蒼天の花



 イオちゃんと一緒にビィを人魚・・・龍魚?にしようと砂のアートを造っている最中、不意に呼ばれたような気がして顔をあげた。思えばこんな悪戯めいた遊びをすることなどなかったなぁ、と思いつつ手を止めて振り返ると岬の先、岩場がゴロゴロとしているところにふわり、と靡くものを見つける。潮風に煽られるようにひらひらと、膨らみ、揺れて、ちらちらと見え隠れするその無言のはためきを見つめ、僅かの逡巡の後溜息を軽く吐く。掌についた砂をぱっぱと軽く払って、よっこいしょ、と重い腰をあげた。
 急に動きを止めて立ち上がった私に、ビィの悲鳴にニタニタと悪戯っ子のように悪巧みの顔でひたすら埋め立てていたイオちゃんが、きょとんとした顔で見上げてくる。

「どうしたの?
「ちょっと向こうの岬まで行ってくるね。イオちゃん、後は任せたよ」
「ちょちょちょ、お前、オイラをこのままにしておくつもりかぁ?!」
「えー・・・しょうがないなぁ。何か見つけたら教えてね!」
「了解。ビィはもうちょっと頑張れー」
「薄情もの~~~!!」

 ビィの悲痛な声に、一緒になって埋め立ててたんだから今更じゃない?と思いながら、イオちゃんの要望に片手をあげて答えて、ビーチチェアの上で日光浴をしているラカムさんと・・・バザラガさんの後ろを駆け抜ける。

「ん?何処行くんだ?」
「ちょっとそこの岬までー。30分して帰らなかったら何かあったと思ってくださーい」
「不穏だなおい!?」

 多分そこまでかからないと思うし、まぁ一応念の為。だってここ一応戦争中だし?おまけに魔物も出ないわけじゃないらしいし?何かがある可能性がないわけじゃないので、時間制限は必要かなって。まぁ30分以内にヤラれたらおしまいだが、30分以上持ちこたえられるように頑張ろう・・・。寝そべっていたラカムさんに子供が親に行先を告げるがごとく気楽な態度で伝言を残し、ちらり、とラカムさんの横で日光浴をしているバザラガさんに視線を向ける。こちらを気にも留めていないのか、気に留めるほどの興味もないのか・・・フルフェイスマスクのまま日光浴ってどうなんだ?という私の疑問を置いてけぼりにして、異様としか言いようのない光景からそっと視線を外した。
 ラカムさんは、呑気に見知らぬ人を交えて遊んでいることに「こんなことしてていいのか?」と疑問に思うのではなく(いやそれも大事なんだけど)その横で明らかに日光浴に向いてない恰好の男の人と並んで寝そべっていることに疑問を持つべきだと思う。
 危ない光景だよね、あれ。そう思いながら、まぁ、実害が出ていないのなら今の所無視していい問題かな、と自己を納得させて岩場の岬へと向かった。本音を言うなら変態みたいな恰好をした男の人のことをそれ以上考えたくなかった、というのもあるんだが、見た目はともかく多分中身は比較的まともそうなんだよなぁ、あの人。あの女性2人、というか主にゼタさんとのやり取りを見てると女性に振り回されるのをそれなりに許容している度量のある男性、って感じ。まぁゼタさんの口の回りようと気の強さから諦めもありそうだけど・・さておき。ビーチサンダルで岩場を登るってちょっと危ないよね、と思いながらさくさくと件のはためくものが見えた場所まで行くと、岩場の影から、ひらりひぃらり、とマリンブルーのスカートの裾が潮風に煽られて揺れているのがはっきりと見えた。
 そろり、と影から様子を伺うように顔を覗かせれば、こちらに背中を向け、濃いチョコレート色をした腰まである長い髪をさらさらと揺らす華奢な女性の後ろ姿だとはっきりと判別できる。地元の女性なのだろうか?なんとなく後ろ姿だけでも美人さんな気配を感じながら、女性に向けて声をかけた。

「こんなところで、何をしているんですか?」

 言外にあんまり端に行くと危ないですよ、と込めつつ地元の人なら杞憂かな、とも思ったが、声に反応して振り返った女性の姿をみてぎょっと目を見開いた。・・・身重じゃないか、この人!しかも結構お腹が大きい。臨月か?ふっくら、の度を超えて膨らんでいる腹部を支えるようにあるいは愛おしげに触れている手に、太ってるとかじゃなくて確実に妊婦だと察せられて眉を潜める。私のそんな様子など気にもかけない様子で、潮風に長い髪を柔らかに煽らせて、お姉さんはきょとん、と目を丸くして小首を傾げた。

