目覚め人の思いは何処をさ迷うか



 真紅の霊鳥が高く鳴く。
 炎のように燃える翼が広がり、ひらりひらりと火の粉のように光る羽根が舞い落ちる。

 きらきら、ひらり。

 ―――あぁ、この鳥は。





 沈んだ意識が浮かび上がる。まるでその時を待っていたかのように、薄っすらと瞼に切れ目が走ると光りが見えた。その光りをもっとよく見ようと、筋肉に力が篭り、持ち上がる。
 主観としてはゆっくりとした動作ではあったが、客観的に見ると割とあっさりと開いたに違いない。開いた目で数度瞬きをこなし、寝起き独特のあのなんとも言えない感覚を打ち消そうとぼんやりとした思考を回す。自宅のリビングでも自室のそれでもない見慣れない天井の薄暗さ。ここはどこだ、と一抹の懸念が過ぎると、丁度その時横から声をかけられあえなく思考は途切れてしまった。

・・・っ!」
「・・・水樹?」

 極まったように震える低い声が鼓膜を揺さぶる。抑えられてはいたが、通る声は苦もなく耳に届き、私は首を回すと顔を横に向けた。枕元に、眉を下げて今にも泣き出しそうな美丈夫がいる。さらさらの黒髪に、金色の瞳が印象的な美形だ。一見冷徹に見える涼しげな美貌も、安堵に歪んでいれば何処となく親しみを覚えやすい。
 一瞬、誰だろうかと思ったが、すぐに記憶のピースを探し当ててカチリと当てはめればなんてことはない、この世界で恐らく一番長く、共に居たといえる霊獣が人を模った姿だ。
 仮初めともいえる、その姿。なんかその姿すごく久しぶりだなぁ、とのんびり考えながら、いそいそと手を伸ばして額に触れてきた水樹の動きを甘んじて受け止めた。

「大丈夫か?どこか痛いところはないか?気分は悪くないか?何か欲しいものはあるか?」
「ん、・・大丈夫。至って健康だよ」

 心配そうに矢継ぎ早に問いかけられて、僅かに苦笑を零しながら額を撫でて頬に触れる手をやんわりと包んで身を起こす。ぱさりと胸元までかかっていた毛布が落ちると、目元に落ちる前髪を掻き分けて見慣れない部屋の様子に眉間に皺を寄せた。
 ・・・さて、どうにもここは現代ではなさそうだな。木造とも言えない石の壁に簡素な作り。無駄なものがなく殺風景な四角い部屋の隅には申し訳程度の植物と、大きな土器の水瓶が静かに置かれており、住み慣れた家の様子とは似ても似つかなかった。
 そもそも天井に電灯すらないのだから、一体どんな田舎だと眉間に皺も寄せたくなる。頭痛い、と密かに唸りながら、今だ先ほどまで見ていた夢、いや記憶とも言えるそれにくらくらする頭を抱えて小さく溜息を零した。

「私の平穏が・・・・」

 ぽつりと零れたそれに、水樹が痛ましげに顔を顰める。あぁ、なんてことだ。今度こそ極普通の人生を歩めると思ったのにまさかこんな落とし穴があったとは。
 蘇った記憶は正直いって私には無用の長物である。思い出したくなかったなぁ、と遠い目をした私を誰が恨めしく見るだろう。そう、はっきり言って、なんていらない記憶たち。ついでに言うならこの状況も激しく頂けない、頂きたくない。過去の経験と前後の記憶を総合する限り、まぁ、望まない展開であることは確定事項だ。なんでこうも、人の希望する進路とは間逆の方向性で持ってして突き進む羽目になるのか。神様私のこと結構嫌いなんじゃないか、と思いながら一応、一縷の望みというか数限りない希望と言うか願望というか、まぁともかく夢を見てみたいなーという現実逃避含め、横でじっと無言で私を見つめてた水樹に向いて問いかけた。きっと答えは、私の予想を裏切らず、そして私の希望を裏切るものだ。

