仄めかす、いつかの日
薄い青色に大きく文字プリントのされたTシャツを頭から被る。引っかかることもなくすっぽりと丸首から顔を出し、半袖から腕を出すと脇の辺りがすーすーと風を通した。
裾は元は太腿まで隠すほど長かったのだが、見かねたナースさんが直してくれたのでまぁなんとか。しかしさすがに腰周りはだぼだぼで、胸部はないとかあるとかじゃなくて、とりあえず基本的なサイズが合っていないのでどこもかしこも隙間だらけだ。
顔を出した首元は大きすぎて肩口が見えるし、腕をあげれば袖から二の腕、脇のラインが丸見えだ。仕方ないとはいえだらしのない姿に見えなくも無い。
船でスカートはとても動きにくいので、常時着用しているズボンは、しかしこれもまた腰周りがだっぼだぼで、ベルトを貰ったところで穴の数が足りない。しょうがないので紐、あるいはリボンなどを通して結び、ずり落ちるのを防ぐと、足元だけは足袋を履いて、なんともすごいアンバランスな格好を晒している。いや、服はともかくサイズのあわない靴だけは如何ともしがたいのだ。あれは非常に動きにくい。慣れない船の上だと波もあるし、下手したら、まぁ、この世界色々あるのでとても危険である。なのでどんなに不恰好でも、靴、もとい足袋だけは自分のサイズにあったものを着用しているのだ。いざとなったとき素早く動けるに越したことは無い。
だって仕方ないのだ。この船に、私のような子供のサイズに合わせた靴などあるはずもないのだから。それに服だって、多少の裾直し程度ならまだしも、根本的なサイズを直せるほどの技量を持った人はいないし、というかミシンなんていう便利なものだってないし・・・。
こんな男所帯の海賊船に、ミシンなんていう洒落たものがあることすら想像できないんだけれど。お針子さんっていないのかしら、全く。
まぁだから、本当、仕方ないんだよ。着るものがナースさん、あるいはできるだけちっさい人の、比較的マシだと思われる衣服になるのだから、サイズが合わないのは。
逆に私のサイズに合った服があるほうがなんでだよ!って突っ込むしかないだろう。あったらあったでビックリだよ、マジで。
まぁ別段、不満はないので私は構わないのだが、ナースさんはすごく面白くなさそうな顔してるんだよねぇ。多分、きっと、恐らく。私で遊びたいんだろうな、と思うんだけれども、残念ながら着せ替え人形よろしくな衣装なぞないので、諦めてもらうしかないのだ。
まぁ、その代わりといってはなんだけれど。
「ねぇねぇこのリボンとか可愛いと思わない?」
「こっちのシュシュの方が私は好きかなぁ」
「バレッタもいいと思うけど・・今日は暑いから全部上げたほうが涼しいわよね」
「はぁい、ちょっと下向いてね」
言われるままに首をちょっと下に向けると、手早く櫛を使って纏め上げられた髪が頭皮を引っ張る感覚がする。
「編みこみ?三つ編み?お団子が可愛いわよね」
「上にぽんと?ねぇねぇ、こう、髪全部横に流して、下辺りでちょっと丸めてあとは流すってのも可愛くない?」
「そうねぇ・・・迷うわぁ」
きゃっきゃうふふと楽しげな声がパラソルの下から甲板に響く。じりじりと肌が焦げ付くような太陽も、直接当たらなければまだマシというものだろうか。それでも暖められた空気は文句が出るほど熱くて、何より海面からの照り返しもかなりきつい。少なくとも甲板の縁に行こうとは思わなかった。テーブルに置かれたグラスの汗も半端じゃない。飾られた生花も心なしか萎れているように見えたが、そこは気にせず氷が溶けてちょっと薄くなったジュースをストロー越しにずずずぅ、と吸い上げる。未だ後ろではきゃっきゃきゃっきゃと人の髪型で一喜一憂する麗しいナースのお姉さまたちがいるが、最早慣れっこなので気にすることも無かった。周囲の鼻の下を伸ばした視線がいささか鬱陶しい気もしたが、これはあれだね。
