阿蘇に響くは鳥の歌声
遺跡というぐらいだし、きっとピラミッドやら古墳やらと似てきっと暗く陰鬱としているだろうと予想していたものとは裏腹に、視界に広がる光景は光に満ちて輝いてさえ見えた。
今立つ場所を取り囲むように満々と湛えられた水に濁りはなく、壁や柱にこそ風化の跡が見え、所々生い茂る草花も長い年月を感じたが、それでもイメージしていた遺跡の様子からはいい意味で裏切られた。
乾いた様子もなく、いっそどこかの庭園、あるいは自然公園のような穏やかさと静けさは居心地がいいとさえ感じられる。巷で流行りのパワースポットにだって文句なく並べ立てるだろう。知らず目を奪われるような荘厳さにうっとりとした吐息が零れた。
「・・・遺跡って、もっとこう、荒れてるものだと思ってた」
(水も流れていて澱みがない。今も生きている)
きょろきょろと周囲を見渡し、目を丸くする姉さんに遠夜がゆっくりと告げる。もっともその声が聞こえているのは私と姉さんだけなのだが、姉さんはこくりと頷いて呆けたように立ち竦んでいた。
澄んだ透明な清流が、苔生した水路をさらさらと音を奏でて何処かに流れていく。この水はどこに行くのだろうか、そもそもどこからこんなにも流れてくるのだろうか、そんなことを考えながらそっと膝をつき、水に手を浸した。
濁ることも無く澄んだ水のひんやりと冷たい温度が指先から伝わり、ぱしゃりと水音をたてて手を引き抜く。風も通っているのか、埃っぽくも砂っぽくも無く、ほどよい湿気を孕んだ空気はマイナスイオンで溢れかえっているかのよう。
生きている、という遠夜の言い方もなんとなく納得できた。この遺跡は、確かに「生きている」に相応しい在り方をしているのだ。しかし・・・なんだ。
「・・・なんかどっかで知ってる気配が・・・」
「?」
「なんでもない」
名残のように、はっきりしないが微弱な気配を感じ取り眉宇を潜める。この世界にきてやたら過敏になってるからなぁ・・・。しかし下手に突っつき藪蛇になっては堪らない。
問いかけてきた水樹をさらりと交わして曲げていた腰を伸ばすと、姉さんが困ったように首を傾げていた。
「でもサザキたちはどこにいるんだろう・・・」
「気配はある。この近くにいるには違いないはずだが」
きょろり、と辺りを見渡すも確かに、それらしき人影は見当たらない。生憎とサザキなる人物がどういう人なのか、直接会っていない私にはわからないがでも背中に翼があるとかいうんだから、そりゃ大層目立つに違いない。
そう、そんな大層目立つ人間が、さして隠れる場所もなさそうなこの広間で姿を隠しきれるとは思わないが・・・。それとも知らないだけで、身を隠す場所など結構あるのかもしれない。有り得る、と1人納得している間で、姉さんは無用心にも周囲の輪から抜け出て前に出た。
「ごめんくださーい、すみません、誰かいませんかー!」
「なっ。二の姫!?待て!!」
無用心っていうか、これはただの考えなしって奴なのでは・・・?いきなり周囲の警戒とか緊張とか諸々を蹴っ飛ばす勢いで大声で呼びかける姉さんに、こちらがポカンとする傍ら、忍人さんが非常に焦った様子で姉さんに向かって手を伸ばす。
姉さんの細い腕を引っつかみ、無理矢理背後に押しやると同時に、前へ出て庇うように素早く腰の剣を抜き周囲に鋭く視線をやる忍人さんに、姉さんが吃驚したような顔を向けている。いや、多分、忍人さん達にしてみれば姉さんのその行動の方が吃驚だよ。
周囲がざわり、と緊張とも動揺ともつかない乱れを見せたとき、ふと上空から「・・はははっ」という笑い声が広間に木霊するように響き、はっと視線が上向いた。
見上げた先に、高い天井の片隅に足をかけて立ちながら、こちらを見下ろす複数の人影を見咎める。ざっと足音をたてながら、私や姉さんの周りを囲むように狗奴や風早、那岐が動いて武器を構えると、間の抜けた空気が一瞬にしてピンと張り詰めた。
「・・・サザキ・・・」
「悪い悪いカリガネ。けどこれを笑わずにいられるかよ。海賊の根城に「ごめんください」なんて言って来る人間なんて・・・こんな間の抜けた話は聞いたことがない!」
そういって、ケタケタとお腹を抱えて笑う人影・・・長い朱色の髪と、背中に背負う大きな翼が非常に目を引く・・・恐らくあれがサザキなる人物だろう彼は、天井からこちらを見下ろしつつ、笑いすぎて目尻に浮かんだのだろう涙を指先で拭う動作をした。
