蒼天の花
カーン、カーン
どこからか金属を叩く甲高い音がする。
カーン、カーン
炎が赤く燃え上がり、熱気が肌を包む。
カーン、カーン
あまりの熱量に目を開けると、蒸気に白く霞む視界の向こう、遠く、黒い大きな影をみた。
カーン、カーン
遠く、遠く。絶え間なく響く槌目の音。木霊するように周囲にハウリングするその音の発生源はわからない。だがそれでも、誰かが何かを造っていることはわかった。何を造っているのか、それはわからない。ただ、誰かが、一心不乱に、何かを、作り上げる音だけが、ひたすらに耳に響いた。
カーン、カーン、・・・・・カーン!
一際大きく、槌目を打つ音が響き渡る。ふと、蒸気によって白く霞んでいた周囲が徐々に薄れていたことに気が付いた。遠く見えていたはずの影の形が鮮明になってくる。遠いと思ったそれは存外に近くだったようで、黒い影を見上げて私は1人納得していた。
「あなたが」
靄が晴れる。黒い影が聳え立ち、見上げたその先と目が合う。
「この島の」
影が震える。伸びてきた手に、触れるように私も手を伸ばす。
「 」
―――夢から覚める、音がした。
※
一つ、やり残したことがある。
大公の手がかりが掴めるかもしれない最有力地である
恐らく、向かった先で大なり小なり戦闘行為は起こるだろうし、さすがにすぐに最終バトルとはならないだろうからここは一旦見送りである。戦闘行為が始まった場合、守る対象は少ない方が動きやすいだろうし。できれば最終バトルも見送りたいところだが、状況次第だなぁ、と溜息を零した。
騎空艇の停泊していた桟橋から離れ、足早にバルツの街中を駆け抜けながら昨夜思い出した個人的には決しておろそかにできない情報を集める必要がある。
まずは大公の行方の手がかりというのが最優先事項だったので仕方がないが、恐らくほぼほぼ解決の糸口が見つかった今、私が最も集めなければならない情報は大公に関してでも帝国に関してでもない――星晶獣に関して、だ。
そもそも帝国はルリアちゃんを利用して星晶に関しての研究を行っていたのだという。その情報を前提に、帝国が大公に研究を持ちかけた、という話を総合すると、星晶獣に関するなんらかの研究ではないか、とも考えられるのだ。まぁそんな論理的に考えなくても、あのメンバーがいる限り最終バトルは星晶獣とやる羽目になりそうだから、戦う相手の情報はいるだろう、というだけの話なんだが。ポート・ブリーズにティアマトのような守り神がいるというのなら、バルツ公国にもそれらしい星晶獣がいるのかもしれない。
伝承でも噂話でもなんでもいい。集められるだけ集めて、対策を練らなければ・・・そんな思いで、街の中を駆けずり回ってみるのだが、どうしたことか。
「なんっっで、星晶獣の話が一個もないの・・・!」
昨夜もきた噴水のある広場で購入した飲料水を片手に、めきょ、と軽くカップをへこませて頭を抱える。可笑しい、私の考えでは星晶獣の情報の1つや2つあるはずだったのに・・・。
カップの蓋から伸びるストローの先を苛々しながらガジガジと噛み、読みが外れたか?と眉間に縦皺を刻む。バルツ公国に星晶獣の伝承がなく、それに準ずる話もない。しいていうなら昔、それこそ覇空戦争時代にドラフ族の技術を利用した兵器の話がバルツの昔話にあるぐらいで、そこに星晶獣なんて話は欠片とも掠りはしない。昔話というか歴史的背景なわけだが、そりゃどこの島にも星晶獣がいるわけではないだろうが、これだけの条件が揃っておいて存在しないってありか?私が考え過ぎていたのか・・・固定概念に囚われていたということか?
