阿蘇に響くは鳥の歌声



 現代の明かりがない世界は暗いと人は言う。けれども、窓から覗く空に浮かぶ光源は確かに地上を照らしていて、電気というエネルギーにこそ及ばずとも不安を覚えるほどに暗いわけではない。が、やはり室内は松明の明かりだけでは確かにいささかの不満は残る。
 これからこの暗さに慣れなくちゃいけないんだよね、と思いながら急な山登りに張り詰めた筋肉を解すように、形良いふくろはぎを揉みこむ姉の前にお茶を差し出した。

「ありがとう、
「どういたしまして」

 弓を引き始めて間もない白く細い指が、お茶の熱にぬくめられた器を包むように受け取り、これぞ絶対的美少女と言わんばかりの姉のちょっときつめの美貌がほんわりと緩んだ。つり目勝ちの蒼い双眸が柔らかく細まり、ピンク色をしたやわい唇が弧を描くとそりゃもう我が姉ながらうっかりくらりときちゃうほど可愛い顔になるのだ。美人から可愛いの移り変わりは男心を掴んで離すまい。げに恐ろしきは美少女の笑顔だな、と思いながら自分のお茶を一口含んだ。

「今日は色々あったね。山登りなんて久しぶりだから足が疲れちゃった」
「普段そんなに運動しないしねぇ。山登りなんてそれこそ何時振りだろう」

 急な激しい運動は翌日の筋肉痛の不安を思い起こさせ、僅かに眉を寄せれば、姉さんは慣れるしかないんだよね、とはぁ、と溜息混じりに唇を尖らせた。
 疲れたよう、というよりも先に不安を覚えるかのような憂い顔に、まぁこれからの行軍は徒歩だろうし、嫌でも慣れるよ、とポンと肩に手を置く。基本向こうで育った身としては、こちらの人間の運動量(風早はともかく、那岐とかマジ大丈夫だろうか)についていくのは骨だろう。
 しかし、慣れざるを得ない状況なので、きっとしばらくの間は筋肉痛とは友好的な関係を築けるに違いない。それは嫌だよぉ、と泣き言を漏らす姉さんに、ガンバ、ととりあえず他人事のように応援の言葉を贈っておいた。

「他人事みたいに言うけど、だって大変でしょう?」
「確かに体力面でいえば不安しかないけど、甘いね、姉さん」
「え?」
「高校生と小学生じゃ小学生の方が順応性が高いんだよ!」

 中身はともあれ肉体は小学生!特に運動部に所属していたわけでもない姉さんに比べれば、そういうことに慣れる時間は恐らく短いに違いない。
 小学生の運動量を舐めてもらっちゃ困るのだ。正直スポーツテストとか低学年のときの方ができたクチだし!大きくなるにつれ、運動量というものが減るというのならば確実に姉さんよりも今の私が肉体的面で言えば有利である!体力はダントツ下ですけどね!あと身体能力も下の下ですけどね!そうじゃなくて、純粋に肉体的なものを考えると筋肉痛などから程遠いはずなのだ。若いっていいね!

「しょ、小学生ズルイ!」
「好きで小学生なわけじゃないやい!」

 若さが羨ましい!とほざく姉さんこそマジで若いわ!と心の底から言ってやりたかったが、それを現在の私がいっても嫌味でしかないので僅かな本音を漏らしつつ、つん、とそっぽを向いた。
 正真正銘の花の女子高生が何を言う。私なんぞ見かけだけ若いが中身はもうあれだ。うん。あえて言うまい。とりあえず、お茶でその場を濁しながら姉さんの足元を目をやった。

「・・・まぁ、なんにせよ、気休めだとしても寝る前に軽くマッサージとかするといいよ。ちょっとは違ってくるかもしれないし」
「うん。そうする」

 少しは筋肉の緊張をとればマシにならないかな、と思いながらお茶で暖を取るように掌で包めば、お茶を啜っていた姉さんがねぇ、と口を開いた。

「ん?」
「サザキたち、味方になってくれるかな」
「・・・さぁ」

 俯き加減に、じっとお茶を見つめる姉さんの顔は真剣で、私は曖昧な答えを飲み込むようにお茶を口に含んだ。ごくり、と程よい熱さが喉を通り、染み渡るように胃に落ちていく。

