女神様のお気に召すままっ



 青年の人生は、なるほど。波瀾万丈と呼ぶに相応しいアップダウンの激しい一生であったことは間違いようもないだろう。これで平凡な人生だったんです、と言おうものなら各所から「嘘つけ」と頭を叩かれること請け合いである。
 微睡の中自分に刻み込まれていく「記憶」を、まるで「記録」のように眺めてため息を零す。
 他愛ない家族と周囲の愛に包まれた穏やかな幼児期。微笑ましいの一言に尽きる、なんの変哲もない子供の、泣き虫で頑固で愛くるしいひと時の、穏やかさ。やがてバレエと音楽を知り、悔し涙とそれ以上に輝く瞳で溺れていく時間。できないことができるようになる感動に震えながら、ひたすらにのめり込む時間のいとおしさ。そのまま進めばきっと少年はその道を選んだであろうに、やがて出会ったのは、少年の全てを捧ぐ、たった一つ。淡い初恋の先で、少年は恋をも凌ぐ出会いをするのだ。
 冷たく分厚い銀盤の世界。削れる氷の音。木霊する音楽に、少年の世界はたった一つ、広くも狭い銀盤の上だけになっていく。染まっていく。塗り替えられていく。音楽と氷と踊りだけの世界に浸って、溺れて、周囲を顧みもせず。そうして、また、少年は出会う。いや、見つけたのだろうか。
 白銀の世界に一人。佇む王様。あぁ、見つけなければよかったのに。眺める私は無責任にもそう呟いて、少年の世界に銀とアイスブルーの色が加わる。白銀の世界に、それによく似て非なる色彩が映えて、染まっていく姿はきれいなのに寒々しい。美しいと思うけれど、悲しい光景だな、とそう思う。切り離された世界で、彼はまるで氷に溺れていくようにまた沈んでいくのだ。
 追いかけて追いかけて、手を伸ばして逃げられて。銀盤の世界だけを追い求めて、周りなんて見ないから周囲の期待がただ重たい。
 少年は、ただただ氷の世界が大好きで、氷の世界で一人たたずむ皇帝を愛していて、それだけで完結していた世界は、強固なようでひどく脆い。周りがその世界を壊そうとしてくるから、それが煩わしくて五月蠅くて、だから少年は弱かった。その世界だけを守ることに必死で、決して強くはない少年は閉じこもる他に術を知らなかった。周りは確かに少年の・・・少年から青年に変わる彼を確かに愛していたのに。決して青年の世界を壊そうとしていたわけじゃない。結果としてそうならないとは言い切れないのが世間というものだが、それでも周りは、青年と青年の世界を愛していたのは違いなかったのだから。盲目的だったんだなぁ、と思わずにはいられない。
 ピシリと一つ、青年の世界に罅が入る。一度刻まれた罅が青年を追い込んで、青年の全てから青年を遠ざけようとする。逃げる彼を、諦めた彼を、引き留めたのは――「かみさま」。
 それからの人生は、まさしくジェットコースターのように目まぐるしい。白銀とアイスブルーの世界に、色彩が重なっていく。まるで春に花がその蕾を開かせていくように色づく世界は、青年の凍える世界を溶かして、青年の傍らに、途方もない愛が寄り添った。
 離れては寄り添って、堅く握り合って、突き放して、それでも離せないと手を伸ばして、掴みとったのはどっちだったのだろう?挫折の先の栄光。驚きと愛しさに満ちたその人生を、例えるのならば、きっと「幸福」というのだろう―――その先に、心砕けるほどの絶望が待ち受けていても。





 なるほどだからこういう形なのか、と何回目かの微睡から目覚めた私は満足に動かすこともできない手足をばたつかせながら、どうしたものかなぁ、とむぅん、と唇を尖らせた。
 幸福の先の絶望―――青年・・・「勝生勇利」の神様たる「ヴィクトル・ニキフォロフ」なる男は、勝生勇利の目の前で死んだ。あぁうん。そりゃ青年の人生の半分以上は捧げた相手が目の前でいなくなれば発狂も止むをえまい。それでも人は前を見て生きていけるけれど、青年・・勝生勇利の心は、それができるほどに強くはなかった。強いというか、ちょっと全部注ぎ過ぎて自分の手元に残してたものが少なすぎていたというか・・・もうちょい比重をどうにかした方がよかったんだろうなぁ。あぁでも死に方も問題だったのだ。ヴィクトル・ニキフォロフは勝生有利を庇って死んだ。皇帝の陥落を認めなかった熱狂的なファン・・・どちらかというと狂信者的な存在に襲われた勝生を庇ったヴィクトルが凶刃に倒れ、帰らぬ人になった。
 トラウマ確定の上に精神的に逝っちゃうには十分な出来事である。それを責めるつもりも叱咤するつもりもないが、それが運命を歪めてしまうほどの狂気を生み出すと一体誰が想像したであろうか。
 そう―――認めないと叫んだ心が、他人を自分として生まれ変わらせる程度には、やっちまったな!感が半端ないのである。
 さて、改めて自己紹介をしよう。このパターンは長い私の可笑しな人生の中でも中々起こりえなかった現象である。
 私の名前は。ゲームも漫画も二次元も真っ青な転生とトリップを繰り返した精神年齢年寄通り越して化石に突っ込み始めた花の女子高生。うん?女子高生?・・・遠い昔だなぁ。
 そして今生。あの不可思議謎空間で遭遇した青年「勝生勇利」の願いを受けた私は青年にとっての「あってはならない」未来を変えるため、この世界に生まれ落ちた。


「勝生勇利」という、男の子になって。


 人間って怖いな、と、しみじみと実感するには十分な出来事ではなかろうか。
 あー・・・・現実逃避してぇ。
 こんな現実受け止められないよ!って、どこかの誰かも言っていたのに。