晴天の霹靂
も、もうやだぁ・・・・!泣きたくなりながら、詩紋くんに手を引かれて路地裏を駆け抜けた。
心臓がシャトルランをしているみたいに激しく稼動し、喉がカラカラに乾いてひりひりと痛む。
息を吸うのに整わなくて、むしろ口を開けて空気を取り込もうとするから、逆に口の中が乾いていく感じだ。かといってすでに鼻から呼吸できるような状態ではない。肩で息をして心臓のドッドッドッドッていう音がいやに耳に響く。立ち止まることもできずに、もつれそうな足を動かして、前を走る詩紋くんのブレザーの背中を見た。・・・これ、詩紋くんが引っ張ってくれなかったら私確実に止まってる。いや、止まらないにしてもスピードは確実に落ちていったことだろう。つまり今現在フルスピードを維持してるわけで、本気で死にそうだ。体力ないのに、足だってそんなに速くないのに・・・!
「ちゃん、頑張って・・・!」
「し、詩紋く・・・マジ無理、死ぬ・・・!!」
声援を送られても本当に本当にきっついんです。振り返って眉をきゅっと寄せ、詩紋くんも苦しそうな顔をしているのを見ながら、私は答えるのもきつく大きく息を吸った。
どうしよう、呼吸が間に合わない。しかしそれでも、立ち止まれない。立ち止まったら、どうなるのかわからない。いや、わかるには、わかる。ただそれは、決して良い方向ではないというだけであって。
ぐいっと引っ張られながら(こう見えて詩紋くん結構体力あるんだねぇあと足速いんだねぇ・・・感心してる場合じゃないけどね!)路地裏を曲がる。
一瞬声が遠ざかるが、すぐに足音と追いかけてくる声が聞こえる。それが怖い。よく50メートルとか計るとき、後ろから迫ってくるものを想像すればいい、とかいうけど(あとゴールに何か嬉しいものがあると思うとか)実際追いかけられると、もう本当に怖くて仕方ない。ちらりと肩越しに後ろを見れば、鍬やら鉈やら棒やら・・・物騒極まりない道具を携えて、怖い顔をした男達が追いかけて来るのが見える。
急いで顔を前に戻して、強く詩紋くんの手を握り締めた。応えるように、彼もまたきつく手を握り締め返した。あの農具、もはや立派な武器であり凶器だが、あれで私達をどうするというのだろう。少なくとも好意的解釈などできるはずもない。追いかけてくる憤怒の声がただやかましく恐ろしい。なんでこんな目に、いや、こんなことに、思い返しても私達に非などあろうはずもなかった。
※
うろうろと街中を歩き、目的の人物を探すこと数刻。当てもなく情報も碌な物が手に入らない状況で、多くの人間が生活している中で見つけることなど無謀にも等しい。・・ということがよくわかった。なんとかなるさきっと、為せば為る、などと楽天的に考えていたけれど、現実見据えてみると、そんな簡単なもんじゃない。漫画とかアニメとかでもそういう擦れ違いはよくあって苛々させられるものだが・・・まあでもほら結果的に出会う運命なのだし、そう深くは考えない事柄である。しかしそれは、あくまで物語の主役としてあるからこそ、そういう風に持っていかれてるわけで。考えてみれば私別に主人公じゃないし?いくら彼等の仲間である詩紋くんがいるとはいえ、確率的に言えば詩紋くんよりもあかねちゃんの方が出会う確立は高いのだ。神子と八葉は惹かれあう、ともいうし。だから、そう簡単に言えば。
「見つかるはずがねぇ」
「そんなことないよ!もう少し頑張ればきっと天真先輩も見つかるって」
うんざりするほど流れる人並みにぼそりと悪態を零すと、詩紋くんが握り拳をしてエールを送ってくる。しかしその顔にも疲労と不安が見える分、このまま会えないかも、という気持ちが少なからずあるようだとは思う。いや、ああ呟いておいてなんだが、私は会えないとは思っていない。彼等が八葉である限り、神子と・・・あかねちゃんを中心に巡り合う運命の元にいるのは確実だ。うん、ちゃんと正規遙かストーリーをなぞらっているのであれば。
まあでも・・・私がいたところで3の世界はちゃんと回っていたし、私がいることはさして大きな問題ではないのだろう。ハガレン風でいえば全の中の一に過ぎないのである。
私という存在は確かに異分子だが、それによって何かが大きく変わることはない・・それほどの影響力など見込めないただの人間なのである。だからそういう不安はない、のだけれど・・・ただ、合流できる時期がいつになるかなぁ、という不安があるだけで。
1日2日はともかくそれが3日4日と続くとさすがに危険かなぁと思うのですよ。悶々と考え、はあ、と憂いの溜息を零すと詩紋くんはおろおろとしながら、きゅっと唇を引き締めるとにこり、と笑った。
