流離う流星、虚栄の大地



 星が一筋、地に落ちる。





 私がこの邸に来るのは今回が初めてのことだ。石畳の上を歩きながら、邸の真正面に構える入り口に向かう姉さん達の後ろ姿から視線を外し、周囲にぐるりと視線を走らせた。
 私が眠っている間に一度ここに訪れたらしい姉さん達の歩みに迷いは無く、むしろいくらか気が急いているのか足が速い。小走りにこそならないが、それでも大股で行かないとすぐに私は先頭の一団から遅れを取ってしまうことだろう。
 そんな中で見渡した邸は、さすが常世の八雷とかいう大層な肩書きを持つ人間の邸で、外門から中庭までの距離があり、専属の庭師でもいるのか草木が整えられて見目にも気を遣っているようだ。
 所々見える石柱もオブジェはなんだか東洋というよりも西洋のイメージが強いが、常世って文化圏はどっち寄りなのかな。黒雷さんの格好から見ると・・・西洋寄りか。なんでそんな文化の発展をしたんだろうなぁ。ともすればズレがちになる思考は、ピタリと歩みを止めた一団によって強制終了の幕が下される。
 立ち止まった姉さんの背中を見上げ、それから周囲を見渡すと四隅に高い石柱が聳え立ち、目の前にはピッタリと口を閉ざした門扉が堂々と構えていた。・・・門兵はいないんだろうか?外の門には一応兵がいたので即行で周囲が沈めていたんだけど・・・。
 結構無用心、と思っていると、様子を窺うように門扉に近づいた姉さんが、ある程度の距離まで近づくと足を止めてぐるりと辺りを見渡した。

「本当だ、こんなに近づいているのに火がついたりしない・・・」
「間違いなく結界は消えているみたいですね」

 ・・・現場にいなかったので私にはよくわからないが、ある程度近づくと炎が現れる仕組みになっていたのかな?すっげぇ物騒な仕掛けだなぁ・・・。まぁ、風早の言うとおり、結界の名残はあるけれど実際に発動に至るほどの力の流れは感じない。完全に断ち切られている様子に、一抹の不安が胸を過ぎる。
 考え深そうにどうして・・・?と呟く姉さんに、遠夜が声無き声で疑問に答えた。

(神の力が失われた。契約が違えられた)
「神の力って・・・サザキたちが言っていた守り神様のこと?・・・その力がなくなったから、結界が消えたんだね」

 納得したように深く頷く姉さんを尻目に、私は遠夜の説明にあぁ、と内心で憂いの溜息を吐いた。そっと、視線を落すように瞼を伏せて自分の足元を見る。
 ・・・契約が違えられたということは、決して彼らの望むところではなかったということなのだろう。違えたというのであれば彼らの意思。それならそれでいいと思うが、違えられたということは一方的な約定の破棄に違いない。そうなれば、サザキさん達がどうなったかなんて・・・考えるまでも無いことだ。
 では何故一方的な契約の破棄が起きたのか?それもまた、考え込むほどのことでもない。つまり、私たちが彼らと接触を図ったが故に起きたことなのだ。あるいは会話すらも盗み聞きでもされていたのかもしれない。ふつふつと湧き上がる罪悪感にぐっと奥歯を噛み締めると、慰めるように水樹が頬を寄せてきた。その冷たい感触にぎこちない笑みを口の端に浮かべると、姉さんたちの会話を尻目にふぅ、と深呼吸をして両手を軽く前に突き出した。(なんだか会話が遠夜のことになっているようだが、そういえば私達以外彼の素顔をみたのはこれが始めてなんだっけ。説明忘れてたな)
 意識を集中させて、鏡の姿をイメージする。リィン、と頭の中で軽やかな鈴の音が聞こえると、一瞬の後には手の中にずっしりと重みが加わり、両手には天地命鏡がその存在を重厚感と共に押し出していた。
 相変わらずなんかえらい存在感のある鏡だこと。そう思いながら邸の中を探るように自分の顔を鈍く映す銅鏡に意識を集中させて鏡面をじぃ、と見つめる。すると波紋が広がるように鏡の表面が俄かに波打ち、ぼんやりと鏡に自分の顔ではないどこかが見え始めた。
 むむ、と眉を寄せて更に意識を集中させる。やがて波紋は落ち着き・・・・落ち着き・・・・・・・・・・・あれ?

「・・・・なんか、波紋が消えないね」
「結界の力の残滓が鏡の力を阻害しているのだろう」

 いつもならすぐに収まるはずの波紋が、まるで見るものを邪魔するかのように絶え間なく広がっていく。歪んだ鏡面でははっきりと邸の中を窺うことはできず、とりあえず大体こんな感じなんじゃね?というぐらいのことしかわからない。人っぽいのも見えるんだけど、波紋が邪魔ではっきりとしない。可笑しいな、と首を捻れば、水樹がこれ以上見ても負担がかかるだけだ、といって鏡を消すように言った。

「でも、これから戦うんだし・・・ちゃんと見たほうが・・」
「いくらの力が強いとはいえ、神の力も並大抵のものではない。それを越えて物を見ることは想像以上に負担がかかる。先を思うのならば、無理はしないことの方が懸命だ」

