蒼天の花
兄さんたちが改めてあの男絶対ゲットするぜ!とばかりの確信を強めたところで、私はもみくちゃにされるラカムさんがこちらに戻ってくるのを視界にいれながら、そっと真面目な顔をして現実を突きつける作業に戻った。
「で、どうするの?このままじゃ遅かれ早かれ、この群島諸ともに吹き飛ばされてしまうけど」
しかしすでにレインコートのフードを被ってないせいで頭がずぶ濡れなんだが、これ意味あるんかね?ぽたぽたと額から落ちる水と張り付く前髪を掻き上げるようにして視界を確保し、冷静に問いかければ兄さんたちの顔がはっと真剣みを取り戻す。ラカムさんも厳しい顔で口を開いた。
「あの帝国の人間が言ってたことだが、ティアマトを暴走させたってのは・・・」
「本当です。ティアマト・・・ポート・ブリーズの守り神であり、風の大星晶獣。そのティアマトの暴走が、この嵐を引き起こしているんです」
「どうやってそんなことを?大体、ティアマトってのはこの群島の言い伝えみたいなもので・・・」
「恐らく帝国は魔晶の力を使ってティアマトに何らかの干渉を行ったのだろう。何よりルリアがいるといっているんだ。ティアマトは確かに存在している」
俄かには信じ難いかのように、ラカムさんが戸惑いを隠せない様子でルリアちゃん達を見つめる。まぁいきなり言われてもちんぷんかんぷんだよなぁ、と思いつつ実は私も初耳みたいなものなのだが、想像していたことではあるのであっさりと飲み込んで大人しく聞き役に徹した。あえて口を挟むシーンでもないし。
「この嵐を止めるには、そのティアマトの暴走を止めないと」
「しかし相手は神様だぜ?どこにいるかもわからねぇ相手にどうやって?」
「――分かります」
兄さんは難しい顔で呟き、それに反論するようにラカムさんが両手をあげる。止めるにしても、居場所がわからなければ意味がない。確かに正論だ。そもそも神様相手に何をやらかすって話だが、まぁそこはきっと説得(物理)になるんだろう。途方に暮れたように眉を下げたラカムさんに、静かな声でルリアが答えた。少し俯き加減だった顔をあげて、真っ直ぐな眼差しがラカムさんを貫く。そしてそのまま強い眼差しで空を・・・渦巻く雲の中心地を指差すと、彼女は力強く言い切った。
「ティアマトは――空にいます!」
周りにいる人達も思わず空を見上げてしまうような、そんな確信に満ちた声音で。ルリアちゃんが指し示す先を見上げて、やっぱりあそこか、と私は吐息を零した。指差す天には、厚く垂れ込める灰色の雲が、巨大な積乱雲を作り上げていた。
降る雨に視界を庇うように目を細めると、ラカムさんが信じられないものを聞き返すように瞳孔を小さくして口を開く。
「な、なんでお嬢ちゃんに居場所が・・・」
「それが・・・私が帝国に囚われていた理由です」
え?ここでネタバラし来るの?予想外に重たそうなルリアちゃんの打ち明け話に咄嗟に見上げていた首を戻すと、風に煽られた彼女の青い髪が広がる様が視界に映った。
「私には、星晶獣を従える力がある」
タイミングよく、ピシャーン!と雷光が辺りを照らした。空気読み過ぎぃ、と思ったが、冷やかせるシーンでもないので口は閉じたままである。でも、そうか・・・だからルリアちゃんには星晶獣の気配だとかそういったものがわかったのか。私はなんでだって?前世からのあれやそれのせいじゃない?星晶獣と神様系を一緒にしていいのかわからないが、まぁ星晶獣も神様扱いされてるようなものだから同じものなんだろう。人工物だけど。そんなことを内心で考えていると、ラカムさんはポカンと呆気に取られたような顔で、すぐに我を取り戻すと慌てた様子で唾を飛ばした。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!それじゃまるでおとぎ話の「星の民」みたいじゃねぇか!」
「ルリアは「星の民」ではないよ。しかし確かにその力がある」
「星の民」ではないのに星晶獣を従える力があるの?よくわからない素性だな。むしろ素直に「星の民の末裔」であった方がしっくりくるんだが。そうは思うものの、一応否定されているのでなんらかの確証があるのだろう。多分その謎を解くのも兄さんたちの旅の目的に入ってるんだろうなぁと思っていると、カタリナさんは苦々しい顔でだが、と口を開いた。
「その力は未知数だ。多用すればルリアにどんな影響があるか・・・」
「私は大丈夫!だって皆が・・・グランが居てくれるから!」
心配そうなカタリナさんに言い返すように、ルリアちゃんが眩しいほどの笑顔で兄さんを振り返った。全幅の信頼と親愛を籠めて、闇を切り裂く雷光にも負けない明るさで。
「グラン。2人なら、きっと」
「・・・あぁ!行こう。ティアマトを止めに!!」
ルリアちゃんが差し伸ばした手を、兄さんが力強く握りしめる。見つめ合う2人の真っ直ぐな、希望と熱意しか見えないような光り輝くそれに、ラカムさんはいささか虚を突かれたような、理解できないものを見るような目で2人を見つめた。いや、私もあまりに信用、信頼しきっている2人の様子にちょっと異常なほどじゃないか、と思う。時間は関係ないとはいえ、それにしてもこの2人のこの他者を割り込ませないほどの信頼感は一体なんなのか。こういうのはもっと時間を重ねて得るものじゃないの?
「お前ら・・・なんで。この群島に縁も所縁もないってのに・・・どうしてそこまで」
至極真っ当な、確かに島の人間が必死になるならまだしも昨日今日やってきた外の人間が命をかけて取り組むにはあまりにも重たく規模の大きいこの災難に、ラカムさんの顔が歪む。わけがわからない、とでもいうようなそれを、しかし言われた側の当人たちはそれこそ何を言われたのかわからない、とばかりにきょとんと見つめ返す。いや、誰でもそう思うから。普通こんな規模の厄介ごとに首突っ込む人間の方が稀だから。
「まぁ、グラン達はお人好しだからなぁ」
「お人好しって規模でもない気がするけどねぇ」
「な、なんだよビィもも。・・・守れる人が目の前にいるなら、僕達にできることがあるなら。最善を尽くしたいって思うのは当然だろ?」
「そうだな。そもそも、どうして、などと考える前に体が動いてしまったことだしな」
「後悔なんてしたくないですし!私たちは、私たちのしたいことをしたいんです!」
だから、と兄さんが続ける。私とビィに向けていた穏やかな微笑みを、今度は茫然と立ち尽くすラカムさんに向けて。ルリアちゃんがその横に並び立つと、2人は真っ直ぐに、彼に向かって手を指し伸ばした。
「ポート・ブリーズを・・・街の人達を救うために」
「一緒に行ってくれませんか?」
風が吹く。強い風。この群島を破壊し尽さんとする、狂気の風が。何故かその瞬間だけ、2人を祝福するかのように吹き抜けて。
『空へ』
重なった声が、あまりに深く浸透するから。心臓を掴まれたような痛みを覚えて、私はぐっと唇を噛み締めた。なんて真っ直ぐで、清い輝き。薄汚れた人間が見るには胸に痛いような、いっそぐちゃぐちゃに引き裂いてやりたくなるほど無垢な煌めき。知っている。主人公とは、正義の味方とは、正しいということを声高に、理想を掲げて進む人とは、こういう人間のことを言うのだ。清濁を併せ持っても濁りきらない、それでも清いままで立ち向かえるような強い人。自分の弱さも汚さも飲み込んで、それでも目の前の人に手を差し伸べることに躊躇がない。そんな人間、早々いるはずがないのに・・・私の目の前には、そんな稀なることをしてしまう人間が4人もいる。なんて苦行だろう、と俯いて自嘲を浮かべた。
「・・・?」
