実習の悲劇
こんな殺傷力の高い罠、今回の実習場所に仕掛けられてたっけ?
肩を掠めた鏃にバランスを崩し、真下に遠い地面を見つめながら下級生用にしちゃあハイレベルすぎる、と思った私は存外図太いのかもしれない。
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本日の授業内容は、簡単に説明するとこうだ。
いろは組合同の実技実習で、教師側から適当なペアを組まされ、鬼と人に分かれる。簡単に言えば、逃げる人間と追う人間に分かれるということだ。
所謂鬼ごっこに近い内容ではあるが、武器使用可という時点ですでに鬼ごっこを超越している気がする。さておき、逃げる人間は適当な絵柄の書かれた札を所持し、それを持って三日間鬼から逃げれたら勝ち。逆に、鬼に三日の間に札を奪われたら鬼の勝ち。
過不足なく、どちらともに対等の条件ではあるが、いかんせんこの実習の恐ろしいところは必ずしもマンツーマンでなくてはいけない、ということではないのだ。
一応自分のターゲット以外を狩ってはいけないのだが、平たく言えば鬼同士が結託して行動してもなんら問題はないということだ。勿論それは逃げる側にも言えることだが・・・どちらかというとこのルールは逃げる側に不利だと、私は思う。
鬼は札を取るのは確かに己のペア相手のみだけだが、札さえ取らなければどうしようと割りと自由らしく、つまり捕まえた相手を別の鬼に差し出してもなんら問題はない。
鬼は札さえ奪えれば勝ちになるので、誰それが捕まえたからというのはそこまで重要ではないのだ。逆に、逃げる側はこうなるともう鬼全般に気をつけないと生還できない。下手に自分のペア相手だけに気を配ってると横から誰かさんが襲い掛かってくる、なんてことだって起こり得るのだから・・・鬼側よりも磨り減る精神は多いだろう。そもそも追われるっていう時点で極度の緊張感に晒されると思うが。
あぁ・・・早く三日過ぎやがれ。鬱蒼と生い茂る樹木の間を駆け抜けながら、視線を泳がせて隠れる場所を思案する。しかし、隠れるにしてもせめて後ろから追ってくる相手を振り切るか一瞬でも視界の外に入らなければ隠れてもほぼ無意味だ。さて、どう振り切るべきか・・・。
ざざざっと木の葉が体を掠める音を時折聞きながら、やっばいなぁ、と唇を引き結んだ。
後ろから追いかけてきているのは皆本君だ。私のペア相手が彼だったし、確認した顔も彼だったから間違いない。しかし、これはまずい。まずこのまま延々と追いかけられたら先に音をあげるのが私なのは確実だ。そもそも男女間の体力差だけでも不利だというのに、相手があの体育委員会とかどんな罰ゲーム。うん。体力勝負とかマジ無理。
ていうか足の速さとてどっちかというと皆本君に軍配があがるというのに。
日々マラソンをしている体育委員会を舐めてはいけない。彼のクラスにはそれを上回る俊足が2名いるが、それはその二人がダントツなだけであって、普通に見れば皆本君だってかなりの俊足の持ち主である。まぁつまり、速さ体力ともに追いかけっこは圧倒的にこちらが不利なのだ。
それでも未だ捕まっていないのは、私の入る道が彼にとって追いかけにくい道だからだ。あえて鬱蒼と生い茂る場所を背を低くして最大速で走り抜ける。背が小さく小回りが利くからこそ選べる道だ。三年生になってから皆本君結構大きくなってきたからなぁ。こうも鬱蒼としたところで小さい相手を追いかけるにはちと骨が折れるだろう。しかし、それでも彼から逃げ切れているわけではないので、時間の問題なのは確かだ。あぁ、どうしよう。
「・・・目くらまし、しかないよねぇ」
ぼそりと呟く。あぁ、正直数少ない道具を使うのは抵抗がある。まだ始って一日目だ。これからの先が長いというのに・・・しかし逃げ延びなければ意味はないし。
葛藤は一瞬。先々を考えるのは確かに重要だが、目下逃げ切らなければ先もないという現実に、何時までも出し渋りをしていては意味がない。某先輩じゃないが、決断第一!
