どれだけ心配したと思ってる



 泣き声が聞こえる。誰かが泣いている。声が聞こえる。誰かの声が聞こえる。
 えーんえーんと泣いている。おとうさんおかあさんと呼んでいる。えーんえーんと泣いていた。おとうさんおかあさんと呼んでいた。一人はいやだと叫んでいる。一人ぼっちは嫌だと叫んでいた。誰かが、誰かが。泣いて、呼んで、叫んで、そうして、誰かは。誰か、は。

!」

 ぶつん。声が途切れた。泣き声も聞こえなくなった。あれほど五月蝿く響いていたのに、何も聞こえなくなった。開いた目に映るのは木目の綺麗な天井、ではなくて、眉間に皺を寄せてひどく深刻な顔をした九郎さんの顔だった。あまりに突然すぎて呆然とその顔を見つめていると、美形よろしく長い睫毛がパチリと瞬いて、九郎さんは幾分か狼狽した声色でどうした?!と問いかけてきた。・・・え、何が?

「何かあったのか?!」
「え、へ?・・・え、っと・・・?」

 いきなり上から詰め寄ってくる九郎さんに、起きたばかりではついていけず、要領を得ない返答で枕の上で首を傾げる。ズリリ、と髪の毛が擦れる音がして、ぱちぱちと瞬きをすると、目尻から何かがぽろりと落ちていった。あれ?

「・・・あれ、私、」
「・・・なんともないのか?」
「え、はい。体は、だるいですけど」
「そう、か・・・よかった」

 目尻から零れ落ちた涙になんで涙が?を首を捻りつつそっと指先で目元を擦れば、九郎さんは眉間に皺を寄せたまま、目元を擦る私の手を止めた。それにきょとりとしつつ、大人しく従うと九郎さんは手を布団の中にいれるように促して、私はやはりすっぽりと全身を布団の中に仕舞いこむような形に戻った。そこでようやく、そういえば何故ここに九郎さんがいるんだと思い当たる。弁慶さんに熱さましの薬貰ったあとは彼とリズ先生がいたはずだが?

「九郎さん、なんでここに・・・?」
「様子を見に来たんだ。熱は下がったと聞いていたんだが・・・部屋にきてみれば魘されているわ泣いているわで、驚いたぞ。本当に、なんともないのか?」
「・・・特に、は」

 これといって特筆するようなことはない。相変わらず体はだるいし気持ちは悪いし、すこぶる体調は思わしくは無いけれど、それでも最初に起きた頃に比べたら雲泥の差である。
 しかし、魘されていたのか。だから九郎さんもあんな顔してたんだなぁ、と納得をしつつへらりと笑うと、彼は厳しい顔つきをほっと緩ませて、それでもどこか得心がいかないようにじっとこちらを見つめた。

「・・・、・・・、なんで、泣いていたんだ?」

 ぽつり、と。小さな問いかけは時計もない静かな室内ではよく聞こえる。その声に心配のようなものがちらついていて、あぁ、なんだかとても心配させてしまったらしい、と私はへらりと笑みを浮かべた。

「いえ、別に。ちょっと、夢見が、悪くて」
「夢?」
「はい。なんだか、すごく、悲しい夢です。それにつられたんでしょうね、きっと」
 
 話していく内に、なんとなく思い出していく。起こされる前に見た夢のこと。聞こえてきた声のこと。ずっしりと胸の内が重たくなるような息苦しさを覚えて深く息を吐くと、九郎さんはぎこちなく手を伸ばしてきて、そっと汗をかいた額にかかる前髪を払いのけた。

「どんな、夢だったんだ?」
「・・・子供が、泣いている、夢でした。お父さんとお母さんがいなくなって、一人ぼっちになって、それが嫌だって、ずっと、泣いてるような・・・そんな、夢でした」

 そうして最後には、子供は孤独のまま、息絶えていくような、どうしようもない、夢。まるで現実にそういうことがあったかのような、夢のリアルさに、締め付けられるような心地がしてぐっと布団の下で拳を握る。あぁ、目の前がぐらぐらする。気持ち悪い。なんだか今でさえ、その夢の子供の悲しみに、引きずられているよう。けほん、と咳き込むと、九郎さんは慌てて水がいるか?と問いかけてきた。それに小さく首を横にふって、またじんわりと浮かんできた涙にうぅ、と小さく唸った。

「情緒不安定みたいだ・・・」
?」
「すみません九郎さん。タオル、じゃなくて。手拭い取ってくれませんか?」

 あぁダメだ。悲しい悲しい。苦しい苦しい。気持ち悪い。胸が圧迫されるよう。悲しくて苦しくて仕方ない。吐き気すら覚えそうで、弱弱しく訴えれば九郎さんは慌てて近くの手拭いを引っつかんでそっと私に差し出した。それをありがたく受け取って、口元を隠すように押し当てる。あぁ、なんでこんなにも、不安定になっているのか。調子が悪いからだろうか?