「あら、珍しいお客さんね」
「ついさっき島に来たばかりなので。お姉さん、いくら慣れてるとはいえそんな体でそんなところにいるのは危ないですよ」

 まかり間違って踏み外しでもしたら旦那さんが絶望しますよ。そういって手を差し伸べると、お姉さんは益々目をきょとんと瞬かせ、私の手と後ろの崖を見比べて、ふふ、とはにかんだ。

「そうね、もしものことがあったら夫が泣いちゃうわ」
「愛されているようで何よりです。お節介ついでに、潮風も当りすぎるとあまりよろしくないと思うので、早目に還られることをおすすめします」
「この海も潮風も優しいから大丈夫だとは思うけど・・・でも、そうね。親切な子の忠告は聞いておかなきゃね」

 そういって、くすくすと笑いながら差し伸べた手を取ってこちらにゆっくりと歩いてくるお姉さんは、重たそうにお腹を支えて少し辛そうだ。よくまぁそんな体で、思ったが、それほどに思い入れが深いのかもしれない。とりあえず近くの少し休めそうな場所に目星をつけて、そこにそっとお姉さんを誘導した。アウギュステの日差しは強く、あまり長時間当たっているのはよくないだろう。日陰に誘導し、来ていたラッシュガードを脱いで軽く折り畳んでからその上にお姉さんを座らせる。

「そんなに気遣ってくれなくても大丈夫なのに・・・」
「妊婦さんに気遣いすぎて悪いということはないですよ。過保護すぎるのは問題でしょうけど」
「あの人に聞かせたい言葉だわ」

 申し訳なさそうに眉を下げて、ほっそりとした指先を頬に添えたお姉さんに男にはどうやっても理解できない事柄ですからねぇ、と深く頷いた。かといって私も妊婦の気持ちがわかるのかと言われると正直なところわからないだのが、優しくして悪いということはないだろう。経験者と非経験者の違いだなぁ、としみじみしつつ、お姉さんの横にどっこいしょ、と腰を下ろす。鼻先を掠める強い潮の匂いを感じながら、キラキラと陽光を反射する青い海を見下ろした。

「そんな体で、なんでこんなところに?」

 雑談を続けるように問いかけると、お姉さんは少しだけ口角を持ち上げ、海を見つめると穏やかに目を細めた。

「久しぶりに懐かしい人をみたものだから、つい」
「それにしても危ない所だと思いますけど、あそこは」
「あそこに立つとね、夫の艇が帰ってくるところがよく見えるの。夫は、危ないからあんまり来るんじゃないっていうんだけど・・・やっぱり、一番に顔が見たいじゃない?」

 そういって、くすくすと笑ったお姉さんはほんのりと頬を染めて楽しそうだ。きっと慌てふためく旦那の顔を思い浮かべているのだろう。服と同じマリンブルーの双眸を細めて、いとおしげに膨らんだお腹を撫でる姿は母であり妻であるものの顔だ。
 愛されている自負と、これからもっと愛しいものに出会えると言う幸福に彩られて、その表情は今まで見たどんなものよりも美しい。幸せそうだな、と思わずこちらも幸せな気持ちになるが、しかし旦那の気苦労を思うといささか同情心も芽生えるというものだ。
 彼女は現地人でこういう岩場も慣れているのだろうが、身重の身で切り立った岩場に足を運ぶというのはオススメできない。何かの拍子に転んでも事だし、まかり間違って足でも滑らせて崖から落ちたらそれこそ目も当てられないじゃないか。幸福から急転直下の不幸へまっしぐらである。

「旦那さんに会いたいのはわかりますけど、流石にその体でこの岩場は危ないですよ」
「うーん、慣れてるから平気だと思うんだけど・・・」
「慣れてる、ってのが一番危ないんですよ。油断しちゃいますからね。それで万が一があったら・・・後悔するのは貴女です」

 旦那も悲しむだろうが、そんなことをしてしまった自分を一番に責めるだろう。そんなの誰も幸せになれない、とぼやくと、お姉さんは軽く目を見張り眉を下げるとそうね、と神妙な声で頷いた。

「その通りだわ。もしも、この子に何かあったら・・、きっと、後悔してもしきれない」
「負うべきじゃないリスクは避けるべきですよ。さ、そろそろ還りませんか?長くいるのは、あまり体によくありませんから」

 他に何かあれば、手伝える範囲で手伝いますよ、と手を伸ばすと、女性は私と私の手を見比べ、それからふふふ、と笑い声を漏らした。さっきから始終楽しそうだなこの人、と思っていると大丈夫よ、と私の頭にその白いたおやかな手がすっと触れる。久しぶり、いや、この世界に生まれて早々、滅多にない感覚に多少驚いて瞬きをすると、お姉さんはそんな私を見て益々楽しげに笑った。

