地球人的野菜生活。



 そういえば、筋斗雲って普通に車ぐらいのスピードは出せるんだよねー。最大速度がどれぐらいかなど知らないが、とりあえず物凄く速いだろうことはなんとなく想像ができる。
 遥か上空、高度何千メートルかなど知らないが、少なくともそこらの山よりも遥かに高い上空だ。なにせ山が足元にあるのだから、その高さなど推して知るべしというものだろう。そんな中、遮るものなど何一つとしてない青空の元、眼下に広がる雄大な風景に感動しながら――なんつー余裕もないまま、凄まじいスピードで飛び続ける雲の上で、必死に父親にしがみ付いてまるで現実逃避のようにそんなことを考えていた。周りの風景など見ている余裕など一体どこにあるというのか。正直父親にしがみつくことで一杯一杯です。頬を打ち付ける圧が痛い。耳の横を通り過ぎる風の音はまるで何かに怒っているみたいにゴゥゴゥと唸り声をあげて、そうか、これが筋斗雲の乗り心地なのか、と顔を引き攣らせた。
 はしゃぐ悟飯の声がまるで遠い世界の出来事のようだ・・・正直風圧のせいでいまいち聞き取れなかったりもするわけだが。うん。なんというか、筋斗雲舐めてた。あれだ、そう、つまり、あれだ。超怖いこれ。なにこれマジ怖い。絶叫マシンも真っ青の超アクティビティである。
 体感速度でいえば恐らく時速六十キロ・・・いや、高速道路で考えれば大体八十~百キロ程度の速度としよう。その程度、と日頃車に乗られている方は思うかもしれないが、風から身を守る外枠など何もないのだ、筋斗雲には。バイクに乗っている方はだからどうした、というかもしれない。だか筋斗雲は地上ではなく大空を翔けているのだ。なんの安定感もない、投げ出されれば普通に一貫の終わりである空の上を。
 果たして、一般人がなんの囲いもない乗り物に乗って、山よりも高い上空を時速百キロはあるだろうスピードを出す乗り物にのって、平静でいられるだろうか?しかも、だ。ここには、乗り物には不可欠の安全を保障するための体を固定する器具など存在しない。車であるならシートベルト。ジェットコースターであるなら安全バー。万が一投げ出されないための確かな保障など、見た目ただの黄色い雲である筋斗雲にあるはずもなく。あるのは私を抱える父親の逞しくも筋肉質な腕と、必死にしがみつく小さな己の手の握力のみ。それが、たったそれだけが、この空飛ぶ雲での私の命綱である。やっべぇマジ舞空術教えてもらうべきだった。たらり、と垂れる冷や汗も瞬時に強風によって吹き飛ばされるので、きっとお父さんも悟飯も一生気づかないだろう。まぁ、ある意味でお父さんの腕はどのシートベルトや安全バーよりも強固且つ力強いものだろうが(なにせこの片腕一本で大岩を砕き大木をへし折り担ぎ上げることが可能なのである)それが父の腕である以上絶対の安心などあるわけがない。だって人間である。生き物である。そしてこのドがつく天然の父親である。多分安全管理とかあんまり考えてない。何かの拍子に放されでもしたら、飛ばされる自信があるぐらいには、筋斗雲の風圧は凄まじかった。私は今、死と隣り合わせに空を飛んでいる・・・!
 とりあえず悟飯危ないからもっとこっちおいで!はしゃぐな!両手放すな!!筋斗雲そんな面積ないんだから、もっとこっち寄りなさい!!

