こういう時は俺に頼れと言っただろう!



 ずっと寝っぱなし、というのも体に悪い、と思う。流石に体調がすこぶる悪いときに布団から出るような気力はなかったが、大分落ち着いてきた今ではすこーし、起き上がろうかな、という気もして、むくりと体を起こした。ずっと寝ていたせいか、それとも穢れとやらのせいなのか、どちらが原因か、あるいはどちらも原因か。それは定かではないがいくらかのだるさを覚えるも、起き上がるのに前ほどの苦痛はない。眩暈を覚えることも無かったし、大分回復したなぁ、と思いながらそろりと手を枕元に伸ばし、水差しを手に取る。
 乾いた喉を潤そうと思ったのだが、持ち上げた際の軽さに眉を潜め、軽く水差しを振ってみれば水音の一つもしない。ありゃ、と瞬きをして仕方なく枕元に水差しを戻した。

「・・・・水飲みにいっても大丈夫かな」

 なんか起き上がってうろうろしてたら怒られそうな気はしているのだが、喉の渇きは隠せない。喉許を擦りながら、誰か来るのを待つのもなぁ、と眉を潜めた。
 別に、ちょっとぐらい、起き上がって歩いたって、問題はないと思うんだけど。普通に風邪を引いたときだって、それぐらいは行動できるもんだし。確かにまだ体は重いしだるいし全快したとは口が裂けても言えないけれど、かといって延々寝こんでいるほど酷い状態でもないはずだ。総じて、別にいいんじゃね?水飲みに行くぐらい。
 理由を話せば怒られることもなかろう、というかちょっと動いたぐらいで目くじらたてられるって、どれだけ過保護なのかって話だ。そりゃ常日頃無茶ばかりしてそういうこと隠してその類に信用のない人・・・例えば望美ちゃんとか?まぁ所謂ヒーローヒロインなら怒られることもあるかもしれない。だがしかし、私の場合、そんな信用なくなるようなことしてないし、そもそもするような場面に遭遇したこともない。なにせ普通に屋敷で生活してるだけだ。
 幸いにもまだ風邪や体調不良といったことは経験していないし、怪我だってしたことはない。戦場で活躍する彼らとは根本的に立場が違うし、過保護にされる理由が思い浮かばなかった。・・いや、まぁ、弱そう、という観点から過保護になられちゃどうしよーもないんだけど。それで実は朔ちゃん含め、奴ら過保護そう、というのは実は今回倒れたことでちらっと思ったことなんだけど・・・。まぁこれは穢れという特殊な状態であることも原因なのかもしれない。そう判断してよいしょ、と掛け布団から足を出す。
 なに、ちょっと水飲みに行くだけだ。外の空気にも触れたいし、どうってことはない。
 ゆっくりと立ち上がり、立ちくらみを起こさないようにしながら、ぺたぺたと裸足の足を慣らして隙間から光が零れいる御簾に手をかける。そうしてゆっくりと持ち上げ、眩しい光に目を細めながら御簾の下を潜った刹那、ぐにゃりと視界が歪みを帯びた。
 何が起こったのかと理解する前に、頭の中がぐわんぐわんと回るような感覚を覚え、足元がふらつく。膝から力が抜けてしまいそうな脱力感と、押し寄せる吐き気に意識を繋ぐ気力さえ削がれそうだった。いきなり、何が。くらりと歪みチカチカする目の前に、この感覚前にも一度、とふぅっと意識が遠ざかりかけたとき、ガチャン、と陶器の割れるような音がして二の腕を強く、掴まれた。

ちゃん!?」

 ぐいっと、倒れいく体を支えるように背中に誰かの腕が回される。聞き覚えのある声と、急激に意識が引き寄せられる感覚に、チカチカする視界を何度か瞬きをして持ち直しながら、それでもどこか虚ろいだ目でのろのろと動かす。すでに膝には力が入らなくて、ほぼ完全に背中を支える誰かに体重を預けているような体勢ではあったが、そのことに気を遣う余裕もないぐらい、頭がぐわんぐわんと痛い。うぅ、と小さく唸りながら、焦点を定めると、驚きと心配と焦りでごっちゃ混ぜになったような、景時さんの強張った顔が見えて、あぁ、と掠れた吐息を零した。

「かげとき、さん・・・?」
「大丈夫・・・じゃないね。中に戻るよ?」
「は、い・・」

 低い声は怒っているようにも聞こえて、これはやらかしたなぁ、と思いながら彼の言葉に力なく頷く。ぐっと、彼の腕を掴んで立ち上がろうとしたが、その前にするりと膝裏に掌が差し込まれ、ぐわっと浮遊感が体全体を包んだ。一瞬、気持ちの悪さも忘れてぎょっと目を見開く。・・・・・・・・な、なんだとぉ!?

