泣いて欲しいと、我儘を言った
心臓を貫かれたキャスターが地に倒れる。彼女の名前を叫びながら、倒れたキャスターに駆け寄り抱き上げれば、胸元を真っ赤に染め上げたキャスターは口元から鮮血を滴らせながらも、微笑を浮かべた。
「ご主人様・・・申し、訳・・ありま、せん・・・不覚を、とっちゃいました・・・」
「キャスター、キャスター・・・キャスター・・・!」
なんの意味もないとわかっていても、止まることを知らないかのように、キャスターの青い着物を黒く染めていく胸元を片手で抑え、きゅっと唇を噛みしめる。じわじわと染み出す血液は、私の手の平を赤く染めて尚まだ止まらない。あぁ。あぁ。唇を震わせながら、キャスターの血がべっとりとついた手で、制服のポケットを探る。制服にも彼女の血がついたが、そんなものは最早気にもならなかった。おぼつかない手つきで端末を取り出すと、キャスターのぐったりと力のない頭を膝において、カチカチと震える指先でなんとか回復系のコードキャストを呼び出すとエーテルの塊を彼女にふりかける。少しだけ、呼吸が楽になったかのようにふっと息を吐いたキャスターの頭を再度抱きかかえ、その血の気の失せた頬を血のついていない手の甲でゆっくりと撫でる。薄らと目をあけたキャスターが、少しだけ泣きそうに眉を下げた。
「ごしゅじんさま・・・」
「キャスター・・ごめ、ごめん、ごめんねぇ・・・!キャスター・キャスター・・・っ」
「いいんです、よ・・・ご主人様・・・ご主人様は何も、わるく、ないですから・・・えへへ、ご主人様のひざまくらなんて、役得ですよぉ」
「っきゃすたぁ・・・」
あぁでも、まもりきれなくて、ごめんなさい。そういって、ゆっくりと重たげに手をあげて、キャスターはまるで何かを拭うように目じりに触れてくる。そこに、涙は存在していないのに。ぐっと言葉に詰まって、キャスターの手を握った。強く、強く握りしめて、ちがうよ、と小さく、呟いた。謝るのは私の方だ。悪いのは私だ。あの時、あの瞬間。迷ってしまった、私の、せいだ。
「」
正面から声がかけられる。びくりと肩を跳ねさせて、キャスターから顔をあげて前をみれば、対戦相手・・・今まさに勝利を迎え、また私を負かした少女が、きつく眉を寄せて佇んでいた。その横で、赤い槍を持った男も並び立ち、なんとも読み切れない顔をしてこちらを見下ろしている。
その二人を見上げて、言葉を投げかける前に、私と彼女たちを隔てるように、赤い格子状の壁が瞬く間に形成された。敗者と勝者を分ける壁。幾度か私自身も見てきた、この無慈悲な壁の出現に、私は恐怖とも安堵とも取れない奇妙な心地で、キャスターの手を握りなおした。今までは、私が彼女のように、立ってこの壁の向こう側を見つめていた。けれど今は真逆だ。私は地面に膝をつき、敗者となって勝者を見上げている。私に負けた人たちもこんな気持ちだったのだろうか。そう思いながら、険しい顔をしている彼女――遠坂凛を見つめ、ぎこちなく口元を歪めて見せた。
瞬間、凛の目がカッと見開き、激昂したかのように赤い壁を殴りつけた。ダァン、と、その細い手からは想像もつかないような大きな音が響いて反射的に肩を跳ねさせる。凛のサーヴァント・・・ランサーもまた、驚いたように凛を見つめていたが、キャスターは煩わしげに眉を寄せただけだった。
「あんた、最後、手を抜いたでしょう・・・!」
「・・ぁ」
「ふざけんじゃないわよ!!あんた今までどんな覚悟でこの戦争を闘ってきたの!?生き残りたいって、死にたくないって、その程度のものだったの!?」
「凛・・・私は」
「最っ高に不愉快だわ!!侮辱よ、これは!私の覚悟も、今まで闘ってきた相手のことも、全部馬鹿にする行動だって、あんたわかって・・・!」
