蒼天の花



 かつん、と小さく聞こえた靴音に視線を正面に向けると、この場にいる誰よりも立派な体躯をした巨体が、悠然と目の前に現れた。ふわり、と肩からかけられた外套が風を孕み広がり、彫の深い皺の刻まれたいささか強面の初老の男が爛々と燃える眼差しで睥睨する。

「師匠!」

 イオちゃんの呼びかけが、広間に大きく反響する。あれが、バルツ公国のザカ大公。ドラフらしい、衣服に上からでもわかる衰え知らずの筋肉に包まれた屈強な体躯に、両米神から伸びる太く大きな角がその威圧感を更に増している。蓄えられた豊かな髭を太い指先で扱きあげ、私達を見渡すとフン、と乱暴に鼻を鳴らした。

「こんなところまで追いかけてくるとは、とんだ馬鹿弟子だ」
「なにやってるの師匠!皆心配してるんだよ?!もう帰ろう?あたしと一緒に・・・!」
「帰るわけにはいかん!!」

 一喝。ビリビリと空気を震わせた覇気に、ひっとイオちゃんが委縮した。びくん、と跳ねた肩に咄嗟にラカムさんがイオちゃんの肩を引いて後ろに隠した。身代わりのように前に立つと、険しい顔でザカ大公を睨みつける。

「ようやく、ようやくここまで来た。鍵を手に入れ、ようやく我が悲願は叶うのだ!!」

 唾を飛ばし、両手を掲げ吠え立てるようにザカ大公は哄笑した。木霊するその声に、民に慕われていたという大公の面影はない。爛々と赤く光る双眸がより狂ったようにめらりと燃え上がり、三日月形に歪んだ口元から覗く犬歯が獰猛に鈍く光を跳ね返す。
 その、明らかに何かに取りつかれているかのような大公の様子に、イオちゃんの顔色がわかりやすく蒼褪めた。カタカタと震える手で、絶望に大公を見つめる。

「し、しょう・・・」
「500年。500年だ。忌々しい星の民により虐げられた我らの屈辱、怒り、悲しみ!それが今、ようやく!形となるっ」

 ばさっと、大きく大公が手を動かす。振り上げた先、魔力に反応したのか、今まで薄暗かった広間に突然明かりが灯された。決して強くはないが、赤みを帯びた光源が、広間一体を照らし出す。そして、そこに、それはいた。

「・・・っ!」
「あれは・・・っ」

 眼前に現れたそれに、私達は息を呑んだ。巨大な鋼鉄の体躯。先ほど戦った機械人形と似て非なる姿。ドラフのように鋭く伸びた角に、隆々とした体躯。配線に繋がれ、静かに佇むそれは・・・・

「コロッサス!古の我が同胞が残した夢!鋼鉄の星晶獣よ!!」

 黒光りする機械人形・・・コロッサスを見上げていると、力強く宣誓した大公に目を丸くする。なんとなくわかっていはいたが、ティアマトと大分テイスト違うね?一瞬場違いなことを考えていると、何かに気が付いたのか兄さんが大声を張り上げた。

「ルリア!!」

 兄さんの視線の先を追いかけると、コロッサスの後ろの方、更に高い位置に、小さな人影を見つけてあっと小さく声をあげた。手足を拘束され、ぐったりと項垂れている華奢な少女の足元からは太い配線が伸びて、どうやらそれはコロッサスに繋がっているらしい。力ないルリアちゃんの姿にカタリナさんが焦ったように声を張り上げた。

「ルリア!ルリア!?」
「ちくしょう、あんた、ルリアに何しやがった!?」
「フン。まだ何もしとらんわ・・・これから、その力を使わせて貰うがな!」

 おぉう、ダイレクトに地雷踏み抜いていく。今一瞬でカタリナさんの殺意が爆上げした気がしたが、イオちゃんがいるのでちょっと押さえて欲しい所。多分あの人、正気じゃないし。瞳孔のかっぴらいた明らかに狂人の眼差しに、立ち上る黒い瘴気が輪郭を縁取る。魔晶の力か?ティアマトを蝕んだそれとよく似ている・・・。
 そう私が大公の様子を見ている間に、彼の人は拳を握り、ふと優しげに微笑んだ。

「お前たちには感謝しているのだ」
「え?」
「我らの悲願を叶えるためには、どうしても星晶の力を使えるものが必要だった・・・礼を言うぞ、青い髪の少女を連れてきてくれたおかげだ」
「なっ」
「そんなことのために、ルリアを!」
「黙れ!これは我らの悲願、夢なのだ!!見るがいい、我がドラフの夢の結晶を!!」

 ―――目覚めよ、コロッサス!

 高らかに、ザカ大公がその名を呼ぶ。瞬間、ポゥ、とルリアちゃんを縫いとめる壁が青白く燐光したかと思ったら、彼女の白い喉から絶叫が迸った。

「きゃあああああああ!!!!」
「ルリアーーー!!」

 その衝撃は兄にも伝わったのか、苦悶の顔を浮かべて胸元を抑え、脂汗を浮かべている。慌ててその体を支えるように手を差し伸べる。その様子に、直接それを受けているルリアちゃんの衝撃がどれほどのものかと思うと・・・くしゃり、と顔を顰めた。
 やがてがっくりと首を落として項垂れたルリアちゃんの姿に歯を噛み締めると、大公の笑い声が再び広場に響き渡った。

「星の民に奴隷にされた我が古の同胞達の夢、コロッサス!今こそ我らが悲願を叶える時!!」

 高々と突き出した手で拳を作り、大公が吼える。そして、ルリアちゃんの力を受けてだろうか・・・今まで沈黙していた鋼の巨体が、その四肢を震わせた。
 まずぴくり、と指先が動く。指先といっても、人の体の倍はあろうかという太い指先で、それが動くと拳を作り、それから足が、腕が、徐々に可動域が広がると、最後に中腰だった背筋が伸びた。一歩、コロッサスが足を踏み出す。同時に、コロッサスとルリアちゃんを繋ぐ配線のコードが引っ張られ、ぶちぃ、と音を立てて引き千切られた。バチバチバチ、と引き千切られた配線から青白い光がスパークしだらりと地面に向かって垂れ下がる。
 声にならぬ機械の咆哮が、大気を震わせた。それはあるいは気迫か、それとも星晶の力の波紋だったのか。気圧されるように一歩後ろに引くと、逆にカタリナさんが憤りも露わに前に出た。