「ちょっと気になったから来ただけなの。迷っているわけではないから、安心して」
「そう、ですか・・・?」
「この海は優しいから・・・私のようなモノでも、あたたかく迎え入れてくれる。今日はいい日ね。あなたのような優しい子と話せた上に、久しぶりにあの子にも、あの人にも会えたんだから」

 ・・・早とちりだったか?晴れ晴れとした顔でそういった女性に影は無く、虚ろさもない。むしろ心残りなど何一つとしてないかのように清々しささえ感じて、首を捻りながらそれならいいんですけど、と呟いた。お姉さんは微笑みを浮かべ、頭に置いていた手を動かしてするりと頬を撫でた。たおやかな、とはいったが、水仕事をする女の手は少々かさついていて、家事に勤しんだのであろうその指先に身を任せるように顔の向きを固定する。ひんやりと伝わる冷たさは、日差しに火照った熱を冷ますのに心地よく、掌を押し当てるように頬を包んだ女性のマリンブルーの瞳がきらりきらりと光り、とろりと水面のように揺らいだ。

「でも、そうね。あなたの言葉に、甘えていいのなら・・・」

 少しだけ寂しげに、お姉さんが囁く。淡くふっくらとした唇が震え、長い睫毛に一瞬、マリンブルーが遮られた。

「あの人と、あの子を――、」

 潮の匂いが強くなる。波音が近づき、岩肌に叩きつけるような音が響いた。ぱちん、と瞬くと、そこに、もうあの人はいない。辺りを見回して姿を探してみるものの、影も形もなく、ただ強い潮の匂いと、ラッシュガードが濡れたように色を変えているだけだった。そのラッシュガードに触れば、冷たく湿っている。これを着るのかぁ、と思うといささか憂鬱な気にもなったが、この日差しならばすぐに乾くかと思い直して、さっさと上着を羽織った。さすがに前を締める気にはならなかったので開けっ放しで、潮風に膨らませながら崖側に足を進めると、波が少々高くなってきたのか、白く泡立ちながら岩肌に寄せる波が見えた。あの音はこれか、と瞬いて再度遠くを見るように海を見下ろす。
 ・・・・なんか、随分と荒れてきたな?先ほどまでの穏やかな様子とは異なり、どんどんと波が高くなっているような気がして眉を潜めた。気配も、なんだか、随分乱れている、ような気がする。肌を撫でる気配が、ぞくりと背筋を冷たく撫であげるような仄暗さを感じて、粟立つ肌を宥めるように二の腕を撫でた。濡れた服を着ているからではない悪寒を感じる。・・・あまりいい兆候ではなさそうだ、と眉間に皺を寄せると、背後から突き放すような鋭い声がかけられた。

「――そこで何をしている」
「っ!」

 勢いよく振り返ると、咄嗟に息を呑んで体を強張らせた。・・・気配に、気付かなかった。いや、そもそもにしてそんな歴戦の戦士のごとく鋭いわけでもないのだが、それでもそれなりに周囲に気は配っていたつもりである。その注意をいともあっさりと潜り抜けて背後を取られるとか、心臓がいくつあっても足りないのだが・・・背後に立つ人物を見るだに、しょうがないのかもしれない、と諦めが過ぎった。
 漆黒の鎧を隙なく着込み、腰に重厚な剣を差し、潮風にマントを躍らせている姿は私などがどうこうできるような人ではないように見える。何より張りつめたようにピンと緊張感を孕んだ空気が、鎧の人が現れてからの威圧感、オーラ、というものか、そういうものを感じさせて一気に戦意を削がれた。いや、無理だ。これどう足掻いても私がどうこうできる相手じゃない。如実に実力差というものを感じ取れて、時間稼ぎもできるかどうか怪しい、と思いながら小さく両手を上に上げた。とりあえず戦意はありませんとだけ表示しておこう。そして関係ないが、この常夏のリゾート地に怪しい黒い甲冑姿は流行ってるの?トレンドなの?暑くない?その恰好。余所事に思考を回すことで圧迫感に押し潰されそうな精神を誤魔化しながら、ごくりと喉を鳴らした。

「黒、騎士・・・?」
「戦時中に1人で行動するとは、随分な自信だな」

 なんとなく、兄達が言っていた人物と合致する気がして乾いた口で呟くが、肯定も否定もされないまま小馬鹿にするように鼻で笑われた。・・・反論の余地もねぇ。いやしいていうなら、自信も何もないんですけど、えぇとそうですね。普通1人で行動なんてしませんよね、と項垂れるしかない。まぁ敵と思しき人相手に視線を外すことはしませんけど!
 皮肉られたそれに言い返すこともせず、黒騎士(と思われる)の動きを注視しながら、震える声を誤魔化すように細く息を吐き出した。

