同盟、組みませんか?



 足を踏み入れた瞬間、世界は様相を変えた。
 木漏れ日の差す庭木。石で囲まれた池の中で悠々と泳ぐ色鮮やかな鯉の優美な尾ひれ。
 小鳥の囀りは歌うように軽やかで、冬の気配に冷やされた空気はけれど透明に澄み渡り、その中でひっそりと佇む家屋の落ち着きはまるで一つの額縁に収められた絵のように溶け込んでいる。
 清らかなる世界。研ぎ澄まされた神域よりも、穏やかな母の胎内にも似た暖かさがそこにはあった。
 この家、庭の、隅々まで行き渡る魔力――否、魔力とはどこか隔たりを感じる力の気配に、吐き出された息は感嘆を含んでいた。

「坊主、お前さんの先生とやらは、随分と稀有な人間のようだな」
「は?いきなりなんだよ」
「この屋敷を取り纏う空気・・・これほどの土地がまだこの世に存在するとは。ここが特別綺麗なのか、それとも・・・」
「ここは「普通」ですよ、ライダー。二人とも、どうぞこちらに」

 瞳を眇め、庭を見渡すライダーに声をかける。空間に及んでいた意識をこちらに引き戻すと、にこりと笑みを浮かべて玄関の戸を開けた。さすがに人避けの結界を敷いているとはいえ、空き地で長々と話し込むのは疲れるばかりだ。どうせならゆっくりと話したい、と提案をして家に招くことに成功したことにほっと安堵しながら、玄関口で靴を脱いでそろえた。靴を脱ぐという習慣がないからか、ウェイバー君はいささか戸惑ったようだったが、ライダーの方は聖杯からの知識か、ためらうことなく靴を脱ぎすててどかりと足をあげる。まぁ、元々そんな遠慮やら躊躇いを覚えるような性格ではなさそうだが・・・。
 その遠慮のない様子に、ウェイバー君はきりり、と眉を吊り上げてライダー!と声を荒げた。

「こら、お前先生の前で・・・!」
「いいんだよ、ウェイバー君。さぁ、君も上がって上がって。ランサー、二人を客間に案内して差し上げて。私はお茶の用意をしてくるから」
「御意。お二人とも、こちらに」
「おぉ、儂は茶よりも酒の方が・・・」
「ラ・イ・ダー!」
「・・・冗談だ、坊主。そう目くじらを立てるな」
「ふふ。お酒はまた夜にでもご用意をいたしますよ、ライダー。ウェイバー君も、あんまり気にしないで良いんだよ?」
「でも先生!」
「はははは!坊主よりも、そちらの方が話がわかるな!ほれ、本人がそう言ってるんだ、いつまでもそんなところでぐずぐずしてないで、こっちにこい坊主」
「お前なぁ~~~!」

 面白いなぁ、この二人。全く意に介していない、マイペースを貫くライダーと、それに振り回されるウェイバー君の漫才のようなやり取りに微笑ましさを感じながら、ランサーに案内を任せて私は台所に向かう。
 夜にでも、とは言ったけれどウェイバー君にも今お世話になっているところがあるから、夕飯までには返してあげないとなぁ。まぁ、連絡をいれればいいんだろうが・・・。・・・夕飯までいるとなったら、今ある食材で足りるだろうか?ランサーもあれで結構な大食らいだし、ライダーなんかもう見たままがっつり食べそうだ。体格と食事量が比例するなら、とりあえず今ある食材は全て食い尽くされること請け合い。うん。そうなったら買い物に行かないと。きっとおつまみもいるだろうし・・・そういえばランサーもお酒飲むのかな?飲めるだろうけど、ライダーと飲み交わすって感じはしないよなぁ。私もウェイバー君もそう飲むタイプじゃないし・・・。つらつらと考えながら、電気ポットで沸かしたお湯を急須に注ぎいれ、お茶と茶菓子を用意して居間に向かう。扉の前に立てば、手を使うよりも前にまるで自動ドアのように勝手にあいて・・・というか、ランサーが気を利かせてあけてくれたのに軽くお礼を言いながら、どん、とあぐらをかくライダーと、その横でちょこんと小さくなるように座るウェイバー君の前に、ことりとお茶をおいた。ちゃんと正座をしている辺り、日本文化を多少勉強してきたのかもしれない。でもちょっと慣れてなさそうにもぞもぞしてるところが微笑ましい。