「彼らにも、彼らの守るものがあるから。こちらの我ばかりは通せないよ」
「うん。そうだね。・・・でも、サザキたちが味方になってくれたら、とても心強いと思うの。今は、とにかく仲間が多いに越したことはないと思うし」

 根城で彼に言われたことが気になっているのだろうか。これだけの戦力では話にならないといわれたようなものだもんね。まぁでも、彼の見方は確かにその通りだと頷かざるを得ないものだし、楽観的に捉えられる様なものじゃない。とにかく、戦力を増やさない限りはいくら姉さんが頑張ったところでどうにもならないだろうし。
 不安が尽きることはなくて、明日のことすら朧げで、未来に光なんて、とても小さなものでしかなくて。なんでこんな時代に戻されちゃったのかしら、なんて、愚痴めいたことも浮かんだけれど。ちらりと見た姉さんの、窓を見上げる横顔が、思う以上に凛と綺麗に見えたから、きっと姉さんのためにここに戻ったのだろうな、とそう思った。
 俯き、お茶の濁った水面を見ながら、大変だなぁ、と零れた吐息が僅かに波紋を作る。そこで、ふと姉さんが何かに気がついたようにきょろり、と顔を動かした。

「千尋姉さん?」
「・・・。今、何か声が聞こえなかった?」
「声・・・?」

 はて。聞こえたかな。辺りを見回しながら、耳の裏に手をあててよく音を拾えるようにと欹てる姉さんに、私も習うように耳を傾ける。そこで、ようやく意識の端にそれを捉えたのか、確かに、どこからか、響くように遠く声が聞こえて、私は目を丸く瞬きさせた。これは、声、というよりも・・・・。

「歌・・・?」
「こんな夜に一体・・・なんだか気になるな」

 そういって、お茶を脇に置いて立ち上がる姉さんに、私は慌てて声をかけた。

「待って姉さん。どこに行くつもり?」
「ちょっと、気になるから確かめに・・・あ、でも。勝手に出て行ったらまずいかな」
「まずいと思うよ。昼間ならまだしも、今は夜だし・・・」

 現代でも危ないってのに、この状況で1人出歩くとか、危険以外の何者でもない。夜に出歩くというよりも、1人で、ということの方が問題ではあるのだが。思いとどまった姉さんに確かに声の主は気になるがほっと胸を撫で下ろした。が。

「でも、声が聞こえるってことはこの近くなんだろうし、すぐに戻れば問題ないよね」
「え?いや、姉さん待って待って!」
「大丈夫、すぐ戻ってくるから」
「そうじゃなくて!姉さぁぁぁん!」

 言うが早いか、1人自己完結をした姉さんは人の意見なんぞちぃとも聞かないで、思い立ったら吉日!とばかりに颯爽と身を翻した。長い服の裾を大きく翻しながら、部屋の外に出て行く姉さんに伸ばした腕はなんとも虚しい。私は虚空を掻いた手をだらりと下しながら、はあぁ、と額に手を添えて大きく溜息を零した。

「今は水樹もいないってのに・・・なんでああも行動派なのかな姉さんは・・・」

 もうちょっと自分の立場とか状況とか考えて欲しい、と切に願いつつ、もう一度大きく溜息を吐いて、お茶をことりと脇に置いた。別に出歩くなとはこの際言わないけど、誰か共につけるとか一言言って出るとか、それぐらいのことはして欲しいなぁ・・・。
 何かあったらどうするんだ、全く!現代の女子高生でも夜中に出歩くときは家族に何か言ってから行動するぞ!・・・うん?あれ、この場合、もしかして私(妹)に言ってるからいっか☆みたいなノリなのかな?いや、現代ならいいけどここじゃ私に言ってもしょうがないでしょうが!報告するなら風早、那岐、水樹、最悪そこらの兵士がボーダーラインのはず!
 バレたら怒られるだろうに、いや、バレ無ければ問題は・・・いやいやそうじゃないよね。とりあえず1人ってのが問題だよね。・・・・・・あー、もー。