抱きしめる腕が強くなったことに気付いたのか、はたまた私の様子が変わった事に気が付いたのか。これだけ密着しているから当然といえば当然だが、ビィがどこか気遣わしげに見上げてくる。俯いた顔とビィの伺うような目が重なり、私は下手くそな微笑みを浮かべるしかなかった。なんでもないよ、と、声にならない吐息のごとき囁きでビィの両目をそっと掌で覆い隠す。なんだよぉ、という声は、常日頃の元気なビィのそれとは違ってどこか控えめで、その優しさが嬉しかった。ずっと一緒にいたものね。こんな時の私の対処法ぐらい、ビィは知っているのだ。何も言わないで、そのままでいて。
あぁ、だから、私は彼らとは一緒にいられないとも思う。彼らのように我武者羅になんてできないから、早く離脱してしまいたいのに、ままならない現状に溜息が出そうだ。別にそんな自分が嫌いじゃないし、否定もしないけど。これが私で、何回繰り返そうとも変わりようがない性質なのだ。むしろ繰り返すごとに頑なになっている節もある・・・しょうがなくない?大体巻き起こることが人生においてそうそういらない面倒事ばかりなんだよ。それでも眩しすぎる兄達は私にとってちょっと綺麗過ぎる気もして。少しばかり自己嫌悪もしちゃうけれど、今はそんなことに浸っている場合ではない。一つ深呼吸をしてから、ぐっと顔を上げて、覆い隠していたビィの顔から手を退ける。見上げてくる視線に、今度はしっかりと笑みを返した。大丈夫。こんなことは慣れっこだ。
そして前を向く。兄に手を差し伸べられた男の行く末を見守るように。手を差し伸べられたラカムさんが羨むように目を細め、その見た目には小さな、しかし大きな手に手を伸ばしかけて――はっと気が付いたかのように、引っ込めた。苦悩を顔面に刻んで、喘ぐように息を零す。
「・・っ俺には、無理だ・・・!」
「ラカムさん?」
引き攣った声は乾いていた。水を欲しているのに、どうしても手に出来ないものであるかのように。むしろ、あえて遠ざけるように。下げた手をもう片方の手で包み込むように握りしめると、ギリィ、と彼は奥歯を噛みしめた。噛み砕いてしまうのではないかと思うほど食いしばった口の隙間から、泣き声のように震える声が零れでる。
「怖くねぇのかよ・・・空が・・・。俺は・・・艇を堕とした、空に裏切られたんだぞ・・・っ」
引き攣った声で、煩悶の唸りがラカムさんを苛む。そういえば大雑把に彼の話を兄さん、正確にはビィとルリアちゃんから聞いたが、彼は一度騎空艇を空に飛ばそうとして失敗したんだったか。なるほど、トラウマかぁ。それは中々根深いよねぇ、と思っていると、不意にバキ!と骨と骨がぶつかる音が聞こえて目を丸くした。目の前で、頭を抱えて何も見ようともせずにいたラカムさんの横っ面を、エルーンの少女が思いっきり拳をラカムさんに打ち込んだのだ。平手ですらない渾身の握り拳だった。へ、と私も兄さんも突然の暴行シーンに目を見張る。
「馬っ鹿野郎!!あんた、まだそんなこと言ってんのか!!空が自分を裏切っただぁ!?ふざけんなよ!」
「っ!?・・!!??」
突然殴られたラカムさんが目を白黒させて言葉を失くす。ぱくぱくと開閉する口が何か言いたそうにしていたが、目の前で腕を腰にあて、胸を張って仁王立ちする少女は眦を吊り上げたままびしぃ、と指を突き上げた。
「グランサイファーが堕ちて・・・あの艇が飛ばなくて、悔しかったのが自分だけだなんて思いあがり大概にしやがれ!この馬鹿ラカム!!」
「・・・!」
それは彼にとって、痛烈な批判だったのだろうか。パチパチとしきりに瞬いていた目が、その瞬間にハッと何かに気付いたかのように大きく見開かれる。赤くなった頬を茫然と撫でて、それから緩慢な仕草で周りを見渡した。ぐるりと少女を中心に囲む住民はどこか呆れたような、頑是ない子供を見るような、それでも悔しさを隠し通せないような。
それでもラカムさんを見る目はどこまでも優しく暖かで、その眼差しに気づいたのか、それとも含められた意味を悟ったのか。彼の目に堪えきれない涙が浮かぶ。潤んだ目が、震える唇が、嗚呼、と掠れた吐息を零した。
「そうか・・・そうだな・・・あの艇は・・グランサイファーは・・・!もう、俺だけの夢じゃ、なかったんだ・・・!」
そういい、ラカムさんは浮かんだ涙を手の甲で擦るように拭うと、尻もちをついた体を起こして毅然と顔をあげた。その眼差しに先ほどまでの怯えるような不安感はない。影が消えた顔つきはあまりに凛々しく、力強さに満ちていた。
「悪い。皆。俺はグランサイファーのことしか見えていなかった。喜びも、悲しみも・・っ全部俺1人の物だと奢っていた。その驕りが、グランサイファーにもわかっていたんだな・・・だから、堕ちたんだ、あいつは」
そういって一度目を閉じ、次に目を開けたラカムさんの目は静かに澄んで煌めいて星も見えない曇り空の、一つの光明のように見えた。
「・・そんな俺でも、お前らのこと忘れちまうような女々しい奴だけどよ。・・・俺に、ポート・ブリーズを助けさせてくれちゃ、くれねぇか」
そう、問いかける彼に、一体誰が否やを言うだろうか。それでも今までの自分を思い出すからだろうが、いささか不安そうに瞬きをしたラカムさんに、くすっとルリアちゃんが笑った。
「ラカムさん、皆さんをちゃんと見てください」
「え?」
「誰も、不安な顔なんてしてないじゃないですか」
兄さんに言われて再び住民を見渡したラカムさんは、はっと息を吐き出してくしゃりと顔を歪めた。誰も。誰も、だ。ラカムさんを見つめる彼らの顔に、一切の陰りも不安も浮かんでいない。先ほどまで、あれほど悲嘆に暮れていたというのに。たった1人の男が、立ち直っただけで。全員が、まるで大丈夫だとでもいうように前を向いている。それほどまでに、彼はこの街の人にとっての、希望のような存在だったのだろう。・・・すっごい人をスカウトしようとしてるな、兄さんは。
「あぁ・・・くそっ。本当に、情けねぇな、俺は!」
「今更なにいってんだよラカム!」
「そうだぜ。空に裏切られたーとか木っ恥ずかしいこといってた奴が今更よぉ」
「ラカム兄貴以外に、誰が飛べるんだよ!ばぁか!」
笑い声が暗い雨空に響き渡る。あぁ、絶望が消えていく。今もまだ風は吹き、竜巻が渦巻いて、雨は大地を叩くのに。それでも、島に充満していた暗雲を払うかのように、彼らの声は希望に満ちている。ふっと息を零して笑うと、ラカムさんは照れを隠すかのようにぐしゃぐしゃと髪を掻き乱して、グラン兄さんを振り返った。
「グラン。もう迷わねぇ。行くからには俺達で群島を救う。無理とは言わせねぇぜ?」
「当然だ!」
ぐっと、男2人で手を取り合う。その顔は自信に満ちている。もう、やるしかない、という顔で、2人は笑い合った。
「よっしゃ。それじゃ、ちょいといってくるかね――おむずがりのティアマトを止めによ」
「兄貴ぃ・・・!」
しゅぼっと煙草に火をつけ、にぃ、と口角を持ち上げて笑ったラカムさんに、エルーンの少女が泣きだしそうに笑う。嬉しくて仕方ない、というその顔にやだ青春、と思った私の緊張感。違うんだ。客観的に!客観的にみて!甘酸っぱいって思うのもちょっとにやつくのも仕方なくない?!真面目なところだってわかってるけど内心だけでも息抜きしてないとこういうの私の精神がもたないの。これで吊り合い取らせてるの。わかって誰か。
そうしてこの場からグランサイファー・・・この島唯一の騎空艇に向かおうとする彼らの背中を見送り・・・・。
「、行くぜ!」
「・・・・・・ビィ、出すから1人で行かない?」
「なんでだよ!飛ばされちまうだろ?!」
胸元のビィに往生際悪く提案してみるものの、兄はすでに先に行ってるし、確かにこの場でビィを懐から出してしまえばあっという間に飛ばされてしまうだろう。なんてこった。ビィを懐にいれたことがこんな仇になるなんて!!私の対岸の火事作戦が!!!
