阿蘇に響くは鳥の歌声
絶句する周囲とは裏腹に、よほどツボに嵌ったのかひぃひぃと息を引き攣らせ、目尻に涙まで浮かべていたサザキさんが、指先で浮かんだ涙を拭う。
ひくひくと腹部が痙攣まで起こしているようだが、彼は笑い死にはしないだろうか・・・。そんな間の抜けた心配をしつつ、深呼吸をして息を整えようと必死になっている彼を見上げれば、サザキさんはげほげほと咽ながら丸めていた背筋をピンと伸ばした。
「あー笑った笑った・・・姫さんもそうだが、ちぃ姫さんもかなり大物だな。こんなに笑ったのは久しぶりだ」
「『ちぃ』姫さん?」
・・・それは、私のことなのだろうか。まぁ、実際身体的にも年齢的にもこの中で一番小さいし、何も可笑しなことではないのだが。小首を傾げると、ようやく収まりを見せた笑いに、サザキさんは若干涙で潤んだ目で、にんまりと口角を吊り上げた。
「料理が本職以上に上手い姫さんの自慢の妹っていうのはお嬢さんの事だろ?姉が『姫さん』だから妹は『ちぃ姫さん』。可愛いだろ?」
「はぁ・・そうですか。・・・一つ訂正しておきますが、さすがに本職の方には劣りますよ」
同意を求められても、と思いつつ、過剰な賛美は居た堪れないのでさっくりと否定をしておく。そもそも私の料理は家庭料理であって、プロが提供するような料理など作れないのだから本職以上というのは過剰表現だ。千尋姉さんは身内贔屓なところがあるから(シスコン、というよりもやっぱり贔屓なのだろう)そう言ったのだろうが、下手に過度な期待を寄せられても困る。
「のご飯は美味しいよ!絶対!そこらの料理人より美味しいんだから」
「ありがと、姉さん」
ぐっと拳を握って力説する姉さんに、苦笑混じりに答えながら、いや今はそんな話するべきとこじゃなくね?と視線を泳がせる。背後から痛いぐらいにじっとりとした、いやイラついた視線が向けられているのだが、姉さんは気づいているのだろうか?
気づいてなさそう、と何故かサザキさんに私のお饅頭について力説している姉さんに、気づいてーと電波を送信してみる。がしかし、背後からの電波なんてものが姉さんに届くはずも無く、代わりにサザキさんが何か受信をしたらしい。ちらり、とこちらに目を向け、若干の苦笑ともつかない笑みを浮かべるとひょい、と肩を竦めた。
「お姫様って割には2人とも気取ってなくてオレは好きだが・・・その分、知らないことも多そうだな」
「どういうこと?」
「レヴァンタってのは、常世の国でもお偉いさんなんだ。何しろ、八雷のとかいうやつの1人だからな。下手に手をだしゃろくなことにならねぇよ」
・・・やのいかずち?雑談から一転、真面目な話題に変わり表情を険しくさせる周囲の中で新たな情報に眉根を寄せる。えーと。
「水樹、やのいかずちって?」
「字で表すのならば八つの雷だ。常世の中でも特に優れた八人の人間とでも考えていればいい。名が実を伴っていればだがな」
・・・現代で言う四天王的な役割ってことでいいんだろうか。鼻で笑い、実際はどうだがな、と嘲笑うように吐き捨てる水樹に、そうじゃない人間もいるってことかねぇ、と相槌を打つ。
まぁ、実を伴っていないほうがこちらとしてはありがたいのだが。だってそんな優秀な、明らかにこちらの障害になりそうなのが8人もいたらやってられないじゃないか。
んん。ってことは土雷がその八雷の1人ってことは、もしかして「なんとか雷」ってつくのがその地位についているわけで、えーと、確か極最近そんな人と接触が・・・・・あぁ。
「そうか、黒雷。あの人もその八雷の1人なんだね。・・・ああいうのは1人2人で十分なんだけどなぁ・・・」
「土雷はどうだが知らんが、確かにあれは厄介そうだな。まぁ安心しろ。あれは次に会えば私自ら手を下してやろう」
くくく、と悪意満々に笑う水樹に、この子何がそんなに気に食わなかったんだ、と戦きながら空笑いを浮かべた。・・・黒雷さんの明日はないかもしれない・・・。
まぁしかし真面目に考えて、だ。少なくとも黒雷とやらは優秀そうだったし、実際姉さん達も戦ってすっごく強かったって言ってたし、あまり直接的に戦いたい人間ではなさそうだ。