「そちらこそ、こんなところに1人で来るなんて不用心では?」
「貴様と一緒にしないで貰おうか。そこらの破落戸や魔物程度、どうとでもなる」

 くく、と兜の下で嘲るように喉を鳴らした。ハスキーな声がくぐもって聞こえにくいが、まぁ確かに、と納得せざるを得なかった。暫定黒騎士ならば、そりゃそこらの魔物も破落戸も話にならないだろう。右往左往するしかない私とは雲泥の差である。
 いや、まぁ実力差はさておき、帝国の最高司令官ともあろう立場の人間が、1人で行動することが奇怪なんだが、と思いながらもそんな疑問に答えてくれるはずもないか、と諦めて私はどうこの場を切り抜けたものかと眉間に皺を刻んだ。・・・あの騎士の横をすり抜けて無事に兄さん達のところに戻るとか、難易度エキスパートすぎて無理なんですけどちょっと。ていうかなんで私がこの人と単品エンカウントしてるの?可笑しくない?この人の目的ルリアちゃんじゃなかったっけ?・・・はっ。私を人質にしてルリアちゃんをおびき出すとか!?やりそう!てかやられそう!!駄目だなんとかして逃げないと。いざとなったらここから飛び降りて・・・いや生きてても体力不足で岸に行くまでに死にそうだわ。あとホント海が荒れてきてるんだけどねぇちょっと何が起きるの?!
 どう見ても足掻いても四面楚歌。詰んだとしか思えない状況に一瞬遠い目をしかけたが、突如爆発音のような轟音が響き渡り、立っている岩場も揺れて蹈鞴を踏んだ。いやちょ、ここ崖の端!一歩間違えれば落ちる!落ちるから!!ひえっと肝を冷やしながらも持ちこたえ、爆発音がした方向を見やると目を見開く。また、ぴか、と閃光が走りそれを追いかけるように爆音が空気を伝い海を震わせた。――浜の方からだ!!

「兄さん・・・っ」

 明らかに戦闘行為、またはそれに準ずる何かが起こったに違いない。爆発音など不穏極まりない、と顔から血の気を引かせると、あぁ、とくぐもった声が聞こえた。

「どうやらポンメルン達と交戦を始めたようだな」
「っ」

 なんでもないことのように言われ、咄嗟に黒騎士を睨みつけながらじりじりと距離を測る。こう言うということは、やはり兄さん達のところにこの騎士が帝国兵を送り込んだのだろう。
 そして今、兄さん達と帝国兵が戦っているということで・・・ふざけんな!今あの人達武器はあるとはいえ武具なんて身に着けてない無防備状態なんですけど!水着だよ!?ほぼ裸も同然よ!?それで戦うとか、身を守るものが何もないじゃないか!焦燥に駆られて奥歯を噛みしめると、黒騎士は何を思ったのかばさっとマントを翻して私に背を向けた。え、と不意を突かれて目を丸くすると、背中を向けた状態で黒騎士が口を開く。

「行かなくてもいいのか?今回のあいつらは、今までと一味違うぞ?」

 もしかしたら殺されるやもしれんな、とこちらの警戒心など素知らぬフリで平然とのたまう姿に何がしたいのだろう、と思いながらも、浜辺と黒騎士を見比べ、やがて深く溜息を吐き出して駆け出した。見逃してくれるというのなら、それに甘えるしかない。黒騎士の近くを通り過ぎるが、手を出してくることもなく無言で見送られて、一瞬後ろを見たがすでにあちらも背中を向けてどこかに歩き出しているぐらいだった。
 ・・・本当に、行動の意味がよくわからないが、恐らくこれもなんらかの意味があっての行動だとは思う。戦闘力の乏しい私1人見送ったところでどうにもならないと高を括っているのかもしれないけど。まぁその通りだけど!向こうに行ったところでできることなんて何もないんだよなぁ、と思いながら、それでもさすがに何も見えないところで気を揉むのも精神的に辛い、と岩場を飛び降りて砂場に着地した。
 黒騎士の考えていることはわからない。どうも行動がチグハグしているというか、正直わざわざ現場に来ているのなら、一度か二度失敗した部下を使うよりもさっさと自分の手でルリアちゃんを連れ戻すなりした方が手っ取り早いと思うのだ。ゲームだの漫画だのの様式美など現実では不要なわけだし。兄さん達の戦力を図るにしても、確かバルツでも居たとカタリナさん達は言っていた。実力ならあの時点でおおよそ把握できたといってもいいだろう。それに、対峙してわかったことだが、あの人、現段階で確実に兄さん達より強い。七曜の騎士とかいうべらぼうに強い騎士の一角を担うというのだから、当たり前なんだろうけど。それこそ束になったところで返り討ちになるんじゃないかと思うぐらい、纏う覇気が違うのだ。それなら、さっさと自ら奪還に乗り出すべきだと思うのだが・・・けれどそれをせずにこんな岩場に1人できて、私を人質にするでもなくわざわざ見逃す。まぁ、私と遭遇したのは偶然だと仮定しても、見逃すという行為がいまいちわからないのだ。非効率的というか、要領が悪いというか・・・何か他に目的があってわざと泳がせているのでは、と勘繰らざるを得ない。
 魔晶の研究にルリアちゃんが必要だから取り返したいとして、それをせずに泳がせる意味・・・ルリアちゃんの最大の特徴といえば、星晶獣の力を吸収して、使用できるという点・・・はっ。

