暖かさのお裾分け
ピリリリリ、枕元で携帯端末が甲高い受信音を立てる。夢現の狭間を彷徨っていた意識が一気に覚醒へと動き出すと、ぱちりと瞼が一切の抵抗もなく持ち上がる。それから端末の方へと顔を動かしたところで、やけに体の自由がきかないことに気が付いた。おおよその理由はわかっているが、一応確認のために視線を動かせば、白く細い腕が胸の上に乗っていた。おまけに足には誰かの足が絡んで、完全なるホールド体勢である。・・・まぁ、いつものことですが。
横を見ればすよすよと寝息をたてて大層整った顔が安らかな様子で寝入っているのが視界に入る。ぴくぴく、と頭から飛び出た狐の耳が動いているので、覚醒の時間もそう遅くはないだろうと思いながら、毎度思うがこうも密着して寝にくくないのだろうか、キャスターは。と首を傾げた。今の今まで寝ていた自分が言うことではないだろうが・・・。まぁ慣れてるしな、こういう体勢。
今はこうしてマイルームの改装としてベッドを用意することも可能だが、最初の頃はそりゃ何にもできなくてキャスターにも迷惑をかけっぱなしだった。寝床なんてカーテンを集めてないよりはマシ、程度の代物しかできなかったんだし。
そのときから、こうやって二人で一緒に寝ていたのだから、本当に今更の話なんだよなぁ。まぁそれ以前から抱き枕扱いは多々されてきましたが。
さておき、端末である。目覚まし設定なんかはかけてないので、音がなるとすればSE.RA.PHからなんらかの知らせが入ったのだろう。対戦相手でも決まったのだろうか、と思いながら端末を引き寄せ、その大き目の画面を覗き込む。
そしてそこに書かれた内容に、へ?と間の抜けた声を零した。
※
姿形どころか時代も国も全てが違う過去の偉大なる英雄たちが、規則正しく一列に並ぶ様を圧巻と呼ぶべきか、シュールだと言うべきか。
まず有りえないだろう光景に呆気にとられながら、独り言のようにぽつりと口を開いた。
「何の冗談かと思ったんだけど・・・本当だったみたいだね」
「SE.RA.PHも焼きが回ったんですかねェ。いっそシュールすぎて笑えもしないですよ、コレ」
「まぁ、ねぇ・・」
霊体化しているため姿は見えないが、恐らく半目になって居並ぶ英霊達を見ているのだろうキャスターの呆れをふんだんに盛り込んだ声に、渋い顔で同意する。
確かに、厳つい武装した男(女性もいるが)が大人しく一列に並んでいる姿は笑い話にするにはちょっと異様すぎる。しかもそれが何人も、となれば笑いは笑いでも苦笑いぐらいしか浮かばないだろう。普段はきちんと閉じられている保健室の開けっ放しのドアの隙間からふと見えた保健室のNPCである桜ちゃんが、慌ただしく動き回っているのを確認して、制服のポケットから携帯端末を取り出す。その画面を操作し、再び溜息を零した。
「ムーンセルのバグによりウイルスが蔓延。一部マスターに被害が出たため、戦争を一時停止とする。被害のあったマスター及びサーヴァントは処方箋を保健室より配布するので来られたし――で、その結果がこのサーヴァントの大行列か」
「思ったより被害者多いみたいですね。ま、ご主人様が被害にあわなくてよかったですけど・・・でも熱に潤んだ瞳、荒くなる呼吸に、心細さに縋るように手を伸ばすご主人様・・惜しいことしたかも・・・」
「キャスター?」
ん?なんか途中ぼそぼそ言ってて聞こえにくかったんだけど?語尾をあげて何か言った?と問いかければ、慌てた様子でなんでもないですぅ、ときゃぴ、とした返答をするキャスターに、恐らく何か邪まなことを考えていたのだろうな、と察しながらも深くは突っ込まずに聞き流す。まぁそりゃ、キャスター自身は初めてかもしれないが、私からしてみればもう何回も彼女とパートナーを組んできたのだ。おおよそ性格の把握はできているというもので、ここは突っ込まないのが吉だとは薄々察している。
なので、挙動不審なキャスターはスルーし、私は順番に保健室に入っていく英霊達を眺めながら、観察するようにじぃ、と目を細めた。
まぁ、ループ初っ端からのこんなバグなど初めての経験だが、これも彼女の「何か新しいことを」という願いが故のイベントなのか・・・定かではないが、普遍的だったムーンセルでこれほど大規模なバグが起こり得たとするならば、おおよそ想像通りだろうと思われる。