そんなのが8人。実がない人物がいたとしても、それでもそれなりに結果があるからこそそんな異名を与えられているのだとしたら、うぅん。これは確かに大変そうだ。
「悪ぃこた言わねぇ。関わり合いにならねぇ方が賢いぜ?・・オレだって、【アレ】さえなきゃ奴に手を貸しゃしねぇってのに・・」
「【アレ】?」
最後はぼそりと、聞かせるつもりではなかったかのような呟きを聞きとがめ、姉さんはピクリと眉を動かす。その顔は真剣味を帯び、失言に気づいたのか苦々しい顔をしているサザキさんを真っ直ぐに見据えた。
「やっぱり・・・その【何か】のせいで、サザキたちは土雷に手を貸しているんだね。ねぇ、【アレ】ってなに?サザキたちがどうしても土雷に協力しなくちゃいけないほど、大切なものなの?」
問い詰めるように厳しい顔つきでじっとサザキさんを見上げる姉さんに、眉間に皺を寄せ答えあぐねるようにむっつりと口を閉ざした。だが、やがてサザキ、とどこか懇願の響きすら帯びて問いかける姉さんにとうとう折れたのか、はぁ、と大きな溜息を吐いてガシガシと頭部を掻き毟った。
「・・・・しょうがねぇなぁ。ここまでくりゃ見せるしかねぇか・・・」
「・・・サザキ」
「いいじゃねぇかカリガネ。どうせ、今なら誰が入ったって一緒だ」
そういい、咎めるように顔を顰めた人・・・カリガネさん?に向かって肩を竦め、サザキさんはくるりと踵を返した。わさ、と背中の両翼が揺れたが、うっかりまじまじとその背中を見つめてしまう。おぉ・・・マジで背中から生えてるよあれ。根元もうちょっと間近で観察してみたい・・・!
「こっちだ、来てみろよ」
恐らくは大部分の関心事である【アレ】とやらよりも日向の一族の背中の翼に興味関心を払う私とは裏腹に、背を向けて歩いていってしまうサザキさんに、忍人さんが千尋姉さんに強張った声で話しかけた。
「二の姫。どうするつもりだ?」
「・・・いきましょう。サザキたちが理由としているものを知れば、土雷から手を引かせることができるかもしれない」
「だが、そういって我々を誘い込む罠かもしれない」
「大丈夫ですよ、サザキたちはそんなことをする人たちには見えません」
「そんな楽観的な。相手は山賊だぞ?」
「まぁまぁ忍人。仮にそうだとしても、注意していれば案外なんとかなるものですよ。さぁ、早く追いかけないとサザキたちを見失ってしまいます。行きましょう」
朗らかに笑いながら、千尋姉さんの背に手をあて、促すように歩き出す風早に忍人さんの叱咤が飛ぶが、どこ吹く風とサザキさんを追いかけていってしまう。
姉さんは勿論風早についていってしまったし、那岐は面倒だと言いながらも歩き出して、忍人さんは頭を抱えて低く項垂れた。あー・・・えーっと。
「忍人さん、大丈夫ですよ。罠だとしてもいざとなれば水樹が不意打ちでなんとかしてくれると思いますので」
「三の姫・・・」
「誰も亀が攻撃してくるなんて思いませんし。これも十分罠だと思いませんか?」
言いながら肩の上の水樹を指差せば、ちらり、と忍人さんは視線をやり、微苦笑を浮かべてそうだな、と頷いた。ごめんなさい、忍人さん。うちの家族基本楽観的というか希望的観測が多いというか、良く言えばポジティブなんですよ。うん。ポジティブすぎることは否めないが。
最終的に大きな溜息を吐き、先に行ってしまった姉さんたちを追いかけるように忍人さんも渋々歩き出した。その背中を見ながら、私は少し考え、背後の狗奴を振り返る。
「・・・すみませんが、皆さんは室内に入らず後ろの警戒をお願いします。多分ないとは思うんですけど・・・全員が室内にいるのは危険かと思いますので」
「わかりました、三の姫。では入り口付近で待機していますので」
「よろしくお願いします」
まぁ、サザキさんたちの様子を見るからに、こちらを罠にかける気は一切なさそうなんだけど・・・万が一があっても怖いし。用心に越したことは無いよね。サザキさんに限らず、何か別の不測の事態が起きるとも限らないし。あーもー怖いなぁ・・・!