ぬぉぉぉ、と頭を抱えたくなりながら、ビィが尻尾を使って早く早くと急かしてくる。だから地味に痛いってばっ。ついでに周囲の視線が行かないの?とばかりに向けられて針の筵なのも辛い。言っとくが!私は!!非、戦闘員、です!!艇に乗っても戦力外どころかお邪魔虫でしかないと思いますけどぉ!?しかしながら感動のシーンに変な水を差す、ついでにビィを連れて行かない、というのも空気を読めない奴みたいで居た堪れない。でもでも、あんな人外魔境の戦闘に巻き込まれたくない!!なんでこうなるのぉぉぉぉ!!!地団駄を踏みたくなりながらも、周囲の視線に耐え切れず、私は泣く泣く兄達を追いかけた。うぅ、無言の圧力に耐え切れない日本人ですよ私はぁ・・・。
最終的に嵐に侵食される街中を走り抜け、向かった先は広い高原だ。そういえば昨日兄さんたちがこの・・・アンガド高原、だったか?そこに向かったんだったか。
前を走る背中を見失わないように追いかけながら、ティアマトを止めるにしてもどうすればいいんだろうなぁとぼんやりと思考を働かせる。うぅん・・・つまりルリアちゃんが星晶獣を従わせる力があるから、それでティアマトの暴走を止めちゃおう!ってことなんだろうけど、得てして暴走をしているものに力を行使する場合、大体弱体化させてからでないと利かないことがほとんどであるはず。ていうことはおのずとティアマトとの戦闘は避けられないはずである――詰んでない?真面目に考察するが、空を飛べない・・・空飛ぶ艇には乗れても自力で空を飛べない人間と空を自在に飛ぶ星晶獣。足場が不利であるにも程がないか?えぇ、これなんとかなるの?兄さんとカタリナさん完全に近距離戦闘スタイルなんですけど。獲物が剣なんですけど。どうやってティアマトに接近するのさ、と考えている間に嵐の中、悠然と佇む一台の艇を見つけて走る速さを緩める。
高原に、たった一艇。誰かを待っているかのように沈黙するその艇に、思わず目を奪われる。龍の顔を模した船首を携えた、勇壮な艇。これが。
「グラン、サイファー・・・」
兄さんの名前を持つ、ラカムさんの艇。何故かその姿に見惚れ、目を外せないでいると、ラカムさんが艇に乗り込みながら声を張り上げた。その声にハッと意識を取り戻し慌てて彼らの後に続くように艇に駆け寄る。先に艇に乗ったラカムさんが、グランサイファーが飛びたてるように動かしていく。ぐぐぐぐ、と、ゆっくり、久々に飛び立つ予感に打ち震えるように、グランサイファーの龍首が持ち上がった。羽が開き、艇は空を見る。
「よし!お前ら、乗れ!」
「行こう、ルリア、カタリナ、ビィ、!」
「あぁ!」
「はいっ」
「おう!」
「はぁい」
1人やる気が感じられないって?むしろ戦う術がない人間がこれから明らかな戦闘区域に突入するっていうのに元気になる方法を教えて頂きたい。幸いにして周りは私のローテンションにも気づいていないぐらい興奮しているようなので、事なきを得ているが。乗り込み、操舵室の舵輪の前に構えたラカムさんが、やる気満々の兄さんたちをみてにっと笑みを浮かべる。
「タダ乗りできると思うなよ?この嵐だ、しっかり働いてもらうからなぁ!」
「勿論!よろしく、ラカム!」
「任せろ。・・・待たせたな、グランサイファー」
そういって、ラカムさんが愛おしげに舵輪を撫でる。やっと戻ってきた、戻ってこられた。そんな万感の想いを籠めて、彼は力強く舵輪を握りしめる。見つめた先は、渦巻く気流。厚く垂れ込める灰色の雲――その向こうの、ティアマトだ。
「行くぜ、グランサイファー。俺達と一緒に!!」
この空の先へ!
ドゥン、と音をたてて、グランサイファーが宙に浮く。その振動に蹈鞴を踏みながら、張り付いた窓から遠ざかる大地を見た。風を捕まえたのか、見る見る内に小さくなっていく姿に感嘆の息を零す。これが、大型の騎空艇なのか。
さておき、操舵室の中なので途絶えた風を踏まえて、ようやくビィを懐から取り出した。こいつは出しとかないとやばい。私がどんどん逃げられなくなっていく。ビィもビィで狭い懐から飛び出し、うんと伸びをすると風と雷雨が光る空を窓越しに見上げてうっひゃあ、と声をあげた。
「すっげぇな、グラン。本当に飛んじまいやがったぜ!」
「うん。本当にすごい。この嵐を物ともしないよ」
「見事なものだな。これだけ不規則な風を読み切っているのか」
「ラカムさん、すごいです!」
ぐいぐい上昇し、突き進むグランサイファーに感嘆の声が止まない。確かに、並の操舵士ならばこんな嵐、そもそも飛び立とうともしないだろう。それを乗りこなし、あまつさえ目的地にまで私たちを連れて行こうというのだから・・・艇も、操舵士も。とんでもない代物であることは間違いない。そんな私たちに、ラカムさんはカラカラと笑い声をあげた。
「当たり前だろ。どこぞの艇を落とした騎士の姉ちゃんとは違うんだ、よ!」
「ひゅー!やるぜぇ、ラカム!」
飛んできた障害物・・明らかに近くの群島の欠片と思しき岩肌を舵輪を回して回避したラカムさんに、ビィが気前よく囃し立てる。槍玉にあがったカタリナさんが、顔を真っ赤にして口をへの字にひんまげた。
「な、あ、あれは経験がなかったからで・・・!」
「経験無しで飛ぼうとするのが無謀だってな!しっかし、マジですげぇ嵐だな・・・おい、嬢ちゃん!本当にティアマトはこの先にいるのか?」
一気に高揚感が増す船内で、雨風は甲板と窓を打ち付ける。ラカムさんに問われたルリアちゃんがそっと胸元のアクセサリーに手を翳した。目を閉じて何かを探るように沈黙すると、はい、と厳かに告げる。
「居ます。この先に・・どんどん気配が強く、・・・っすぐ、近くです!!」
『っ!?』
刹那、雷光が周囲を照らし出す。その光を背に、艇の前に巨大な女性の姿が突如として姿を現した。ぎょっと息を呑む私たちに、薄ら笑いを浮かべた美麗な女性が艇の周りをぐるりと見渡し、その手を伸ばしてくる。ラカムさんが慌てて距離を取るように舵輪を回し、反動に倒れ込みそうになりながら艇の動きに耐えて離れたその姿を見れば、女性の周りを取り囲み三体の龍が蜷局を巻くように浮遊しているのが見えた。
強大にして優美。雨風を従え、雷光を背中に、風の中心地で佇む姿はなるほど確かに。神様といっても憚らない、圧倒的な存在感を放っていた。
腰につけた薄衣を風に靡かせ、長い髪を振り乱し、確かにあの神殿の石像の姿によく似たポート・ブリーズの神様は、ただしその顔をあの石像の穏やかな微笑みも、寂しげな眼差しも感じられない虚無の瞳で私たちを見つめている。その虚ろな、ぽっかりと空いた空洞のような双眸に。ぎゅうっと胸が締め付けられて、唇を噛み締めた。あぁ、彼女は――。
「これが・・・風の大星晶獣ティアマト!!」
「でっけぇ・・・こんなの、どうするんだぁ?!」
「とにかく、外に出て・・・」
「っお前ら、頭ぶつけんじゃねぇぞ!!」
軽く混乱する兄さん達にラカムさんの叱責が飛ぶ。そのすぐ後、グルグルグル、と舵輪を大回転されたグランサイファーは大きくその艇体を動かし、旋回して傾く。その反動に吹っ飛ばされて、踏ん張りの利かなかった全員がどしゃあ、と床に倒れ込んだ。乱暴だなおい!と強かに打ち付けた肘に呻きながら顔をあげれば、先ほどまで私たちがいた場所に一筋の閃光が走った。龍の口から、レーザービームのような閃光が放たれたのだ。カッと横を通り過ぎていくビーム砲に、私も兄さんも開いた口が塞がらない。おおう・・・とんでもねぇな、星晶獣。
雲を切り裂き果てまで伸びる閃光の名残が消えるまで見つめて、私はそっと両手を上にあげた。
「お手上げ?」
「諦めんなよ!」
「いやだってあれ!あれ見たでしょ!?どうやって人間があれ回避するの!?ていうかそもそも相手空飛んでるし!!ここに来るまで考えてたけど、艇からどうやって攻撃するの!?誰か遠距離攻撃方法持ってた!?」
「おおう・・嬢ちゃん、結構喋るんだな」
「今まで空気読んでたんですよ。でも今は現実問題突きつけないと打開策も出ないでしょうが!」
なにか溜めこんでいたものを吐きだすように、艇の床に座り込んだまま、ばんばんと床板を叩いてアピールする。下手に立つとまたバランス崩しそうだからね。とりあえず壁に背中預けて座っておきますけど!ノリと勢いと情熱でここまで来た節があるけど、そもそもどうやってティアマト鎮めるんですかー!?私の心からの叫びに、周囲がなんともいえない空気に包まれる。そういや飛んできたけどどうすりゃいいんだろうな、って感じだ。これだからノリと勢いと若さで突っ走っちゃう系お人好し集団は!!
