蒼天の花
「ところでよ、なんでも一緒についてきてるんだよ?」
食事中、今更過ぎるビィの疑問に、私は生温い微笑みを浮かべた。
※
ポート・ブリーズ群島の主島エインガナ島。風の大星晶獣ティアマトの加護の元、穏やかな風に守られた空の浮島。交易が盛んなこの土地は多くの島民や艇が行き交うこの近辺の島々の中継地点且つ独立した自治権を持っており、あの帝国の支配も及ばぬ賑やかな島だ。帝国の息がかかっていないので、長くは留まれないがいるにしても他の街より安全、ということらしい。旅支度をするにはもってこいの街なんだと。ど田舎の閉鎖された浮島に住んでいた身としては、説明してくれたカタリナさんに感嘆符を零すしかできない。よくご存じですね。
しかし星晶獣、と言われてもよくわからなかったがなんとなくあの空に見たドラゴンのような生き物かなぁ、と想像する。超怖いなそれ。攻撃力半端ないけど相手人間じゃないものなんだから当然か。風の大星晶獣とか・・・これは絶対火の大星晶獣とか水の、とかがいるに違いない。そうなるとあれか、もっと個人的にわかりやすく解釈すると精霊ってことですな。よくあるよね風の精霊シルフとか、水の精霊ウンディーネ、とか。四大元素は絶対いるだろうな。というか人や武器にも属性が付与されてるしな。なるほどそういう類のやつですか。星の民が作った人工物らしいが、人智を超えたレベルの力の持ち主なのでおおよそ私は自分の解釈に違いがあるとは思わない。しかしそうなるとあれだな・・・ゆくゆくは私ら、というかグラン兄さんと、か。この島の守り神様とバトルすることになるんじゃね?と薄らと思わなくもなかったが、まぁあえて考えまい。ていうかそうなった場合、最早私ごときがそのイベントを回避する術など持てるはずもなし。私にできることと言えば、如何にして対岸の火事のごとく安全地帯に逃げ込めるか、ということぐらいだろう。できるならばそんなイベント、起こらないことを切に願う。
しかしまぁ風の大星晶獣ねぇ・・・この島を包む不思議と穏やかな気配はそれに由来するのだろうか。こう、故郷とは違う感じで不思議な気配を感じるんだよね。優しく穏やかで、ちょっと切ない、冷たい風の気配。遊ぶようにまとわりつく風はどこか人を引き止めるようでもあって、ふと風の流れを追いかけるように見上げた先には大きな神殿が建っていたのを覚えている。そんなことを思い出しつつ、水を飲んで私はちらり、とテーブルを見渡した。凍りついた空気に、本当今更な話だよね、と溜息が零れる。はぁ、と零れた溜息に、びくん、と同じテーブルに着く人達の肩が揺れた。
何故かと問われれば、勢いでとしか言いようがない。降りるはずの艇が、カタリナさんの急発進のせいで降りるタイミングを見失い、尚且つ暴走気味だった艇を立て直すのに混乱したあの状況でどうしてUターンしてくれなどと言えようか。
そしてこれはついさっき判明したことではあるが、カタリナさんは騎空艇の操縦は初めてだったという・・・益々繊細な操縦が望めるはずもなかった、ということだ。
淡々と言えば、みるみるうちに蒼褪めるカタリナさん。気まずそうに視線を泳がせる兄さんに、大きなローストビーフを口いっぱいに頬張ったルリアちゃんがごくん、と口の中のものを飲み込む。ビィはあー・・・となんともいえない唸り声を出すと、まぁ、なんだ、と私の肩に手を置いた。
「グランもだけど、お前も大概どっか抜けてるよな」
「いやこれ私の問題じゃなくない?一ミリたりとも私の責任はないでしょ?完全に巻き込み事故でしかないでしょうが!」
「す、すまない。本当に申し訳ない!」
それは違うぞビィ!!思わず声も荒げて突っ込めば、がばぁ!とカタリナさんがテーブルに額をつける勢いで頭を下げた。亜麻色の髪の頭頂部を見ることになって、非常に複雑な気持ちでむっつりと渋面を作る。
「ごめんなさい、。私があの島に落ちちゃったから・・・」
「いや、それは不可抗力だし、何度も言うけどその件に関してルリアちゃんが悪いとかカタリナさんのせいだとか、そういうことは思ってないよ」