「まさか、わざとルリアちゃんに星晶獣の力を集めさせてる・・・?」

 走りにくい砂浜を走りながら、思い当たった理由に足を止めて乱れた息を整える。・・・なるほど。集めさせる理由まではわからないが、それを目的としているなら黒騎士の非効率的な行動の意味はわかる。元々、そういうつもりでルリアちゃんを研究対象としていたが、彼女自身が旅をする上で星晶獣の力を吸収していくならそれでも良い、ということかもしれない。それなら私達を捕まえず泳がせておくことも、自ら手を出さないことも理由付けができるというものだ。
 じゃぁ、このまま旅をして星晶獣と関わることはあまり好ましくはない・・・?集めさせる理由など、基本的にろくでもないことだと思うし・・・。世界規模で滅亡の危機とかそんな危ないことになるんだったら、星晶獣と関わらせるのはよくないはず。
 しかし、そう察して接触を避けたとしても、そうなるなら自ら関わらせるまで、と黒騎士自ら奪い取りに来られたら抵抗できる気がしない。あと現状、どう足掻いても星晶獣と接触することは回避不可能状態となっているわけだし・・・。

「・・・兄さんに強くなって貰うしかないかぁ・・・」

 災厄さえも退けるパワーを身に着けて貰うしかないよなぁ、これ。仮に黒騎士の目的通りに星晶獣の力を全て・・・そういやどこまで必要なんだろうな?確実に四大要素までは必要として、それ以上いるのか?・・まぁとにかく、黒騎士の求める水準まで行ったとしたら、確実にルリアちゃんが狙われるわけだし。守れるぐらいに強くならなくてはならない、が・・・強くなるってどうやるんだろうな、としみじみ思う。
 ゲームみたいにレベルが上がった!技を覚えた!とか目視できたりすりゃいいけど、そんなシステムが現実に投入されてるわけがないし。強くなるって難しいよな、と思っているとひゅう、と強い風が砂浜の砂を巻き上げた。目を閉じて砂の礫から顔を庇うと、ゴロゴロゴロ、と低く太鼓を叩くような音が空から聞こえて上を見上げる。気が付けば、あれほど晴天だった空が今にも雨が降り出しそうな暗雲に覆われ、時折雲の隙間からピシャリ、と雷光が閃いた。ぴゅう、と吹く風も南風の暖かさとは異なり、湿った空気を伴った冷たいそれで、生乾きの服の上からでは寒さにぶるりと体を震わせる。
 ・・・あ、これ明らかにヤバい奴。頬を引き攣らせながら顔を海に向けると、ちょっと荒れてきたなー程度だったそれが、最早大嵐の真っ只中とでも言わんばかりに高く荒れ狂う波の有様に様変わりしており、波打ち際の潮の引き方も、やたらと下がっているように見えた。同時に、震えるような濃密な怒りの気配を感じてきゅっと心臓が縮こまった。
 怒っている。海が、あれほどまでに穏やかに見守っていた海原が、今、正に、逆鱗に触れられて激怒している。それと同時に、足元からぞわぞわと這い上がってくる悪寒は海の怒りとは別種の生臭い気配で。・・・・やばいやばいまずいまずい。これアカン奴――!!
 ぎゃあぁ、と内心で悲鳴をあげながら、脱兎のごとく駆けだして兄さん達の元に向かった。そうして走っている内に、ピカッと雷光が頭上を走り、ぞぞぞぞぉ、と力が海のある方向に集まっていく気配がする。その方向に顔を向けると、私はぐしゃり、と顔を顰めてなんだよぉ、と泣き言のように悪態を吐いた。

