夕闇の公園で
夕焼けが空を焼く。木枯らしが吹いて冷たい手で頬を撫でると、さらりと髪の間を潜り抜けて遠ざかった。その拍子に乱れて頬に張り付く髪を手櫛で軽く整え、ふぅ、と吐き出した息が白く濁る。
あぁ、すっかりと遅くなってしまった。燃える空の端が、すでに藍色に染め代わっていく様に軽く眉を下げる。がさりと片手に持ったビニール袋が音をたて、ずっしりとした重みを感じながら、ランサーに怒られるかな、とため息を零した。・・いや、怒りはしないか。心配はしていそうだけど。小言なんかも言うことはなく、ただ心配を伝えてくるだろう英霊に、それはそれで堪えるよな、と思いながら早く戻らなければ、と止めていた足を動かしだす。
英霊とは、高度な次元の存在であるはずなのだが、どうして彼はあぁもへりくだるのだろうか?いや、騎士という生前から、その性質が仕えられるものではなく仕えるものだということは理解している。けれども、だ。彼ら英霊は通常の使い魔や、術士が扱う式とも違う存在だ。そこに確かな自我と力、能力、魂の形があるわけで、存在の格でいうならば現在の生きた人間よりも遙かに高みに位置しているというのに、こんな一介の魔術師程度にあそこまでへりくだる必要はないはずである。害を為そうと思えば、彼らは一瞬で私たちを葬ることもできるはずなのだ。確かに、この身には彼らを縛る誓約があるが、しかしそれも発動する前にことを為してしまえばわけはない。そうできるだけの力があるのだから、正直サーヴァントとマスターは決して対等ではないのだ。ただ、彼らにも彼らの目的があるから、安易に行動はできないんだろうけれど。新たなマスターを見つけることは、簡単なことではないのだし。
でも、だ。これだけ考えただけでも、英霊が人間にへりくだる必要はないと思える。ましてや召喚したの私だし。へりくだるにこれほど似つかわしくない相手も早々いないだろう。
騎士が仕えるものだとしても、なんていうか、もっと人選べば?と言いたい。騎士って、こう、もっと自分に誇りがあって、仕える相手にも相応のものを求めてて、というか自分が仕えたい!っていう気持ちをもってこそ初めて心から膝を折れるってもんじゃないのか?生前の彼の上司だとて、彼自身が尊敬して、敬愛していたからこその忠義だと思うのだが・・・私、ランサーにあんなへりくだられるほど何かいいとこ見せたっけ?
彼の琴線を動かすほどのことをした覚えがないというのに、あの怖いぐらいの忠誠・・・忠誠?心はなんなのだろうか・・・時々彼の真意は読めなくてほとほと困るが、まぁ被害らしい被害といえばあの魅了の黒子とあの顔とそのうざったいぐらいのへりくだりっぷりなので、問題はない。はずだ。今のところ顔の問題も魅了の問題もなんとかなってるし。
「ランサーってよくわからんわぁ」
一度本人に聞いてみるべきかな。なんでそんな私にへりくだるの?って。なんか理由がわかればまだ納得、は、多分できるはずなんだけどなぁ。まぁ、理解できるかどうかはさておいて。
「まぁ、今日は移転先も見つけたし、それでなんとかランサーをかわして・・・ん?」
別の話題をふればあいつも食いついてくるだろ。そうでなければご飯で釣ればいい。最近食事時のランサーが異常にそわそわしているというかご飯時の目の輝き方が半端ないし。なんだかアレンを思い出すよ・・・。あ、これか。餌付けか。餌付けの成果か。・・・いやでも餌付けし始めたの最近だしなぁ。実家じゃ早々キッチンに立たせてもらえなかったしなぁ。簡単なお菓子ぐらいしか作らせてもらえなかった。お仕事とっちゃうから仕方ないことなんだけど。
つらつらとそんなことを考えていれば、不意に通りかかった公園で小さな人影を見つけて足を止める。ブランコだろうか。鎖から釣り下がった板の上に、ぽつんと取り残されたような寂しげな姿。薄暗くなった公園に、その影以外の姿は見えず、そりゃもう夕飯時だし暗いしなぁ、と思いながら、あまりにもその姿が寂しげだったから、なんとはなしに公園に足を踏み入れた。がさごそとビニールの袋を鳴らしながら、キィキィと鎖の擦れる音をたてて前後に揺れる人影に近づく。近づくにつれて、ざわざわと肌に感じる空気に不快感を感じたが、その原因の追究をする前に、影の前に立った。
影は、小さな女の子だった。冬だというのにマフラーも手袋もしていない姿はただ寒々しいの一言に尽きる。おい親。なんつー恰好を小さい子にさせてんだ。どういう神経してんの!?それにぎょっとしながら、むき出しの手で冷たいだろう鎖に触れているのにも眉を潜めつつ、紫色をしたワンピースに身を包んだ幼女は、前に立つ人影に気が付いたのかゆっくりと俯いていた顔をあげた。
思わず、ぎくりとした。目があった少女の丸く大きな双眸は、何も映してはいなかった。いや、見えてはいるのだろう。けれども、そこに感情の色を見せることはなくて、あまりにも亡羊としていた。死んだ目とは、こういうことをいうのだろうな、とひどくわかりやすい有様で、円らな瞳は私を見る。加えて、少女のうちに。言いようもない禍々しいものを感じて、吐き気すらこみあげてきた。なんだ。これは。魔術・・・?こんなにも禍々しい魔術があるのか?