「ちゃん、大丈夫だよ。絶対見つかるから・・・ね?」
「うん・・・うん。そうだね、立ち止まっててもしょうがないよね」
はっと顔をあげれば、ほっと暖かくなるような笑顔を浮かべて、ぎゅっと私の手を握り締める詩紋くんの綺麗な青い瞳と目が合う。私はそんなに深刻に考えていたわけではないんだが、と多少居た堪れなく思いつつ、真剣に励ましてくれている好意を無碍になどできるはずもないので何も言わずにこくりと頷いた。詩紋くんは私なんかよりも(だってほら私反則な方法で色々知ってるわけだし?)ずっと不安なのだろうに、こんなこと考えて心配している私を励まそうとするなんて・・・なんて良い子・・・!思わず感動で涙腺が緩みそうになったが、ぐっと堪えて前を向く。うん、変なこと考えて心配するより、とりあえず会えるまで頑張る方が先決だよね。にこ、と笑みを浮かべると、詩紋くんはほっと安心したように表情を緩めて、着物の下で目許を細めた。一時ほんわかとした空気が流れたが、とはいっても、と顔を引き締める。
「我武者羅に動いても、当てがないとなんともなぁ・・・」
「うーん。確かに・・・制服を着てるならもっと目立つはずなんだけど・・・」
「そうだよねぇ。こんなところで緑色のブレザーなんて目立つ他ないのになんで目撃情報がないのか・・・ん?」
「どうしたの?」
「ん、いや、ちょっと待ってね、詩紋くん」
「うん」
会話しながらふと引っかかるところを感じ、一度断りをいれて詩紋くんが大人しく待っている横で顎に手を添えて視線を足元に滑らせた。えーと、思い出せ思い出せ原作。
この場合原作はゲームじゃなくて漫画、あるいはアニメなんだけど、あかねちゃんと合流する前の天真ってどうだったかな・・・。えーと確か飛ばされた場所は3人ともバラバラだったんだよね。あかねちゃんは土御門で、詩紋くんは町中?で、天真は・・・橋、だったかな。川辺だったか・・・まあそんなところだったはずだ。んで、天真は出会ってそうそう怨霊に取り憑かれた人間に襲われて、と・・・あぁ!
「そうだよ・・・制服なわけないじゃん・・・!」
「え、何が?」
「あ、いや、えーと、もしかしたら、だよ?もしかしたらなんだけど、天真君制服着てないかも、って思ったり思わなかったり・・・ね?」
あっはー、と笑って誤魔化すように言うと、詩紋くんは目を丸くして首を傾げた。
なんで?といいたそうな視線に自分危ない橋渡ってるかも、と思いながら答えないわけにはいかず、うろうろと視線を泳がせながらえっとね、と口を開いた。というかむしろこのことを忘れていた自分がなんも言えない、というか。随分余裕がなかったんだな、と思う。
まあ、言い訳をさせてもらえるならそれどころじゃない情報が入ってきて余裕がなかったわけなのだが。ともかくも、よくよく原作を思い返してみれば。
「もしもの話だけど、その天真君って順応性高そうだし、もしかしたらさっさとこっちの服着て色々してるのかもしれないなぁ、とか、思ったり」
「・・・でも、いくら天真先輩でもたった半日でそこまでできるかな?」
「うんと、これも推測だけど、飛ばされた場所が違うように、飛ばされた時間も実は違うのかもしれないよ。今から未来か過去かはわからないけど・・・数日分ぐらいズレがあっても、可笑しくないかも」
遙か3で時空云々の話がよく出るから、ふとそう思っただけだけど。あながち的外れではないかもしれない、と言いながら自分で納得する。うん、あかねちゃんが一緒に飛ばされなかったことを踏まえて、もしかしたらそういう可能性があるかもしれないよね。
微妙に正規ストーリーと始まりがズレていることが、そういうズレみたいなものを起こしているのかも。それが私のせいだったら嫌だなぁ、と溜息を零した。まあ低い確立だとは思うけど・・・。しかし、この説でいくとなると今から数日前に飛ばされたなら良いけど、今から数日後に飛ばされてたら私達どうすればいいんだろうな?そこはかとなく絶望的な要素も加わった気がするが、そこはあえて目を瞑っておずおずと詩紋くんをみると、きゅっと眉を寄せて難しい顔をしている。・・・こういう顔珍しいかも。物珍しく思いながらマジマジと見つめると、詩紋くんは難しい顔をしながら、だとしたら・・・と呟いた。
「捜すの、かなり難しいかもしれないね。ちゃんの言う通りだったら、もしかしたら今よりも未来に天真先輩いるかもしれないんでしょ?」
「う、ん・・・そうだけど・・でも、あくまで可能性だし、過去の可能性もあるし・・だからね、ちょっと行ってみたいところがあるんだ」
