蒼天の花



 誰かが私達の後を尾けてきていることはわかっていた。私だけでなく、カタリナさんやラカムさん、グラン兄さんなんかも気づいていただろう。ルリアちゃんとビィは多分気づいてなかっただろうが。昨夜、酒場でこの一件を聞いた時点で、誰かがいたことは周知の事実であった――それをあえて見逃していたのは、目的が何かを見定めるためだ。大公誘拐の犯人なのか、それともこの情報を悪用しようと考えている別の人間か、はたまた監視の役目を持った国の人間か・・・あえて泳がせて、後々こちらから後をつける算段だった。・・・それがまさか、こんなことになるとは。
 夕陽に照らされ淡くオレンジに染まる柔らかそうなツインテール。愛らしく整った顔立ちはまだ幼く稚い少女のそれであり、その両目に涙を湛えてこちらを睨みつける姿は当初予想していた人物像とは異なる。予想外にも幼い少女が突如として隠していた姿を現し、憤りも露わに私達に言い募った。

「大公様のことを何も知らない癖に!勝手なことを言わないでよっ」

 感情が高ぶっているせいか、少女の身の丈以上はありそうな杖を握る手は震え、肩を怒らせて叫んだ声に瞬きを繰り返す。少女は零れそうな涙を耐えるようにきゅっと下唇を噛むと、まるで泣き顔を見られまいとするように深く俯いた。

「あの人は・・・・あの人は・・・っ」

 それから震える声で絞り出すように何事か呟くと、我慢の限界を超えたように出てきた時同様、突然バッと背中を向けると駆け出した。その小さな迷子のような背中に、思わずあっと手を伸ばしかけた瞬間、誰が動くよりも早く、ルリアちゃんの声はその小さな背中を呼び止めた。

「待って!」

 広場に響いた声の余韻に、噴水の水が落ちる音が重なる。その声に今にも街の影に消えていきそうな背中がピタリと止まった。

「よかったらお話を聞かせてくれませんか?あなたにとって、大公さんは大切な人なんでしょう?」

 少し開いた距離のまま、ルリアちゃんが少女に向かって話しかける。立ち止まった少女は振り返ることなく立ったままで、その背中に向かってルリアちゃんは一歩近づくように足を進め、同時に夕陽に伸びた黒い影も寄り添うように少女の影に近づく。

「あなたの目を見ればわかります。・・・大公さんがとても心配なんですね」
「・・・っ」

 びくっと揺れた肩が、その言葉の正しさを確信させる。俯いているせいで見える項を見つめ、近づくルリアちゃんと後に続く兄さんの姿を視界に収める。
 先の発言自体、大分大公に寄ったものだったので、少女がなんらかの関係者であることは薄々察している。さて、この少女が解決の糸口となるかどうか・・・どこまで大公と関わりがあるのか。値踏みするように見ながら、3人のやり取りを静かに見つめた。

「僕達の騎空団はザカ大公を捜しているんだ。何か知っているなら教えてほしい」
「そう・・・あんた達騎空団なんだ。帝国の人間じゃないって、信じていいのね?」

 兄さんの発言に、振り返りこそしないものの、少女からの返答がきてほっとルリアちゃんが胸を撫で下ろした。どこか素っ気ないような、未だ警戒を解かない子猫のようなとげとげとした物言いではあったが、いくらかの興味をこちらに持ったようで、ちらりと横目で伺うように向けられた視線になんとはなしに微笑みかける。丁度目が合ったのか、ぴくっと反応するように少女の肩が揺れたが、それよりもラカムさんの鋭い声に意識が持っていかれたようだった。

「帝国のってことは、やっぱりこの件帝国が関係してるってことか?」

 ラカムさんの問いかけに、けれど少女はむっつりと黙ったまま応えはない。んん?人見知りか?いやでも、あの様子から人見知りというよりは、と思ったところで、パタパタと羽を動かして少女の正面に回ったビィが話しかける。

「そこまで知ってるってことは、お前は大公の関係者なのか?」
「ひっ!な、なによこの馴れ馴れしいトカゲ!?」
「んだと!?オイラはトカゲじゃねぇ!!」

 突然視界に入ってきた空飛ぶトカゲ、じゃなくて小龍に、少女が驚いたように悲鳴をあげて慌てて距離を取った。まぁいきなり喋る龍みたいな生き物が視界に入ってきたら驚くわな。そもそも喋る小動物的な生き物を私はまだ見たことはないのだが、果たしてビィという存在は珍しいのかそうでもないのか・・・でもあの子も喋れることにツッコミはしてないから、多分珍しくもないのかな?いやでも見たことないんだけどなぁ・・・。恐らく今1番この場に関係ないどうでもいいことを考えながら言い合いをしているビィと少女を生温く見つめる。
 トカゲでしょ!トカゲじゃねぇ!言い合いは平行線をたどり始めていたが、その間に入るようにカタリナさんが苦笑を浮かべてまぁまぁ、と口を開いた。