ぶるり、と身を震わせ、怖い怖い怖い、とぼやきながら、皆の後を追いかけるように小走りに駆け出した。
そして追いつけば、何か別の部屋のようなところに案内され、ぞわり、と背筋に何かが走る。咄嗟に右腕を押さえるように左手で掴みながら、暗い一室に顔を顰めると、ちら、と後ろを見た。狗奴は心得たように一つ頷き、入り口の前で足を止める。それを確認してから、なんの躊躇も無くサザキさんについて部屋に入る面々の後に、そろりと続いた。
「うわ・・・すごい。ここも遺跡の中なの?」
「はっはっは。どうだ驚いたか姫さん。これが日向の一族の守り神さんのおわす磐座だ」
姉さんの声が反響するように、暗い室内に響いて溶け込んでいく。全員が全員、その存在感に飲み込まれるように言葉を失い、サザキさんの説明も半ば聞き逃すかのようにポカンと上を見上げていた。
暗い部屋の中には、どどん、と見上げるほどに大きな岩が中央に据えられ、遺跡の中の空間とは思えない威圧感を放っている。いや、ある意味で遺跡の中でこれほど相応しい空間もないのかもしれない。神殿、祈りの場。そんな言葉がふと脳裏に浮かび、ここは日向の祈りの場であったのだろうか、と呆然と彼曰く「守り神さん」を見上げた。
・・・・・なんか、この部屋、懐かしいというか感じたことがあるというか、知ってる気配がするんだけど・・・。いや、遺跡の中からも感じてはいたが、ここはそこよりも気配が強い。強い、が。
「・・・薄い・・・?」
怪訝な表情で首を傾げ、守り神という巨石を見上げる。まぁ、本来神様なんて早々いるもんじゃないし、どれだけご神体だとか言われていたって、いないものはいないのだから崇められていようとそこに神様がいる確固たる証拠にはならない。
だから別にこれが名ばかりのご神体でも、別に構うことはないのだが・・・それを言うには、ここから感じる神気とやらは強すぎた。何もない、と言うにはいささか憚られる程度には。が、いるというには・・・なんか物足りないような?
