崩落の先は、地下迷宮でした
ペチペチ、と、何かが頬を叩いている。同時に声も聞こえた気がして、むずがるように唸ってから、ゆっくりとさして重たくもないはずの瞼を持ち上げれば、薄暗い中にぼう、と人の顔が浮かんで見えた。覗き込んでくる顔があからさまにほっと安堵したかのように緩み、その口元が笑みの形に歪むのを見つめる。
「起きたか、お嬢さん」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・誰?
※
相手が見知らぬ相手だと悟ると、目を見開いて慌てて身を起こす。その動きをわかっていたかのように、男は覗き込んでいた体を退かすと、怪我はなさそうだな、と一人納得していた。それに知らず懐に伸びていた手を止めて、きょろきょろと辺りを見渡す。
えーと・・・そうだ、私、また地面の崩落に巻き込まれて落ちたんだ・・・。ということは、ここは先ほどいた場所よりも尚地下に位置する空間ということか。
見回した周囲は先ほどいた空間とはまた違い、円形の空間というよりも、まるで通路のように横に長く伸びている。生憎と、片方は恐らく先ほどの崩落の影響か、完全に塞がれてはいたけれどももう片方は暗い闇が凝ったように真っ直ぐに伸びていて、まるで坑道のようだなぁ、とそんな感想を抱く。そんな中で、見上げた上にはかなり遠いものの、丸く光が見えて、あぁ真下に落ちたんだな、というのがなんとなくわかった。・・・てか大分落ちてないか?
これじゃあここから上に登るのは無理そうだ、と諦めに肩を落とし、そこで私はようやく顔を正面に向けた。幸い、上からかなり遠いものの差し込む光で相手の識別がかろうじてできる程度には、なんとなく明るい場所で初めてまともに男の確認に努めた。恐らくこの場から離れては、火でもない限りお互いの顔の判別などできそうもなかったので、これ幸いにとじっくりと眺め見る。・・・さて。明らかに時代を考慮していない格好なのは突っ込むべきなのかな?いや、それよりも顎鬚が割りと珍妙な形を作っていることに着目するべきか。
そういえば昔、どえらい鋭利な髭をもった人の船に乗っていた夢をみたことあったなぁ・・・今でさえ、夢なのか現実だったのかわからないままだが。
私が声をかけるのに躊躇していると、男はにこりと人当たりの良い笑みを浮かべて見せた。それを胡散臭いと取るかは別として、最初にみた麦藁帽子の男に比べれば、いささか大人の男としての要素が強く感じられた。まぁ、無邪気や快活といった雰囲気から縁遠い、と思ってもらえればいい。
「あぁ、自己紹介がまだだったな。俺はレイリーだ。こんなところで一緒になったのも何かの縁。仲良くしようじゃぁないか」
「・・・、と申します。宜しくお願いします」
朗らかに笑いながら差し伸べられた手に、握手を求められているのだと察して同じように手を差し出す。一回り、いや二回りは違う大きさの手に握られながら、危険人物ではないのかなぁ?と内心で首をかしげた。人当たりがいい人間がすべからくいい人間とは限らない。
なにせ忍びの学校に三年も通っているので、勘繰ってしまうのはしょうがないというものだ。かといってここであからさまに如何にも警戒しています、という態度を取ったところで、現状どうしようもない。彼・・・レイリーさんがいうように、せめて脱出の糸口が掴めるまでは仲良くしておくべきだろう。ていうか、明らかに危害を加えられるっていう状況でもない限り、こんな地下で一人とか耐えられない。人がいてよかった・・・!
ひとまず諸々の要素は脇に投げ捨て、私はそういえば、とうろりと視線を泳がせた。
「あの、さっき、もう一人いらっしゃいませんでしたか?」
「ん?あぁ、あいつなら起きて早々冒険してくるだとか言って駆けていったな。なぁに、さすがにあいつも一人でそう奥まではいかんさ」
「そう、ですか・・・。えっと、レイリーさんは、どうしてあんなところに・・?」
こんな脱出できるかもわからない地下通路に落ちて、なんでそんなアグレッシブに動けるんだ。危機感というものが感じられない・・・いや、壁を破壊した時点でなんかもう色々と次元が違う気もするが、ともかくも突っ込みたい衝動をぐっと押し殺して、ひとまずの疑問点を挙げる。首を傾げれば、レイリーさんはふむ、と一つ頷いた。
「簡単に言えば連れに無理矢理引っ張り込まれたんだ。あいつは後先考えずに好奇心だけで動くからなぁ」
「え?地上から入れる道があったんですか?」
「海岸の崖付近に洞窟があってね。そういう君は、どうしてあんなところに?」
「・・・私は、えーと、歩いてたら、いきなり地面が落っこちたんです」
海岸・・・?レイリーさんの言葉に疑問を覚えつつも、とりあえず刺し障りない感じで返事を返す。さすがに授業中に弓矢が飛んできて斜面を落ちたら穴が抜けました☆と、細かに説明するのは面倒くさい。ついでにいうならば、忍術学園は一応一般人に知られちゃいけないので、隠すことは生徒の義務なのである。
応えれば、レイリーさんはそれは災難だったね、と同情するように眉を下げて頭を撫でてきた。それに力強く全くです、と返しながらも思考は別のことに移った。・・・さて。可笑しいな。