「バカンスは何処行ったのさぁ・・・!」

 いや戦闘行為が始まった時点でそんなものないに決まっているのだが、それにしたってこんな短時間でボス戦までこなさなくてもいいと思わないか?軽い絶望感と共に見つめた先では、ずろろろろろ、と長い胴体がくねるように海上で蜷局を巻く様が見えた。蛇のようにも、龍のようにも見える。離れていてもわかる巨体。長い胴体が鎌首をもたげ、ひれで海面を打つと一際高い波が上がる。ザパァン、と押し寄せる波が一層激しさを増し、これは放っておけば大津波になるのでは、と顔から血の気を引かせた。青銀に輝く鱗は硬そうで、鉱石のようにも見える。雷光を受けて時に虹色に煌めきながら、海の上に姿を現した姿は、リヴァイアサン――伝説の海の怪物の名をそのまま体現したかのような、神秘的且つ恐ろしい姿だった。
 ぎょろり、とリヴァイアサンの眼光が光を放つ。何かに狙いを定めたように、くわ、と開いた口から、言葉にならない甲高いような、独特の周波数を伴う絶叫が迸った。キィン、と鼓膜に響く音に咄嗟に耳を塞いで顔を顰める。・・・開戦の合図だ。びゅうびゅうと吹く風も荒れ狂う波も、その声を皮切りに一層激しさを増して浜辺に押し寄せる。そしてますます生臭い穢れた気配も増していき、これはリヴァイアサンのせいなのか、あの星晶獣が理性を手放しているせいなのか、どちらが原因なのかもわからないが確実にこのままだとヤバいということだけはわかった。に、兄さーーーーん!!

「グラン兄さん!!」

 急いで戻った浜辺は、まるで地獄のような有様だった。少し前までの穏やかな波も明るい陽射しも爽やかな風もない。楽しげな声が響き渡っていた浜辺は、ぞろぞろと海から這い上がってくる魔物との交戦で怒号と剣戟と銃声の響く阿鼻叫喚と化していた。どうやらオイゲンさん達も加勢して事に当たっているようだが、それにしても魔物の数が多い。
 そのあまりの変わりようにあんぐりを口を開けて、この魔物もリヴァイアサンが・・・?と茫然と海の上で悠然とこちらを睨みつける姿を見上げる。荒れ狂う海の中で、キエェエ、とリヴァイアサンが再び咆哮した。

!無事だったんだなっ」

 魔物を切り捨てた兄さんが、私を見つけてほっとしたように相好を崩す。その声に私の存在を認めたのか、各自魔物と相対していた皆が、口々に私を呼んだ。

、よかった!何もなかったんですね?」
「どこまで行ってたのよ!こっちは大変なことになってるんだからぁっ」
「1人だと聞いたから心配していたが・・怪我がなくて何よりだ」
、お前はちょっとルリアを連れて下がってろ!ここは危ねぇっ」

 最後にラカムさんが銃を魔物に向かってぶっ放しつつそう言うので、それもそうだ、と頷いて戦っている皆の間をすり抜けてルリアちゃんの手を取って後方に下がる。できるならイオちゃんも後方に下げてしまいたいのだが、魔物が次から次へと湧いて出て、彼女が戦っているところまで行くのは難しい。幸いカタリナさんがイオちゃんの傍にいるから、多分大丈夫だとは思うけど・・・。

「ルリアちゃん、一応聞くけどなんでリヴァイアサンが顕現したの?」
「・・・魔晶の影響です。帝国がこの海で、恐らく魔晶の力を使って戦争を優位に運ぼうとして・・・結果、リヴァイアサンの怒りに触れて、帝国の戦艦が海に飲まれました」

 ひとまず前線から引いて、ルリアちゃんを背後に庇いつつ状況を聞けば、鎮痛な表情を浮かべてそう言った。ぎゅっと胸元を飾る宝石の前で手を組みながら、それだけじゃないんです、とルリアちゃんは顔をあげた。

「その魔晶の影響で、今リヴァイアサンは暴走してる・・!この魔物も、そのせいで現れたんですっ」
「あー・・・帝国はホント碌な事しやがりませんねぇ」

 つまり暴走したリヴァイアサンが見境なく魔物を呼び出して襲わせているということか。ある意味でアウギュステを落とすのにこれほどの有効打はなさそうだけど・・・どうも自滅してる感が否めないというか。ていうか帝国の艇が海に飲まれたの?完全に自滅してるよね?

