蒼天の花
かつてはきっと厳かに信仰を集めていただろう風の大星晶獣を祀る神殿は、今やその姿、有様を変えて商人たちの寄合所となって街の中央に聳え立っていた。
人は多くいるのに、誰一人として奥に鎮座するティアマトの像が立つ祭壇に祈りを捧げる者はいない。それどころか、ちらりともその視線を向けてやることすらしていないのだから、呆れたように像に寄りかかる男をねめつけた。寄りかかってるものは感謝と畏敬を込めて作られた石像であって、そこらの柱や壁ではないんだけどねぇ?
聞こえてくる会話もここが歴史的建造物でもあるはずの話題ですらなく、街の歴史もティアマトの存在もなかったことのようにただその日の物流、金銭、国の情勢、情報ばかりが行き交っている。大きな石像はただのモニュメントとして背景となり、この街の穏やかな日々を守っているはずの存在はあまりにちっぽけで薄らぼけた存在となっていた。
見上げた先の石像の顔は何一つとして変わりはないはずなのに、差す影の具合のせいだろうか。それともただの私の心情のせいか。ひどく悲しげな顔をしているように見えて、苦く眉根を寄せる。
誰も訪れず、忘れられ山奥で廃れていく神もいるだろう。信仰というのは継続することが難しく、時と共に減っていくことが世の常だ。増やすどころか同じ数だけ維持することすら困難を極めるのが信仰というものである。それは科学だの学門だのによる神秘の理解への結果でもあるだろうし、あるいは恩恵を当然のものとしてしまう慣れによる傲慢さにもよるだろう。しかし、この世界には科学と神秘が共存しているのだからもうちょっと興味を持つべきではないのか?・・・忘れられた神の末路は悲惨だ。ただ力を失くし、その魂を儚くするだけならばまだ救いはあるだろう。誰かひとりでも、覚えていてくれれば神は生きられる。けれど、愛されていたから、愛していたからこそ反転した想いはどちらにも不幸しかもたらさない。あるいは、愛を返されなくなれば訪れるのは緩やかな破滅だ。そういう荒御霊を、私は知っている。そうならざるを得なかった背景を知っているから、多くに囲まれているのにただ孤独なこの石像が哀れでならなかった。
誰も訪れず、誰も知らない。ただ1人消えていくのはとても寂しく悲しいことではある。けれど、多くの人がいるはずなのに、誰もが自分を知っているはずなのに、誰も己を見てくれないのも大概酷い話だな、と私は道中で買ってきた花束をそっと祭壇の足元に捧げた。ティアマトが司る風が吹き抜ける、青と白と淡い黄緑色の花。青と白は空と雲を。淡い黄緑色は彼女の存在がよくわかる草原のイメージだ。穏やかな風の吹き抜ける青々とした草原。風の行く先を教えてくれるそのさざめきが、私は殊の外好きだった。
ポート・ブリーズの風はいつも穏やかだ。この群島の風が荒れることは無く、いつも安全で安心な航海ができると言われている。私はこの群島のことをよくは知らないけれど、天候がいつだって一定を保つことがないことは知っている。風に限らないが、天気とは本来気ままなものだ。穏やかに吹くこともあれば荒々しく吹きすさぶことも、渦巻く暴風を巻き起こすことも、あるいは一切の動きを無くすこともある。そういったことが起きない、ただ穏やかなだけの風が当然などと思えるのは、この島に長くいるからこその驕りというものだろうなぁ。
ティアマト・・・というか星晶獣への参拝方法などわからないので、二礼二拍手一礼でいいのかな?と首を傾げる。ていうかこれ日本の神社の参拝だわ。さすがに星晶獣と地球の神仏とは別物だろ。まぁとりあえず手を合わせて祈っておこうか?南無南無。
「珍しいね、お嬢ちゃん。観光客かい?」
「え?」
手を合わせ、名を名乗り、どうか笑顔でありますようにと願う。誘うように吹いた風の冷たさが、いつか温かな幸福に満ちますようにと。ちなみに身の上話をしたら同情してくれないかな、とか思ったのは余談である。巻き込まれ続ける我が人生よ!聞いてよマジでなんでこうなったのかなぁ?そういえばティアマトの好物ってなんだろう。日本の神様なら大概お酒を供えれば喜んでくれるんだけど。地元のもの供えたら喜んでくれるかな?そんなことをつらつら考えて祈っていると、不意にしわがれた声で話しかけられ、閉じていた目をあけて声がした方を見た。
すっかり頭部も寂しくなった皺くちゃの腰の曲がった老人が、ニコニコと微笑ましげな笑みを浮かべて立っていた。地元の人かな?と思いながら私も愛想笑いを浮かべる。
