危険フラグがぶち折れない!
抵抗も虚しく(といっても言葉だけで控えめに抗議しただけだが)子供抱きという微妙に羞恥心を覚える格好で運ばれることしばし。
森の外へ外へと進めば、鬱蒼と生い茂る密林が、ある時を堺にパッと目の前が切り開かれるように何もなくなる。緑色がなくなったかと思えば、次に視界に入るのは目も覚めるような見事なコバルトブルーの水平線だ。一瞬空と海の境界線もわからなくなるほどに青い世界が広がり、鼻腔を通過するのは潮の匂い。ザザァンと寄せては返す波音が鼓膜を揺らし、私は浜辺近くに停泊しているそれを見つけてポカーンと目を丸くした。
・・・・・・・・・・・・・で、でかい。上に、なんか多くないか?一際大きな船(あれは何を模して・・・あぁ、鯨?)の周りにそれよりもいくらか小さな船がいくつも並んで海の上に浮かんでいる。想像していたものとはかなり様相を変える光景に気圧されるようにすごい、と呆然と呟けば、私を抱き上げるエースさんは満更でもない顔をして、それは嬉しそうに歯を見せて笑った。
「そうだろそうだろ。モビー・ディック号は俺たちの自慢の船だからな!」
子供みたいに誇らしげに胸を張るエースさんは、本当にこの船たちが好きらしい。細めた瞳は暖かな愛おしさを浮かべていて、なんともむず痒いほどだ。
そしてマルコさんも当たり前だろい、と言わんばかりに満更でもない顔をしている辺り、こいつら船馬鹿か何かか?と現代風で言うなら電車オタクとかそういう類の人間なのかもしれない、と評価をしつつ、そのテンションについていけずにはぁ、とか適当な返事を返して改めて船を見上げた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・んん?
「・・・・・・・・・エースさん」
「ん?どうした?」
「いえ、その・・・あの一番大きな船の、一番大きな帆に描いてあるのって・・・」
いやいや、そんなまさか。まさか、ね?嫌な予感を覚えながら、恐る恐るエースさんを見れば、きょとんとした目で見つめられる。あ、ダメだ。これなんか言いたいこと伝わってない。瞬時に悟ると、後ろでだらだらとついてきていたマルコさんに答えを求めるように視線を向ける。
その視線を受けたマルコさんは片眉を動かし、それから帆船の・・・メインマスト、と呼ばれるものだろうか。それに視線をやり、あぁ、と理解したように頷いた。そうして、にやり、と。なんとも底意地が悪く、言い方を変えれば悪人臭く、マルコさんの口元が歪みを帯びて。
「言い忘れてたが、俺たちは海賊だよい。お嬢ちゃん」
至極さらっと、なんかもう常識ですよそんなこと、と言わんばかりにさらっと事も無げに告げられた。・・・・・かいぞく?一瞬、学園と懇意にしている兵庫水軍を思い浮かべたが、瞬時にいやあれは別口だろう、と思いなおして口元を引くつかせた。船酔いするお頭とかバタ足しかできないお頭とか陸酔いする船員とか、まぁ面白おかしく人の良すぎる面々と、今現在目の前に立っている二人が合致しない。いやいや、だが、そんな、まさか。
「嘘・・・」
真白い帆の真ん中に、燦燦と輝く髑髏マーク。そういやエースさんの背中にも似たような刺青が、ってことは遠回しに海賊だよって教えてたっていうの?あぁ・・・!くらりと覚えた眩暈に、思わず嘆きが唇から零れ出る。
そんなまさかの超展開、心底いらんわーーーー!!!なんかもう、初人類とかどうでもいいから、この危険フラグはぶち折る方向じゃダメですか?
はくはくと口を開閉し、絶句状態で硬直する私の心情など欠片とも察していないのか、あえて無視しているのか(エースさんは前者でマルコさんは後者な気がする)、二人は浜辺につけていた小船に乗って、悠々と巨大な帆船と近づいていく。近づくにつれてその帆船の巨大さもより突きつけられるわけで、私の恐怖パロメータは鰻上りだ。いやいやいやいや海賊とかねぇよ初人類が賊とかどんなどっきりだよどっきりはもう異世界とかあの巨大不思議生物で十分だよこれ以上は心臓が持ちませんから私ーーー!
