蒼天の花
ティアマトとも和解しポート・ブリーズも壊滅を免れてハッピーエンド。
帝国のフュ・・・フュリアス?将軍?とやらにしてみれば煮え湯を飲まされたかのごとく腹立たしい大団円だろうが、それはそれとして。
ティアマトからの贈り物を背に、島に帰還しているグランサイファーの甲板で和やかに終わった感を出しているところ申し訳ないなぁとも思うのだが、多分今を逃すとタイミングが難しい気もする、と私はするん、と感情の抜け落ちた真顔で兄さん達を眺めやった。
丁度この場には私達しかいない。島に戻れば恐らくお祭り騒ぎになるだろう、ぐらいのことは想像ができて、2人っきりになることも難しいだろう。祭り後に修羅場を演じるのも気が引ける。どう考えても今だよな、と1人算段を立てると、私はルリアちゃんと笑い合っている兄さんに声をかけた。
「グラン兄さん」
「ん?なに、、」
にこにことあれがすごかった、ここがどうだった、とあれこれ話している中中断して、冷え切った声であることにも気づかず兄が素直に私を振り返る。そのタイミングを見計らって、パシン、と軽い音をたてて兄の頬を張った。乾いた音が風の吹く甲板にやけに大きく響いて聞こえ、笑い声さえ聞こえていたそこがしん、と水を打ったように静まった。
そんなに強く叩いてはいないので痛みなどはないはずだが、突然叩かれたことにだろうか。叩かれた衝撃で横向いた顔で、兄がまん丸く目を見張るのがわかる。?と戸惑ったようにルリアちゃんが声をあげるが、カタリナさんとラカムさんは静かに息を呑むだけだった。
「ど、どうしたんだよぉ」
「ビィは黙って。・・・兄さん。ずっとこんな戦い方をするようなら、私はあなたをこのまま空の旅に出させるのは賛成できない」
突然、突然か。私の心情を思えば至って正常な心理だと思うが。そうとは知らず、突然兄を叩く、という暴挙に出た私にビィが狼狽えたようにおずおずと声をかけてきた。
長年一緒に過ごしてきたせいであろうか。今の私のただならぬ様子、もっと言えば怒っている、ともいえる態度にビィの尻尾が丸く股の下に仕舞い込まれる。私が怒ることは滅多にないので(癇癪の激しいだろう子供時代でさえ、中身がこれなのだからほぼなかったといってもいい)彼らは私のこのような態度にぶっちゃけ慣れていない。故に、ビィは私の淡々とした声にひっと小さく息を呑むとぱくん、と両手で口を覆った。何も話さない、という意思表示だ。対して兄は、私の発言に丸くなっていた目を更に丸くして逆にパカリと口を開けた。どうして、と今にも言いそうなそれに、すぅ、と目を細める。びくん、と跳ねた肩に、当然だろう、と兄を睨みつけた。
「兄さん。どんな算段だったか、勝算があったのかは知らない。知らないけど、いくらルリアちゃんを助けるためとはいえ、私の目の前で艇から飛び降りたこと、私がなんとも思わなかったとでも思ってるの?」
「あ、」
「私じゃなくても、ビィや、カタリナさんやラカムさんの前で、仲間の前で、今後もあんな自分の命をないがしろにするような、度外視するようなやり方を続けるような人に、私は旅をして欲しいとは思わない」
本人は満足だろう。自分の思うがままに行動し、結果まで出したのだからやりきったと清々しささえ覚えているかもしれない。過程はどうあれ結果だけみればなるほど、ハッピーエンドではあるだろう―――ふざけるのも大概にしろ、という話である。
あの時、あの瞬間、私がどんな思いだったか。周りがどれだけ胸を痛めたか。きっとわかりはしないだろうし、今後もこの人は理解できないと思う。誰かの為に自分を犠牲にすることを厭わない人間だと知っている。そういう性格で、そういう性質だとわかっている。それが兄の兄たる所以であり、そうであるからこそきっと今こうして空に兄はいるのだろうともおおよそ検討がついている。しかし、だからといってそれをそのまま受け入れるには心臓に悪すぎるのだ。結果的に星晶獣とやらが召喚できたから助かったようなものだが、前情報を知らなかった私の絶望感を少しばかり慮ってはくれないだろうか。