見目麗しい女性のガールズトークの姿は目の保養ということだろう。私もできるならば当事者じゃなくて傍観者でいたかった。でも仕方ない。着せ替え人形になれないならば、髪を弄られるのがある意味での宿命とも言えるのだから。
でもとりあえずそろそろ開放して欲しいと思うは、多分にこの夏の気候のせいだと思う。あぁくそう。暑いなぁ。額に浮かぶ珠のような汗が米神を伝い落ちたとき、日焼けなんて恐れない!とばかりに上半身を露出し、惜しげもなく腹筋や胸筋を見せ付けるエースさんが苦笑混じりに声をかけてきた。
「大変だなぁ、」
「お前等も、ほどほどにしとかないと逆にが倒れるよい」
「あら、私達がそんなヘマをするとお思いですか?マルコ隊長」
しみじみといささかの同情心を篭めて労われると、こっちもこっちで胸に彫られた誇りを見せ付けるためか、単純にそういう格好が好きなのか、計り知れないマルコさんの前が全開のシャツが風に煽られて膨らんでいる。気遣わしげな視線は、いくらパラソルの下とはいえ炎天下の下延々と髪を弄られる私を思ってのことだろう。しかし、ここにいるのは医療のエキスパートだ。
なにせこの船の船長たるエドワードさんの体調管理を一身に担うそれこそ一流の腕を持つナースたちが、そこら辺の配慮を怠るとは思わない。
挑戦的に、にっこりとピーチピンク色をした唇を弧にして微笑むナースさんに、マルコさんは思わないが、と言いながらも肩を竦めた。
「まぁ、マルコ隊長の言うことも一理ありますわね」
しかし彼の言わんとするところも彼女らは察しているらしく、そう一言呟くと、纏められた髪が旋毛の辺りでくるくるとまとめられる感覚がする。いくつものピンで髪が留められ、最終的に大きなリボンのついたシュシュという、どこの折衷案、とばかりの飾りでお団子を飾られると、ようやくの開放を得た。後ろを向けば満足そうなナースさん達の笑顔。うむ。頑張って耐えた甲斐があるというものだ。
美人の笑顔ほど目の保養になるものはない。思わずへらりと笑い返しながら、俄然涼しくなった首元の後れ毛をさらさら弄り、くるりと前を向く。だが、人が(いや決して私ではないのだが)苦心して作ったお団子、というかそれをした私を見つめて、エースさんは全く悪気の無い顔で口を開いた。
「それにしても、その頭でその格好ってすっげぇ変だな!」
ある意味、爆弾発言。乙女の努力も心情も慮らない、無神経な発言にぴしりと周囲が固まる。正確にいうと、私の後ろでこの髪型にするまであーだこーだと議論を重ね吟味していたナースさんたちなのだが、エースさんの横のマルコさんもひくりと顔を引き攣らせているあたり、恐らくは私の後ろが怖いのだろう。けれども瞳の奥で同意の色を宿している分、まぁ、心情としてはエースさんとそう変わりはなさそうだ。各言う私も、まぁ、そうだろうな、と頷かざるを得ない。なにせ現在の格好といえばサイズの合わないぶっかぶかの男物の服に、足元はサンダルでもない足袋で、これだけで変なのに頭だけは気合をいれて飾られてる。
アンバランスにもほどがある、とは恐らく船内にいる人間の共通の思いだろう。けれど同時にナースさんがどれほど私の姿に心砕いているかも承知しているので、神経を逆撫でするようなことは普通言わない。ある意味で空気を読まない節のあるエースさんだからこそできる芸当だ。
「ふふ、うふふふふふエース隊長ったら本当に、乙女に向かってなんてこと言ってくれちゃうのかしらうっかりそのナニを去勢しちゃうぞ☆」
「名案ね。そうしたら乙女心ももっとわかるかしら。どこぞのニューカマーのように」