「か、景時さ・・・!わた、私歩けます・・・!」
「こんな顔色して何言ってるんだ。いいから、大人しくしてて」
「う、え、あ、」

 厳しい声でらしくなくぴしゃりと言われて言葉に詰まりながら、空をぶらぶらと揺れる裸足のつま先と、膝裏と背中を支える太い逞しい腕に、先ほどとは別の意味で眩暈がしそうだ。
 今、たった二本の腕で私は体重を支えられている。よ、横抱きとか初めてされましたよ私・・・!いや小さい頃お姫様抱っこに憧れて父親にねだった記憶はありますが、成長してからそんな機会もなければされるような心境にもならないわけでね・・!
 横抱きって・・・ほぼ経験がないだけに、なんか、すごい、変な感じがする・・・。子供抱きとはまた違う何か羞恥心を覚えながら、しかし実際自分で動ける気もしなかったので、私は顔を隠すように腕で目元を隠してずんずんと室内に入る景時さんの振動を感じていた。
 まさか、こんなところで、なぁ・・・。そう思いながら、そっと屈んだ景時さんに布団の上に下ろされて、丁寧に寝かしつけられる。まるで重病人のようだ。私は布団を口元まで引き上げながらひどく罰が悪く、視線をうろつかせた。

「あ、の・・・景時さん」
「どうして外に出ようとしたの。まだ本調子じゃないんだから、勝手に動いたら駄目だろう?」

 そろそろと口を開けば、それに重ねるように厳しい声色が飛んでくる。聞いたことも無いような景時さんの厳しい声に反射的に首を竦ませ、私は小さくすみません、と謝った。
 なんか、下手に言い訳したら更に怒られそうだ・・・。しかしそこまで怒られることか?とも思うが、いかんせん倒れかけた身としてはぐうの音も出ない。あぁでもやっぱりちょっと理不尽に感じるのは私の心が狭いのか?!黙り込むと、景時さんはきゅっと寄せていた眉を緩めて、へにょん、と下げて馴染んだ八の字を描いた。

「・・・ごめんね。怒ってる、わけじゃないんだよ。ただ、さっきみたいなことがあったら、危ないから・・・」

 心配したんだ、と申し訳なさそうに言われて、理不尽だ、と憤っていた内心も思わずしおしおと萎んでいく。いや、そんな、情けない顔されたら何も言えないんですけど・・・。

「・・・ごめんなさい」
「いいんだ。俺も、きつい言い方しちゃったね」
「いえ・・・ちょっと、喉が渇いたので水を飲みに行こうと思って・・・でも、人が来るのを待てばよかったですね。すみません」

 そうすれば景時さんの手を煩わせることも、こんな顔をさせることも、怒られるようなこともなかっただろう。それに、どうやら調子が戻ってきた、というのは勘違いで、まだ動くのには全く回復できていないことがわかったことだし。顔を顰めて溜息を吐くと、景時さんはそれは、と口を開いた。

「この部屋には結界を張ってあるから・・・この中だけなら歩いても支障はないと思うよ。まぁ、俺の張った結界だからどこまで効果があるかはわからないけど」
「結界?」
「リズ先生にも手伝ってもらってね。穢れを寄せないように。・・・だから、外に出ると、今のちゃんには少しきついかもしれない」

 そういって、俺が屋敷全体に結界を張れたらいいんだけどね。と気落ちした様子で笑みを浮かべるものだから、あ、これは落ち込んでるなと私でもわかった。

「俺程度じゃ、部屋ぐらいの規模でしかまともな結界を維持できないんだ。もっとちゃんとした陰陽師なら、屋敷を覆うぐらいの結界は張れるんだろうけど」
「結界張れるだけですごいと思いますけど・・・」

 超人的だわ。規模とかの問題ではなく、結界を張れるという行為がすでに凄いと思う。
 視覚できることじゃないんだろうけど、でもここは遙かの世界。元の世界のように、うっさんくさ!と思われるような霊能力者の行為ではなく、本物の能力だ。
 ていうか、そうか。だから今気が楽になったんだな。部屋の外に出ようとしたらすっごく気持ち悪くなったのに、今はそれが気のせいだったんじゃないかっていうぐらい、落ち着いている。本当、さっきの眩暈は何よ?と言わんばかりの不調もなりを潜めた様子に、意識していなかったが景時さんのおかげだったのだなぁ、と感謝の念が絶えない。
 だって、結界がなかったらああいう状態にまだなってたってことでしょう?だとしたら、本当に、景時さんは凄い。心の底からそう思って、感心した眼差しを向けると、景時さんは小さく首を横に振って、小さく微笑みを浮かべた。