「ティアマト様に祈りを捧げる姿なんて、久しぶりに見たよ。随分と熱心なんだねぇ」
「こういうの、好きなんです。歴史の重みだとか神様の神聖さとか、そういったものを感じられますし」
好きっていうか知ってるからこそやるべきだというか。へりくだる必要はないけど敬うことはするべきだと思う。言っておくが神様だの精霊だの、人外の力はマジで半端ねぇぞ。経験者は語らせてもらう。あいつらマジ半端ねぇぞ。怒らせたら人間なんてぷちっとやられるからね!偶に人間の癖に「え?お前マジ人間??」って人もいるけど、それは例外のはず!!・・・ファンタジー世界ではざらにいそうだが、まぁそこは考えずにいよう。
言っておくけど、やられるってことは原因があるってことで、正直自業自得だろうがぁ!ってところもあるんだぞ。でも死にたくないし不利益を被りたくないから抵抗はしちゃうよねそれもわかる。罪と罰は等価であるべきだが、神様にせよ人間にせよ罪に対する相応の罰って難しいんだよね。神様っていっても感情的になっちゃうから結構やりすぎちゃって討伐されちゃうこともあるからね!仏は呪わないけど神は呪うんだよ。人間臭いよね神様って。まぁ人間ってのは突き詰めれば神様が自分を模した生き物って感じでもあるし。何事もほどほどにしなさいねってことだ。・・・さておき、私が祈る手を止めて向き直ると老人はそうかい、と相槌をうって眩しそうにティアマト像を見上げた。
「ここも長く商人たちの寄合所になっていてね。街の人間も訪れることが少なくなってきているんだよ」
「あぁ。そうですね。見る限り、誰も彼女を見ていませんし」
少しばかり皮肉を言うように言えば、老人は困ったように眉を下げた。別に、この声をかけてきた老人が悪いわけではない。この神殿は街の中央に聳え立っているし、街自体がだんだん畑のような坂道と階段で成り立つ作りでもあったから、足腰の悪くなるご老体ではこの街の上の方に建つ神殿にくるのも大変だろうことがわかるからだ。
そういう部分も人を遠ざける一因になっているのかもしれない。訪れる中心になるような、次世代にそれを受け継がせていくべき人間が物理的に遠ざかっている。姿を見なければ、若い人間がそれを引き継ぐことは難しい。当たり前の光景が、日々薄れていくというのはこういうところも関係しているのだろうな、と思う。
それにしてももっとこう、観光資源として活用すればそれなりの名所になると思うんだけど、そういうことはしないのかなこの街は?まぁあえて観光地を作らなくても人が来るからなんだろうけど・・・せめてもうちょっと大事にしてあげればいいのに。
「お嬢ちゃんはティアマト様を信じているのかい?」
「信じるというか、なんというか・・・おじいさんは信じてないんですか?」
つーかいるしな。信じるとか信じないとかじゃなくて実在してるから、おじいさんへの返答が少し難しい。姿を見たわけではないが、節々にティアマトの、あるいはそれに準ずるような気配は感じているのだ。この島を流れる風の中に。いや、風そのものといえばいいのか。逆に問いかけるようにすると、おじいさんは考えるように顎を撫で擦った。
「そうだねぇ、ティアマト様はこの群島の守り神様だからね。きっといつも風の中にいらっしゃると思っているよ」
「そう、ですか」
んん。これはどう取るべきだ?おじいさんの言っていることは正しい。島に吹く風の中にティアマトはいる。そういう気配を感じているし、風がここに誘うから、私もここを訪れたのだ。ただ、おじいさんのそれは私がティアマトの存在を感じているとは別のもののように感じる。ティアマトの存在を信じているというよりは、最早そういうものだ、という認識でしかないのかな?当たり前にある、何も考えずともそこに必ずあるもの。ある、とはいっても概念的で、実在するものとは別個のもののような・・・そういう認識だというのなら、この年齢の人がそういう考えだというのなら、この島が彼女の存在を忘れていくのも仕方ないのかもしれない。
てか姿は見ていないけど星晶獣の存在って確認されてるんでしょ?むしろなんでティアマトが偶像化されてるのかがわからないんだけど。姿が見えないからなんだろうけど、いるからな?ここに。・・・やっぱり視覚って大事なんだなぁ。目に見えないと認知しない人間の業の深さここに極まれりってか。
「・・・失ってから気づいても、遅いですけどね」
「うん?」
「いえ。じゃぁおじいさん。折角ここに来たんですから、ティアマトに挨拶ぐらいしていきましょうよ。いつもいい風をありがとうございますって」