「・・・姉さん、待って。私も行くから!」
 
 とりあえず、護身用に呪符だけはいくらか具現化しておこう。逃げる時間ぐらいは稼げるはず、と思いながら私は出て行った姉さんを慌てて追いかけた。いや、まぁ、私がついていっても無意味な気もするが、1人でなんかあるよりも2人で事に当たった方がマシのはずだ。道中で誰かにあったら伝言を残して、出きるならば風早たちに会えたら1番いいんだけど、とりあえず姉さんを1人にしないことが先決だ。
 そう考えながら、追いついた姉さんがやっぱりも気になるの?なんて暢気に言うのに、はは、と乾いた笑いを浮かべてがくりと項垂れた。あなたが心配なんですよ、姉さん・・・。
 どうしたらこの人にもっと危機感というか、自覚というか、とにかくそういった類のものを持ってもらえるのだろうか、と悶々と考えていると結局誰にも会わないまま(砦の癖に何故人影がない・・!)森の中に分け入る羽目になった。あっれぇ?計画としては途中で誰かに会うはずだったのになんの罠なのこれ。
 遠ざかる砦の明かりに遠い目をしながら、確かこっちの方から、とあの一瞬でよくまぁ発生源の方向がわかるな、という姉さんの後ろをがさがさと草を踏みつけながらついていく。そうして、ザァァァ、と聞こえてきた水音に、姉さんと2人で足を止めた。

「・・・誰もいないね」
「うん、可笑しいな。気のせいだったのかな」

 水辺のせいか、いささかひんやりと湿気を帯びる中で、暗い辺りを見渡す。月明かりは明るいものの、細部を見渡せるかといえば口ごもるしかない状況で、姉さんは難しい顔をして、ここだと思ったのに・・とぼやいていた。
 私は諦めきれないのか辺りを見回す姉さんに、もう気のせいでいいじゃないかと思いながらも視線を水辺にやり、そこに歪んで映る月を眺めて肩から力を抜いた。
 ・・・何もないなら、誰かにバレる前に帰った方が得策だな。2回目の説教はさすがに勘弁願いたい。ただでさえサザキさん達の一件でちょっとお説教食らったのに・・・いや自業自得なので大人しく拝聴しましたけれど。私よりも姉さんの方がお説教の時間長かったし。
 姉さんも怒られるのは嫌だろう、とそろそろ帰ろうよ、と水面に向けていた視線を姉に戻したところで、再びどこからともなく、部屋で聞こえた歌声が静かな森に響き渡った。

「!・・・やっぱり、気のせいじゃないよ。声が聞こえる」
「・・・・・・・誰、だろうね」

 ちぃ、と思わず舌打ちを打ちそうになったが、姉さんが目の色を変えて拳を握るので、私は出そうになった溜息を内心で零して、辺りを警戒するようにきゅっと唇を引き結んだ。
 別に、悪い予感はしないけれど、かといってこんな真夜中の森で楽観視するわけにもいかない。とりあえず物陰に潜むように場所を移動し、2人で息を潜め辺りを注意深く窺っていると、がさがさ、と私達以外の足音がして、はっと視線を音の発生源に向けた。
 がさがさ、と、草を踏みつける足音は一定だが、1つだけ。複数人ではないらしい、と思った途端、視認できる位置までぼんやりと月明かりに照らされながら水辺に現れた人影に、私はぱちり、と瞬いた。