言葉に詰まりながら、少女を見つめる。少女の胎内に、何かしらの魔術の痕跡があるのは確かだ。それが蠢き、内から少女の体に何かを施している。気味の悪い力。歪んだ、禍々しい・・・悪意にも等しい魔術の気配。
それが、この少女の目に現れているのか?子供の、こんなに絶望した目を見たことは滅多にない。何かしらの輝きを秘めて然るべきそれに、なんの光もないことに空恐ろしさを覚えながら、こてりと疑問を表すように小首を傾げた女の子に、はっとして慌てて私は首に巻いていたマフラーを解いて、買い物袋を地面に下すと、女の子のむき出しの首にそれを巻き付けた。
「そんな恰好じゃ、風邪を引いちゃうよ。お母さんはどうしたの?」
全く、子供に防寒対策の一つもさせないとはどういう神経してるんだ。ぐるぐるとマフラーを巻き付け、ひとまずほっとしながらも、上着一つなくワンピース一枚っきりの姿に、コートも貸した方がいいかなぁ、と思いながら、ブランコの鎖を握る手をやんわりと解いてぎゅっと両手で握った。小さな手は私の手でも十分に包みこむことができて、はぁ、ときっと冷え切ってしまっているだろう手に息を吹きかけながら握り直した。あ、コートのポケットにホッカイロいれてたっけ。それ渡そう。いそいそと手を解放して、ポケットからホッカイロを取り出して何も言わない女の子の両手に握らせて、再びその上から手を握りしめる。
女の子はされるがままにじっとしていて、驚きの声も拒絶の言葉も感謝もなく、ただぱちりと瞬きをした。おぉう。ここまで無言だとどうしたらいいんだい?
「・・迷子?」
一番無難な疑問をぶつけてみると、女の子は一拍あけて、ふるふると首を横にふった。・・意思疎通はできるな。それにちょっとほっとしながら、しかし一番可能性としてありえそうなものが消えてしまったので、じゃあこの子は故意に家に帰らないのか?と首を傾げた。遊ぶことに夢中になって、って感じでもなさそうだけど・・・帰りたくない理由でもあるんだろうか?悪戯して帰るに帰れないとか?・・いや、そんな雰囲気でもなければそんなことしそうな子にも見えないけども・・・。てか目がなー。なんだ。実は重たい事情持ちなのか?だとしたら突っ込めんぞ、私は。
「一人でお家に帰れる?」
「・・・うん」
「そっか、えらいねぇ。じゃぁもう帰らないと、真っ暗になっちゃうよ?真っ暗になったらもっと寒くなっちゃうから、早くお家に帰ろうね?」
それに最近、ニュースとか新聞でみるだに随分と物騒な事件も起きてるらしいし。ただでさえこの冬木は土地的にも色々問題抱えている上に一般人にはきっと迷惑この上ないことまでやらかそうとしてるんだから、何か起きる前に家に帰った方が無難だ。その家庭に何か問題があったとしても・・・そこは私じゃどうにもできないしなぁ。
やんわりと声をかけると、女の子はそっと目を伏せた。きゅっとホッカイロを握る手に力がこもって、動かない表情ながらも、少女の様子は帰宅を拒んでいるようにも見えた。しかし悲しいぐらいに顔の表情筋が動いていないし、目も濁ったままなので、ぶっちゃけ顔色が読みにくいにもほどがある。ただなんとなく、家に帰りたくない、という雰囲気は伝わってきて、ありゃ、と眉を下げた。
「何か、帰りたくない理由があるの?」
ことと次第によっちゃ家まで付き添うし、警察に行くこともやぶさかではない。まぁ、表面的な対策とはいえ、小さな女の子を放置するわけにもいかないので付き合えるところまで付き合うよ。ランサーには念話で事情話しておくとして。
さすがに内情にまで突っ込むことはできませんがね?問いかけると、女の子はきゅっと唇をかんで、沈黙した。うん。応えづらいよねー。それに、まぁ話してくれるまで待つかぁ、と女の子の頭を撫でて待つことを決めると不意に「桜ちゃん!」と息を切らした声が聞こえた。
「桜ちゃん、よかった・・・こんなところにいたんだね」
「おじさん・・・」
およ、身内の方登場?女の子の頭から手を放し、横を見れば片足を引きずりながらこちらにずりずりと近寄ってくる白髪の男性の、心底ほっとした顔が見えて、なんだ、と瞬きをした。なんだ、この子、ちゃんと心配して探し回ってくれる人がいるんじゃないか。どうやら体に不自由があるようだが、それでも幼子を探し回ったのだろう。息を切らす男性に、愛されてるんだなぁ、と思いながらほっと息を吐いた。
「この子の保護者の方ですか?」
「君は?」
立ち上がりながら、こちらに寄ってくる男性に声をかけると、一瞬にして警戒と戸惑いを浮かべた。まぁ、子供に見知らぬ人間が近づいてたら警戒するよな、と当たり前のことなので(最近物騒だし)軽く流して、にこりと笑みを浮かべる。