「うっさいですよ、痴女」
爛々と怒りに目をぎらつかせて、唾を吐く勢いで激昂する凛に、返す言葉もなくて口を閉ざしていると、鬱陶しい、という様子を隠しもしないで、ややかすれ気味の声が割って入った。驚いて下を見れば、データの分解を進める黒い痣が浮かんだキャスターがよろよろと上体を起こして、じろり、と憤怒に顔を真っ赤にしている凛を睨みつけた。
「誰が痴女よ、誰が!!」
「ご主人様の体触りまくった人が何を言うんですか。公然わいせつ罪でペナルティでも受けてくれればよかったのに・・・てか、人がご主人様の膝枕で極楽天国気分を味わってるときにぎゃぁぎゃぁ喚くのやめてくれません?」
「なっ。あ、あれは事故でしょ!?って、そうじゃなくて!」
「あーはいはい。全く、最期の時間ぐらいもっと穏やかにできないんですかねぇ?ねぇ、ご主人様」
「えっと・・・キャスター・・・?」
あれ、さっきまで結構ぐったりしてたんだけど、何故にそんなに元気?軽やかな口調で凛をあしらうキャスターに戸惑うように目線を向ければ、さきほどの回復で割と元気になったんですよぉ、ときゃぴ、とした口調で言った。あ、そうなんですか・・・いやいいことだけども、あれなんか違うような。
「まぁでも心臓の穴は塞がりきってないんで、きついっちゃきついんですけど。一張羅が台無しです」
「うん・・・?」
そういう問題じゃないよね・・・?と、言いたいけれど、胸元を抑えてやや苦しげに眉を潜めたキャスターにぐっと言葉を飲み込み、その手に手を重ねた。キャスターは、少しばかり目を丸くして、それから穏やかに瞳を細めて私の手を握り返してくる。
「――ご主人様が躊躇った理由なんて、一つっきゃないに決まってるでしょうが」
「っ」
「そりゃ、私よりもこんなあばずれを優先しちゃうなんてご主人様ひどい!てなもんですけど、でもまぁ、ご主人様最初っから言ってくれていましたし?私もまぁそういうこともあるかなーって納得しちゃってるんで、そんなことはどうでもいいんですよぉ。だからご主人様、そんな顔しないでください」
「キャスター・・・」
壁の向こう側の凛に、はん、と鼻で笑いながら、私に向かって愛しげに頭を撫でてきたキャスターに息が詰まる。
ご主人様ちょう可愛い、とうっとりと囁いたキャスターは、まるで聖母のようにほほえみを浮かべて、凛を再び見上げた。
「友を殺したくないって気持ちをもって何が悪いんです?」
「そんなの!この戦争に参加した瞬間から、敵同士だなんてわかりきったことのはずよ」
「だから?人の感情がそんな理屈でどうにかなるとでも?大体、今まで闘ってきた相手の気持ちだとか、あんたの気持ちとか、どーでもいいんですよそんなの。大事なのはご主人様の気持ちで心で思いで考えであって、別に死んだ人間のあれやこれやなくっそ重たい上になんの足しにもならない感情論なんて糞食らえ。ご主人様はあんたを殺したくなかった。それが全てで全部で事実で結果。ご主人様まじ優しい超天使。さっすが私のご主人様!」
「・・・私は!」
「手加減抜きで戦って勝敗を決めたかったのはあんたの言い分。あんたを殺したくなかったのはご主人様の言い分。相容れないにしても、ご主人様を怒鳴りつけるのはこの良妻が許しません」
そこまで一息で言い切って、キャスターはくったりとこちらに身を預けてきた。肩に頭をのせて、だから、ご主人様は何も悪くないんですよ、と言ってくれる、その優しい声に、泣きそうになる。
私は悪くないのだと、彼女は何度も言ってくれるのだろう。例えそれを私が納得しないとわかっていても、それでも彼女は、微笑んで、私に咎はないと、抱きしめてくれるのだろう。