にっこりと笑いながら、僅かに首を傾げたおじいさんに場所を譲って目を細める。おじいさんはそれもそうだね、と頷いて、よたよたとおぼつかない動作でゆっくりとティアマトの像の前で手を合わせた。その曲がった小さな背中を見つめながら、私は視界を狭めるように、伏し目がちに視線を下に落とす。
失ってから気づくことなんてたくさんあるし、皆わかっているはずなのに。どうして皆、それを見過ごしてしまうのだろう。手遅れになる前にできることはあるはずなのに、どうして皆、好意がいつまでも続くだなんて思えるのだろう。
仮に、本当にこの群島の平穏がティアマトのおかげだとするならば、それはあくまで彼女の好意で成り立っているのだ。その好意を失くした時。この島の人達は一体どうするんだろう、なんてちょっと意地の悪いことを考えたのは、あまりに寂しく石像が佇んでいたからかもしれない。
誰でもいい。誰か1人でもいいから、自分じゃなくて彼女のために、祈ってあげたらいいのに。無償の愛は、だけど何も返さなくていいということではないと思う。
欲しいとねだるわけじゃない。返してほしいから優しくするわけじゃない。だけど、与え続けて摩耗しないものなんてものも、あるはずがない。ほんの少し。きっと対価として吊り合うものじゃないとしても。ほんの少しだけ、返してあげれば。分けてあげれば。それだけで、きっと頑張れるのに。・・・まぁ、ここにずっと住む予定でもない私がしゃしゃり出る問題でもないんだけど。
「ねぇおじいさん。この島の名物ってなにがありますか?」
せめて、ここにいる間だけは、私はあなたを忘れないでいようと思う。それはとても小さな、自己満足ではあるけれど。耳朶を擽る風が、ふわり、と花束を揺らした。
※
「と、いうわけで帝国の奴らは何か企んでるみてぇだし、ラカムって奴は飛ぶ気はねぇっていうし、困ったもんだぜ」
「うわぁ・・・」
帰ってきた宿の一室で、今日の出来事を語るビィに思わず顔が苦々しく歪む。なにそれ厄介ごとのオンパレードじゃないか。ていうかやっぱりなんかあるのか特大イベント的な何かが。昼間、私は自らのフラグを建設しないために操舵士・・・ラカムさん、という人物の元に行く兄たちとは別れてティアマトの神殿に行っていたのだが、本気で一緒に行動しなくてよかった、とぶちぶちと文句を連ねるビィに相槌を打ちながら人知れず胸を撫で下ろす。ていうかやっぱりラカムって人、あの墜落時にやってきた男の人だったんだな・・・これはもうすでに仲間フラグ建ってるじゃないですかやだー。
「まぁ、なんというか、無事でよかったねー」
帝国と一悶着してよく無事でいられたものだ。ラカムさんありがとう。いくらカタリナさんやグラン兄さんが一般人より強いとはいえ、多勢に無勢になったらまずかった。しかも強い傭兵もいたんでしょ?よくぞ無事で・・・。大した怪我もなくてほんとよかった。
私がそうして安堵している中、同じ部屋にいるカタリナさんが、しかし、と気難しい顔で眉間に皺を寄せた。
「帝国は一体何を企んでいるのか・・・」
「街を壊滅させるって、いってましたよね」
「戦艦がくるのか?でも、そんな気配があればもっと早く気づくはず・・」
額を突き合わせ、帝国の意図を探ろうと頭を悩ませる3人に私は部屋に備え付けの水差しから水を注ぎ足しつつ、ガタタ、と大きく揺れた窓のサッシに目を止めた。
なんとなく、誘われるようにもうすっかりと陽も落ちた外の様子を鏡のように部屋の中を映しだす窓硝子越しに見つめて暗闇に目を凝らす。また、ガタン、ガタタ、と窓が揺れた。見下ろした街の街路樹が、一際大きくその枝葉を揺らす。ザザ、ザザァ。波音のような木葉の擦れる音に耳をすませ、ぽつりと呟いた。
「風が、強いね」
「え?あぁ、そういえば。今日はなんだか風が強いみたいだね」
「偶にはそんな日もあるんじゃねぇか?いくらポート・ブリーズでもよ」
今気が付いた、とばかりに私の呟きに反応した兄さんが同じように窓をみて同意する。ビィもぱたぱたと翼を動かして窓にぺったりと手をくっつけると、うひゃあ、と声をあげた。
「こりゃ嵐がくるかもなぁ」
「・・・ポート・ブリーズは、ティアマトの加護があるよ」
「お伽噺みたいなもんだろー?まぁでも今はそんなことより、帝国のことだぜ。艇のことだって考えないといけねぇしよ!」
「確かに。少なくとも帝国が何かを企んでいることは事実だ。明日、街にこの事を知らせなくては」
