始まりの朝がきた
ぐらぐらと体が揺れている気がする。あぁ、また何か巨大生物が近くを闊歩しているのだろうか。だとするならば起きないとまずいかもしれない。そう思うや否や、すっと起き上がる意識と持ち上がる瞼の下で、開いた目に映るのは、生い茂る緑色の葉でもなければ垂れ下がる蔦でもなく、ましてや差し込む木漏れ日でもなんでもない。ただの木目の美しい天井だ。そこから釣り下がる照明がゆらゆらと揺れている。
一瞬ポカンと揺れる照明を見つめ、なんで照明と天井が?とパチパチと瞬きを繰り返してからあぁそういえば、と思い出した。
「かいぞくせん・・・」
に、乗ることになったのだ。ということはこの体が揺れる感じ、実際揺れている照明は、これが海の上だからか。なんだ、巨大生物が近くにいるからではないのか。そう思うと、どことなく緊張感も緩んでくあ、と欠伸が零れる。そのままむくりを体を起こすと、周りにはぼんきゅっぼーんな美女たちが、悩ましい姿で並んで夢の中にいた。
・・・・・・えーと、そうか。この船のナースさん達だと昨日教えてもらった気がする。そう思いながら、白い毛布から惜しげもなく晒された真っ白な生足を隠すように毛布を引き寄せて上に被せる。いやじっくりとっくり眺めたい気もするんだけどやっぱり風邪引いちゃなんだか申し訳ないので。
形良いふくろはぎのラインからむっちりとした太腿の瀬戸際まで見える足をすっぽりと隠し切ると、布団から這い出て近くに置いてあった足袋に足を突っ込んだ。きゅっと足首で締めて、多少寝乱れた袂を直してぐしゃぐしゃになった髪に軽く手櫛を入れる。
昨日は確かお昼過ぎだっていうのにどんちゃん騒ぎが始まって、今まで見たこともないような料理とお酒が出てきて、特にお酒の消費量が半端なくて、こいつら絶対アル中だとか思ったりとかして、騒がしくて五月蝿くて正直テンションに全くついていけなくて、これなんの宴なんだ?とか疑問に思ったりして。いやご飯は美味しかったけど。まともな食事数ヶ月ぶりに食ったって感じで感動したけど。あーそういえばこの船のオヤジさんの酒量が一番半端なかったかもしれない。いや、でも体の大きさを省みるにあれで普通なのかもしれないな。でも樽がすごいゴロゴロ並んでいたような・・・。いささか曖昧な記憶にぐっと眉間に皺を寄せつつ、まぁ結局、私は彼らのテンションに最後までついていけずに、気を利かせたオヤジさんと・・・カイゼル髭のおじさんが私をこの部屋まで案内してくれたんだ。女の子だからナースのところがいいだろうって。
ナースって、海賊船に?と思ったが、まぁ深くは突っ込まず、温かく迎え入れてくれたこの部屋で、寝に入って・・・そうそう。布団で寝るなんて行為も数ヶ月ぶりなんだよねぇ。幸せだったなぁ、と暖かな布団を名残惜しく撫でながら、手櫛でざっと髪をまとめて紐で縛った。
そうして簡単な身支度を済ませると、そろそろとナースさんの寝室から抜け出して外に出る。ひやっとした空気に体をぶるりと震わせて、廊下を歩いた。船内は昨日の騒ぎに比べると恐ろしく静かで、しん・・・と怖いような静寂が満ちていた。元より船内の薄暗さも相俟ってなんだか幽霊船のよう、と思わないでもなかったが、この船に半端ない数の人間が乗っていることはもうすでに照明されずみである。廊下の端々に見える扉の一つ一つに、これは個人部屋か何かだろうか?と思いながら階段を見つけて登れば、視界には朝もやに包まれた広い海と、その水平線からちょこっと顔を出したお日様が見える。あぁ、まだそんな時間なのかと目を細め、それから見渡した甲板に、私はうへぇ、と顔を顰めた。
「屍累々・・・」
昨夜の名残か、甲板の至るところに倒れる人人人人人のオンパレード!散乱した酒瓶や樽の数。料理の残ったお皿の数と食べかすの残骸、泥酔した人間と重なり合った鼾の大合唱。
見るも無残な有様とはこういうことを言うのではないだろうか、っていうぐらいなんだか酷い光景だ。幸いなのは誰もが幸せそうな寝顔っていうことだろうか?・・満足してるなら別にいいんだろう。有様が酷すぎるという思いは隠して、さて、しかしこの片付けって誰が始めるのかな?と疑問を覚えて首を傾げた。船員総出で片付けるのかもしれない。それぐらいしないとすごい散らかりっぷりだものな、これ。
爽やかな早朝に似つかわしくない光景と今後を考えつつ、とりあえず寝ている皆様方を迂回してとぼとぼと歩いていると、ふとその中でもせかせかと動く人影を見つけた。
人影はしゃがんでは何かを抱えてどこかに行き、それは複数にも綿って屍累々と寝こける中を行ったり来たりを繰り返している。それに不思議に思いつつそっと足の踏み場もない!とばかりに敷き詰められた中をひょいひょいと渡って近づくと、私はいかにも海賊ですね、という格好したおじさん・・いやまだお兄さんの若さの青年に声をかけた。
「あのー」
「んぁ?」
声をかけるとどでかい酒瓶を軽々と数本抱えたお兄さんが曲げていた腰を伸ばしてこちらを振り返る。そうしてちょっと驚いたように目を丸くすると、やがて思い出したかのようにあぁ、とちょっと掠れた声を出した。
「エース隊長が連れてきた嬢ちゃんじゃねぇか。こんな朝早くどうした?」