「2人とも落ち着け。まずは自己紹介から行こうじゃないか。私はカタリナ。こっちのかわゆいのはビィくんだ」

 ・・・ん?そういって興奮しているビィの胴体を背後からそっと抱き込み、ちょっと見たことがない感じにでれっと崩れたカタリナさんの相好に首を傾げる。んん?あれ、カタリナさん?
 常の凛々しい女騎士様!という様子ではなく、抱きしめたビィの頭をここぞとばかりに撫でまくっている姿は猫好きが家に帰って自宅のお猫様のお腹にダイブして猫吸いを行っているかのようなどうしようもなさを感じる。ちなみにお猫様によっては容赦なく蹴られるか爪立てられるか噛まれるかダメ人間を見る目で見下されるかの選択肢が用意されているが、ビィはひたすら逃げようともがいているようだ。・・・ハッ。ビィの頭からなんか煙が?!摩擦熱!??

「えーっと、私はといいます。あなたは?」

 そそくさとカタリナさんの近くに寄り、頭を高速で撫でまわしている手をそっと止めて、そのままするり、とビィを彼女の腕の中から抜き取りつつ話しかける。
 すぽん、と腕の中が空白になったカタリナさんが物足りなさそうな顔でじっと私を見てきたが、ビィがぷすぷすと煙をあげる頭部を両手で押さえて涙目でプルプルしている様子を見て、自分のしたことを自覚したようだ。ハッと瞬いて申し訳なさそうにしているので、恐らくあの行動、全くの無自覚とみた。やだ、なにそれ怖い。ていうかカタリナさん属性多すぎない?え?パッと見クール系女騎士で小動物に目がなくてポイズンシェフの天然属性?え?すごくない??内心でカタリナさんの潜在能力に恐れ戦いていると、いきなり正面に出てきた私を上から下までじろじろと見た少女は、少しつんとした顔で、ぽそり、と口を開いた。

「・・・イオ。あたしはイオ・ユークレース」
「イオちゃん?私はルリアっていいますっ」
「僕はグランだよ」
「ラカムだ」

 名乗ってくれたということは少しは信用してもいいと思って貰ったということだろうか?それともこの一連のやり取りでなんだこいつら、と警戒心を下げて貰ったのか。
 とりあえずは第一関門突破かなぁ、と思いつつ、ビィの頭を慰めるように軽くぽんぽんと叩いた。あとで冷やそうね。

「それで、イオはザカ大公とどんな関係が?」

 首を傾げ、グラン兄さんが核心に迫る。その問いかけに、少女・・・イオちゃんは少し言いよどむように口を戦慄かせてから、きゅっと杖を一度強く握りしめた。

「ザカ大公は、あたしの師匠。魔法の師匠なの」
「魔法?」

 ルリアちゃんが更に聞きたそうに問いかけたところで、私はビィを抱いたままストーップ、と割って入った。きょとん、とした視線が集められる中、空を指差す。

「もう日も暮れるし、一旦宿に帰らない?あんまり外でするような話でもないんだし」
「それもそうだね。えっと、イオ。僕達と一緒に来てくれるかな?ザカ大公のこと、もっと聞きたいんだ」
「・・・いいわよ。あたしも、あんた達に聞きたいことあるし」

 極秘任務なのであんまり話せることはないのだが・・・まぁでも彼女の情報次第といったところかな。・・なーんて、私が考えていることなど知るはずもなく、じゃぁ宿に帰りましょう!とルリアちゃんが声をかけるので、一旦宿に戻る運びとなった。





 すっかりと陽も落ち、薄闇が室内の隅の方に蟠る。それを追い払うようにテーブルの真上に吊るされたランプが煌々と明かりを灯す中、イオちゃんは自分の前に置かれたティーカップに並々と注がれた紅茶の水面を見つめていた。
 ふわり、と漂う湯気と共にカモミールの柔らかな香りが鼻孔を掠める。私達の前にもそれぞれ飲み物を準備して、ついでテーブルの真ん中には少し大き目の丸い器にクッキーをセットしておく。完全にお茶会の様子だって?あんまり気負いすぎても空気が悪くだけかなって思って。ちなみにクッキーは今日聞き込みの最中に寄った焼き菓子屋さんで見つけたバタークッキーとメープルクッキー、それからチョコチップの三種類である。遠慮せずに食べ給え。まぁ、しばらく皆手はつけないだろうけど。一通りの準備を整えたところで、ようやく最後に私が椅子に座るとそのタイミングを見計らったようにイオちゃんは口を開いた。