そういって、とりあえず考えても仕方がないと思ったのか、カタリナさんが明日の行動の指針を決めて、ひとまず今日はもう寝よう、と皆に声をかけた。兄さんもそれに同意し、おやすみ、といって部屋を出ていく。私とカタリナさんとルリアちゃんは同じ部屋なので、そのまま3人で寝る支度をするのだが・・・ルリアちゃんは、窓際に立つ私を見つめて、きゅっと胸の前で手を組んだ。
「・・・」
「ん?」
さて、もうベットに入らないとな、と思っていると小さな声で呼びかけられて、振り向いて首を傾げる。きゅっと寄せられたルリアちゃんの柳眉に瞬くと、物憂げな顔で彼女は口を開いた。
「さっきから、なんだか胸騒ぎがするの・・・ううん。とても、とても嫌な気配を感じる」
「・・・それ、は」
「このままじゃ、大変なことになる気がするの。でも、どうしたらいいか・・・」
「・・・とりあえず、もう寝よう。今は何が起こってるかも、起こるかもわからないし。明日・・・多分、明日になったら、きっとわかるよ」
不安そうに震える彼女の肩を抱き、そっと頭を撫でて落ち着かせる。カタリナさんがまだ起きて、こちらの様子を伺っている、その気配を感じながら窓を打ち付ける風の音に、そっと後ろを振り返った。月の光も差し込まない。薄暗く淀んだ夜空の向こう。ルリアを抱きしめ、その頭を撫でながら、私の思考はある答えを導き出していた。
「ティアマト・・・」
せめて、私らがいなくなってから事を起こしてほしかったなぁ・・・。
※
目が覚めた時には、街の様子は一変していた。ごうごうと唸りをあげる風。窓と言わず建物と言わず叩きつける雨粒に、昨日までの穏やかなエインガナ島の様子はない。
待ち行く人の姿も見えず、時には強い風に煽られて飛ばされてきた枝や石、看板などが家の壁や窓にぶつかり破壊する音まで聞こえてくる始末だ。あまりの変わりように、私もグラン兄さんたちも唖然と宿から街を見下ろすほかない。
「そんな、こんな急に・・・?」
「ひどい嵐だな。こんな嵐は初めてみた」
昨日から風が強くなる予兆はあったが、それにしても急展開すぎる。ただの嵐にしてみては、その規模は大きすぎた。風の勢い、雨粒の大きさ。対策を取らなければ街は壊滅的な被害を受けるに違いない。見上げた空の不穏な雲の厚さにぞっと背筋を凍らせながら、人間ではどうすることもできそうにない暴風雨を眺めていれば慌ただしく部屋の扉が開けられた。
「あんた達、まだここにいたのか!早く街の中央にあるティアマトの神殿に避難するんだ!」
「え?」
「もう他の客も移動してる!・・っくそ、なんだってこんな嵐が・・・!」
「ただの嵐じゃないんですか?」
宿の店主がそういって、焦燥にかられた様子で苦々しく舌を打つ。あまりに動揺の強い様子に目を丸くすれば、あれを見てみろ!と叫ばれた。うん?
「なんだぁありゃあ!?」
「竜巻!?」
「馬鹿な、あんな規模のものが街を襲えばひとたまりもないぞ!」
素直に全員で窓から外を見れば、遠くの方に、先ほどまではなかったはずの渦巻く気流が真っ直ぐに天に伸びてこちらに近づく姿が見えて、ぎょっと目を見開いた。
なんだあのでかさ!ていうかえ、ちょ、うわっ。
「増えた?!」
「尋常じゃない、これは・・・!」
「わかっただろ!?とにかく、早く避難してくれ!!」
見る見るうちに竜巻は数を増やし、全く勢いを衰えさせることもなく街に近づいてくる。いや、一部はすでに飲み込まれたのか、遠目に舞い上がる瓦礫も見えてひっと息を呑んだ。店主は言うだけ言うと、即座に部屋を離れてダンダンと荒々しい足音をたてて階段を下りていく。ビィがその音に急かされたように俺達も早く避難しようぜ!と両手をばたつかせた。そ、そうだね。原因はわかりきってるけどぶっちゃけどうしようもないから、とりあえず避難できるとこに行かないとね!そう思って慌てて荷物を掻き集めるように動くが、待ってください!とルリアが声を張り上げた。え?
「感じるんです・・・!あの空から、星晶の力を!」
「え!?」
「星晶の力を?・・・まさか!」
えぇと・・・?そういえばまだ私ルリアちゃんが帝国に狙われてる理由とか諸々の事情を聞いていなかったので、カタリナさんとグラン兄さんが緊張の走った厳しい顔つきになった意味がわからない。いやわかるんだけど。おおよそ原因も理由も思い至ってるし、むちゃくちゃ荒ぶる力も感じるからなんとなく発言から想像はつくんだけど、それとルリアちゃんとどういう関係が?
