名残惜しい



 暗闇に雨が降る。濡れ縁の柱にもたれかかりながら、時に強くなり、時に弱くなり、緩急をつけてずっと降り続く雨の筋を眺めながら光も差し込まない曇り空を見上げる。
 今降っている雨足は強く、叩きつけるように地面を打ち付ける音は時に五月蠅いほど耳に響く。気圧の変化だろうか。ズキズキと痛む頭に眉間に皺を寄せて、ずるずると力なく柱に寄りかかる体を崩して濡れ縁の床板に寝転がった。
 冷たい床板を頬にべたりとくっつけてその冷たさを堪能する。なんとなく頭の痛みがマシになったような気がして、ふぅ、と溜息を零した。・・・時々あるんだよなぁ、偏頭痛。平べったい床板はずっと寝転がるには不向きだが、今はなんとなくこの冷たさが名残惜しい。湿気を帯びた空気が肌に纏わりつく中、大きな水溜まりを形成する庭先をぼうっと見つめていると、きしきしと床板しなる音が振動と共に頬と耳に伝わった。
 あー・・誰かきた・・・九郎さんとか朔でないことを祈ろう。こんな体勢でいたら小言を言われてしまう・・・。なら起きればいいのに、頭の痛みのせいで体が鉛のように重い。動くことが億劫で、できればこのままやりすごしたいなぁ、と思っているときしきしと鳴っていた床音が止まった。

先輩?どうしたんですか?」
「・・・譲かー」

 少し狼狽えたような声が聞こえて、ずりり、と顔を床板に滑らせるようにして声がした方向を見るとお盆の上に何か乗せた譲が立って眼鏡の奥で目を瞬いていた。・・・まぁ、譲なら何も言わないだろう。そう判断してくた、と力を抜けば、少し慌てたようにぱたぱたと近寄ってきた譲がお盆を傍らに置き、心配そうに肩に手を触れてきた。

「具合が悪いんですか?弁慶さんを・・・」
「頭がね、ちょっと。ただの偏頭痛だから、寝てれば治ると思う」

 大事にはしたくない。痛み止め、も・・・こっちの薬って粉末とかだから飲みにくいし苦いからあんまり飲みたくないんだよなぁ。あと薬を乱用するのはあまりよくないし。経験上じっと寝てればその内治っているので、どうせ今日はもう外にも出ないだろうしこのままだら~っとしようと思っていたのだ。へらっと笑っていうと少し眉間に皺を寄せて譲るははぁ、と溜息を零した。

「・・なら、こんなところに寝ていないで、部屋に戻りましょう。布団を敷きましょうか?」
「んー・・・いや、まだここに居たいからいいよ」

 ありがとう、と少しぶっきらぼうに言って視線を外すと、譲は何か言いたそうに口を動かしたが結局溜息を零して立ち上がった。あ、態度悪かったかな、と思ったが人間、不調だとあんまり他人を気遣えないよね・・・。あとで謝ろう、と思いながら雨音に耳を傾けるように目を閉じた。叩きつける雨音が不意に弱くなる。かと思ったらまた強くなって、時折ゴロゴロと雷も鳴るので色んな音がして面白い。テレビもラジオも音楽機器もないから、よりはっきりと聞こえて気が紛れる。まぁ紛れても痛いものは痛いんだが。

「・・・星は見えないなぁ」

 まぁ雨降ってるし雷まで鳴ってるんだから当然だけど。

「星が見たかったんですか?」
「え?」

 ぽつり、と零れた呟きに返ってくる声があり、きょとん、と首を動かす。するとその先に羽織を抱えた譲が立っていて、私は寝転がった怠惰な姿勢のままパチパチと瞬きを繰り返した。譲はそんな私の反応にも頓着せず持っていた羽織を広げるとふわり、と私の体にかけて、更に頭を上げるように、とまでいってきた。
 え?何する気?と狼狽えつつ言われた通りに頭をあげると、すっとその下に折り畳んだ厚みのある布地をすべり込ませて、すっと頭を押さえて寝かしつけられた。硬い感触から柔らかな感触に頭部及び頬が受け止められる。えぇと・・・。