懐を探り、掌に収まるぐらいの小さな弾を取り出す。所謂目くらまし、煙玉ではあるが、これは火がなくとも叩き付けた衝撃で煙、この場合どちらかというと粉だろう。それが舞い上がる仕組みのもので、火種なんかがない場合は実に便利な代物だ。まぁ、火を使うタイプよりも目くらましの範囲が狭いので、一瞬の囮程度にしか使えないのが難点といえば難点か。
しかし、必要なのは相手の視界から一瞬でも自分を消すことなので、多くは望まない。
ころりとした玉を握り締め、背後を確認。ちらりと、年を経る如になんか鋭くなっているような気がする瞳が、きゅっと細まり更に鋭さを増す。カチリと視線がかみ合った瞬間、皆本君が腰の刀を薙いで一気にスピードを上げてきた。え、ちょ、早いし!!予想外に早いよこの子?!もうちょっと間合いとか測って、というよりも警戒してくるかと思いきやとんだ突進型だな!
予想した反応よりも俊敏な行動に忍びらしからぬ動きでびくっと驚いてしまい、地面に叩きつける予定だった煙玉をまるで反射のように相手に向かって投げてしまった。
あ、と思ったときには眼前に迫ったそれを皆本君が戸部先生仕込みの剣術で真っ二つに切り裂いて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ぼふん!
「わっぶっ!な、なんだこれぇ!?」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・結果オーライ!グッジョブ皆本君!グッジョブ突進型!
謀らずとも地面に叩きつけるよりもより確実な・・・つまり彼の目の前で煙幕がはじけるという幸運に、慌てている隙に一気に身を翻してその場から遠ざかる。本当に顔のまん前で煙玉が弾けたから、あれはしばらく目が使いものにならないだろうなぁ。
不憫に思うもこっちも成績がかかってるとなればうかうかしていられない。彼が動揺している間にやりすごす場所を探さなくては。木々を乗り越え、少し開けた場所に出ると、そこには切り立った崖が・・・あぁ、いや。急ではあるが崖というほど高くもない、斜面だ。飛び降りるのに支障はないが、しかし裏返せば飛び降りるしか術がないと思われる。
まぁ、さしたる問題はないので、気にせずこのまま飛び降りるとしよう。降りた先は更に鬱蒼と生い茂る森だし、身を潜めるには十分だ。辺りの気配に注意しつつ、切り取られたような斜面の縁に足を向けた刹那、ピン、と何かを千切った感覚が足首にかかる。
え?とその感覚に思考を向ける前に、咄嗟に体を横にずらす。振り返り、対象物を確認する余裕はない。が、肩の上を何かが抉るように掠め、顔の横を通り過ぎていった時にだけ、何が飛んできたのか確認ができた。―――弓矢?凄い勢いで飛んでいくそれに目を見開き、いやいやちょっと、殺す気かい、と顔を引き攣らせる。あれ、私、あのまま普通に立ってたら首の真後ろにぶっすりいっていたんですけど。ぞくりと背筋を駆け上った恐怖は、しかし肩に鏃が掠った衝撃に動かした足元の軸がぶれ、崩れたバランスに前のめりになった視界に映ったものに、別の恐怖に取って代わられた。
やばい、落ちる。ざぁ、と顔から血の気を引かせた瞬間、タァン、と恐らくあの弓矢がどこぞの木に刺さったのだろう乾いた音が耳に届いた。
零れそうだった悲鳴は、必死に奥歯で噛み殺して耐える。ここで声をあげることは自分の居場所を第三者に知らせることだ。近くに誰がいるともわからない状況で、悲鳴を出すなどそんな教育はされていない。
重力に引っ張られる体を風が打つ中、着地しなくては、と空中で体勢を立て直す。あぁ全く、ついてない。
なんか今日の実習、そうそうにリタイアした方がいい気がする、と妙な不安感を抱えながら、崩したバランスを立て直し地面に落ちた刹那、ぼこぉ、と不吉な音がした。
「え゛っ」
そんな、保健委員でもあるまいに。抜けた地面に、今度こそ私は己の不運を嘆いた。