「おと、おと、お父さん、も、もっとゆっくり・・・!」
「んー?何か言ったか?
「お父さん、滝まだかなぁ?」
「もうちっとだ、悟飯」

 駄目だ聞こえてない・・・!私の必死の訴えも、呑気な父親と兄の前では風塵のごとし。むしろ、この恐ろしい状態で通常営業であるこの二人に、私の気持ちなどわかるはずもなかった。つーかこの世界の人間はどこかしら肝が据わりすぎている節があるので、ぶっちゃけ私のこのさながら絶叫マシンに乗っているかのような恐怖感に共感してくれる人間はいないかもしれない・・・。てか絶叫マシンなんて目じゃねぇよ!遊びじゃねぇもんこれ。マジで普通にただの恐怖体験だよ・・・!高所恐怖症になるよ?!ひぃぃ、という悲鳴も出せないまま、お父さんの膝の上で縮こまってひたすらこの絶叫マシンに耐える。正直肉体的には、時速百キロだろうがそれ以上だろうが耐えられる気はしていた。風圧は確かに肌を打ち付け痛くもあるが、内臓的な部分への負荷はあまり感じられないからだ。さすがサイヤ人の血である。いや、ドラゴンボールの世界の体、といえばいいだろうか。あーなんか今初めてトリップじゃなくて転生でよかったと思った。これで普通にトリップしてたら、私きっと耐えられなかったと思う。肉体的に。だがしかし、いくら肉体的によくても精神的には全然全くよくない。よくないったらよくない。とりあえず父よ、必死にしがみつく娘に気が付いてくれ。めっちゃ密着してるんだよ!?そりゃもう服を破かん勢いでめっちゃ握りしめてますよ!?なんでこの父親は気づかないんだ・・・!

「ありえないありえないありえない怖い怖い超怖い落ちたら死ぬまじ死ぬ普通に死ぬ」
、どうした?随分大人しいなぁ。気分でも悪いんか?」
「え?!、気分が悪いの?大丈夫?おうちに戻る?」

 ガタガタと恐怖に打ち震えながらまるで呪詛のようにぶつぶつと呟くことで気を逸らしつつ、早く目的地についてくれ・・・!と必死に祈っていると、ひょっこりと今更?!とでもいうタイミングでお父さんと悟飯が顔を覗き込んでくる。
 その顔の、そっくりなことといったら!心配そうにきゅっと眉を潜めて、大丈夫?戻る?戻ろうか、と相談する父子に、うっと罪悪感が襲う。いや別に私が悪いわけでもないはずなのだが、なんというか・・・この人畜無害な幼い顔は、何故か非常に人の罪悪感を煽るのだ。中身がそれはもう純粋無垢な人間だからだろう。薄汚れた大人にはその純粋さがいささか居心地も悪くあり、羨ましくもあり、といったところか。そも、実を言えば、この遠出を楽しみにしていたのは、ぶっちゃけ私よりもお父さんと悟飯であるといってもいいのだ。元よりあまり外に出られない体である。
 健康優良児どころか闘うことが大好き、体を動かさないと死んじゃうの、とばかりに動き回る父親と、泣き虫で臆病ではあるが、やっぱりその血を受け継ぎなによりも生き物や自然に大層愛着を持つ悟飯。悟飯は母の教育方針のためか、座学も重要視しているけれど、基本的にはやはり外に出て山の生き物を観察したり遊んだりすることが好きである。総じて、外が好きなこの父と息子にとって、私を外に連れ出せないことは酷く不満であったらしい。まぁ、体の問題があるので仕方なし、と納得はしているのだけれど、それでも自分たちと同じように外で動き回ってほしいだとか、一緒に動きたいだとか、そう考えていることは知っている。何より、自分たちの好きなものを知ってもらいたいという欲求が強いことも。
 だから、こうして私を外に連れ出せることはこの二人にとって割と重要な意味を持つようなのだ。お父さんはあわよくば武術をさせたいと思っている節があるが、でもとりあえず外で動き回らせたいと思っているようだし。自分の知っている世界を、子供にも見せてやりたいという親心・・なんてことをこの能天気な父親が考えているかは定かではないが、少なくとも家の中にばっかりいることを好ましくは思っていないのだろう。悟飯に至ってはいわずもがな。兄妹として同じものを共有したい、子供としてなんの制限もなく遊び回りたい。そんな欲求はごく当たり前に存在し、渇望するのは自然なことだ。何よりこんな辺境というよりも秘境に近い山奥で、人間なんて家族程度にしかいないのだ。その中で更に同じ年ぐらいの、と言えば、私しかいるはずもない。遊び相手に私を求め、共に遊べる時をこれ以上ないぐらい待ち望んでいたとしてもそれはなんら可笑しいことではないのだ。
 そんな二人が、楽しみにしていた今日というこの日。だというのに、私の体調を慮って帰ろうかという相談をする。・・・うん、非常に居た堪れない。
 実際ただひたすらこのジェットコースターも真っ青な絶叫系雲のマシンが怖いのと普通に強風が寒くて震えているだけで、体調自体は今の所どうということもないのだ。要するにさっさと目的地について地面に下してもらえれば済む話なので、戻る必要性はない。まぁ、・・・帰りもこれに乗って帰るのかと思うと憂鬱ですけどね!さておき、そんな状態で、この優しい父と兄の楽しみを潰すのは忍びなかった。元気だし、私。