 今力を使って今後に支障を来たしては障りがあるだろう?と諭すように言う水樹にそれもそうか、と納得して大して情報は得られなかったがそれも止む無し、と鏡を手元から消した。
 まぁ、大雑把だけどなんとなく雰囲気がわかったし、全く何もないよりはマシだろう、多分。
 そうは思うが不安は消えず、何よりこれから人との戦だと思えばできる限り回避ができるだろうルートの模索は個人的に必須だったが故に、思わぬ誤算に幾分か気分が落ち込んだ。自分のためは勿論だが、姉さんや那岐のためにも、あんまり人間同士の争いなんて経験させたくないんだけどな・・・。
 まだ遠夜のことについて何か言い合っている姉さんたちをちらりと見やり、くっと下唇を軽く噛む。彼女たちは幼い頃にあちらに飛んだのだ。現代での教育は自覚がないまでもきっと体に染み付いているだろうし、そもそもが優しい彼らに武器を持って人を傷つける「争い」など似合う筈もない。今後人をその手にかけたとき。彼らがどうなるか、心配だからこそ出来うる限りの対策は講じていたいのに、肝心なときに使えない自分の力に情けなくなる。
 出来うるならば、その手が人を害することなどなければいいのに、と。願う心とは裏腹に、聳える門扉の向こうからは不穏な気配しか感じられない。思わず溜息が零れそうになると、何か姉さんに向かってまたきっついことでも言ったのだろうか。微妙な顔をしている姉さんを尻目に、こちらを振り返った忍人さんと目が合い、きょとん、と首を傾げた。

「三の姫」
「忍人さん?」

 こちらに近寄ってくる忍人さんを見上げると、彼は真剣な顔で私の前で立ち止まるときゅっと眉を寄せて今回の戦だが、と重たそうに口を開いた。

「常世の者とはいえ、人間が相手の戦だ。荒御霊のようには行かないだろう。できるならば、砦で待っていて欲しかったが・・・止むを得ない。無理はせず、水樹や、俺たちの傍から決して離れないように」
「はい」

 真剣な顔で、時折心配そうに顔を曇らせつつ、そういって懇々と言い聞かせる忍人さんは恐らく一番この先をことをわかっている。将軍なのだから当然だが、それでも戦というものがどういうものなのか、この中では一番わかっているだろうだけに言葉の重みも違って、気を引き締めるようにこっくりと頷いた。

「水樹も、その姿は不意打ちには最適だが今の状況が状況だ。人の姿となり三の姫を守って欲しい。それに、邸の中では急ぎ行動することも増えるだろう。もしものときは君が三の姫を抱えて走れ」
「仕方あるまい」

 ちら、と私の肩にいる水樹に視線を向け、そういった忍人さんに水樹も同じく伸ばした首を上下に振ってから、すっと私の肩からおりて・・・ふっとその姿を人型に変じた。ぼふんとか効果音でもあればわかりやすいのに、瞬きの一瞬を縫うかのように静かに変じるから、なんかこう、切り替えがしにくい。すぐ横に長身の人影が立ち、その手の中に見慣れない棍棒が握られているのに首を捻りつつ(こんなもの持ってたっけ?)人型になった水樹は腰まで伸びた長い黒髪をさらっと揺らしながら驚く周囲の視線も省みず、忍人さんを真正面に見据えた。背後で「亀が・・?!」「え、あの人三の姫の亀だったの?!」「すげぇ!」「一体何者・・・?」とかいう声が聞こえるんだが、そうか。水樹基本的にあんまり人前で人型にならないから、亀=水樹の法則は浮かばないんだな・・・。いや当たり前か。普通亀が人間になるとか考えない。毒されてきたかなぁ、と思っていると、水樹は忍人さんを見下ろしつつ(水樹の方が忍人さんより高いのだ)ふん、と鼻を鳴らした。

「安心しろ。お前達に何があろうとだけは私が守る。せいぜい死なぬよう努力するんだな」
「いや水樹。せめて姉さんは守ってあげて」

 私だけ生き残っても意味ないから。あっさり他は知らん。と言い切る水樹に周囲のことも手伝ってフォローを入れると、水樹は千尋は風早が命がけで守るだろう、と言い切った。いやそりゃ守るだろうけどさー。そういう問題じゃなくて、と米神に指を添えると、忍人さんは相変わらずだな、とぽつりと呟き、それでも幾分か気が晴れたかのようにふっと口元を歪めた。

「君が三の姫の傍にいればこちらも戦に集中できる。頼んだ、水樹」
「お前に頼まれるようなことではない」

 だから水樹、言い方ってものがね?眉を潜めるが、忍人さんは君らしい、と一言頷いてからもう一度私を振り返り、最後に一言二言残して、颯爽と踵を返した。
 慣れてる・・・?あれ?水樹と忍人さんってそんなに関わったことあったんだっけ?昔に何かあったのだろうか、と首を捻っていると、水樹は少しな、とそれだけ言ってさっさと邸の中に入っていってしまった忍人さんの背中を見送った。
 ・・・・って、おーい!

「うわ、忍人さん行っちゃった!」
「そうですね。ここであまりもたついてもいられません。千尋、俺たちもそろそろ行きましょう。邸の中の兵たちに気づかれない間に、なるべく先に進まなくては」
「うん、わかった。行こう、みんな。中にはきっとたくさんの常世の兵がいる。気をつけて!」

 風早の進言に、千尋姉さんもこっくりと頷き、後ろを振り返りながら拳を振り上げる。それに、おぉ、と声が返ってくるのに姉さんはよし、と呟いてから、私を振り返った。

も、できる範囲でいいから罠や捕まっている人たちのことがわかったら教えてね。それと、絶対に離れちゃだめだからね!」
「うん。わかった。気をつけるよ」

 でも正直姉さんの方が心配だよ私は、とひっそりと思いつつ、それでも顔だけは真面目に引き締めてぐっと拳を握った。
 聳える門の奥、進む先に待ち構えるものに、ごくりと唾を飲み込んだ。