花影



 背中に白龍を貼り付けて、望美ちゃんと対峙するというわけのわからないこの状態。
 一体何がどうなったというのでしょうか。白龍の登場でフリーズしていた思考が再び混乱を招き始めて落ち着かなくなったのを感じながら、絶句して言葉も紡げずに押し黙った。
 お互いに目を見開いて凝視しあいながら、望美ちゃんは白龍に視線を向けて益々驚いたように目を瞬いた。

「白龍、なにやって・・・、あ、あれ?制服、えぇッ!?」

 突然大声を出した望美ちゃんに、びくっと肩を反射的に揺らす。そして驚いている私に構わず彼女は慌てた様子で近づいてきた。

「ちょ、そ、それって制服だよね!?」
「え、あ、はい」

 ずいっと顔を近づけて必死の形相で問いかけてくる望美ちゃんに心持ち引きながらこくこくと頷いた。せ、制服ですとも・・・!しかしそれ以上の答えが返せるわけもなく、ただ頷いただけで私はおろおろと視線を泳がせた。望美ちゃんは私を上から下まで見下ろして本当に制服だ、と呟くと眉間に皺を寄せる。

「あなたも現代から流されてきたの?」
「は、え、・・えっと・・・?」
「あ、そっか。ごめん。なんのことかわからないよね・・・うーん・・でもどう話せばいいのかなぁ・・・」

 真顔で尋ねてきた望美ちゃんに咄嗟に反応ができずに言葉に詰まると、彼女はなにやら勝手に納得して考え込み始めた。
 ・・・いや、言ってる意味は理解はできているのだけれども、どう返事をすればいいのか一瞬戸惑ってしまっただけなんだが。だっていきなり現代からきたの?って言われてもどう返事しろっていうのさ。それよりも個人的に背中に密着して離れない白龍をなんとかして欲しいのだが。なんでこの子神子様がきたのに私にしがみついて離れないの。正面に望美ちゃん、背後に白龍というサンドイッチ状態でどうしたもんか、と思いながらうんうんと考えている望美ちゃんに口を開こうとして、後ろから白龍の声が聞こえた。

「名前・・・」
「え?」

 振り向く。はっきりいって肩越しに背中に張り付いたものを見るのは厳しい以外の何物でもなかったが、ぽつりと呟いた白龍には反応せずにはいられまい。怪訝に眉宇を潜めれば、彼はやはり真剣な顔で、僅かに泣きはらした目できゅっと眉を寄せ、懇願するように囁いた。

「名前を、教えて。あなたの、名前・・・」
「なま、え?」

 はっきりいって望美ちゃんも私も無視したような要望だったが、肩越しに振り向いた彼はやたらと真剣な顔だったもので、その勢いに気圧されて瞬きをする。流れをぶった切ってないだろうか、このお願いは。と言いたかったけれど、白龍の真剣な目に圧倒されて二の句が告げない。じっと見つめる金色の眼差しに当惑しつつも、ぽつりと答えた。

、だけ、ど・・・」

「う、うん」

 噛み締めるように反復されて、こくりと頷く。白龍は何度か舌の上で私の名前を転がし、それから驚くほど鮮やかな笑顔を浮かべて見せた。ポカンとしてしまうのも無理はないというぐらいの、それはとても綺麗で、華やかな笑みだったのだ。華がある、とはこういうことをいうのかもしれない。


「はい?」

 それはまるで、初めて言葉を覚えた子供のように。無邪気に、幸せそうに。蕩けるような笑顔で呼ばれた名前は、多少赤面するかと思うぐらい気恥ずかしかった。というか大谷さんの声で自分の名前を呼ばれたことにドキドキが止まらない。おろおろと視線を泳がせれば、白龍は私の頬に手を伸ばした。そろそろ首が疲れてきたな、と思うのに視線を逸らすことを許さないように頬を固定されて、ちょっとこれきつい、と思わず顔が引き攣る。そんな私を気にかける余裕もないのか、白龍は目を覗き込むようにして私を凝視し、ゆっくりと口を開いた。