あんまりにもそれっぽいから、思わずそういった考えに凝り固まっていたがあくまでここは現実世界だということを踏めまえれば、私の考え方は危険なのかもしれない。別にゲーム感覚でも漫画感覚のつもりもないが、これっぽいからこうだ、というのは・・・あまりよくないことかもしれないな。そう思ったところで、いやでも納得できない、とジュコゥッ、と飲料水を啜る。
「メタ的思考を抜きにしても帝国と星晶の問題は切り離せないはず。なのにその情報がないのは可笑しい」
飲み切って氷だけがザラザラと音のする紙コップを近くのゴミ箱に捨てて、視点を変えるべきか?と顎に手を添えた。バルツ公国に伝わる話といえば、まずはその技術力。大公が仮に帝国に誘拐されたとするならば、必要とされているのは工匠としての技術と知識、そして大公という身分でできるだろうこと。開発、研究には莫大な資金もかかるだろう。国が自由に動かせるのであればその開発費は安泰のはずである。つまり、金と技術力の問題が大公1人で賄えるということだ。開発、というからには機械、兵器である線がもっとも濃い。
現在の戦争の主流はまだ歩兵や騎馬といった人力だが、帝国の戦艦といった軍事兵器も世に出始めている。・・・そういえば、覇空戦争時代では、ドラフ族がその手先の器用さを買われて星の民に利用されていた、という話があったな。その過去があっての今のバルツ公国の始まりであるという・・・ドラフが作った戦争用の機械人形・・・歴史、か。
「・・・そっちから攻めてみるか」
ふと、槌目の音が耳の奥で木霊した。ぱちり、と瞬きをした一瞬に視界が晴れたかのようにクリアに目の前が見える。・・・星晶獣の伝承にばかりこだわっていたが、要するに大昔にここで何が起きていたか、だ。過去には現在に通ずる何かがあるはずである。過去を紐解くことで、今に繋がるヒントが見つかるかもしれない。ひとまず思考を切り替えて、バルツの歴史的背景を追いかけることにしよう。そうなると、聞くのがそれなりの御年輩の人間か、図書館、書店などが望ましい。・・・とりあえず本屋でも探すか。そう思って一つ伸びをして体の筋を伸ばすと、ごきごき、と首を回して脳裏に地図を思い浮かべる。確か、きた道に書店がいくつか・・・。
「あれ~?さんじゃありませんか~。お1人でどうなさったんですかぁ~?」
「シェロさん?」
どの店から入ろうか、と考えたところで後ろから間延びした声がかけられ、振り返る。相変わらず大きな荷物を背負ったシェロさんがにこにこと笑顔を浮かべて、片手にクレープなんか持って立っていた。半分ぐらい齧られているクレープ生地から見える白い生クリームと真っ赤な苺が少しはみ出たそれをふりふり、口の端にクリームをつけてシェロさがとてとてと近寄ってきた。こうしてみると本当に幼子のようだが、これで年齢不詳なんだよな・・・。とりあえず懐からティッシュを取り出して、彼女に差し出しておいた。
「ありがとうございます~。グランさん達はどうされたんですか~?」
ティッシュを受け取りながらきょろきょろと周囲を見渡す素振りを見せ、口の端を拭ったシェロさんにはちょっと艇で情報探しに、とだけ述べておく。
まだ結果がわからないので、迂闊なことは言わない方がいいだろう。しかしそれでも彼女にはなんだか見通されているような気もするが、にこにこほわほわと笑うシェロさんは順調そうで何よりです~と口元を拭いたティッシュをゴミ箱に捨てた。
「それで、さんはどうしてお1人で~?」
「あぁ・・・ちょっと、気になることがあったので。そうだ、シェロさん。この国の歴史に詳しい人とか、書物とか何かご存じありませんか?」
「歴史ですか~そうですねぇ、書物でしたらこの先のヴォルケナ古書店なんかが、色々と貴重な書物が揃っている老舗ですよ~。私もお世話になっているので~」
「シェロさん御用達・・・ありがとうございます!」
なんだそれ絶対なんかいい本あるだろ!!思いもよらず良い情報を貰い、顔を明るくさせて頭を下げる。シェロさんは笑いながらいえいえ、と小さな手を横に振った。
「その情報で今回の依頼の早期解決に繋がるのでしたらお安い御用ですよ~」
「そうなるといいんですけど」
要は兄さん達はどれだけの情報を持って帰ってくるか、だな。今回の犯人の尻尾を掴むか大公の居場所のヒントでも掴んでくるか・・・なんにせよ、今1番大変だろう兄さん達の頑張り次第だ。頑張れ、兄さん!私は最終バトルに向けて情報を集めておくから!
とりあえずシェロさんに手を振って一端その場を離れ、私は教えられた通りに道を進みながら件の本屋へと向かった。――まさか、兄さん達があんなことになっていたなんて、知りもせずに。
※
最終決戦はまだあとだろうからまだ大丈夫だろう、と気楽に考えていた自分をこの時ほど殴り飛ばしてやりたい、と思ったことは早々ない。
伝え聞いた内容に、顔を蒼褪めさせた私を心配するようにビィがそっと肩に手を置いてくる。わなわなと震える指先を隠すようにぎゅっと握りしめると、険しい顔の兄を見上げた。
「・・・兄さんは、大丈夫なの?」
「僕は大丈夫。艇で治療はして貰ったから」
「そう・・・そう」