「ちょっと目が覚めてしまったので。えーと、後片付けされているんですか?」
まぁ見た感じそれ以外になさそうだけれど。首を傾げて見上げれば、お兄さんはそうそう、と頷いて酒瓶を束を抱えなおした。
「もう始めとかねぇと後が大変だからな。下っ端は苦労するぜ」
「そうですか・・・あの、私も何かお手伝いしましょうか?」
さすがに事情を知ってじゃぁこれで、と言えるほど図太くもなければ非常識なこともできないし、ぶっちゃけすることがなくて所在がない。それこそ皆起きている時間帯に起きていればどうにかこうにか今後の自分の立場やらを詳しく話すこともできるだろうが、生憎と大半が夢の中の状況ではそれも望めるはずがなかった。なので極普通にそう提案すれば、軽く目を丸くしてお兄さんはそうさなぁ、と無精髭の生えた顎を撫でて首を傾ける。
「オヤジが客分だって言った相手に片付けさせるわけにはなぁ」
「えーと・・・じゃぁ客分として手伝わせてください」
「いや客分は手伝わないだろ。部屋にいたらどうだ?寝なおすってのもあるぞ?」
何気に鋭い突っ込みである。確かに正論ではあるが、もうすっかり目が覚めてしまった状態では寝に戻るのもなんだか気が引けるので、私は少し困ったように眉を下げてこてり、と首を右に倒した。
「・・・何かしてないと、正直緊張しちゃって居にくいんです。置いていただけるのはありがたいんですけど・・・その、お客さん扱いもありがたいんですけど、多少は使ってもらえると個人的にはもっとありがたいなぁと・・・」
思うんですけどダメでしょうか?と問いかければ、お兄さんはパチパチを瞬きをして、ほー、と口を丸く開けた。
「嬢ちゃん、そんな気ぃ張ってると疲れるゾ?こんなところで使う気もないだろうに」
ちびっこい癖になぁ、と感心したように言われて、いや普通の人ならこういうものでは?と思いつつ曖昧に笑みを浮かべて誤魔化す。・・中身チビっ子じゃないしなぁ。ある意味私詐欺してるようなもんだよね。でも実際この体では生まれて十年しか経っていないので、詐欺といっていいものかは曖昧なところではあるが。
「まぁそこまで言うならしょうがねぇな。ここの皿集めて、あっちにある厨房に持っていってくれるか?」
「はい!ありがとうございますっ」
ちょっとした溜息混じりに、まるで子供が親を手伝いたがるのが微笑ましくて仕方ないとばかりの目線で言われて微妙な気持ちになる。現状それが全くの間違いであるというわけでもなく、それこそそう思われるのも仕方ない、と私は言われたとおりそこらに転がっているお皿を重ねて持ち上げ、教えられた方向に向かって歩き出した。後ろから「気ぃつけろよー」と声がかけられて、私もはーい、などと返事を返す。カチャカチャと擦れる食器と足元に転がる人とを意識せねばならず、これ人間に躓いてこけたら大惨事だよねぇ、としみじみと思った。
人の上に食器をぶちまけたら目も当てられない。本当に大惨事だ。なので注意深く移動しながら、閉じられた船室の扉を開けるとそこはまるで戦場のようだった。
重ねられた大量の食器。果たしてお皿というものはここまで重ねることが出来るものだろうか?しかも船という揺れる中で絶妙なバランス感覚でもってして成り立つ均衡にいっそ感嘆の吐息さえ零れる。その向こう側で大量の泡と水と食器と食べ残しと格闘する白いコックコートを着た料理人達の姿があり、扉が開いたことに気がついたのか顔をあげた一名が眉を寄せた。
「君は・・・」
「あ、昨日からここでお世話になることになりました。と申します。あの、これ洗い物です。ここに置いておけばいいんでしょうか?」
「あぁ、そうか。エース隊長とマルコ隊長が連れてきた・・・そこの皿の上に重ねておいてくれるかい?」
「はい」
とりあえずまだ山が低そうな上に重ねておくと、コックさんはこんな朝早くに物好きだね、と人好きのする笑顔を浮かべて、手元は驚くほど手早く食器を洗い上げている。
顔と動きが合ってない・・・と半ば感心しながら目が覚めてしまったので、と応えればよく眠れなかったのかい?と柔らかに尋ねられる。いや・・・眠れることには眠れていたのだが、半ば条件反射のようなものである。数ヶ月あのジャングルで過ごしていたのだ。眠りが浅くなるのも仕方ないというものだろう。
「他のやつ等はまだ寝ているかい?」
「そうですね。皆さんまだ寝ていました」
「久しぶりに騒いでいたからなぁ。片付けが終わったらここにまたおいで。朝食があるからね」
「あ、はい。わかりました」
優しく言われて、海賊船にはなんだか向かない人柄だなぁと思いつつ、こくりと頷くと厨房からまた甲板に出る。視線の先に必然的に見える水平線は、最初に見たときよりも太陽の位置が高くなっており、朝もやも晴れているような気がした。
柔らかな陽光が、放射線状に伸びていくように、白い雲と青い海面をきらきらと照らしていく。
ほう、と思わず吐息を零して、私はうん、と両腕を伸ばして背伸びをした。
「さて、頑張ろうかなー」
とりあえず後片付けの手伝いと、今後自分がどう行動すればよいか。その話し合いが今日のメインだ、と私は軽い足取りで、未だ累々と横たわる海賊達の真ん中へと足を進めた。