流離う流星、虚栄の大地
齎された知らせは、決して楽観的にだけ捉えていいものではないのだと、真面目な顔で知らせを持ってきた伝達兵を見つめながら、僅かに眉を潜めた。
日向の一族が作り出していた結界が消えた。そう知らせを届けてくれた兵に労いの言葉をかけてから、1人残った自室で思案に暮れる。腰掛けた椅子の背もたれに体重を預けながら、キシキシと揺らしてじぃ、となんでもない壁の陰影を見つめた。
「きっと、この機に土雷邸に乗り込むんだろうね」
「胡散臭いが、これほどの好機はこれっきりだろうからな。今行かねば、助けられるものも助けられん」
呟くように話しかければ、肩からの同意にそうだね、と深く納得の返事を返す。結界が突如として消えたことは水樹の言うとおり胡散臭い。しかし、邸に入るのに障害となっていたものがない今、行かないという選択肢もほぼ皆無だということだ。
恐らくほどなくして、姉さんか、風早、まぁあるいは兵士の誰かから、出陣の声かけがくるだろうと見込んでいる。なんとなく砦内部もざわついているようだし、仕方ないのかなぁ、と思いながら小さな溜息を吐いて椅子を立った。
荷物、というほどの荷物は持たない。武器、という武器も持たない。せいぜい具現化した札の装備と傷薬や包帯といった救急道具を携えるだけで、心許ないといえば心許ない装備に視線を泳がせ、きゅっと下唇を噛んだ。道具を掴む手が細かに震えているのがわかる。
それを誤魔化すように治療道具をいれた袋の口を、手が白くなるほど握り締めると水樹が殊更静かな声で、気遣うように声をかけてきた。
「、無理はするな。行きたくなければ行かなくてもいい。・・お前に戦は似合わぬ」
「それは、姉さんには似合ってるみたいな言い方だよ、水樹」
「」
「・・・ごめん。わかってる。ありがとう、水樹」
別に、そういった意図で水樹が言ったわけではないとわかっている。私を気遣っただけなのだということは。ただの冗談風を吹かせての軽口のつもりだったけど、僅かに水樹の声が低くなったからすぐに謝罪を口にして知らず寄っていた眉間の皺を解すように、親指と人差し指で揉みこんだ。
頭痛がしそうだ、と思いながら、冷えていく心中を宥めるように、一つ深く呼吸をする。
「でも、行かないといけない気がするの。本音を言うと行きたくないんだけど、本当に引きこもっていたいんだけど、全部丸投げにしたいんだけど。でも、なんでかな。行かないと、いけないって気がしてる」
可笑しいよね。あの時みたいに、強制されてるわけじゃないのに。所詮ゲームだし、なんて軽く考えてるわけじゃないのに。私には、ちゃんと逃げられる選択肢が用意されてるのに。なのに、わざわざ危険なところに行こうだなんて、行かないと、なんて。全く、勇者にでもなったつもりなのか。浮かべた苦笑いは多分に自嘲を含み、それを隠すように手で覆い隠し、ゆっくりと表情を消して顔から手を退かした。
それでも震える手を、青褪める顔を、萎縮する手足を戻す方法がわからない。
この世界にきて初めての戦。それにきっと人を相手にするのだろう。荒霊とかいうものでもなく本当に人と殺しあう場所に行くのだろう。まぁ、人であろうと荒霊であろうと戦うこと事態怖くて怖くて気持ち悪くて逃げ出したくてどうしようもないのだが。この手はまた人の体を傷つける感触を覚えるのだろうか。武器は持っていないけれど、もしかしたら持たされるかもしれない。戦場で、丸腰なんて、危険極まりないことだから。人を傷つけるものを持って、戦場で、誰も傷つけないなんてことはないのだろう。きっといつか。戦場で、武器を手に取ったならば。私は。
ぞっと背筋を何かが走りぬける。瞼の裏に映るのは思い出したくも無い光景で、震える自分の手に握られた剣が、あまりにも鮮明に思い出された。ザァ、泡立つ肌にぐっと奥歯を噛み締め、ともすれば屑折れそうな両足に力を篭めて体を支える。恐ろしい、と戦く内を殺す術は、まだ見つからない。
「それに、サザキさん達が気になる」
内心の恐怖から目を逸らすように、もう一つの懸念を口にすれば水樹の眉間が寄った。
「あいつらか」
「うん。だって、どう考えても可笑しいと思わない?炎の結界が消えたって事は、楽観的に考えればサザキさん達がこっちの味方になったとも取れるけど、その割に姿は見せないし。彼らの、ていうか彼の性格なら顔ぐらい見せにきそうなのに、その影も形もないなんて・・何かあったとしか思えない」
もしも、彼が敵のままならば。結界は維持され、まんじりともしない日々を過ごすに留まるだろう。だが現実はどうだ。彼らは姿を見せず、結界は消えている。罠かと取れそうな不自然な様子は、彼らの身に何かあったと思うに十分ではないだろうか?
これでも人生経験は豊富な方だ。それぐらいの思考は巡らせることはできる、と思いながらも、もし本当に、彼らの身に何かあったとするならば。
「私たちの、せいかな・・・」
「まだそうと決まったわけではない。あるいは本当にただの罠かもしれぬ」
「それはそれで問題だけどね。うん・・・とりあえず、行かなきゃ何もわからないんだよね」
どういう意図で炎の結界が消えたのか。現場に行かなければ何もわからないままだろう。事件はまさに、現場で起きているのだから。あーなんか映画みた、じゃなくて。
「・・・怖いなぁ」
ぽつりと零れた本音は、あまりにか細くて、自分の耳にさえ届いたかどうか、曖昧だった。