内心のパニックを必死に押し隠しながら、しかし隠しているせいで表情が硬く強張っていくのを感じる。陽気に笑うエースさんが非常に恨めしい・・・。ちゃぷちゃぷと船にぶつかる波と揺れに、あぁ逃げ場所がどんどん遠のいていく、と小さくなる浜辺に名残惜しさを感じて溜息を零した。
「どうした、船酔いか?」
「いえ・・・ちょっとあまりのことに思考が追いついてないだけです・・・」
「そうか?まぁそんなに気負う必要はないって。皆気のいいやつ等だからなぁ」
「そうですか・・・そうだと嬉しいです・・・」
あなたは海賊だと聞かされた一般人の心情をもっと察するべきだと思います。こちらの絶望的な感情などちぃっとも理解してない様子で、まぁオヤジが怖いかもしれねぇけどな!と朗らかに笑うエースさんを恨めしくねめつける。マルコさんは素知らぬ顔で、各々の船から「隊長!お帰りですか?」などとかけられる声に適当に手を振り替えしている。
っていうか隊長ってなんだよ。この人たち実はなんか凄い人たちなわけ?え、なに私ほんとどういう状況になってるの?もしかして兵庫水軍みたいな人たちかも!なんて淡い期待は、それぞれの船から見える顔ぶれに瞬時に消え失せる。柄悪いっていうか人相が悪い・・・!これ確実に悪人だよヤンキーだよチンピラだよ怖いよーー!!
荒くれ者感がバリバリ出ている船の上の人たちに、思わずめそりと眉を下げた。船の縁を握り締めて、いっそここから海に飛び込んで逃げ出してやろうか、と考えなくもない。
しかし、実行を移す前に船は一際大きな鯨型の帆船(海賊の割りに可愛いモデル選んだな)・・・えーと、なんだっけ。モビーディック号とかなんかそんな名前のそれに着いてしまった。あぁ・・・!と何度目かわからない嘆きをぐっと押し殺して、そろそろと見上げれば、マルコさんが船の上で危なげなく立ち上がり、上から落ちてきた縄梯子に手をかけて、するすると登っていく。・・・・・・・これでエースさんも登ったら船で逆走しようかな!ひっそりと逃亡を企てていると、エースさんは梯子に手をかけ、思い出したようにこちらを振り向くと、白い歯を見せて先に上れよ、なんていらぬレディファースト精神を発揮しやがった。そのスキル今いらないから!!
「いえいえいいですエースさんがお先にどうぞ。私は後からゆっくり登りますので」
「いいから先に登れって。縄橋子って結構揺れるからな、下から支えておいてやるから」
善意だ。百パーセント善意で彼は言っている・・・!確かに、縄橋子の登り方は結構難しいものがある。足に力を入れすぎるとぐらぐら揺れちゃうし、バランスの取り方が難しいのだ。でも別に私初めてじゃないし、一人で登れるんだけど、と思うんだがエースさんの屈託のない善意と笑顔に、逃亡を図ろうとする心がチクチクと疼いて咄嗟に顔を背けた。
あぁこれだから彦ちゃんたちにくの一に向かないっていわれるのね・・・別になる気はないからいいんだっていう開き直りも、少し考え物かもしれない。
そこがのいいところだけど、と苦笑気味に笑いつつ話していた友人達の姿を思い出しつつ、私は溜息を零して肩から力を抜くと、渋々縄梯子に手をかけた。
「気をつけろよ。バランス崩すと危ないからな」
「はい・・・」
なんか先生みたいなこと言ってる、と思いつつ足場を確認してするすると梯子を登っていく。下でエースさんが宣言したとおり支えているせいもあるか、揺れもさほどなく、大した苦もなく船の縁に手をかけると、よいしょ、と身を乗り出すように顔を覗かせ、ひくっと顔を引き攣らせた。うおおおい!なんで皆そんな凝視してるんですかーーーー!!