「師匠はあたしに魔法を教えてくれた魔導士。そして、一流の腕を持った工匠でもあったの」

 魔導師・・・私は実物をまだ見たことは無いが、よくある水とか炎とか己の魔力だけで作りだすことができる人間のことだ。よく似た超常現象なら見たことは有るが、正確に言うと別物だったので、私は未だちゃんとした魔法というものを見たことは無い。
 あ、でもマリアン先生は一応魔導師?的なことも使えたんだっけか?まぁでも滅多に見ることは無かったし、イノセンスだとか陰陽術って魔法とはまたちょっと違うよね。どっちも普通の人間には使用不可能な超常現象ではあるが、まぁ、マリアン先生とかの魔術とこちらの魔術は多分なんか系統が違うのだろう。私のイメージはファイアボール!とかそんなそういうのである。

「大公でありながら魔導師にして工匠か・・・それはすごいな」

 大公であるだけでもすごいのに、二束の草鞋ならず3つも肩書きを持つ大公様にカタリナさんが感心したように吐息を零した。確かに、国を治める人間がそこまでの才能を持っていることは稀だろう。剣技がすごいとか、魔法が使えるだとかは一つの教養としてありだろうが、魔導師でありながら工匠の腕も凄いというのは中々ない。そもそも大公になれるような人間がそんな職人技を身に着けていることが凄いと思う。
 この国世襲制度とかじゃなくて信任制なの?そういえばバルツのことあんまり調べてなかったな、と思いながらイオちゃんの話に耳を傾ける。

「そう、師匠は本当にすごい人なの。国の皆のことをいつも考えてくれて、泣いてる子がいたらいつも笑顔にしてくれた。とても優しい、すごい人なんだから!」
「イオちゃんは、本当に大公様が大好きなんですねっ」
「べ、別に、大好きとか、そういうんじゃないけど、尊敬はしてるし、師匠だし、・・・でも」

 ふんす、と鼻を穴を膨らませてどこか自慢気に胸を張ったイオちゃんに、ルリアが自分のことのように嬉しげな顔でいると、ちょっと頬を赤らめた。ふむ、ツンデレ属性か。金髪ツインテ幼女のツンデレ。ついでに黒ニーハイ!こっちもかなりのハイスペック案件!ツンデレは面倒だなってところもあるけどある意味わかりやすいからいいと思うよ。可愛いし。可愛いし。大事なことなので2度心の中で繰り返すと、しかし最後にイオちゃんの顔がわかりやすく曇った。じわ、と目尻に浮かんだ涙に先ほどのどこか和やかな空気が払拭される。

「でも、帝国の人と会ってから、師匠は変わっちゃった・・・」
「変わった?」
「何か研究を始めてから様子が可笑しくなって、それで――居なくなっちゃった・・・」

 研究。・・・研究、ねぇ。

「それが、街の人が噂をしていた「世界を滅ぼすもの」ってことかな?」
「師匠はそんなもの作らないっ」
「あぁ、ごめん。あくまで街の噂の話、だよ。でもまぁ、帝国が持ちかけた話が世界平和的なものとは考えにくいけどねぇ」

 ある意味全島統一ってのは世界平和のようなものだが、過程が戦争というのはあまり望ましくはないので、私は噛みついてきたイオちゃんに肩を竦めた。悪気はないが、現実的なことを考えるとそっちの路線の方が無難である。ただし。

「そこまでバルツのことを考えている大公が、いくら帝国から圧力をかけられたからといってそんなものを作ろうとするところは解せないかな」
「確かに。イオがそこまで信頼している人が、帝国の言いなりになんてなるかな?」
「ていうと、やっぱりあいつらが大公に何かしたってことか?」
「可能性は高いな」

 人間裏表があるとは言ったが、彼女の話と街の人からの慕われ方を見る限り、大公の人の好さは本物といってもいいだろう。では、何故そんな人がこんな事態を引き起こしたのか?――帝国がなにかしらやらかしたと見ても、なんら可笑しくはないだろう。
 少し乾いた口内を湿らすように紅茶を口に含み、少し強張った体を解すように息を吐き出した。

