海と恐竜と能力者
グラグラグラ、と船が大きく揺れた。決してこの船の船長の笑い声ではない。実際に足元でたたらを踏むほどの揺れを感じて、咄嗟に近くの壁に手をついた。
すわ地震か、と思ったが、海の上で地震も何もないだろう。周囲もざわりと俄かに動揺しながらも、まぁちょっと大きな波がきたのだろうとそんなことを言っていた。
大きな波、ねぇ・・・。この大きな大きな一見なんかのテーマパークにも使えそうな可愛らしい鯨の船の大きさは、鯨が地球上最大の動物に因んでか(いや全く関係ないだろうけど)、それはもうとっても大きい。この船に何百という人間がいるのだから当然といえば当然なのだけれど、そんな船の甲板も例に漏れない広さを有していて、ちょっと端から端までの距離が遠すぎた。先に見えるものの小ささといったらないだろう。そんな中で、あの揺れをちょっと大きなで済ませていいものか。
まぁでも、経験の浅い小娘が思っても仕方ない。経験豊富な海の男達がちょっと大きな波ですませているのだから、それでいいのだろう。そう思って、甲板を再び歩き出そうとよりかかっていた壁から体を離す刹那、クルーの怒声が甲板に響き渡った。
「海王類が出たぞーーーー!!!」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なんだ、それ?こてりと首を傾げた私は、このすぐ後、その存在との初対面を為すのである。
この船、モビーディック号はそれはそれは大きな船だ。豪華客船並みに巨大な帆船であり、何百人ものクルーを抱える白鯨でもある。正直海賊船なのになんでこんな可愛いの選んだのかわからないんだけど、これはあれかな。エドワードさんの趣味だったりするのかなぁ・・・可愛い趣味だこと。さておき、そんな巨大な帆船に並び立つ船を私はこの航海中に見たことはなくて、というかこの船以外の船を未だ見たことはないんだけれど、ともかく、比較対象がなくたってこの船が巨大なのはわかっているのだ。
しかし、今目の前、船べりから見える大海原から顔を見せているそれは、そんなモビーと同等の大きさを持った・・・・・・恐竜?だった。恐竜・・・でいいんだよね多分。海龍と言うべきなのかどうなのか。
海面から顔を出してのっそりとした動きでこちらを見下ろす恐竜をポカンを見上げ、おぉ、と思わず感嘆の声を零す。にわかにざわめきを増した甲板では「砲撃準備ーー!!」とか「誰か人呼べ人!!」とか荒ぶる声が聞こえていたが、私は瞬きを数度こなして、なんだか懐かしいわぁ、とじっとその白と黒の縞模様の恐竜を見上げた。
最初にいたジャングルにも、あれぐらい巨大な恐竜はザラにいたもんだ。そう、残念なことに、巨大生物には嫌と言うほど慣らされていたため、その巨大さに格別の動揺を覚えることは無かった。あ、でもいきなり出てこられたらさすがにびびるけど。
なにせ、この世界に来て初めての遭遇がド派手な色彩の巨大な猛禽類である。しかもそれに襲われかけたし・・・そのあとにも規格外のでかさを備えた生き物が闊歩する、それこそ弱肉強食の世界で日々逃げ回っていたのだ。そりゃ耐性もつくってもんである。
そう思いながらも、私は慌しく突如現れた恐竜・・・えーと、かいおうるい?だっけ。それの対処に追われるクルーを尻目にそそくさと甲板を移動した。なぜかって、勿論逃げるためだ。いや、私正直何もできないし、そもそも船の砲撃であれがどうにかできるのかもわからないし・・・ましてや人間の力でどうこうできる生き物じゃないだろうあれは。
口の中にびっしりと生えた牙からも、どちらかというと肉を好みそうな種類の生き物でもありそうだし・・・あれ。この船転覆の危機なのか実は。そのことに思い当たり、ザッと顔から血の気が引いたが、いやいやきっと大丈夫だよ、と根拠の無い希望を口にして甲板を移動する。
ほら、こういう生き物が普通にいる世界なのならば、対処法だって編み出されているはずだし。・・・出会わないことを祈る的な奴だったら絶望的だが・・・ほらエドワードさんみたいな巨大な人間だっているんだからなんとかなるさきっと!うん!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・果たして本当に無事でいられるのかな。そう不安が顔を覗かせた刹那、うわぁぁ!!というつんざくような悲鳴が甲板に響き渡った。同時にまたしても酷い揺れが甲板を襲い、バランスを失った体は尻餅をつくように倒れた。強かにお尻を打ちつけながらも反射的に悲鳴のした方向を見やれば、巨大なかいおうるいの牙に服を引っ掛けられ、持ち上げられているクルーの姿が視界に飛び込む。じたばたともがいているだろうに、あまりにかいおうるいが大きすぎてまるで玩具のようにしか見えなかった。