「私は、白龍。白龍、だよ。

 呼んで、と。甘くたどたどしく囁いて、白龍が切なげな懇願する。すぐそこに望美ちゃんがいるのに、それすら意識に入れていないかのようにずっと私を見つめている。視線を逸らしたかったが、首はかなりきつい体勢で固定されている。放して欲しい、というか離れて欲しい、と思ったけれどもじっと見つめてくる白龍は何かを切望しているようで、私は軽い溜息を零した。・・・変なことになったものである。

「白龍」

 呼べば、白龍は一瞬動きを止め、それから唇を震わせた。

「もういちど」
「え?・・・は、白龍?」
「もういちど」
「いや、あの、ちょ、なんで・・・」
「お願い。。もういちど、呼んで。。お願い」

 ご、強引だなあ。だけど憎めないのが人柄というものなのか、まごまごしながら救いを求めるように頬に添えられた白龍の手を振り切って望美ちゃんを見た。しかし彼女もこんな白龍を見たのは始めてだったのか、驚いたように絶句していて、困惑を隠しきれていない。
 ・・・いやいや神子様、保護者としてここはなんとかしてよ真面目に!!しかも、いい加減白龍は離れてくれないだろうか・・・!いちいち肩越しに振り返るのはかなりきついんだけど。いや本当、真面目に。苦しいってこの体勢。

「ちょ、たすけ、」
「はっ!・・・・あ、は、白龍。どうしたの?なんだか可笑しいよ?」

 背中に張り付く白龍の意味のわからないお願い攻撃にさすがに根をあげて(やたらと切実なもんだからもう本当にどうしようもなくて!)望美ちゃんに助けを求める。望美ちゃんは私の引き攣れた声に反応し、慌てた様子で白龍を止めにかかった。それでも動揺が隠せていないのは、まあ仕方ないのかもしれない。なんなんだ、これは一体。

「神子、・・・
「白龍・・・?」

 白龍の肩に手をおき、優しく言い諭す望美ちゃんと私を見比べて、白龍は渋々と背中から離れていった。そして私の横にちょこんと座り、ぎゅっと服を握り締める。・・・何があっても離れんつもりですかあんた。なんでこんなにくっつきたがるのだろう、と思いながらまあ背中でない分かなりまし、と息を吐いて背筋を伸ばす。白龍はじっと何かに耐えるように唇を引き結び、瞼を伏せる。落ち込んでいるかのようなその姿に苦笑しながら、思わずそっと頭に手を伸ばした。さらさらとした白銀の髪を撫で付ければ、驚くほどリアルな感触で感動よりもどこか空恐ろしさを覚えた。本当に、まるで本物の人の髪を触っているような感覚なのだ。無論目に映るものだって映像やイラストのそれではなく、一本一本が確かにわかる人のそれなのだが、触れれば益々そうとしか思えない。肌の肌理も、瞳も、睫も、唇、手足も服も何もかも、思えば映像やイラストのそれとはとても思えない。・・・まるで、本物そのものだ。なんだ。この違和感。うっとりと目を細めて、頬を薔薇色にしながら頭を撫でられることを甘受している白龍を見つめながら、ゆっくりと手を離してぎゅっと胸元で手を握る。残っている感触が、なんだかちょっと、怖い。白龍は名残惜しげにじっと手元を見つめて、きゅっと唇を引き結んだ。そしてやっと落ち着いた体勢になったのを見て、望美ちゃんがほっと胸を撫で下ろす。

「もう、本当にどうしたのかな・・・あ、えっと・・・ちゃん、だっけ。私、春日望美。望美でいいよ。よろしくね」
「あ、うん・・よろしく」

 気を取り直したように笑顔で自己紹介をされ、私は控えめに笑いながらはて、どうしたものかと首を傾げた。いつまでも地べたに座り込んでいるわけにもいかないが、この後どうすればいいのかなんて私にわかるはずもない。むしろ夢なのだろうから、そろそろ場面転換しないだろうか。ご都合主義でも構わないから。考えている間に望美ちゃんは、とりあえずの方針を決めたのだろうか。そうだ、と声をあげた。視線を向ければ、彼女はぴっと指をたてて口を開いた。

