目覚め人の思いは何処をさ迷うか



 すでに習慣づいているそれを、環境が変わったからといって覆すのは中々難しい。
 よっぽど疲れてない限りは、極々当たり前に浮かび上がった意識に私はむくりと体を起こした。
 この世界に目覚まし時計なんていうものがあるわけではないが、おおよそ体内時間で目を覚ますことが出来る程度にはこの体は訓練されているのだ。それもこれも眠っているあの人を目覚まし時計のけたたましい音で起こさないようにするための努力の賜物である。
 特に夜遊びも激しく飲ん兵衛だったあの人の朝はすこぶる遅い。寝ているところを邪魔したらどんな目にあうかわかったものじゃなかったので、必死こいて習慣づけたのだ。
 もっとも、それも今や無用の長物であるはずなのに、癖づいたものは中々治らないものだ。困るようなものではないのが救いだろうか。さすがに目覚めてすっきり!ばっちりよ!ってほど寝起きがいいわけじゃないけれど、起きて行動をするのに支障が出るほど悪いわけでもない。まだ残る眠気を振り払いつつ、毛布を退けて寝台からぺたりと冷たい石造りの床に足をつけた。ひんやりと底冷えする冷気が足の裏を通じて体を這い上がるのにぶるりと身震いしながら、枕元で首を引っ込めて安眠している亀の甲羅をつんつんと突く。そうしたら一も二もなく顔を出すのだから、水樹も私が起きると同時に起きているか、それとも私が起きる前から起きているのか、どちらにしろ起きているのではないかと思う。だけど私が呼ばないと顔を出さないのでどっちでもいい。
 とりあえず顔を出した水樹におはよう、と声をかけると水樹もにこやかに(いや表情なんてわからないんだけど)おはよう、と返してくる。亀の姿からは想像もつかない美声による早朝の始まりも最早慣れたもので、とりあえず起こした水樹をそのままにして、寝台から離れて小さな水瓶の横に立つ。本来ならば井戸にでもいくべきなのだろうが、昨日起きたばかりの身の上としては、把握もしきれていない内にこんな朝っぱらから行動するのも気が引ける。何より姉さんと違ってここの人たちとコミュニケーションが全く取れていないので、自分の立場、容姿、諸々を踏まえてももう少し自重しておくべきだろうと思うのだ。
 幸いにも顔を洗う水に困ることはないし、まだ肉体年齢的には若いので水洗いだけでも十分なのだ。小学生の肌って素晴らしいね!洗顔後のスキンケアも余り必要がない子供の肌を重宝しながらも、いずれそうも言ってられなくなるのだろうなぁ、とわびしい気持ちにさせられる。そういえば姉さんは大丈夫なのだろうか。あれで美容面でも年頃の娘らしく気を遣っていただろうし・・・この世界で姉さんの満足のいく手入れができるかどうか?
 まぁ何かしらあるだろうけれども、この男所帯の砦でその品があるとは思えない。当分は水洗いだけで姉さんも我慢するしかないだろうなぁ。まぁ、美少女は肌荒れとは無縁、という気がしなくもないのでなんとかなるんじゃないだろうかと楽観視をしてみる。
 まずは自分の身支度が先、と水瓶の水を小さな桶の方にいれ、ばしゃばしゃと顔を洗った。冷たい水が肌を打ち、その冷たさが寝ぼけ眼をはっきりとさせる。頬や額、顎のラインを伝う水に、やっぱり冷水って眠気覚ましには効果的だよねぇ、とパチパチと濡れた睫毛を上下させ手拭いを掴んで顔の水気を拭き取る。
 ひんやりと冷やされた頬に触れながら、ぺちぺちと叩いて顔を洗うときに僅かに濡れた髪も軽く拭いてばさりと後ろに流した。ふわっと軽く揺れる髪を背中で揺らしながら、服に腕を通して着替えを済ませる。ひらひらと先が広がりドレープを描く袖を揺らしながらぺたぺたと裸足のまま机まで向かい、椅子を引いて腰掛ける。そして翳した手から天地命鏡を呼び出すと、壁に立てかけて映りこむ自分を眺めて、自らの髪に櫛をいれた。
 国宝をドレッサーの鏡代わりに扱う人間などそうそういないだろうなぁ、とは思いつつも、現代の鏡を知っているこちらとしてはいくら国宝ものとはいえ銅鏡で満足できるかと言われると微妙だ。でも多分現状これが一番綺麗に顔が映るんだよね。特に引っかかることもなくすんなりと下までいった櫛で幾度か繰り返して整い終えると、机においてある赤いリボンに手を伸ばす。そこでふと手を止めて、あぁそうだ、と瞬きをした。