「面と向かって言うなんて、本当エース隊長ってば男らしいですわぁ」
わぁ、普段よりも媚売った声音が超こわぁい。うふふふふふふ、と零れる笑いがぞわりと背筋を撫でて、別に私に向けられているわけじゃないのに恐怖心を一層煽る。
さすがにこのナースさんたちの凄みのある笑みを見て、なんで怒ってるんだ?という余計神経を逆撫でにするような発言はしないのか、顔から血の気を引かせてじりじりと後退るエースさんに、マルコさんの特大の呆れた溜息が零れた。苦労してますね、と当事者でありながら他人事に近い私の同情の視線に気づいたマルコさんが、益々溜息を大きくしたなどと、そんなことは知ったこっちゃないけれど。
一気に静まり返った船上で、波の音だけがざぶーんと船体を叩く音が聞こえる。ぽたりと滴り落ちた汗が床に落ちた頃、船上を震わせる豪快な笑い声が緊迫感を蹴破った。
「グラララララ!なにやってるんだ、馬鹿息子共」
「お、親父ぃ!」
天の助け!とばかりにのっそりと巨体を揺らして出てきたエドワードさんに、エースさんが涙目で縋りつく。それにちっと舌打ちが聞こえたけれど振り返る勇気は私にはなかったので、相変わらず馬鹿みたいに大きなエドワードさんをパラソルの下から見上げつつ、どことなくほっと胸を撫で下ろしているクルーに、生温い視線をやった。どこの世界も、女性は強しだ。
「なんだ、また余計なことを言ったのかエース?」
「ビスタ!」
「お前は時々何も考えずに言う癖があるからなー。気をつけねぇと後がヤバイぜ?」
巨体の影から、ひょっこりとジェントルマン、もといビスタさんが顔を出す。更に続いてあれはロールケーキだろうか。スイーツを乗せたお盆を片手にサッチさんがケタケタと笑いながら私の前にそれを置き、サッチさんの言い分にむっと眉を寄せたエースさんがエドワードさんの横でちっげぇよ!と反論した。
「俺は、本当のこと言っただけだっつの!」
「うん、エースさん。本音と建前を覚えましょうよ」
「なんだ?それ」
「・・世の中、本当のことだけじゃ角が立つってことです」
私は気にしないですけどね。でもほら、やっぱり言っていいことと悪いことって、あるもんですし。今は身内同士だから大目に見てもらえますが、外じゃこうはいきませんよ?
折角エドワードさんの登場で和やかになったのに、また空気凍っちゃうじゃないですか!という諸々を飲み込んで、私は遠回しに告げて曖昧に笑みを浮かべる。
そうしてさりげなくサッチさんにより切り分けられたロールケーキを頬張ると、後ろの方でわなわなと震える声で、ナースさんが私たちだって!と声を荒げた。
「私達だってにもっと可愛い服着せたいんですのよ?!」
「全くだわ!何が悲しゅうてこんな汗臭い上にセンスも悪い男物のサイズも合わない服を着せたがるもんですか!!」
「せめて私たちの服を着たらって言ってもってば遠慮するし!」
「靴だってもっと可愛いものとか履かせたいし小物だって色々つけてあげたいし・・・!」
「レースにフリルに花柄にアニマルプリントだって可愛いしドット柄だって可愛いに決まってるわ!服に合わせた髪形にだってしたいし全体コーディネイトだってしたいし・・!」
『私達だって飢えてるのよーーー!!!』
うわぁ、不満爆発ですかお姉さま方。さらりと現在着用している衣服の持ち主に対しての貶し文句が混ざっていたが、本人には聞こえていないと思いたい。あ、ダメか。なんかすごい落ち込んでる人がいる。ドンマイ!内心でエールを送りつつ、周囲がドン引きするぐらいさめざめと訴えるナースさんに圧倒される私は、おろおろと視線を泳がせた。まさかそこまで不満を抱えていたとは・・・!