その、あまりに非力な、力に翻弄されるばかりの姿に、ただひっと短く悲鳴を零すと、私は今様に餌食にならんとする光景を目を奪われたかのように凝視するしかなかった。
咥えられたクルーに対する悲鳴のような呼びかけが、悲痛に青空に響いていく。同時にドォォォン!!!という砲撃音も聞こえたが、かいおうるいは僅かに身じろぎをしただけで、爛々と縦に細く開いた瞳孔をこちらに向けてグギャオオオオオ!!!!と咆哮をあげた。
びりびりと空気が振動する。尻餅をついた甲板も、空気を感じる肌も、お腹の底も、全部全部が震えて呆然とする。牙に引っ掛けられた人は間近の咆哮に耐え切れなかったらしくもがいていた手足がだらんと力なくかいおうるいの動きに合わせて揺られている。
ゆらゆら。ゆらゆら。力ない手足は、まるで、その先の運命のようで。ぞわり、と背筋を這い上がる何かに呼吸を止めると、まるでその先の未来を断ち切るように、小さな影が、甲板の床を蹴飛ばした。
「火拳!!!」
ゴゥ、と。巨大な火の玉が、かいおうるいの首筋を焼く。グギャオオオオ、と、今度は咆哮ではない悲鳴がかいおうるいの口から吐き出され、痛みに仰け反るようにしなった長い首には、焼け爛れた後がちらと見えた。大きく開いた口からぽろりと何かが零れ落ちたが、それを蒼くキラキラと輝く鳥が見事キャッチして甲板に下ろしている。なんだあの巨大な鳥。いや別に大きさはどうでもいいんだけど、あれ、可笑しいな。羽が炎みたいにゆらゆら揺れてるような?幻想的な光景も、引き攣れて黒く変色した首の壮絶さも然ることながら、私はポカンと目を丸くして追いつかない思考に必死に指示を出す。・・・・・・・・・あれ、今、どこから火の玉でやがった?
「エース隊長!!」
「もう一撃お見舞いしてやってください!」
「さすが隊長ーーー!惚れるぅーーー!」
悲鳴は何時しか歓声にその姿を変え、囃し立てるような希望に満ちている。その先ほどまでの悲痛さからの見事な変貌ぶりにも驚くが、それよりなにより、今何が起こった?
ぱちりと瞬きをすれば、再び火の玉が・・・・見間違えでなければ、エースさんの腕から先がそんなものになって再びかいおうるいに叩きつけられる。今度こそオレンジ色の炎が顔面を焼き付けると、かいおうるいは最後の悲鳴を細く零して、蒼い水面に叩きつけられるようにして沈んだ。ばっしゃーーーん!と凄まじい水音とともに派手な水飛沫、いや、最早津波にも等しい高波が甲板を襲い、飲み込む。それこそ甲板全体を飲み込むようなそれで、何人かは波に攫われるんじゃないかという危惧を覚えるほど大きな波だ。っていうか、これは、確実に、
「わ、ぶっ」
波は例外なくすべてを飲み込み、無論私もまた波に晒され、顔面を海水が覆う。が、次の瞬間には体がずるりと前に滑るのを感じた。まるで波に足を引っ張られるみたいに、ずるずると海へと引き寄せられる。波の中にいるせいで息すらままならず、戻る波に連れて行かれるように滑る体を引き止めることもできずに、私は船の縁まで連れて行かれ、そうして、ざぱん、と投げ出される、その刹那に。
「おっと、あっぶねぇ!」
「げほっごほっ」
「ふぅー。危機一髪だったなぁ、大丈夫か?」
「げほげほっ・・・あ・・・・サッチ、さ・・・?」
痛いほど掴まれた腕がびんっと引っ張られて、ついで投げ出されるはずだった体は誰かの温かな腕に収まる。止めていた肺に入ってくる空気と、器官に少しばかり混入した水とを吐き出すように咳き込むと無理すんな、と背中をぽんぽんと叩かれた。
その言葉に少し甘えるようにしてしばし咽こみ、ぜいぜいと息を整えるとぐっしょりと濡れて張り付く前髪をかきあげるようにして視界を確保し、やはり同じようにぐっしょりと濡れたサッチさんを見上げ、濡れた睫毛を動かした。・・・・リーゼントが崩れていらっしゃる。
そっちのがよくね?と思いつつ見たことのないサッチさんのノーリーゼント姿にしばし視線を奪われるものの、いやいやそうじゃない、と頭を切り返して私は最後に小さくけほりと咳をした。
「あ、ありがとうございます」
「いいってことよ。海に投げ出されずにすんでよかった。どこか怪我はねぇか?」
「いえ・・・特には」
ちょっと掴まれた腕が痛いけれど、まぁそれはすぐになくなるだろう。なにせ体全体をたった腕一本で、しかも勢いづいていたものを引き止めたのだ。その負荷がかかった腕が痛くないはずが無い。・・・脱臼はしてないよね?と少し肩を動かしてみたが、特に痛みはなかったので大丈夫だろうと思っておく。互いにびしょ濡れの状態で甲板に座り込んでいると、たたたた、と騒がしい足音が近づいてくるのに気がつき、首を動かして後ろを見やった。
「サッチー!大丈夫!?」
「おーハルタ。このとーり無事だぜ!」
