蛸壺ワァルドへいらっしゃい!



、危ない!!」

 声をかけられたときには、すでに私の足元にはぽっかりと黒い穴が開いていた。
 ずるぅ!どさ、どしん!そんな音をたてて、強かに打ちつけたお尻が痛い。むしろ尾てい骨か。いったぁ、と情けないことにちょっと涙交じりの震えた声で、呻き声をあげながら見事に落ちてしまった蛸壺から上を見上げた。丁度落とし穴の縁で足を滑らせて、蛸壺の中を滑るように落ちてしまったから受身もなにもあったもんじゃない。恐らく背中辺りは見るも無残な泥だらけだろうな、と思いながら、蛸壺の底で仰向けになった状態で、やっちゃったなぁ、ととほりと肩を落とした。
 あまりかかったことはないとはいえ、油断するものじゃない。さすが忍術学園№1トラパーの異名を取る綾部先輩だ。落とし穴の場所よくわかんなかった・・・。でも忍術学園一とか言ってるけど、くの一教室の罠もかなりすごいんだけど・・・それ踏まえて学園一を名乗ってるのかなぁ、とぼんやり丸く切り取られた空を見上げて溜息を吐いた。
 ・・・・どうでもいいな、そんなこと。先輩が学園一であろうとなかろうと、私が穴に落ちてしまったことは事実だし、先輩の落とし穴が実によく出来た代物であることは疑いようのない事実だ。土の湿った独特の臭いを鼻腔に吸い込みながら、溜息を吐いて体を起こした。
 まだじんじんと背中とかお尻とかが痛いけど、いつまでもこんな穴の底で寝そべってちゃ彦四郎たちにも心配をかける。頭についた泥を落としながら、体を起こしてぺたりと横の土壁に手をあてた。ぺたぺたと強度を確認して、ほっと胸を撫で下ろす。あーよかった。この硬さなら苦無を突き立てればなんとか登れそうだ。
 偶に意地悪なのか、土壁の柔らかい落とし穴があるから、誰かに縄梯子なり持ってきて貰わないと登れない穴があるんだよねぇ。しかもそういうのに限って深いんだ。
 幸いにも私が落ちた穴は、深さこそ一年生や二年生程度ならばすっぽりと収まってしまうがさほど深いわけでもなく、苦無でちょっと足場を作ってしまえばすぐ穴の縁に手がかけられる程度の極々優しい代物だ。恐らくは下級生の長屋に近いからこその配慮だろうが、なら作らないでくれ、という根本的な問題は言っても無意味なことなんだろうなぁ。
 優しいのかそうでないのかサッパリだ、と思いつつ、懐から苦無を取り出しざすっと土壁に突き立てる。簡単に抜けないことを確認して、そこで私はそういえば、と上を見上げた。
 相変わらず穴の形に添って丸く切り取られた青空が覗く頭上を見上げて、瞬きを数度故意にこなす。・・・・彦ちゃんたち、どこいった?

「・・・縄梯子でも取ってきてるのかな」

 いつもなら、いやそんなしょっちゅうかかってるわけじゃないんだけど、でも大抵何かあれば心配そうに声をかけてきてくれる良い子達が、いくら学園ではよく見かける光景とはいえなんの声もかけてこないことに違和感を覚える。
 それにまさか皆が皆縄梯子を取りにいってるわけでもあるまいし・・・大抵一平ちゃんとか彦ちゃんとかは、穴から顔を覗かせて声ぐらいかけてくれるものだと思うんだが・・・。
 え、私見捨てられた?いきなりそんな殺生な!でも落ちる前はわざわざ声をかけてくれたのに?なんか変だな、と思いながら突き刺した苦無を足場にして、穴の淵に手をかけると腕に力を入れて体を引き上げる。よいしょ、と掛け声を上げながら上半身を穴の外に押し出すと、私はほっと息を吐いて顔をあげた。あーもう、綾部先輩にも困ったもんだね。そんなありきたりな苦笑交じりの台詞を吐きかけて、私はひゅっと息を飲み込んだ。