「ふざけるな!!何が悲願だ!何が夢だ!ルリアを――イオを苦しめてまで叶える夢になんの価値がある!」

 剣を突き付け、動くコロッサスに恍惚とした眼差しを向ける大公を責め立てるカタリナさんに、ぴくり、とザカ大公の肩が揺れた。ゆるり、と首だけを動かして、ザカ大公の瞳が苛烈さを強める。

「ドラフではないお前たちに、我らドラフの何がわかる!!」

 唾を飛ばし、激情のままに大公は怒鳴り散らした。そこに理性など最早ないのだろう。感情のまま。荒ぶる怒りと憎しみに我を忘れて、開いた眼に今は映らない。その赤い瞳に映るのは、今はもういない過去の嘆き。幻影に囚われた、哀れなドラフの男がそこにはいた。ぶわっと、瘴気が大公の体から噴き上がった。うっ、と思わず呻いて口元を手で覆う。影が揺れる。黒い炎のように揺らめいて、ザカ大公の後ろで怨嗟に顔をおぞましく歪めるドラフ族の影が、大公の憎悪と重なるように叫び声をあげた。

「我らドラフの怒りが!」

 大公の感情に呼応するように、コロッサスの腕が動く。
 大公の声に、幾重にも重なった声が耳の奥でハウリングする。

「悲しみが!」

 傍らに突き立てられた大剣の柄を大きな手が握りしめる。
 女、子供、老人、男。あらゆる声が、叫びが、嘆きが、大公の全身を包んでいく。

「苦しみが!」

 天高く、切っ先を真上に振り上げる。
 ぎろり、と向けられた視線は、大公だったのか、ドラフ族からだったのか、コロッサスからだったのか。

「分かるはずがないのだ!!」

 振り下ろされる紅い大剣が、空を裂き、轟音をたてて地面を砕き割る。咄嗟にその軌道線上から逃げるように左右にばらけ、地面にめり込んだ剣から隆起していく瓦礫の山にひえっと悲鳴をあげた。やっべこれ早々に攻撃範囲外に逃げておかないと私対応できない!!ティアマトの時とはまた違う種類の戦い方とその力の強大さにひえぇぇ、と内心で竦み上がりながら、ばらけてコロッサスと対峙する兄さん達から早々に距離を取って後ろに下がる。食道を這い上がってくる吐き気を堪えて、耳奥でぐわんぐわんとハウリングする怨嗟の声に眉間に皺を寄せた。
 ザカ大公のあの執念にも似た暴走。誰の耳も貸さないほどに、イオちゃんにすら躊躇いを覚えないあの非情さは・・・魔晶の影響だけではない。魔晶を切欠に、それに釣られた積年のドラフの怨念が、大公の精神に異常をきたしているのだ!
 どろどろと渦巻くそれに眩暈を覚えながら、あれどうしよう、と頭を抱える。扉前のは浄化してみたけど、まだまだここにはドラフ族の念が凝り固まっている。そしてその源は――。

「ザカ大公――確かに、僕達には貴方達の苦しみはわからないかもしれない・・・」

 兄の声に、抱えていた頭を解放して前を向く。イオちゃんを抱え上げ、コロッサスの攻撃から逃げた兄さんはひとまず平らな地面に降り立つとイオちゃんを降ろして、腰の剣に手を添えながら静かに語りかけた。

「でも今、貴方を慕っているイオは・・・貴方を思い泣いているんだ。その気持ちは、僕でもわかる!」

 イオちゃんの肩に添えていた手を放し、兄が一歩踏み出す。その両隣に、同時に回避していたカタリナさんやラカムさんが静かに並び立つ。

「だから―――僕達は剣を抜くんだ」

 すらり。抜き放たれた剣先が、真っ直ぐにコロッサスに向けられる。私は後ろからその背中を眺めるだけだが、そこに浮かぶ顔なら容易く思い浮かべることが出来る。――清々しいほど、力強く真っ直ぐな眼差しをしていることだろう。そして、その声に、期待に、覚悟に。応えるように、団員達は動くのだ。1人の少女の涙を止めるため、1人の少女を救うため、1人の男の妄執を砕くため。あんな馬鹿でかい、とてつもない力を秘めた機械仕掛けの星晶獣に向かって、一見無謀とも言える戦いを挑むのだ。
 なんで無理かも、とか思わないんだろうなぁ、あの人達。と、私では到底できないことを成し遂げようとしている兄さん達を眺めて、ほう、と吐息を零した。

「黙れ!小童がァ!!!」

 大公が激怒したかのように怒鳴り、コロッサスが動いた。再び振り下ろされた大剣を兄さん達は飛び、あるいは転がりかわし、ブォン、と風圧が遠のいている私にまで届いた。いやちょっと圧が!圧が半端ない!!ばっさぁ、と吹き付けてくる風圧にうっかり飛ばされないように踏ん張りながら、腕で飛んでくる小石やらから顔を庇ってかろうじて視界を確保する。

「小いせぇな。小いせぇよ・・・大公が聞いて呆れらぁ」

 パシュッと、軽い音をたててラカムさんがコロッサスに向かって何かを発射させる。それはコロッサスの肩の尖がった部分にぐるぐると巻きつき、びんっと引っ張ると巻き戻す力を利用してラカムさんの体が上空に舞い踊る。反動をつけてぐるん、と大きく円運動を描いた体は綺麗にコロッサスの頭上まで上がり、後頭部に狙い定めて、ラカムさんの銃が火を噴いた。