せめて一言謝罪してくれよ。お前妹にダイナミック自殺現場見せようとしてたんだぞ。トラウマ待ったなしだろうが。あの光景、本当に生きた心地がしなかった。その前に私自身が彼女を助けられなかったという背景があるだけに、私のトラウマの一ページに確実に刻み込まれる案件だった。
無論、仲間を見捨てろといいたいわけではない。いやあの場合は諦める他ないとは思うんだが、だからといって自分の命を勘定にいれず、周囲のことも考えず突っ走っていい理由にだけはさせてはならない。真っ直ぐに見つめた先の兄は、私を見つめ返して口を噤む。ヘーゼル色の瞳に映る私の、表情の抜け切った顔が歪に歪んだ。周りも口を挟めず沈黙していて、痛いほど張りつめた空気が緊迫感を増す。
「助けるなとは言わない。誰かの命を諦めろとも。多分何も考えずに条件反射で動いたんだろうし、やるなっていってもやるだろうからそこについては何も言わないけど」
どれだけ言っても聞きゃしないだろうし、理解したところで魂に刻み込まれたお人好しは治ることは無いだろう。今後も兄は骨身を削って誰かのために体を張るだろうし、時には死にかけることもあるだろう。泣かれても怒られても、この人はその生き方を変えられない。そうとしか生きれない人間だと思っている。でも、だからこそ。
「自分の命を捨てても助けるって考えだけはやめて。自分の命を懸けて助けるのはいい。だけど、捨ててもいいって考えだけはやめて。―――兄さんは、私が兄さんを失くして平気でいられるほど薄情な人間だと思ってるの?」
「っそんなことは!」
そういって目を伏せた瞬間、反射のように兄さんの手が私の肩を掴み、焦った顔で数回口を開閉させると、項垂れて小さくごめん、と呟いた。
「違う、そんなつもりじゃなかったんだ。あの時はルリアを助けないとって思って、それに、バハムートのこともあったから、きっと大丈夫だと思って」
「私はそのことを知らなかったし、目の前で飛び降りられて生きた心地がしなかった」
「・・・ごめん」
「よぉく考えて、兄さん。仮に、仮にだけど。・・・私が同じことして、兄さんは平気でいられる?」
まぁやることはないしそんな状況に陥る気は毛頭ないが、想像力とは大切なものだ。両肩を掴む兄の顔を覗き込むように下から見て、考えてみて、と強く言うと、兄は顔を歪めて、小さくまたごめん、と言った。僅かに血の気の引いた顔から、一応その状況を想像してはみたのだろう。肩を掴む手が震えて、耐え切れないように背中に回った。抱きしめられて、兄さんは肩口に顔を埋めてくる。
「ごめん、ごめん・・・ごめん、」
「うん。・・・うん」
背中に回った腕が震えている。小さな謝罪を繰り返されて、ようやく彼の脳みそにも私の言いたいことが染み渡ったのだろうか。まぁ、だからといって行動が改められるとは思っていないが。
父親はいる。いるが、幼いころの僅かな記憶のみでは可哀想だがあまり感慨も涌かない。正直今も生きているのか定かではない相手である。イスタルシアで待っている、という言葉が本当かどうかもわからない、そんな父親よりも、ずっと一緒に過ごしてきた兄の身を案じるのは当然だし身近にいた存在がいなくなる――その恐怖を、どうか少しでも考えてはくれないだろうか。ぶっちゃけ父は実は死んでましたー!って言われても「あぁそうか」で納得できるが、兄が死にましたと言われたら「あぁそうか」と思っても私の中での衝撃は父の比ではないことだけは確かだ。
庇われた側も、残された側も。大きさはどうあれ傷になる――知ってるからこそ、わかっているからこそ、そんな戦い方を、そんな考えを、根付かせてはならない。絶対に。死ぬ覚悟は、死んでもいいと言う覚悟ではないのだ。
「グラン兄さん。戦うに当たって、きっと邪魔になることかもしれないけど、私や、ビィや、ルリアちゃん達がいること、残されること、忘れちゃダメだよ」
生きていなければ、何もできないのだから。ぽんぽん、と兄の背中を軽く叩いてこの話はこれでおしまい、と体を離す。兄が情けない顔で眉を下げていて、妹に怒られてやんの、とからかうように笑ってやった。