「・・・・美形、だね」
「うん。綺麗な顔してるね・・・」

 感嘆符混じりに思わず囁きあって、私たちはうっかりうっとりと見入ってしまった。
 2人して何言ってんだ、と言うなかれ。木々の陰から水辺に現れた人物は、儚げな美少女風美少年を体言している、なんとも神秘的な美少年、いや美青年?だったのだ。
 すらりと長い手足、うねりがかかった短い髪に、月明かりに照らされた肌はどうも白くはなく、褐色に色づいているらしい・・・アジアンテイストな美青年だ。
 物陰に潜むようにしているので、あまりちゃんと見れているわけではないが、それでもその整った顔は確認できて、なんだこいつはメインキャラか、とうっかり思った私は間違いじゃないはずだ。だって、なんか重要ポジションにいる人間、ことごとく美形が多いんだもんよぉ。
 なんだろう、この狙い済ましたかのような美形率。・・・やっぱり遙か系列なのかなぁ、と悩んだところで、湖の畔に立った青年は、微かに息を吸い込むと何か、言葉にならない、旋律としか聞こえない、けれども確かな透き通るような声を、静かに水辺に響き渡らせた。

「わぁ・・・綺麗な声。あの人が歌声の主だったんだ」
「――・・・・」

 感嘆を零して、うっとりと聞き入る姉さんに、確かに綺麗な声だな、と思いながら私は眉を潜めた。・・・・聞き覚えが、ある気がするんだけど・・・。
 どこで聞いた?と悩んでいると、姉さんは声をかけるかかけまいかで迷っているようだった。どうしようか、と小声で尋ねてくる姉さんに、私は少しの逡巡の後、もうちょっと聞く?と小首を傾げた。

「折角歌ってるんだし・・邪魔したら悪いよ」
「そっか・・・そうだね。綺麗な歌だし、私ももう少し聴いていたいな」

 せめてあれが誰か特定できるまでは接触を控えたい、なんて打算はともかく、個人的にまさか歌を盗み聞きされてたとか自分なら恥ずかしくて死ねる、という個人的感情も含めて、姉さんに提案すればあっさりと同意を得てそのまま盗み聞き続行となってしまった。
 このまま去ったらイベントはやっぱり失敗だよなぁ、と思いつつ、こちらに気がつかぬままやはり旋律としか例えようの無い言葉無き歌声は夜の水辺に、水音と混じって響き溶け込んでいく。

「それにしても、誰だろうね。あの人。どこかで会った気もするんだけど・・・」
「え?姉さんも?」
「うん。でもどこなのかはわからないんだ。すごく、近くだった気もするのに・・・」

 そういって眉を寄せる姉さんに、ほわぁ、と呆けつつなるほど、と私は1人頷いた。となると、やっぱり関係者、あるいはメインキャラの1人といったところか。
 姉さんに覚えがあるのならば確実になんらか関係のある人物に違いない。が、肝心の誰かってことまでは私も姉さんもわからないんだよねぇ・・・。はて。誰なのだろうか、あの人。
 身近にいたような気もするんだけど・・・しかしこんな美形、見かけたら早々忘れないと思うんだけどなぁ・・・。
 うーん、と悩んでいると、もう少し近くで聞けないかな、という姉さんの呟きが聞こえ、私がえ?と声をあげる前に、物陰から出て行った姉さんは臆することなく青年に近づいた。・・・て、おいおい姉さん安全か危険かもわからないのに迂闊な行動は・・・!
 飛び出すか否か、迷ったときにはすでに遅く、近づいた姉さんに気がついたのか、ピタリと辺りに響いていた歌声は止んで青年がこちらを振り向いた。・・・なんだか女として悔しい気がするぐらい美少女顔だな!