「粗茶ですが・・・」
「あ、す、すみません先生・・!」
「ほう、この国の茶か。あまり飲んだことがないな」
「この渋みとお茶菓子の甘みは絶妙ですよ。おせんべいとも合いますけど」
「おぉ、あの焼き菓子ともか!それはいいな!」
「よろしければお持ちしましょうか?」
「いえ!そこまでして貰うわけには!ライダー、お前もう少し遠慮しろよっ」
「相手の申し出を断る方こそ不躾だと思うがなぁ」
「気にしないって言ってるのに」

 そもそもそんな恐縮されるような人間でもないよ?羞恥なのか憤りなのか、顔を赤くしてライダーの腿を抓るウェイバー君に、しかしやはりちっとも痛みを感じないのか肩をすくめて、ライダーはその手には小さすぎる湯呑をもって、ごくりと喉を鳴らした。美味い、という言葉にほっとしつつ、彼らの正面に私も改めて腰を落ち着ける。ランサーは、私の斜め後ろに正座して待機するように鎮座し、対談の場を整える。チチチ、と庭で雀が鳴き声をあげ、一瞬の静寂が落ちると私は薄く唇を動かした。

「今回、二人を使い魔で誘いをかけたのは他でもありません。私たちと同盟を組んでは頂けないか、というご相談のためです」
「えっ」
「ほう?」

 反応は対照的だ。驚いたように目を見開くウェイバー君に対して、つい、と瞳を細めたライダーは、推し量るように私を上から下まで見下ろして、弄ぶように顎鬚を撫でた。
 目を白黒させて、言われたことが理解しがたいことであるかのように目を剥くウェイバー君は、戸惑ったようにどうして、と呟きを落とす。それに、こてり、と小首を傾げて、先ほども言ったけれど、と前置きをして私は二人に交互に視線を向けた。

「私に、聖杯にかける願いはありません。元より参加する気もなかった戦争です。私は、私の願いよりもわが身を優先したい。それを証明するものは生憎とこの言葉と心しかありませんが、偽りなき本心であると誓いましょう」
「真に、聖杯に願うものがないと?仮に、お主に願いがないとして、そこなランサーにも同様のことが言えるのか?」
「・・・彼の願いは聖杯を得るというよりも、得る過程によるところが大きいのです。まぁ、今回私に聖杯は不要ですから、別の事で彼の願いは叶えてもらうことになりますが・・・」

 忠義を果たす、だからなぁ。聖杯が欲しいんじゃなくて、自分がいかに聖杯を得るために活躍できるか、ってところが彼の願いな分、ある意味で聖杯がいらないってところは私と彼は似ていたのかもしれない。
 まぁ、聖杯がいらないせいで戦争自体にノータッチになりそうなところが、ランサーにとっては不服かもしれないが・・・冬木をなんとかするために頑張るってことで、納得してもらいたい。
 私の台詞に、ふむ、と考え深そうに口を閉じたライダーのかわりに、今まで絶句していたウェイバー君が、訝しげに眉を寄せて問いかけてきた。

「ランサーの願いって・・・?」
「わが願いは主に忠義を尽くすこと。聖杯戦争というのは手段でしかない。だから、確かに我々には聖杯は無用のものと言えるだろう」
「忠義、なぁ・・・」
「・・・・まぁ、それは置いといて」

 ランサーの言い分に思うところがあったのか、ライダーの胡乱気な視線に、それをかわすように声を挟む。うん。言いたいことはなんとなくわかるよ。ランサーの言い分って、なんか、ちょっと引っかかるよね、ってことはわかる。わかるけども、まぁ、なんだ。別にそう大きな問題はないと思うから、あえてスルーで。何かやらかしそうだったら一応止めには入るけども、今のところ実害はないのでいいかなって。

「どうでしょう?ライダー、ウェイバー君。私たちには君たちと敵対する意思がないし、その理由もない。同盟が無理ならば、不干渉の約束だけでも取り次げないでしょうか?」

 ただ私死にたくないだけなんで。攻撃してくる陣営が減るだけでも心労は減るんだけども。あくまで自己保身のためなので、それだけでも約束して貰えたら嬉しいんだけどなぁ。

「僕は、先生がそう望まれるなら構いません。その、僕だって、先生と闘いたいわけじゃないし・・・」
「まぁ、敵が一人減るには好都合だな。同盟、ということは、こちらの目的にそちらもなんらかの協力はするということだろう?」
「私は自分の命が優先ですので、できることには限界はあるでしょうが、出来うる限りの協力は惜しみません。最後に、貴方たちと私たちが残るとあれば、こちらが負けを認めます。・・・ランサーも、それでいいよね?」
「それが主の決めたことであれば、俺に否やはありません」
「・・・と、いうことです」
「そうか。・・・で、他にも何かあるだろう?お主。まさか、不可侵のためだけに同盟を仰いだわけではあるまい?」
「え?どういうことだよ?」