「お礼言わないとなぁ」

 手にとり、リボンの光沢とコサージュになっている薔薇の部分を指先で軽く撫でながら口元を緩める。昨日無事に姉さんの手から私の手に舞い戻ったそれにほっとしたのも束の間、本来拾った人物は違うらしいのだ。どうもあの兵士の一団からは姉さん達以上に浮いていた真っ黒黒すけな・・・ていうかあの人、現代で姉さんたちを襲っていた人じゃないか?と思うのだがさておき、彼?(でいいんだと思う)が拾ってくれたらしいので、怪しすぎるしさすがに元は敵(今も味方と言い切るには早計だと思うが)とはいえ、お礼だけは言ったおかなくては人道に悖る。
 まあ正直外見的には近づきたくないけどね!顔どころか体の線すらわからない黒尽くめの彼は、どこをどうみても怪しい以外の何物でもないし・・・。そもそもの第一印象が大鎌構えた死神か!と言いたくなる様な光景だったのだ。うん、引くの当然だと思う。
 まぁでも、姉さんの話を聞く限りは、そんなに悪い人間?ではない?ような感じらしいけど・・・姉さん、私がいうのもなんだけどお人好しだし世間知らずだからなぁ。

「あぁでも、人を見る目はあるか」

 不思議と、きっとそういう才能がある人なのだろう。人に恵まれるタイプだ、きっと。そう思いながら、手早く髪を三つ編みに纏めて先をリボンで縛り付ける。薔薇のコサージュもしっかりと止めて、縄みたいに長くできた三つ編みを後ろにぽんと放って、太ったら入りませんよとばかりに今の体にぴったりと合わせて作られた上着を着て前を止める。腰に飾り布を巻いて、準備は万端だ。ひらひらと蝶の羽みたく揺れる腰帯から意識を逸らして、水樹に手を伸ばす。掌から肩へと乗せながら、さぁて、とばかりにこきりと首を鳴らした。

「・・・朝食も作っちゃっていいかなぁ?」

 ていうか、いつもと同じことやってないと落ち着かないんですよね、色々と。まぁ別に、誰が困ることもあるまい!と高を括って、そそくさと部屋の外へと踏み出した。





 台所についたら予想外なことに1人もまだきていない状況だった。ありゃ、早くきすぎたのかな?いつも通りに起きたつもりだったが、慣れない環境で思ったよりも体内時間が狂っていたのかもしれない。ぽりぽり、と頬をかいて、しんと静まり返り朝の空気に冷え込む台所の入り口でしばらく動きをとめたが、まぁここにいてもしょうがないし、とばかりに中に踏み入った。昨夜きたことがある場所なので、すでに何処に何があるかも把握している。
 実は昨日夕飯というよりむしろ夜食?の片付けをする合間に今日の朝食の下ごしらえもしてたし!むしろ誰もいないほうが個人的には好都合かもしれない。自分よりも先に人がいた場合、どうしたらいいか困るのは私だろうし、相手も困るに違いない。なにせ王族で姫で異形の子供。普通の兵士からしたらお近づきにはどうしたってなりたくない存在である。
 そんなのが、朝食の手伝いにきました!とか言われても、そりゃ引っ込んでてください、と言われないにしても相手が非常に面倒に思うのも仕方のないことだろう。
 でも最初っから誰もいない状態でここにいたら?しかもすでに行動なんかしちゃってたら、なんかもう済し崩しになったりなんかしないかなとか。そんな打算も含めて手を洗って朝食作りを開始する。昨夜下ごしらえをしていた野菜を刻みつつ、お米の準備も万端です。
 ・・・そういえばここの砦の人数とか把握してないからすごい適当に作ってるんだけど、昨日の夜食は全部平らげたらしいからあれぐらいでいいのかな?それとももうちょい少なめ?多め?うーん?と首を傾げてリズミカルに動いていた包丁を止めると、ふと台所の外からどたばたと騒がしい足音が聞こえ始めた。おや、やっときたのか、と振り返れば、どことなく焦ったように台所に入ってきた兵士その123。・・・寝坊でもしたのかい?と思いつつ、私の姿を見るなり固まった兵士さん達に、悪いねぇいきなりこんなところにいて、と思いつつ、友好の証としてにこりと笑みを浮かべてみた。いささか作り物臭いのは我慢して欲しい。ほら私って、結構人見知りだから!