そういって胸板を撫でるように手を動かした兄の動きにぎこちなさはあまりなく、確かにきちんと治療を受けたのだろうとわかってほっと息を吐く。周りも鎮痛な面持ちではあったが、その顔には確かな前向きさを感じて、恐らく艇の中でなんらかのやり取りがあったのだろうと私は一度気を落ち着かせるように深呼吸をした。ルリアちゃんが帝国・・いや、大公に、か?攫われたにしては悲壮感の薄い彼らにそう思いながら、膨らんだ胸部を抑えるようにぎゅっと胸元を握りしめて迂闊だった、と内心で舌を打った。
ここは私の知らない世界で、ファンタジーの様相を呈していても決して展開を知っている創作の世界ではないのだ。いや、仮に、そうだとしても。私は知らないのだから、先のわからない未来の不確定さを、もっと真剣に考えておくべきだった。考えていたからといってこの未来を避けられたのかと言われると答えに窮するか、それでも、なにか、できたのではないか、と。・・・いや。私程度が何をしても、話を聞く限りはかなり無理な状況だっただろう。まともに戦う術を持たない私では、どう足掻いても彼女に迫る手を退けることは無理だったに違いない。むしろ、私がいなかったことで被害がそれで済んだともいえるかもしれない。守る相手が増えれば増えるだけ、行動は制限されるものだから、多分、私の行動も間違いではなかったはずだ・・・なんてのは、都合の良い言い訳か。
だが今はそんな身勝手な自己嫌悪に浸っている暇はない。その黒騎士だかなんだかのこともすごく気になるが、問題は機械人形に攫われたルリアちゃんの救出だ。
兄さんが生きてるんだから彼女も無事なんだろうが、肉体はそうでも心までそうとは限らない。攫われる、1人になる、というのは、想像以上に精神を削ってくるのだ。しかも敵の手に1人だなんて、あんな華奢な少女にとって苦痛以外の言葉が出ない。
苦々しく顔を顰めると、後ろの方に佇んでいたイオちゃんがくしゃ、と顔を歪めた。
「ごめんなさい・・・」
「イオ?」
「あたしが、一番ルリアの近くにいたの。なのに、守れなくて、助けられなくて、ごめんなさいっ」
下唇を噛み締め、後悔の滲む顔でイオちゃんが頭を下げた。動きに合わせてふわり、と靡いたツインテールが顔の両サイドから流れて、見えた旋毛に瞬きをする。
「イオ、それは・・・」
「わかってる。そんなこと言ってる場合じゃないし、今はルリアを早く助けに行かなきゃいけない。でも、一番近くにいたのはあたしなの。あたし、ルリアに守ってもらったの!だから、には、ちゃんと、言っておかなきゃって」
多分、このやり取り、艇ですでにされているのではないだろうか?誰の責任でもないんだ、と首を横に振る兄さんに、顔をあげたイオちゃんは予想に反して強い眼差しで兄を見返した。その視線にハッと息を呑んだ兄から視線を外し、天井の明かりを写し燃える瞳で、イオちゃんが私を見つめる。
「絶対、ルリアを助けるから!だから、だから・・・っ」
「うん。一緒に、ルリアちゃんを迎えに行こうね。ありがとう、私のこと気遣ってくれて」
恐らくそのまま艇で救出に向かいたかったところを、私のことを考えて一旦戻ってきたのだろう。そしてイオちゃんは、いくら前向きに考えられたとはいえ、しこりとなって残っていたものがあった。艇の中でどんなやり取りがあったかは知らないが、きっと、私のことを考えてくれたのだと思う。そんなにひどい顔してたかな、と頬を摩りながらもうちょっとポーカーフェイスを身に着けねば、と肩を竦めてイオちゃんににっこりと笑いかけた。
「事態はあんまりよろしくないけど、ルリアちゃんの心配はしてるけど、でも今後のことに心配はしてないんだよ?」
「え?」
きょとん、と目を丸くしたイオちゃんにふふ、と息を零す。兄さん達をあまり引き止めてはいられない。すぐにでもルリアちゃんの救出に向かいたいと強張った顔をしている兄さん達に、手早く荷物を纏めると背中を向けた状態で一度強く目を閉じた。―――この場合は、仕方ない。腹を括れ、私。そして振り返り、待っている皆と視線を合わせる。
「皆がルリアちゃんを助けられないなんて、あるわけないでしょ」
「・・・!」
「この騎空団の成り立ち知ってる?いきなりポート・ブリーズの壊滅阻止だよ?普通こんな始まりの騎空団ないって!」
ケタケタと笑いながら絶句している兄さんたちに、にやりと口角を上げた。
「そうでしょ?兄さん」
「・・・あぁ!そうだな、僕達なら、きっとできる。だから、何も心配はいらないんだよ、イオ」
「確かによぉ、いきなり島一個救って見せた騎空団なんて他にねぇよな!」
「うむ。実績は確かにあまりない団だが、こればっかりは自慢してもいいのではないか?」
「群島一つ救っちまった団と一緒に動けるなんて、お前は運がいいぜ、イオ」
少し暗かった空気を払拭するように、明るく笑い声が響き渡る。そう、そうだ。先は見えない。何が起こるかわからない――それでも、島一つ救って見せた実力は確かなはずだ。ならば、今は攫われたことに気を揉むのではなく、この先の、救い出すための団結力を高めなければいけない。自信は慢心に繋がる。だけど、やり遂げられると強く思えるためのものは必要だ。