私がいたのは裏山だ。裏山の近くに海岸はないし、確かに近場の海岸ならば日帰り程度でいける距離にはあるが、それにしても山の地下空間からここまで伸びるような洞窟が海岸付近にあるわけがない。そんな遠距離の地下通路があってたまるかとも思うし、そもそも、目の前の男はあまりにも私の周囲の人間と毛色が違う。言葉こそ通じるものの、顔立ち自体は外国人そのものだ。髪だって暗いからよくわからないけど金髪っぽいし。
そもそも出で立ちが、ど派手なアロハシャツとジーンズという時点でなんかもう違うし、というしかない。私の周囲は純和風ですよ。室町時代ですよ。たまに時代錯誤なこともありますけど、基本ちゃんと時代に沿ってるんですよ。
貿易先だってこんな現代のラフな兄ちゃんみたいな格好してないし・・・。嫌な予感しかしないんだが、と眉間に皺を寄せた瞬間、通路の奥の方からやたらめったら陽気な声が内部に反響しながら耳に届いた。
「おーいレイリー!この奥二股に道分かれてんだけど、どっちに行く?」
俺は左な!左!と意気揚々と、そりゃもう「オラわっくわくすんぞ!」とばかりに目をきらきらさせている麦藁帽子の男が勢い良く駆けてきて早く行こう!とばかりに拳を握った。
その様子にレイリーさんが溜息を吐き、「まぁ引き返してきただけマシか・・・」とかぼやいているので、もしかしたらこの人はそのまま奥まで勝手に行っちゃう無謀な人なんだろうか。いや、でも、うん、失礼だが、やりそうである。
好奇心に狩られる子供さながら、うずうずと今にも走り出しそうな様子になんとなく性格を掴みつつ、まぁ現状、後ろが塞がっているのだから前に行くしかないんだよねぇ、と暢気に構えていた。よもやこの地下通路が、危険満載のアグレッシブな地下迷宮だなどと、その時は知るはずもなかったので。
「あーわかったわかった。だがその前にロジャー。お嬢さんがお目覚めだ」
「んん?おっ。お前目ぇ覚ましたのか!いやーまさか地面が抜けるなんてな!大丈夫だったか?」
「あ、はい。大丈夫、です」
「肩の怪我は?それ落ちてきたときについたものなのか?」
「いえ、これは、ここに落ちる前に、ちょっと」
目の前にしゃがみこみ、視線を合わせてきた男性にちょっと気後れしつつ咄嗟に肩に手をやり言葉を濁すと、そっか!と大して気にした風もなく男は白い歯を見せつけた。
ていうかなんでこんなに元気なんだこの人。そもそも、この高さを落ちてなんで無傷なんだ。いやそれは私含めだけど、下手したら土砂の下敷きにだってなったと思うのに・・・。
まぁ無事ならば深く追求する必要もないことかと思い直し、しかしこんな地下でいつ地上に出れるとも、出れる保障もないというのにテンションの高い男にはいささか反応に困る。本当、なんでこんなにうきうきしてるんだろう、この人。
「俺はロジャーだ。ゴール・D・ロジャー。よろしくな!」
「です。無事地上に出れるまで宜しくお願いします」
「おう!」
さらりと付き合いは地上までよ!と含ませつつ(何故だろう、この手の人間は何か牽制しておかないと危険な気がする)頭を下げれば、やはり明るい返事。まぁ、地中にいるからってじめじめ陰鬱にしていても仕方ないのだが、ここまで底抜けに明るいのもどうなんだ。
そうは思いつつ、よし、じゃぁ探検に行くか!と意気揚々と拳を振り上げたロジャーさんに、探検?と首を傾げた。えーと。
「・・・地上に出る道を、探すんですよね?」
ぼそりと小さな声で尋ねてみるが、その声はロジャーさんには届かなかったのか、行くぞ、レイリー!冒険だ!お宝だ!と声を張り上げてずんずんを進み始めてしまっている。
え、いや、待って。冒険って、お宝って・・・!思わず引きとめかけた手は、横から伸びてきた手がひょい、と掴み、はっと横をみる。レイリーさんが何時の間にか剣の先にぐるぐると巻きつけた布に火をつけた即席松明で周囲を照らしながら、にっこりと微笑んでいた。
「すまないが、地上に出るのはしばらく我慢して貰えるかな?」
「・・・・・・・・え?」
「あいつは根っからの冒険好きでな。どうせ言っても聞きやしないから、諦めてもらえるとこちらとしても有り難い」
「・・・・・・・・・・・・・え?」
「さぁ、とりあえず行こうか。早く行かなければ勝手に進んで結局面倒なことを巻き起こすから。全く、もう少し落ち着けばいいものを困った男だ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・え?」
言いながら、手を繋いだままずんずんと先を行くロジャーさんの後をついていき始めたレイリーさんに、私は「え?」としか返せないまま、顔を引き攣らせた。
あれ、なんだ、この問答無用な感じ。物腰が柔らかそうに見えて、なんかこの人も我が道いってなくね?と恐る恐る上目に見上げた先で、レイリーさんはやっぱりにっこりと笑っていた。
・・・・・・・・・・・・・・果たして私は、無事に地上に出てこれるのでしょうか。
一抹の不安を抱えるが、かといって今現在この二人から離れることも非常に恐ろしいので、どの道私に選べる道なんぞなかったりするんだな、これが。