「俺達の大将の方がでっけぇぞ!なぁ、コロッサス!!」

 爆発がコロッサスの頭上で起こり、その衝撃に耐え切れず思わず、といったようにその巨体が地面に手をついた。それだけ相当の振動が伝わり、地面がぐらぐらと揺れ動く。そしてその隙を見逃さず、地面と距離の近くなったコロッサス目がけてカタリナさんが走り寄り、地面についた手を駆けあがっていった!何をする気だろう?と呼吸を止めて見つめていれば、腕を上がり、肩を登り、コロッサスの角先に手をかけて頭頂部までいく。早いな、と思っていると、反対側から同じように駆け上っていた兄さんに、コロッサスの頭頂部に立ったカタリナさんが大声で呼びかけた。

「グラン!任せたぞ!」
「あぁ!!」

 瞬間、カタリナさんが剣を掲げると、その先に光の盾が形成される。え?ちょっとまさか、と思ったところで、腕を登る勢いそのままに、兄さんが助走をつけて飛びあがり、カタリナさんの盾の上に着地すると、更にそこを足場にして高く飛びあがった!
 軽業師か!と思わず突っ込みそうになったが、あながち間違いでもない!とセルフ回答をしてしまう。いや違う、そうじゃない。一連の連携がなんのためだったかというと、兄は飛びあがった勢いを殺さず、なんと見事に、ルリアちゃんが捉えられている台まで行ってしまったのだ!なるほど!そういうことですか!おおーと拍手を小さくパチパチと叩きながら、ルリアちゃんの拘束を解いている兄さんを眺めて、とりあえずこれで振り出しに戻ったってことだよね?と首を傾げ、はっと急いで走り出した。
 捕らえられていた場所から兄さんがルリアちゃんを横抱きに抱えて飛び降り着地したところに、大回りをして大公から距離を取りつつ地面に足をつけたルリアちゃんに駆け寄った。

「ルリアちゃん!」
!」

 がばぁ、と勢いをつけて飛びつき、その白いもちもちとした頬を両手で挟み込む。ひんやりと冷たい頬に、血の気が引いてんじゃねぇか!と内心で絶叫する。

「怪我は!?体調は!?あぁもう、ルリアちゃんも無茶しすぎなんだよ!!」
「はわわ、、大丈夫ですよ!」
「大丈夫じゃ!ない!!とりあえずこれ飲んで!ポーション!」

 どれだけ心配したことか!たぷん、と口にいれるものとしてこれはどうだろう、という色合いの薬品を取り出し、きゅぽん、と音をたてて蓋を開ける。はい飲んで!!
 ぐいっと押し付けると、目を白黒させながらルリアちゃんは本当に大丈夫なんですよ?とポーションの小瓶を受け取りながら困ったように眉を下げた。

「それを決めるのは君じゃありません!」
「ふえぇ?!」
「ルリア、飲んでおきなよ。も僕も、皆心配してたんだから」
「グラン・・・」

 くわっと目を見開き、これだから!これだから自分そっちの気のお人好しは!!と内心で地団駄を踏む。現実でやったら年考えろよって言われるからね!いやまだセーフ?見た目セーフ?でも自分で自分がねぇわ、と言うのでアウトで!
 兄にも言われ、ルリアちゃんは少々躊躇ったが、それでもくいっと小瓶を煽ってくれたのでとりあえずは大丈夫だろう、と思う。この世界のポーションは結構な万能薬だからね。なんでこんなので疲労回復の即効性があるのか知らないが、そこはお空の不思議で済ませておく。さておき、やはり自分で考えている以上に疲労感はあったのか、ポーションを飲んだ途端、青白かった頬に赤味が差したルリアちゃんにほっと胸を撫で下ろした。ほらぁ、本人の主観なんて当てにならないんだよ、本当に。
 ほっとしたのでむぎゅむぎゅと状況もあえて忘れたふりでルリアちゃんを抱きしめる。こんな幼気な少女に向かって無体を強いるとは、いくら魔晶と怨念のせいとはいえ大公様許すまじ。いやまぁ情状酌量の余地はあるし、きっと皆が色んな意味でぶっ飛ばしてくれると思うから私が特に何かする気はないんだけど、気持ち的に。
 とりあえずルリアちゃんの救出は無事完了した、とほっとしているところに、カタリナさんとラカムさんも集まって全員が安堵の吐息を零したところで、広間中に響くように大公の声が轟いた。

「嫌じゃ!!これは悲願!同胞達の夢!その夢を捨てては置けぬ!!」

 まるで、子供の癇癪のようだ。響き渡る声に視線を向ければ、イオちゃんと対峙しているザカ大公はまるで夢を否定された子供のような頑是なさで、首を振り立て、肩を怒らせる。その様子を見つめていたイオちゃんは、俯き、ぐっと一度奥歯を噛みしめると胸の前で握りしめた杖を振り上げ、大公に突きつけた。

「それなら・・・そんな夢は、あたしがぶっ壊す!!」

 目端に涙を滲ませ、彼女は師を前に堂々と立ち塞がる。幼い少女だとは思えないほどに、その背中は大きく成長したように見えて、ルリアちゃんがこくん、と喉を鳴らした。

「師匠!今日あたしは貴方を超えてみせるよ!師匠を縛り付ける悪夢を砕いて、そして師匠を・・・悲しい歴史から解放してみせる!!」
「面白い・・馬鹿弟子が。お前1人で何ができる!」

 嘲笑うように歪んだ口元で、ザカ大公がイオちゃんを見下ろす。その顔を唇を真一文字にして見返す彼女の横に、いつの間にか・・え。いやホント何時の間に?あれ?今私の横にみんないたよね??はっと気が付いて横をみれば、何時の間にやら兄さんもルリアちゃんもビィもいない。えぇ、と1人取り残された状態で、イオちゃんの周囲に集まる兄さん達に、私どんだけあのやり取りに集中してたんだ、とがっくりと項垂れた。いや、下手な標的になりたくないからいいですけどね?