「・・・ここは、中つ国?」
「・・・あぁ」
「そっか、戻ってきたんだね」

 はい、やっぱりねー。少しの躊躇を混ぜてこくりと頷いた水樹に、最早苦笑しか返せず吐息を零す。注がれる視線が申し訳なさそうで、しかし予想しながらもありがちな展開に疲れがどっと押し寄せてきた。溜息がまたしても意図せず出そうで、あんまり出すものじゃないな、と堪えてどうしたものかと頭を掻いた。
 なに、わかりきっていたことだ。今更絶望を覚えて何になる。ショックがないとは言わないが、二度三度、繰り返されると悲しいかな感覚は麻痺していくのだろう。いや、麻痺させねばこの理不尽、受け入れられまい。
 ・・・元より、生れ落ちた瞬間、記憶を失くしたあの時、そう、すでに二度もこの世界で絶望を覚えた。今更。今更戻ってきた記憶と、帰ってきた世界に何を感じろというのだろう。
 冷えた思考は冴え冴えとして、ぽっかりと洞を覗かせる。夢の中見ていた記憶は鮮明で、嘘偽りなくこの世界で過ごした時間が刻まれている。現代とは似ても似つかない世界。遠い昔の、歴史の中にあるような、御伽噺のような世界。中つ国という母国。
 記憶は、消して優しいものではなかった。優しいそれよりも、厳しいそれの方が多かったのではないだろうか。思い出すには、少し、辛い。
 その世界で一般市民でもなく、本当勘弁してくれないかと懇願したくなる、姫という身分。女王の腹から間違いなく出でた私は、王族と言われる人間だった。・・・異形と謗られてはいたけれど。中身一般人というか庶民も甚だしいのになんてミスマッチ。彩雲国でさえ、彩七家どころかどこぞの貴族とも有力者の家に生まれることもなく極々普通の一般家庭に生まれていたのにここにきて王族!なんてこった記憶はあっても生まれはどうにもできないんだねなんだかやるせない。
 ・・・いや、この際どういう生まれかはどうでもいい。問題はそこではない。問題なのは、「再びこの世界に舞い戻った」ということだ。王族であろうとなかろうと、平穏であれば文句など言わない。何事もなく、平穏無事に生きていられれば、多くは望まない。
 例え国が落ち、追われようとも、真っ当に生涯が閉じられればそれでよかった。それで、よかったのだ。
 だけど現実はどうだ。現状はどうだというのか。現代での生活は消え失せ、再び舞い戻ってきたこの世界。異世界ともいえるこの場所。連れて来た男を思い出して、そしてその状況を考えるだに―――きっと私の望むものとは程遠い。
 ・・・・ていうかもうちっと大人しくこっちに連れてこられなかったのかな柊は。滅茶苦茶警戒されてたよねあの人。むしろ敵認定受けていたような・・・あれでも昔馴染みなのだが、果たして今後どうしてくることか。あれの立場を考えると、確実に「こっち」側のはずなんだが・・・その辺りもなんだか色々騒動の種になりそうだ、と冷静に検分しながら、さてもとにかく、ここはどこだ、と今更ながらの疑問に突き当たった。
 どこだ、というのはどういう世界だ、ということではない。その通りに、この「場所」はどこだ、ということだ。そもそも私はどれぐらい気を失っていたのだろう。首を捻り、黙って私が落ち着くのを待っていたのだろう水樹に改めて視線を合わせた。

「水樹、ここはどこ?私はどれぐらい寝てた?千尋姉さん達は無事なの?」

 知らなくてはいけないこと、知りたいこと。矢継ぎ早に問いかけて答えを待つ。
 この世界に、きっと一緒に舞い戻ったであろう家族のことを心配気に尋ねれば、水樹は脇に置いていた水差しから器に水を注ぎながら、どれから話そうか、と思案気に視線をさまよわせた。

「その前に、一つ確認しておきたい。、「記憶」はあるのか?」
「・・・少なくとも、この世界が中つ国で、自分がその国の姫であることは思い出したよ」
「そうか、それだけあれば十分だ。・・・どうやら、千尋と違って記憶ははっきりとしているらしいな」
「姉さんは思い出してないの?」
「断片的にしかな。さして支障はない、気にするな」
「そう・・・」

 それはやっぱり脳みその発達具合からいう差異なのだろうか。あの年で中身がこれだったからな、記憶量もその認識も大きく違っていて間違いはないか。私が異質なのは今更なので、そこはもう深く考えずにそれで?と小首を傾げた。

「あれから・・・あの裏切り者がお前の記憶を戻してから、時空の扉が開き、この世界に戻ってきた」
「うん」

 時空の扉って・・・ファンタジー入っているところがなんとも言えないな、と思いながらも喋る亀の時点であれだった、と思い直す。悲しいかな、兆しなど当の昔に出ていたのだろう。
 順を追って話そうとする水樹に、私はそんなことを思いながらちょっと落ち込んだ。

「その時のショックでお前はここ数日ずっと眠っていた。時間で言うなら・・・3、4日ぐらいか」
「そんなに?それは・・・心配かけたね。ごめんね、水樹」
「数年分の記憶の整理だ、仕方あるまい。お前が無事ならそれでいい」