なんとなく、窓に背を向けて真剣な顔をしているルリアちゃんを見つめる2人の背中を見つめる、というめっちゃ疎外感を感じる位置取りにいながらもまぁそれが狙いだしなぁ、と思いながらどっこらせ、と荷物を背負った。んん。ルリアちゃんの事情とやらは想像がつくようなまだよくわからないような、中途半端な推測しかたてられないが、どっちにしろどうにかして原因を取り除こうぜ!ってなるフラグ。なにせ3人の目が物凄く力強く輝いているのだ。絶望にも焦燥に駆られていない、希望しか見てないような。どうにかしなくては、と前だけ見ているようなそんな眼差しだ。絶対これ首突っ込む気だろ。何か方法があるのかは知らないが、まぁなんにせよ宿からは出なくてはならない。何故って?竜巻が迫ってるからだよ!!
「星晶がどうとかは道すがらでいいから、とりあえず神殿に行こう?ここにいたらどうこうする前に竜巻に巻き込まれてお陀仏だよ!」
「そうだぜグラン!とにかく宿から出ようぜっ」
「あぁ、そうだね。街にもまだ人が残ってるかもしれない。避難の手伝いをしながら、僕達もティアマトの神殿に行こう!」
避難の手伝いをするんかーい!って突っ込みそうになったけど、昔っからの兄の性質を思い浮かべれば至極当然の発言だった。そしてその発言に皆当然のごとく同意をするので、揃いもそろってお人好し!!と地団駄を踏みたくなる。その中でまず自分の安全を確保したいって思ってる私が薄汚く見えるでしょうが!実際薄汚いけども!!否定はしねぇ。私は我が身が可愛い。かといって空気が読めないわけでもないので、ぐっと言いたいことを飲み込んで、全員で慌ただしく宿を出た。瞬間、凄まじい暴風雨が叩きつけるように顔面を攻撃してきて、尚且つ押し戻そうとする風に足元がふらつく。ちょ、おおいこれ想像以上だな!?びしばしと情け容赦なく顔に叩きつけられる雨粒が痛い。雨粒が痛いレベルの暴風雨なぞ滅多に経験したことないよ!
「と、飛ばされちまう~ッ」
「ビィ君。よければ私が・・・」
「ビィ!早くここに入って!!」
風のあまりの暴れように、1人パタパタと飛んでいたビィが吹き飛ばされそうになっている。そりゃ空を飛んでる体重の軽い小さな生き物なんて、こんな暴風雨の中じゃ綿にも等しい代物だ。グラン兄さんの肩にしがみ付くビィに、カタリナさんが頬を染めながら何か言いかけていたのを遮りながら問答無用でビィをレインコートの下に突っ込む。もぞもぞとレインコートの下で動くビィに、顔が出せるように何個かボタンを外せば襟ぐりからぷはぁ!と顔を出したビィが助かったぜ!と歯を見せて笑う。これならビィも飛ばされないしいい判断だろう。そう思った横で、何故かカタリナさんが物凄く残念そうなショックを受けたような顔をしていた。え?なに?なんでそんな顔するの?
「カタリナさん?」
「ハッ。あ、いや、なんでもない。急ごうか!」
え?今のやり取りでそんな顔する要素あった?不思議そうに名前を呼べば、カタリナさんは正気を取り戻したように率先して走り出した。うん?なにがあったの?よくわからないまま首を傾げれば、ルリアちゃんがあはは~と苦笑いを浮かべた。え?マジでなんなの??