「すみません。こんな時間に子供がここに一人でいたものですから、つい。マフラーも上着もきていませんでしたし・・・でも身内の方がいらっしゃったのならもう安心ですね」
まぁその身内の方も随分と中に嫌なものがあるようですがね!なんだここの身内!?体の中にどんだけ人体に有害なもの抱えてんだよ!魔術師の家系なんだろうが、もうちょっと考えて使おうよ!私が対策とってなかったらちょっと穢れにあたって熱だすところだよ!よかった穢れ対策でお守り装備してて!ふふ、と笑いながら言えば、男性はあっと一声あげて、眉を下げた。
「そうなんですか。すみません、ご迷惑をおかけしたようで・・・」
「いえいえ。ちょっと声をかけただけですから。よかったね、お家の人がお迎えにきてくれたよ?」
言いながら、そっと女の子の頭を撫でる。そのついでに、少女の中のものを浄化しておく。なんでこんな嫌なものを抱えているのか知らないが・・・魔術的なものを抜きにしても、あんまり中にあっていいものじゃないだろう。龍脈の関係もあるし、できるだけ有害そうなのは除去していかないとなぁ。しかしこれだけ穢れが詰まったものだ。この人たちの家も、調べれば龍脈の汚染がちょっとはわかるかもしれないな。魔術師は総じて龍脈などの力が集まりやすいとこに拠点を置くものだし、ちょっと調べさせてもらってもいいかなぁ?
そんなことを考えながら、女の子の背中を押す。けれど、女の子は動かないで、びっくりした様子で私を見上げていた。あ、自分の体のことだし、気が付いたのかな?まぁでも、勝手に他人様の魔術に干渉しちゃったから、文句言われても困るので、そっと唇の前に人差し指を持ってきて、しぃ、と声を潜めた。
その意図を女の子は理解したのか、口を閉ざすと、小さくこくんと頷いて、ブランコから飛び降りて男性の傍まで駆け寄った。さすがに足を引きずる男性に抱きつくのは憚られたようで、控え目にそのズボンを握るに留まっていたが。
男性はその様子に相好を崩しながら、女の子の首に巻かれたマフラーに気が付いたのか、こちらを振り向いた。
「このマフラー、もしかして」
「あぁ・・・お兄さん、余計なおせっかいかもしれませんが、子供に防寒対策の一つもしていないのはどうかと・・・この冷え込みようですし、事情があるにしろ最低限の防寒対策はしてあげてください」
「あ、う、・・・すみません・・・。重ね重ねご迷惑を・・・」
「いえいえ。そのマフラー差し上げますので、これからは気を付けてあげてくださいね。あぁ、あとおまけですけど、これもどうぞ」
とりあえずこれだけは注意喚起しておかねば、と男性に告げつつ、彼らに近づいて懐からお守りを二つ取り出す。
「え?これは・・・」
「お守りです。最近何かと物騒ですし、気休め程度に。これも何かの縁ですしね。・・・桜ちゃん、だっけ。このお守りはずっと持っておいでね。ささやかだけど、君を守ってくれるはずだから」
「・・・うん」
冬木の穢れがひどいので、念には念を入れて予備として用意していたお守りがまさかの活躍である。守護と浄化を兼ねている、まぁ護符のようなものなので、ある程度のものなら寄せ付けないはずだし。
腰を曲げて、目線を合わせるように言えば、桜ちゃんはさきほどの件もあってか、少しばかり真面目な顔でぎゅっと大切そうにお守りを胸に抱いた。いや、うん。・・・最低限自分用に使っただけなので、そこまでものすごい効果はないと思うけどねー?ないよりはまし程度だと思うけどねー?でも多少はマシになる、と思いたい!
「お兄さんも。結構ご利益があるーって言われるお守りなんで、是非どうぞ」
「えぇ、でも悪いですよ。迷惑しかかけてないのに・・・」
「気になさらないでください。そのお守り、帰ればまたありますので。では、そろそろ家のものが心配しますので私はこれで」
「あっ」
言い残して、地面においていた買い物袋を手に取り、足早にその場をあとにする。できればあの人の中のものも浄化したかったけれど、子供と違って彼は大人だ。問い詰めらないとも限らない。それに、あまり首を突っ込むと大変なことになりかねないし・・・せいぜいできることといえばあれぐらいだ。
あとマジそろそろ帰らないとランサーが突撃してきかねない。困らないけど、下手に動かしたくもないので、早々に帰るべきだ。
公園に二人を残して足早に道を歩きながら、とりあえず心配しているだろうランサーに声をかけるために、少しばかり切っていた念話の通路を、つなげることに意識を向けた。