目覚め人の思いは何処をさ迷うか



 顔を隠して前が見えるのだろうか、という疑問はやっぱり意味のないものなのだろうか。それともあれは結構薄い布地で、近くで見ると透けて見えるようなそれなのかもしれない。
 しかし何故に全身黒尽くめなんだろうか。弁慶さんでもここまで徹底的に隠してないっていうのに、肌の一つも見せやしない完璧な防御に、夏場はさぞ暑苦しいことだろうと思いながら、恐る恐る近づいた。なにせ第一印象が大鎌持って姉さん達と敵対しているシーンであったので、多少の警戒と恐怖は未だに引きずるものだ。
 私としては姉さんは襲われた張本人の癖にさして動じもせずに受け入れているところが信じられない。普通はもっと怖がるものじゃないか?刃物向けられたらさ。
 大物ということだろうか、と思いながら、一人ぽつんと中庭の木陰で腰を落ち着けている土蜘蛛・・・確か、遠夜さん?にそろそろと近づいていく。どうにもこの風変わりな全身黒尽くめの・・・青年?え、青年でいいのか?まぁとりあえず青年は、その出で立ちやら種族やらで周囲から一歩距離を置かれているらしい。人影もない木陰でぽつんと黒い物体が座り込んでいる様は・・・ぶっちゃけちょっと不気味ではあったが、自分の背中で揺れるそれを思い出すと、お礼の一つも言わなければ、と嘆息した。
 かさり、と草を踏んで音をたてる。木陰に忍び寄るように近寄ると、気配に気がついたのか黒いそれはゆるりと顔の部分を動かしてこちらを向いた。うーむ、やっぱり透けているようには見えないんだが・・・。どうやって見ているのだろう、と再びもたげた疑問を掻き消すように、愛想笑いを口元に浮かべる。えーと、確かこの人話せないんだっけ?姉さんには声が聞こえるようだが・・・那岐や風早は聞こえないって言ってたっけ。
 姉さんが神子だからこその特殊スキルなのか、それとも主役ポジションの特権なのか・・・どちらにしろ姉さんが特別仕様なのは揺るがしようもない事実だ。ということは、だ。きっと私も那岐や風早たちのように聞こえないのだろう、と思いながらそろりと口を開いた。通じればいいよね、別に。

「こんにちは」

 挨拶は人付き合いの基本だろう、とばかりに声をかける。遠夜さんはじぃ、と恐らくはこちらを見つめながら、こてり、と首を横に傾げた。顔を隠す布が動きに合わせて斜めに傾ぎ、その動作がやけに子供染みて見える。全身真っ黒黒すけの怪しさてんこもりの人物にしては、なんとも無防備な動作だと軽く目を見張ると、頭の中に直接響くように、それは聞こえた。

(愛し子?)
「・・・・・え゛、」

 低く耳障りの良い、美声。やっぱり聞き覚えありまくり!と思いつつも、私は耳の後ろに手をあて、まじまじと目の前の人物を見た。

「今、声・・・あれ、可笑しいな。姉さんしか聞こえないはずじゃ・・・」
(俺の声が聞こえる?あぁ、やっぱり愛し子だ)
「・・・・やっぱりこれ、あなたの声なんですか?」

 えぇーうそー。これ姉さんだけの特殊スキルじゃなかったの?予想外にも自分にも聞こえた美声に顔を引き攣らせると、遠夜さんはこくりと小さく頷いて肯定を示した。マジか、と目を瞬かせながら、喜ばしきことなのか面倒ごとなのか、一瞬悩むように眉を寄せる。
 声無き声が聞こえるという特殊技能、何か私に妙なことが降りかからねばよいが。こんなときでもそんな懸念を覚えつつ、まぁ会話が成立するのはよいことだ、と前向きに捉えて私はもう一度を笑みを浮かべた。

「えぇと、声が聞こえたのは予想外でしたが、遠夜さん、ですよね?」
(あぁ)
「千尋姉さんから、これを遠夜さんが拾ったとお聞きしたんですけれど・・」

 そういって、自分の髪を纏めているリボンを髪ごと前に持っていき指し示すと、再びこくりと頷きが返される。それにほっとしつつ、薔薇のコサージュを撫でながら、きゅっと指先を握り締めた。噛み締めるように、一つ一つ言葉を繋ぐ。