よくわからなかったが、そんな些末なことにかかずらっている暇はない。私も走り出した兄さんたちの後を追うように駆け出すと、街の中を見渡しながら、誰か家に残っている人だとか、逃げ遅れた人がいないかを確認しつつ神殿を目指した。何人か動けなくなっている人はやはりいたのでそれを誘導しつつ、ティアマトの神殿まで来ると多くの住人が犇めくあうようにして神殿内に溢れかえっていた。非常電灯もない薄暗い石作りの神殿の中、外の音が不気味に恐怖心を煽る。子供の泣き声と不安がさざなみのように神殿内に広がっていって、身を寄せあっていた。中にはここに来る道すがら飛んできたものでも当ったのか、怪我をしている人までいる。その治療に奔走する人、声をあげて家族か知り合いか、姿が見えない者を捜している人。神殿内に集まった人は、皆今まで経験したことのない異常気象に為すべき方法も手段も思いつかないようで、ただひどい混乱と焦燥、不安で震えていた。
そもそも、常日頃穏やかな風しか浴びてこなかったポート・ブリーズ群島の人間がこんな災害への対策を講じているはずも、想定しているはずもない。備蓄なんてものないだろうし、ひたすら嵐が収まるのを待つしかないのが余計に不安を煽るのだろう。想定したことも経験したことも、あるいは情報すらない現象への人の脆さは骨身に染みてわかっている。経験は宝だ。あるいは自身は体験したことはなくとも、傾向と対策、情報さえあればいくらかの対処はできる。何もできない、することがわからない。これが一番人の不安を煽るのだ。
多少の災害ならまだしも、これほどの大災害を経験することはどこの地域でもそうないだろうが・・・ポート・ブリーズが特殊であるが故、こんな大災害でなくても多分それなりの被害を被っただろうな、とは思う。まぁそれもわからないことだが、さておき何かをしながら待つのと、何もできないで待つのとでは心の構え方が違う・・・これがただ待つだけでは終わりそうもない嵐だからこそ、この現状は正直詰んだとしか言えないだろう。
「おいお前ら!無事だったか!」
「ラカムさん!」
ママァ、と泣き縋る子供を濡れた髪からぽたぽたと雫を滴らせつつ、石を切り出した床に直接座り込んだ母親が宥めるようにその体を抱きしめる。熱源もないのだろうかここは。うろり、と何かせめて濡れた体を暖めることができるようなものでも、と思って薄暗い神殿内を見渡したところで呼びかけられ、グラン兄さんが声をかけてきた人に向かって駆け寄った。
その姿をみれば、こちらもびしょ濡れの男性がどこかほっと安堵した顔でグラン兄さんと顔を合わせている。その顔を見止めて、あぁあの人か、と思っていると一体なんだって急にこんな嵐が、と彼が困惑を表すように頭を掻き毟った。
「・・・ティアマトです」
「ティアマト?」
ビィをレインコートの下から出すべきか否か。そう思っていると、真剣な顔でルリアちゃんがそう口を開いた。
「この嵐は、ティアマトが・・・!」
「おい!避難艇の準備ができたっ。女子供、老人は早くこっちにこい!」
話しだそうとしたその声を遮り、野太い男の声が神殿内に響く。その声に不安に染まりかえっていた中が俄かに希望を取り戻したように明るくなり、ざわざわと声が大きくなっていく。
「避難艇だって?こんな嵐で誰が操縦を・・・っ!」
「そういえば、今操舵士はみんな出払ってるって・・・」
え?そんなレベルで人いないの?マジで?ばっと振り向けば、怪訝な顔をした男性・・・ラカムさんが、はっと目を見開いてくそっと大きな舌打ちを一つ打つと脱兎のごとく急に駆け出した。うえっ!?と驚いた反射で肩をびくつかせれば、グラン兄さんまでもがラカムさん!っと呼びかけながらその後を追いかけていく。更にルリアちゃんやカタリナさんまでも駆け出してしまうので、完全に出遅れた私はこのままここにいればいいかなぁ、と思ったのだが、懐にいれたビィが慌てたように私の鎖骨当たりをびしびしと叩いてきた。地味に痛い。
「おい!俺達も行くぞ!」
「うえっ。マジか・・・」
やだなぁ、なんか巻き込まれそうでいやだなぁ。外に行くんでしょ?折角雨風凌げる場所にきたのにぃ。私の内心など察しもしないビィが早く早くと急かすので、特大の溜息を吐き出してグラン兄さんたちを追いかけた。
避難艇がきたということで動き出す人波を縫うように折角入った神殿からまた雨と風に晒される外に出れば、島の外縁にある停泊所に一台の騎空艇が停まっているのが見えた。目を凝らせば降りしきる雨の中その騎空艇に駆け寄っていく数人の姿が見えてあれか、と思いつつ私も追いかける。それにしてもあれ一台だけじゃこの街の人間を避難させるのには追い付かないよなぁ。雨風は弱まる所は益々その猛威を増大させ、尚且つ街を飲み込まんとする竜巻も衰える素振りすらない。最悪、いくらかの人間が犠牲になるかもしれない。その人数をどれだけ減らせるかが災害対策の本質だよなぁ、と思っているとやっと兄さんたちに追いつく。ぜぃぜぃと息を切らせながら走るスピードを緩めれば、雨風に負けない大声でラカムさんが騎空艇の操舵室に向かって怒鳴りつけた。