高い場所にいるのではっきりとはわからないが、多分そうなんだろうな・・・。緊張を孕む下の空気とは裏腹に、天井はとても賑やかしい。原因がうちの千尋姉さんである分、大っぴらに不快感も出せずになんとも言えずにむっつりと口を閉ざした。
「そんなに笑わないでよ!勝手に入ったら悪いと思って声をかけたのに・・!」
「ははっ・・いや、別に貶してるわけじゃねぇんだぜ?むしろ褒めてんだ。大層肝っ玉の据わった姫さんだってな!」
姉さんは、偶に、非常に、空気を読まないことがある。こちらの警戒をものともせず、唇を尖らせて非難の声をあげる姉さんに、那岐が頭が痛い、とでもいうように眉間に指をあてた。風早さえも苦笑を隠せず、忍人さんからはなんかこう、言い知れない空気を感じたので私はそぉっと距離を取った。・・・知らないぞ、姉さん。今後の姉さんの行く末を思いながら、ばさばさ、と羽音をたてて天井からこちらに降りてきたサザキさんと、彼とは違い表情を崩すことなくこちらとじっと見据える男の人が一定の距離を開けて正面に立った。
「こっそり入ってきたらふんじばってやろうと思ってたのに、ついつい毒気も抜かれて笑っちまった。そういう計算なら、あんた大物だな」
にぃ、と口角を持ち上げてサザキさんはざっと私達を見回し、それからふぅん、とばかりに鼻を鳴らした。その様子は愉快そうな軽い雰囲気を纏ってはいたが、しっかりとこちらを値踏みする視線も孕んでいる。姉さんを庇いつつ、忍人さんがじりじりと距離を詰めるも、彼らも彼らでいつでも動けるように緊張を帯びていることはなんとなくわかった。
あんだけ大声で笑ってたくせに、案外食えない人物なのかもしれない、と後ろの方で人影に隠れながら私はじぃ、と彼らを見つめた。
・・・てか本当に背中に羽が生えてるんだ・・すごいなぁ。感心と興味を浮かべて、しげしげと彼らの背中にある羽を、気取られない程度に観察する。あれで実際飛べるんだもんねぇ。鳥人間コンテストに出たら優勝間違いなしだな、とどうでもいいことを交えつつ黙っていると、すらりと剣を構えた忍人さんが、物騒な発言を繰り出し、慌てたようにサザキさんが大袈裟に仰け反った。
「待て待て待て!ちょっとはオレの話も聞けって!物騒な奴だなぁ」
「忍人さん、待ってください。サザキたちと話をしようって、そう言ったじゃないですか」
「君は・・・本当に話が通じる相手だと思っているのか?」
サザキさんとの間を遮るように立ち、忍人さんに待ったをかける姉さんを、彼は理解し難いものを見る目で見やり眉間にくっと皺を寄せた。一応ここに入る前に話し合ったとはいえ、やはり忍人さんの中では話し合いなんて無いも同然の扱いだったか。表面上は従いつつ、できるならば武力行使で早々に終わらせたかったに違いない。まぁ、話し合いなどという成功するかもわからない手段を取るよりも確実だし、本来の目的は彼らを仲間にするのではなく、捕まった村人及び仲間の救出だからなぁ。
それが彼らの立場としては当然であるのだろう、とは理解しつつも、戦闘にならなくてよかった、とほっと胸を撫で下ろす。ナイス、姉さん。
「大体、あの結界のことで文句言われてもなぁ。それこそ土雷本人に文句を言えってんだ。こっちだって好きであんな奴の手助けしてるわけじゃねぇんだし」
「戯言を。炎の結界は日向の一族のものだろう」
「そりゃそうなんだが・・・あーあー・・なんでオレが土雷なんかのためにねぐらの中でまで追い掛け回されなきゃなんねぇんだ」
嫌んなっちまう、と肩を竦めてうんざりと首を振るサザキさんの態度はコミカルだが、それで和むような面子でもなければ見逃してくれるような間柄でもなく。
一層剣呑な眼差しでサザキさんをねめつける忍人さんに、千尋姉さんは待ったをかけながら、ずい、と一歩前に出た。無用心だと言わざるを得ないが、この状況で何かしでかすとも考えにくい。とりあえず静観するべきなのだろう、と相手を注視する風早たちの後ろでそっと様子を窺った。
「そういえば、サザキは最初からあまり土雷にいい印象は持っていなかったみたいだけど・・・やっぱり、何か事情でもあるの?」
「そりゃそうさ。理由でもなきゃあんな奴と手を組むか?」
どこか皮肉気に、腕を組んでこちらを見やるサザキさんからは土雷とやらへの好意は欠片とも見えない。むしろ嫌悪さえ覚えているようで、僅かに刻まれた眉間の皺が不快感を表していた。