「ここで話すのもなんだし、一旦私達についてきてくれないかな。白龍もなんだかちゃんから離れそうにないし」
「え?」
「皆と一緒に説明してもらった方がいいと思って・・・あ、皆っていうのはね、私と一緒にいる仲間のことなんだけど、全然怪しくなんかないよ?みんな良い人達ばっかりだし、その、こんなことになって混乱してるとは思うけど、ここにいるよりもずっといいと思うんだ」
「あぁ・・・うん。そう、だね」

 わたわたと何か説得しようとしている望美ちゃんに、あぁ八葉達と対面するのかなぁ、とぼんやりと考える。まあ、確かにこんなところで地べたに座り込んだままずっと話しているのもどうかと思うし。というかこんな状態が落ち着けるはずもないだろう。なんだかそろそろわけがわからなさすぎて、一つ突き抜けた感がしないでもないが。小首を傾げて笑みを浮かべる望美ちゃんに同意を示し、よいしょ、と声をかけて立ち上がろうかと思ったのだが・・・白龍が服握ったままだったな、そういえば。視線を落とせば意図を察したように、白龍は服を手放して立ち上がる。それを見届けて私も立ち上がり、すっかり土で汚れてしまった制服を叩いた。あぁ・・・制服が・・・。軽いショックを覚えながら、近くに落ちていた鞄を拾ってこれもついた土を払い落とす。まあ鞄はいいとして。とりあえず行動ができる準備を整えて顔をあげれば、白龍がそのタイミングを見計らったように手を取った。鞄を持っていない手を握られて、驚いて視線を向ければ不安そうに視線が揺れている。え、なんだこの拒否を許さない雰囲気。別に手を握るぐらいどうってことはないけれども、どうしてこうも白龍が触れたがるのかがわからない。まいった。本当にまいった。どうすればいいんだろうか。戸惑いが表に出たが、望美ちゃんは不思議そうにしながら首を傾げた。

「本当にどうしたんだろう、白龍。そんなにちゃんが気に入ったのかな」
「え」

 そんな問題かこれは?!その反応はどうなのだろうか、と首を傾げた私に構わず、望美ちゃんは指を唇にあてて思い出すように語った。

「そういえばちゃんを見つけたのも白龍だよね。いきなり走り出して、ビックリしたんだから」
「そう、なの?」
「うん」

 ・・・それは、また予想外な話である。いや、まあ確かに白龍がいきなり突撃かましてきたわけだからそうなんだろうけれど、ならばどうして白龍が、ということになる。それも望美ちゃんを置いて、なんて。意外というべきかなんなのか。どうしたのだろう、と疑問を覚えるのも当然で、不思議に思いながら笑顔で歩き出した彼女についていかざるをえず、止む無く思考はそこで途切れた。色々と、不可解なことが多いと、思う。思うが。

(まぁ、夢だし)

 そんなものだろう、夢なんて。考える方が野暮なのかもしれない。のろのろとした足取りで、一面の桜並木の中を歩き出す。隣で手を握って歩く白龍の嬉々とした様子を見下ろし、彼女の背中を見つめて。頬を暖かな風がなでていく。鼻腔を擽る花の香り、風の匂い。地面を踏みしめる感触、聞こえる音、繋いだ手の暖かさ、ふと視線を外して周りを眺める。
 冬であったはずの周りは、春でしかなく。薄紅の桜の散りざまは美しい。ぼんやりと晴れ渡った空は低い。あぁ――違和感を覚えて、仕方ない。夢だと思っている。夢で間違いないと思っている。けれど疑問は溢れるように出てくるのだ。どうして夢だと認識しているのか、夢とはこれほどリアルだっただろうか。どうして彼らにこんなにも「人の感触」を覚えるのだろうか。どうしてこんなにも風は温かいのだろうか。どうしてこんなにも花は鮮やかなのだろうか。どうして、こんなにも。

「わかんないや・・・」

 何がどうなっているのか、わからないから、早く目が覚めればいいのに、とそっと視線を足元に落とした。