「黒騎士はこれを見越して・・・?」
「え?」
「なんでもない。でも、困ったね。この海岸線を死守しなくちゃ町にも被害は行くけど・・・リヴァイアサンをどうにかしないと解決しないなんて」

 どうやってリヴァイアサンを召喚しようかとは思っていたけど、さすがに島全土を巻き込むような呼び出し方は想定外だ。荒れ狂う海に足場もなくリヴァイアサンまで近づくことは不可能であり、敵が海上にいるなんて動きようがなくて八方塞もいい所である。かといって浜辺を放置して艇までいくわけにも行かないし、そんなことをしたら前線が崩れて魔物が町へと押し寄せるだろう。
 今はリヴァイアサンがなんでか知らんがこっちにロックオンしてくれてるおかげで魔物が集まってきているようだが、何時気が逸れるかもわからないし・・・あと、ひしひしと魔物とリヴァイアサン以外にヤバい気配が濃厚になってきてるんだよね・・・。

「鎮魂の役目も担ってたのかなぁ、リヴァイアサン・・・」

 あの女性は和魂のようだったから問題はなかったが、荒御霊をも扱っているのだとしたら、この暴走に乗じてそれらが解き放たれた可能性が高い。海の平穏を預かるということは、海に消えた魂すらも救うということだ。守り神とはよくぞ言ったものである。

、危ないっ」
「っう、わっ」

 どう動いたものか、と考え込むと、ルリアちゃんの切羽詰った声が響いて、反射的に体を翻して後ろに下がる。その瞬間、今まで立っていた場所に巨大な蟹のような魔物の大きな鋏が振り下ろされ、今まで立っていた砂場の砂を巻き上げて轟音を響かせた。
 衝撃で巻きあがった砂がザザァ、と音を立てて降り注ぎ、私とルリアちゃんを砂まみれにしながらじりじりと魔物が距離を詰めてくる。あ、ちょっと、ちょっと兄さん!こっち!こっち絶体絶命のピンチですよ!!私今武器らしき武器を持っていないんですけど!非戦闘員なのでね!普通のナイフじゃ歯が立たない系でしょこれ?!
 ルリアちゃんを背中に庇いつつ、攻撃手段がない絶望感に蒼褪める。やばい・・・やっぱりまともな武器の1つも身に着けておくべきだったか・・いやでも持っていたところで勝てる気が皆目しないんだが・・・。

・・・」
「・・・ぎ、ギリギリまで引きつけて、兄さん達の方に走ろう」

 多対一ならともかく、こうも魔物に囲まれていたら離れている方が危ない!幸いこっちに来ているのはまだ蟹の魔物一体だけ。躱して逃げればなんとかなる。私の提案にこくこくと頷いたルリアちゃんに、タイミングを見計らいつつ合図を送ろうとした刹那、グケェェッ、と形容できない叫び声をあげて、突然に魔物が背後から襲われた。思わずひえっと悲鳴をあげて肩を跳ねさせたのは反射である。
 背後から襲われた魔物は頭から真っ二つに寸断されて、血飛沫をあげながら左右に分かれた体がバランスを失い倒れていく。えぐい、と思いながらその後ろから現れた大男の姿に、ひくっと喉を引き攣らせた。ぬぅ、と大鎌を構えたまま、フルフェイスマスクが魔物の影から出てくるとなんだかホラー感がすごい。空と海の様子も相まって、暗黒騎士降臨、みたいな不気味さを感じた。また武器が鎌ってのが雰囲気にピッタリで・・・地獄から這い出てきた何かみたいだ。

「あ、ありがとうございます」
「戦えないのか?ならば、あまり仲間と離れるのは得策ではないぞ」

 引いている私とは逆に、ルリアちゃんはきょとん、と瞬くと大鎌を振り回して刃先についた血糊を振り払った大男・・・バザラガさんに助けられたお礼を口にするが、彼は特に気にしないのか、それを受け取るでもなく淡々と忠告を告げた。
 確かにこの状況じゃそうだよね、と頷くしかない内容で、私達が特に武器を持っていないことを言及するでもないバザラガさんはのっそりと動きながら近づいてくる魔物を一閃して薙ぎ払う。やだ・・・見た目通りこの人強いんですけど・・・。
 都合がいいこと言うが、兄さん達の所にいくまで上手いこと盾になってくれないかな、と考えていると、うわ、うわわぁ~~!というあられもない悲鳴が聞こえてきた。
 え?!なに!?誰かやられたの!?ルリアちゃんと一緒に声のした方を見ると、魔物に囲まれた兄さんと・・・ゼタさんと、・・・・ベアトリクスさん?が、見えたけれど、あれ?