それに多少の不快感は拭えないが、しかしこれは同時に私にとってもチャンスだ、と思い直すことにした。
「・・・キャスター」
「はい?」
「よぉくサーヴァントを見ていてね。さすがに背格好だけで特定は難しいだろうけど、これだけのサーヴァントが現界するってことはきっとないだろうから。拾える情報は拾えるだけ拾うよ」
「了解です、ご主人様。ほーんと、ムーンセルがバグったって聞いた時にはマジこの戦争大丈夫かって思ったもんですけど、思わぬ副産物ですね」
「本当本当」
まぁ、ウイルスにかかったのがちゃんとセキュリティを敷いている実力者ばかりが総じてって辺り、自分の力不足を知らしめているようで複雑ですが。
このウイルス、あえて高レベルのセキュリティを媒介にマスターに感染したらしく、実力者がほぼ軒並みダウンしたとのことらしいのだ。凛しかり、ラニ然り、・・・あのハーウェイでさえもそうなのだから、ムーンセルのバグ恐るべし、といったところか。・・・それを教えてくれた言峰神父からの、つまり私が低レベルだから風邪にかからなかったんだよーという皮肉にちょっとばかし落ち込みもしたが、物は考えよう。(あの神父すごいにやにや笑っていたが・・・マジいい性格してやがる)いくら実力が高くても、風邪なんか引きたいわけでもなし。それに、実力不足だからこそこうして多くのサーヴァントの情報をゲットできるチャンスが訪れたのだ。うん。不幸中の幸いというやつだろう。
一列に並ぶサーヴァントの姿から年代、出身国、立場、地位。それらを想像し、検証・考察を交えて端末に情報を書き込んでいく。どんな些細な情報が今後の戦闘を左右するかわからないのだ。そして今回、どこの誰に当たるかもわからない。彼女と違って、私の対戦相手は特に固定はされていないのだから。
「あ、ご主人様。あの装飾品は中々特徴有ですよ。写真撮ります?」
「そうだね。後で図書館で調べようか」
キャスターが教えてくれたサーヴァントに視線をやり、端末を操作してカメラ機能を起動させる。この端末、最初の頃は気づかなかったが存外に多彩な機能が積み込まれているのだ。カメラ機能もその一つというか。これが最初からあったものなのかループ上で追加された機能なのかは定かではない。が、便利だから特に問題はないと思われ。
シャッター音も消したカメラでサーヴァントの全体図、それから装飾品をアップで撮ると、保存をかけてフォルダに仕舞い込む。
そうやってやや離れた場所でサーヴァントの観察を続けていると、居並ぶその中に、一際異彩を放つ――それは私が見知っているからこそかもしれないが――姿を見つけて、一瞬、動きを止めた。
「おや。これまた特徴しかないようなサーヴァントがいますね」
「・・・あれはもう正体がわかるから放っておこう」
「え?ご主人様あの英霊の真名もうわかるんですか!?」
ご主人様すっごぉい!さっすが私のご主人様!と歓声をあげるキャスターに苦笑を浮かべつつも、まぁそりゃ何度か対戦もしましたしねぇ、と視線を再びそれに向けた。並ぶ英霊の中でもかなりの巨体。古代中国の鎧を着こみ、頭につけた触覚みたいなものがみょんみょんと揺れ動く。表情は乏しく動きは機械的。そこに英霊の理性というものはなく、それのクラスが所謂「
だからこそ、一番クラスの特定がしやすいというものだろう。そら狂戦士だもの。野放しにしてたら暴走するしかないし。しかも燃費もあんまりよくないと聞くしなぁ。
・・・まぁ、そうでなくともあの出で立ち。正直対戦してなくてもほぼ初見で正体など知れるというものだ。というかわかった。いやだって、うん。しょうがなくね?ああいう感じでイラスト化されたものがそこかしこにあるような世界出身なんだからさぁ。
「三國無双懐かしいなぁ・・・」
「え?なんですか?」
「なんでも。・・・そろそろ離れようか。他のサーヴァントに目をつけられ始めた」
離れた場所にいるとはいえ、そこは英霊。人間の尺度で考えちゃいけない。元は人間のくせになんて非人類なんだ。こちらに気づき始めた視線が不穏さを帯び始めたことに、襲われても嫌だしな、と早々に見切りをつけてサーヴァントの行列から視線を外した。特に