「1人じゃないさ。イオは僕達の仲間だ」

 イオちゃんを中心にして、周りを囲むように兄さん達がザカ大公の前に立ち塞がる。
 頭上でビィが腕を組み、へへん、と鼻を鳴らした。

「オイラ達騎空団が相手だ!仕切り直しと行こうぜ、駄々っ子のおっさん!!」

 うわぁ、面と向かって駄々っ子って言っちゃう?恐らく私1人だけあの場の熱量に追いついてない形で口元を掌で隠しながらぱくん、と口を塞ぐ。やだわぁ、この辺りのやり取り都合よく大公の記憶から抜け落ちてくれないだろうか?いやだって、不敬罪じゃん?状況が状況だから見逃してくれるかな?ザカ大公本来は懐深い情に厚い人らしいから大丈夫?どうだろう、と頭を悩ませている間に、事態は更に進んでいた。

「小癪な若造どもが!!」

 ギャリ、ギャギャ、ガガガガガ!!!

 地面を擦る摩擦音と共に、コロッサスがまるでコンパスのように大剣を動かし石畳を捲りあげながら剣先が地を走る。剣と石が擦れて上がる火花が赤く弾け、大きく回転しながら振り抜かれた大剣が、周囲の柱諸とも巻き込んで全てを薙ぎ払う。

 ドッゴッ、ドガガァン

 コロッサスの大剣で薙ぎ払われた柱が崩れ、瓦礫の降る音が地響きとなって周囲に広がる。もうもうと舞い上がる土煙にむせ返りながら、コロッサスによって抉れ、めくれ上がった床石の影に隠れるようにして身を潜めた。ぴっとりと背中を石に張り付け、けほけほと咳払いをしながら痛みを訴える目に生理的な涙を浮かばせてしぱしぱと瞬きを繰り返す。星晶獣の、一撃が、いちいち、破壊力が、ありすぎる!!なに!?なんなの!?大振りなのがせめてもの救いって言いたいのか!当たれば即死だわ!!嫌だ、逃げたい、と半泣きになりつつ石の影からひょこっと顔を覗かせると、コロッサスがあまりに大きく剣を振り回したせいか、半身を捻る形で崩れた体勢を狙って兄さんが周囲の瓦礫と半分に折れた柱を足場に、トントントン、と身軽に間合いを詰めて飛びあがる。
 体勢を崩しているコロッサス目がけて、ふっと鋭い呼気を出して振りかぶった兄さんの剣がその肩をぎゃりん、と音をたてて切り込み、剣と装甲の摩擦で赤い火花が散る。
 しかし、その斬撃はほんの少し、コロッサスの肩にひっかき傷を残したに過ぎない。蚊に刺されたかのように些細なことだと言わんばかりに、コロッサスの腕が無造作に横薙ぎに動いた。宙に浮いたままのグラン兄さんの体を、強かにコロッサスの腕が叩きつけて・・・・兄さぁぁぁん!??

「ひっ」

 呆気なくボールでも飛ばすかのごとくコロッサスに殴りつけられた兄さんの体が横っ跳びに飛んでいく。悲鳴をあげる間もなく、壁に叩きつけられるかと思った兄さんは、しかし丁度研究施設故か、壁から天上からぶら下がっている配線を掴むことで事なきを得た。たわみ、掴んだ反動で大きく反動がつけられた配線をうまく利用し衝撃を緩和させると、壁に両足をつけて再び蹴りあげ無事に地面に兄さんが着地する。
 小さな体が大分離れた位置に、それでも五体満足で存在していることに、私は茫然とした状態で瞬きを繰り返した。え・・・?生きてる・・・?

「に、兄さんすげぇ・・・」

 こういっちゃなんだが、何故生きてる?あのコロッサスの攻撃が直撃したというのなら、体が弾け飛んでミンチになっていても可笑しくないはずだ。え?防御?したから?それで回避できるレベルかな??うん?剣ごとやられても不思議ではないはずだが、まぁ無事ならいいか!うん。ここはきっと人間の頑丈さも規格外なんだよきっと。でもそれが自分に当て嵌まる気は一切しないのでやはり私はこの影から動きたくない。

「くそっグランの攻撃も利かないなんて!」
「あの装甲、相当に堅いな」

 ビィが吹っ飛ばされた兄さんをみて焦りを口にすると、カタリナさんが僅かに傷がついただけのコロッサスの肩口を見て眉を寄せる。
 剣を振り上げたコロッサスに遠距離からラカムさんが銃を発砲するが、多少斬撃の足止めになるぐらいで、決定打というには程遠かった。・・まぁ、あんなものに生身の人間の攻撃が早々利くはずないよね、と1人でうんうんと頷く。利くとしたらよっぽど上手いこと急所を捉えるか、それとも人外級の攻撃力を供えているかだ。果たしてそんな人間存在するのかなぁ?と思いつつ、瓦礫の影からコロッサスを見つめて目を眇めた。・・・やっぱり、あれが「源」だよなぁ・・・。

「ドラフの執念の元みたいなもんだもんねぇ・・・」

 コロッサスの体から立ち上る黒い穢れの靄にどうしたものか、と腕を組んで頭を傾ける。コロッサスは、昔のドラフ族が星の民への反抗の手段として作られた星晶獣だ。ドラフ族の思いの全てが、あのコロッサスには込められている。
 憎悪、怒り、悲しみ、絶望、希望、未来・・・色んな感情が、コロッサスという星晶獣を形作る全てであり源だ。星の民の手を介さない異端の星晶獣。――可哀想に、と視線を下に落とす。
 可哀想に、きっと、どの星晶獣よりも、どんなものよりも、心豊かに、感情豊かに、あの星晶獣は人々に寄り添えただろうに。起動の理由さえ異なっていれば、コロッサスは未来の希望としてあれただろうに――あんなにも、嘆き怒りながら、剣を振るうこともなかっただろうに。
 解放するには、あれを倒さなくてはならない。そして同時に、ドラフの怨念も浄化せねば真の解放とはならないわけだが・・・さすがにこの状況でのこのこ出て行けば即ミンチになることは自明の理。コロッサスのあの強度って、元々の防御力の高さとか特性とか装甲とか、そういうこともあるんだろうけど、ドラフの怨念によるパワーアップも多少関係してると思うんだよね。
 だから穢れを祓えばある程度攻撃も届きやすくなるとは思うんだが、それをするにはちょっと・・・色々と・・・試練がありすぎますね・・・。かといって兄さん達がちまちま削るのを待つというもの・・そもそも攻撃を通すために浄化という手段が・・・でもある程度削ってもらわないとこっちもやりようが・・・あれ?詰んだ?
 思考が袋小路に入りかけたところで、どわぁああ!!という声と共に雪崩れ込むように私が隠れている岩壁に、兄さん達が飛び込んでくる。どうした。