「あー・・・なんだ。まぁ、の言うとおりだな」
「そうだな。確かにあの瞬間は生きた心地がしなかった。・・・しようがないこととはいえ、あまり無茶はしないでいてくれると私も嬉しいよ、グラン」
「あぁ。ラカムも、カタリナもごめん。ビィも、心配かけたよな・・・」
「ま、まぁオイラはグランのこと信じてたぜ?でもよぉ・・・やっぱり、心臓にはよくねぇな」
そういって、ルリアちゃんの背後から出てきたビィはどこか気落ちした様子で、ぽすん、と兄さんの頭にしがみついた。後頭部にしがみついたので、兄さんからはビィの様子はいまいちわからないだろう。けれど雰囲気で、ビィもどれほど心配していたかわかったのだろう、体を撫でてやりながら、ごめんなぁ、と繰り返していた。そうそう。そうやって自分にはしがらみしかないのだということを理解してくれ。そう思って頷いていると、1人、やけに暗い顔をしているルリアちゃんが視界に入り、私は首を傾げ、あ、と口を開けた。
「ごめんね、ルリアちゃん。ルリアちゃんを責めたわけじゃないんだよ。あれは事故みたいなものだし、私も・・・もっとちゃんと手を握っていたらよかった。怖かったよね・・・ごめんね」
あくまで兄さんの行動にもっと自覚を持ってほしかっただけであって、彼女を責めたいわけじゃない。むしろ彼女こそ、死にそうな目にあったのだから私なんかよりもよっぽど怖かっただろう。こっちの精神ケアも重要だ。死にそうな目にあってトラウマにならない人間などいない。そう言いながら近づき、その肩に手を添えようとして・・・びくっと大きく体を震わせた彼女に、驚いて手を引っ込めた。
「ルリアちゃん・・・?」
「・・・ごめんなさい、・・・!」
「うん?・・・いや、だからあれは私のせいでもあるし、ルリアちゃんが悪いわけじゃ、」
「違うんですっ。・・・違うん、です・・・」
兄さんが無茶したのは兄さんの問題であって彼女にその責任はないのだ、と。むしろあんな目に遭わせて私の方こそ申し訳ない、と。そんな気持ちで言えば、彼女はそれに重ねるようにして否定をした。蒼褪め、泣きそうな顔をしているルリアちゃんに、私もおや?と眉を動かす。・・・どうやら、別件か?
「・・・違うって?」
何が?と言外に問いかける。その私達のやり取りに、カタリナさんが苦いものを噛んだかのように顔を顰め、グラン兄さんも顔を強張らせた。ビィも同じく気まずそうにしているのに、ラカムさんだけはよく事情を知らないようで強張った彼らに怪訝な目を向けていた。・・・ラカムさんは知らず、けど兄さんたちは心当たりがある。なるほど。・・・ザンクティンゼルで何かやらかしたんだな?思わずじとりと兄を見ると、兄は視線をあからさまに泳がせ、それから困ったように眉を下げた。それでも目線を外そうとしない辺り、どうやら後悔などというものはないらしい。後ろめたさはあるようだが。溜息を一つ落とすと、びくっとルリアちゃんは更に震え、一度強く唇を噛むと涙の浮かぶ目をぎゅう、と強く閉じた。
「私、私のせいで、グランは・・・・っ」
「・・・・兄さんが?」
どうしたものか。何かに怯えるように震える彼女に触れていいものか、そう思案しながらできるだけ穏やかに先を促す。ただ、それさえも今の彼女にはあまり効果はなく、逆に追い詰めたような気がしないでもない。顔をあげたルリアちゃんの、蒼穹の瞳に浮かぶ涙を見つめながら首を傾げると、彼女は目の縁に涙を浮かべながら、それでもギリギリで耐えるように口を開いた。
「グランは、私のせいで、一度死んでるんです・・・っ」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。桜色をした淡い少女の唇から、悲痛さを伴って告げられた内容がうまく処理できない。言葉の形だけ受け取って、私は目を見開くとゆっくりと口を開いて、何かを言おうとして何を言えばいいのかわからずまた口を閉ざした。
言われた意味を解釈するために、口元を手で覆ってしきりに瞬きを繰り返す。え?は?・・・うん??