原因だとは思うが、それが悪かと言われるとそういう話でもない。そういうことだった、しようがないことだった。ルリア自身が選んで起こしたことでもない事柄に関して責め立てるほど心の狭いことを言うつもりは私にはない。偶々あの島だった。そこで偶々兄さんに出会った。そして紆余曲折あって旅に出ることになった――偶然という名の運命のよなものだろう。あるいは必然か。そうなるべくしてなった、と判じる他ない完璧な流れだ。そこをどうこういっても詮無きこと。しいていうなら神様この野郎、ってところかな。首を横に振り、生ハムとトマトとモッツァレラチーズの乗ったサラダをフォークでぷすりと刺して口に放り込む。生ハムの塩気とトマトの酸味、チーズのコクがレタスとルッコラのシャキシャキと淡泊な味でいい具合に噛みあっている。美味しいな、このサラダ。
「まぁ、来ちゃったものはしょうがないですし、とりあえず私はこの島からどうやってザンクティンゼルに帰るか考えないといけないんですよね」
「なんだ、一緒に来ないのかよ」
「私は田舎でのんびり暮らしたいんですー。ていうか家がそのまますぎてすごい気になってる。戸締りもしてなかったや、そういえば」
あの時は慌ててたからなぁ、とぼそりと呟き、なのでもう別に構いませんよ、カタリナさん。と頭を上げて貰う。故郷の実家は今どういう扱いになってるかな。兄さんが旅に出ることは想定していても、私までいなくなるとは思ってはいまい。行方不明扱い・・・いや帝国が村に来たことも考えるとうっかり帝国兵に切られちゃったかもしれないとか思ってるかも。違いますよ元気で生きてますよすごい死ぬかと思う目にあったけど。アーロンが家の世話してくれてると助かるんだけど。田舎だから取られるものもそれほどないんだけど、やっぱり気になるものは気になる。現状、どうにもならないことをそれでも心配しつつ、鎮痛な表情のカタリナさんに微笑みかける。よっぽど責任を感じているのだろう・・思いつめた顔をしていて、笑ってはみたものの一向よくならない顔色に私は微笑みを苦笑に変えて彼女の前にミートボールのスパゲティを差し出した。
「カタリナさん。起こってしまったことはどうしようもないんです。要は起きた後の行動が重要なんですよ。何も一生帰れなくなったわけでもないんですし、そんなに思いつめた顔しないでください」
「・・・本当に、申し訳なかった」
「カタリナ。もこういってるし、とりあえず今後の話を進めよう。とりあえず、は村に帰る艇を探すことと、僕達は・・・騎空艇の調達?かな?」
「グラン・・・そうだな。ありがとう。も。旅費は私が出させてもらおう」
「ちょっと残念ですけど、は村が好きなんですね。じゃぁ、早く帰れるように私も協力します!」
「ありがとう、ルリアちゃん」
お金に関してはありがたいが、装備諸々を揃えるとなると私の分の費用を出してもらうのは気が引ける気もする。だってどう考えても早急に諸々の準備しなくちゃいけないの兄さんたちの方だよね。両拳を握りしめてふんす、と気合をいれるルリアちゃんを微笑ましく見やりながら、まぁリアルに考えてここでバイトでもしてお金を溜めて騎空団か連絡船に乗せて貰って乗り継ぐのが無難だよなぁ、と自分で帰る算段を立てる。
でもあそこマジで田舎だからなぁ・・・あっちの方に向かう艇を探すのが大変そうだ。
「艇もそうだが、まずは操舵士を捜さなければならないな」
「艇より先に操舵士を?」
腑に落ちないようにきょとんとした兄さんに、カタリナさんは目を細めてそうだ、と頷いた。
「なぜなら操舵士というものは――」
「操舵士は、自分が乗る艇を決めているものがほとんどなんですよ~」
「へっ?」
間延びした口調で突如割って入られた会話に4人とも口を閉ざして振り返れば、鸚鵡を従えた私の腰の高さ程度の身長の少女がほやほやとした笑顔を浮かべて立っていた。