「全然、凄くなんてないよ。・・・俺にもっと力があったら、君をもっと楽にさせてあげられるのに」

 そういってぐっと握った拳にちらりと目をやり、はて。何をそんなに気落ちすることがあるやら?と私は首を傾げた。

「今でも十分楽ですよ?部屋から出れないことはさして苦ではないですし・・・むしろ、こうしていられるのは景時さんのおかげなんですよね」

 だったら感謝こそすれ、それ以上など望むこともない。こうしていられるだけで、十分だ。
 にこりと笑えば、景時さんは泣き笑いのように顔をくしゃりと歪めて、そっと手を握ってきた。
 両手で包むように握られて、私の手はすっぽりとその手に収まってしまう。景時さんはそうして手を握り締めたまま、小さくありがとう、と口にした。

「でも、もう少し結界は強くしてみるよ。少し結界の外に出ただけでああなるんだから・・・本当、肝が冷えたんだからね?」
「私もまさかあんなことになるとは・・・穢れって凄いんですねぇ。望美ちゃんも部屋から出れないんでしょうね」

 私はともかく、彼女は色々退屈しそうだよね、とそんな軽い気持ちで言えば、景時さんはあはは、と乾いた笑いを零すにとどまり、そのまるで誤魔化すような態度に疑問を覚える。
 手は握られたまま、胡乱な眼差しを向けると、景時さんはうろうろと視線を泳がせてから、困ったように眉を下げた。

「それなんだけどね」
「はい?」
「望美ちゃんは、もうほとんど回復してるんだ。まぁまだ安静には違いないけど・・・屋敷内程度なら動いても大丈夫なぐらいには」
「え?でも・・・私はこれですよ?神子である望美ちゃんがなんで?」

 ていうか元々望美ちゃんが受けた穢れだよね?なんでそこで余波を受けた私が未だこの状態で本人が回復?え、なにそれ。驚きに目を見張ると、景時さんはうーん、と小さく唸ってから逆に、と口を開いた。

「神子だから、回復が早かったのかもしれないね」
「・・・それこそ逆なんじゃ」
「白龍曰く、元々今代の神子は穢れへの耐性が強いらしいんだ。それに白龍が付きっ切りで神気の調整に当たっていたし。回復が早いのはだからじゃないかな」
「なるほど。だから白龍全く顔見せなかったんですね」

 まぁ神子様が大変な状況でこっちにくるはずもないとは思っていたが、そういう理由ならば余計にだ。そうかそうか。なるほどなー。納得していれば、景時さんはなんとも言えない顔をしてぼそりと何事か呟く。

「それに、望美ちゃんには早く原因を取り除いて貰わないといけないしね・・」
「原因?」
「こっちの話だよ。なんにせよ、ちゃんは許可が出るまでは勝手にこの部屋から出ないこと。いいね?」
「あ、はい。それは、勿論」

 出たらああなるってわかってるのに出ることは無い。いくとしてもギリギリでないところまでにしておきます。頷きながら、なんか誤魔化されたよなぁ、とちろりと景時さんを見上げる。しかし彼は穏やかに微笑んでいるだけで、その笑顔に別に裏があるようには見えない。
 なんだろうな?疑問を浮かべながらも、ふと喉の渇きを思い出して、同時にそういえば、と視線を泳がせた。

「ところで、景時さん」
「ん?なんだい?」
「さっき、何か落ちて割れるような音が聞こえたんですけど・・・あれは?」
「・・・・・・・・・・・・あぁ!?」

 なんかガシャンというかガチャンというか、そういう派手な音がしたと思うんだけれど。問いかければ、景時さんはさっと顔色を変えて、慌てて入り口に向かう。そうして、あぁ、朔に怒られる・・・と。なんとも言えずショボーンと暗い声を出して落ち込んでいたので、なんか落としたんだなぁ、と物が見えずとも察せられた。

「・・・・手伝いましょうか?」
「いいよ、いいよ。ちゃんは絶対安静でいること!」
「あ、はい」

 いそいそと割れた器を掻き集めている姿がシュールだなぁ、と思いつつ、私は言われたとおり大人しく布団の中に潜り込む。とりあえず、あれを片付けに行くついでに、水を頼もう、と決め込んで、戦奉行がせっせと後から付けに勤しむ背中を眺めた。