「・・・ちょ、っと。意味が・・・」
「グランは、私を庇って一度死にました。私のせいで、から、グランを奪ってしまった・・・っ」
「え。えぇと・・・いや、はぁ、うん。・・・・うん?」
死んで・・・?いや、生きてそこにいるよね?申し訳なさそうに、罪悪感に苛まれてワンピースの裾を皺ができるぐらい強く握りしめて俯くルリアちゃんの旋毛をみながら、ちらちらと兄を見る。どう見ても普通に生きて立ってそこにいるんだけど・・・?あまりにも大きな矛盾に混乱していると、見かねたのか兄さんがそっと近寄ってきてルリアちゃんの肩を抱いた。
それから宥めるように彼女の背中を撫でながら旋毛に口元を押し付け、優しい声で「大丈夫、ルリアのせいじゃないよ」などと言っている。おいなんだその密着具合。妹の前でラブラブ度見せてやがんのかなんかちょっと恥ずかしい。身内の甘ったるいシーンはちょっと気恥ずかしいかなぁって!やや現実逃避気味に考えていると、同じように言われた意味がわからなかったのか、ラカムさんが素っ頓狂な声をあげた。
「いや、グランはそこに生きてるじゃねぇかよ」
「ですよねー?」
今、私とラカムさんだけが通じ合っている。もっともな発言に同意をして、ちょっと意味がわからなさすぎるな?と兄を見やれば、困ったように眉を下げるだけだった。いやだから説明しろ。なんだお前幽霊だとでもいうのか浄化するぞ。そんな私たちに、カタリナさんは深く重たい溜息を一つ零すと、私の横を通り過ぎて兄とは反対側のルリアちゃんの横に立つとその背中に手を添えて、言うつもりはなかったのだが、と言葉を濁した。
「・・・グランは一度、ルリアを守るために死んでいる。それは信じられないだろうが事実なんだ」
「そう、言われても・・・」
「あぁ、勿論信じられないのはわかる。現にこうして生きているからな。ただそれには理由があるんだ――グランは、ルリアと命を共有しているんだよ」
は?・・・共有?聞きなれない言葉に、目を丸くして戸惑う。更にわけがわからないな?と困惑を隠せないまま首を傾けると、兄さんはルリアちゃんを抱いたまま苦笑するように口角を持ち上げた。
「ザンクティンゼルで、もバハムートを見ただろ?」
「あぁ・・・うん。あれね」
「その前に、ヒドラと僕達が戦ったことは、話したっけ」
「聞いたと思う。・・・私ももうちょっとちゃんと話を聞いてればよかったね」
関わりたくない、どうせすぐ別れるのだから、と兄さん達の事情に深く立ち入らなかった判断をここにきて悔やむ。事情を聞いてしまえば嫌でも巻き込まれてしまうのでは、という私の不安故、兄達の、ルリアちゃんの話を聞くことを躊躇ったのだ。そこでもっと詳しく聞いていれば、今こんな風な事態にはなっていなかったのかもしれない・・・今更の話だが。
私こそ苦虫を噛み潰したような心境で兄の言葉に相槌を打つと、兄は益々困ったように「余計な心配をかけたくなかったんだ」と言った。
「でも、やっぱりにはちゃんと話しておくべきだった。大切な家族なのに、何も知らないのは逆にを心配させてしまうね」
「いや、うん。・・・聞こうとしなかった私も悪かったよ。ごめん」
無責任、と言ってしまえばそれまでだろうか。責任を負いたくないから避けておいたことが、ここにきてずしっと伸し掛かってくる。早くに決着をつけておくべきことだったのかもしれない、と謝罪を口にしながら、私は兄の言葉を少し考え、行き着いた答えに眉間に指を押し当て揉みこむようにして低く唸った。
「・・・つまり、理解したくはないけど、グラン兄さんは、バハムートを呼び出す前に、そのヒドラにやられて、死んでしまった、っていうの?」
「あぁ、まぁ、うん。早い話がそういうことなんだけど」