「え、なに、どうしたの」
「コロッサスの攻撃範囲から一旦引いたんだよ。くっそ、どうやってコロッサスにダメージを与えればいいんだ・・・!」

 足元に転がりこんで、石壁に隠れた兄さん達に目を瞬かせながらほう、と頷く。兄さん、あんなに離れたのにもうここまできたの。足早いね、なんてことはどうでもいいとして。石壁を盾に、どうコロッサスを崩すか考えている兄さん、そして次々にここに避難というか一時退避してくるカタリナさん、ラカムさん、イオちゃん。え?次の瞬間にはここに大剣振り下ろされてない?大丈夫?ちらちらコロッサスの動きを確認しながら、ここでこう切り崩して、いやここに撃つからバランスを崩したところを、という臨時作戦会議が開かれている。・・・ふむ。

「とりあえず皆さん、ポーションを飲んで一旦回復しましょう」

 折角逃げ込んできたんだから、攻撃が及ばない内に少しでも体力気力を回復させておかないとジリ貧になる。兄さんなんか一度コロッサスに吹っ飛ばされたんだから、渋ってないでぐびぐび飲め。というわけでいやまだいらないよ、と言いかけた兄の顎をがっと掴み、強引に口をあけて小瓶を突っ込む。はいイッキイッキイッキ!!

「~~~~っ!!!」
「うわぁ・・・」

 いささか乱暴に兄さんに薬を飲ませた私から、イオちゃんが顔を引き攣らせて心持ち後ろに下がる。その様子をみて、カタリナさんとラカムさんは早々にポーションの小瓶を私が抱えている鞄から取り出すとぐびぐび!と煽った。ああはなるまい、とでもいうかのような迅速な動きだったが、これはあくまで兄さんに対する行動であって、さすにが女子にはこんな乱暴なことはしませんよ?ラカムさん?時と場合によるかな。

「ルリアの力を使うってのはどうなんだ?」
「それも考えたが、星晶獣に関しては最終手段として取っておきたい。それに、星晶獣の召喚がどれほどルリアの負担になるかまだ分からない今、迂闊に乱用することはあまり良いことではないだろう」
「だが、まずは一発、どでかいのでも決めてそこから切り崩すのは有力手じゃねぇのか?団長の剣も俺の銃もあんたの剣も早々コロッサスには届かないぜ?」

 ポーションを飲み干し、げっほげほげほげほ、と咽こんでいる兄さんを尻目に大人2人は真面目な顔で作戦会議を再開させる。ルリアちゃんが咽こんでいる兄さんの背中を撫で擦りながら、私なら大丈夫です!と眉をきりっと吊り上げた。

「私の力でコロッサスを止めることが出来るなら、手伝わせてくださいっ」
「だが・・・」

 前のめりになるほどやる気に満ちたルリアちゃんにカタリナさんが渋い顔をする。うーん、カタリナさんの言い分もわからないわけではない。現状召喚できる星晶獣は2体。バハムートとティアマトだが、バハムートはこの地下空間には向いていないので、喚ぶとしたらティアマトの方だろう。しかし強大な力な分、それを使役するルリアちゃんの負担は楽観視することはできない。下手に序盤に召喚して後半の止めに使えない、ということになったらまずいのだ。

「どうした、小童どもが!もう諦めたか?その程度の力で、我らを止められると思うてか!!」

 勝利を確信した笑い声が響き、ギリィ、と兄さんが奥歯を噛みしめる。まぁ。確かに、大口叩いた割にこの状況だしなぁ、と否定できない、とちらっと兄さん達を横目で見ると、1人俯いてたイオちゃんが、何かを決めたように顔をあげた。

「皆に、お願いがあるの」
「お願い?」
「イオ?」
「あたしに、時間をちょうだい」

 しゃがみこみ、杖を抱えながらそういうイオちゃんの眼差しに諦めはない。勿論、兄さん達の目にだって諦めだとかそういったマイナス感情が浮かんでいたわけではないが、攻めあぐねている人間の目ではないことだけは確かだ。・・・ほぅ?

「何か勝算があるの?」
「コロッサスに物理攻撃が利きにくいなら、私がコロッサスを倒せるだけの強力な魔法をぶつければいい――だけど、強力な呪文になればそれだけ詠唱時間が長くなるの。それはまだ、あたしが未熟だからってのもあるけど・・・」
「・・・時間さえあれば、いけるんだね?」

 兄さんが問いかけると、イオはちゃん一度目を閉じ、それからしっかりと頷いた。

「未熟でも師匠にあたしの全力をみて貰いたいの。絶対、コロッサスを止めてみせるから、だから――あたしに、そのための時間をちょうだい」

その眼差しを受け止めて、にぃ、と兄さんの口角が持ち上がる。お?これは。

「ルリア」
「はい!」
「ビィ」
「おう!」
「カタリナ」
「あぁ」
「ラカム」
「おうともよ」

「はいはい」

 返事はしたが私は行かんぞ?そう思いつつ、1人1人の名前を呼んだ兄さんは、力強く返事をした皆に爛々と目を輝かせてすくっと立ち上がった。突然の俊敏な動きにイオちゃんがうわっと少し仰け反ると、そのまま石壁の後ろから出て、剣を構えるととちら、とこちらを見た。はいはい、ルリアちゃんとイオちゃんのサポートはこっちでやりますよって。ひらひらと手を振ると、こくん、と一つ頷いて、同じく岩壁の影から出たカタリナさんとラカムさんと3人で、兄さんはニッと笑みを浮かべた。