これもこれで反則技(原作知識)から導き出したことですけれども。心配そうな顔をした詩紋くんに意を決して提案すると、まさかそういう切り返しがあるとは思わなかったのか丸くなった目を向けられた。もしも天真が今より過去に飛ばされたとして、の考えではあるのだが、そうだとしたらお仕事を彼は貰っているはずである。確かそういうのをくれる場所があったはずだ、と私は半ば薄れている記憶から引っ張り出して、だったらそこに行けばまだ会える可能性が高くなるのではないか、と考えたのだ。勉強と進路以外でこんなにも真剣に自分の行動とか道筋とか考えたことないよ、私。というかここまで考えて行動することが滅多にない・・・!(大抵行き当たりばったり)知識を総動員して言葉を選び選び意思を伝えると、詩紋くんはそれはそれは感心したような視線を向けてくれた。
「すごい、ちゃん・・・!色んなこと知ってるんだね。僕そんなこと全然思いつかなかったよ」
「あ、あは、あはは・・・いや、うん、そんなことないよー」
キラキラと本当に感心したように尊敬の目で見られ、思わずそっと視線を外してわざとらしく乾いた笑い声を零した。ごめん、普通に何も知らなかったら私なんにもできてなかった。
いや本当、遙かのこと知らなかったらさー私この状況でこんなに冷静ではいられなかったよ。ついでにこんな今後のことなんてちゃんと考えてられなかったから。・・いや、ちゃんと、とは言い難いか。結局他人任せの考えだし・・まあでも、そんなこと気にしてたらこんなところでやってけないものね。ふふ。伊達に異世界トリップという馬鹿みたいな夢のような体験経験してるわけじゃないんだ。少しぐらい免疫できてるっての!でも自分でどうにかできる力なんて皆無だけどね!!ああしかし・・・原作知識って本当に有り難い。それのせいで現実だとは中々認めにくいけれど、だけどあるからこそこうしてなんとか対策も練っていられるわけだし。すごいな、なんか色々と。人生ってすごい。でもこんな人生願い下げ。
心の底からそう思いながら、という行動方針はいかがでしょう、と詩紋くんに話を振ると、彼はキラキラと眩しい顔で私の手を両手で握り締め、胸元まで持ち上げるとこくこくと頷いた。
「もちろんそれでいいよちゃん。ううん。現実問題、それしか僕達にできる明確なことってないから、それしかないよ!」
「あ、そう?・・・そうだね・・・目的はあっても具体的方法なんて地道なものしかないものね・・・しかも確率低いし」
手を握られたまま、熱く語る詩紋くんにそうだよなぁ、と自分の提案ながら頷き、私もぐっと拳を握り締め返した。傍からみたら不審な行動かもしれないが。
「頑張ろうね、詩紋くん!」
「うん、ちゃん。絶対天真先輩見つけようね!」
「おうともよ!」
がっしぃ、という感じでお互い熱く意思確認をして、ふと我に返る。ちらりと周りを見ると、なにやってんのあの子達?といわんばかりの視線が集まっており・・・私は唐突に羞恥心を覚え、あわあわと詩紋くんの手を握ってその場を足早に駆け出した。いきなり手を引っ張られた形になった詩紋くんは慌てて足を動かして私の後をついてくる。
「ど、どうしたの、ちゃん」
「いやなんかもう、周りが・・・!恥ずかしいことしちゃったぁー・・・」
いや本当なにやってんだ私。道端で変にも程があるよ!!顔が火照るのを感じつつ、いっそ頭を抱えたかったが、二の舞はご免である。恥ずかしい・・・とぼやきながらずんずんと歩き、歩いて、そういや場所知らない!と思い当たり、慌てて近くを通った人に例の場所を尋ねたのだった。うぅ・・・なんかもう自分恥の上塗りしかしてない気がする・・・。
微妙にガックリと落ち込んでいると、詩紋くんがこれまた必死に慰めようとしてくるのがまた切ない。有り難いととるべきかいっそ放っておいてくれ!と懇願するべきか・・・。
考えたがどっちにしろ馬鹿みたいなので、もうこれは気にしないことにする。切り換えって大切だものね。よし、と拳を握り再び気合を注入し、詩紋くんを振りかえり小さく口角を持ち上げた。
「もう平気だよ、詩紋くん」
「そう・・?ならよかった」
くっ癒される・・・!咄嗟に口元に手をあてて顔をそらし、ずんずんと歩き出す。
「あ、待って!」といってパタパタ駆け寄ってくるのが本当に本当に、画面の向こう側ではわからないほどの生の愛らしさが感じられるというものだ。ふんわりシュークリームみたいな笑顔に未来の地朱雀の面影は皆無だし。いや・・・滅多にないといえばないけれど、弁慶さんも一応裏のない笑顔を浮かべればこんな感じだったかも?まあでもなんか基本がたらし属性だから、シュークリームみたいな笑顔ではないな。なんていうか、大人の色気?