あっけらかんと言うな。人が頭痛を堪えて確認しているというのに、本人はけろっとした様子で言うものだからなんかもう、肩から力が抜ける。いや、わかっている。ここで下手に深刻そうにするとルリアちゃんが自分を追い詰めかねないということは。精神的に追い詰めてしまうと今後どうなってしまうかわからないので、あえて場を明るくさせようという意図はわかる。わかるが、本当もうちょっと待ってくれ。
そんな私達のやり取りにむしろこっちの方が狼狽えた様子で、はぁ!?と大きな声でラカムさんが口を挟んだ。
「じゃぁ何か?グランは実は死んでて、それをルリアがなんとかしたってことか?」
「詳しいことは私も上手く説明はできないんだが、ルリアは自分の命をグランに半分分け与える形で、グランを生き返らせた、といった方が適切か」
「・・・そのせいで、グランと私は長く離れてはいられません。それに、魂を共有しているせいで、私が傷つけばグランも、グランが傷つけば私も同じように傷つきます。・・・グランには、とても、不自由な体にしてしまって・・・申し訳ないと思っています」
そういって、私の方をみてくしゃ、と顔を歪めたルリアちゃんは、本当にごめんなさい、とほろりと涙を零した。私はその泣き顔を見ながらあまりの内容に絶句し、ルリアちゃん、グラン兄さん、と交互に目を向け、顔面を片手で覆い隠すと、はあああああ、と重たく長い溜息を吐き出した。いや、なんか、もう、うん。
「・・・だったら、益々自分を大切にしないとダメでしょうが!!」
「えっ!?」
「ふぇ?!」
「ルリアちゃんも!グラン兄さんも!自分1人の体じゃないんだから、過ぎるぐらい自分を大切にしないとダメでしょう!?精神的問題じゃなくて肉体的、物理的にそうなってるんなら、余計こと今後あんな無茶な行動は慎むこと!!そうじゃなければ2人ひっくるめてザンクティンゼルで田舎暮らしさせるからね!!」
いっそその方が安全かもな!まさか帝国もまたあんな田舎に引きこもるとは考えまい。なまじ艇の行き来も少ない辺境の孤島なので、身を隠すには逆にうってつけかもしれない。
憤慨したように声を荒げた私に、しかし言われた内容が想定外だったのか2人の顔がきょとーんと間の抜けた様相になる。カタリナさんもえ?なぜそうなる?みたいな顔をしているので、私はふん、と鼻を鳴らして腰に手を当てた。
「兄さんが死んだっていうけど、私はその現場を見てないから正直実感がない。でも今はこうして生きてるわけだし、生きてるんならとりあえずそれでいいよ。ただ、・・・ルリアちゃんには、くっそ重たいもの背負わせることになって、申し訳ないと思う」
「え?」
「・・・怖かったでしょう?自分が死ぬより、自分のせいで誰かが死んだこと。命を背負わなくちゃいけないこと。自分1人だけの責任ではなくなること。堪らなく、・・・怖いでしょう?」
「・・・ぁ」
それは、他人が想像を絶するほどの恐怖のはずだ。多分、兄さんもカタリナさんも、そういうことを考えたことはないだろう。彼らはそれを当たり前に捉えているし、当然のごとく受け止めているからだ。逆に言えば、自分が誰かのために代償を払うことばかりで誰かが自分の変わりに背負うということを経験していることは少ないとみていいだろう・・・特に兄さんなんかは。カタリナさんは軍人だし、戦いの中でそれなりにあったかもしれないが戦争というある種特殊な環境では一概に判別しがたい部分がある。まぁ病んでる人も多いだろうけど。
さておき、ルリアちゃんの恐怖に関しては、正直兄さん達のよりもよほど理解しやすいと思うのだ。置いていくこと。置いて行かれること。それは種類が違うが、恐ろしいものである、という一点だけは共通している。命とは、重たいものだ。自分の命でさえ満足に背負えない時があるのに、ましてや他人のものまで一緒に背負うだなんて、計り知れないほどに重たいだろう。