「そりゃあ・・・ルリアが星晶獣を従える力があるっつーから・・・」
「・・・ダメです。今ティアマトは自我を失っています。こんなに暴走が激しいなんて・・・これじゃあ、私の力も届かない・・・!」
「やっぱりぃぃぃ!!」
ラカムさんが頬を掻きつつ呟けばそれに否定を被せて、ルリアが深刻な顔でティアマトを見つめる。その返答に、ラカムさんの顔が引きつり、私も想像通り!!と頭を抱えた。
「やっぱりって、予想してたの!?」
「予想してたっていうか、人間にしろ動物にしろ、興奮してる相手に対して話術がどれだけ功を奏するっていうの?今相手暴走してるんだよ?大体実力行使で落ち着かせてマウント取ってから、交渉ってのは進むものでしょ」
「なるほど」
まぁ星晶獣に言葉が通じるのかは知らないが、少なくともいきなり前に出てもう暴走しないでね☆とか言って止まるはずがないしそもそも聞く耳持たないだろう。
私はがっくりと項垂れながら驚いたように問いかけてくる兄さんに答えれば、納得したようにカタリナさんが頷く。なるほど、じゃないんですよもう!
「それに、・・・それに。ただ、ティアマトを鎮めるだけじゃ、きっともう彼女は戻ってこない」
「え?」
これは、言うべきか言わざるべきか迷っていた。現状、恐らくあの暴走を止めれば、嵐は止む。島の壊滅は防げるだろう。目的はそれなのだから、別に問題はない。けれど、「それだけ」でいいのかと問われると、恐らくそうではないのだろう、と思うのだ。
無論、これは私のお節介であり正直自業自得の節もあるのでいっそ黙っていようか、とも思っていたのだが・・・ラカムさんの、あの島の人達のあんな姿を見せつけられて、無言を貫き通すのはいささか良心が咎める。ある意味、これはチャンスなのだと思うことにした。本来ならば訪れることもなくきっと、知らない内に終わっていた話。これはきっと、最初で最後の島の人達に与えられた起死回生のチャンスなのだ。
私の発言に、皆の視線が集まる。その1人1人の顔を見渡してから、ルリアちゃんに視線を留めた。びくっと震えた肩が、強張った顔が、きっと彼女もわかっている違いない、という確信を強める。星晶獣を従える力を持つ少女。星晶の気配がわかる少女――ティアマトの想いも、気が付いたのでしょう?
「ルリアちゃん」
「・・・ティアマトはっ・・・もう、限界だったんです・・・!」
私が促すように名前を呼べば、彼女はぐっと浮かんだ涙を堪えるように目元に力を籠めて、胸元の宝石を両手で包むように覆い隠す。
「限界・・・?どういうことだ?」
「近くにきて、ティアマトの心が流れ込んできました。魔晶の力は切欠にすぎない・・・ティアマトはもう限界だったんです。風の恩恵は無償のものなんかじゃなかった。もうずっと、寂しい、悲しいって、街の人に忘れられて、辛いって・・・!ずっと、そう思ってたんです・・・っ」
泣きながら言うルリアちゃんに、愕然と誰もが言葉を失くす。私はその様子を観察し、ふっと息を吐いて当然ですね、と吐き捨てた。
「私、昨日神殿に行ってきたんです。そこで見たのはただの商人の寄合所であって、決してティアマトを敬う場所ではなかった。誰も。誰もですよ。祀られてる本人を無視して、頭も下げず、目も合わせず。・・・そんな神殿がありますか?存在があやふやにしても、一体どうして、誰も彼女の元に行かないんです?」
「そ、れは・・・」
「ティアマトのおかげだと言いながら。この群島は彼女に守られてるって言いながら。誰も感謝しない。ありがとうを言わない。・・・忘れられて、いるのにいないもののように扱われて。発狂しない方がどうかしてますよ」
あまりに寂しい。いや、虚しい。一体自分は何をしているのだろうと、虚ろを抱えるには十分な仕打ちだ。ここで唯一、この島の出身者を見据える。びくっと肩を揺らした彼を見つめて、彼が操舵士であるからこそ、余計に私は視線を鋭くした。
「無償の愛だからといって、何も返さなくていいわけじゃない。無償だからって、いつまでもずっと変わらずに与え続けられるなんて、そんなことあるわけない。どんな形であれ、返されない想いは摩耗する――遅かれ早かれ、この群島は彼女に見放されていましたよ」
それほどまでに疲れ切っていた。与え続けることに、病んでいた。何も大仰なことをしろと言っているわけじゃない。ただ、一言。心からの言葉があれば、それだけで十分だったのに。
「当たり前のものが当たり前にいつまでもあるだなんて、驕りでしかない。よく言うでしょ?孝行したい時に親は無しって・・・それと一緒ですよ。失ってから気づくなんて、よくある話すぎて笑い話にもなりませんね」
ハッと鼻で笑うと、皆鎮痛な顔をして黙り込んだ。よし、言いたいことは言ったぞ。色々きつめに言ったけれど、ティアマトの心情を思えばこれでも生温いぐらいだ。誰だって、全部が全部褒められたくて何かするわけじゃないし、自己満足だって多分にあるけれど、何も反応もないのにやり続けるのはきついだろう。リターンのない事柄に、人は意欲的に取り組めない。好きだけでは続けられない。誰かと関わるから、反応があるから、人は好きを続けられるのだ。
―――さぁ、一番に風の恩恵を受けるだろう操舵士様は、どうする?
「じゃあよぉ。もし暴走を止めても、もうティアマトはポート・ブリーズの守り神様には戻らないってことか?」
「さぁ?そこはティアマトの心次第だけど・・・魔晶は切欠にしろ、こうして暴走して心のままに動いている分、見限る可能性の方が高いかもね」
「そんな!」
「いいんじゃない?ただ今よりも風が安定しないだけで、他の島と条件は同じになるだけだよ。慣れちゃえばどうってことないでしょ――今までいないものとしてきたものが本当にいなくなるだけの話だよ」
条件が他と同じになるだけだ。だけど、あの穏やかな包み込む風はなくなり、きっと嵐も竜巻も、災害など今までの比でないレベルで増えることだろう。今までのように、とは、きっといかないだろうがそれはそれで人間は順応するものだし、なんとかなるだろうとも思う。所詮他人事、という体で肩を竦めればそんな簡単に、とグラン兄さんが途方に暮れたように眉を下げた。
「・・・好き勝手に言ってくれるな、嬢ちゃん」
「好き勝手に言わせてるのはそちらでは?・・・どうするかも、どうしたいのかも、どうしなければならないのかも、私たちの問題ではないですから」
舌打ちをし、睨みつけてくるラカムさんにわざとらしく小首を傾げる。元神子様舐めるなよ?どっちかというと理不尽に扱われた神様の味方じゃ!事実、ティアマトの暴走を食い止めるのに力は貸しても、それ以上はそこに住むわけじゃない私たちにとってみれば手の出しようのない事柄だ。それがわかっているから、カタリナさんは難しい顔で黙っている。むしろ、ラカムさんを見定めるように視線を向けているぐらいだ。そして彼も、その視線を感じ取っているだろう。はあああと大きく溜息を吐き出してぐしゃぐしゃと頭を掻き毟ったラカムさんは、そうだな、と呟いた。
「その通りだよ。・・・今更、ティアマトに何言ったって俺達がしてきちまったことはなくならねぇ。けど、知ったからには、気付いちまったからには、なにもしないでいるわけにゃいかねぇよ」
「具体的には?」
「謝る。んでもって、伝えるさ。今までの感謝って奴をよ」
「ラカム・・・」
まぁ、それしか術はないし、当然のことっちゃ当然のことだね。それでも素直にそう言うのだから、なんとも理解力が高いことで実に助かる。うんうん。それならここで一つ、私からのアドバイス!
