白髭さん家のお食事事情



 私の常識の中に、観賞魚を食べるという項目はない。いやまぁ切羽詰ればなんでも食べるだろうが、しかし通常、食に困る状態ではない限り、観賞魚は所詮観賞魚。見て楽しむ魚であって、決して食用であるとは考え付かないものだ。
 ゴリゴリとを包丁で魚の鱗をそぎ落としている光景を眺めながら、そんなことを考える。水槽に入って優雅に泳いで人にリラクゼーション効果をあげる色鮮やかな熱帯魚。それはサイズの問題もあるのかもしれない。小さすぎるとそれは食べるのに不向きだ。例えば水族館にいるような、ナポレオンフィッシュのような魚。あれもまた見た目からして日本人は食べる魚とは考えないだろう。食文化の違いと人種による認識の違い。
 それらを混ぜ込めて、何故にこの世界は食用になる魚が皆ド派手なんだとなけなしの地球人根性がストップをかけた。タイとかメバルとかオコゼとかいう問題じゃない。とりあえず見た目が派手だ。青魚はどこ青魚は。普通の鰯とか鯖とか鱸とかとりあえずそんなのはいないの?
 あ、でもあの赤味の魚は鮪っぽい。あれはサーモンなのかな。でも見た目可笑しくね?牙があるんですけど。しかもあれは角付きだ。とりあえず食用になるどころか逆に食用にされかねない。
 もうなんというか、料理になる前の実物みてたら食べる気失せるんですけど。

「でも魚の捌き方は万国共通・・・」
「んー?何か言ったか?」

 がっしゃがっしゃと食器を洗いながら小さくぼやけば、騒々しい戦場さながらの厨房でも聞こえたのか、リーゼントコック、もといサッチさんがあの牙の生えた魚を綺麗に三枚下ろしにしながら振り返った。見た目の割りに綺麗且つ丁寧に魚の身を切り分けるサッチさんの手際は見事としか言いようが無い。さすがコックさんの手つきは素人とは雲泥の差である。

「いえ、さすがに手際が違うなぁと思いまして」
「なんだなんだ、惚れたかぁ?」

 冗談にしても割と満更でもない顔でくるり、とパフォーマンスだろうか。無意味に包丁を回すサッチさんはスパスパスパ!と今度は肉を鮮やかに切り分ける。複数のコンロの上でフライパンがジュウジュウと音をたてると香ばしい匂いが空腹を誘った。

「そうですねぇ。料理のできる男の人は素敵ですよね」
「お!は男を見る目があるな!そんな可愛い子ちゃんには後でサービスしてやるよ」

 バッチコーン、とウインクが投げられたが、おっさんにされても・・という内心はそっと奥に仕舞いこんで楽しみですーと当たり障り無く答える私はやはり日本人だとしみじみと思った。いや別に、気持ち悪いとかそういうことを言っているのではない。外見だけいうならむさいおっさんのウインクは確かにどうかとも思うが、彼の性格と雰囲気からいっても、さほど違和感がある行為とは思わない。でもどうせされるなら若い男女の方がいいなぁというのは致し方ないことではなかろうか。顔の良し悪しは、ある意味愚問である。
 適当な微笑みを浮かべていると、不意に目の前でサッチさんの頭が沈んだ。いや、正確に言うと、何かが上からサッチさんの頭を叩きつけるようにして沈めたのだ。
 前に突き出たサッチさんのリーゼントが、その急激な沈み方に耐えかねたように大きくしなる光景まで見えて、思わずまだ泡だらけの食器を握り締めた。ひぃ、という悲鳴をあげたのは半ば条件反射だ。

「こんな子供にまで粉かけてんじゃねぇよい、この変態コック」
ーあんま言うとこいつ調子に乗るから褒めるもんじゃねぇぞ」
「マルコさん、エースさん・・・」

 オレンジ色の鮮やかなテンガロンハットを首から背中へとさげて、まだじゅうじゅうとフライパンの上で脂を跳ねさせているお肉を摘み食いするエースさんと、その横でサッチさんを情け容赦なくその拳で沈めたマルコさんの半目を見返して私はひくり、と片頬を引き攣らせた。いやいや、あんたらいきなり登場の割りに現れ方がバイオレンスだなおい。