「拾ってくれて、ありがとうございます。もう手元には戻ってこないと思ってましたから・・・本当に、ありがとうございました」
(それが愛し子のところに帰りたがっていた。それは愛し子のもの・・・あるべきものはあるべき場所に帰る)

 ごめん、小難しい言い方されてもよくわかりません。なんだろうか、感覚的な物言い、もっと言うと抽象的とでも言えばいいのか、そんな言い方をする遠夜さんにはぁ、などと曖昧な受け答えをして首を傾げる。・・・不思議っこ?いや見た目からして不思議っこですが。
 でもまぁ、なんだ。姉さんが警戒しない理由が、なんとなくわかった気がする。なんというか、幼いのだ。いや、無垢といったほうがよいのか。擦れてない、柔らかくふわふわとした印象。黒尽くめの格好に似合わず、どこかおっとりとした遠夜さんの口調に最初の緊張も解れながら、しかしこれででかい鎌振り回すんだよな、と思うと中身との差の激しさに眩暈を覚えそうだ。見た目は似合っているんだけど、中身の様子とはどことなくミスマッチだ。さて、それはともかく。

「ところで、遠夜さん」
(遠夜で、いい)
「あ、はい。で、遠夜。あ、私もでいいですよ。それで先ほどから気になっていたんですが、愛し子ってなんですか?」

 それ私のことなんですか?え、なにそのファンタジーな呼び方。いやすでにこの世界ファンタジーだけどでも自分その中の一員にはなりたくないっていうか、普通の呼び方はダメですか?最初から最後までどうも気にかかる彼の私への呼称に、こてりと首を傾げると、遠夜も首を傾げた。・・・顔が見えないのが惜しい!多分声からして美形なのに!

(愛し子は、愛し子。愛し子はワギモではないけれど、俺たちにとってはとても大事な存在。だから、愛し子のことも、ワギモと一緒に俺が守る)
「ワギモ?・・・姉さんこと?」

 新たな単語が出てきた。首を捻り捻りなんとか理解しようとするのだが、どうにも遠夜は自己完結をして納得を見せているらしく(いや、ただ単にそれをこちらに伝える術がわからないのかもしれない)肩から力を抜いて木の幹によりかかる。木漏れ日は心地よく差し込んでいたが、私は未だ知りたいこと何一つして知れちゃいないので、重ねて問いかけをしようと思うが、思いなおしてそっと手を伸ばした。

「・・・なんだかよくわからないけど、えぇと、とりあえず遠夜は私や、千尋姉さんを助けてくれるってこと?」
(必ず。ワギモも愛し子も、決して傷つけさせたりなどしない)
「・・・そっか。ありがとう遠夜」

 うん、なんだか色々重たいような気がしなくもないが、守ってくれるものは多いに越したことはない。真剣な声色で、真摯な言葉を紡ぐ遠夜の頭に手を伸ばし、布越しにそっと手を触れるとびくりと遠夜の肩が揺れる。やってしまった後にうわ、これはねぇよ、とびくっと手の動きを止めたが、なんともいえない空気になる前に、遠夜が体から力を抜いていくのが分かった。え、いいんですかこれこのままで。頭に手を置かれている本人よりも置いた側の方が狼狽しつつ、私はこのまま戻すのも可笑しいので、大人しく当初の目的に合わせて手を上下させた。布越しとはいえ、ふわふわとした髪の毛の感触を感じる。・・・頭髪は一応あるんだ?へぇ、ほぉ、と思いながら文句の一つも無く撫で繰り回される遠夜に、なんだか子供のような印象を受けた。うん、これは・・・まずいな。

「私も怒られるかもなぁ・・・」
(?)
「こっちの話」

 怪訝そうな雰囲気を読み取り、はぐらかすようにぐりぐりと頭をなでてそっと視線を外す。
 姉さんが忍人さんに遠夜のことについて怒られたといっていたが、私もどうやら怒られそうだぞ。だってなんだか、小さな子供みたいで、警戒なんてできそうにないんだもの。これが計算だとしたら恐ろしい子!と思いながら、まぁ大丈夫だろう、なんて楽観視もしている。うん、なんとかなるだろ、きっと。

「これからよろしくね」

 結局愛し子ってなんだったのかしら、とは、最早尋ねられる雰囲気ではないことだけは、確かだった。