「いくらなんでもそんな恰好のままじゃ風邪を引きますよ」
「譲は、もうちょっと、私を雑に扱ってもいいと思うよ・・・?」

 あんな素っ気ない態度を取った人間にする仕打ちかこれが。なんて気遣いの塊なんだ、と思いながらもぞもぞとかけられた羽織の前を掻き合わせるようにして背中を丸めるとふふ、という笑い声が聞こえた。

「体調が悪いことがわかっているのに、雑に扱うわけないじゃないですか」

 そういって、そっと伸びてきた手が前髪に触れる。目元にかかった髪を退けるように耳にかけられて、思いがけない接触にびくっと体を硬直させた。耳殻を掠めた他人の体温にびくりと肩を揺らすが、僅かな動きだったからか譲は気づかなかったようで、そのまま手は何事もなく離れていく。え、え。ゆ、譲にしては珍しい接触だな・・・?!

「今日は大雨ですから星は見れませんけど、晴れたら星を見に船岡山にでも行きますか?」
「ぅえっ!あ。あぁ、うん。・・そうだね、そこなら星もよく見えそう」

 いやまぁこの時代はどこにいても星がよく見えそうだが、あそこなら平地よりも星に近いからもっとよく見えそうだ。思わぬ譲の接触にいくらかの動揺を隠せずどもったりしたが、やはり譲は気づかなかったのかそこに反応はなかった。気付いていても知らないフリをしているのかもしれない。そういう気遣いができるところが譲だよねぇ。
 そう思いつつ、まぁそこまで気にすることでもないよね、とずきずきと脈に合わせて強弱をつけてくる頭痛にくっと眉間に皺をよせ、はぁ、と湿っぽい溜息を吐き出した。

「先輩?辛いなら、やっぱり弁慶さんを・・・」
「ううん。いいから・・・譲、ちょっとお願いしてもいい?」
「なんですか?」
「ちょっとココ・・首から肩の辺り揉んで、あーいや、擦ってくれるだけでもいいや。駄目かな?」

 正直年頃の男子にお願いすることでもないと思うのだが、偏頭痛って筋肉の強張りからもきてることがあるから解すのもいいと思うんだよね・・・。いやでもやっぱり男の子に頼むことじゃないか。少しでも楽になれたら、と思ったがさすがにこれは非常識だった、と思ってやっぱりいいや、と声をかける前に、すっと伸びてきた手が首筋を捉えた。
 暖かい体温にぎくっと肩を揺らすと、ぐっと力が込められて筋を押される。あ、気持ちいい・・・。

「こうですか?」
「・・・うん・・・・」

 ぐ、ぐ、と首筋から頭の付け根部分までを押されて、思わずうっとりと目を細める。どうしよう、マジでやると思わなんだ・・・だがしかし気持ちがいいぞ。

「痛くないですか?先輩」
「ちょうどいぃ・・・譲マッサージ上手だねぇ・・・」
「まぁ、部活でもこういうことしてましたし」
「あぁ、弓道部・・・そっかぁ・・・」

 首筋から肩、肩甲骨まできて大きな掌で撫でられるようにして押される。恐らくは私を気遣ってやわやわと力を抜いて接してくれているのだろうが、いや本当に、この子マッサージ上手いんですけど・・・!ツボを、ツボを的確に押してくださる・・・!そしてこの現場を他人に見られたら爆死する・・・!

「・・・譲ー」
「はい?」
「あともう、ぅん、・・ちょっ、としたら、部屋、戻る、ねー」
「わかりました。何か必要なものはありますか?」
「だいじょ、ん、ぶ。・・はぁっ」

 圧迫されて少し息を詰めながらそれだけ言うと、そのあとは俯せで譲の掌の温度のみを感じることに徹した。あぁ・・・頭が痛いの、ちょっとマシになったかもしれない。
 ていうかホントこの子先輩というだけでなんでもしてくれるんだけど、もうちょっと拒否とか他人を雑に扱うことを知ってもらった方がいいかもしれない・・・甘やかされると人間際限なく甘えてしまうぞ。いやさすがに、さすがにこんなことはもう頼まないけども!今日は、そう今日は、ちょっと頭がね、痛かっただけだから!!
 ・・・・・・・譲にも今度マッサージしてあげよ・・・・。