「ってぇなマルコ!いきなりなにすんだ?!」
「お前がに気色悪いことしてるからだろい。おっさんのウインクなんぞ公害でしかねぇよい」
「同感ー」
「ひど!酷い!この俺ほどウインクの似合う素敵なオニーサマはいないだろがっ」
「ハッ」

 うわぁ、今すごい鼻で笑った。明らか蔑む目でサッチさんを見るマルコさんに、ひどい!酷いわマルコ!!としなを作るサッチさんは、まぁ、フォローのしようもなく気色が悪い。
 益々絶対零度の視線を向けられているが、じゃれあっているだけなので問題はないだろう。その様子を視界の端に捉えながら、エースさんの手がひょいひょいとフライパンからどんどん食物を取って行くのに、止めるべきか否かを迷って、そっとフライパンを火から遠ざけた。いや・・・さすがに摘み食いを延々見逃すのもどうかと思って・・・。
 届かないところにいったフライパンに、エースさんがあっと口を開いてそれから唇を尖らせる。メシー!とぐぐっと身を乗り出して更に取ろうとしてきたので、もう一歩後ろに下がりながらふるふると首を横に振った。

「ダメですよエースさん。まだこれ盛り付けも終わってないんですから」
「もうちょっとだけ!な?。もう一口だけくれよー」
「多分一口で終わらないんでダメです」

 明らか全部食べるだろう、と視線に篭めれば、エースさんがすっと視線を逸らした。この船の人たちは性根が素直なのか、分が悪いと視線を逸らしやすいので実にわかりやすい。溜息を吐いて、フライパンを濡れ布巾の上においてから、綺麗なお皿を取り出して上に乗せていった。えーと・・・とりあえず盛り付けとか適当でいいのかな?
 見た目より味と量優先!とばかりの相手がギラギラと獲物を狙う視線を感じつつ、近くのコックさんに野菜も頂戴しながら適当に盛り付けを済ませると、エースさんの前にことり、と置いた。別に誰それに向かうでもない夕食のバイキング用の料理だ。ここでエースさんにあげてもなんら問題はないだろう、と、思う。多分。いいのかな?とすでにキラキラとした顔で食べ始めてる彼を眺めつつじゃれていたサッチさんとマルコさんを見れば、どことなく呆れたようにエースさんを見ていた。

「エース、お前ちっとは我慢を覚えろよ・・・」
「はにふぉ?」
「いや・・・うん・・・お兄さんが間違いでした・・・」

 もっきゅもっきゅとハムスターさながらの頬袋に詰め込む姿に脱力を覚えるサッチさん。マルコさんは肩を竦め、カウンターの椅子を引いて腰を下ろすと、何事もなかったかのようにサッチさんに言葉短く飯、と告げた。それに、やっぱり先ほどまでのやり取りなどなかったかのように、ほいほいと返事を返しながらサッチさんがテキパキと料理を更に盛り付けていく。
 こういうところが長年の付き合いっぽいよなぁ、と思いながら、きゅきゅっと洗い終わった食器の水気を布巾で拭き取る。ピカピカと光る白い食器に満足して口元を緩めれば、エースさんがもっきゅもっきゅと口にものをいれたまま何かを喋った。

「ほおこもはへほよ」
「エースさん、行儀が悪いので口の中のものはなくなってから話しましょうね。あと何言ってるかわかりません」

 口に物入れたまま喋るから食べかすが散らばってるじゃないですか。濡れ布巾を差し出して飛び散ったものを拭くように促しながら注意をすれば、エースさんはもぐもぐと口の中を一生懸命動かし始めた。

「エースの行儀なんか今更な気もするけどなァ」
「だが間違っちゃいねぇよい」

 食べるのに必死なエースさんの代わりにさらりと布巾で飛び散った食べかすを拭き取るマルコさんから台拭きを受け取りつつ、それをざっと水洗いをしてぎゅぅぅ、と絞る。
 ぼたぼたぼた、と滴る水分がなくなると綺麗に折りたたんで脇に置いて、さて皿洗いの続きを、とスポンジと食器を再度手に取れば、ごっくん、となんともわかりやすい音が聞こえてエースさんが再び口を開いた。