「僕達に任せて、イオ」
「どでかいの一発頼んだぜ?魔導士さま」
「ふふ。頼りにしているよ」
「み、みんな、」
「――行くぞ!!」

 イオちゃんが声をかける前に、兄さんの号令で石壁から飛び出した3人が瞬く間にコロッサスに肉薄する。自分たちに注意を引きつけるようにコロッサスの目の前で散開した兄さん達の後ろ姿を茫然と見つめているイオちゃんの肩にポンと手を置くとびくん、と肩が跳ねた。

「イオちゃん」
「・・・あ」
「私も手伝います!イオちゃん、大公様にイオちゃんの思い、届けて見せましょう!」

 両拳を握りしめ、そう鼓舞するルリアちゃんにイオちゃんはうるうると目に涙を浮かべて・・・すぐさまごしごし、と手の甲でそれを拭って杖を構えた。

「うん!絶対、あの馬鹿師匠の目、覚まさせてやるんだから!」
「その意気です!」

 イオちゃんは結構涙腺が緩いタイプなのかなぁ?と思いつつ、まぁまだ小さいしなぁ、と詠唱に入った少女の背中を見つめてしばし考え、これならあるいは、と1人小さく口元に笑みを浮かべた。

「ルリアちゃんは、兄さんの動きをしっかり見てて。多分、状況によってはティアマトの力が必要になると思うから、タイミングを計ってほしい」
・・・はい!わかりました」
「イオちゃんはそのまま詠唱に集中。何があっても・・・兄さん達なら大丈夫だから」

 まずはフォローの体勢を整えるためにルリアちゃんには兄さん達の動きに集中して貰わないといけない。よくよく考えたらまだコロッサスの必殺技みたいなもの、出てきていないのだ。なんか皆それぞれ奥義的な必殺技みたいなものを持っているみたいなので多分コロッサスも終盤、ここぞというところにそれを出してくるはずである――その時には、ティアマトの力で相殺してもらわなくては・・・なので頼んだ、ティアマト。
 ちらっとルリアちゃんの胸元の宝石に目をやると、ちかり、と光って薄く石の中からティアマトの影が映ったような気がしたが、一瞬だったのではっきりとはわからない。まぁでも本人もわかっていることだろう、と思って、私は集中しているイオちゃんの周囲で、ふわりと青白い光が足元から陣を描いて立ち上る中に、そっと後ろから入った。
 螢火のようにふわふわと光の粒子が上へと昇っていく中、彼女の魔力に乗せるように、こちらもゆっくりと意識を研ぎ澄ませていく――彼女の魔法に乗じて、五行の力も上乗せさせる。あとは、こっちもタイミング勝負だな、とごくり、と喉を鳴らした。

「――遊びは終いだ」

 低い声が、不意に耳朶を打つ。その声の低さにぴくっと揺れたイオちゃんの肩に手を添える。振り向くな、意識を逸らすな、・・・兄さん達を、信じて。そんな思いを籠めて、肩に置いた手に力をこめると、一瞬止まりかけた詠唱が再び流れ出す。どうやら意図はちゃんと掴んで貰えたらしい。そうそう、そのまま。君の仕事は、特大の魔法をぶっ放すことなのだから。

「ルリアちゃん、兄さんから目を離さないで」
「・・はいっ!」

 イオちゃんの肩に手を置いたまま、ルリアちゃんにも声をかける。ここからが、正念場だ。どうん!と音をたてて地面が揺れた。バランスを崩しかけたイオちゃんを支えつつ、石畳の隙間や、崩れた床から真っ赤なものが見えてぎょっと目を見開いた。え?!溶岩!??

「なんだこりゃ!?」
「溶岩が、共鳴している・・!?」

 ブシャァ、ブパァン、ともしかしてこの下に流れている溶岩だろうか?それがコロッサスの闘気に合わせて噴き上がり、じゅわっと音をたてて降り注ぐ。え、待ってコロッサス溶岩も操れるの?一気に温度の上がった広場にぶわっと汗を浮かべながら、立ち込める熱気と闘気に、ぞくぞくと腹の底が震える。あ、やばい気がする。

「コロッサスの力・・・どんどん強くなってます!」
「オイラにもわかるぜ・・こりゃやべぇ一撃がくるぞ!」

 誰がみてもわかる。感じる。溶岩と一緒になって噴き上がる闘気が、コロッサスの全身から立ち上っていく。ゆらり、とその周辺が熱気だけではなく蜃気楼のように歪んで見えるくらいだ。その中で、ゆっくりとコロッサスが大剣を両手に持ち、高々と天に掲げた。
 ぎらり。コロッサスの目に位置する部分が不穏に光る。天高く突き上げられた剣先が、熱を帯びてかゆらりと揺らめいた。あぁ――来る。

「おいおい、あんなん食らったら一溜まりもねぇぞ」
「逃げねぇとやばいぜ、グラン!」

 しかし、逃げるといってもどこに?私とイオちゃん、ルリアちゃんはコロッサスからやや離れた位置にいることにはいるが、どうもコロッサスの剣筋の軌道上に入ってしまっているようだ。あの攻撃の範囲がどこまでかはわからないが、広範囲なのは間違いない。
 逃げようにも、イオちゃんの詠唱をここで途絶えさせるわけにはいかない。もう少し、もう少しなのだ。また一からの詠唱となると、そこまで兄さん達が時間稼ぎできるかはわからない。だからといって、このまま呆けていても死ぬだけなのだが・・・さて。

「ルリアちゃん、兄さんの近くに。兄さん!!ルリアちゃんをそっちに行かせるよ!!」
――わかった!!」

 声を張り上げ、離れた位置にいる兄さんに告げると、ルリアちゃんに一つ頷いて見せる。彼女も自分が何をすべきかもうすでに理解しているのだろう。頷いて、何も言わずに溶岩の噴き上がる中を兄さんの元まで駆けて行った。