「あ、ごめんなさい。邪魔をしてしまって・・・」

 止まってしまった歌に、姉さんが申し訳なさそうに眉を下げる。青年は僅かに驚きに見張った目を、すぐに申し訳なさそうに潤ませて小さく首を横に振った。

(すまない。・・・すぐに消える)

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ん?
 聞こえた声に琴線が触れた刹那、青年は呆気に取られる姉さんを振り返りもせずにくるりと踵を返した。実に素早い行動だ。こちらの反応すら伺う様子はなく、すたすたと軽快な足取りで去る背中に、姉さんが慌てた様子で声をかけた。

「待って!どうして逃げるの?」
「って、姉さんだから無闇に追いかけないでー!」

 逃げたら追うの条件反射かい!思わず突っ込みつつ、去ってしまった青年の後を追いかけるように駆け出した姉さんに、こちらも慌てて物陰から飛び出して追いかける。
 なにこのイタチゴッコ!走る姉さんの後を必死で追いかけていると、いきなり姉さんはピタリと足を止めた。それにこっちも慌てて足を止めると、呆然と背中を向ける姉さんに怪訝に顔を顰める。

「姉さん・・・?」
「遠夜・・・」
「はっ?」

 遠夜、だって?呆然と呟いた姉さんに目を見開くと、慌てて彼女の背から前を窺うように体の線をずらせば、そこには怪しさ大爆発!とばかりに見慣れた黒装束が佇んでいた。
 ・・・・夜中に見ると益々怪しいな、この衣装。そう思いつつ、マジマジと黒装束を眺めて、私はあー、となんだか非常に納得を覚えた。この軍でこんな衣装を着ているのは1人しかいないし、それに、そうだ。あの声。耳というよりも頭の中に響くような、あの歌声。
 そしてあの黒装束から聞こえていた声は、あれだあいつだ熊野別当、もとい、某声優さんで・・・あぁ、なぁるほどー。

「さっき歌っていたのは、遠夜なの?」
(そうだ。・・・すまない)
「どうして謝るの?素敵な歌なのに」

 暗く謝罪を落す遠夜に、姉さんは不思議そうに首を傾げる。私はその様子を窺いつつ、あの下はある意味で予想通りの美形だったのか・・・と期待を裏切らない結果になんとも言えない気持ちで1人ほぉ、と嘆息した。

(神子が恐れる・・・蒼瞳に影が映る・・・)
「ううん・・・言ってる意味がよくわからないよ・・・」
「遠夜、毎回思うけど抽象的過ぎると思うよ?」
(愛し子まで・・・すまない)

 難解な言い回しというよりも、マジでフィーリングで察してね!と言わんばかりの言い回しに姉さんも私も困った顔をするしかない。うん、理解するにはちょっと難しいよ、遠夜・・・。
 そこで姉さんの影に隠れていた私もようやっと認識したのか、益々遠夜は申し訳なさそうに背を丸めた。まるでその姿を私達の前から消そうとでもいうようで、果たして何が彼をそこまでさせるのか?と首を捻った。考えられることと言えば、やっぱり顔を見たから、なのかなぁ?

(・・・これは棺。これは咎)
「棺・・・?」

 ・・・って、なんかまた物騒な例えを持ち出すんだな。穏便ではないその話に眉を寄せると、姉さんはいまいちピンときていないのか、怪訝そうな顔を作って首を傾げていた。

(棺から逃れた土蜘蛛を人は恐れる。だから・・・)
「棺って、もしかしてその服のこと?・・・顔を見せたことを謝っているの?遠夜」

 まぁ、流れから察するにそうだとは思うのだけれど。そう思いながら、むしろそれ着てた方が怪しすぎて怖いと思うんだが、と内心でぼやく。人の価値観はわからんもんだなぁ。そうしみじみ考えていると、確認のように問うた姉さんに、遠夜はこくりと頷いた。そうしてもう一度すまない、としゅんと落ち込んだ気配を見せるので、姉さんは慌てたように首を横に振った。

「謝る必要なんてないよ。隠さなくてもいいと思うし」
(・・・どうして?怖くはないのか?)