「国を加護する神・・・中つ国の龍神のようなものか」
「確かに、すごい巨石だね。・・・しかし、神がいると言われても・・・」
神様といえば龍神、という固定概念があるせいか、それを引き合いに出して納得をみせる忍人さんと、感心したように巨石を見上げる風早だったが、俄かには信じがたいかのように難しい顔をする。まあ、普通「これが神様です!」とかいわれても反応に困るところではあるけど。うぅん、と唸っていると、今まで黙っていた遠夜が、じぃ、と巨石を見上げながら、ぼそりと呟いた。
(ここは、抜け殻。虚ろだ―――神はいない)
「え。ここに神様はもういないの?」
驚いたように姉さんが遠夜を振り返る中、私は一人あーなるほどー、とポクンと手を打った。なるほど、抜け殻。そうかそうか。何か物足りないと思ってたけど・・・中身がないんじゃそりゃ気配も薄いわ。元々ここにいたにはいたが、今はいない。ならばどこよりも強い神気の気配もわかるし、だけど物足りない、という理由も説明がつく。ここにあるのは名残だけで、本体は何処かにいってしまったと。そうかなるほどねー、と納得していると、姉さんの発言にぎょっと目を剥いて顔を強張らせるサザキさんとカリガネさんに、姉さんがしまった、というように口元を押さえた。
「あ・・・ごめんなさい。守り神がいないなんて・・・」
申し訳なさそうに身を小さくする姉さんに、サザキさんはいやいや、と首を横に振って感心したような、呆気に取られたようなそんな様子でつるりと額を撫でた。
「姫さんが謝るこたねぇよ。・・・やっぱ、中つ国の王は巫だっていうけど、わかっちまうもんなのか」
「・・・私には、よくわからないわ。遠夜がそういってるの。本当にそうなの?」
自分の力ではない、ということに複雑そうな顔はしながらも、そういって首を傾げて問いかける姉さんにサザキさんは遠夜、ねぇ・・・とちろりと黒尽くめの怪しいというしかない人物を見やってから、こくりと頷いた。
「まぁな・・・ここにいた神さんは、今出払っちまっている。――レヴァンタのところにな。奴の邸の結界も、ここの神さんの力だ」
「なっ」
「まさか、ここの神様をレヴァンタに奪われたの!?」
そんな!と声をあげる姉さんに、しかしサザキさんは非常に居た堪れなさそうに視線を逸らし、いや、まぁ、近いっちゃ近いんだが・・・と何故か言葉を濁した。
その歯切れの悪い言い方に、皆首を傾げて怪訝そうな表情を作る。その顔を見やり、非常に言いにくそうに、サザキさんは明後日の方向を見ながら口を開いた。
「・・・オレが、レヴァンタに売っぱらっちまったんだ」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はい?
「・・・何?」
「売り払ったって、・・・ここにいた、神を?」
衝撃発言だ。むしろ爆弾投下にも等しい。あんまりといえばあんまりな発言に、風早も、あの忍人さんでさえ呆気に取られたようなポカンと気の抜けた顔をしている。
姉さんだって売った・・?と目を見開いて固まっているのだから、その衝撃たるや相当なものだろう。かくいう私も、わぁ、なんて度胸の持ち主、と呆れよりも感心が先立つほどに驚いている。だって、この時代で、神様を売るとか、普通しない。てかできないと思う。名ばかりの神ならばまだしも、この世界では神は実際にいるのだから、不敬を働けばなにかしら神罰が下りかねないとすら思っている。そもそもこの時代背景で神様を、しかもよりによって自分のところの守り神を売るとか・・・・無茶もいいところだ。すごいなこの人。
なんともいえない、白けた空気に耐えられなかったのか、サザキさんはぶわっと背中の羽を膨らませながらなんだよ!と声を張り上げた。
「だってしょうがねぇだろ?守り神様って言ったって、ただの石っころだったんだぜ?そんなすげぇもんだとは思わないじゃねぇか!」
「だからって普通、売り飛ばすか?」
「普通は、しない、よねぇ・・・」
心底呆れた、と一気に力が抜けたように肩から力を抜いた那岐に、私も苦笑を隠せずにはは、と空笑いを浮かべる。それにサザキさんはうっと詰まりながらも、いやぁそれがな、と話し出した。
「レヴァンタんとこの妙な軍師が、やけに高値で買い取るからさ。こいつはうまい話だ、大もうけだと思うじゃねぇか」
「柊か・・・」
「柊は呪いや鬼道にも詳しいですからね」
苦虫を噛み潰したかのように忌々しげに舌打ちを打つ忍人さんに、さっと思わず視線を逸らす。うちの元従者がすみません・・・。柊、最早ただの悪徳商人そのままじゃないか・・・なにやってんのあの人・・・。
元従者の胡散臭いことこの上ない、現時点でこちらの被害にしかなっていない行動に思わず身悶えする。あぁ・・・本当なにやってんだろうあの人は・・・!色々ごめんなさい・・・!元は自分の従者であっただけに、ひっじょうに居た堪れない気持ちで頭を抱えていると、慰めるように水樹が顔をすり寄せてきた。うぅ・・・ありがとう、水樹・・・。その舌打ち混じりに「あの変態、八つ裂きにしてくれる・・・」とかいう物騒な発言がなければもっとよかったと思うけどね!比喩じゃなく実際に八つに引き裂きそうで恐ろしいよ君は!