 それは予想外だ。せいぜい1日2日のことかと思ったが、4日も寝ていたとは。自分の体感時間と外の時間の差に驚きながら、きっとその間ずっと傍にいてくれたのであろう水樹に眉を下げる。彼は穏やかに口元を緩めて微笑んで見せたが、起きたときの様子を思い出すと相当心配かけていたに違いないのだ。そりゃそれだけ寝てたら誰でも心配する。
 姉さんがすでに起きていたというのならば、余計に目覚めない私のことが心配であっただろう。あぁ、ということは姉さん達にも後で声かけておかなくちゃ。

「その後・・まぁ、色々とあったが、これはまた後で話してやる。覚えているか?あのやかましい老人・・・岩長姫とやらと再会してな。今は千尋達と一緒に、ここ・・・国見砦といったか、そこで世話になっているところだ。安心しろ、風早も那岐も千尋も無事だ。今は少々出ているがな」
「そう・・・よかった。それに、岩長姫。懐かしい名前だね」

 記憶の中でいくらか交流したこともあるあの元気なご老人を思い浮かべて、本当懐かしいなぁ、としみじみ感じ入った。なるほど、とりあえず皆は無事でいるわけなんだね。なんだかんだ寝場所も確保しているようなので、そう悪い状況でもないみた、い・・・・・・・・・・・・・ん?

「あれ、今砦って言った?」
「・・あぁ、そうだな。まずはこの国の状況を教えるべきか」

 首を傾げると、水樹は頷き、それから酷く言いたくなさそうに眉間に皺を寄せて口篭った。
 割合はっきりと物を言う水樹には似つかわしくない躊躇いである。それほどまでに言いにくいことなのか・・・私が不安に視線を揺らすと、それに気づいたように水樹は強張っていた表情を解くと笑みを見せ、それからそっと手を伸ばして頬に触れた。
 大きな掌で包むように頬を撫で、慈しむ動きに瞬きしながら水樹を見つめる。

「お前には、辛いことを思い出させる。それでもいいか?」
「・・・あぁ」

 苦しげな問いかけに、しばし疑問を覚えたがなんとなく理由に思い当たると苦笑を浮かべる。そっと包む手に触れながら、優しい気遣いに微笑みを返した。・・・そんなの、当の昔に。

「大丈夫だよ。覚えてる。・・・中つ国は常世に落ちた?」
「そうだ。今は常世の支配に置かれ、中つ国の残党が国を取り戻そうと兵力を募っているところだ。この砦もその一つ」
「そっか・・・大変なときに来ちゃったんだね。・・・それも狙いかな」

 そういう時期だからこそ呼び戻された、のかもしれない。あぁ、やはり平穏には行かないのか。なんとも言えず口を閉ざすと、水樹の気遣わしげな視線が刺さる。それに一度瞼を伏せ、改めて姉さんは?と問いかけた。この状況で、姉が巻き込まれていない筈がない。
 いや、むしろ、立場的なものを考えるのならば、私よりも彼女の方が。

「千尋は・・・今、常世に囚われた奴らを助けに行っている」
「え、」

 ・・・なんですと?目を見開くと、水樹はどうでもよさそうな顔をしながら、あれは後先を考えんな、と酷評を零して目を半眼にした。

「どこぞの邑の人間と、軍の狗奴がこの地を統べる常世の人間に囚われたらしくてな。それを聞いた千尋がこの砦の人間を率いて助けに行った。明日の朝まで帰っては来ないだろう」
「砦の人を率いてって・・・え?姉さん、何してるの?」
「全くだ。余計なことをすればの身にも危険が及ぶというのに」

 それもそれで重要だが、一体何がどうしてそうなるんだ?いきなりこの土地の統治者に喧嘩ふっかけにいったの?どういう行動力なの??気に食わなさそうに鼻を鳴らした水樹をちらりと見やり、これは本当に巻き込まれているようだ、と思考を巡らせる。
 こういう形で連れ戻されたからにはきっと何かが起こるのだろうとは想像に容易かったが(経験上)、目が覚めて早々姉さんの行動力にはビックリだ。元々心優しく正義感が強い人ではあったが、何もいきなりそんなことしでかさなくてもいいのではないか、と思うのだ。いくら姉さんがちょっと猪突猛進気味なところがあるとはいえ、そんな手段を取るからにはよほど常世側の人間が何か不手際、というか人道に背くような行いをしたのだろう、ぐらいの信頼感はある。まさか真っ当に統治している相手に喧嘩売るほど姉さんは血の気は多くないし・・・仮に中つ国側に唆されたとしても、風早や那岐まで口車に乗るとも思えない。
 そうしなくてはならない何かがあったとしても・・・まぁ心臓に悪いことをしてくれるな姉さんや。