「おはようございます。食事当番の方ですか?」
「え、あ、さ、三の姫・・・!?」

 害はありませんよ、と全身でアピールして見るものの、さすがに昨日の今日じゃそれも大した緩和材になりはしない。どことなく青褪めた顔で直立不動になった兵士の方々に、私の評判どこまで酷いのよ?と思いながら、包丁をことりと置いて向き直った。

「勝手に使わせて頂いてすみません。早く目が覚めたものですから、何かお手伝いできないかと思いまして・・・」

 真っ赤な嘘でもないけれど、言葉通りなわけでもない。小首を傾げてみせると、兵士さんはおどおどと挙動不審に陥りながら、いえ、そんな、こちらこそ、などと不明瞭なことを言っている。うん、思った以上に私という存在は彼等の中で嫌な意味で大きな波紋となっているらしい。仕方ない、とは思うものの、中身は極々一般人なので物悲しいのも事実。眉を下げると、水樹の様子が俄かにゆらりと殺気立ったような気がしたので、慌てて野菜に向き直った。水樹、気配が怖いよ。

「どうぞ、そんなところにいないで中に入ってください。朝食を作るのでしょう?少しですが下ごしらえもしてあるので、すぐにでも取り掛かれますよ」
「そ、そんな姫の手を煩わせるなど・・・!」
「ここは我々がやりますので!」

 そういって慌てた様子で台所に入り、おたおたを手を上下に振ってなんとかやめさせようとする兵士の方々に、私はへらりを表情を崩して包丁を動かした。

「いえ、どうぞお気遣いなく。どうせ昨日もしたことですし」
「あ、昨日の・・・いえ、しかし!!」
「えーと、それに、こうしていると落ち着くんです。邪魔はしませんから、お手伝いさせてくださいませんか?」

 咎められるにしても、ぶっちゃけこの状況では王族も平民もあまり関係あるまい。そもそもトップがすでにあれだし、大丈夫なんとかなるよ!楽観的に考えつつ、子供の背丈を利用して下から遠慮がちにお願いしてみる。ちなみに自分が所謂美少女と呼ばれる類の顔であることは把握済みだ。自分で自分の顔をみても別にそうでもない気もするが、客観的にみれば造作は整っているのである。ただ主観的にみるとそう思えないだけで。使えるものはなんでも使えって、先生とか静蘭とかが言ってたし、と100パーセント相手が困るだけなお願いをしてみると(その代わり頑張ってご飯作るよ!)、彼等はうぐっとばかりに喉を詰まらせて、ほとほと困り果てたように眉を下げた。・・・さすがに申し訳ない気がして、こちらとしても罪悪感に襲われる。・・・別に、無理にやる必要はどこにもないのだ。
 私の立場以上に、恐らくはこの見た目(造作じゃなく色的な意味で)が問題なのだとはわかっているし、こんなこと普通は私みたいな立場の人間がすることじゃないことも。
 他人に任せればそれまでだし、私がする必要も意味も、ない。ただ、そう、ただ、自分がいつもと同じことをすることによって、調子を取り戻したいのだ。現実は現実だと受け入れたとしても、今後の対策を考えたとしても、それでも未だ、これから先に起こるだろう出来事が、怖くてしょうがない。だからこそ平素の自分を装うことで、なんとか体裁を保ちたいのだ。
 けれども、それで周囲との関係を悪くしてしまっては元も子もない。
 だって、明らかに私のほうが無茶なことを願っているとわかっている。どちらが悪いかといわれれば、私が悪い。だからこそ、言葉に詰まった彼等に、私は肩を落とすと包丁を置いた。我がままは、よくないよねー。これでも大人なんだし、諦めるか。

