地球人的野菜生活。



 悟飯は従順である。まぁこの年齢の幼子にとって親とは絶対的なものなのだから、従順であることはなんら可笑しなことではないのだが、それにしても従順・・・もっと可愛い言い方をすれば、素直すぎるんじゃないか、と思うのだ。
 とはいっても、まだまだ悟飯は片手の指に余るほどの齢しか重ねていない幼児である。理性よりも本能が勝るのはごく自然なことで、むしろこの年で本能よりも理性が勝っている私の方が異常なのである。それでも悟飯は誰の影響か知らないが、同年代の子供よりもよっぽど理性的だとは思うけどね。いや結構ぎゃん泣きすることあるけど。うん?やっぱり普通の子供か?
 さておき、だからこれはごく自然なことであって別に悪いことでもないし、いや悪いことなんだけど、でもやっぱり当たり前だよなぁ、とも思うわけで。
 部屋の隅で、めそめそと泣きくれる悟飯の横にちょこんと座りながら、どうしたものかなぁ、と頬杖をついて悟飯を眺めた。
 大声で泣き喚くことこそしないものの、一向に泣き止まぬままずぅっとめそめそ泣いている悟飯は見ているこちらとしても辛い。子供の泣き顔を好き好んで眺めるような嗜虐趣味はないのだ。どちらかというと、太陽に笑ってる呑気な顔の方が好ましい。けれども、理由が理由なだけに泣かないで、とも言い辛い。・・なんてか、この年の子供にしてみればごく当然に、言いつけられたことよりも目先の興味が勝ってしまった結果、珍しくもお母さんの雷が悟飯に落とされてしまったわけで。
 言いつけられたお勉強を疎かにして、部屋の玩具で遊んでしまった悟飯は確かに悪い。足元に片付けられることもなく放置されているお馬さんや車の玩具を見下ろしながら、それでも、それは当然のことだとも思う。悪いことなのは確かだ。やることやって遊べばいいのに、できなかったのだからそれは「いけない」ことだ。けれども、子供がそう毎回毎回親の言いつけを守って行動できるのかと言われれば、そんなこたぁ有りえない、と一笑に付す。当然だ。子供は人形ではないのだから。
 うーん。お母さんも母親一年生な部分があるから、叱る限度とその後の対処法が危ういんだよなぁ。今回の場合は、叱る、というよりも怒る、に近かった。少々感情的になっていた部分は否めない。元より初めての子育てだし、私は・・・まぁ例外中の例外だから扱いもさほど難しくないことは解りきっている。その私を間に挟んでの、悟飯だ。こりゃぁ扱いが上手くいかないのも致し方ない。見た目子供の中身大人と、見た目も中身もただの子供と、同列に扱っちゃ思うようにいかないのは当たり前だ。その中で父親は仕事もせずに修行三昧。ちょっと苛ついて、その苛立ちが抑えきれないで悟飯に向けられた。うむ。なんかこう、重なっちゃったんだよなぁ。そんな母の気持ちもわかる分、なんとも言い難い心境で私は悟飯にそっと呼びかけた。

「悟飯」
「うっうっうぅ・・・うえぇぇん・・・・!」

 呼びかけても、悟飯の涙は止まらない。むしろ益々ひどくなったかのように、蹲って泣き出す始末だ。おぉう。思ったよりもこりゃぁ大変だぞー。こんな時お父さんがいれば、と悔やまれる。あの能天気で何気に本質をズバっと見抜く父がいれば、こんな大仰なことにはならないのになぁ。母の矛先は父に向かうし、そんな父は案外母を宥めすかすのが上手いというか基本的に母が折れることの方が多いし。こういう時にこそ出てこい働かない大黒柱。修行してる場合じゃないぞ、お前の妻と息子が冷戦状態だぞ。こちらの気もしらないで、汗水垂らして修行しているのだろう父に遠い目を向けつつ、私は悟飯の頭にぽんぽん、と軽く触れた。

「悟飯。お母さん、もう怒ってないよ?」
「うえぇぇん・・・っ」
「悟飯・・・」

 呼びかけても悟飯はこちらをちらりとも見やしない。蹲って尻尾を丸めながら、くぐもった泣き声ばかりをあげる悟飯に、お手上げだ、とばかりに天を仰いで出そうになる溜息をぐっと堪えた。溜息なんて吐いたら益々悟飯が泣いちゃうよ。子供ってのは空気に敏感なのだから。
 どうしようかなー。お母さん呼んだ方がいいかなー。ていうか泣く子供よりも怒ってる大人の方が話つけやすいよねー。お父さんマジ早く帰ってこい。早々に泣く子供の世話に匙を投げそうになりつつ、結局のところ、と悟飯の頭を宥めるように何度も撫でながら目を細めた。
 お母さんがさっさと戻ってきて悟飯に一声かければ済む話なのである。子供相手に張る意地もなかろうに、それでもやってこないのは悟飯への反省を促すことも含めているのか。もう大分反省してるんで、そろそろ勘弁してやってくださいお母さん。呼びに行った方がいいかなぁ、と思い、悟飯の頭を撫でていた手を止めて立ち上がろうとすると、ぐっと服の裾を引っ張られる感覚がして動きが止まった。目を丸くして振り返れば、蹲ったままの悟飯が、それでも手を伸ばして私の服を握りしめている。その瞬間、あ、こりゃ駄目だ、と悟って私は再び悟飯の横に座り込んだ。しわくちゃになるほどきつく握られた服の裾を解く努力もしないで、ぴったりと悟飯の横に寄り添い、慰めるように尻尾を動かして悟飯の頬をさわさわと撫でる。そうすると、ほんの少しだけ、悟飯の泣き声が小さくなった気がして、私は覗き込むようにして悟飯の旋毛を見下ろした。