 ・・・・・この人、自分の顔が一般的にみて美形に位置している自覚がないのだろうか・・・。
 心底不思議そうに姉に問いかける遠夜に、もしかして土蜘蛛の美的感覚は一般とはずれているのだろうか、とふと思った。単純に自分の顔への自覚がないだけならいいけれど、美意識にズレがあったら大変かもしれない。
 恐らくこてり、と小首を傾げたのだろう遠夜に姉さんはにこ、と笑みを浮かべた。

「怖くなんてないよ。むしろ好きかな」
(えっ・・・)

 さらっと今姉さん告白しよったな。にこやかな笑みと共にさらりと告げられ、遠夜も驚いたように一瞬体が強張る。気配からも驚愕が伝わり、私は生温い視線を向けた。
 ともすれば語尾に「遠夜の顔」とかつきそうなちょっとお姉さん面食いかい?と思うような台詞だが、恐らく何も考えず思ったことを口にしただけだろう姉さんに、いらぬ含みはないだろう。・・・まぁ、美形には嫌と言うほど耐性がついてるしねぇ。
 驚いている遠夜に姉さんは一瞬きょとりと不思議そうな顔をして、それからあっ。と気がついたようにあわあわと挙動不審に腕をじたばたと動かした。

「っと、その、これはえっと、別に、そんな、深い意味は・・・!」

 自分の発言がいかに際どかったのか気がついたのか、姉さんのうろたえようが半端ない。顔を赤くして唸りながらなんとか誤魔化そうとする姉さんに、遠夜の無言の圧力、いや多分本人に圧力をかけているつもりはないんだろうけど、でもやっぱり何も言われないと結構精神的にきついものがあるのだろう。遠夜曰く棺とやらのせいで表情もわからないし、なんだが坩堝に入っていく姉さんが見ていられなくて、私ははぁ、と気づかれないように小さな溜息を吐くとにっこりを笑みを浮かべた。

「ね、遠夜。遠夜の瞳の色は私と同じだね。でも遠夜の方が私とは違って綺麗な紫苑色だ」
(同じ・・?)
「そう、同じ。私、遠夜とお揃いの色で嬉しいな。遠夜の顔が見れたからお揃いだってわかったんだし、それに歌も優しい歌ですごく素敵だった。遠夜の歌には全然全くこれっぽっちも敵わないけど、私も舞をね、ちょこっとだけ舞えるの。いつか遠夜の歌と一緒に合わせられたらいいなって思うよ」

 まぁそんな機会はほぼないだろうがな!舞いとかもう何年舞ってないことか。ただでさえ凡人の域を出ないというのに・・・まぁ舞う機会なんぞそうそうあるわきゃないからいいんだけども。自分がらしくないことを言っていることは自覚しつつも、いささかの照れは隠せない。
 ともすれば熱の篭る頬を誤魔化すように益々笑みを深めれば(あぁもうこんな台詞普通なら言うはずないってのに!)、遠夜は益々驚いたように呆気に取られた空気を醸し出した。
 まぁ、あれだけ謝ってくるのだからまさか褒められるとは考えたこともなかったに違いない。それでもにこにこと笑みを崩さずにいると、姉さんもようやく気を取り直したのか、こほん、と咳払いをして遠夜に向き直った。

「・・ねぇ、さっきの歌、もう一度聞かせてくれる?」
「あ、いいね。できたらでいいんだけど・・・私ももう一度聞きたいな」

 とりあえずこの微妙な空気をなんとかしたい。姉さんの提案に便乗する形で乗り込めば、姉さんはだめかな?と小首を傾げて上目に遠夜を見上げた。
 遠夜は僅かの逡巡のあと、こくり、と小さく首を上下した。

(・・・わかった。神子と愛し子が望むなら)

 そうして、一拍ほど間を置いて、零れ出た歌声はさきほどと同じように優しく透明に、辺りに響き渡った。耳をそばだてなくても聞こえる、遠夜の言葉にならない歌声。ただの旋律のような、けれども優しく響く、遠夜の、歌声。
 しばらく聞き入るように耳を傾けて、私はそっと姉さんと遠夜を盗み見た。
 瞳を閉じてうっとりと聞き入る姉さんと、棺でわからないけれど、きっとさっきみたいに優しい顔で歌っているに違いない遠夜。


 不意に、2人に誰かの面差しが、重なって消えたように、見えた。