「それに、今度は遠距離可能な魔導士様がいるわけだし。いやーマジでなんであの時いなかったんだろうね?」
「あー・・・確かにあの戦いでイオがいたら楽だっただろうなー」
「ねー。でも今回はー?」
「いるから何も心配はいらねぇってことだな!頼んだぜ、イオ!」
ぐっと親指をたてて、ビィがパチパチと瞬きをしているイオちゃんにニカッと笑みを浮かべる。その声にえっと肩を跳ねたイオちゃんは、きょどきょどと私達を見回して、それから薄らと頬を紅潮させた。
「あ、当たり前でしょ!あたしの魔法で、みんなぶっ飛ばしちゃうんだからっ」
「ヒュゥ。頼りになるな?」
「あぁ。期待しているぞ、イオ」
ぎゅっと杖を握り、胸をはって堂々と言い切った彼女に、兄さんと目を合わせてくすくすと笑う。うん。もう大丈夫だね。さって、じゃぁもう一回気持ちも盛り返したところで、さくさくルリアちゃん救出に向かおうか?大丈夫、ルリアちゃんを助けた後は2人で後方で影に隠れて観戦するようにするから。さすがに前線に乗り込むような度胸も実力もないし。ルリアちゃんの状態もよくわからないし、後ろで手当てに専念したいしなぁ。
「行こう、グラン」
「はい!」
「安心しろよ、オイラが守ってやるからよ!」
「ありがと、ビィ」
「よっしゃ、じゃぁ行くぜ。ルリア救出にな!」
「ルリアが待ってるんだもん。早く行こうよっ」
そういって、宿から慌ただしく飛び出し、艇へと駆け込むと早々に飛び立つ。風を捕まえ、ぐんぐんと速度を増す空を飛ぶ艇の中で、しかしルリアちゃんの居場所がわかるのか?と問えば、兄さんは自分の胸に手をあてて、なんとなくだけど、と口を開いた。
「ルリアと繋がってるからかな。どこにいるのか、なんとなくわかるんだ」
「へぇ・・・言っちゃなんだけど、現状すごい便利だね」
決してその状態が正常なものではないのだが、それでもこういう状況では助かる能力であることには違いない。能力といっていいのかもよくわからないけど、とりあえず私が感心したように呟けば、助かるよね!と溌剌とした返事が返ってきた。うーん。そうなんだけど、そうなんだけど、・・・兄さんはもうちょっと気にするべきだと思う。いやまぁそれぐらい軽く考えてる方が落ち込まなくていいんだけどね。
繋がってる状態が望ましいかそうでないかと言われればあまり望ましくはないのに、その繋がり故に辿り着けることを考えて、私は複雑な心境を隠すように溜息を零した。まぁ。今更なことはさておいて。
「皆に一つ、話しておきたいことがあるの」
気持ちを切り替えるように一つ瞬きをして、甲板で船首の先を見つめていた兄さん達に改めて声をかける。ラカムさんは舵輪の前に立ってグランサイファーを操縦しているので、とりあえず自分が兄さん達の正面に周り、ラカムさんごと全員が見渡せる位置に立ち、ぐるっと視線を巡らした。全員が何事か、という顔で見てくるので役に立つかわからないが、と前置きをする。ばさ、ばさばさ、と風に煽られて帆と衣服がはためいた。
「バルツ公国の始まりが、覇空戦争時代星の民によって酷使されたドラフ族だったってのは知ってるよね?」
「知ってるわ。ドラフの職人が心血を注いできたからこそ、今のバルツはあるんだもん」
今更何を、とばかりに顔を顰めてる姿に、私もこくりと一つ頷く。
「そう、ドラフ族はその技術力、あるいは忍耐、耐久性なんかを買われて、星の民の手足となってあらゆるものを作ってきた。その中の1つに、気になるものを見つけたの」
「気になるもの?」
話を聞いて、兄さんが怪訝に眉を潜める。ビィが腕を組み、体ごと捻るように首を傾げると、ぶわっと一際強く風が吹き抜けた。その風の温度は、今まで感じた冷たいそれではなく仄かに熱を帯びたような生温さを感じて、視線が逸れる。
艇の先に、赤く燃える活火山が聳え立つ一つの浮遊島が姿を見せていた。あそこに、と誰か呟いたのか。黒煙の噴き上がる山頂にきゅっと口元を引き結んだ。
「この島には、我々の夢を託した人形がいる」
「人形・・・?」
「見つけた本の・・・どっちかというと、日記、かな。それに書いてあった一文」
風に乗せて囁いた言葉はしっかりと兄さんに届き、疑問符をつけて繰り返された。その手記は、シェロさんに教えて貰った本屋の片隅にあったものだ。積み上げられたいくつもの古い書物に、埋もれるようにしてあったもの。まるで見つけてくれる誰かを待っていたかのように古ぼけた表紙のそれを手に取ったのは、偶然だったのか誰かの導きだったのか・・・黄ばみ、状態もあまりよくないのか、ページを捲るにも難儀するような本の、薄くなったインクに書かれたかつての苦痛、絶望、怨念、憎悪。ささやかな幸せと、未来を夢見た希望の毎日。これ貴重な歴史書になるんじゃ、と思ったけど、まぁ、とりあえずそんな話はさておいて。
「工場で、兄さんたちは機械人形と戦ったって言ったよね」
「言ったが・・・まさか、人形とは・・!?」
「機械人形のことだってのか?」
「でも、あんなものがドラフ族が託した夢なの?」