 納得したように頷きながらも、続いた言葉に息を飲む。探るような目に、さすが、腹の探り合いには慣れているんだろうなぁ、と思いながら、疑問符を浮かべるウェイバー君にちらりと視線を向け、私は見下ろすライダーの視線を見返すように視線をあげた。

「・・・そうですね。ほとんど不可侵が目的ではありますが、もう一つ。お願いしたいことと、お話しておかなければならないことがあります。ただ、これを話して二人が聖杯を求めるかどうかが微妙なところなんですが・・・」
「え?」
「どういうことだ?」
「今回、私が聖杯戦争に参加しない、といった理由には、大本には願いがないことがありますが、もう一つ。この冬木という土地そのものに異常が見られたからなのです」

 告げた言葉には、二人が息を飲む。異常?と眉を寄せたウェイバー君にこくりと頷いて、私はつい、と庭に視線を向けた。

「二人とも、この家の敷地に入った時、違和感を感じはしなかった?」
「・・・綺麗な空気だとは思いました。整っているというか、落ち着いているというか」
「そうさな。神域にも近いものは感じたな。魔力とは違うもっと別のもの――清浄なる力の気配だ」
「さすがライダー。いえ、英霊、というべきなんでしょうね。とはいっても、それは半分当たって、半分違います。ここは、確かに精霊や神霊の加護はありますけど、「本来あるべき」状態なんです」
「どういうことですか、先生」
「簡単に言えばね、ウェイバー君。この家の周りは、本来冬木というこの土地が持って然るべき状態なんだよ」
「―――つまり?」

 遠回しな表現に、ライダーが先を促すように問いかける。それに、なんといったものかなぁ、と言葉を探しながら、私は口を開いた。

「今の冬木は、土地そのものが異常なまでに穢れているんです。ここは、穢されることのなかった冬木の土地といってもいい。だからこそ精霊や神霊が集まり安いし、その上で神域に近い様相になっているのだと。まぁ、元々冬木という土地そのものが聖杯戦争なんてものの舞台に選ばれるほど霊脈の強い土地なんだから、ここら一体に精霊や神霊が多く現存していたとしてもなんら不思議はないでしょ?」
「そ、それは確かに・・・。て、あれ?先生、神霊と交信したことがあるんですか?!」
「・・・まぁ、それはさておいて」
「先生?!」
「問題なのは、その清らかな土地が、異常なまでに穢れてるってことなんです。二人は何か感じませんでした?」

 私はここにきて即行ぶっ倒れましたよ。えぇ、もう本当洒落にならないよねここの土地!

「そういうもんだと思っていたからなぁ。もとより聖杯が出現する地。多少の歪さは、聖杯という魔力の純度のせいかと思っていたが・・・それにしては、いささか濃厚すぎる気はしていた。後は・・そうだな、確かに、生命力には乏しかったやも知れぬ」
「そういえば・・・季節柄かと思っていましたけど、なんていうか・・・活気には乏しかったような・・・。あと妙な犯罪が多いとか・・・」
「まぁ、確かに聖杯が現れるほどの魔力の濃縮はいくらかの原因とは言えます。これほどの濃密な魔力ですから、なんらかの影響がないとは言えない。だけども、それを差し引いてもこの土地の穢れ方は「異常」なんです」
「お主がそうと断じる根拠は?」
「龍脈の汚染です。正直、この土地の管理者がなんで全く対策の一つもとってないのか不思議なぐらい汚染されてるんですよ、この土地の龍脈は」
「龍脈が汚染されてるって・・・・」
「・・・龍脈は、生き物の体で例えるなら血管のようなもの。その血管に異常、つまり毒やら固形物やらでせき止められたりだとかしたら、どうなると思う?」
「・・・程度にも寄るでしょうけど、まず無事じゃいられないと思います」
「最悪、死ぬな」
「つまり、そういうことなんです。このまま放っておけば、この冬木という土地は間違いなく死滅するでしょう。それがどれだけ先のことになるかはわからない。十年、二十年。もっと先かもしれない。もしかしたら、明日にも限界を迎えるかもしれない。・・・そんな状態で、聖杯戦争なんてやっていられます?」