どうしよう、と焦っている私を見かねたのか、ビスタさんがちょいちょい、と手招きをする。それに、近くにいたサッチさんと、やはり元凶をとっ捕まえて延々とどれだけ自分たちが苦心しているか、飢えているか、訴えに訴える女性の形相を見比べて、内心でごめんなさい、と謝ってからロールケーキ片手にビスタさんに駆け寄った。あの空気の間近にはいたくないんだ、私も。
そこまでしてようやく失言だったと気がついたのか、エースさんがごめん!ごめんなさい!!と平謝りに謝っているが、今更だ。しかし可哀想なのは完全とばっちりのサッチさんだ。ぶっちゃけ何がどうなってこうなったのかもわからないだろうに、近くにいたというだけでナースさんの不満をぶつけられているのだから、不憫もここに極まれり、である。
ふと某不運委員長を思い出したが、これは不運っていうか、不憫、だよね・・・と思い直した。
「状況は全く読めないが、察するに関係か?」
「あぁ・・・まぁ、よい。仕方ないといえば、仕方ないんだが・・ナースも我慢してたんだろうよい」
ビスタさんの足元にいたのだが、何故か当たり前のように抱き上げられて子供抱きだ。抵抗する気力も遠慮する気持ちも最早どこかに行ってしまった私は慣れすぎだろうか、と思いつつ、彼らとともに安全圏にいながら、もそもそとロールケーキを頬張った。サッチさん、美味しいですよロールケーキ。
「グララララ。常日頃からの衣装関係については文句たれてたからなぁ、あいつらは」
「仕方ないんですけどねぇ。私としては別段不自由はしてないので一向に構わないんですけど」
「その態度がまたナース達を駆り立ててるんだと思うが・・・」
エドワードさん曰く、早く島について服を!と再三言われているらしい。まぁ確かに、多少は自分に合った服が欲しいなぁとは思うけれど、それでもまぁ、着れる服があるのだから今のところそんな情熱的になることもない。あ、でも靴は欲しいなぁさすがに。そう思いながら、けれど冷静に答える私にビスタさんがなんとも言えない視線を向けてきたが、私は知らぬ振りをしてそれに、とぷすりとロールケーキを突き刺した。
「そもそも私、人のいる島に着いたら下ろして貰う約束ですしねぇ」
なので、実はあんまり服とか小物とか、買い込む予定など最初からないのだ。あってもこの船にはいないんだし・・・あぁでもできるものなら多少の金銭は恵んでもらいたいなぁ。
船からは下りるとはいえ、先立つものがなければ生きていけない。服の一着二着、靴の一足ぐらいは、買えるだけのお金はいただけるだろうか。買ってもらえたらそれはそれでラッキーだが、下ろして貰うというのにそこまでして貰うのはどうかと思うし。
はむ、と生クリームたっぷりのロールケーキを咀嚼すると、僅かばかり私を抱き上げるビスタさんの腕が揺れた。ん?と思ってビスタさんを振り返れば、何故だろう。呆然とした顔をしていて、怪訝に眉を寄せる。首を傾げつつ更に横を向けば、マルコさんも目を見開いていて、しかし私と視線が合えば苦虫を噛んだ様に眉を寄せて、ふいっと視線を逸らされた。・・・何事?
え、なんだこの微妙な空気。うっかり前の喧騒とはまた違った空気になったビスタさん達に、居心地の悪さを覚えると、不意に大きな手が私を包み、持ち上げた。うおお、と女らしくない声が出たのは大目に見てもらうとして、驚いた顔で見上げた私は、エドワードさんの苦笑を見つめて首をかしげた。
「・・・どうか、しました?」
「あぁ・・いや・・・。なんというか、お前は、本当に、餓鬼らしくねぇなぁ」
「はぁ」
「いや、俺達も、大概だがな。それでも、なぁ・・・お前は、もう娘同然だぞ?」
「ありがとうございます?」
でもどっちかというと、孫みたいなもんじゃないですかね?とはさすがに言わなかったが、なんとなくピンときた。あぁ、そっか。思わず頬が緩むような、それからちょっとした申し訳なさというか、どことなく複雑な胸中で、下を見下ろせばこちらを見上げるマルコさんとビスタさんが、なんともいえない仏頂面と、苦笑を浮かべていて、益々私は眉を下げた。
「・・・皆さん、優しいですねぇ」
ぽつりと呟けば、エドワードさんの苦笑は、益々深くなった。
だって、ねえ。海賊のくせに、大の男のくせに、なんだって、そんな、寂しそうな顔、しちゃうんですか、ねぇ。
何時の間に、そこまで私は彼らの内に溶け込んでいたのか、わからないから、私はそれ以上の言葉を飲み込んだ。
別れの時は、思うよりも、近いのかもしれない。