「よかったー!、大丈夫?怪我はない?すぐナースとタオルもってくるからね」
「おいハルタ、俺の心配は?」
「必要ないでしょ。誰かーー!タオルーーー!あとナースも呼んでーーー!」
ハルタさん、さらっと酷い。ちょっとぐらい心配してくれたって・・・と地味に落ち込むサッチさんに、慌てて声をかけると、サッチは甲板にのの字を書いていた顔をあげて、へらっと表情を崩した。
「サッチさんも大丈夫ですか?怪我とか、どこか打ったりとかしてないですか?」
「ん?あー俺は全然平気だよ。それよりだろ。思いっきり腕引っ張ったからな。抜けてないか?」
「あ、はい。さっきちょっと動かしてみましたけど痛みもないですし、脱臼の心配はないかと」
「ならよかった。でも念の為診てもらえよ?」
そういってぐしゃっと髪を掻き混ぜられて、濡れている分絡まりやすくこんがらがった髪にうわぁ、と慌てて手櫛をいれる。しかし指先に引っかかってばかりでやり辛く、仕方ないので髪を解いて再度手櫛をいれた。ぽたぽたと肩に落ちる雫が冷たい。
髪も絞ろうかとまとめると、また慌しい足音が聞こえて顔をあげた。ハルタさんがタオルを持ってきてくれたのだろうか、と思ったが、そこにはちょっと慌てた様子のエースさん濡れた様子もなく走り寄ってきていた。
「エースさん」
「、大丈夫か?!ワリィ、恐かったよな?」
「あーまぁ、驚きましたけど・・・でも仕方ないですよこれは」
あの大きさの生き物が倒れれば、そりゃこうなるってもんだ。へら、と口元を緩めると、ほんっとごめんな!と言ってエースさんはパン!と両手を合わせた。いや。謝られるようなことではないと思うんだけど・・・いや、待て。その前にだ。
「エースさん」
「ん?なんだ?」
「あの、さっきのことなんですけど」
「あぁ」
「・・・・・・・さっき、腕が火の玉になっていませんでしたか?」
見間違いじゃなければ、道具からじゃなくて、その腕そのものがオレンジ色の炎になっていたように見えたんだけれども。今は極普通に伸びている筋肉の盛り上がりも眩しい両腕を見ながら問いかける。いやいやそんなまさかね!あんな規格外な化け物のほかにそんな化け物みたいな人間、いるわけないよね!そう思いながら首を傾げれば、エースさんはなんだそんなこと、と一つ頷いてにっと口角を持ち上げ、人差し指でオレンジの帽子のつばをくいっと上に押し上げた。
「俺はメラメラの実を食った火人間だからな。腕ぐらい火に変えるなんざ朝飯前だ」
「メ、メラメラ・・・?」
「悪魔の実の一つだ。そういやはエースが能力者だって知らなかったっけ?」
そう補足を加えるように胡坐をかいたサッチさんが口を挟んだが、ぶっちゃけ益々意味がわかんないです。情報処理能力が追いつかず固まっていると、ちなみにあそこにいる蒼い鳥はマルコな、なんてまた軽く爆弾を投げられた。え?・・・鳥、ですけど?
「マルコはトリトリの実を食った鳥人間だ。モデルは不死鳥。あ、あの羽に触っても別に熱くねぇから安心しろよ」
「トリトリの実・・・不死鳥・・・・え、っと・・・?」
待って。よく意味がわかんない。それと火の玉や鳥がどういう関係・・・?あれ、待って。悪魔の実ってなんか聞いたことあるような?あれ、あれ。与えられた情報にぐるぐると頭を抱えて考え込むと、二人ともまぁ能力者なんて滅多にいねぇから驚くわな!とか言っている。いやだからまずその能力者ってのはいまいちわからないっていうかもっと詳しい説明プリーズっていうか、あぁもうなんなの!?そもそも人間がなんであんな巨大生物に勝てるのかとかどういう体になってんだとか化け物かい!とか色々、そりゃもう色々言いたいことはあるんだけど!
「す、すごいんです、ね・・・」
「この海にいりゃ嫌でも能力者には遭うけどな!」
「それにすごいっていったらオヤジの能力に勝るもんはねぇよ」
オヤジはすごいぜ!と誇らしげに胸を張るエースさんに、私は曖昧に笑みを返しながら、内心で冷や汗をかいた。
待て。この海にいれば能力者に嫌でも遭うってどういうことだ。それとエドワードさん、あなたもか!なんだこれはなんだここはなんだこの世界は!!
「ちょ、もう・・・勘弁して・・・」
お願いです、そろそろ私のキャパシティも限界値が見えそうです。思わずぐったりと甲板に両手をついて項垂れると、頭上でどうした?!とか大丈夫か?!とか聞こえてきたが、最早答える気力がない。いや・・・もう・・・・わけわかんねぇ・・・。
巨大生物だけならまだしも、人間さえも許容量オーバーってどうしろっていうんだ。
ハルタさんが持ってきてくれたバスタオルを頭から被りながら、私は深く深く、溜息を吐いた。あぁもう、どちくしょうめ。小さな悪態は、甲板の喧騒に紛れてぷっつりとその存在を消し去った。