そうこう悶えているうちに、話は進んだらしく、那岐が非常に面倒くさそうに問いかけていた。
「売ったときの金はどうしたんだよ」
「金は天下の回り物だぜ?行く先なんてオレが知るはずねぇだろ」
キメ顔でいうことじゃないよね、それ。ふふん、と偉い自慢気に言うサザキさんに、頭をかきつつ那岐が「つまり、使い果たした、と」そういって溜息を吐いた。
「それに、いくら金を積まれても返さねぇって言われたしな・・・ま、しばらく奴の用心棒紛いのことやってりゃ返してもらえる契約だ。そのうちなんとかなるだろ」
「そのうちっていつだよ」
「そのうちはそのうちだ。若い頃から細けぇこと気にすんな」
「細かくはないだろ・・・」
もうこれどうしようもないんじゃない?と両手をあげて肩を竦めた那岐に、誰もがははは、と笑って誤魔化すしかない状況だ。まさしくお手上げってやつですな。
ていうかサザキさん楽観的すぎない?契約に関してはきちんと書類を交わして文章化して証拠を残し尚且つサインなんかもしてきっちり明確化しておかないと踏み倒されるよ?証拠がないといいようにされるよ?そのうち、が明文化してないとなると、何十年たっても「そのうち」の範囲にいれられると思うんだけど・・・そこの危機管理はどうなってるの?真面目に彼の管理能力というか今後を危ぶみじっとりとした視線を向ける。この山賊の頭目でしょ?もうちょっとちゃんとした方がいいと思うよ、真面目に。
「と、いうわけだ。守り神さんを盾に取られちゃどうしようもねぇだろ?」
「サザキは、レヴァンタから守り神様を取り戻すのが目的なのね?」
「あぁ、そうだな」
「それなら、もし私がレヴァンタから守り神の石を手に入れたら守り神の石はあげる。そうしたら、もうレヴァンタに従わなくてもいいんだよね?」
確認するように、姉さんがサザキさんに問い直す。サザキさんはちろり、と視線を姉さんに向け、こくりと頷いた。
「確かに、そりゃそうなんだが・・・」
「だったら・・」
「だが、土雷邸の門は通せない」
キッパリと。先ほどまでのどこか間の抜けた様子とは違い、浮かべた表情は厳しく引き締まり空気が張り詰める。ピン、とゆるゆるだった糸が張るように一本の線が通ると、知らずこちらの背筋も伸びた。
「何か・・守り神のほかにも理由があるの?」
「こいつは、契約ってやつでね」
腕を組み、サザキはいっそ穏やかとでも言えそうな様子でゆっくりと口を開いた。
「奴とオレの契約がある限り、炎の結界は邸を守る。姫さんも諦めな。常世の国ってのはレヴァンタだけじゃねぇ。奴をぶっ潰しても次がくるだけだ。こういっちゃなんだが、オレが見た限り国見砦の奴等だけじゃ勝てっこねぇな」
そういい、聞き分けのない子供に言い聞かせるように目を細めるサザキさんに、姉さんは唇を噛み締め、けれど決然と顔をあげて胸を張った。
伸びた背筋は真っ直ぐで、視線だけは揺ぎ無く前を見て、一瞬、サザキさんが気圧されるようにたじろいだ。
「そうだとしても、私は、諦めない。高千穂で捕まった人たちを助けられるのは私達だけだもの。諦めたら、皆を見捨てることになる・・・それだけはできないし、したくないの」
「二の姫・・・」
ただ、真っ直ぐに。静けさの中の強い決意は、一体どこからくるのだろうか。