「ちなみに、いくらティアマトが街を見限ろうとしていたって、それは遅かれ早かれ・・・つまり、今すぐじゃなかったってことなんで」
「は?」
「帝国のせいで暴走してるけど、本人自体はもうちょっと猶予があったわけですし?直接話せるなら、こんな好機はまたとないですね!」
にこっと笑えば、ポカンとした間抜け面が晒される。えっとつまり・・?とルリアちゃんが首を傾げるので、つまり、と人差し指をピンと立てる。
「ラカムさんの説得次第ってことですよ」
「・・・責任重大じゃねぇか!!」
群島を救うとかいう時点で責任重大なこと任されてるんだから、今更一個増えたところで気にしない!叫ぶようになんてやつだ!と言われたので、失敬な、とばかりに眉を潜めてやった。ちょっと芝居がかっているのは、ここまで言ったからにはいきなり通常テンションに戻すのもどうなのかという配慮である。大体、言っておきますけどね。
「ティアマトのありがたさがわかったんだから、元々お礼の1つも言うつもりだったんじゃないですか?ただ、漠然と思うだけじゃ彼女の今まで感じてきた苦痛も寂しさも報われません。理解した上で、伝えてほしいんですよ」
この嵐で、如何にティアマトの存在が重大だったか、その恩恵がどれほど街を安寧に包んでいたか、彼ならばわかるだろう。風を読み、空を駆ける操舵士ならば。
彼がティアマトに何を伝える気だったのかはわからないが、何かしら言葉をかけるだろうことはなんとなく予想できる。ただ、それだけでは足りないこともわかっていた。彼女の今までの闇を知って、自覚して、そうしてやっと伝えられることのはずだ。――そうでなければ、彼女はきっと、正気に返った後に姿を眩ますに違いなかったから。
「ティアマトの心は、この島の人でなければ救えません。ポート・ブリーズを救うんですから、神様の一柱ぐらいさくっと救ってください」
大丈夫。君らにはきっとなんらかの補正がかかってるはずだから!多分きっとなんとかなる!という内心のエールは隠して告げれば、ラカムさんは酢を飲み込んだようななんともいえない顔をして、顔面を掌で覆った。
「・・・グラン。お前の妹、大概無茶ぶりしてきやがるな?」
「あは、あはは・・・普段はそんなことないんだけど・・・」
急にどうしたの?とばかりに兄さんがこっちを見るので、私はにっこりと笑って黙殺する。はは、聞くな。私だって説明しにくい。しいていうなら同情であるが、なんでここまで細かに把握してるの?って聞かれたら困る。前世からの因縁ですとしか言えないが頭おかしい人認定されるので黙秘権を行使する。さぁさぁそんなことより、第二第三波が来る前に、ティアマトをどうにかしましょうよ!今まで襲ってこなかったのが不思議なぐらいだが、多分あっちも様子を伺ってるんだろうな、と思う。あるいは、ルリアちゃんの気配か、それとも――今まで守ってきた群島の人間の気配に、躊躇を覚えているのかもしれない。結局なにをどうするにも、彼女の暴走をある程度落ち着かせないと全て無意味になってしまうんだから。
「の言うとおりだ。説得するにせよなんにせよ、今暴走をしているティアマトを落ち着かせなければ意味がない」
「そうですそうです。・・・それで、できるんですか?それが」
こんな心許ない人数で、空を飛べもしない人間の分際で。大空を支配する、あの巨大な神様相手に。ポート・ブリーズの、守り神相手に。溜息混じりに、挑発的に。下から見上げ、問いかければ彼は銃を肩に背負い、口角を持ち上げた。
「それができなきゃ、こんなところにまで来ねぇよ。なぁ、グラン?」
「・・・!・・・あぁ、その通りだ!」
「よっしゃ、その意気だぜ、グラン!」
自分で煽っておきながらあれだが、本人達がすごいやる気というかやれる気でいるので、私はどうやるんだよ、という疑問をぐっと飲み込み、はぁああ、と深く溜息を吐き出した。
「言っときますが、私はぶっちゃけ戦力外ですからね。せいぜいビィが飛ばないように捕まえとくのと、ルリアちゃんの横にいるぐらいですからね?」
「十分だよ、ビィとルリアをよろしく。」
「はぁ・・・本当にグラン兄さんは無茶に頭から突っ込んでいく・・・」
あったま痛い、とズキズキと頭痛のする米神を抑えつつ、操舵室から出ていく人達を見ながらビィを手招きし、ルリアちゃんの後に続いて甲板に出た。空の上だから益々強くなった風に吹き飛ばされそう、と思いつつしっかりとビィを抱き抱え、ルリアちゃんも飛ばされないように腕を組んで物陰に潜ませた。矢面に立つのはあそこの戦闘員だけで十分である。
甲板に並び立ち、ティアマトを見据える背中を見ると、ビィが来るぜ!と声を張り上げた。どうやら甲板に出たことで完全にティアマトにロックオンされたらしい。
獣のような咆哮が、醜い濁音混じりに天空に響き渡る。ビリビリと空気を震わせる圧にひゅっと息を呑んで身を強張らせると、ティアマトを取り囲む龍の内一体が首をもたげ、凄まじい勢いで突撃してきた!体当たりでもして艇を沈める気か!?
「群島を沈めるほどの怒り・・・それは私達が想像を絶する大きな悲しみなのだろうな。だが、私の剣が届くのならそれを見過ごすわけにはいかない!」
抜き放った剣を構え、風に亜麻色の髪を煽られながら、カタリナさんが剣を前に突き出す。その瞬間、剣先を中心に一瞬にして展開された光の壁が今にも艇にぶつかってきそうだった龍の顔と正面衝突をおこし、弾き飛ばした!グギャアオォゥ、と苦悶の声をあげて、龍の首が大きく仰け反る。
「なにあれ?!」
「あれ、見たことないですか?カタリナのスキル、
「あれでティアマトを弾き返しちまうなんて、すげぇな騎士の姉ちゃん」
私君らの戦闘シーン見たのは初めてだよ!そしてあんな便利な防御技持ちだったのか!星晶獣弾き飛ばすってこの世界の人間の技量すごくない!?それともカタリナさんが強いだけ?!元帝国兵すっごい!思わず興奮気味に鼻息を荒くして、尊敬の眼差しでカタリナさんの背中を見つめる。ばっさばっさと翻るマントも相まって、本当に凛々しい女騎士様のようだ!実際凛々しい女騎士なんだろうけど、マジで彼女達の戦う所など見たのはこれがお初である。初バトルがこれって規模がでかすぎると思うけれどその分見応えもバッチリだ・・・なんて呑気なことを言ってる場合でもないのだが。
けれどそれで少し警戒したのか、ティアマトがやや距離を取った。様子を伺うように艇の上をぐるりと回り、狂気の眼差しで私達を見つめる。薄暗い虚無の瞳を見つめると、ただそれだけで飲み込まれてしまいそうだ。ぶるり、と。自分の意思とは裏腹に体に震えが走る。本能的な恐怖だとでもいうのか。カタカタと細かく震える手を見下ろして、やっぱり慣れないな、とぐっと握りしめた。
そうしている内に、今度はラカムさんが前に出た。その前に何やら兄さんと会話していたようだが、離れている上に甲板に吹き付ける風のせいでその内容までは拾えない。ただ、ばしん、と背中を叩いた手がまるで兄さんを鼓舞するようであったから、何かしら兄さんの蟠りでも解いたのだろうか。
「何を話してたんでしょう?グランとラカムさんは」
「さぁねぇ・・・まぁ、悪いことでもないだろうし、ほら。兄さんの背筋、真っ直ぐになったから。きっと盛り上げるようなことでも言ったんじゃない?」
さすがに盛り下げることは言わないだろうし。ルリアちゃんも不思議そうに首を傾げたので、適当な、けどあながち的外れでもないだろう予測を立てつつ、しかし、と顎に手を添えた。・・・いくら攻撃を凌いでも、こちらから決定打を与えなくてはジリ貧確実である。
ラカムさんの主な攻撃手段は銃のようだが、それにしたってティアマトに対して決定打になるかと言われると難しくはないだろうか。そもそも操舵士であって決して剣士でも魔導師でもないお人である。戦闘は彼の専門外ではないだろうか?決して戦えないわけじゃないだろうし、見た限り弱いわけでもなさそうだが、けれどそれの専門というわけではない。今だってティアマトに対して銃をぶっ放してくれているわけだが、専門外のお人に攻撃力に関して頼るのは如何なものかと。闘う操舵士さんなんてザラにいそうだし、多分きっと馬鹿みたいに強い人だっているんだろうが・・・そんな人は稀である。そうなると頼みはカタリナさんかグラン兄さん、ということになるのだが、2人はどこをどうみても近接近型である。空を飛んで距離を取っているティアマトに対して積極的に攻撃をぶち当てられるわけがない。剣圧でも飛ばすの?どこの海賊かな?船丸ごとぶった切る技量はまだ兄さんにはないはずだが・・・。せいぜい近づいてきたのを撃退するぐらいで・・・うん。普通に手詰まりじゃないか?せめて相手が地上の敵ならなんとかなりそうなのに、空中戦じゃ分が悪すぎる。どうにか相手を地上に近づけさせて地上戦に持っていく?この高度で?現実的じゃないな、と思うと私の眉間の皺がより深くなった。
「やばい、どうやってティアマトに決定打を与えれば・・・」
周りに浮いている・・恐らくティアマトの起こした竜巻が原因で周囲の浮島から飛ばれた瓦礫を足場に接近するか?いや、でも失敗したらどうする?地上、いや違った空の底に真っ逆さまだ。騎空艇が落下速度に間に合うわけがないし・・・さすがにリスクが高すぎる。でも手段としてはそれぐらいしか・・・いや駄目だ。負担が大きすぎる。飛び石の要領でいっても相手は自在に空を飛ぶのだから、捉えるのも一苦労だろう。バトルフィールドがそもそも広すぎるのだ。もうちょっと範囲が狭ければ。それでもそれしかないと思ったらあの兄さんのことだ。一ミリたりとも迷わず決行しそうだし・・・あぁ!もう!!何か手段はないのか?!