も片付けは他の奴に任せて、飯食ったらどうだ?」
「私は後でいいですよ。丁度今厨房は大変な時間帯ですし。後でゆっくり食べますから」

 一般人は、ひっそりこっそりコックさん達と賄い料理食べますんでお気になさらず。というかさっきはそれが言いたかったのか、と思いつつにっこり笑えば、エースさんは不満そうに唇を尖らせた。あなた何歳なんですか。いや別に似合ってるからいいけどさ。

「そういって俺達と一緒に食べたことねぇじゃん!なぁなぁこっちで一緒に食おうぜー」
「皆さん大変なときに一人のんびりしていられませんし・・こうして話してるんだからそれじゃダメですか?」
「ダメだ!一緒に食べろ!」

 なんと我がままな。いっそ駄々っ子のような言い分に困ったように眉を下げると、魚のムニエルを突いていたマルコさんが顔をあげて、確かに、と割りと肉厚の唇を動かした。

は客分扱いなんだから、わざわざ最後に食べるこたぁねぇんだよい?」
「そうだよなぁ。手伝ってくれるのは助かるけど、たまにはゆっくりあっちで食ったらどうだ?」
「そう言われましても・・・今更あちらに行くのも気が引けるといいますか」

 というよりも屈強な男共に囲まれてする食事は居た堪れないといいますか。しかも皆さん食べ方が凄いって言うか、落ち着きがないっていうか、とりあえず騒ぎすぎるのでやっぱり居辛いっていうか。結局、なんとなく自分が居辛いので、コックさん達と残り物を和やかに片付けてるほうが性に合ってるんだよね。
 小首を傾げれば、サッチさんがなんだかしみじみと頷きながら、ぽんぽん、と頭を撫でてきた。はて?

「いやーちゃんはホント控えめだなぁ。もちっと自己主張した方がいいとお兄さんは思うゾ?」
「お兄さんって年かよい。まぁ、が嫌なら無理にとは言わないが・・・エース、ふてくされんなよい」
「だってよー。なぁ、そんなにこっちで一緒に食うのは嫌か?」
「いえ、嫌っていうわけでは・・・」

 むぅ、と顔を顰めるエースさんにマルコさんがいい年して、とばかりにやれやれと肩を竦める。サッチさんは苦笑を零し、お皿に料理を盛り付けながら事の成り行きを見守っていて、私はやっぱり困ったなぁ、という顔でエースさんを見返した。
 じぃ、と真っ直ぐに見てくる視線がまるで子供のようだ。別に私と一緒でなくてもいいだろうに、と思うが、そういう問題でもないのだろう。うーん・・・。

「・・・じゃぁ、明日の朝は一緒に食べます。それじゃダメですか?」
「んー・・・わかった。明日な!絶対だぞ、約束だからな!」
「はい。約束ですね」

 何時までも意地というか、遠慮ばかりしていても話は平行線を辿るばかりだ。別に、本気で嫌なわけではないのだ。ただちょっと居た堪れないだけで、本当に、嫌なわけではない。
 だからこそ妥協とは違うが、そう提案すれば少し考えた後、エースさんはまだ少し不満そうなものの、それでもやっといつものようにニカ、と白い歯を見せて笑ってくれた。相変わらずお皿の上には山のように料理が連なっていたけれど、更にその上にサッチさんが追加でお肉を乗せていたけれど、私はエースさんが納得してくれたのにほっとしつつ、お皿洗いを再開させた。 

「それにしても、すっかり厨房に馴染んじまってるよい・・・」
「あー・・・ちっちゃい子がちまちま動いてるのがまた癒されてなぁ。それに正直雑用手伝ってくれるのは助かるしな」
「客分なんだし、もっと堂々としてればいいのにねぃ」
「ホントにな」

 ま、でも性分なんだろ、と。カラリと笑うサッチさんと、諦めなのかそれとも微笑ましさなのにか、瞳を細めるマルコさんの会話なんぞ、がちゃっと横に重ねられた大量のお皿にうわぁ・・・と絶句している私には、ぶっちゃけ一切届いていませんでした。だって厨房って結構五月蝿いし。ささやかな会話なんぞ、あらゆる音に掻き消されて届くはずなど、ないのだった。