「・・・大丈夫だよ、お父さん。悟飯。ちょっと・・・うん、ちょっと、体験したことのない高さとスピードにびびってるだけだから」
「そうか?あんま無理すんなよ」
「何かあったらすぐ言ってね?僕、が苦しいのはやだよ」
「悟飯・・・」

 優しい子だな、もう!お父さんの服を握りしめる手の片方を取って、ぎゅう、と握ってくる悟飯にきゅんとときめきを覚えつつ感動していると、悟飯はそうだ、とぽんと両手を叩いた。

、筋斗雲にあんまり乗ったことがないから怖いんだよね?」
「え?あぁ、うん。まぁ・・・そういうことになるのかなぁ?」

 しかし乗り慣れることができるのだろうか、これ。首を傾げながら、それとはまた違う気もする、と思いつつ悟飯に同意を示してみる。別に絶叫マシンが大嫌いというような極度の怖がりでもないが、安全の保障が一切ないこの状態では好き好んで筋斗雲を乗り回したいとはあまり思わない。ジェットコースターが楽しいのは安全が一応保障された「遊び」だからだ。筋斗雲にどうにかシートベルトをつける方法はないものか、そう明後日の方向に思考を飛ばしたとき、悟飯はにっこりと無邪気に微笑んだ。・・・・ん?

「筋斗雲って、すっごく楽しいんだよっ。なぁんにも怖くないんだから。ね、お父さん、あれやってよ、あれ!あれをやったらも筋斗雲に乗るのが楽しいって思うよ、絶対!」
「あれ?・・・あぁ、あれかぁ。そうだな。あれやったらも楽しくなるよなっ。よっし、じゃぁしっかり捕まってろよ。悟飯、
「へ?」

 人の頭上で与り知らぬ会話で意気投合を果たした父子を、果たしてなんの意味もわかっていない私が、どうやって止めることができたであろう。
 子供とは、時に無邪気に、時に悪意なく。
 残酷な所業をいとも容易く行うことができる生き物だと、どこかで誰かが言っていたのに。ちなみにこの子供の部分には悟飯だけでなくもれなく悟空お父さんもついてくるのであしからず。
 ぐん、と急な圧のかかる体。それと同時に、大きく傾いだ体は重力の流れに逆らえないかのように引っ張られ、父親の筋肉質な胸板に押し付けられる。何故、重力が、横にかかってくるのか。下ではないのか――その考えに思い至る前に、ふと前をみた。父の胸板に半ば乗っかるような形でみた前方の風景は、ただただ、光り輝くような青が視界一杯に広がり――次の瞬間には、頭の下に、稜線連なる山々が逆さまに見えたのだ。あぁ―――これって。

「ひぎゃああああああああああァァァァァァ!!!!????」
「お、楽しそうだなー!」
「お父さんお父さん、次はあれ!あれやって!くるくる回ってずどーんって落ちるの!」
「おう!そーれぇっ」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!!!!!!!」

 きりもみしながら真っ逆さまに落下する筋斗雲。かと思えば宙返り半回転。ぐるぐる回って九十度に上昇。上へ下へぐるぐる回ってまた下へ上へ。重力なんて考えない。動くたびにふわっと浮き上がる内臓、だのに風圧に押さえつけられる体。平衡感覚も見失う、空も地面もわからない。わかるのは、悟飯の笑い声と、父の肉厚の胸板程度。眩暈すら覚える、凄まじいスピードによる安全装置なしの空飛ぶ雲の曲芸走行。



 そうだ、舞空術を学ぼう。



 自分の身の安全は、自分で保障しなければ。
 死んだ魚のように濁った眼で、ぐったりと筋斗雲の上で死にかけている私に大慌てな二人の声を聞きながら、そう堅く、堅く、決意をした。
 自力で飛べれば、落ちてもとりあえず死ぬことはないもんね・・・。でもとりあえず、無茶ブリしやがった悟飯とお父さんには、あとでお母さんに叱ってもらうことにする。お母さんに泣きついて、たっぷりこってり絞ってもらうんだからあああああ!!こんの、無邪気な悪魔どもめえええええ!!!