・・・」
「イオちゃんはそのまま。大丈夫、兄さん達ならなんとかしてくれるから」

 だから、何も心配する必要などないのだ。眼差しを和らげ、微笑みすら浮かべて見せる。・・いや、内心めっちゃびびってるけどね!!こんなこと言ってるけど、マジで大丈夫かな?!ってめっちゃ心配してるけどね!!だって!なんかもう周囲の溶岩とか!殺る気満々の様子とか!!すっごい怖い!下手したら、下手しなくても即死レベルの攻撃が今からくるんだから、苦しまずに逝けることだけが救いだな。あれだけの攻撃なら痛みもわからず死ねるだろう。・・・なんて考えは露程にも表に出さず、ひたすら顔面を取り繕う。ここで私がイオちゃんの調子を崩してはならないのだ。その私の理性と度胸を総動員して作り上げた外面を、内心どう感じたかはわからないがイオちゃんは一見素直に受け取ったようで、くっと唇を引き結ぶと剣を構えるコロッサスを見つめて、更に集中力をあげていった。徐々に徐々に集まっていく魔力の大きさに、私も逃げ出したい心境を堪えてゆっくりと五行の力を上乗せしていく。イオちゃんの気が乱れないよう、そして気づかれないように、細心の注意を払って紛れ込ませる。

「コロッサスよ!今こそ我らが悲願の一撃、奴らに食らわせるのだ!!」
「ザカ大公――その悲願、僕達が打ち砕く!!」
「抜かせ!!我らの悲願、そう容易く打ち砕けるほど軽くはないわ!!」

 グラン兄さんとザカ大公の掛け合いが響き合う。どちらの主張も真っ直ぐで、ぶつかり合うのは何も言葉だけではない。コロッサスが、その巨体に見合った大剣を、その気迫、熱量、想い――全てを籠めて、振り下ろした。



 次 元 断



 コロッサスの持つ巨大な剣と、兄さんの持つ小さな剣がぶつかり合う刹那、圧倒的な光と衝撃が、周囲を埋め尽くした。貫くような閃光が、地下の天井を突き抜けて遥か遠くへと伸びていく。全身を打ち付ける衝撃波にずりり、と下がる足元に本当は一瞬飛ばされそうになったのだけど、かろうじて重力に従い浮き上がることのなかった体は地上に留まり、強く閉じていた目をそろそろと開ける。最初に確認したのは背中に庇ったイオちゃんだ。こんな貧弱な私でも多少の壁にはなったのか、イオちゃんは杖を構えたまま杖先に力を溜めていてほっと安堵の息を零す。大丈夫、生きている――ということは、だ。一時的に音を失くした無音の世界が広がる中―――その光景は、言葉を失くすには十分すぎた。
 コロッサスの身の丈ほどもある巨大な剣を、小さな人である兄さんが受け止めている。ギリギリと鬩ぎ合う中、押し潰されていないことが不思議なぐらいだが・・・蒼く光る傍らの人影が、その答えだ。少年と少女を守るように、ドラゴンを従えた女性がふわりと周囲を囲む。両手で包むように、兄と一緒にコロッサスの大剣を受け止めているのだ・・・あぁ、ティアマト。

「僕達は空の果てに行くんだ・・・ここで折れるわけにはいかない・・・!」
「な・・・!」
「お願い。ティアマト!力を貸してっ」

 ルリアちゃんの声に応えるように、ティアマトがコロッサスを見つめる。その眼差しが一瞬憐れむように眇められると、その瞳はキラキラと力を増してティアマトは手を振り上げた。
 瞬間、かつては私達に向けられたこともある3つの巨大な竜巻が、コロッサスめがけて放たれる。それはコロッサスの大剣を押し返すかのように剣ごとコロッサスの体に叩きつけられ、必殺の一撃を受け止められたこと、それを押し返されたこと、攻撃を受けたこと――全てが重なったのか、巨体が胸をのけ反らせて動きを止める。

「まだだ・・・まだ我らの悲願は、終わってなど・・・!」」
「師匠、もう終わりだよ」

 大公の驚愕の声が、動きを止めたコロッサスに未練がましく縋りつく。その未練を断ち切るように、イオちゃんがコロッサスに向けて杖先を定めた。

「あたしはあの巨人を倒す。倒して、貴方に笑ってもらうの」
「・・・それが、お前の答えか」
「うん。だって、師匠笑ってないんだもん。ごめんね師匠。でもあたしは・・師匠の弟子だから。魔法は笑顔のためにあるって、誰かを笑顔にするために、魔法はあるんだって、師匠に教えてもらったから・・・師匠が、教えてくれたから!」

 ぶわっと、力が脈動する。足元から噴き上がる魔法陣からの魔力の波動が波を打ち、イオちゃんの衣服と髪をばさばさと煽った。

「見ててよ師匠。師匠仕込みの最強で最高な魔法で――あたしは貴方の笑顔を取り戻す!!」



エ レ メ ン タ ル ガ ス ト ! !



 イオちゃんの杖先から、今まで溜めに溜めてきた水気を纏った魔力がコロッサスに向けて放たれる。青白い光と清涼な空気、飛沫すらも感じる水気の波状が周囲の溶岩をも凍らせながら走り抜けた。あまりに水の気が強いのだろう、飛沫と氷の粒を飛ばしながら、イオちゃんの一撃が過たずコロッサスを貫いた。轟音が響き渡り、とうとうコロッサスが膝を突く。徐々に、徐々に。赤く燐光していたコロッサスの目に灯っていた狂気が薄れ、沈黙すると、それに釣られたのか暴れていた溶岩も静まり返り、広場の中は静寂が満ちた。
 コロッサスの足元には先の攻撃で取れた腕と、真っ二つに折れた剣が転がり、膝を突き項垂れている姿はまるで使い終わり仕舞い込まれた人形のように物寂しい――その体から、しゅわり、と影が消えていく。光に紛れ、消えていくその姿は、どこか満足そうにも見えて、私は人知れず胸を撫で下ろした。・・・悪夢から、ようやく解放されたのだ。

「ああぁぁぁ・・・コロッサス・・・我らの悲願が・・・同胞達の夢が崩れてしまう・・・」

 敗北し、沈黙したコロッサスに、大公が手を伸ばす。諦めきれない夢に縋りつくように、両の目から滂沱の涙を流しながら、ふらふらと体勢を崩して両膝をついた。そう、それはまるで、コロッサスと同じような体勢で。その瞬間、ゴゴゴゴ、と地鳴りが響き渡り、ぐらぐらと揺れる地面にぎょっと目を見開く。天井から瓦礫が崩れ落ちてきて、ドゴォン、と地響きと土埃をあげて地下空間が崩れはじめた。マジか!!