「うっ、うぅ・・・おか、おかあさん・・・、」
「うん?」
「おかあさんに、嫌われちゃ・・・っ」
「・・なんで?」

 え?なんで?顔をあげてぐすぐす涙と鼻水と涎でぐっちゃぐちゃになった顔を晒す悟飯に、思わず素で首を傾げる。え?なんで嫌われるという方向にいった?
 きょとんと瞬いて、とりあえずひっどい顔をしている悟飯の顔から出るもの全部出しているそれを拭うために、ポケットからハンカチを取り出してぐしぐしと顔を拭いた。柔らかくもちもちとしたほっぺたは今は泣いているせいで真っ赤に紅潮し、元々色白な悟飯の肌には一層目立って見えた。涎を拭い取って、悟飯の鼻にハンカチを押し付け、ほら、チーンして、と声をかければ大人しく力んだ悟飯が多少すっきりとしたような顔をして黒い目を瞬かせた。
 まだその目は涙で潤んでいたが、再現なくぼろぼろと零れる様子は収まりを見せ、僅かに目の縁に溜まっていた涙が瞬きと同時に零れるぐらいだ。ハンカチを折りたたんで綺麗な面を出してからその零れ落ちた雫を拭きとって、ようやく落ち着きをみせる。よし。

「・・・で。なんで嫌われるの?」
「だって、おか、お母さん、し、しつぼう、した、ってぇ・・・!」
「しつぼう、・・失望?」

 舌っ足らずな言い方に一瞬意味がわからなかったが、口の中で呟いて失望か、と納得する。・・・・おいおい母よ、それはさすがに言っちゃいかんだろう。

「お母さん、僕のこと、嫌いになったんだ・・・ぼ、ぼくが・・・っべんきょう、しなかったから・・・ひぃっく・・うえぇえ・・・っ!!」
「あぁ、悟飯。泣かないで。大丈夫だよ、お母さんそれぐらいで悟飯のこと嫌いにならないよ」

 きっと思わず言っちゃったんだろうなぁ。他意はないと思うけど、子供にしてみれば中々にショックな一言だ。しかしこの年の子供が失望の意味を知っていることも驚きだが、まぁ雰囲気でおおよその意味は察せられるというもの。
 つまり、怒られたことがショックだったわけでなく、母に嫌われてしまったかもしれないことがショックだったわけだ。子供の目線って、時々突拍子もないというか、こっちの考えていることとは違うところを突くからびっくりするわぁ。私から見てみれば母が悟飯を嫌うなどありえない、まさしく愛情の裏返しだとわかる分、悟飯がどう感じ取ったか察するには適さないのかもしれない。
 話すうちに悲しい気持ちがまた涌き上がってきたのか、みるみるうちに涙の膜が張られてぼろぼろと落ちてきた涙にそっとハンカチを押し付けながら、ふぅむ、と唸った。

「・・・じゃぁ悟飯、ちょっと試してみようか」
「ふぇ?」

 きょとん、とまたしても涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにし始めた悟飯の顔をハンカチで拭きながら、私は口元に人差し指をあてて、にやり、と口角を釣り上げた。

「お母さんが、本当に悟飯のこと嫌いになったのか。試してみよう」
「・・・?」

 悪戯を思い付いた子供のように、不敵な笑みを浮かべてみせる私に、悟飯がこてりと首を傾げる。なんというか、母も今頃言いすぎちゃったーって反省しているかもしれないが、そこはそれ。泣く子供には勝てないというか、今回は母も言い過ぎだっていうのと、ちょっと行き過ぎな教育への反省を促すためにも、ちょっとばかりお灸を据えてやろう。お母さんの気持ちもわかるのだが、やっぱりまだまだ子供というより幼児といって差し支えのない悟飯には今の状況はちょっと厳しすぎると思うんだよねぇ。いくら悟飯がそれを拒否していないとはいえ、だ。それに、偶にはこういう悪戯、というか冒険だって必要だろう。子供の時には色々経験しなくっちゃね!命を懸けた戦いは御免被るが。
 お母さんへのフォローはお父さんに全部丸投げにすることを決めて、私はにっこりと、それはそれは満面の笑みを浮かべて見せた。