イオちゃんがそんなのって、と顔を顰めたところで、やんわりと首を横に振った。いや、あながち間違いではないと思う。ただ、ドラフ族がそこまで心血を注ぎ、「夢」とまで称したもの――
「機械と、星晶の融合・・・」
「えっ」
「黒騎士が言っていた。大公は古の機械と、星晶の力の融合を目指してるって・・・もしかして、ドラフの夢っていうのは」
兄さんが何かに気づいたように息を呑んだ。見開かれた目の先に赤く燃える島を映して、強く拳を握りしめる。全員が、なんとなくその先に続くものを悟り、同時に厳しい顔つきで島を見据えた。
「・・こりゃ、難儀な戦いになりそうだな」
ぽつり。ラカムさんから零れたそれが、何より先の困難さを表しているようだった。
口に咥えた煙草の煙が風の流れに乗って掻き消えていく中、器用に舵輪を回して距離を見ながら島の外縁に艇を接着させると、すぐに搭乗口をあけてタラップを降ろす。
艇から降りた瞬間、むわっと襲い来る熱気に一気に体中の汗腺が開いたような気がして、うえ、と顔を顰めた。島全体が、バルツの本島とは比べ物にならないほどに熱い。見上げた先の火山は、絶えず噴煙をあげて島自体が揺れているような気さえした。おぉう・・・噴火とかしないかなぁ・・・。
「すっげぇなぁ。火山なんてこんな近くで見たの初めてだぜ」
「これ、ラストに爆発オチとかいうことにはならないよね?」
「爆発オチ?」
ぽかーんと大きく口をあけて体を目一杯仰け反らせながら火山を見上げるビィにぼそっと過ぎった懸念をぼやくとなんだそれ?とばかりに首を傾げられた。そうか、この世界に爆発オチという概念はないか・・・今後もできないことを祈っておこう。そんな場に合わないやり取りをしていると、さくさくと足を進めていた面子が私達を振り返る。
「ちょっと!2人とも。早くきなさいよっ」
「あ、はーい」
「待ってくれよー!」
イオちゃんがぶんぶんと杖を持った手を振ってアピールしてくるのに返事を返し、眼前に広がる火山のふもとを目指して走り出す。この熱気か、火山の影響か、緑の乏しい島は灰色と黒色の石と岩で形成され、この足場も溶岩が冷えて固まったものなのではなかろうか、とごつごつとした岩場を進みながらふぅ、と息を吐いた。やがて、どんどんと道は険しくなっていき、視界に映る風景も岩肌ばかりになっていく。それと同時に、いやに周囲の温度が上がってきているのか、汗が拭きだし、額や首筋を滑り落ちた。胸元を滑り落ちる汗の感覚に不快感を覚えて胸元を指先で抓んでぱたぱたと空気を送り込むように動かすが焼石に水とはこのことか。入ってくる空気も熱く、効果があるんだかないんだかわからない有様だ。それにしても、いくら火山が近いからと言ってこんなに暑い、いや熱い、なんて・・・。
「う、わぁ・・・」
「すごい光景だな、これは」
前方を行く兄さん達から、そんな驚愕の声が聞こえてひぃひぃと息を荒げていた私はなんだ?と眉宇を潜めて彼らの背中に追いつき、その視線の先を追いかけ――なんだこれは、とあんぐりと口を開けた。眼前に広がるのは赤く、黒く、どろどろと燃え滾る溶岩の水面。脈動するようにどろりと動く溶岩は時折オレンジ色に光るように明滅し、ブシュウ、とガスを吹き上げるとまた形を変えていく。えぇ・・これガスマスクとかなくて大丈夫・・・?
「溶岩の・・・湖?」
「ザリチュ湖っていうの」
「あっちぃぃよぉぉぉ」
「やべぇ、こんなところに長くいたら死んじまうぞ・・・」
体中の汗腺が壊れてしまったかのように、汗の量が恐ろしいことになっていく。最早首元、背中なんか自らの汗でぐっしょりと濡れそぼり、肌に張り付いて不快なことこの上ない。火口でもないのに、こんな光景をみるだなんて。ある種絶景ともいえる光景だが、溶岩の湖を眼下に見据えると言うことはその熱さも肌身にダイレクトに伝わるわけで、ビィが気力を根こそぎ削り取られたように頭にべったりとくっついて蕩けている。逆にこっちも熱が籠るのだが、多分自力で飛ぶ気力もなさそうなので甘んじて頭の上を提供しておく。小さいからね、暑さ寒さはビィには私達よりももっと直接身に響くことなので、致し方なし。
ラカムさんも舌を出してまるで犬のようにハッハッと息を乱している。だが無理もない、と私は首を横に振った。私はまだいいが、兄さんやラカムさん、特にカタリナさんなんかは防具もつけているのだ。カタリナさんなんかフルアーマーに近いので、熱気が籠って籠ってしょうがないだろう。・・・とりあえず水飲みます?すっと水筒を差し出すと、カタリナさんはありがとう・・・と力なく水筒を受け取った。俺にもくれ!と飛びつくラカムさんにももう一個手渡して、兄さんにはタオルを手渡す。まぁこの熱さで止めどなく流れる汗なので、拭いたところで何の意味もなさそうだが一瞬でもべたつきが解消されればまだマシというものだろう。しかし、この熱さだけで気力と体力も奪われそうだ、と顔を顰めると、後ろからイオちゃんのあった!という声に溶岩の湖から視線を外した。崖のような岩肌が入り組んだ奥の方で、ひょこり、とイオちゃんが顔を出す。
「こっちよ、来て」
誘われるがまま近寄れば、イオちゃんが自分の足元を見下ろして佇んでいた。なんだろう、と思いつつその横に並ぶように立ち、見ろした先にこれは、と息を呑む。
