天の川きらきら
見上げた空に光る星があんまりにも綺麗だったから、魔が差したとしか言いようがなかった。傍らで寝ていた亀(もどき)にも内緒で、とはいっても彼のことだから気が付いていそうだが、なんとなく内緒でこそこそと窓から外に出る。
幼児には高い位置にある窓の下に椅子を持ってきて踏み台にし、窓の桟を乗り越えてジャンプ。どさ、と体重故か軽い音をたてて着地すると、ふわっと寝間着の裾が地面についた。このままじゃ擦れて汚れるな、と裾をたくし上げて帯に挟み込み、膝小僧までを露出させる。一国のお姫様の恰好ではないと思ったが、そもそも一国のお姫様は夜中に窓から抜け出しはすまい。いやお転婆なお姫様ならやってそうだが、これは、そうなんていうか、気まぐれ、だ。
そもそも奥宮に押し込められるように、人から遠ざけられ腫物扱いされている私である。あまり人気もない、護衛の人数も最低限以下の宮で、私が部屋から抜け出したなどと誰が気づくというのか。まぁそんなに長時間出ているつもりもないし、ちょっと星を見に出るだけだ。いざとなったら、・・・まぁ、それはそれで。どうせ誰も困る人間もいないだろうしなぁ、なんてちょっと寂しいことを考えながらさくさくと草を踏みしめて月明かりの中を歩く。この時代の宮に電気などという人類の発明はまだなく、絶え間なく灯されているのは警護の人間が燃やす松明程度。だからだろうか、月の光はとても明るく、見上げた空の星の数はあまりに多い。
じっとりと蒸し暑い夏の夜に汗を浮かべ、時折慰めのように吹く風も心地よいというよりは湿気を持ってくるので微妙な心地だ。それでも、昼間に比べて下がる気温に熱帯夜と呼ぶにはまだ早く、時折長く伸びた草は足首やふくらはぎを掠めるとくすぐったいような痒いような、微妙な心地に立ち止まって足元を撫でる。しゃがみこむと青い匂いが濃く鼻孔を通り抜け、虫と蛙の歌声が重なって大きく響く。まだゲコゲコゲコ、とだけ聞こえる蛙の声に、遠い昔に聞いた牛の鳴き声のようなそれは混ざらない。これがあるべき自然の生態系か、と思いながら自分の部屋からやや離れた、開けた場所で立ち止まって空を見上げた。いくら夜中に出ているとはいえ、敷地外から出るつもりも部屋からそこまで遠く行くつもりもない。ただ、枠に切られることなく、部屋の中から身を乗り出してみるのではなく、少し広い場所で、見上げてみたかっただけなのだ。
「お1人で出歩くのは危ないですよ、我が姫」
視界一杯、見上げた空一面。藍染の中に、宝石を散りばめたような星屑が輝いてどこまでも続いている。そしてその横には大きなお月様がぽっかりと浮かんでいて、雲一つない空で淡く光を地上に落としている。お月様の付近の星だけは、その光に気圧されて少々薄くなっているが概ね夜空は星のカーニバル状態だ。無言でその光景に見入っていると、後ろからかけられた声と共にふわり、と肩に布がかけられた。緩慢に振り向くと柔和に目を細め、薄く笑みを浮かべるイケメンが私を見下ろしている。若草色の髪を揺らし、軽く首を傾けた彼は蒼い両目を瞬かせて、そっと横に膝を着いた。
「言ってくださればお供いたしましたのに。星に誘われでもしたのですか?」
「・・・そうだね、あんまり、たくさんあったから」
少し、圧倒されていた。胡散臭い、といってはなんだか柊の笑顔って純粋からかけ離れていてしかも口から出る台詞も遠回しに色々こう、ね?あるから反応に困るというかもにょもにょ。かけられた肩掛けを胸元で掻き集めて寝間着を隠す。幼女の寝間着など価値もなかろうに、わざわざ隠すために持ってくるとは酔狂な男だ。いや、まぁ立場を考えれば年など関係ないのかもしれないが、それでも幼女だ。放っておけばいいものを、と思いつつ同じ目線になった柊から視線を外す。
「乞巧奠も近うこざいますから、星も落ち着かないのでしょう」
「あぁ、もうそんな時期なんだね・・・」
俗にいう七夕である。まぁそういった行事ごとに参加できるのは一の姉様だけで、私や二の姉様に関してはほぼほぼ不参加だ。というか出ることを認められていない。