「オレにしてみりゃ中つ国も常世も大して違いはないが、あんたに特に恨みもねぇしな。あんたが今噂になってる中つ国の姫さんなんだろ?それと、後ろにいるちっさい姫さんも・・・えぇっと、なんてったっけ?」
「あ、そういえばまだ名前を言ってなかったね。私は葦原千尋。それでこの子が・・・」
「葦原です」
あ、なんか話題に出た。和やかといえば和やかに自己紹介を始めた姉さんに便乗するように名乗り、どうも戦闘になるような雰囲気ではなさそうだと判断して前に進み出る。
後ろで狗奴の人が小声で止めてきたが、ひらりと手を振って無言で押し留めた。ここで下手に警戒心を出すよりも、ある程度受け入れる姿勢を出していた方が話も進みやすいと思ったからだ。ほら、こういうのはまず歩み寄りが大事だっていうし。
そしてついでに水樹にいって亜空間から取り出した(深く突っ込んではいけない)荷物を抱えて、サザキさん・・はどうかと思うので、その横でこちらの様子を無言で窺っている彼にその荷物を差し出した。それこそ反射のように差し出したものを咄嗟に受け取った彼の物言いたげな視線に、私はにっこりと愛想笑いを浮かべる。
「私が作ったもので申し訳ないんですけど、お饅頭です。生憎と餡子はなかったので肉まんと野菜まんしかないんですけど・・・よろしかったら皆さんで召し上がってください。あ、毒なんて物騒なものは入れてないので、安心してください。なんならここで毒見もしますから」
ニコニコと愛想を振りまきつつ、一歩離れてポカン、としているサザキさん達を見上げる。いや、わかってるよ、普通山賊相手に手土産なんぞ持ってこないって。
微妙な空気になったことは肌で感じつつも、これで一層戦闘という危なっかしい方向から外れてくれれば、と願いつつこてんと首を傾げれば、わなわなと肩を震わせ、サザキさんが堪え切れないように噴出した。
「ぶっ・・・はっはっはっはっはっは!!し、信じられねぇ・・・っ海賊に挨拶する姫さんに、手土産持参の姫さん?お、可笑しいったらねぇぜ・・・!」
「お饅頭・・・」
しゃがみこんで今にも地面を叩いて笑い転げそうなサザキさんの横で、非常に興味深そうに包みをしげしげと見つめる人(名前なんだったか)に、すごい笑われたなぁ、と思っていると、後ろでやっと硬直から解けたように姉さんが声を張り上げた。
「ずるーい!お手製のお饅頭でしょ!?なんでサザキたちだけ!」
「いや、そういう問題でもないだろ・・・なんで手土産なんか持ってるんだって話で・・・」
「でもちょっと羨ましいですよ。のお饅頭は美味しいですし」
「三の姫・・・君までなんてことを・・・そもそも山賊なんかに姫手ずからのものなど渡すなんてとんでもない!」
「、こんな鳥ごときにわざわざ手土産なんてものを・・・!わかっていれば預かりはしなかったのに!」
ぶぅ、と頬を膨らませる姉さんや、今度こそ頭痛を耐えるように頭を抱える那岐、のほほんとしている風早に、顔色を変える忍人さん、それから今にも目の前の人物を射殺しそうな目で見る水樹の非難に、あははー、と笑みを浮かべてこてんと首をかしげた。
自分でも非常識なことしてるよね、とはわかってるんだよ。別に全部が全部好意だけでできている手土産でもないのだけれど、しかしだ。
「いや・・・だって、姉さんが美味しいお菓子を頂いたって喜んでましたし、話を聞いていた限りそんな悪い人でもなさそうでしたし・・・。どうせだからお礼も兼ねて渡せたらと思いまして。あぁ、姉さん。材料ならまだ余ってるから、砦に帰ったら作ってあげるよ」
「え?ほんと?」
「うん。あ、皆さんの分も作りますから、安心してくださいね」
別に姉さんが何か怪我とかさせられたわけじゃないし、結界についてもなんていうか、自主的にっていうほど積極性はなさそうだし、それならまぁ、お菓子を頂いたお礼ぐらいはするべきかなとか思っていたわけで。ギブアンドテイクじゃないけど、返せるものは返したほうがいいとは思うのだ。返せる状況であるならばという前提はあるけれど。
首を傾げ、にっこりと微笑むと、そういう問題じゃない、とばかりに、なんとも言えない絶句した空気が辺りを包んだ。
これでちょっとは有利に事が運べればいいんだけど、なんてひっそりと思いながら、未だひぃひぃとお腹を抱えているサザキさんを、ちらりと盗み見た。・・・少なくとも、血を見ることがなさそうなことだけは、有り難いことだと思うんだけどね。