「・・・・・・・森林?」

 え、なんで?ポカーン、と大層間抜け面を晒しているを自覚しながら、目の前に広がる緑深い森林に、目を丸くして固まった。え、あれ?うろたえて視線を周囲に向けるも、どこを見ても緑緑緑緑。蔦の絡んだ茶色い幹も存在しているけれど、約八割は緑しかなくね?と言わんばかりの有様だ。どこを見たって、そこに見慣れた学園の校舎があるわけでも、学園の周りを囲む塀があるわけでも、ましてや一緒にいただろう彦ちゃんたちの姿があるわけでもない。完全無欠の一人ぼっちだ。呆然としつつも、いつまでも穴の中に半分入ったまま、というわけに行かず、恐る恐る穴から這い出ると服についた泥を叩き落としながら、私は改めてぐるりと辺りを見渡した。・・・・・・・・うわぁ。

「裏山でも、裏裏山でも、ない、よねぇ・・・?」

 だって、私が穴に落ちたのは、学園の敷地内、だもの、ねぇ?もしかして穴に落ちて気を失ってたのかな。その間に誰かが悪戯してここに運んできたとか?ぐるぐると有り得そうなこと、を想像してみるも、ありえそうだけど普通やらねぇ、ということばかりでなんだかこう、現実味に欠ける。いや今一番現実味に欠けてるの目の前の光景なんですけどね。
 なんだかあんまり受け入れたくない出来事が起こっている気がする。ぞわぞわと背筋を這い回るなんともいえない心地に顔を顰め、どくどくと騒ぎ始めた心臓にぎゅっと胸元を握り締めた。嫌だ、なんだこれ。ここ学園の近くだよね?よしんば誰かの悪戯だとして、裏山とか裏裏山とかだよね?もしかして幻術とか?里芋行者さんとかが何かしてるのかな。
 あれでも学園に来るなんて聞いてないけどな。何か事件が起きて学園に突発的にきたのかもしれない。いやでもなら巻き込まれるのはは組であって、私やい組にはなんら関係ないことだろう。あれ、ってことは違うのかな。でもそれ以外に説明つかないよね。
 もしかして曲者が学園に侵入したのかな。それで丁度そこにいた私たちを幻術にかけているとか?あぁそうだとしたらとても危ない。彦ちゃんたちは無事だろうか。一平ちゃんは泣いてないかな。伝七と佐吉は平気かな。あぁ、どうしよう先生を呼んだほうが、いやでも先にこの幻術をなんとかしなければ。でもどうやって?
 嫌だ、怖い、なんだこれ。どこだここ。ぞっと突然牙を向いた不安感に体中の筋肉を強張らせると、ぐるぐると辺りを見回しながら、ぐっとこみ上げてくるものを押し殺して息を吸い込んだ。

「・・・シナ先生、安藤先生、彦ちゃん、一平ちゃん、佐吉、伝七ーーー!!」

 しちーしちーしちー、と、語尾が木霊して森の中に吸い込まれていく。しばらく待ってみるも、返ってくる応えはなくマジでどうしよう、と眉をへにゃり、と下げた。・・・ど、どうすれば?!
 途方に暮れて凹んでいると、ふと頭上から影が差し、足元が俄かに薄暗くなる。太陽でも翳ったか、とのろのろと顔をあげると、私はぎょっと目を見開いた。


 な ん か く る ・ ・ ・ ! !


「えぇちょ、え、えぇ?!で、でか!でかい!え、鳥?!あれ鳥!???ちょ、ま、待って待ってなんでこっち来るのあれ!???え、ひ、きゃあああああ!!!」


 ぐんぐんと高度を下げて迫ってくる、なんかすごい派手な色をした鳥と思しき生命体に、一瞬でパニックに陥って反射的に森の中に逃亡を図った。てかあれ鳥?!鳥なの!?なんか色はオウムとかインコ並みに派手な上にでかいって!確かに高山とかに山羊とか掴めるすげぇでかい鷲とかいるけどそれの比じゃないってあれでかすぎるって!!!!

「あんなの鳥じゃないぃぃぃぃぃ!!!!」

 絶対ここ幻術か夢の中だ!!!!そうだ、そうに違いない!そうは思うも、とりあえず捕まったら一貫の終わりっぽいので、私は木の影に隠れてその超巨大鳥がばきばきばき!!!となんとも不吉な音をたて森の木々をへし折る音を聞きながら、体を震え上げさせた。



 頼むから、ゆ、夢なら早く醒めてくれ・・・!