「・・・風早と那岐は一緒にいるんだよね?」
「あいつらが千尋を1人で行かせるはずがなかろう」

 それもそうだ。水樹の言い分に大いに納得をしてこくりと深く頷き、なら最悪の事態は回避されるだろう、と小さく安堵の息を零す。まぁ、今やらかしていることはともかく、無事に帰ってきてくれればそれでいい。今は、それだけを、望んで。うっそりと瞼を伏せると一瞬の沈黙が落ち、静かな時間が流れる。掌の下の布地の皺を辿ると、ふと苦しげに水樹は眉間に皺を寄せた。落とした視界に、白くなるほど握り締められた拳が目に入る。

「水樹?」
「すまない、
「何が?」
「お前を、守ってやれなかった・・・」

 そういい、くっと唇を噛み締めると、水樹は握った拳を震わせて項垂れた。さらりと漆黒の髪が揺れ、彼の広い肩を滑り落ちていく。艶のあるその髪の流れを見つめながら、驚いたように瞬いて私は首を傾げた。

「別に、水樹が謝る必要はないと思うよ」
「いや、お前がこの世界を望んでいないことはわかっていた。できることならば、こんな危険な世界などではなく、あの世界で一生を終えて欲しかった・・・だが、あの男を止めることもできずに、記憶まで蘇り、再びこんな世界にお前を連れてきてしまって・・・私は、自分が不甲斐ない」
「水樹・・・」

 心底悔いるように。引き絞るように吐き出す水樹の言葉に、嘘はない。あぁ、水樹にはわかっていたのか。私が、何を思っていたのか。当たり前か。きっと、姉さんたちより身近にいた人なのだから。辛そうに歪んだ顔に、浮かぶ私を案じる気持ちが、嬉しいような面映いような、複雑な気持ちにさせて戸惑う。
 己の力なさが厭わしい、とばかりに項垂れる水樹を見つめながら、そんなに思われるような人間ではないのにな、と小さな自嘲を浮かべ、そっと手を伸ばして頬に手を這わせた。
 小さな手で、俯いた顔を上げさせる。蜜を溶かしたような黄金色に瞳に、自分が映りこむの見ながら、悲しげな顔をしている水樹に、やんわりと笑みを浮かべて見せた。

「・・・確かに、この状況はあまり歓迎できないけど」
「すまない・・・」
「あぁ、そんな悲観しないでよ。こうして生きてるんだし、怪我もないし、それだって水樹のおかげでしょ?それに、姫なんて立場だけど元々あってないような存在だったし、気にするような人もいないと思うな。平穏は確かに欲しいけど、こうなっちゃったものは仕方ないし・・・それに、水樹が守ってくれるんでしょ?」

 ね?とにこりと笑いかけて言えば、水樹は寄せていた眉間の皺を解いて、少し表情を和らげると頬に触れていた手を取り、口元に持って行きながら長い睫を震わせた。指先に、柔らかく少し湿った暖かな体温が触れる。

「・・・勿論だ。何があろうと、私がお前を守ってみせる」
「うん。期待してる」

 唇の動きに合わせて触れる部分が少々くすぐったかったが、ここはぐっと我慢して好きなようにさせておいた。ちょっとこの状況は恥ずかしいものがあるけれど、水樹が元気になるなら少々のことである。うん、しかし美形にこうされるとなんとも言い難いな。
 元がこれなので、抵抗感を覚えてしかたないよ、困ったなぁ。嬉しそうに擦り寄る水樹に亀の姿ならば気にならないのに、と思いながらもきっと私が目覚めるまで色々悩んでいたに違いない、と目を細めた。昔から、彼は私に優しい人であったから。
 どれだけの心配をかけていたことか・・・自分ではどうにもできないことであったとはいえ、申し訳なく思ってしまう。そっと頭を撫でて落ち着かせながら、私は部屋の壁を見つめると、気づかれない程度に吐息を漏らした。
 これから、色々と苦労をしそうだなぁ・・・。なんとなく先が思いやられるようで、脱力感を覚えながら、困ったように眉を下げた。


 ていうか、柊は今何してんだろう。


 事の原因の所在を尋ねてみたい気もしたが、聞いたら聞いたで何か問題になりそうだったので、私は無難に口を閉ざしていた。本当・・・彼は何がしたいのやら。