阿蘇に響くは鳥の歌声



 穏やかに零れる歌声にしばらく聞き入っていたが、やがて辺りを包むそれを破るように、自分達を呼ぶ聞きなれた声にはっと2人から視線を外した。

「おーい、千尋ー。どこにいるんですかー?」
どこにいる?!」

 割とのんびりとした風早の呼びかけに対して、なんてか水樹焦りすぎじゃね?と思わないでもなかったが、まぁ性格の差かな、と納得をつけて姉さんと顔を見合わせた。
 あー・・・結局誰にも何も言わずに出てきちゃったからなぁ・・・・。見つかる前に帰るのは無理だったか。

「千尋、。怒ったりしないから出てきてください。那岐も心配してますよ!」
「なっ・・・あんたが無理矢理連れてきたんだろう?」
ー!ーー!!」

 的外れでもないが、何か噛み合わない3人の会話になんともいえない顔を作る。とりあえず、那岐は風早に振り回されていそうだな、という感想を抱かずにはいられなかった。あと水樹は2人にもっと注意を払おうよ。声しか聞こえないというのになんだかリアルに場面が想像できて、マジ個性強いあいつら、と思いながら顔を見合わせた千尋姉さんと一緒になって眉を下げた。

「いけない。何も言わずに出てきちゃったから・・・」
「置手紙くらい残してくるべきだったね」

 反省の色を見せてどうしよう、と呟く姉さんに、今回は私もなんの処置も取ってこなかっただけに強く出れない。ほれみたことかと思わないでもないのだが、私も誰にも告げていない時点で同類だ。お叱りの言葉は甘んじて受けるほかない。
 ふぅ、と肩から力を抜いてお説教嫌だなぁ、でも申し訳ないことしちゃったなぁ、と悶々と考えていると、何時の間にか止んでいた歌の合間から、遠夜がしゅん、と落ち込んだ気配を醸し出した。

(・・・・・・・・・すまない・・・)
「気にしないで。悪いのは私だもの。もごめんね、折角注意してくれたのに」
「いいよ、姉さん。何も言わずに出てきちゃったのは私もだし。姉さんだけのせいじゃないから」

 なので怒られるときは2人一緒だ。まぁ、風早からお叱りを受ける可能性はないような気もするけど・・・。忍人さんにバレなくてよかったな、としみじみ思いつつ、でももう戻らないと、と傾いた月を見上げた姉さんが僅かに目を細めた。

「皆に心配かけちゃうよね」
「・・・・まぁ、事がこれ以上大きくなる前に戻るべきだね」

 今はまだ多分風早たちしか事態を把握していないようだが、あんまり遅くなるようだったら砦中に知られることになるだろう。それで大規模な捜索隊なんぞ組まれたりしたら居た堪れなさ過ぎて部屋から出られないよ・・・。出させてもらえない気もするが。
 とりあえず、規模が身内で済んでいる間に戻るのがベストだ。本当なら誰かに悟られる前に戻るべきだったのだが、まぁこうなった場合は次の最善を選ぶしかない。
 声を頼りに風早たちのところに合流しようか、と姉さんに話しかけると、しばらく何か考えていたのか黙っていた遠夜がふぅ、と吐息を零した。

(わかった。戻ろう。こちらが近道だ)

 近道とか、あるんだ・・・。いきなりそういって背中を向けた遠夜に、へぇ、と感心した声を零すと、ざくざくと草を踏んで歩き始めた遠夜の後に続いて茂みに入る。
 傍から見たら黒尽くめの不審者についていっているというなんとも言えない光景ではあるのだが、中身が遠夜だし・・・服の下美形だしで、最早危機感はないに等しい。
 遠夜と一緒にいたから平気だよ、とかでお説教免除されないかしら、とちらりと思わないでもないが、誰にも言わなかったということが恐らく焦点になるのだろう、とちょっぴり憂鬱な溜息を吐いた。
 そんな中、黙々と茂みの中を歩いていた姉さんが、何かを思い当たったかのように(あるいは、ずっと考えていたのかもしれないが)ねぇ、と前を行く遠夜に話しかけた。

「遠夜。やっぱり、普段も顔を見せた方がいいんじゃないかな?」
(・・・どうして?)