優しい、優しい私のサーヴァント。私には、過ぎるほどに。そんな君を道連れにしてしまうことが、そんな君の優しさに甘えて利用する自分が、堪らなく、大嫌いになるけれど。
それでも君は、私に愛を囁き続けてくれるのだろう。
あぁ、私の、私だけの、優しい、サーヴァント。ぎゅう、とキャスターを抱きしめて、私は、唇をかみしめる凛を見上げて、ふっと力なく笑みを浮かべた。
「凛。ごめんね」
「っ」
「正々堂々と、全力で、闘う、つもりだったんだけど、でも、私、凛を、死なせたくないなって、思っちゃって」
「・・・」
「私自身、死にたくなんて、なかったけど、でも、・・・もしも凛が死んじゃったら、私、ダメになるんじゃないかなって、思って」
「、」
「今まで、闘ってきた人たちにも、悪いなぁって、思ってるんだよ?でも、でもねぇ・・・っ」
鼻の奥がつんとして、目頭が熱くなる。それでも、涙は流さなかった。私は、泣くべきではない。いや、泣いたら、私は、きっと。
「ともだちを、ころすのは、たえられない、よ」
「・・・っ馬鹿!」
死にたくない。消えたくない。黒いノイズはただただ恐怖対象で、消えていく感覚に体の震えは止まらない。心は喚き散らしたいほど荒んでいる。それを押し殺すように、泣き笑いの顔を浮かべると、凛はくしゃりと顔を歪めて、縋るように赤い壁に両手をついた。ランサーは、ひどく苦々しい顔をしていて、それがまた申し訳ないな、と眉を下げる。マスターの士気下げるようなこといってごめんね、ランサー。黒いノイズが、右足を消していく。スカートのすそも、キャスターを抱きしめる手の指先も。キャスター自身の体でさえ、黒いノイズは浸食して。私は、ぐっと唇を噛み締めて、何かに耐えるように震える凛に、そっと消えかかる手を伸ばした。壁に触れて、ぺとりと手のひらをつけて。
「凛」
「なに、よ」
「あのね、最期にね、一個だけ、我儘いってもいい?」
「我儘?」
「うん。だめ、かな?」
あぁ、もう右目が見えなくなった。片目だけで見える凛は訝しげに眉を寄せて、突き放すように言ってみなさいよ、と了承の返事を返してくれた。凛は、ツンデレだなぁ。と思いながら、消えかかるキャスターを抱きなおしてこてりと首を傾げる。
「私がいなくなったら、泣いて欲しいな」
「え」
「ほら、私なんでここにいるのかとか全然わからないでしょ?もしかしたら、現実世界で私のために泣いてくれる人なんていないんじゃないかなって。ていうか、私を知る人間がいないっていうか・・・誰にも泣かれないのは、やっぱりちょっとさびしいから」
本当は、笑って、とかいうところなのかもしれないけど。でも、どうせなら、私を惜しんで泣いて欲しいというのは、ひどい我儘なのかもしれない。でも泣くということは、それだけ思ってくれたことの証でもあるかと思うから。それに、凛ってば言わなきゃ泣いてくれないだろうし。まぁ強要するようであれですが、できたらでいいんで!
「凛なら、泣いた後に笑えるだろうし。・・・凛、ありがとう。大好き。ラニにも伝え・・られたらでいいよ?」
「ご主人様、私は?!」
「もちろん、大好きだよ。大好き、キャスター。私だけの、優しいサーヴァント」
「みこーん!私もご主人様を愛してますーーー!!」
そういって、ぎゅう、と首に被りつくように抱きつくキャスターも、着物の下の腕はもうない。その着物も、最早青い部分なんてないくらいに真っ黒になって。私も、きっと同じことになっているのだろうな、と思いながら、霞んできた左目で凛を見つめ、唇を動かした。
ばいばい。
凛が、こちらに向かって手を伸ばしたようにも見えたが、すべてが真っ黒に染まった今では、それが幻だったのか現実であったのか、私に知るすべはなかった。