「ここから地下の洞窟にいけるわ!」
「洞窟ぅ?イオ、よくこんな場所知ってたな?」
見るからに人工的に造られた岩の切れ目と、意匠が際立つ出入り口を食い入るように見つめる。だ、ダンジョンって感じですね・・・!ごくっと思わず唾を飲み込んだ。
「前に・・・一度だけ師匠に連れられてここに来たことがあったのよ。その時にこの洞窟も教えて貰ったの。下まで降りることはなかったけど・・・」
話しながら、岩肌を探るようにしてぺたぺたと触っていたイオちゃんは目的のものを見つけたのか何かをガコン、と引いた。同時に、ゴゴゴ、と地鳴りをあげて足元の扉が左右にスライドしていく。微かに感じる振動に揺れながら、ぽっかりと口を開けた先は階段になっていて、明かりもないのか薄暗い光景が奥に続いていた。う、うわぁ・・・。
「なるほど。ここも限られた人間しか知ることのない場所ということだな?」
「じゃぁ、ここにザカ大公がいる可能性も高いってことか・・・」
「そして――ルリアも」
隠れ家ということかそれとも隠し工場ってことなのか・・・ぽっかりと口を開けた洞窟へと続く隠し階段を見下ろして、目を合わせる。兄さんが期待と緊張を混ぜてごくりと喉を鳴らした。
「行こうぜ、グラン」
ビィが、私の頭から離れて兄さんの横顔を見つめる。視線が集まる中、兄さんは一度深呼吸をすると、きゅっと表情を引き締めて、無言で一歩、地下へと続く階段を進んだ。
一歩一歩、下へと降りていく背中に、ラカムさんとカタリナさんが頷き合ってその後に続く。次にイオちゃんが恐る恐る暗闇の先に足を進めると、その背中を見つめながらスゥ、と目を細めた。
「・・・ドラフの怒りを忘れるな、か」
光の乏しい暗闇の先。風が通り抜ける音だろうか。まるで怨嗟のごとく響く唸り声にも似た何かに、はぁ、と溜息を吐いた。 ・・・嫌だなぁ、ほんと。
鬱々としたものを抱えつつ、眼下に広がる地下への階段に溜息を吐き出す。しかしあまりぐずぐずしていると皆の姿を見失ってしまうので、その前に私も引け腰になる体を叱咤して階段を下りた。ぞわり、を足元から這い上がってくる悪寒にひえっと咄嗟に両肘を抱えるようにして一瞬足を止めるが、そうするとあっという間に皆が先に行ってしまうので泣きたくなりながら追いかける。
イオちゃんの杖の先に灯された灯りがゆらゆらと前方で揺れている。その明かりに照らされた影が同じように揺れる中、ぼうと浮かび上がる周囲の様子がこれまた不気味なのだ。最初は切り整えられていた階段も、降りる段数が増えるに連れてぼこぼこと自然のままの石に段差をつけたような作りになって時々爪先が引っかかりそうになる。
やがて下の方で、こちらが持つ明かりとはまた違う赤い明かりがじんわりと滲むように見え始めて、同時に一度は遠のいたかに思えていた熱気が周囲を包み始めた。
うげ、とビィのうんざりした声が洞窟内に反響する。
「ここにも溶岩があるのかよぉ・・・」
「まぁ、火山の洞窟だからね・・・」
こつん、と足先にあたった石ころがコロコロと転がり、階段の縁から下に向かって真っ逆さまに落ちていく。その様子を見つめれば、小石は真っ赤な溶岩の飲み込まれ、ブシュウ、と蒸気を吹き上げて溶岩が胎動した。うっわ、近づきたくないな・・・。
そう思うのに、降りていく身体は溶岩に徐々に近づき熱量も増していく。一度は寒気に冷えた汗も瞬く間に滴り落ち、戦う前からすでに負けそう、と顎先に溜まる汗を手の甲で拭い取った時、これは・・・!と先を行く兄さんの声がした。
「この紋章って、アーセナル0のと同じやつじゃねぇか?」
ようやく階段の終わりがきたのだろうか。先に行っている兄達を追いかけるように進むと、見上げるような大きな扉があり、その前に茫然と立ちつくす背中がみえて同じように扉を見上げた。
「するってぇとここも・・・」
「星の民の工廠というわけか・・・」
・・・アーセナル0を見てないからよくわからないけど、とりあえずここにザカ大公がいる可能性がマックスってことでOK?そう思いながら、それ以上にぞわぞわと背筋を這い上がる悪寒に密かに眉を顰めると、何か他に見つけたのか、突然弾かれたようにイオちゃんが駆け出した。
「師匠?!」
「え。ちょ、イオちゃん!?」
ぎょっと走り出した彼女を止めようと手を伸ばすが、その先の物に気づいてギクッと手を止める。あ、れは・・・。
「師匠!どこに行ってたの!?心配したんだから―――ひっ!?」
どすん、と息を呑むような悲鳴のあと、尻もちをつく重たい音がして慌てて兄さん達がイオちゃんに駆け寄った。ばたばたと足音が反響する中、1人顔を顰めて口元を手で覆う。ぼぅ、と溶岩の熱に仄かに照らし出されるその影は―――1人のドラフ族の、成れの果てだ。
「こ、れは・・・」
「ドラフ族・・!?」
「石化してるのか・・・?」
はっきりと見えた苦悶を浮かべた石像に、全員がごくり、と生唾を飲み込む。ドラフの屈強な肉体と特徴的な角を米神から伸ばした石像は、石像というにはあまりに生々しく迫力に満ちて、まるで生きたまま石になってしまったかのようだ。それが、何人も連なるようにして存在している――地獄のような光景だな、と苦悶と憎悪、憤怒と絶望に絶叫するその顔に、苦いものが込み上げてくる。