「地下で崩壊オチとかお約束か!!」

 爆発オチ並に定番すぎてご遠慮願いたいわ!思わず不満をぶちまけるように叫ぶが、上手い具合に崩落音と重なって周囲には届かなかったらしい。いやそんなことに安心している場合ではないのだが、揺れる地面に蹈鞴を踏み、私は急いで駆け出した。

!?」
「師匠!!」

 兄さんの声とイオちゃんの声が重なる。―――やらなきゃいけないことがあるんだよ!
 周囲の様子も眼中にないのか、膝をついてコロッサスを見つめて放心している大公に駆け寄り、ばっと勢いよく片手を振り上げる。――ごめんなさい!!
 ばしぃん、と、響いた音も崩落音に紛れているといいのだが。振り抜いた右手がじんじんと熱さを伴う。叩かれた拍子に向いた大公の横顔を見つめ、パラパラと頭上に振ってくる小さな石から頭を庇いつつ胸倉を掴んでこちらを振り向かせた。

「ぼけっとしてないで立ってください!死にたいんですか?!」
「あ・・・」
「何のためにイオちゃんが体を張ったと思ってるんです!?――言っておきますけど、ドラフ族は怨念だけ籠めて、コロッサスを作ったわけじゃないんですからね」

 ぐいっと顔を近づけ、そう低く囁くと大公の目が大きく見開かれた。え、とばかりに私を見つめる目には理性の色が戻り、赤い双眸はあの妄執に取りつかれた狂気性が失われている――よし。荒療治だが浄化が利いてるな。舐めるなよ、真言を唱えなくても、白龍の神子は触るだけで呪詛を浄化できるんだぞ!今の私にできるかは賭けみたいなものだけどね!存外に人を叩くと言うのはこちらにも地味にダメージがくる。じんじんと痺れる手をぷらぷらと揺らしながら、ほら立って!とザカ大公を追い立てた。それに状況が上手く呑み込めていないのか、目をしきりに瞬きさせながらカクカクとぎこちない動きで大公が立ち上がろうとして、一際切羽詰った声が崩壊音に紛れて聞こえた。

「危ないっ!!」
「・・・っ!?」

 咄嗟に上を見上げれば、一際大きな瓦礫が迫りくる光景が視界一杯に広がる。
 ひゅぅっと息を呑み、体感にしては長く、現実としては瞬く間の出来事をどう処理するべきか、脳内が目まぐるしく回転する。逃げる?駄目だ、時間もタイミングもすでに逸した。逃げられない。逃げられない?このままじゃ潰される、駄目だ、でももう。すぐそこまで迫りくる瓦礫に目が離せないまま、固まっていると不意に腕が強く引っ張られ視界が暗闇に覆われた。はっ、と驚いて息を零すと背中を誰かにぎゅっと強く抱きしめられている感覚がし・・・一拍後、ここが大公の腕の中だと気が付いた。

「師匠ーーーー!!!」

 私を庇うように背中を丸め、体全体で私を包む力強さ。イオちゃんの悲痛な声が聞こえ、一際強く背中に回された腕に力籠った頃、がしゃん、と金属音が耳に響いた。同時に、何かと何かがぶつかる大きな音も。大公の逞しい胸筋に顔を押し付けられたまま、一向に訪れない痛みと衝撃にあれ?と首を傾げた。・・・生きてる?

「コロッサス・・・なぜ・・・」
「えっ」

 大公に抱きしめられたまま不思議に思っていると、茫然とした声で大公が掠れ声で呟き、慌てて腕を突っ張って大公から離れると広がった視界に映った光景に益々目を見開いた。
 コロッサスが、腕を伸ばして、大公の頭上を覆っていた。それはまるで、私達を、落ちてくる瓦礫から庇うような仕草で、事実、落ちてきていたはずの瓦礫はコロッサスの腕に遮られて私達には傷一つない。ポカンと見上げていれば、よろよろと大公がコロッサスに近づき、震える手を伸ばした。

「わしを、守ったのか・・・?」

 コロッサスは答えない。ただ、落ちてくる瓦礫から庇うように、ひたすらに手を差し伸べ続けるだけで。その姿が何よりの答えのように見えて、どうしてこう星晶獣ってのは、と私は沈黙するコロッサスに頭を抱えた。優しすぎるってのも考え物じゃないですかね?本当に。

「コロッサスは大公様に伝えたかったんだと思います」

 横から入ってきたその声に、大公がのろのろと視線をコロッサスからルリアちゃんに移すと、胸に手をあてて微笑むルリアちゃんが立っていた。ルリアちゃんは胸にある青い石に手を触れ、大公とコロッサスを見つめて目を細めた。

「伝え・・・?」
「はい。コロッサスは、大公様にこう伝えたかったんです」


 ―――悲しみに寄り添ってくれて、ありがとう。


 大公の喉が引き攣った不自然な音が聞こえて、口元が戦慄いた。それから茫然とコロッサスを見上げ、やがて感極まったように両手で顔を覆い蹲る。蹲った大公から、あぁ・・と感嘆の声が吐息のように零れ、体を震わせた。

「コロッサス、あなたの悲しみは私が一緒に連れて行きます。だから、おやすみなさい」

 ルリアちゃんから光が零れ、コロッサスを包み込む。優しい、朝日にも似た光は悪夢から覚めた証のようでもあって、コロッサスの体から徐々に抜き出て吸い込まれていく力に目を細めた。

「・・・コロッサス、あなたの願いは叶った?」

 小さく問いかける。夢見たあの日、聞いたあの声の答えを求めるように。
 言葉はない。声もない。沈黙は続き、けれど、コロッサスは満足そうに、その目を閉じたように見えた。

 夢の終わりに、次は何を夢見ようか。

 できれば眠る貴方の夢が、穏やかな幸福で彩られますように――過去が願った、そのままに。