「オイ!やめとけ!こんな嵐の中飛ばすなんて無理だ!!それにお前は操舵士でもねぇだろうっ」
「馬っ鹿野郎!!じゃあ街の奴らはどうなる!?あたいがやるしかねぇんだ!飛べない操舵士様は黙ってみてやがれっ」
操舵室の窓から、エルーン族だろう女性がべらんめぇ口調でラカムさんに怒鳴り返す。知り合いなのかなぁ、と思いつつ、ラカムさんがギリィ、と歯ぎしりするのを見た。
「てっめぇ・・・」
悔しそうな、腹立たしそうな、痛い所を突かれたような。握りしめた拳の強さに思わずそこの手に目をやったところで、突如高い少年のような声が、ひどい嘲りを含んだ厭味ったらしい調子で島中に響いた。
『ぎゃははは!なになに仲間割れ?いいねぇ、馬鹿だねぇ!』
大嵐に見舞われている切迫した空気にはとんと合わない、実に楽しそうな笑い声だ。その場違いな、実に癪に障るスピーカー音に空を見上げれば、カッと大きな雷光が空を照らす。
その光に浮かびあがるように、一つの大きな騎空艇が姿を現し、私はあれは、と雨粒が口の中に入るのも構わずポカンと口を開けた。
「フュリアス将軍・・・!」
苦々しくカタリナさんが顔を歪める。厳しく寄った眉と吊り上った眦が不快感を表すようで、なんとなくあの艇にいる人物の印象が裏付けられたようなものだった。
まずこの状況で馬鹿笑いをする時点で性格が良いとはいえない人間だろうな。
『突然のこの嵐・・・不思議だろう?ちょっと細工をさせて貰ったんだ』
あ、ご親切に説明をしてくれるらしい。なるほど、わざわざやらかしたことを説明して他人の絶望顔を見に来るような割といやーなタイプらしい。あるいは顕示欲が強いともいうべきかもしれない。みてみてすごいでしょ、これ僕がやったんだよ!的な?子供みたいな無邪気さを想像しそうだが、これはもっと胸糞な非常に性悪なタイプの人間だ。頭の良い人間が自分より格下を踏みにじるような、といえばいいか。拡声器で多きくなった声でも、なんだかふんぞり返っている姿が想像できて呆れたように目を半目に落とす。まぁ半分ぐらいは雨がびしばし顔に当たって痛いからだけどね?フードもこの風じゃあまり意味をなさないようだ。とりあえず今の現状の理由を説明してくれるらしいから大人しく拝聴しようか?
『この島の守り神様ティアマトが―――大暴走を始めるようにさあッッ!!』
だろうな。すごく重大などうだすごいだろう、という宣言をしたように思うが、実際そうなのだが、おおよそ想定内のことだったのでですよねー、と一人頷く。
なんだってぇ!とばかりにラカムさん達が驚愕している中、そうでもなきゃこうはならないし、そもそもティアマトの荒ぶる気配がすごいしているので大体わかってたっていうか。いやでもこれ私限定か?うん?でもルリアちゃん達もおおよそ想定していた様子だったけど?
「守り神様になんてことしやがるんだ!」
「じゃあやっぱり、この嵐はティアマトが・・・!」
「そんな・・・っ」
『ふふ、そう・・・嵐は際限なく強くなるよ。この群島を吹き飛ばすほどにね』
最終宣告、というのだろうか。嘲笑を籠めて言い放った声に、ひどく五月蠅い外のはずなのにしん、と静まり返ったような錯覚を覚えた。ザアザアと耳を打つ雨音に荒ぶる気流が厚く垂れ込める雲を渦巻かせる。あー多分あそこにいそうだなぁ、と空を見上げながら予想を立てていると、放送を聞いていた街の住人が、そんな・・・と悲嘆に暮れた声をあげた。
「この島を捨てるしかないのか・・・?」
「生まれ育ったこの島をか!?俺は嫌だぞ!!」
「でも、このままじゃ島自体がなくなっちゃうのよ?一緒に死ねっていうの!?」
絶望は混乱を呼び、狂気が人に伝染していく。その狂気的とも呼べる混乱に、グラン兄さんやルリアちゃん達の顔がわかりやすく蒼褪めた。あぁ、こういう集団パニック状態というか、極限の状態なんて見たことないものねぇ。私?あるよ、何回か。こういうのを収集つけるのってかなり難しいというかかなりのカリスマ性と打開策がないと厳しいんだよねぇ。どうしたもんか、と思いつつ静まり返っていたはずの周りが、悲鳴と怒号に塗り替えられていく中、再び帝国の騎空艇から拡声器による声が島中に響き渡った。それは決して救いの光明などではなく、島を更なる絶望に叩き落とすための悪魔のような哄笑だ。
『あっ、そうそう。言い忘れてたことがあるんだけど――』
「こ、今度はなんだ!?」
「な、なにをするのよぉ・・・っ」
街の人が蒼褪め、兄さんたちがひどく険しい顔をする。私は見上げていた空から帝国の騎空艇に視線を向けると、その下部に取り付けられているだろう大砲が顔を覗かせたのが見えた。え、と思って目を見張ると、刹那。
ドガァァアアアン!!!