ふんわりくるくるとした栗色の髪に、尖り耳の小さな少女だ。尖り耳の時点で私たちとは違う人種であることは知れるが、この空の世界は普通に異種族と共存体制を結んでいる世界なので、殊更に珍しいことではない。しかし、おおよそ陽も落ちた酒も提供する食堂に1人でいるべきではない風貌なのだが・・・多分見た目通りの子ではないのだろうな、と思う。そう観察していると、グラン兄さんがどこか感動したようにはふ、と吐息混じりに口を開く。
「ハーヴィン族・・・こんなに間近で見たのは初めてだ」
「はい~。仰るとおり私はハーヴィン族のシェロカルテ。旅の準備ならよろず屋シェロちゃんにお任せあれ~」
「よろず屋さん?こんなにちっちゃい子なのにお店を切り盛りしてるなんて・・・偉いですね!」
「いや、ルリア。ハーヴィン族は成人していてもこの身長のものがほとんどの種族なんだ。すまない、シェロカルテ殿。ルリアも悪気はないんだが・・・」
「いえいえお気になさらず~。慣れておりますので。それよりも!すこーしお話を聞かせて頂きましたが、操舵士をお探しのようですね~?」
ふふふ、と笑う顔はいまいち感情を悟らせない。柔和な微笑みながら、纏う空気は百戦錬磨の商人のような抜け目なさを感じて見た目のギャップに目を細めた。まぁよろず屋、という商いを営むのだ。計算高い性格なのは当然か。腹の底を読ませないのは商人の必須スキルといったところかなぁ。
「何か当てがあるのかぁ?」
「ふっふっふ、こう見えて全空にその名を馳せる商人たるこのシェロちゃんにかかれば用意できないものなどありませんよ~。旅に必要な道具の手配から仕事の仲介――騎空士の斡旋までなんでもござ~い」
「騎空士の」
「斡旋?」
グラン兄さんとルリアちゃんが絶妙なタイミングで言葉を繋ぎ、同時にこてんと首を傾げる。ルリアちゃんは可愛い女の子だからそんな動作も似合うのだが、兄さんも似合うとはどういう了見だ。・・・まぁまだ15なんだからそんな動作をしても可笑しくはないけども。
「そうです。騎空士の・・・操舵士の斡旋も」
ふっと口角を持ち上げ含みを持たせるように上目使いで告げたシェロカルテさんに、ははぁ、と顎を撫でた。なるほど、売り込みにきたのか。いいカモだと思われたのか、それとも商売の臭いを嗅ぎつけたのか。よろず屋シェロの名を、生憎と私も兄さんも知らないが少なくとも私たちよりはよっぽど外の世界に通じているだろうカタリナさんが彼女に対してあまり警戒心を働かせていないので、信用のできる商人なのかなぁと口を閉ざしたままじっくりとシェロカルテさんを見つめる。にこにこ微笑みを崩さない彼女の顔からでは腹の内など読めないが、幼い見た目と合わせて相手に警戒心を抱かせにくいのは確かだ。
「・・・斡旋はありがたいですけど、ちなみに相場はいくらなんです?」
「そうですねぇ。今は忙しい時期なので、腕のいい操舵士は引っ張りだこですから~大抵の操舵士は出払っているんですよね~」
「なんでいそれじゃ結局意味がないじゃねぇか!」
私の言葉に、うーん、と唇に指をあてて首を傾げ、一旦席に置いていた荷物の元に踵を返したシェロカルテさんは中から何か名簿のようなものを引っ張り出してぱらぱらと捲って眉を下げた。ビィの肩透かしを食らったような素っ頓狂な声に、彼女は捲っていた名簿をあるページで留めると、上目使いに私を見る。
「まぁ、1人、腕の良い操舵士で暇そうにしている人なら心当たりはありますが~」
「・・・仮に、その人を紹介して貰えるとしたらいくらです?」
「そうですねぇ。皆さまは今回当店をご利用頂くのは初めてですので~初回サービスと今後ともご贔屓に、という意味も込めまして~」
そういって、シェロカルテさんは懐からさっとそろばんを取り出すと、バチバチバチン、と駒を弾いてにっこりと微笑んだ。
「このぐらいでいかがですか~?」
「カタリナさん。相場としてはどうですか?」
「え?あぁ・・・そうだな。良心的だと思うぞ。いや、むしろ安すぎるぐらいのような・・・」