そう頭を抱えた瞬間だった。ドンッ、と、大きな縦揺れが艇全体を襲い、全員の動きが強制的に止まった。縦揺れ、というか、下から突き上げるような大きな衝撃、とでもいうのか。体が反動で飛びあがってしまうぐらいの強い衝撃に、ただでさえ不安定な足場がぐらついて艇体が斜めに傾ぐ。その急角度に耐え切れず艇の縁の壁にぶつかりそうになったところで、目の前を青い髪が靡いたのが視界の端を横切った。
「「「「ルリア!!」」」」
青く長い髪が風に広がる。白いワンピースの裾がはためき、華奢で小さな肢体が、投げ出されるように艇の壁を乗り越える。ひどく、その様はスローモーションのようにゆっくりとして見えた。コマ送りのようにカチカチとぎこちなく世界が回る。自分の横を抜けて、艇の外へと投げ出された少女の、空のように青い瞳が、どこかきょとんをあどけない様子で丸くなって私を見つめた。その瞳に、ひどく間の抜けた自分の顔を見つけて、
「―――っ!!」
「・・・っ」
ビィンッ!と、片手が関節の本来ならば曲がっている部分をも無視をして限界まで真っ直ぐに伸びる。これは絶対に筋を痛めた。絶対痛めた。確信する。プルプルと震えながら、船体の縁を左手で持ち、両足を突っ張ってこれ以上ないぐらいに全身に力をいれて息を止め、白く柔い手を握りしめた。に、人間って重い・・・!ギリギリで取った白い手を、放すまいと握りしめて、渦巻く気流を背景に泣きそうな少女の顔を見下ろした。
ぶらん、と風に煽られ、揺れる少女の体に腕の筋肉が悲鳴をあげる。彼女の手が、縋るように私の手を握り返した。
「ル、ルリア、ちゃ・・っ」
「・・・ッ」
ずる、と僅か、彼女の手と私の手がズレる。その感覚にひゅっと心臓が冷たい手に握りしめられたような感覚を覚え、我武者羅に握る手の力を強めた。彼女の手に痕が残ろうと爪が食い込もうと形振り構ってなどいられない。この手を、放してしまうわけにはいかないのだ。脂汗が一気に額から噴き出る。肩から関節が抜けそうに痛い。みしみしと筋肉が悲鳴をあげているのがわかる。突っ張ってる両足も真っ白になって青い血管が浮き出て、顔が歪むのがわかった。それでも、ひ弱な自分の力では少女1人その体を艇に引きずりあげることもできずに、むしろ重力に誘われるかのように、上半身が艇の縁をズリズリと乗り越えて傾いでいくばかりだ。あ、あ、・・・く、っそぉ・・・!
「兄さん・・・!」
誰か、早く、お願い、このままじゃ・・・!奥歯を噛み砕くぐらいに噛みしめて、彼女の手を握り潰すぐらいに力を強め、
ドン!!!
あ、
更に一撃、艇に衝撃が走る。浮いた足、汗が滲んだ掌同士がずるりと滑って、一瞬、緩んだ力が、実に呆気なく。
少女を、空の、底へと。
ヒュゥと、吸い込んだ息の行き場がわからない。遠ざかっていく彼女と、茫然とする自分の視線が絡んで、瞬きで隠れて、離れて。掴んでいた手に、重さなどなくて。握り合っていた手が、何もない空虚を掴む。
落ちていく。華奢な少女の体が。空へと投げ出されて、口を開ける龍の元へと。落ちて、落ちて、―――堕ちて。
目の前が真っ暗になりそうだ。脳が目の前の出来事を処理できず私の全身から力が抜けた。艇の縁に身を乗り出して寄りかかったまま茫然としているとその横を、一陣の風が通り抜けた。え、と瞬けば、艇の縁を蹴り上げ見慣れた姿が外に躍り出る瞬間を見つめる。青いフードの背中。焦げ茶色の髪が広がって、先に落ちた少女の後を追いかけるように身軽な体躯の青年が、空の底へと。
「っにいさああああああんん!!!!」
喉から迸った絶叫に、応えはない。兄は体を回転させてルリアを飲み込もうとした龍の上顎を叩きつけるように攻撃して塞ぎ、更にその上を足場に蹴り飛ばすと、更に下に落ちていく彼女を追いかけて。追いかけて・・・うそだ。
ずるり、と縁にもたれかかっていた体を後ろに倒して、甲板に座り込む。痛む腕もなにも感じない。ドキドキと心臓だけが脈打って、全身に力が入らない。だって、そんな、うそだ。兄さんが、ルリアが。―――私のせいで?
「・・・・・っぁ、」
手が震える。わなわなと小刻みに震える手を見下ろして、そこに掴んでいたものの存在を思い描いて、かひゅ、と喉が変な音を立てた。
「おい構えろ!ティアマトが来るぞ!!」
「ルリア・・・!私が、守ると誓ったのに・・・!」
後ろから嘆き声が聞こえる。深い絶望に落ちたような声だ。これも。この声さえも。
私がちゃんとルリアの手を握っていなかったから。兄さんが、ラカムさんが、カタリナさんがくるまで、頑張れなかったから。私の力がなかったから。私のせいで、私のせいだ。私が。私が殺した。2人を。殺した。殺した?死なせてしまった。私のせいで。私が、私が2人を、2人も、私が・・・
ワ タ シ ノ セ イ デ 。
こくんと喉が上下する。震える手で顔面を覆い、乾いた目を閉じた。涙もでない。こんな時でさえも。生理現象すら起きない。乾き切って、引き連れた喉から零れるものがなんなのかすらもわからない。あぁ。今何をすればいいのだろう。嘆き悲しむことだけではないのは確かだ。でも2人がいなくなってしまったら何になると言うのだろう。
頭がぐらぐらする。考えが纏まらない。考えたくない?違う、考えなくてはいけない。私のせいでこうなったのなら、私がちゃんと考えなくてはならない。あぁでも、寒い。ひどく寒いんだ。物理的な問題じゃない。ぽっかりと洞が口を開けたように、寒くて寒くて仕方がないんだ。・・・どうしたらいいの、「 」。
「、心配ねぇよ。グランが一緒なんだぜ?大丈夫に決まってらぁ!」
「ビィ・・・?」
この場に似合わない明るい声が聞こえて、顔を覆っていた手を退かして虚ろな目を向ける。目の前で、少しだけ目を潤ませて泣きそうになりながら、ビィがニカ、と歯を見せて笑った。その笑顔が強がりというには何か違うように見えて、状況に似合わない様子に瞬いた。
「だってあいつらには、その力があるんだから!」
「力・・・?」
弱弱しい声で聞き返した刹那、ぞわりと全身の産毛が逆立つような荒ぶる気配を感じて、息が止まった。全身が粟立ち、思わず両肘を掴むように交差させ、ぎゅっと自身を抱きしめる。
「・・・来る・・・」
無意識に呟いたその瞬間、ドッと気流を吹き上げ、何かが空の底から天上へと駆け抜けた。煽られるようにグランサイファーが揺れ、唸る大気に茫然と首を反って上を見上げる。
艇の頭上、ティアマトの更に上に、黒銀のドラゴンが両翼を伸ばし、悠然と佇んでいた。そのドラゴンは、あの日、故郷の空で見た姿と何一つ変わらない。拘束された両手も、口も。大気が歪んで見えるほどに猛々しい気配も全て。あの日みた、あの姿のまま。
「星晶獣が、もう一体・・・!?」
「あぁ・・・ああ!ルリアと・・・グランの力だ・・・!」
驚いたようなラカムさんとは反対に、カタリナさんの喜びに溢れた声にポカンを口を開けて空を見上げる。空にいるのに空を見上げるってなんだろう、と思ったが、高みにいるのだから間違いでもないだろう、と。
ヴオオオオォオォォオオオオ!!!