「それでイオちゃんは、ずっと大公様を捜しているの?」
「うん・・・でも、見つからなくて・・・」

 じわじわ、と目の端に浮かんでいた涙が更に盛り上がり、関を切ったようにポロポロとまろい頬を伝い落ちていく。少し褐色がかった肌の上の、透明な雫が伝い落ちる様は幼気な少女の泣き顔となって痛ましさが増した。どれほど心配して、不安になって、彼女はザカ大公を捜し続けていたのだろう。師匠、といって近しい位置にいたのだ。その人が突然姿を消したのなら、その心労はいかばかりか。
 ――あの人が、突然いなくなった時のことを思い出す。きっと大丈夫、なんでもない、あの人だからその内また姿を現すだろう・・・あまりにも不穏な姿の消しかただったけれど、そうやって言い聞かせて待っていた。あの時の気持ちは、できればもう2度と味わいたくはない。それを、今こんな少女がその小さな胸に秘めて必死に耐えているのだとしたら、それだけ辛い時間だったのだろう、と伏し目がちにテーブルに視線を落とすと、その感傷を打ち消すように柔らかな声がした。

「話してくれて、ありがとう」
「・・・っ」
「イオのおかげで、なんとなく事件のことがわかってきたよ」

 兄さんが、彼女の頭を撫でながら微笑みかける。そうしてみると年上の、そう、兄のような雰囲気で、そういえば兄なんだよなぁ、と目を細めた。いやね?私としてはね?一応実兄なんだけどね?中身が、ほら。私じゃん?兄というよりも弟というか年下というか子供というか孫というか、まぁなんだ。目線が微妙にあれなことになるわけで。
 けれどイオちゃんに力強く笑いかける兄の様子は私が見てきたそれとは少し異なり、もっと頼もしい姿をしていてなるほど、真っ当な妹がいたら兄さんもあんな感じになるんだな、と思った。すまぬ、グラン兄さん・・・私が妹なばっかりに・・・。

「しっかし、帝国との研究か・・・特務官から貰った資料には確かに研究施設のような場所は記されちゃいるが」
「これとかですかね」

 煙草をがじり、と噛みながらラカムさんがぼやくので鞄に仕舞い込んでいた資料をばさっと取り出してテーブルの上に広げる。何故か資料の管理を私が任されていたんだが、私で本当によかったのかな?何かあっても資料を守りきれる自信はありませんぜ、と思いつつ今の所何事もないからいいのか、と自己完結をして地図とその研究施設の概要が乗った綴りをラカムさんと、イオちゃんに見せるようにおいた。
 こうなったら彼女も巻き込んで動いた方が事件の早期解決に繋がりそうだ。魔導師の少女且つ、大公の弟子。こりゃもう仲間に引き入れろというお達しに他ならぬだろう。
 そして自分の前に置かれた資料に目を向けたイオちゃんは地図を手に取りつつ顔を顰めた。

「確かに、どこも師匠がよく行ってた場所だけど、これぐらいならあたしも捜して・・・あれ?」

 地図を眺めていたイオちゃんが、不意に声をあげる。どこかに大公の行方のヒントがないか、と施設の概要が載っている資料を読み込んでいた私達は、その声にはっと顔をあげた。

「ここ・・・行ったことがない場所がある」
「え!?」
「どこだよ!?」

 がばっと皆が立ち上がり、ビィが身を乗り出して地図を覗き込む。全員がテーブルの上に広げられた地図を覗き込むように顔を押せたところで、イオちゃんが緊張した面持ちである1点を指差した。

「ここ。普通の地図だと、なんにもないはずの場所なんだけど・・・」
「えっと・・・あーせなる、0・・・?」

 赤い丸で記しがつけられ、その横に書かれた施設名を読み上げたルリアちゃんが首を傾げる。アーセナル・0。1でも、2でもない・・・0の(なにもない)工場。あるいは、始まりの工場。きな臭い臭いがプンプンである。
 ふむ、と顎に手を添えたところで、にやり、とラカムさんの口角が歪んだ。

「大公の弟子も知らない隠し工場・・・こりゃ行ってみる価値があるんじゃないか?団長」
「うん。きっと、ここに何かある」

 意味深にもすぎるその場所を食い入るように見つめて、兄さんははっきりと口にした。きらきらと燃える瞳で顔をあげると、私達の顔を1人1人見渡して、最後にイオちゃんに視線を止める。

「行こう、イオ。一緒にお師匠様を捜しに!」

 差し伸べられた手と、当然のようにかけられる言葉。初めて光を見たかのように一瞬イオちゃんの目が細くなると、じわじわとまたしてもその目に涙が浮かぶ。
 それを隠すようにぱっと俯くと、手の甲でごしごしと彼女は目元を擦って、こくり、と頷いた。

「うん」

 顔をあげた彼女は、目尻を赤くして、それでもその顔に笑顔を浮かべていた。