 ピタリ、と遠夜の足が止まる。それにあわせて私達の足も止まると、振り返った遠夜は困惑を隠さずに疑問を口に乗せた。

(棺から出たら、人は土蜘蛛を恐れる)
「私やが、遠夜のこと怖がっているように見える?」
(・・・神子は、違う。神子はワギモだから・・・愛し子も違う。愛し子は愛し子だから)

 ・・・いや、私だけ理由になってなくない?姉さんのワギモだからっていうのも全くわからないんだけど、ああまた遠夜のフィーリングな会話か・・・。理解できない会話にいささか考えるように眉間に皺を寄せ、もうちょっとこう、一般人にわかるように解説はつかないものか、と思っていると姉さんはそんなことない、と首を横に振った。

「きっと、皆も同じだよ。顔が見えれば遠夜の考えていることがもっとわかるようになるし、他の皆もきっと喜ぶと思うわ」
「・・・まぁ、顔が見えて喜ぶかどうかは人それぞれだとしても、顔が見えないよりも見えたほうが馴染み易いのは確かだと思うよ。表情が見えないと、何を考えているのかわからなくて結局敬遠しがちになっちゃうから」

 人間表情は大事だよ、表情は。人と話すときは目を見るのが礼儀っていうんだし。まぁ、でも。

「衣を脱ぐのが辛いなら、無理にとは言わないけど」
「・・・やっぱり、その服を脱ぐのには抵抗ある?遠夜が嫌なら、私もそのままでいいと思う」

 顔が見えないのは残念だが、とちょっと悲しそうに微笑みつつ言う姉さんに、黙ってこちらの話を聞いていた遠夜はふるふる、と首を横にふった。

(棺から逃れることに痛みはない。・・神子と愛し子の願いは叶える)
「えっ。本当?」
(棺から出ると、神子は嬉しいか?)
「うん。私は遠夜の顔が見られるほうが嬉しいな」

 ね、。と話を振られたので私も同意しつつ、まぁ普通にそんな黒尽くめでいられるよりも顔見えたほうが話しやすいし、と内心で留めておいた。・・やっぱり、全身黒尽くめはいかがなものかと思うんだよ・・・。

(わかった。神子と愛し子が笑うなら、棺はいらない)

 そう言い、ばさり、と衣擦れの音をたてて遠夜はあの無駄に長くて異様な存在感を放っていた服を、躊躇い無く脱ぎ捨てた。もうちょっと躊躇いってものはないのだろうか、と思わないでもなかったが、見えた顔はどこか物憂げな美青年の顔で、こちらに視線を合わせた遠夜に、姉さんははしゃぐように手を叩いた。

「うん。やっぱりその方がいいと思うよ」
「涼しげになったねぇ」

 冬場はいいけど、夏場とかあの格好でいられたら逆に剥ぎ取りたい衝動にかられるから、自ら脱いでくれて嬉しいよ。今の季節すらちょっと抵抗があったものだから、こっちのが涼しげで見ている分にも気が楽だ、とうんうんと頷く。てか本当、あの服の下がこんな美少年とか、王道すぎて空笑いが零れる。

「・・・ね、遠夜。私は遠夜の顔が見れて嬉しいけど、遠夜は本当に大丈夫?嫌じゃない?」
(・・・あぁ。これでいい)
「そっか。よかった。じゃぁ、早く風早たちのところに戻ろう」

 遠夜から否定の言葉が返ってこなかったことにほっと安堵の表情を浮かべて、姉さんは意気揚々と拳を握った。私はその様子を見ながら、きっと明日になったら周囲から好奇の視線が集まるのだろうなぁ、とそれはちょっと可哀想だなぁ、と思いながら遠夜の顔を見た。・・・衣とっても基本感情の起伏が小さいのか、あんまりよく表情はわからないのだが、遠夜は何か考え込むようにきゅっと唇を引き結んでいた。・・・ん?