「しかも相当古いぞ。風化してボロボロだ」
恐々とドラフの石像に触れたカタリナさんがボロリと崩れた岩肌に堪らず顔を顰めた。憐れむような眼差しに、風の唸り声が強さを増す。
「覇空戦争の名残、だね」
「星の民に利用されたドラフ族の・・・成れの果て・・・」
「ドラフ族は力強く器用だから、目をつけられたのかな・・・」
悲しげな顔で、イオちゃんはそっと石像の頬に手を伸ばす。僅かに触れるだけで崩れる表面にびくっと指先を引っ込めると、下唇を噛み締めた。今、バルツはドラフ族の能力があってこそ成り立っている。地上は今や種族に大した差もなく共に生活ができており、そこに貴賤はないはずなのに、今此処に、明確に、差別の証が残っているのだ。
バルツで暮らすイオちゃんには、ドラフ族に親しい人も多くいるだろう。お世話になった人もいるだろう。心から慕い、尊敬し、心配してこんなところまで追いかけてくる、大切な師匠もまた、ドラフの人間なのだ。そのことを思えば、このあまりにもあまりなドラフ族の姿は彼女には耐えがたいものであるだろう。
見上げた先の暗い目をしたドラフの石像が、ぎょろりとその眼光を動かす。――動かしたように、見える。ふっと息を吐き出して、そっと近づき、イオちゃんの肩に手を添えた。
「今は、その技術がドラフ族の誇りになってる。すごいことだね」
「・・・うん」
「なるほどな。それが今のドラフの技術力の源流ってわけか」
感心したように顎を撫でるラカムさんの方にイオちゃんをそっと押しやりながら、ドラフの石像を背にして佇む。そのタイミングで、ゴゴゴゴ、と地鳴りのような音をたてて地面が揺れた。え?!なに!?噴火!??ぎょっとして咄嗟に両足を踏ん張ると、兄さんの鋭い声が注意を持っていく。
「扉が!」
「勝手に!?」
「うーわー・・・」
その言葉の通り、誰も手も触れていなければ今の今まで注意も払っていなかったというのに、重たい地響きをたてて紋章の刻まれた扉が左右にスライドしていく。ちょっとした疑問なんだけど、あれって電気で動いてるの?それとも魔力的なやつ?動力なんなの?
徐々に広がる目の前の空間に顔を引き攣らせると、扉の向こうから、ガション、と物々しい重たげな足音が聞こえた。嫌な予感がする、と思いつつ目を凝らして見れば、薄闇にぽっかりと、いくつかの大きな黒い影を発見して・・・あぁ~と天を仰いだ。早速かい!
「機械の・・・魔物!!」
姿を確認して、即座に兄さん達が武器を構える。私はドラフの石像の前を陣取っているので必然的に最も後ろの位置に立つことになる。計らずともベストポジション、と内心でぐっと親指を立てた。武器を構えて油断なくジリジリと機械人形と向き合う兄さん達の背中を眺めつつ、まぁ多分こっちまではこないだろう、と踏んで彼らから視線を外す。
イオちゃんの悲愴な声が聞こえたが、いやまぁ状況的にどう考えても大公が一枚かんでることは明白だよね、と思いつつぞろり、と這い上がる黒い影に目を細めた。イオちゃんの心中は理解できるが、状況証拠が揃いすぎててなんともいえない。まぁ、どこまで自分の意思で行っているかは相対してみなければわからないだろうが・・・あっちはあっちで大変だが、こっちもこっちでやらなくてはいけないことがあり、あまり後ろに注意を払っていられない。兄さん、こっちにそれらを来させないように頑張ってくれ。
戦闘開始の剣戟音を聞きながら、唸り声をあげる風を・・・いや。最早誤魔化しはすまい。かつての無念を、怒りを、憎悪を、呪詛を吐き出すドラフの怨念の唸り声に項に張り付く残り毛を払い、気持ち悪いな、と重たく溜息を吐き出した。この気持ち悪いは決して怨念のおぞましさに言っているわけではなく、物理的にどろどろとした瘴気に吐き気がきてるだけだ。なんていうか、こういうのに慣れてはいるけど強いわけじゃないんだよね・・・。そういえば白龍の神子って穢れを祓えるけど弱いっていうか、結構矛盾した存在なんだよな・・・いや何度も言うがもう神子じゃないんだけどね。
オ、オオ、オォォ・・・
風の唸りにも似た声が石化したドラフの像の、苦悶に開いた口から零れ出る。幾重にも重なり、唸りは声にならぬ言葉の羅列で埋め尽くされていく。呪詛を吐き散らかすそれは黒い瘴気となって辺りを包み石像の足元から這い出て、黒く淀んだ何かが形を伴い始める。この洞窟は、かつてのドラフ族の怨念が、憎しみが、怒りが満ちて、渦を巻いている。救われることなく、天に昇ることもなく。留まったままの思いが、淀んで、濁って、どろどろに腐りきって、蓄積されていたのだ。ずっと感じていた。手招く黒い手の、怒りに満ちた哀れな末路を。
「そんなにも、星の民が許せなかったんだね」
忘れるな、ドラフの怒りを、悲しみを。許す勿れ、我らへの所業、その罪を。
影が吠える。声無き声で、開いた眼孔から火の涙を落とし、屈強な肉体を持った何かが、泣きながら喚き立てるのだ。忘れるな、許すな、憎め、怒れ、思い知らせろ。我らの絶望、苦痛、苦悶、屈辱。―――我らドラフを、忘れるな!!!