空中に響く咆哮が、鼓膜に突き刺さる。威嚇するかのようなその声に、咄嗟に耳を塞いで目を白黒させた。ぶちぶちぃ、と口を封じていた戒めを破って吠え立てるドラゴンは、しっかりと視線を獲物――ティアマトに向けて、全身から立ち上る闘気に周囲を揺らめかせた。恐ろしい、と、言うしかないほどに、その気配は荒々しい。けれど不思議と、あれは味方だと思える。よくはわからない。一回見たことがあるからなのか、――その頭に、見慣れた姿を見つけたからか。
「・・・なんで、兄さんとルリアちゃんが?」
「あれはプロトバハムート。グランとの故郷・・・ザンクティンゼルで顕現した、星晶獣だ」
「はぁ!?お前の故郷、あんなもんがいたのかよ!?」
「知りませんけど!?いやじゃなくて!一体あのドラゴンはどこから?!」
「ルリアは星晶獣を従えることができるって言ってたからなぁ」
「ルリアちゃんが召喚したと!?」
なんで!そういう!!重要なことを!!!事前に言わないのぉぉぉぉぉ!!
先ほどまでの悲愴ななにがしを投げ捨て、ダァン!と力の限り甲板を拳で殴りつける。びくっと体を揺らしたカタリナさん達に構わず、私はわなわなと甲板に叩きつけた拳を戦慄かせた。じぃんと走る痛みにようやく感覚が戻ってきたことを実感して、私は荒ぶる心境を落ち着かせるように一回呼吸を止め、3秒数える。1、2、3。
「・・・ラカムさん、早急にティアマトから距離を取ってください」
「は?え?」
「?」
「どう考えてもあのドラゴン・・・バハムートでしたっけ?あいつの攻撃範囲馬鹿でかいですよ。この距離じゃ私達も巻き込まれます」
甲板を殴りつけ、俯いてた顔をがばりと上げてラカムさんに指示すれば、私の奇行を見守っていた・・・いや見つめざるを得なかったのだろう2人の呆気に取られた顔が目に映る。ぼけっとしてる時間はありませんよ。見てください、兄さん達超やる気満々。
「げぇっ!!マジかよ!」
「ラカム、急げぇー!」
遙か頭上で、キュインキュインと明らかにぶっ放す意思満載で力を集め始めているバハムートを見咎めて、ラカムさんの顔から血の気が引く。ですよねー。巻き込まれたら私らがお陀仏ですもんねー。・・・多分巻き込まれないようにはしてくれると思うけど、視覚的にやばい気配しかしない。青ざめて慌てて甲板に備えている第二操舵室、室、というか小部屋があるわけではないので部屋ではないのだが、とりあえず舵輪を供えている場所に取って返すラカムさんを見送り、その肩にへばりついて急げ急げラカムゥゥ!!と叫ぶビィに微笑みを浮かべる。あの映像和むわぁ。和んでる場合じゃないけど。
そう思いながら、私もよっこらせ、と重たい身体を動かして立ち上がる。全身で人一人の体重を短時間とはいえ支えたから筋肉への疲労感が半端ないな。ルリアを一瞬とはいえ片手で支えた右手など、マジで今あまり使い物になっていない気がする。軽く肩を回して調子をみながら、動き出す騎空艇に軽くよたついてティアマトを見る。あちらもあちらでどうやらバハムートに標的を変更したようだ。まぁ、明らかにあちらの方がやばい気配醸し出してるもんな。そうぼんやりとしていると、後ろに立った気配に緩慢に振り返る。すると、カタリナさんがどこか気遣わしげな目で私を見ていた。
「大丈夫か?」
「・・・怪我をしているわけではないので。あぁほら、柱にでも捕まっておきましょ、カタリナさん。来ますよ」
「あ、あぁ」
そういって、近くの柱にまで寄ってしがみつき、ちょうど反対側の柱にカタリナさんがしがみついたのと同時に、バハムートからガトリング銃のように複数の閃光が、ティアマト目がけて放たれた。その光景といったら、小さき人から見れば世紀末もかくやと言わんばかりの凄まじい閃光の雨霰だ。音と共に起こる風圧と爆音に煽られて騎空艇の軌道も安定しない。戦闘機からのミサイルの乱射のようだ。空襲とはこのようなものだったのかもしれない。いや、それよりももっと破壊力もひどい代物なのは明白なのだが。ぐわんぐわんと揺れる艇体に、捕まっててよかったな、と思いながらその攻撃が光と音の激しさの割に、目的が艇とティアマトを引き離すことなのだと、閃光に追い立てられるように距離を取ったティアマトの様子をみて気が付いた。放たれたレーザー自体が、まるで追尾型のミサイルのように艇に当たる前に軌道を逸らしてティアマトを追うのが余計にその考えを強くする。へぇ。そういう細かいこともできるんだ、あのドラゴン。感心したように息を零すと、ちらりとみたカタリナさんが私をみてはなんとも言えない顔をした。
「、君は・・・」
「そろそろ決めるみたいですね」
もう一度、問いかけようとした言葉を封じるように遮り、バハムートが出現したことによりどこか気の抜けた調子で大怪獣大戦争・・・もとい、星晶獣大バトルを見つめる。
なんか特撮ものでも見ているような気持ちだがこれが目の前の現実だと思うとこの世界のレベルが高すぎて本当に恐ろしい。人の入り込む隙を見つけられないのだが、これからもこの規模で事が起こるのかと思うと、兄さん達の命はいくつあっても足りないのではないだろうか・・・。
「随分、気が抜けているな・・・?」
カタリナさんが、私の様子に一つの結論を出したのか小さくそう呟く。バハムートとティアマト。双方が、最後の力のぶつけあいとばかりに力を溜めていく光景を見ながら、そりゃ気も抜けるでしょうよ、と内心で呟いた。・・・死んだと思った人が生きていた。結果、このどうなるのか先が見えなかった戦いに決着の目途がついた。気が抜けるというか、こうなったらもう大どんでん返しの意地悪悪意満載の超展開でも起きない限り、勝利は揺るがないといってもいいだろう。鍵の少女が味方について、あまつさえあんなドラゴンを見せ場で召喚したのだ。―――勝利しない方が可笑しい。そも、ティアマトだって暴走はしているがこんなことを最初から望んでいたわけではないのだし。
そう思うとなんかもう、気を張り続けることが難しいというか。ひとまず騎空艇から振り落とされないように注意をしていれば大丈夫かなーと。そう思いながら、ティアマトとバハムート。二体の星晶獣の力が、ほぼ同時に力を解き放つのを離れた位置から見た。
ティアマトからは三体の龍の口から放たれる大規模な竜巻。ぶっちゃけ最初にあれをぶっ放していればポート・ブリーズ群島など一瞬で壊滅していたと思われるレベルの竜巻だ。つまり救済もなにも考える間もなくジ・エンド。・・・やっぱりティアマトは優しい星晶獣なのだなぁ、と知らず好感度を爆上げしていく。バハムートからは、それこそ私が故郷でみた口からの破壊光線が放たれた。技名は知らないが、見た目絵面共に破壊光線としか言いようがない。あれ、バハムートに乗っている兄さん達は衝撃とか諸々大丈夫なのだろうか?と思わず首を傾げそうになった。いや、存外台風の目のごとく当事者は静かなものなのかもしれない。どちらにしろ、人の手には負えない凄まじい圧のかかった力が、一筋の閃光となるように直線状でぶつかり合う。いや、ぶつかり合いそうになった、その刹那。
―――ガウン
たった一発の炸裂弾が、ティアマト目がけて放たれた。たった、それだけ。それだけのことだ。星晶獣同士の力のぶつかり合い、その規模に比べれば微々たる一発は、けれど勝負を決するにはあまりに大きな一発だった。ティアマトに過たず着弾した炸裂弾が、彼女の意識を一時と言えどバハムートから逸らす。均衡した二つの力の衝突の間際の、ほんの一瞬の小さな隙だ。けれど、戦いの最中においてその隙がどれほどの致命傷となるのか――それはきっと、今目の前の光景がその答えを見せていた。