「・・・どうしたの?遠夜」
(・・・わからない)

 実は抵抗があったのか、と思いながらそろそろと尋ねると、遠夜は困惑を隠せない様子できゅっと眉を寄席、小さく首を横に振った。

(歌が生まれ、歌が消えていく。確かな形はなく、澱みたゆたう・・・・苦しみはない、・・・痛みも、ない。これは・・・・・これも、徴か)

 一人言、なのか・・・?戸惑い理解不能なこちらを差し置いて、何やら1人納得をして解決を見出した風な遠夜に、何も言えないまま首を捻っていると、横で姉さんがなんだか決意を新たに拳を握っていた。

「遠夜の顔は見えて表情は読めるようになったけど・・・遠夜が何を言っているかわかるには、もっと頑張らないといけないね」
「いや・・・あれは頑張っても無駄な類だと思うな・・・」

 あれはきっと感覚とかそういう問題であって、こちらがわかるにはそれこそ遠夜みたいなフィーリング人生歩まないと一生理解できない気がする。あと基本的に自己完結で終わってるっぽいし。あれだな、遠夜はもう少し伝える努力をするべきだと私は思うよ、うん。
 ぼそっとしたツッコミは姉さんには届かず、とりあえず遠夜の悩みも解決したみたいだし、姉さんは新たな目標を立てたみたいだし、いい加減戻らないと捜索隊が組まれるやもしれない、と私は軽く頭を振ると意識を切り替えた。

「さ、水樹たちのところに戻ろう」

 そう話しかけると、姉さんはそうだね、と頷いて遠夜もこくりと頷いて再びこっちだ、と止めていた足を動かし始める。その後についていきながら、ほどなくして松明がゆらゆらと燃え立つ砦の明かりと外観が見え、本当に早かったな、とほへぇ、と感心の声を漏らした。

「わ、もう砦に着いたよ。本当に近道だったんだね」

 見えた砦に千尋姉さんがすごいすごい、と喜んでいる合間に、遠夜も嬉しそうに口元を綻ばせる。もしかして、姉さんが喜ぶたびにあの服の下で、彼はこうやって同じように微笑んでいたのかもしれない。姉さんを見つめる紫苑色の双眸は愛しいという感情を惜しげもなく浮かべていて、見ているこっちが気恥ずかしさを覚えるぐらいだ。
 思わず視線を逸らすと、私達がいるところは真逆の方向から見慣れた人影が戻ってくるのが見えて、あ、と口を丸く開けた。

「3人も帰ってきたみたいだね」
「え?あ、本当だ」

 声に出せば、風早たちに気がついたのか姉さんが身を乗り出すようにして茂みから体を出す。それに遠夜は無言、いや私たちにしか聞こえない声で、そっと後ろに下がった。

(神子と愛し子を心配していた。・・俺はもう行く)
「あ、遠夜。ここまで送ってくれてありがとう」
(2人が良いなら、良い)

 そういって、小さく微笑むを遠夜は気配もなく、夜の森へと踵を返した。いや、砦には入らないの?と思ったのだけれど、いきなり服を脱いだところを見せるのももしかして抵抗があるのかもしれない、と思い当たってとりあえず見送ることにした。溶けるように闇に消えた背中を見送ると、姉さんの姿を捉えたのか風早の声が聞こえて、そこでようやく遠夜から視線を外して正面を向く。
 那岐と風早に囲まれる姉さんに、怒られる心配はなさそうだなぁ、と思っていると不意に目の前が陰り、気がついて見上げれば眉間に皺を寄せた水樹が目に入り、あれ人型?と首をかしげた。いや、着目点はそこじゃないか。

「み、水樹・・?あの、怒って、る・・・?」

 よねー。むっすりと、不機嫌です、と顔に書いてあるようないかにもな顔つきでじっとこちらを見下ろす水樹に、うわ、と罰が悪くなってしどろもどろに言葉を濁す。
 無言で見つめてくる水樹の圧迫感は半端なく、やっぱり顔立ちが整っているだけに迫力もすごい。自分に非があるだけに言い訳を言うのにも気が引けて、睨み合いに耐え切れず視線を逸らすと、頭上からはあぁ、と大きな溜息が聞こえて咄嗟に首を竦めた。