別にそれに反応することはないけれど、可愛いというよりもたぶん綺麗な笑顔なんだと思う。ついでに甘さの種類も違うし。・・・でも結局なにかしら裏がありそうな空恐ろしい笑顔しかあんまり印象に残ってないんだから、なんともいえないよね・・・。
つらつらと未来地朱雀のことを考えながら、てくてくと歩いていく。歩くに連れて多くなっていく人は賑やかしく、何やらがたいのいい人も増えていっている。
どういう仕事を仲介しているのかはよく知らないけれど、見た感じ男が多い分、力仕事や、荒事などの仲介が多いのかもしれない。
女性もいるけれど、全体的に男が多いのは・・・まあ、時代故だろう。にしても、これは、うん。はぐれることもあるかもしれない。時折ぶつかりそうになるのをひらりと避けつつ、そうなって堪るか、と思い詩紋くんの手をもう一度しっかりと握りなおした。詩紋くんも多くなった人と自分たちよりも大きな男の多さに、その可能性を見出したのかもしれない。絡めるように指を回して、頭に被る着物をしっかりと握り締めて横に並ぶ。
「天真先輩、ここにいるのかな・・・」
「さぁ・・・でも、とりあえず誰かに聞いてみないと」
言葉尻を濁しながら、しかしこの連中に尋ねるのは気が引けるかもしれない、と思わず心が萎えそうになった。思ったよりも人が多い。それが鬼のせいで京が荒れているからなのか、それともいつもこんな風なのかは知らないけれど。
しかし、なんていうか・・・場違いっぽいなぁ、私達。きょろり、と辺りを見まわしてみても・・・どことなく浮いている気がしてならない。
浮浪者みたいな子供もいるけれど、私達みたいな人は少ないのだ。いや、少ないとか言う前に、雰囲気がこの場に合っていないのだろう。周りは必死に仕事を探している風だし、まあ食事するところとか、なんか市場みたいなのとか色々あって・・・うん。空気に合ってない、私達。
じろじろと向けられる視線にびくびくしながら(こういう態度がいけないのかもしれないが、怖いものは怖い!)きょろきょろと天真らしき人影を捜してみるか。んが、まあ見つかるとは思っていないので、道の端を歩きながらごくりと唾を飲み込んだ。
「おぅおぅ嬢ちゃん達。嬢ちゃん達も仕事を探してんのかい?」
「えっあ、」
誰かに話を聞かないとな、ときょろりと視線を動かしたところで横から野太い声で話しかけられ、びくっと2人して肩を震わして振り向く。粗野な、しかし愛想のいい笑みをニカ、と浮かべたおじさんが椅子に腰掛けてこちらを見ていた。私は一瞬視線をさ迷わせたが、話しかけられたのは私達のようだし、それに見た感じ悪!って印象も受けなかったので、詩紋くんに1回目配せをして、おずおずとおじさんの前まで歩いていった。
「あ、あの・・」
「ん?仕事の紹介かい?・・・してやりてぇけど嬢ちゃんみたいなのに回る仕事ってのは少ねぇぞ?」
「あ、いや、そうじゃなくてですね。ちょっとお聞きしたいことがあるんです」
ドキドキと心臓を動かしながら、乾きそうな口内を唾で湿らせて、目を丸くしたおじさんは首を傾げる。なんだい、と聞き返してくるので、ほっと胸を撫で下ろして小さく笑みを浮かべた。
「はい。あのですね、ここに年恰好十代ぐらいの健康そうで、オレ、・・・橙色の短い髪をしてて・・・天真って名前なんですけど、そういう男の子、見ませんでしたか?」
「そ、それとも、僕と同じような服とか着てるかもしれません、けど・・・」
「んん?橙の髪の男ねぇ・・・。そんなもんそこいらによくいるしなぁ。変わった着物っつっても・・・てかそこの子は男の子か?またなんで女物の着物なんか頭から被ってんだい」
無精髭の生えている顎を撫でながら眉間に皺を寄せたおじさんに、多少落胆を覚える。
ふと、おじさんは詩紋くんに視線を流して驚いたように目を見張った。ギクリ、と思わず私と詩紋くんの肩が揺れる。ていうか女の子って思われてたんだ。そりゃね。女物の着物上から被ってるもんね。男だとは思わないか。
「えっと、ちょ、ちょっと諸事情で・・・それより!本当に知りませんか?」