囚われている。自らの思いに、一族の執念に。囚われ、長く、気が遠くなるほど長く大切に抱え込み過ぎたが故に、発酵してどろどろに腐りきったそれは、あまりに重たく息苦しい。ぎゅうっと胸元を握りしめて、可哀想に、と眉を下げた。
「ごめんね。同情しかしてあげられない。私は知らないから、その憎悪の半分も理解してあげられない――だけど、否定はしないよ」
憎んで当然。恨んで当然。怒りに我を忘れ、何かを道連れにしなければ気が済まない。その感情を、激情を、どうして、だれが、否定できるというのだろう。意味がないとは言わない。そんなの間違ってるなんて口が裂けても言えない。そうでなければ、生きていけない人間だっているのは当然だ。ましてや、奴隷のように使われた存在のその悲哀を、屈辱を、知らない人間が簡単になかったことになんてできはしない。
瘴気が吐きかけられる。鼻を突くような腐臭に顔を顰め、腹の内を震わせるような絶叫にビリビリと肌が粟立つ。太く逞しい腕が天高く上を向き、握りしめられた拳が振り下ろされた。迫りくるそれを見据えて、息を吐き出す。
「――巡れ、天の声」
びたり。
頭上僅か数センチ上で、拳が止まる。わなわなと震える黒い拳にそっと触れ、ボロボロの手を撫でた。ぞろり。指先から這い上がってくる瘴気にぐっと奥歯を噛みしめ、両手で包み込むように大きな拳を握りしめる。
「――響け、地の声」
影から唸り声が零れ出る。それは憤怒の絶叫でも、憎悪の雄叫びでもない。戸惑うような、か弱い声だ。逃げようとする手を引き止める。身悶える身体を見据えて、恐怖に戦く眼孔を射抜く。わかるか、これが。怖いか、この先が。――500年の全てを、失う瞬間がくるなんて、思いもしなかったか?
「――ドラフの生き様に、誇りあれ」
溢れた光に、最後に見せたものはなんだったのだろうか。
握りしめた手の感触が消えた瞬間、背後から声がかけられた。振り返れば、機械人形との戦闘も終わったのか敵の残骸を足元に、兄さんたちが不思議そうにこちらを見ていた。
「?なにしてたんだ?」
「――何もしてないよ?」
「ふぅん?・・・あれ、なんかこのドラフの化石・・・さっきと顔つき変わってねぇか?」
首を傾げた兄に同じように首を傾げかえすと、ぱたぱたと近寄ってきたビィが石像を覗き込んであれぇ?と声をあげた。
「化石の顔が変わるわけないでしょ」
「でもよぉ。こいつらもっとこう、苦しそうな顔してた気が・・・」
そういって顔を触ろうとして、それらの耐久性がすでに乏しいことを思い出したのか慌てて手を引っ込めたビィはむぅ、と腕を組んで口元をへの字にした。そんなことより。
「終わったの?今回は苦戦しなかったんだね」
「同じ相手に二度も遅れは取らないさ」
ふっと笑ったカタリナさんにそういうものか、と納得しながら倒れた機械兵士の残骸の間を抜けていく。いやーそれにしても一応金属?相手によくまぁこんな盛大にぶち壊せられるもんだ・・・へしゃげた体にすごい威力だな、と思いつつ広々とした空間を見渡した。
「この先に、大公が?」
「多分。師匠とルリアはきっとこの先にいるよ」
「そっか。ようやくイオちゃん、お師匠様をぶん殴れるねぇ」
「そうね!見つけたらこの杖で思いっきり殴ってやるんだから!」
そういって素振りをするイオちゃんに、平手じゃねぇのかよ!?とばかりにラカムさんの顔が引きつる。幼気な少女の手がそれじゃ痛いだろうから、鈍器で十分じゃないかな?やらかしてることはマジで殴られても文句も言えない所業だろうし。
うふふ、と笑えば何故か私の方を恐ろしいものを見る目で見られた。やだな、私が殴るわけじゃないんだけど。
「――とうとうここまで来おったか。この馬鹿弟子が」
和やかな空気を引き締めるように、低くしゃがれた声が禍々しさを伴って広間に木霊した。