揚羽蝶の誘う先で



「お、坊主。あれを見てみろ」

 世話になっている家の老夫婦から頼まれた買い物をしている最中、メモに視線を落としていた顔を、その声に合わせて眉宇を潜めながら緩慢にあげる。なんで僕が買い物なんか、と思いつつも、記憶を弄り老夫婦の人柄を利用して居座っている手前、後ろめたさと日頃世話になっていることを考えれば、ウェイバーに拒否権などあってないようなものであり、またうきうきと外出を楽しんでいる自身のサーヴァントの強引さに抗うこともできずに、結局ウェイバーは物凄く目立つ男を連れて街中に出る羽目になったのだ。そして、その物凄く強引で目立つ男、ライダーの位を授かった稀代の英霊――征服王イスカンダルを睨みつけながらなんだよ、とぶっきらぼうに返事を返す。この真冬にTシャツとジーパンという体格以前の服装の問題も交えつつ(いくらサーヴァントとはいえ、一般人からしてみれば気違いじみているだろう)そんな他者の視線などどこ吹く風と気にした様子もないライダーは、片手に酒瓶を携えたまま、ほれ、と面白そうにその太い指を一点に向けて差し向けた。

「随分と、珍しいもんがいるぞ」
「はぁ?」

 声と同じように顔もしかめながら、促されるままライダーの指先の行方を追う。そうして認めた瞬間、ウェイバーはぴくりと眉を動かした。

「蝶々・・・?」

 ひらりひらりと。舞うように。黒い翅を上下させて、不規則に風に煽られるように。重さなど微塵にも感じさせない軽やかな動きで、黒く大きな翅をもったそれが飛ぶ。あまりにも季節外れな、黒い揚羽蝶。咲く季節を間違えた桜でもあるまいに。優雅に危うく飛ぶ蝶は、ウェイバーの視線を奪いながら、音もたてずに店の看板の角へと止まり、その翅を休めた。

「随分と季節外れなものがいるもんだなぁ」
「馬鹿!こんな時期に蝶が、ましてや揚羽蝶なんて飛んでるわけないだろ!?」
「ふむ。ならあれはなんなんだ?坊主」
「そりゃ、あんな不自然なもの誰かの使い魔に決まって・・・・っ」

 そこまで言って、はっと目を見開いてウェイバーは再びその「不自然な」蝶へと視線を戻す。
 相変わらず、人工的に作られたものとは思えないほどに成功な生き物に見えるそれを凝視し、そこから感じる微弱な魔力に、ウェイバーは知らず手の中のメモをぐしゃりと握りつぶした。

「なるほど。使い魔か・・・こんなところであぁもわかりやすくこちらに見せつけるということは―――誘われているようだのう、坊主よ。・・・坊主?」

 にやりと、蓄えた顎鬚を撫でながら、愉快そうに自身のマスターの声を投げかけるが、その声にいつもの活きのいい返答は帰ってこない。それよりも、一層愕然としたような、信じられないものを見つけたかのような、目を見開き絶句しているマスターの態度に怪訝に片眉を動かした。おい、どうした。そう、ライダーが声をかける前に。

「先生・・・?」

 一言、小さな呟きをウェイバーが落とした瞬間、黒い揚羽蝶は再びふわりと、無音でその翅を動かし宙に飛んだ。ひらひらと、たどたどしい軌跡を残して、揚羽蝶は飛んでいく。人ごみを越えて、どこかに。どこかに。
 その、頼りない姿を見た瞬間、ウェイバーは弾かれたように走り出した。おい!という、自身のサーヴァントの引き止める声も無視して、飛び去っていく揚羽蝶を追いかけて。その、何時にない必死な様子に、取り残されたライダーはぼりぼりと頭をかいて、ついでにたりと口角を持ち上げた。

「坊主にも困ったもんだな」

 言いながら、面白くて仕方ない、とばかりにライダーは、今にも見失いような小さな背中を追いかけるようにその太い脚を動かした。





 人避けの結界を敷いた古びた空き地で、積み重なった土管の上に腰掛け、閉じていた目を薄らと開いた。
 手入れをされていないのか、好き勝手に生えては伸び切った草は黄色く変色し、萎れ項垂れより廃れた空気を醸し出している。それが季節のせいばかりといえないのが、悲しい話であろうか。