「知らねぇなぁ。・・・なんだ、人探しかい。ならそうだな、こっから真っ直ぐ行った所に若いもんがよく集まるところがあっから、そこにいってみろよ」
そそくさと詩紋くんを背中に庇いつつ懸命に笑って話を戻すと、別に深く突っ込む気はなかったのだろう、おじさんはあっさりと話題を手放して親切にも次に足を運ぶ場所を提供してくれた。指差された方向に視線を向けて、あっちか、とぽつりと呟く。突っ込まれなくてよかったぁ、とほっと安堵しつつ(こんなところで詩紋くんのことがバレたらとんでもないことになる)おじさんにお礼を言って頭を下げて、手早く詩紋くんを連れてその場を離れようとしたのだが・・・。
「なんだぁ、こんなところにちまい嬢ちゃん達がなんのようだ?」
行く手に立ち塞がる大きな体。身なりがいいとはいえない粗野な着物に、帯に乱暴に差している刀が物騒だ。ニマニマと意地悪い顔が見えて、驚いて足を止めると1人、2人、前に立つ。・・・なんだか・・・あんまり良い人そうに見えないような。いや、たた単に冷やかし程度にからかいにきたのだろうか。息を飲んで口を閉ざすと、顔を顰めてさきほど親切にしてくれたおじさんが溜息を零した。
「おいおいお前等、こんな嬢ちゃん達に絡んでやるなよ」
「なんでぇ、ちょっと話しかけただけじゃねぇかよ」
「そうだそうだ。こーんなところにこんなちまこいのが来るのも珍しいってな。それにこの着物、中々上等なもんじゃねぇか」
良いながらひょいと袖の辺りを抓まれて、びくりと肩を揺らす。・・・そういや梶原さん宅って金持ちなんだよね!そりゃそんな家の着物なら上等だよ!うわ、と一層縮こまると悪漢とも言い難いおじさん方は、方々から「こりゃ確かに」「いいとこの出か?」「お貴族様じゃねぇだろさすがに」だの、頭上で会話が為されている。本人達置いてけぼり。えっと、さっさと行ってしまっていいんだろうか?困って、詩紋くんを振りかえると彼も彼で困惑したように視線を泳がせている。うーん・・・あんまり長居していると、詩紋くんの危険が増すからさっさと去ってしまいたいのが心境だ。・・・詩紋くん、置いてきた方がよかったのかも、と思ったが後の祭。ここにいる時点でそんなもの無意味なのだから、ならば危険が減るように行動しなくてはならないんだろう・・・・果たしてどうすればいいのかよくわからないが。とりあえず控え目に袖を引っ張ると、気がついたのか思ったよりもあっさりと離してもらえた。ほっと表情を崩し、戸惑いながらも笑みを浮かべてそれじゃあ、とその場を離れようと試みてみる。
「ちょっと待ちな嬢ちゃん。どこにいくんだ?こっから先はここより一層嬢ちゃん達には関係ないところだぜ」
「あ・・・えっと、人探してるんです。天真っていう17歳ぐらいのオレンジ、じゃなくて、橙色の髪をした男の子なんですけど。あっちに若い人が集まってるところがあるって聞いたんで・・・」
「ほぅ。人探しねぇ・・・そっちの嬢ちゃんと何か関係でもあんのかい?」
「こっちも上等な着物頭から被って・・・どこぞの姫さんか」
言いながら詩紋くんが被っている着物に触れられ、彼の肩がびくりと跳ねる。
やめてください、とも中々言い出せず、困惑しているとその様子がまた彼等の中で何かしらの仮説を掻き立てるものであったのか、ニマニマとした笑いが一層深まった。
というか詩紋くん完全に性別間違われている。私の着物なんか被ってるからだよね、これ。ご、ごめん詩紋くん・・・まさかこんなことになるなんて思わなくて!あわあわと被っている着物を弄られて、慌てている詩紋くんと私を、それは面白いものを見るようにおじさん達はくつくつと揶揄した。
「片恋の男でもおっかけてきたってかー?」
「はは、そりゃいい。姫さんに追いかけられる男なんざ羨ましい限りだな」
「おいおいお前等な、姫さん言ってるがその子は男の子だぞ?」
必死に着物を剥ぎ取られないように握っている詩紋くんの横であわあわと(役立たず)どうしようどうしよう、と考えている私に、呆れた様に親切なおじさんが口を挟む。