反射的に顔を引っ込めそうになったが、それはするだけ変な行動だろう、とぐっと自重して人相の悪いというかどことなく堅気って柄じゃないよね、という怖い人に顔を強張らせれば、彼らはいきなりどっと賑やかしく笑い声をあげた。その音声に、びくぅ!と思わず肩を跳ねさせる。
「おおーい、マルコ隊長とエースがマジで餓鬼拾ってきたぞ!」
「しかも女か!マルコ隊長いつ趣味鞍替えしたんすか?」
「うるせぇよい馬鹿共。アホなこと言ってないでそこ退けろよい。そいつがびびってあがってこれないでいるじゃねぇか」
マルコさんナイス。がやがやと、口々に言うせいで正直半分も聞き取れず、ぽかんとしている私を見かねたように、マルコさんが顔を顰めて近くの男の人の頭を叩くとしっしっと追い払うように手を動かした。そうしてさりげなく、私が降りる場所を確保するように近くに寄ってきたので、なんだかんだこの人気遣いが上手いのかもしれない、とちらり、と囃し立てる周囲を睨みつけるマルコさんを見上げ、そろそろと船の上に立った。
しかし同時に晒される視線の数も増えたような心地がして、誰かの背中に隠れたい・・・!と切実に思う。しかしそんな気心知れた相手がいるわけもなく、私は首を竦めて視線をやや下めに固定した。あぁもうこの人たちほんと目が鋭いっていうか、囃し立てる中にもなんか色々篭められててすごい居心地悪いんですけど・・・!
じろじろと不躾に送られる視線に固まっていると、ぎし、ぎし、と後ろの縄橋子から縄の軋む音が聞こえ、ひょっこりとエースさんが顔を出した。
なんだ、勢揃いだな、と、暢気に口にするエースさんはそのまま船の縁に腰掛けるように座ると、帽子の唾をひょい、と上に上げてきょろり、と辺りを見回した。
「オヤジはどこにいるんだ?」
「なんだ、エース。オヤジにも話すのか?」
「当然だろ、俺たちの命の恩人だぜ」
「ひゅぅ!白ひげ海賊団の一番隊隊長と二番隊隊長の命の恩人だって?すげぇな餓鬼!」
「なにやらかしたんだよエース、マルコォ」
あぁ、なんかどんどん好奇の視線が強くなるんですけど・・・!てかこいつら二人もよりによって隊長とかなんかよくわかんないけど上のポジションについてんの?
囃し立てる声に曖昧に笑って誤魔化すと、それが沼に嵌っちまってよー、とエースさんが事の顛末を話し始める。マルコさんが罰が悪そうにそっぽを向いたのに、まぁ恥ずかしい話ではある、と納得しつつもいっそ助けないほうが精神的に落ち着いていられたかもしれない、と少し前の出来事なのにすでに遠く感じる過去を思い返した。と、不意に一際大きな笑い声が、船上に大きく響き渡る。
「グララララ!揃いも揃って間抜けなこった!」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・笑い声?え、笑い声ってグラ・・・?奇怪なことこの上ない笑い声、と多分状況からして思われる声に、ポカンと口を開けて声のした方向に首を巡らせる。
周囲が、俄然何か雰囲気を変えたような気さえして、私は知らず息を呑むと、エースさんの「オヤジィ!」という声に、ぱちっと瞬きを繰り返した。
「全く、とんだ間抜けな馬鹿息子共だな」
「俺は巻き込まれただけだよい」
「はははは!そう言うなってマルコ。一緒に嵌った仲だろ?」
「お前は黙ってろ!」
「いてっ」
ごつん、と割と手加減など考えてないような勢いで振り下ろされた拳がいーい音をたててエースさんの頭にぶつかる。ずれた帽子の上から殴られた部分を押さえて痛がるエースさんと、ふん、と振り下ろした拳を掲げるマルコさんを視界の端に入れながら、私は多くの人たちの向こう側で、悠然と腰掛ける人物を見やり、やっぱり呆けたように見入っていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なんだあの重力超無視した髭は。え、ていうかこの人やたらでかくね?座っているくせに、立っている人よりもずっとでかいって何事だ!!と内心で突っ込み、そしてあの髭って帆に描いてあるマークにも似てるけど、もしかしてこれモチーフ?とか、ある種現実逃避のようにぐるぐると思考を巡らせる。正直いって、そんなどうでもいいくだらないことを考えてないと、なんかもう色々許容量をオーバーしてしまいそうなのだ。
しかし、そのくだらない思考もその人物がこちらに視線を向けた途端に、ぼしゅっと音をたてて消えてしまった。
「グラララ・・・!まぁ、なんにせよ、うちの馬鹿息子共が世話になったようだなぁ、嬢ちゃん」
そういって、笑うその人に、私は圧倒されて、肯定も否定もできぬまま、ごくっと唾を飲み込んだ。
圧倒的過ぎて、言葉も、ない。