祭事に不吉な忌子を参加などさせられるわけがないのだから当然だ。そしてそれはそれで私にしてみればありがとうございます!!って感じである。だってああいう祭事って伝統だの格式だの仕来りなどで雁字搦めでひどく窮屈なのだ。出ずに済むならそれに越したことは無い、と常々思っているのでほぼほぼ宮のそういったことに参加が認められていない私の今は実に充実している。
放置されすぎとも言うが、面倒事がないので逆に楽だ。中身がこれというのも理由にあげられるが、公式的に引き籠れてこちらとしてはなんの問題もない。二の姉様は、可哀想だと思うが・・・。
「そういえば、柊は出るの?」
「乞巧奠にですか?」
「うんまぁ・・・柊には、大切な行事なのかな、とか」
星の一族だし。星に関係する祭事は重要ではないのだろうか?なんとなく。まぁ七夕は手芸ごとの上達のための行事だから柊にはあんまり関係ないのか・・・?でも祭事だしなぁ。そうなると当日は誰が私に付くことなるんだろうか・・・ここ最近はずっと柊がいたから融通もきいたけど、そうじゃないなら一日中部屋の中だな。まぁそこまで困ることでもないからいいんだけど。ずっと見上げていると首も痛くなってくる。一旦首の位置を戻して、そろそろと地べたに腰を下ろし・・・
「姫、どうぞこの上に」
「あ、うん。・・・別にいらないよ?」
「夜露で濡れている部分もありますので、遠慮なさらず」
さっと座ろうとした場所に柊の肩掛けが広げられ、にっこりと微笑まれると断りにくい。いやまぁ、ありがたいっちゃありがたいけど、お姫様扱い慣れないな、と思いながらよっこいしょ、と肩掛けの上に腰を下ろすとひどく満足そうに笑顔を浮かべられた。なんでそんな満足そうなんだ、と思ったが口にはせずに、思い切ってごろん、と寝転がる。御髪が、と言われてさらりと髪を取られて、そのまま柊は私の頭上付近に座り込むと、広がった髪が地面につかないように纏めることにしたようだ。そんな丁寧に集めなくてもいいのに、と思うがまるで柊は壊れ物のように髪を掬いとって柔らかに弄んでいる。
不吉だ、気味が悪い、と罵られ軽蔑される白銀の髪を、ともすればそれこそが宝石のように恭しく扱われるのはなんだか気恥ずかしい。ていうか自分の髪を他人にそんなに丁寧に扱われたことがないんだが。自分含めて。
「ふふ。姫の御髪はまるで天の川のようですね。天だけでなく、地上にも星の川を作りだすとは、さすがは我が姫です」
「そんなこと言うのは柊ぐらいだと思うよ・・・」
歯が浮くという意味も含めて。さらさら、さらさら、と指の間を流れる感触を楽しむように撫でられてなんとも言えない気持ちになりつつ、仰向けになったので無理なく見上げられる星空に集中する。・・・星座とかもあるんだろうけど、星座版がないと私じゃよくわからんな・・・夏の大三角だっけ?どれとどれだ?
「乞巧奠のことですが」
「え?あ、うん」
ぼんやりと星を見上げていると、ひとしきり人の髪を堪能した柊がぽつりと口を開いた。すでに思考の彼方に放り投げていた内容に一瞬なんのことかわからなかったが、すぐに思い当たると瞬きをして柊をみる。下から見上げた柊は私を覗き込むように見下ろしていて、青い双眸を細めてくふ、と吐息を零した。
「私にはすでに針仕事の御上手な方がいらっしゃいますので、わざわざ参加する気はありませんよ」
「そっかぁ・・・」
つまり別に上達祈願なんぞしなくても十分だから出る気は微塵にもないと。たかが幼児の手芸をそこまで言われるとなんかむず痒い。覗き込む柊から目線を外し、両手で顔を覆って、大きく溜息を吐き出した。
「また今度帯作ってあげる」
「ではまた布を探しに市井に出ましょうか」
「そうだね、千尋姉様たちにも何か作ってあげたいなぁ」
「我が姫が手ずから作った物でしたら、きっと二の姫様方もお喜びになることでしょう」
まぁ普通に喜んでくれるとは思うが。にっこにこの柊をちら、と見上げて、そういえばなんでこいつここにいるんだ?と今更ながらに思い至った。いつも神出鬼没だから違和感なく受け入れてたけど、従者とはいえ夜は確か別だったような・・・?
・・・まぁ、星の一族だしな。星がきっと教えでもしたのだろう、とそれ以上の考えは放棄した。いや、だって・・・・考えだしたら、怖いじゃん?そこは多分触れちゃいけないやつ、とばかりに、そっと胸の奥に仕舞い込んだ。
あぁ・・・星が綺麗だなぁ!