その瞬間えぇ?とでも言いたそうに2人が目を丸くした時に、詩紋くんがやたらと肩を落としたような気がした。・・・うん、そりゃあ、ね・・・女の子に間違われてあまつさえ中々信じて貰えないとか、色々と精神的に痛いね・・・。思わず同情を覚え、ぽんと肩に手を置いて着物の下から顔を覗きこむ。詩紋くんはへにゃりと情けない顔をしていて、それがまた子犬の様子を彷彿とさせて可愛らしく思ったのは、秘密である。無言でとりあえず頭を着物越しに撫でておいた。
「男ぉ?じゃあまたなんで顔隠してやがんだよ」
「そういや着物も見たことない変な着物だな」
「そりゃ知らねぇさ。個人の事情って奴だろ」
「ふぅん?本当に男なのかー?」
「お、いいねぇ。確認してみるか」
「えぇ?!あ、ちょっと、それだけはご勘弁を?!」
親切なおじさんは突っ込んではくれなかったのに、こっちの2人性質悪?!ぎょっとする発言に慌てておじさん達と詩紋くんの間に割って入り、ふるふると首を横にふると、彼等は益々楽しそうに意地が悪そうに口角を吊り上げた。
「ははあ、そんな必死に隠すたぁ何かあんだな?」
「絶世の美女ってか。まあまあ顔ぐらいいいじゃねぇかよ、なぁ?」
「いやいやいや、本当に困りますから・・あの、男か女かの見分けぐらいなら声で!ね、詩紋くん?」
「え、う、うん!あの、僕本当に男ですから、その・・・顔なんか見ても面白くないですよ」
若干男ですから、という部分が暗かったが、自分からそう説明するのは確かに嫌だろうなぁ、とこんな状況ながらそう思った。しかしまあ、これで彼が男だとは納得してもらえたはず。宮田ヴォイスは確かに詩紋用に変わっているが、低い声は女とは思えないはずだ。
ドキドキしながら判決を待っていると、おじさん2人は瞬きをして・・・。
「なら余計になんで顔隠してんだよ」
「女物なんか被ってるから勘違いされんだぞー?」
言いながら、ぐいっと乱暴に詩紋くんの着物を引っ張った。あ、と目を見開いて、剥ぎ取られる着物を見る。
不意打ちだったのか、強く握り締めていたはずのそれは、何故かばさっと音をたてて衣を翻し・・・ふわふわの金髪が、外気に晒された。ザァ、と思わず血の気が引く。口元に手をあてて息を飲むのと、詩紋くんが目を丸くしてあ、と口を震わせたのが、視界に入る。一瞬、やたらと周りが静かになったような気も、したのだが・・・次の瞬間には、大の男とは思えないとても情けない声が意識を現状に引き戻した。
「ひっひぃっ・・き、金髪・・・っ?!」
「鬼だ、こいつ鬼だああぁぁ!!!」
「え、あ、あの・・・っ」
2人の野太い悲鳴が響き渡り、静まりかえっていた周りが一気に喧騒を呼び戻す。
先ほどまで親切にしてくれていたおじさんまでも、信じられないものを見たような顔で、それは恐ろしいものを見るかのような顔で詩紋くんを見ていて。詩紋くんはおろおろと辺りを見まわし、視線が合えば周りからは悲鳴が零れ、ザッと彼を中心に少し広いスペースが開いた。
その様子にショックを受けたように視線を揺らす詩紋くんに、私は口元を覆っていた手を彼に向かって伸ばした。がしっと詩紋くんの腕を掴むと、揺れていた視線が私を見て止まる。
「ちゃ、」
「っ行くよ!!」
どうしよう、と眉を顰めた彼の言葉を全て聞き終える前に、私は掴んだ腕を引っ張ってドーナツ型になっている人並みの一角に突っ込んだ。・・・特に、深く考えての行動ではない。
でも、傍から見てこれからを思えば、まず逃げなくては話しにならないだろう。
遙かの世界を知っているからこそ、詩紋くんの容姿が露見された今(八葉としてまだ発覚してもいない時に)こんな町中で起こることは集団リンチ以外の何者でもない。
わかっているから、知っているから、ここではどういうことになるのか、想像ができるから。
逃げる道を、選べた。自分でも吃驚の判断力だ。いや、むしろ自分が率先して動いたことがちょっと驚きかもしれない。人間咄嗟になると予想外のことをするなぁ、と思いながらほぼ反射神経の問題だ、と脳内自己完結を施す。
腕を引っ張りながら走っていると、後ろから追いかけてくる足音が聞こえ、はっと振り向けば・・・屈強そうな人から、多少、年のいったように見える女の人まで、無手だったり農具を構えたりして追ってきている。
