地面の底からこんにちは
見上げる空が遠いわぁ。うふふ、と虚ろな笑みを浮かべながら、がっくりと項垂れた。
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じめっと、染み出す水がとても不快だ。ぴちゃん、ぴちゃん、と大きく穴の開いた頭上から落ちてくる水滴が、染み出した水から出来た水溜りに落ちて静かな穴の中で反響する。
見上げた空は遠く、歪な楕円が空の形を限定したものに変え、薄暗い穴の中にささやかといえど灯りを落としていた。真っ暗でないだけマシかなぁ、と思いながら、すくっと立ち上がり壁に手を這わせながら場所を移動する。せめてもうちょっと乾いた場所はないだろうか。かといって頭上に開けた穴から離れるのは心許なく、結果的に少し盛り上がった場所が水が染み出すこともなく乾いていたようなので、腰掛け椅子のようにそこに腰を下ろした。
じんわりと湿った服が気持ち悪い。眉を寄せながら、殺しきれない溜息を吐いて頭巾を解いた。しゅる、と衣擦れの音をたてて解いた頭巾で矢が掠めた肩を覆う。掠めた、といっても擦り傷なんて生易しいものではなかったが。切り傷に近い抉れた後から血が止まる様子もなく流れている。衣服にいくらか染みを広げつつある傷跡に変色の後は見受けられず、今のところ体調に変化もないので毒の可能性はないと思いたい。
が、遅効性だとどうなることか。致死性のものではないことだけは祈ろう。とりあえず応急処置だけはすませ、痛みに眉を寄せながら全くついてない、と再び溜息を吐いた。
落ちた穴は大分広いようで、恐らく地面の底の空洞、地下空間と呼ばれるものだと思われる。永い時を経て、雨水やら地震やらその他諸々、様々な要因が重なり天井部分が脆く薄くなり、そこに致命的な衝撃(つまり私という存在)が落ちてきたことにより、耐え切れずに崩落した、というのが妥当な線だ。うん。それこそ保健委員のスキルを発揮するべきところじゃないか?穴に落ちるのは十八番でしょーよー。
がっくりと項垂れるが、現実は落ちたのは保健委員ではなくて私であり、ここからどう脱出するかと頭を悩ませるのも私だ。壁は地面ではあるが岩のように硬く、果たして苦無が刺さるかどうか不安が残る。かといって誰か助けを待とうにも誰がくるかわからないし、最悪気づかれない可能性の方が高い。まぁ期日の三日を過ぎれば誰かしら行方不明であることには気づいてくれると思うが・・・気づいたところでみつけてもらえるのか。
「ある意味、これで三日過ごせば私の勝ちだな・・」
しかしこんな状態で実習点が貰えるのかどうか。いや、問題はそこじゃないんだけど、割とどうでもいいこと考えないと肩の痛みに気が滅入っちゃうし。なんか今日嫌な予感してたんだよねぇ。遭難、というわけではないがある意味それに近い状態に、ざわめくような不安を抱えつつ苦無を取り出す。・・・とりあえず、この壁に苦無が上手く刺さるかどうかから始めてみるか。うまく行けば脱出も不可能ではない。・・・もっとも、ちょっとばかし肩が痛いので、上手く登れるかどうかにはいささかの懸念を覚えるが・・・ていうかこの状況にもう不安しか残らない。なんだもう。何のいじめだこれ。
最終的に愚痴に発展するのは仕方がないことだと思われる。溜息混じりに重たい腰をあげ、壁を辿りながら比較的苦無が刺さりやすそうな場所を検討し、上を見上げてルートを確認する。いくら苦無が刺さるとはいえ、登りにくい場所など登ったらこの万全とは言いがたい状況では滑り落ちることも有り得る。それでより酷い状態になっては目も当てられないので、ルート確認は大切だ。
そこでふとぬかるんだ足元に気がつき、眉を寄せる。軽く体重をかければたわむように沈み、なんというか、硬い地面とは裏腹に非常に柔らかい感触だ。あれ、なんだこれ不吉な予感パート2。・・・・・・・場所を変えよう。触れた壁は柔らかく、苦無を刺すにいい物件だとは思うが、いかんせん足場がこれじゃ心許なさ過ぎる。折角いい感じなのになぁ、と未練がましく壁を見れば、唐突にずぼぉ!!と壁の一部が崩れ、あまつさえそこから、人の、腕が、突き出ていた。
「・・・・・っ!!???っ!!??」
え、ちょ、え、えぇおお?!な、腕?!腕!腕ーーーーー!!!????