「・・・そろそろくるかな」

 ぽつり。呟きを零せば、傍らの気配が身じろぎをする。もちろん、まだ霊体化させている状態なので姿こそ見えないままだが、パスで繋がっている今、どこの辺りにいるかなど容易く把握できる。もちろん把握しようと思わなければわからないままだけど。頬杖をついていた顔をあげて、背筋を伸ばした。つい、と無造作に手を伸ばせば、ひらりと、ゆるく伸ばした指先に、黒い揚羽蝶が舞い降りた。音も感触もない。魔力で編まれた魔生物は、呼吸するかのように、黒い翅を上下させて、その翅を休めている。お疲れ様。小さく言って、その薄い翅を撫でるようにもう片手を滑らせると蝶に向けていた視線を緩慢に前に向けた。
 そして、そこで息を切らして立っている、久しぶりにみる青年の姿に知らず口元に微笑みが浮かぶ。一応、あの時水鏡を通して一方的にだが姿は確認していたがこうして面と向かって邂逅すると、なんともいえない気持ちになるな。元気なようで何よりだ、とか。こんな危ないところにいて欲しくなかったな、とか様々なことを考えながら、きゅっと口元を引き結んだ青年――ウェイバー君に、手の中の揚羽蝶を消しながら声をかけた。

「こんにちは、ウェイバー君。久しぶりだね」
、先生・・・」

 声をかければ、彼の顔が歪みを帯びる。きゅっと寄せられた眉に、何か言いた気に薄く開いた唇は、けれど言葉が見つからないのかきゅっと閉じられて、苦しげな目を向けられた。なぜそんな顔をするのかはわからないけれど、まぁ、気まずいのかなぁ、と思いつつ腰かけていた土管から降りて地面に足をつけると、足元でくしゃりと草がつぶれた。

「どうして・・・」
「どうして?・・それはこっちが聞きたいなぁ」

 喘ぐように苦しげに、小さく呟いた声に苦笑交じりに返事を返す。その言葉を聞いた瞬間、ウェイバー君ははっと息を飲み、気まずそうに視線を逸らした。・・・なんだか私が彼を苛めているようだな。いや、そういうつもりは微塵もないよ?追い詰めている気もないのだが、彼にしてみたらそうじゃないのかもしれない。まぁ、・・・やらかしたことは確かに後ろめたいだろうけどさぁ。
 罪悪感を覚えるぐらいならやらなきゃよかったのに。そうすれば、・・・こんな危険なことに、巻き込まれずに済んだのに。あぁ、責めるつもりはないのに、いささか非難がましく思ってしまうのは、「戦争」という危険に彼が自ら身を投じてしまったからか、と軽いため息を吐いた。

「まさか、君がこの戦争に参加してるなんて思ってなかったよ。一昨日見かけるまでは」
「・・・っ貴女こそ!・・貴女こそ、なんで」
「そりゃ、元々令呪が出たのは私だもの。本当は参加なんてしたくなかったんだけどね。周りがねぇ、許してくれなくて」

 できることなら出たくなかったさ。こんな危険なことに自ら首を突っ込む人の気が知れないというか、みなさんなんでそんな思いっきり怪しいものに願いを託そうとするのかね。万能の願望器とか・・・なにかしら不具合があって然るべきもんだよね。どんな物語でも、「どんな願いも叶う」ものほど、胡散臭いものはないというのに。

「なので、私は正直この戦争に真剣に参加する気も、ましてや聖杯が欲しいわけでもないのですよ。ライダー・・・征服王、イスカンダル」
「――ほう。それを信じるにたる証拠はあるのか?娘よ」
「ッライダー?!」

 教え子を通り越し、その後ろ。現れた巨漢の男に向けて笑みを向けると、男は口元に笑みを履きながらも探るような目でこちらを見据える。自身のサーヴァントの接近に気づいていなかったのか、ぬっと現れたサーヴァントにぎょっと目を見開いたウェイバー君の頭の上に乱暴に手を置き、獰猛な笑みを男は浮かべた。その、常人が持ちえない空気――気迫とも呼べる王の風格に、気圧されそうになる。さすがは、歴史上にその名を残す王。威圧感半端ないよぉ・・っ。
 いっそ逃げたいなぁ、と思いつつもそれじゃぁこうして出向いた意味がない、と後ろに下がりそうになる足を懸命に抑えてぐっと顎を引いてライダーを見つめた。