爆音と熱波を伴い、今まさに住民を乗せようとしていた避難艇に向けて砲丸が放たれた。雨風で冷やされた身体が一瞬その熱波で暖められたが、薄暗闇を照らす炎のなんて凶悪なこと。
目の前で砲撃された騎空艇が横っ腹に穴をあけてごうごうと音をたてて炎を立ち上らせる。砲撃の衝撃で揺れた地面に咄嗟に蹈鞴を踏みながら、突然の凶行に茫然としていると、再び島中を、いや空に響き渡るように笑い声が響いた。
『逃げる騎空艇はみんな撃ち落とすから、お前らに逃げ場なんてもうどこにもねぇんだよ!!』
どう足掻いても、あの戦艦に乗る男は人々を絶望の縁に叩き落としたいらしい。最早混乱する余力もないのか、茫然と燃え落ちる避難艇を見つめる人々の虚ろな目を見やり、やべぇ人間がいるもんだな、とぺちりと額を打った。え。まいった。ここまで徹底的にするような人間がいるとは。侵略はしても殲滅まではしないと思ってた。取る選択肢がえげつない。私も軽く放心状態で、この後どうすればいいの?と空の底に落ちそうになっている騎空艇を見れば、いつの間にかその騎空艇に向かって駆け出しているラカムさんの背中が見えた。ぎょっとしていれば、どうやら操舵室から縄橋子が垂らされているのが見え、そこにぶら下がる人の姿も見える。あ、そっか。そういえばあそこに人いたんだった、と今更ながらにひどいことを思い出していれば、一際大きく騎空艇が爆発音をあげた。誘爆したのだろう、だが、問題はそこではない。その衝撃で、縄橋子から避難しようとしていた人がバランスを崩したのだ!!
「ひっ!」
思わず息を呑む。あわやそのまま空の底へと落ちてしまうかと思われた人影は、しかし寸前で島の外縁に張り巡らされた規制線代わりのロープにつかまり、目一杯身を乗り出したラカムさんにより底に落ちることなく、宙ぶらりんに外縁の外で揺れることになった。あ、あっぶねーーー!!ちょ、危機一髪にもほどがあるよ!!目の前で見せられた心臓も竦み上がるような衝撃的シーンにばくばくと早鐘を打っていると、ラカムさんは腕一本で人も持ち上げ、島の上に引きずりあげていく。すげぇ筋力だな、と思わず感心しながら、街の人が目の前で見せられた衝撃的な危機一髪救出シーンに、我先へと駆け寄っていく。ちょっと間、その行動が住民に勇気を与えたのか、はたまたまだ実感の薄い島滅亡よりも目の前の光景に興奮したのかわからないが、さっきの冷え切った絶望顔よりは遥かにマシな顔でいる。救出した少女に飛びつかれて住民にもみくちゃにされているラカムさんは、なんだが随分と街の人に愛されているようだった。なんだ、あの人一匹狼系かと思ったら思いのほか愛され系だったんだな。
「みんなが絶望の縁に立たされている中――誰よりも先に友を救うために走り出すとは」
感動したように、カタリナさんが熱くラカムさんを見つめる。いやあれ友っていうか、明らかにいい雰囲気の幼馴染枠では?と下世話な印象を抱きつつちら、と兄さんたちを見ると、その目はいやにキラキラと輝いていた。惚れ惚れするような人を見たような、尊敬と敬愛を籠めたような、実に面映ゆい眼差しだ。
「うん・・・僕はやっぱり、あの人と空に行きたい!」
あ~これは仲間フラグですわ~。確実に兄さんの琴線に触れ捲りですわ~。熱血お人好し正義感の兄さんが気に入るタイプのお人好し人間ですわ~。ルリアちゃんも、私もラカムさんと空の旅がしたいです!!と握り拳で訴えるのを聞きながら、レインコート下のビィを抱きしめつつ、ほう、と溜息を吐いた。
「ラカムさん、逃げろー」
この人達に捕まったら命がいくつあっても足りないような大冒険に巻き込まれるぞ、と思ったが、届くはずもない忠告なので意味などあるはずもなかった。まぁ気持ちの問題だ気持ちの。そう思いながら、私もまた、微笑ましく口元を緩めるのである――こんな状況だが、きっと彼らがいるならなんとかしてしまうのだろう、とそう思ってしまったからに、他ならない。さすが兄さん。主人公体質男である。