むくりと起き上がる心配の芽に、きゅっと眉を寄せて首を横にふる。
・・・まぁ、仕方ない。全部とはいかないがそれなりに外見情報は貰った。あとは分析するだけだ。
「うーん。もうちょっと情報が欲しかったところですが・・・致し方ありません。図書館に行きますか?それかアリーナ?そ・れ・と・も。マイルームで私と・・・きゃっ☆」
「折角だし、図書館で調べものをしようか。情報は新鮮な内に整理しないと」
「・・・そーですねー」
色々特徴がわかるものは写真に残してるから、服装から装飾品、マントの留め具に刻まれた紋様まで、調べられるものは調べないと。
指先一つで画面を動かしどれから調べるべきか、と考えながらキャスターに返事をすれば、何故かキャスターからの返事に力がない。
端末から顔をあげると、キャスターはぶつぶつと何か言っていたが、まぁ多分大したことはないだろうからスルーしておこう。鈍いとか夜這いとかそんなところもス・キ、とかあんまし理解してもよくなそうだし。というか前々から思っていたが、キャスターってガチだったりするんだろうか。いやそりゃ神様?に性別ってあんまり関係ないのかもしれないけど、一見ただの美女にしか見えないナイスバディなお姉さんに狙われるのもナー。
私の性癖は至ってノーマルです。いやキャスターのことは確かに好きだし大切にしたいし大事にしたいし幸せになってほしいけれども、それとこれとはまた別というもので。・・・・まぁ、とりあえず、考え過ぎるとどツボに入りそうだからここまでにしておこう。そうこうしている内に図書館にもついたし。
端末をポケットに仕舞い、人気のない図書室の扉をがらりと開ける。
瞬間、どんっと何かが足元にぶつかり、思わず後ろに蹈鞴を踏んだ。
「うわっ」
「ご主人様!」
よろけた私を、現界したキャスターが後ろから支える。おかげで尻もちをつかずにすみ、ほっと息をついてキャスターに礼を言ってから、ぶつかってきたものを確認するように視線を向けた。・・・って。
「だ、大丈夫?」
「い、痛いよぉ」
ふわふわのパニエを仕込んだいささか学校の図書館には不釣り合いなゴシック調の黒いドレスに、長い髪を三つ編みに編み込んだ小さな女の子がぺたりと床に座り込んでいる。フリルとレースで縁取られたドレスは愛らしいが、そこから見える細い手足の関節球体が少女を人ではなく人形のように見せていた。しかし、痛みに顔を顰める姿はただの幼子でしかない。――もっとも、この少女は英霊であるのだが。
だからといって、見た目小さな女の子が痛がっているのに放置することはさすがに絵的にも個人的な良心的にも抵抗がある。慌てて少女の前に膝をつき、そっと手を差し伸べると彼女は涙目で私を見上げ、ぐし、と手の甲で目元を擦った。
キッと強気な目はいいが、とりあえず目元擦るのはやめんさい。
「あんまり強く擦ると赤くなっちゃうよ。ごめんね、お姉ちゃんがちゃんと前みてなかったから・・・立てる?」
「・・・大丈夫。こっちもごめんなさい、お姉ちゃん」
目元を擦る手をやんわりと掴んで止めて、かわりに取り出したハンカチでそっと少女・・・キャスターの目元を拭う。あ、でも一応名前はアリス、だったか。下手にキャスターと呼んでは不審に思われる。気を付けよう。
内心で改めて気を引き締めつつ、キャスター・・・アリスを立たせようと手を差し伸べかけて、ふと両手に抱えている本に視線をとめた。タイトルがこちらに向いていて、思わず目がタイトルを追いかける。
「【体に優しいごはん】・・・?」
無意識に口に出すと、アリスは今気が付いたように、はっと目を瞬かせて両腕でぎゅう、ときっと借りたのだろうその本を抱え込んだ。
・・・いまこの時に、そんな本を借りる、ということは、だ。
「あら。そちらのちびっこのマスターももしかして風邪っぴきなんです?」
「このタイミングでこの本じゃねぇ。・・・薬は貰わなかったの?」
「・・貰ったけど、ありす、あんまり薬が好きじゃないから・・・。それに、これ」
「ん?」
ひょこ、と後ろから顔を覗かせたキャスターが簡単に相手方のマスターの状況を口にすると、溜息を零してアリスは懐から処方箋の書かれた袋を取り出し、こちらに差し出した。それを受け取り、キャスターと一緒になって覗き込む。何々・・・。