「名も名乗らん者の言うことなど、信用に値するとは思わんがなぁ。どうだ?娘」
「ライダー!お前先生に向かって・・・っ」
「ウェイバー君。・・・貴方の言うことは確かにその通りです。ご無礼をいたしました、征服王。―――ランサー」

 挑発するように言葉尻をあげたライダーを咎めるようにウェイバー君が彼の名を呼ぶが、その声をこそ私が制止して、ざわりと殺気をあげたランサーを呼ぶ。てかランサーも殺気出すなよ!警戒されたらどうすんの!?まぁいきなり出てきて槍突きつけない分マシかもしれないけど、でもやっぱりよくないよねそういうの!
 ここでライダーと一戦とかマジ勘弁だからね?!内心でライダーの気迫に飲まれそうになるのを叱咤しつつ、霊体化を解いて姿を現したランサーを横に、息を飲んだウェイバー君と、瞳を眇めたライダーを見据えてピンと背筋を伸ばした。

「今回、ランサーのサーヴァントを召喚して聖杯戦争に参加しております、・エルメロイ・アーチボルトと申します。先日は姿を見せず申し訳ございませんでした、征服王よ。そのご尊顔、こうして現世で拝見できること光栄に思います」

 言いながら頭を下げ、薄く微笑みを浮かべる。いやもうそれぐらいしないと緊張感でどうにかなりそうでね!だって征服王!征服王だよ超有名人!歴史上の人物をこの目で見れるとかすっげぇな聖杯!!興奮と緊張と恐怖と歓喜と。混ぜこぜになった複雑な心境で、けれどもなんとかポーカーフェイスを押し通して顔をあげれば、ライダーはほう、と声を零してまじまじと私を見た。

「お主がランサーのマスターであったか」
「はい。先日はランサーを気に入ってくださったようで・・・ランサーの無礼、お許しくださいませ」
「ははは!よい、よい。あれぐらいでなければこちらとしても物足りんわ!それにしても、あのランサーのマスターがこのような娘とはな・・・。どうだ?我が配下とならんか?待遇は応相談といったところだが・・・」
「ら、ライダーぁぁぁぁ!!!」
 
 大きく笑い声をあげて、顎髭を撫でながら誘いをかけるライダーに、ウェイバー君が何言ってんだよこの馬鹿ぁ!!と言いながら頭に置かれた手を跳ね除けて拳でライダーの胸板を叩きつける。うん。微塵にもライダーに効いてませんけどね!まぁ問題はその微笑ましいやり取りではなくて、ちゃき、と槍を持つ手に力を込めて剣呑な顔をし始めた自分のサーヴァントの方かな!ランサー、落ち着け。彼が欲しいのは私じゃなくてランサー、君だから。

「主に向かってのその無礼、許さんぞライダー」
「欲しいものを欲しいといって何が悪い!わが軍には花が足りんでなぁ。ちと幼いが、なに。お主のマスターも十分な花となろうぞ」
「主はこのままでも十分可憐な花だ、訂正しろ、ライダー!」
「ランサー、ちょっと黙ろうか」

 違う。論点そこやない。思わず内心で突込みをいれながら憤慨した様子のランサーと面白そうに笑っているライダーにこめかみを抑えつつ、ため息を零す。
 あのシリアスどこいった。そう思いつつ、今にも前に出そうなランサーを片手をあげて制止し、改めてライダーを見やる。その顔を見上げると、ライダーはぴくりと眉を動かしぽかぽかと胸を叩くウェイバー君の頭を鷲掴みにして、いささか乱暴にぐりっと首を捻らせこちらを向かせる。ぐきっと痛々しげな音が聞こえたのは、できるなら気のせいにしたい。なんだろう。仲はよさそうなのに、扱いが雑だよな・・・。顔を真っ青にして首の痛みに悶絶しているウェイバー君に、あぁ、やっぱり痛かったんだな、と憐みの視線を送りながらこほん、と一つ咳払いをした。さて、うまく同盟を組むことができるだろうか?一抹の不安を感じつつ、私はアンバランスながらもバランスのとれたライダー陣営を見つめて、ごくりと喉を鳴らした。