「なるほど。いくら初回サービスとしてもあんまり安すぎるのは不安ですね。・・・他にも理由が?」
「うふふ~お客さん、中々お目が高いですね~」
そういって口元を手を覆い、くすくすと笑うシェロカルテさんはほんの少し眉を下げる。そんな私たちのやり取りを言葉も挟めずポカンと眺めているカタリナさんや兄さんたちに、これからはあんたらがこれやるんだぞ、と思いつつ私も薄らと口角を持ち上げた。
「実をいうとこの操舵士、腕はいいんですがちょっと訳ありでして~」
「訳あり?」
「はい~。なので、紹介はさせて頂くのですが依頼を受けるかどうかは皆さま次第なんですよ~」
「確実に受けて貰えるわけじゃないからこの価格ってことですか」
「そういうことです。それでもよろしければ、この操舵士――ラカムを紹介させて頂きますよ~」
ほわほわと間延び口調ながら、どうしますか?と小首を傾げる彼女の瞳は楽しげに細められている。まるで断られる気がしていない、という表情だが・・・まぁ、決定権は私にはないしな。私はなるほど、と頷いてポカンとしている兄さんを振り返った。
急に視線を向けられた兄はびっくりしたように肩を跳ねさせて、え、と丸く口をあける。
「どうする?兄さん。シェロカルテさんが紹介してくれる操舵士さん、ちょっと面倒そうな感じもするけど、行ってみる?」
「え、えぇと・・・」
「いいじゃねぇかグラン。行ってみようぜ!どうせ他の操舵士って奴は出払ってるんだろ?」
「そうですね~。今からラカム以外を捜すとなると・・・一週間は先になりますね~」
「そんなには待てないな。私たちはすぐにでも出なくてはならないのだし」
「グラン、そのラカムさんっていう操舵士さんのところに行ってみましょう!」
畳みかけるように仰がれる判断に、目を白黒させながらグラン兄さんが口元を隠すように手をあてる。それから少しの間考えるように伏し目がちにテーブルの上を見つめ、うん。と一つ小さく頷いた。顔をあげた兄さんは私に一旦視線を向けて、それからシェロカルテさんに向き直ると真っ直ぐに彼女を見つめる。
「じゃぁ、シェロカルテさん。お願いできますか?僕達、そのラカムさんって人のところに行ってみようと思います」
「かしこまりました~。ではでは、こちらがその資料になります~。あ、それと私のことはシェロで構いませんので~今後ともどうぞご贔屓に?」
「わかった、シェロ。ありがとう」
差し出された資料を受け取った兄さんを見つめ、まぁそうなるよねぇ、と私はグラスに注がれた水を飲み干してたん、と軽い音をたててコースターの上に置いた。
中の溶けきらない氷がカロン、と音をたててグラスに当たり、汗をかいたグラスの縁を撫でるように指を滑らせて唇を尖らせる。うぅむ・・・ここまでとんとん拍子に進ませてみたものの、なぁんとなくの話しなのだが・・・。
「すっごいフラグ立てた気がする」
そしてそのフラグは折りようもない兄さんのフラグのような気がする。ラカムさんってどんな人なんでしょうね!とうきうきと兄さんの持つ資料を覗き込みながら言うルリアちゃんを眺めつつ、シェロカルテさんにお代を支払っているカタリナさんを横目に捉えつつ、うぅん、と唸り声をあげて私はフォークの先を翻して豚肉の甘辛炒めに突き刺す。
「どうした?」
「なんでもないよ、ビィ」
そんな私の煮え切らない様子が気になったのか翼をぱたぱたと動かして近寄ってきたビィに、誤魔化すように言葉を濁してフォークの先の豚肉をビィの口元に持っていく。大人しく口をあけて頬張ったビィがもごもごと口を動かす中、私は頬杖をついて息を吐いた。
「・・・ん。まぁ、ついていかなければいいか」
脳裏にチラチラ、あの草原での男性の姿をちらつかせながら、私はそうと決めるともう一度豚肉にフォークを突き刺す。うん。とりあえずなるべくイベントの当事者にならない感じに逃げてればどうにかなるはず。最早イベント扱いではあるが、あながち間違ってもいないんじゃないか、というのは、私の長年の勘が為せる技なのです。