俺の目の届く範囲にいてくれ
ひんやりとした何かが額の上に乗せられた感触がする。丁寧に優しく、そぉっと乗せられたそれが重みを増して額の上に鎮座した瞬間、とろりと無意識に瞼が持ち上がる。
いささかぼやけて見える視界に、数度瞬きをしてもぼやけるのは単純に視力の問題だ。
それでも見える木目の茶色い天井に、なんだか酷く体のだるさと思考の鈍さを覚えつつ、起き上がろうとしたらそっと額に大きな手が翳された。それに瞬いて動きを止めると、低い声がゆっくりと上から落ちてくる。
「まだ寝ていなさい」
「・・・リズせんせ?」
うあ、舌っ足らずだ。思ったよりも口の中が乾燥していたのか、それとも寝起きだからか、どちらの要因が大きいのかはわからないが、どちらにしろ回りきらなかった舌では甘ったれた口調になってしまい、そこはかとない羞恥心を覚える。声が聞こえたほうに額の上に乗っている物に気を遣いながら首を僅かに動かすと、そこには珍しく手袋を外してこちらをじっと見下ろしている先生がいて、その蒼い瞳がそっと細められると無言で吸飲みを口元に持ってこられる。
意図を掴むが、いや私起きられますけど、とごにょりと口の中で反論した。そんな指一本動かせないような重病人ってわけじゃぁないと思うんだけども。
吸飲みからの水分補給に抵抗を覚えるが、リズ先生はやっぱり低くて落ち着いた声音でマスクの下、くぐもった声を響かせた。
「まだ起き上がるには辛いだろう。お前が思っているほどに、軽い症状ではない」
「え・・・と。正直自分がどういう状況なのかわからないんですが・・・」
うん、本当によくわからないんだなこれが。戸惑いを浮かべつつ、とりあえず吸飲みを引っ込めさせるのは無理そうだと、未だ口元に向けられた吸い口に諦めの溜息を零して大人しくそこに口つける。・・・うん、まぁ、確かに、起き上がれないわけではないだろうけど、辛いのは本当なのだ。しかし何故辛いのかがわからない。一体、何が我が身に起きたというのか。
温い白湯が口の中を潤し、こくりと喉を嚥下していく。染み渡るような水の温度にほぅ、と思わず吐息を零せば、リズ先生はその大きな手でそっと額の上のずれた手拭いを直してくれた。
「穢れにあたったのだ。先ほどまで熱を出していたのだから、大人しく寝ていなさい」
「穢れ・・・?」
「陰の気というべきか。怨念などと相違ない。神子に当たった穢れが移ってしまったのだろう」
そういってどこか痛ましく目を細めるリズ先生に、熱が出ていたからこんなに体がだるいのか、と納得しながらぼんやりと思考を巡らした。あー・・なるほど。穢れ、ね。遙かでは御馴染みの白龍の神子を苦しめる奴だ。物忌みイベントとかのあれ。しかし3では十六夜記ぐらいで本編でそんな描写はなかったように思うのだが・・・まぁ、ゲームの中とはいえある意味でここは現実である。描写されないことなど腐るほどあるだろう。
そういえば、ここで寝ている前には確か怨霊討伐に行っていた神子様たちが帰ってきていたのだ。そうだ、それで望美ちゃんがぐったりしていて・・・つまり彼女が怨霊のなんらかの攻撃で、穢れを貰ってきてしまったのでああなっていたのか。そりゃ周囲も大慌てだ。
「・・・望美ちゃんは大丈夫なんですか・・?」
「今は別室で落ち着いている。特に問題はないだろう」
「そう、ですか?なんだか、すごく、辛そうでしたけど・・・」
九郎さんの腕の中の彼女は意識不明の状態でぐったりしていたように見えたのだが、そんな軽い感じでいいのか?それにしても、今の私すごいのったりとした話口調である。あれか、まだ熱があるのだろうか。そういえば手拭いがなんだか温くなっているような気もするなぁ、と一旦目を閉じると、そっと額の上の手拭いが取られて、代わりにひんやりとした大きな手が載せられた。てか本当、手が大きいですね先生・・・。
「・・・少し、熱が出てきたか」
「リズ先生?」
「すぐに弁慶を呼ぶ。辛ければ寝ていなさい」
「ん・・でも、望美ちゃんの方が大変なんじゃ・・・」
だって諸穢れに当たってたみたいだし。ここにリズ先生しかいないのも、彼女の方が大変だからなのではないだろうか。まぁそうでないにしてもそんな大人数がこんな部屋にいたら困りものだが。てか根本的にいる理由も必要も無い。そう思いつつ、恐らく自分よりも酷い状態だろう彼女を差し置いて弁慶さんを呼ぶのはどうかなぁ、とぼやけば、リズ先生は僅かに眉を潜めた。熱さましの薬ぐらい貰ってきてくれればそれで済むと思うんだけどなぁ。
「・・・神子よりも、お前の方がよほど酷い」
「へ?」
「大丈夫だ。今は神子も落ち着いている。弁慶を呼んだところで問題ない」
「そうなんですか?」
ぱちりと瞬きをすれば、リズ先生はこくりと無言で頷いて、温くなった手拭いを枕もとの桶に浸してぎゅっと絞った。それを丁寧に折って、もう一度私の額に乗せる。ひんやりとした感触にうっとりと目を細めて小さく気持ちいい、と呟けば、まるであやすように髪を梳かれた。
無骨な手が、まるで壊れ物に触れるかのように丁寧な仕草で髪に触れると、なんとなく面映い。けれどそれもほっと落ち着くもので、心地よさに眦を下げれば、リズ先生は最後に熱を持つ頬に手の甲を押し付けて、そのひんやりとした感触を残してからそっとその場を立ち上がった。
動きに合わせてあの無駄にびらびらと翻るマントがふわりと靡く。立ち上がるとマジでかいわぁこの人、と改めて思いつつ、冷たい手を名残惜しく思った。ていうか人肌って本当、体調崩しているときには恋しくなるよね・・・。
「せんせ・・・」
「・・・すぐに戻る」
そういって、立ち上がったリズ先生は一等優しく瞳を細めて(顔の半分はマスクで見えないのに、瞳だけで多くを語る人だ)、それから足音もなく部屋から出て行った。
なんであの巨体で足音が立たないのかしら、とどうでもいいことを考えつつ、ひどく重たく感じる両手で掛け布団を首元まで引き上げる。あぁ・・・。
「なんで私に穢れが移ったんだろ・・・」
ていうかあの離れた状況で何故にこっちにまで被害が。不思議だなぁ、と思いながらも自然と意識はまたどこか深くへと潜っていく、そんな心地がした。