「はわわ、大変です!ベアトリクスさんがスライムに襲われてます!!」
「うん・・・視覚的に大変なことになってるね・・・」

 焦ったように私の肩をばんばんと叩いて助けないと!と焦るルリアちゃんに、そうだね、と言いながらも私はやや視線を横にずらして、薄らと脳裏に浮かんだ言語を隠すように視線を泳がせた。・・・いや・・・なんか・・・すごい・・・視覚に危ないというか・・・ベアトリクスさんの恰好が水着なのも相まって・・・あられもない姿すぎるというか・・・触手、げふん。

「・・・あいつは、どうしてああも・・・」

 魔物に襲われているのだから大変なはずなのだが、くそうくそうと軽いパニックになっているベアトリクスさんを眺めているゼタさんが呆れた様子なせいで、あまり深刻な事態のように見えない。ただまぁ、あのままというわけにはいかないよな、と近くにいる兄さんの性癖が大変なことになっても困るので(大丈夫だとは思うけど)助けに、と動いたところで、バザラガさんのくぐもった溜息が聞こえ、のっそりと動くのを視界に捉えた。あ、丁度いいや。あの人の後ろついていこ。
 近くの魔物を軽く一掃したのだろう。特に障害物もなく、バザラガさんは無言でベアトリクスさんに近づくと無造作に鎌を振るってスライムの苗床たる壺を破壊した。バキン、と陶器の割れる音がして、べちゃべちゃとスライムが原型を留めず砂の上に溶けていく。
 ビキニのトップの紐でも解けたのか、前を隠しながらやっぱりあられもない恰好で涙目で座り込むベアトリクスさんに、無性に居た堪れない気持ちになってそっと無言でラッシュガードをその肩にかけた。いや・・・すごくご無体なことをされた女性にしか見えないから・・・実際ご無体なことされていたんだが、構図が大変よろしくないですね、はい。

「あ、ありがとう」
「いえ・・・気を付けてくださいね」

 肩にかけられた服の前を掻き集めて、動揺を隠せないように僅かに上擦った声になるベアトリクスさんに小さく微笑みかけ、改めて兄さんを振り返る。
 ビィのなんともいえない白けた目が、よほど間の抜けた状況だったのだなぁ、と思わせたが兄さんはバザラガさん、ベアトリクスさん、ゼタさんを見比べて怪訝そうに眉を潜めた。

「あなた達は、一体・・・」

 何者なんだ、という問いかけは、バザラガさんの低い声が遮った。

「そんなことより、今は優先するべき事があるだろう?」

 そういって、バザラガさんの視線が海へと向けられる。正確には、海から這い上がってくる魔物と、その先のリヴァイアサンに向けて、だ。その視線の先を追いかけて、兄さんの顔が引き締まる。きゅっと上がった眉で海を見据えた兄さんはぐっと剣の柄を握る手の力を強めて、確かに、と頷いた。

「その怪しいおっさんの言うとおりだぜ、グラン。今は間抜けな姉ちゃん達よりも、うじゃうじゃくるあいつらをどうにかすることの方が先決だぜ」
「魔物を街まで行かせるわけにはいかない。この海岸線は絶対守り抜く!」

 ビィの怪しいおっさんだとか間抜けな姉ちゃん、だとかの呼称にさりげなくベアトリクスさん達がショックを受けているような顔をしていたが、フォローのしようがないな、と思う。どう足掻いてもバザラガさんは怪しいし、ベアトリクスさんは・・・多分ちょっと抜けている。さっと視線を外してあえて彼女らを視界から外すと、代わりに私の目には苦しげに呻き声をあげるリヴァイアサンが映った。ぶわり、とリヴァイアサンを覆う瘴気が、彼の星晶獣を縛り付ける光景が見える。その度に、リヴァイアサンは何かに抗うように尾を海に叩きつけ、ガァァァァ!!と叫び声をあげた。苦しげにのたうつ姿は、魔晶に囚われまいと抗っているようでもあり、理性を失い暴れているようにも見える。

「やはり自我を失っているか・・・」
「んじゃティアマトと同じくこっからは荒療治になるのか?」

 その様子をみて、近くで魔物を打ち払っていたカタリナさんとラカムさんが苦いものを噛んだように顔を顰めた。伺うようにラカムさんは兄さん達を見るので、ビィがルリアちゃんを振り返る。

「要は力づくでもリヴァイアサンを大人しくしちまえば!」
「はい!魔晶に穢れたリヴァイアサンの力を吸収できますっ」

 力強くルリアちゃんが肯定すると、イオちゃんが何かを思い出すように一瞬目を伏せ、それから決意したかのような強い目でリヴァイアサンを見据えた。

「お薬は苦いものだわ・・・でも必ず辛いのを治してあげる」
「魔晶の力は放っておけない。必ずリヴァイアサンを助けるっ」

 兄さんの最後の声掛けが、合図だった。弾けるように皆が動き、迫りくる魔物を切りつけ、氷漬けにし、弾き飛ばす。ルリアちゃんは心配そうに強張った顔でリヴァイアサンを見つめ、その横顔から私はそろりと視線を外し、遠く岬の先に目を眇めた。


 ―――私が、しなければならないのは。