 関係ないんだから放っておけよ、とも言われるかもしれないが、そうとも言ってられないのがわが身である。解決、まではいかずとも解決策を見つけるまでの延命ぐらいはしておかないと・・・この土地の生き物全部が消えてしまうことになりかねない。それは、さすがに、ちょっと、放っておけないよねぇ。だからといって私に何がどこまでできるかって話なんだが。
 いやもう本当、厄介なことに巻き込まれたもんだよなぁ。なんで戦争に強制参加させられた上に土地救済策まで練らねばならんのか。私そのうち過労死するかもしれん。
 疲れたようにため息交じりに言えば、沈黙が辺りを支配する。渋面のライダーと、顔を真っ青にしているウェイバー君をみて、やっぱりそういう反応になるよねぇ、と内心でこくこくと頷いて、ここで最後の爆弾を落とさねばならない、と沈鬱な気持ちで肩を落とした。

「というか、ここまできたら聖杯そのものも危ういですし」
「え?聖杯が?」
「うむぅ。聖杯までも異常があるというのか?」
「だって、聖杯って魔力が帰結する場所に存在するものでしょう?聖杯がその魔力を蓄えて聖杯たりえるというのならば・・・・汚染された龍脈の影響を受けてない、なんて都合のいいことにはならないだろうなぁって。最悪、使い物にならない可能性もありますよ」

 穢れた聖杯を聖杯と呼んでいいものかはわかりかねるが、まぁ、ぶっちゃけ碌なもんじゃない気がする。もともと胡散臭いし。無色の願望器とか。だから正直、この戦争自体無意味だよねー!っていう事態に陥ってる可能性もあるわけで、そんな状態で生死をかけたバトルとか・・・やりきれんわ。というかやる気にもならんわ。
 ただでさえ底辺レベルの意欲がマイナスまで殺がれること間違いなし。うん。だから、ウェイバー君やライダーの願いがどんなものかはわからないけど、期待しない方がいいんじゃないかなって、先生思うよ!
 あっけらかんと告げれば、ウェイバー君はぽかんと口をあけて、ライダーは眉を寄せてむむぅ、唸り声をあげた。
 聖杯が欲しくてこんなところまできたのに、その聖杯に不備がありまーす!とか、ほんと骨折り損のくたびれもうけって奴?

「・・・だが、まだ確証はないのだろう?」
「聖杯の汚染の確証はないですけど、龍脈の汚染なんて簡単に証明できますよ」

 諦めきれないようにそう問いかけるライダーに、まぁ論より証拠ってな、とすく、と腰をあげる。合わせるようにランサーも立ち上がり、見上げてくる二人を見下ろして(しかしライダーとはあんまり視点に差がないんですけど?!)、私はにっこりと笑みを浮かべた。

「では、行きましょうか」

 龍脈なんてそこかしこにあるんで、見せようと思えば簡単に見せれるんだな、これが。自分の目で見た方が納得する、と、そういうことなのだろうが。ライダーは、しょうがあるまい、と一つ呟いて、のそりと立ち上がった。
 ウェイバー君は考え込むように下げていた視線を、はっとしたように慌ててあげて立ち上がったライダーに続くように膝を立てたが、次の瞬間、ひぎゃぁ!と悲鳴をあげて、べしゃりと卓に突っ伏した。

「おぉい。坊主、どうした?」
「大丈夫か?ライダーのマスター」
「う、うぅぅ・・・!」
「・・・あー・・・」

 突然突っ伏して唸り声をあげるウェイバー君に、ランサーはちょっと心配そうに、ライダーはきょとんと不思議そうに。ぷるぷると震えるウェイバー君の横にしゃがみこんで問いかけていたが、彼にそれに答える余裕はなさそうだ。というか、言いたくもないのかもしれないが・・・。私はなんとなく事情を察して、リビングに案内すればよかったな、と今更ながらに考え付いた。客間は和室だが、一般的に食事を取るところは洋間作りになっているここでは、彼のような人間はリビングに案内するべきだった。うん。ごめんウェイバー君。

「足、痺れたんだね・・・」

 英国の人に、正座というのは、きつかったよね・・・。それでも最後まで頑張った君には、あとでお菓子をあげよう、と心ひそかに決めて、彼の痺れが落ち着くまで、まったりとライダーとお茶菓子を突くことにした。
 うん。ライダーにもお菓子を気に入った貰えたようで何よりだよ。