目の前でグーパーグーパーと握り締めを繰り返し、ぶらぶらと辺りを探るように壁から突き出た腕が揺れる。あんまりにも度肝を抜かれる光景に、仰け反りながらうっかり後ろに尻餅をついて、声にならない声でパクパクと口を開閉した。ちょ、な、ここはお化け屋敷かなんかか?!
それともなに?!そういう場所なの!?なんなの!これなんなの!!なんで腕が突然出てくるの?!いやーーー!!もう嫌だーーーー!!!!
言葉にならないものでぐるぐるとパニックになる思考を持て余し、それでも怖いものみたさのように壁から出ている腕から目が離せずにいると、やがて壁の向こうから何か話し声が聞こえることに気がついた。
フリーズしかかった脳みそで呆然としていれば、やがて声は途切れ途切れながらも何か決定したかのように意気揚々とした響きを乗せ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あ、嫌な予感が。
ふと過ぎったものに慌ててそこから離れようと腰を浮かせた刹那、ピシピシィ、と壁に亀裂が走った。いや待ってくれ頼むから!!しかし願い虚しく、壁はど派手な音をたてて、文字通り木っ端微塵に砕け散った。
「どっせーーーーい!!!」
「ぎゃーーーーー!!!!」
ドカーーーン!と、そりゃもうなんのアニメか漫画というような派手さで、目の前で壁が粉砕される。腹の底から搾り出すように悲鳴をあげたが、もくもくと立ち上る土埃にげほっとむせる羽目になった。げほげほっ。あぁもう厄日すぎるなんだ今日は!!目にまで埃が入るし!!!泣く!リアル泣く!!先生助けてマジ助けて・・・・!
もうやだこんな地下・・・!と思っていると、もくもくと舞い上がっていた土埃の中、私は地面にへたりこんだまま仁王立ちする影の姿を認めて涙目で顔をあげた。
「お?なんか今声が聞こえなかったか?」
「聞こえたような気もするが・・・こんな地下に俺達以外に誰が・・・」
低い男の声が、二人分。耳に届くそれにあぁ人間なのか・・・と場違いなことを考える。
いや、だって、壁が吹き飛んだからさぁ。なんかもう人じゃないものが出てきたんじゃないかとかさ、思って。地底人とか。なんかそんな非現実的な。呆然としている中、やがて土埃もおさまりを見せ、視界はあの薄暗くじめっとした空洞と、すっかり影も形もない壁のまん前に立っている人影をはっきりと見せた。・・・・・・・・・・おお・・・?
「ん?誰かいるぞ」
「本気か。こんな場所に?」
二人組みがそういい、私を見下ろす。その目と目があった瞬間、私の脳裏に警報が鳴り響いた。頭に被った麦藁帽子。帽子の下から跳ねる黒髪に、燃えるような赤いシャツ。
この時代には不似合いな服装は、私の中の警報をけたたましく鳴り響かせ、はくはくと口を動かした。
「よ、お前。こんなところでなにしてんだ?」
軽快に、酷く明るく。ニカッと笑う顔が、誰かに似ているとふと思う。まるで今は頭上から、その姿を見せることなく光を注ぐ、太陽のような。底抜けに明るい、警戒心の薄いその笑顔。男が、こちらに一歩を踏み出した瞬間、ずず、と地面が沈んだ気配がした。・・・っ!
「それ以上こないで!」
「へ?」
「ん?」
咄嗟に張り上げた声は、すでに遅い。男は確かに体重をかけ前に進んでいて、そうして、私はあぁ・・・と天を仰いだ。
ずぼぉ!!!とまたしても地面という底が抜けた音に、私は再び重力という存在を実感せざるを得なかった。