と思っていると、ふと視界の端にぴくぴくと動くものを見つけて、んん?と眉を跳ねた。・・・あれ、これって・・・・。
「、本当になんですか・・・?」
「ちょ、アレンそれどころじゃないよ下、下!!下に人が・・・!」
すんすんと鼻を啜りながらか細い声で問いかけられたが、今認識したことに驚いた私は胸部を圧迫されて喘ぎながら、アレンの背中をばしばしと叩いて離れるように無言の訴えをした。だが、アレンはその答えが不満であったかのように、益々強く抱き寄せてなんですか?と再度問いかけてくる。うんうんそうだよ!私だよ!!だからちょっと退こうねアレン!
「嫌です嫌です嫌ですーーー!!!離れたら消えちゃうかもしれないじゃないですか!!」
「消えないよ!そんなミラクル起きないしできないから!!」
むしろ私がここにいるだけですごいミラクルだからね!てかここ何処よ?!所謂パニック状態を引き起こしながら、本物だから!幻でも夢でも偽者でもないからここから退こうよ!今更だけど私ら人の上にいるよ潰れてるよ人が!!とあわあわと慌てて叫ぶがアレンは見えない尻尾をぶんぶんと振り回してそれどころではないらしい。私もアレンとの再会どころではないよなにこのカオス!!
「、、会いたかったんです、会いたかったんです・・・っ」
「アレン・・・素直に今は喜べない・・・!」
ごめん、私も感動に浸りたいところだが現状がね!人がね!押し潰されてるところだから喜べないな!温度差の著しい相違を感じながら、アレンの肩越しに見える美少女と黒髪美人に救いの眼差しを送った。お疲れのところ大変申し訳ありませんが誰でもいいから助けてくださいませんかね?!その視線を受けてか、大層困惑した様子(いやあれは最初からか)、こちらを見ている彼らに私も眉を下げると、ふと視界が暗く翳る。
いや、目の前が黒い布で覆いつくされたのだ。つぅ、と動きにくいながらも顔を上へと向け、はっと私は目を見開いた。ひゅっと気道が狭まり、食い入るようにその顔を見つめる。
鮮やかな赤い髪、反面を覆う白い仮面、不機嫌そうに寄った眉――右手に握られた、金槌。
あ、なんかデジャ・ビュ。久方ぶりに見た姿に喜びを覚える前に、ひやりと背筋に冷や汗が流れ、ぱくぱくと口を動かして頬を引き攣らせた。
「・・・っ!先生、ちょ、ま!」
「鬱陶しい」
―――あぁ、無情。
がつん、というか、ごつん、というか、めきゃ、というか・・・トラウマものの音を立てて、
「アレーーーーーーーーーーーン!!!!!!」
感動の再会は、あらゆる意味でスリルとショックとサスペンスに満ち満ちていた。