押される。意識を逸らした攻撃は、一直線に全力の力が籠められた力を再び押し返すには時間が足りず、あっという間に竜巻は閃光に飲み込まれた。その延長線上にいるティアマトさえも、バハムートの力は飲み込んでいって。薄暗い周囲が、その一瞬だけ爆発的な光に満たされる。目を焼くような光景に見つめ続けることは叶わず、音さえも飲み込んだ無音の世界が一拍。爆発と共に吹き荒れる爆風が艇を襲い、甲板にいる私達も吹き飛ばさんという勢いで叩きつけてくる。必死に柱に縋りついてその暴力的な風圧に耐え忍んだところで、ようやく光と音が世界に戻ってくると、私はへなへなと腰を抜かして柱伝いに座り込んだ。終わった、のか・・・?そう思った瞬間、今度はひどく苦しげな、威嚇でもなんでもない、ただ苦痛に悶え苦しむような雄叫びが耳をつんざいた。ビリビリと肌を震わせる悲鳴に、ラカムさんの悲痛な声が甲板に響く。
「もうやめてくれティアマト・・・!これじゃあお前が壊れちまうじゃねぇか!!」
切実な呼びかけは、けれどティアマトから立ち上るお世辞にも良いものとは思えない淀んだ力によって彼女には届かない。その黒い靄は彼女の肌を伝うたび、彼女が苦しむように、まるでそれを振り払うかのように、喉が裂けるのではないかと思うような絶叫を迸らせるのだ。―――なんて、惨い。穢れに侵されたその姿は痛々しく、彼女の悲鳴が成す術もなく空に響き渡り、思わず伸ばしかけた手を、ルリアの声が遮った。
「怖くないよ、ティアマト。辛かったね、苦しかったね・・・魔晶の力があなたの中で暴れてる・・・そのせいで、大変だったね」
優しい、声だ。穏やかに、慈しみをこめて、ルリアちゃんがティアマトに微笑みかける。苦しむ人を救う、聖女のごとき様相で。バハムートに乗って近づいた彼女は、もがき苦しむティアマトを見つめ寄り添うように言葉を紡いだ。彼女の心に沿うように、優しい彼女がこれ以上苦しまないように。
「あなたを蝕むその力、私が貰うね――だから、もう大丈夫だよ」
輝きが、ルリアちゃんの手の中で増していく。彼女の胸元を飾る石が光り輝き、ティアマトを包むように一層強く光った。すると、ティアマトの体からぶわり、と。暗く淀んだ瘴気めいた靄が立ち上り、光に紛れてルリアちゃんの元まで伸びていくではないか。
その光景に驚きに目を見張った。吸収している、というの?浄化とも、昇華とも違う。力が、ルリアちゃんに流れていっているのがわかる。同時に、ティアマトの歪んだ形も修復されていくのが。苦悶に喘いでいた顔が、黒い瘴気がルリアちゃんに流れていくたびに、本来の――あの祭壇の石像のように、穏やかなそれに戻っていく。私の力とは違う。それでも確かに穢れを祓うその光景になんともいえない神々しさを覚えながら最後にパンッと弾けるようにして光が収束した。そうしてそこにいたのは、魔晶に翻弄されることのない、ただ一体の星晶獣がいるだけで。幻想的、神秘的というべきか。・・・もしかして私が白龍の力を使う時もこういう感じだったのだろうか、なんて思いながら(いやでもあんな絵にはならないだろうなぁ)バハムートの頭から艇へと戻ってくる兄の姿に、ほっと胸を安堵の息を零した。
まるで今行ったことなど大したことではないかのように軽い足取りで、艇に戻った兄はルリアちゃんに手を指し伸ばして艇に渡る手伝いをしている。2人とも、怪我一つない。至って健康体、無事な姿に、ぐっと胸元で拳を握りしめた。カタリナさんが、駆け足でルリアちゃんの元まで走り寄る。
「ルリア!」
「カタリナッ」
「グランーー!!」
「ビィ!」
声をかけられ、パッと顔を輝かせたルリアちゃんを、泣くのを堪えるかのようなくしゃくしゃ顔で、カタリナさんがきつく抱きしめる。その横で兄さんの顔面に突撃したビィが、顔面にへばりつくようにしてぐしゃぐしゃに髪を掻き乱す。視界を塞がれた兄があっぷあっぷと手を動かしているところは笑いものだ。カタリナさんはその無事を感じるように、きつくルリアちゃんの華奢な体を抱きしめて、後頭部を片手で抑え込むと鼻先を埋めた。
「カタリナ、苦しいよ・・・」
「あ、あぁ、すまない。あぁ、でも、本当に無事で・・・!」
そういって、少しばかり力を緩めて、けれどカタリナさんは目尻に浮かんだ涙を気づかれないように指先で拭い取った。生きた心地がしなかったのだろう。当たり前だ、あんな、あんな光景。二度と見たいとも思わない。笑いあう2人を、実に微笑ましいものを見守る眼差しで見つめる兄の顔を眺めて、私はきゅっと下唇を噛んだ。
「――ティアマト」
感動の再会をする3人の横を通り過ぎて、静かな呼びかけが空気を震わせる。
その声に、私ならず、兄さんやルリア、カタリナさん、ビィ、そして――ティアマトが視線を向けた。
「お前を忘れてすまなかった。謝っても謝りたりないよな・・・長いこと、お前を一人ぼっちにさせちまった。本当にすまなかった」
そういって、ラカムさんが頭を下げる。腰を深く曲げて、その潔い姿に誰もが口を閉じて魅入る。ティアマトもまた、言葉もなくラカムさんを見つめていた。
「居なくなって初めてありがたさに気づくなんて、お前はこの群島のおふくろみたいなもんだな。失くしてから気づくなんて、本当にどうしようもない、俺含めて大馬鹿ものばっかの島だけどよ。――風の恵みをありがとう。お前がいたから、俺達はこの群島を好きでいられた。この群島を、故郷にしてこれた」
ふわり。穏やかな風が吹く。荒ぶる風は為りを潜め、今、艇を包むのは、ティアマトの・・・。
「俺も街のみんなも、お前がいなきゃ寂しくて仕方がねぇよ。だから・・・ティアマト。もう一度、俺達と一緒に暮らそう。もう一度、最初から――一緒に、この島を愛しちゃくれないか」
プロポーズか。思わず突っ込みそうになったが、ぐっと堪えてちらりとティアマトを見れば、彼女は少しきょとんとした顔をして、それから。
ありがとう。
まるで、子供に感謝の手紙を貰った母親のようなくすぐったそうな、それでも嬉しさを隠せないような、そんな面映ゆい微笑みを浮かべて彼女はパンッと光を放って姿を消した。一瞬、去り際にこちらに視線を向けて。重なった視線に、彼女が残した微笑みの意味は、わからなかったけれど。後に残ったのは、嵐の名残など感じさせない爽やかに通り抜ける風と、青く蒼く、どこまでも続く、雲一つない晴れ渡る――光り輝く果てしない空、それと。
「・・・あれ?これは・・・」
「花びら?」
「一体どこから・・・」
風に乗って、舞い落ちる、白と青と、淡い黄緑色の、数多の花弁の乱舞。空のどこからともなく降り注ぐ小さな花弁は風に流れて、甲板に、空の下に、頭上に落ちては舞い上がり。
「・・・気に入って、くれてたんだ」
差し伸べた掌に、ふわり。一片の花弁が誘われるように落ちると、ぎゅっと握りしめた。・・・少しでも、あなたの慰めに、なったのかな?
「この空と花びらは、ティアマトの贈り物なのかもしれませんね」
「うん・・・本当に、空に出てよかった。大変なこともあるけど、空の青さを知ることが出来てよかった」
「なぁグラン。知ってるか?」
ぐすっと鼻を鳴らす兄さんにラカムさんが話しかける。舵輪に手をかけ、グランサイファーを島へと運ぶ彼は、広がる果てしない青を目を細めて見つめると今までにない穏やかな顔に自慢と誇りを浮かべて語りかけた。
「こんな空と、空を飛ぶ仲間を、なんていうか」
「・・なんていうの?ラカム」
「『
ラカムさんの声を聞きながら、そっと目を閉じる。
風が、私達を運ぶ。戻るべき大地へと、その穏やかな風で背を押して。
そうして長く、大変だった私達の1日が、ようやく終わろうとしていた。