「・・・心配、した・・・」

 へ?
 ふわり。そんな擬音がつきそうなほど優しく、すっぽりと体が何かに包まれる。無意識に閉じていた目を開けると、眼前には濃い青の布地が見えて、恐る恐る視線をあげれば、眉間に寄せていた皺は解けることは無くとも、目には明らかな安堵と心配が映っていて、あぁ、これは、うん。罪悪感倍増だ、と私は肩から力を抜いた。

「・・・心配させてごめんね」
「全くだ・・・何かあったらと・・・。せめて書置きぐらい残していってくれないか」
「うん、ごめん。次からは気をつける」

 ぽんぽん、と肩口に寄せられた水樹のさらさらとした黒髪を撫で付ければ、益々ぎゅうっと抱きしめる腕の力が強くなる。かといって苦しいと思うほどの力加減でもなくて、ちょっと強いかなってラインを引いているあたりはさすが水樹というべきか。
 とりあえず、相当心配させてしまったらしい。怒られるより堪えるなぁ、と思いながら慰めるように水樹を撫でていれば、その様子を見ていた姉さんもさすがに罰が悪かったのか、しゅん、と落ち込んだ様子で上目に水樹を見た。

「あの、水樹。ごめんなさい。勝手に出て行ったりして・・・風早も那岐も。心配かけたよね」
「2人が無事なら俺はそれでいいんですよ。でも、ここはあそことは違うんですからもう少し気をつけて欲しいとは思いますが」
「本当だよ。おかげでこんな夜中に森に行く羽目になったじゃないか」

 いい迷惑、とうんざりしたように肩を竦めた那岐に、姉さんがうっと怯んだように項垂れる。私はその態度にフォローする言葉もなく、ははは、と苦笑いを零すと、やんわりと抱きしめていた腕の拘束を解いた水樹が、ゆっくりと姉さんを振り返った。

「千尋」
「はい?・・・て、あの、み、水樹・・・?」

 低い声で、水樹が姉さんを呼ぶ。その呼びかけに那岐に必死に謝っていた姉さんが水樹を振り返ると、ひぃ、と小さな悲鳴を零して顔を引き攣らせた。じりじり、と姉さんの足が水樹から遠ざかるように後ろに下がる。が、姉さんが逃げ出す前に、素早く伸びた腕が姉さんを捕らえ、作られた握り拳が姉さんの両サイドの米神を挟み、ぐりぐりとねじ込まれた!

「お前は、立場を、自覚しろと、言っただろうが!!」
「い、イタイイタイ、わーん、ご、ごめんなさい~~っ」

 ぐりぐりの刑に処される姉さんが、半分涙目で水樹から逃げようとするのだが、しかしがっちりと捕らえられた米神は放される様子はなく、むしろ逃げようとしたせいか益々姉さんの悲鳴が大きくなったような気が。

「た、助けて風早~!」
「うーん、助けてあげたいのは山々なんですが、水樹もとても心配していたんですよ。多少のお仕置きは我慢してください」
と大分態度違うけどね・・・ま、自業自得だ、千尋。しばらくお灸を据えてもらうんだな」
「そ、そんなぁ・・・って。イタイ、イタイよ水樹ーーー!」
「当たり前だ。この出来の悪い脳みそに叩き込まなければならないんだからな」

 そもそもお前は~とその状態でお説教に入った水樹に、姉さんの半泣きが本泣きになりかける。賑やかしい光景にいささか呆気に取られそうになったが、えーん、と聞こえた姉さんの泣き声にはっとして、私はにこにこと微笑ましいですねぇ、とばかりに和んでいる(和む場面なのか?これは)風早とにやにやと笑う那岐(楽しそうだな、お前!)の間を抜けて、水樹を止めるために声を張り上げた。

「水樹、姉さんだけが悪いんじゃないから!今回は私にも非があるから、そこまでにしてあげてっ」

 慌ててぐりぐりと米神に拳をねじ込む水樹の手を止めながら、~と泣き付いてくる姉さんをよしよしと慰めて、私はちょっと不満そうな水樹に苦笑を返した。
 まぁ、教育的指導は、悪いことじゃないとは思うんだけどね。