「・・すみません。部屋に戻りますね」
「え、あ、ひ、姫っ」
「野菜の皮は剥いてあるんで、あとは一口大に切ってください。出汁はこれとこれでとってくださいね。こうすると味に深みが出るんですよね。あと出汁をとった物を使って炒め物にも使えますし、あぁそうすると味付けはこれを使うをいいですよ。それとお米はあとは炊くだけですから時間を見て炊いてくださいね。あぁそれとこちらの魚もあとは焼くだけですし、塩気が足りなかったらご自由に調節してください。それから――」
「三の姫!そ、そんな一片に言われても・・・っ」
「え?あぁ、すみません。そうですよね、皆さん慣れてるでしょうし、私が言わなくてもわかりますよね」
「あぁ!姫、お待ちください!!」

 慌てて止められて、やってしまった、と思いつつ苦笑して踵を返すと、先ほどよりも慌てた様子で止められる。それになんだ?と思いつつ振り返ると、兵士さん達はなんとも言えない顔をして、それからぼそり、と口を開いた。

「さ、三の姫がよ、よろしいのでしたら、その、て、手伝ってくだされば助かります・・・!」
「え?でも、皆さんのご迷惑になるんじゃ・・・」
「い、いえっ。その、お恥ずかしながら、ここにいる者全員、その、あまり包丁を握ったことがなく、不慣れなものでして・・」
「先ほど三の姫がおっしゃったことも、実はよくわからず・・・」
「あぁ・・・そうなんですか」

 食事が当番製なら、確かにそういうことがあっても可笑しくないかもしれないな。納得して頷くが、しかしさっきまで自分でゴリ押そうとした私が言うのもなんだがこの容姿だぞ?
 彼等も私が怖いのではないかと思いつつも、一時の気まずさよりも目先の胃袋が大事といったところだろうか。ふむ、と頷いて、まぁ許可が出たんなら気兼ねすることもないか、と私はこくりと頷いた。

「皆さんがいいのでしたら、私に断る理由はありません。元から私が頼んでいたことですし、よろしくお願いします」

 頭を下げると、やっぱり慌てたように止められる。こういうとき、一応王族なんだな私、と思いつつ、じゃぁ早速とばかりに腕まくりをした。いや、大分時間ロスしたから巻きでやらないと朝食の時間に間に合わなくなっちゃうし。にっこりと笑みを浮かべて、緊張するかもだけど慣れたら平気になるから大丈夫!と根拠のない慰めを、別に口にするでもなく内心で言ってから、困惑し通しの兵士諸君を見渡した。

「ところで朝食の時間はいつですか?」
「え。えぇと、あそこ棒の影が、あの位置になったぐらいですけれども・・・」
「日時計があるんだ・・・えぇと、なら・・・あ、本当にちょっと時間ないですね。まぁある程度は進んでますから、さくさくやっちゃいましょう」
「は、はい」
「皆さんいい気はあまりしないでしょうが、しばらく我慢してくださいね。というわけで手分けして作りますよー」

 朝食は一日の活力!また捕まった人たちを助けにいったりなんだったりするんだろうし、せめて胃袋だけは満たしておかないとね。手に取った包丁を再びリズミカルに動かしながら、あぁ、落ち着く音だわぁ、と頬を緩める。
 空は徐々に、明るさを取り戻し始めていた。