ひっと喉の奥が縮こまると、詩紋くんも後ろを振り返って、うわ、と声を零していきなり加速した。へ?と思ってみればあっという間に追いぬかれ、引っ張っていたはずの腕も逆に引っ張られることになり、緑色のブレザーが風にはためく様子が視界に入る。ぐんっと腕を引っ張られ否応なくスピードをあげる羽目になりつつ、目を白黒させて息を詰めた。
「ごめん、ちゃん・・・僕の、せいでっ」
「そんなことどうでもいいよ!!てかに、逃げきれるの?!」
「わかん、ないっ」
走りながらだから、どこかたどたどしく言葉を交わし、追いかけてくる足音や声に恐怖を覚えながら人通りの激しい道を抜けて、裏道に2人して突っ込んでいった。
※
・・・こんな感じで、私と詩紋くんと京の人間という熾烈な追いかけっこの冒頭に戻るのである。やってられないと思わないか?私達は何もせずに大人しく穏便に目的を遂行しようとしていただけなのに、余計なちょっかいをかけてきた人達のせいでこんな目に合うのだ。
目の前が真っ赤になりそうなどうしようもない疲労感に会話も消えて、尚且つ後ろから迫り来るという精神的圧力に肝が冷えたように縮こまる。
懸命に動かす足も、私も詩紋くんも徐々にスピードが落ちていってるし、もともと地理も疎くて最早場所の特定などできもしない。いい加減後ろの人達も諦めてくれればいいのに、執念なのかなんなのか、まだ複数追いかけてくるし・・・!隠れようと足を止めればすぐさま地理に詳しい現地人が先回りなんかしていて発見されて、慌てて方向を変えて逃げたりとか、そんなことの繰り返しばっかり。
色々と鬼気迫る状況のおかげで根性を出して頑張っていたが、もう、本当に、本当に、限界である。詩紋くんに引っ張られながらも、ゆっくりと足が止まっていく。重たくなった足が、肺に行き渡らない空気が、ひりひりと乾いた喉が、全身がもう無理だ、駄目だ、諦めろといっている。頭の中が、これ以上走るのも逃げるのも無理だよ、と囁きかけてきて、私は、詩紋くんの手を握る力を緩めて手放し、とうとう、足を止めた。喉に手をあてて、精一杯呼吸を繰り返す。
「っちゃん・・・!ちゃん、大丈夫?!」
「しもん、・・くん・・・っも、ムリ・・・っ」
ぜぇっ、ぜぇっとガラガラになった喉で掠れた返事を返すと、同じく肩で息をして辛そうな詩紋くんが振り払った私の腕を掴んだまま動きを止めた。その様子を見ながら、満足にできない呼吸にきゅっと顔を顰める。
ぜぃぜぃぜぃぜぃ、どくどくどくどく。心臓と掠れた呼吸音が鼓膜の奥で響くように聞こえ、ひりひりと痛む喉と乾いた口内のせいで、やたらと口の中が血の味がしているように思えてならない。呼吸するのが苦しい。喉の奥が痛くて、不規則な呼吸しかできずに蹲った。苦しくて、辛い。座り込んで呼吸を整えながら、私は俯いた。
「も、詩紋くんひとりで・・・逃げてよ・・・っ」
「そ、んなの!できないよっ。ちゃんを置いていくなんて」
「私もうほんと無理だから、走れない・・・っ」
「ちゃん!」
むしろ今まで走れていた方がすごい。普段引きこもってばかりの人間が、全力疾走をここまで維持できたのだ、人間鬼気迫ればなんとかなるものである。しかし、そのなんとかなるもここまでだ。もうほんとうに無理だ。立ちあがるのも億劫すぎてやる気が起こらない。
ごくり、と無理矢理出した唾を飲み込んで息を精一杯整えながら、まだ走れそうな余裕のある詩紋くんを見上げて、私は泣きそうになりながら掴まれている腕を振り払おうと動かした。
私はまだ、なんとかなるかもしれないのだ。鬼の仲間だと思われているっぽいが、でも黒髪黒目だし、もしかしたら見逃してもらえるかもしれない。そんなちょっとした希望を持ちながら、本音はもうこれ以上走れない、だ。嘘偽りなく限界など当の昔に越えている。
まあともかく私はまだいい。まだいいが、彼は駄目だ。駄目に決まってる。捕まったらどうなるか・・・今の状態じゃろくな想像もできやしないが、それでも絶対良い事なんて何一つない。土御門の恐怖が蘇る。何をされるかわからない恐怖、手痛い目に合うかもしれない不安。全部全部、怖いものだ。怖い。捕まったら、鬼の仲間だと思われてなにをされるか、怖い。でも、詩紋くんの方がもっと怖いはずだ。なにしろ彼は鬼の容姿にピッタリと当てはまってしまう。どうなってしまうのか、考えが及ばないから・・・いや、考えたくないから怖い。