「うわっちゃー。これ食後服用のタイプなの?」
「セラフも融通が利かないというか爪が甘いというか・・・普通、こんな状況で食後用を出すとか・・マジないです」
「購買にいったけど、焼きそばパンとかしかなかったの」
「だよねー。そもそも食べ物がそれぐらいしかないんだから、食後用出す方が問題だって。食前もあれだけど」
「あの外道麻婆なんてそれこそ論外ですし。ていうかー食後用出すなら購買にもそれ用の食事用意しとけってんです。まぁ、重度の風邪でなければパンもありかもしれませんけど」
「ありす、熱がひどくて・・・でも、薬飲んでくれないし・・・」
そういって、泣かないけれど、泣きそうな、心配でたまらない、という顔で俯いたアリスに、キャスターと一緒になって顔を見合わせる。・・・アリスのマスターは、彼女と瓜二つな幼い少女だ。確かに、あんな子供に薬を飲めというのはいささか難しいかもしれない。薬が苦いのかもしれないし、子供にしてみたら薬という単語だけで拒否反応を起こしても可笑しくはない。途方に暮れて、けれど何かせずにはいられない。
「・・・一応、マスターに合わせた処方にはなってるっぽいね」
「本当ですね。子供用シロップじゃないですか」
「まぁでも、子供の薬への拒否感は半端ないからねぇ」
あんまり美味しいものでもないし。口直しできるものもないとしたら、うん。薬を飲ませるのは大変だろう。うん。・・・・うん。
「・・・ねぇ。えっと、キャス、」
「ご主人様。ご主人様が優しいことも甘いところがあるところも私存じ上げてますけど、でも相手は子供とはいえ敵です。敵に塩を送れるほど私たちも余裕があるわけじゃありませんし、私は反対です」
クラス名を遮ったのはわざとだろうか。それでも、こちらの言いたいことを先読みして難しい顔で言い切ったキャスターに、うぐ、と言葉に詰まる。
わかっている。キャスターの言い分はもっともで、私がしようと思ったことは戦場でまず有りえないことだ。実力が上、あるいは拮抗している者同士ならまだしも、明らかに底辺にいるだろう自分が敵に対して情けをかけるなどただの馬鹿に違いない。理解しているし当然だとも思う。本来であるならば私とて、わざわざ手を貸そうとはしないだろう。特別に見返りが見込めるわけでもないのだし。だがしかし。
「そうは言うけどもね。今は戦争も停止しているし、マスターの回復が終わらないことには始まらないんだよ?」
「うっ。そうですけどぉ・・・」
「キャ、・・・とにかく。状況的には今は手を貸しても問題ないと思う。それに」
――相手の情報を探るにも丁度いいでしょ?最後は念話で話しかければ、キャスターは僅かに目を見張り、それからしょうがないですね、とばかりにやれやれ、と肩を竦めた。
「そういいながら、単純に見捨てておけないだけでしょう?まぁ、そんな甘いご主人様も勿論好ましいですけど。そこのちびっこ。感謝しやがりなさい」
「こらこら。・・でもまぁ、とりあえずまずは食材の確保だね。購買・・・に行くよりも藤村先生のところに行った方がいいかなぁ」
「お姉ちゃん・・・ありすを助けてくれるの?」
「手伝うだけだよ。皆がよくならないと始められないしね。・・・始まってほしいわけでもないけど」
だけど、停滞したままでは終わらない。終わるためには、始めなくちゃいけない。わかっていること。わかりきっていること。その事実に少しだけ嫌な思いもしながら、アリスの頭を撫でてその手を取って立たせた。
アリスはそんな私を見上げて、小さく微笑むと、ぎゅっと手を握りしめてきた。繋いだ手に、キャスターが僅かに目を細めたが、あえて文句を言い出すでもなく、しかし対抗するように空いた片手に指先を絡めてきたので、苦笑を浮かべる。
「ほら、じゃぁちゃっちゃとやってちゃっちゃと終わらせちゃいますよ!それでそれで、あとは私とご主人様でラブラブランデブーを過ごすんです!」
「えー。お姉ちゃん、アリス達と一緒にいようよぉ!」
そういって両サイドから引っ張る二人に痛い痛い、とぼやきながら、あぁ、この子と戦うのも、嫌だなぁ、と小さな旋毛を見下ろして、そっと目を閉じた。
今回、私は、一体誰を殺して、生き残るのだろう?願わくば、それが知り合いではないことを、切に願って。