静まり返り、皆の視線を集める中、それでも真っ直ぐに立つ姉の背を見つめながら、私は小さな溜息を吐いた。彼女のあの細く華奢な体のどこに、こんな力があるのか。不思議なようで、けれど納得をしている自分もいる。彼女は、王族なのだろう。彼女は、神子なのだろう。彼女は、―――そうあるべくして生まれた、強くしなやかな、人間なのだろう。
あぁ全く。姉妹の癖に、全然違うのだから。
「また、来るね。もし気持ちが変わったら、国見砦にきて欲しい」
にこり、と小さく微笑み、颯爽と踵を返した姉に道を譲りながら、去っていく背中を見送る。暗い室内から、光の中に踏み出す姿はそれこそまるでこの先の姉を示しているかのようで、眩しさに僅かばかり目を細めながら、ふっと吐息を零した。
大体全員が外に出たところで、私も続こうと足を動かし、ふと思い立って後ろを振り返る。呆然と姉を見送っていたのだろう、サザキさんが足を止めた私を怪訝に見やる視線を受け止め、私は躊躇するように視線をさ迷わせてから、軽く眉を下げた。
「姉さんは、ああ言いましたけど・・・私は、来なくてもいいと、思います」
「え?」
「サザキさん達にとって、かけがえの無い大切なものを盾に取られているんですから・・・姫としては言ってはだめなんでしょうけどね。でも、守るべきものがある人達に、それを捨ててまで来いとは、私は言えませんから」
例えば、かつて熊野を守るために、中立でいることを決めた彼のように。誰にだって、守るべきものや、守りたいものがある。それが自分ではない何かなのか、自分自身なのか、それはわからないけれど。それでも、戦いにいけない理由というのは、誰にだってあるもので、それを無視してまで来いというような資格など、本当のところは誰も持ってはいないのだから。
ていうか、そもそも誰も血生臭いことに関わりたいなんて思わないだろうし。私だってできれば知らぬふりしてやり過ごしたいのだし。こんなことに巻き込むのは、本当のところ心苦しいのだ。それに、どうやら私が考えている以上に彼らにとって「契約」とはかなり重要な意味を含むらしいし。・・・もっとこう、書類による契約ではなく、儀式的な何かを交わしているのかもしれない。そういえばここファンタジー混ざった世界感だったな、と自分の与り知らぬ方法で縛られているのだとしたら、姉さんや私の要望というのは彼らに対してまさしく「無茶ぶり」だったのだろう。小さく笑みを零し、頭を軽く下げてから、急いで姉さんたちの後を追いかける。こんなところで置いてけぼりにされては堪らない。
部屋を出れば、どうやら狗奴の人たちが待っていてくれたらしく、私はちょっと足を止めて、彼らを見た。なんともいえない顔・・・いやあんまり表情がわからないんだけど、でも多分物言いたげな顔をしているのだろう彼らに、ちょっと考えてから、私は人差し指をたててしぃ、と声を潜めた。
「姉さん達には、黙っていてくださいね?・・・・・・誰だって、戦になんか、出たくはないはずですから」
頼めば、彼らは顔を見合わせ、それから目を細めて頷いた。
「三の姫の、願いとあれば」
「ありがとうございます」
あぁ本当に。戦なんて、なくなればいいのに、と浮かべた苦笑は誰に見られることもなく。