「・・・大丈夫か?」
「だいじょぶ、です。ちょっと、今、色々来てるだけで、」

 多分きっと、夢のせいなんだ。そう思えるぐらい強烈な夢に、恐らく時間が経てばきっと平気だと見込んでぐったりと体から力を抜く。さっき熱さましの薬飲んだのに、またぶり返してきたみたいなだるさだ。あぁもうなんなんだ一体。穢れすげぇな。

「・・・望美ちゃんは、大丈夫ですか・・・?」
「ん?あぁ。今は寝ているが・・・」
「そう、ですか。望美ちゃんも、大変、ですねぇ。こんな、苦しいもの、貰っちゃって・・・」
「そんなに、苦しいのか・・?」
「えぇ、すごく。寝ても醒めても、なんだか、とても、苦しい」

 起きたら気分の悪さと熱に魘され、寝たら寝たで変な夢に魘されて。まるで逃げ場所がない。一般人でこれなのだから、神子様の苦しみたるや如何程のものか。
 またしても涙で滲んできた視界で九郎さんを見つめれば、九郎さんは難しい顔をして胡坐をかいた膝の上に手を置いた。

「もうすぐ、景時が、来る」
「うん?」
「景時はあれで陰陽術を齧っているからな、多少は、その穢れも緩和できるだろう」
「そう、ですか・・・」

 あぁ、1の泰明さん的なあれやそれやで?へぇ、と感心の声をあげて、瞬きをした拍子にぼろりと涙が零れそうになると、視界の端から伸びてきた手が、ぎこちない動作で目尻の涙を掬い取った。長いけれどごつごつとした指。それがほんの一瞬、肌に触れると暖かな熱が肌を通してじんわりと伝わってきた。あ、なんか、やばい。思った瞬間、箍が外れたようにほろほろほろ、と涙が次々に落ちていく。それにぎょっと目を見開いた九郎さんがおろおろと周りを見回し始めるので、私は持っていた手拭いで涙を拭き取りながら、うろたえる彼に細く言った。

「大丈夫です、大丈夫ですよ九郎さん。なんかちょっと、情緒不安定になってるだけみたいですから」
「だ、だがっ」
「しばらくしたら収まると思います。・・・夢の中では一人だったから、きっと誰かの体温が恋しいんですよ」

 あの子供は、暗い中でずっと一人になってしまっていたから、誰か他人という存在がいることに、きっと動揺を隠せないのだ。そういって小さく笑みを浮かべると、九郎さんはぐっと眉間の皺を深めて、なんとも言いがたい顔を作ると小さく、本当に小さく、問いかけてきた。

「恋しいのは・・・お前ではないのか?」

 それは、酷く辛そうな声だった。何か痛みに耐えるような、後悔が滲むような、聞いたことも無い辛そうな声。ぼやけた視界とぼやける思考で、なんでそんな真剣に、と思いつつ問いの答えを探す。うーん。

「そう、ですね」
「・・・」
「恋しいのかも、しれないです」

 夢とか子供とかそういうことじゃなくて、今自分は、誰かに傍にいて欲しいと思うぐらいに、誰かに飢えているのかもしれない。それは本当はよくわからないのだけれど、だけどそうじゃないとははっきり言えなくて。淡々と言葉を返せば、九郎さんは手拭いを持つ私の手を握り締めると、やはり常の張りのある声とは裏腹の小さな声で、ぽつりと呟いた。

「なら、・・・落ち着くまで、ここにいてやろう」
「・・・忙しいんじゃ・・・」
「少しの間だけだ。その間だけ、・・・今度は、一緒にいるから」

 そういって、ぎゅぅっと。握り締められた手は大きくて、自分の手はあまりに小さくて。まるで大人と子供のような差だなぁと思いながら、じっと真剣に見つめてくる九郎さんに、生返事を返す。
 今度はって、前回もこんなことあったっけ?と、奇妙な彼の言い回しにも疑問を覚えたけれど、それ以上に握られた手から伝わる温かさに、ほっと息を吐いた。
 リズ先生のときも思ったけど、なんか、人と触れ合ってると落ち着くんですけど。これはあれか。八葉的な力で穢れ云々を緩和しているのかな。ほら物忌みは八葉と一緒にとかいう暗黙ルールがあるぐらいだし。多分そうなんだろうなぁ。でも私神子じゃないけどそれ有効なのかなぁとか、なら望美ちゃんとこに集まったほうが、とか、色々思考が巡ったみたいだけれど。