それに、まだ彼はあかねちゃんと再会すらしてないじゃないか。そんな状態でこんなことになったら、本当に取り返しがつかないことになってしまうかもしれない。
それは駄目だ、絶対駄目だ。私のせいで、私のせいで物語が変わるなんて、そんなの怖過ぎる。うまくいくのかもしれない、なんとかなるのかもしれない。だけど、なんともならなかったら、どうすればいい。荒い呼吸の中、真っ白になりそうな中、それが思い当たれば、もうどうにもならなくて、ただこのままじゃいけいないんだとしか思えなくて、私はぶんぶんと力なく握られている手を揺すった。不安で仕方ない。言いも知れないもやもやが胸中を覆い尽くして、泣きたくなる。
「詩紋くん、放して・・・」
「駄目、駄目だよちゃん。絶対ちゃん1人置いてなんか、いかないから!」
振り払おうとした手は、詩紋くんの言葉と共に強く握られる。目を見開いて詩紋くんの真剣な顔をみて、私はいっそ、縋りつきたい衝動にかられた。・・・てかなんだこれ?ふと呼吸も若干整ってきて冷静になってきたというか、熱も冷めてきた頭でふと思ったが、そこは再び聞こえてきた足音と声に無理矢理捨てる他なかった。びくっと肩を震わして後ろをみる。
どうやら捜されているらしい。どこいった、という声が聞こえてくる。私はじわじわとまた恐怖心が湧きあがるのを感じながら、ぐるぐると頭を動かした。どうすればいいどうすればいいどうすればいいどうすればいい。か、隠れる?!そうだ、隠れるとかどうよ!!
慌ててパッと辺りを見回すと、中腰になっている詩紋くんを見上げて、目を剥いた。
「う、後ろっ」
「え?」
咄嗟に出てきた声は、相手をきょとんとさせることしかできず。詩紋くんの背後から伸びた腕が、彼を後ろから拘束し、あっという間に口元を覆って近くの林に引きずり込んでしまった!
目を丸くしてあっという間の早業に絶句していると、続いて再び林から伸びてきた手が今度は私の腕を掴む。ついでに、乱暴な言葉遣いも一緒に。
「さっさとお前もこっちこい!!」
「えぇ!?」
問答無用っすか?!ぐいっと力一杯乱暴に引っ張られ、痛い、と顔を顰めながら頭から林に突っ込む。枝とか普通に痛いんですけど、ちょっと。剥き出しの部分が下手したら切れたかも、と懸念を抱きつつ、そのまま勢いで地面に転ぶか座り込むかするかと思ったのだが、いまいちよくわからないことに何故か私は何か暖かいものに密着していた。
肩と背中に、腕が回されている。これはどこぞの誰かの胸板なんだろうなぁ、と思い、え、なに私今どういう状況?とパチパチ、と瞬きをすること数回。その間に、今度は無理矢理頭の上に手が置かれてぐいっと下に押された。うおぉ?!
「頭低くしてろ、詩紋もだ!」
「は、はいっ」
言いながら覆い被さるようにさらに何かが密着し、横から詩紋くんの声まで聞こえて私は必死に沈黙を押しとおす。悲鳴なんてあげてる暇はねぇ、というか・・・うん。まあぶっちゃけ、今の私の上で中々乱暴なことしてくれやがった人は誰かなんて、わかってたし。
だってほら、詩紋くんの背後にいた時点でもうその姿形は私には見えてたわけだから。
だから、これが誰かとか警戒とかそういうものは一切ないんだよね。しかしそれでも自分の今の体勢が色々と信じられないというかご免被る!!と男らしく言ってしまいたいような、そんな衝動にかられて拳を握った。だって、なんだ、これ。気がつけば相手の腕の中?しっかりホールドされて、密着状態?どこのネオロマンス!(遙かなる時空の中でという返答はノーセンキューだ!)うおおおおおちょっと待てちょっと待てちょっと待てなんかもう展開もうちょっとゆっくりお願いできませんかーーー!!??切実に泣きながら、私はばくばくと先ほどまでの緊張感やら不安やら恐怖やらついでに今の驚きやらで稼動する心臓を持て余しながら、いっそ今ここで目が覚めてくれないかなぁ、と頭を押えつけられたままで、思った。