自分の死の恐怖と、他人の死の恐怖は似て非なる。けれど、同じ怖いものであるなら、それを同時に経験した彼女の重荷は一体どれほどであろうか。想像しかできない。想像しても、きっと追いつかない。ただ、少なからず、どちらも覚えのある側の人間としては、私は彼女に同情はしてもとても責める気にはなれなかった。本当に、・・・捨てないだけ、逃げないだけ、立派なものだと思うよ。
「兄さんを助けてくれてありがとう。兄さんの分まで背負わせてしまって、ごめんなさい。でも、だからどうか、・・・無茶だけはしないでね」
君が無事でなければ、元気でなければ、なんの意味もないことなのだから。
もっと良い言い方も言葉選びもできればよかったのに、出てきたのは実にありきたりな言葉だけだ。無駄に生きている癖に語彙力の無さに泣けてくる。ただそれでも、この小さな少女が背負うものを、否定だけはしてはいけなかった。覚悟をして、例えそれが少女の我儘故のものだったとして・・・命を分けてくれたこと、背負ってくれたこと。
――重たいものを、抱えてしまったのだなぁ、と私はルリアちゃんの頭をゆっくりと撫でた。瞬間、彼女の顔が見る見るうちに歪み、ふえぇぇ、と泣き声が零れた。
兄さんの手を離れ、私の胸に飛び込んでくる。ぎゅっと抱きつかれて、いやホント、この子とんでもないもの背負いすぎだろう。と思いながら繰り返し青い髪に指を通した。笑っていた。笑顔で、前を見ていた。でもどれだけ、自分を責め続けていたのだろうか。
「ルリア・・・」
泣き咽ぶルリアちゃんに、カタリナさんが苦しそうな顔をする。気付かなかった、と自己嫌悪するようなその顔に、こっちもこっちで、と苦笑する。まぁ、なんだ。
「カタリナさんは、これからも、ルリアちゃんを守っていけばいいんですよ。他人が他人に完璧に寄り添うことは不可能ですけど、こうやって、泣いていたら胸を貸してあげて、悩んでいたら声をかけてあげて、笑っていたら一緒に笑うんです。それだけで、案外人って楽になるものですよ」
「そう、か・・・?」
「そうですよ。それに、ルリアちゃんはカタリナさん大好きだもんねー?」
「う、うぅ・・ひっぐ、大好きですぅぅぅ・・・っ」
「ほらね」
うんうん。鼻水服についたけど気にしないよ、私は。泣きながら告白するルリアちゃんに、カタリナさんはパチパチと瞬きをして、それから面映ゆいような困ったような、なんともいえない顔でそうか、と一つ呟いた。
「私も、ルリアが大好きだよ」
「うぅ・・・・カタリナぁぁ~~」
そういって微笑んだカタリナさんに、ルリアちゃんはだばぁ、とまるで涙腺が壊れたかのごとく再び涙を溢れさせて(これは私のせいなのかな?)、今度はカタリナさんに抱きついた。その華奢な体を抱きしめて、ひどく優しい顔でカタリナさんはルリアちゃんの髪を撫で梳く。ホント、年の離れた姉妹みたいで大変眼福です。よしよし。
頷きながら、そっと気配を消して兄の横に立つ。兄さんはカタリナさんとルリアちゃんを見つめて嬉しそうな顔をしていて、この光景を消させないためにも、と私はくいっと兄の袖を引っ張った。
「ん?」
「兄さん、兄さんも、・・・死ぬって、怖かったでしょ」
ひっそりと、声を潜めて告げる。尋ねる、なんてものじゃない。だって、知っている。私は、「死」というものを、知っている。大きく目を見張った兄に、それこそ私は泣き笑いの顔になる。あんなもの、知らない方がよかったのに。死の恐怖を体験したまま生きるということは、なんてひどく恐ろしく、息苦しいものか。あの、どうしようもない虚無を、闇を、絶望を、無になる瞬間を。・・・兄も一度、経験したというのなら。
「怖いものからは、全力で逃げないとダメだよ」
そのために、どうか命を投げ捨てるような戦い方だけはしないで。ルリアちゃんにつられてズビビ、と鼻をすするラカムさんを視界の端に、兄は私の顔を見つめると、ただ一度、深く、深く頷いた。きゅっと寄った眉が、これまた泣き出す寸前のような顔に見えて、私も同じような顔で笑い返す。うん。どうかその気持ちだけは、ずっと忘れないでいて。