宴とお酒と夜空と本音
賑やかな宴のざわめきが、潮風に乗って耳に届く。見つめる水平線はオレンジ色の太陽を半分まで飲み込み、けれど最後の足掻きとばかりに燃える太陽にその色を焼き付けられ、橙に染められている。しかし太陽の明るい色が届くのは水平線に近いところまでで、私の頭上はもうすっかり藍色に染まり、星と月がキラキラと輝き始めていた。
さて、宴は始まったのは確か正午をやや過ぎた辺りだったから・・・一体何時間ぶっ続けで行うつもりなのだろうか。正確な時間を計っていないのでわからないが、しかしそれでも終わる気配のないどんちゃん騒ぎには呆れを通り越して感心すらした。いや、マジすげぇよ海賊すげぇ。
この海賊団が特別宴が好きなのか、それともどこの海賊も似たり寄ったりなのかは生憎と比べる対象がいないのでわからないが、しかしそれでも、恐らく深夜、下手したら明け方までこの騒ぎが続くだろうことは骨身に染みてわかっているので、ついていけない、と溜息が零れた。
いやついていく必要もないのだけれど、しかしそれでもついてけないわぁ、と思うのは何も罪ではないだろう。グララララ、と特徴的な笑い声も時折混ざって聞こえてくる中、一人そそくさと中心地から離れて船の影でごくりとオレンジジュースを一口飲む。
脇にはちゃんと失敬した食事もあるので、食いっぱぐれることはない。いやまぁ食事ぐらいあの賑やかしいところでしたっていいのだが、すでに出来上がった面子が非常にうざ、もとい、扱いに難しいのでこうして非難しているのだ。ナースさん達は酔い潰れたクルーや、ドクターストップをかけられている(はずの)エドワードさんのためにもあそこから離れるわけにはいかないし、コックはそれこそ後から後から追加せざるを得ない料理のために厨房から離れられない。クルーはお酒と料理と歌と踊りと、とにかく飲んで食べて騒いで遊べ、と楽しんでいるのであそこから離れるわけないし・・・まぁ一人でいたところで問題はないので別段気にすることはないのだが。喧騒をそよ風任せに聞きながら、フライドチキンに齧り付く。脂が指につくが、ぺろりと舌で舐め取ると構わず肉を噛み千切り、咀嚼を繰り返してごくりと喉を通す。肉汁と皮のパリパリ感が堪らない。あーおいしー。もぐもぐとその後もサーモンとトマトのサラダなど、とりあえず肉ばっかりはあかんよ、と野菜をしゃくしゃく食べながら水平線を見つめた。あぁ、もう太陽も潮時か。滲むように海に存在を食べられていく太陽の名残惜しげなオレンジの残光に目を細めると、真上から酒臭い息がほんのりと漂い、同時に背中からがばりと大きな体が覆いかぶさってきた。
「なんだーー!こんなところで一人飯なんか食って寂しいぞー!」
「エースさん・・・」
お酒臭い。ぷはぁ、と吐く息に混ざる多大な酒気に眉根を寄せると、背中に覆いかぶさったままエースさんがけらけらと笑って片手にもったボトルを振り回した。まだ中身が入っているのか、たぷんたぷんと揺れる音が聞こえて、間違ってもそれをぶっかけてくれるなよ、と心持ハラハラしつつぐったりと肩から力を抜いてしゃくりとレタスを齧る。瑞々しいレタスと甘酸っぱいドレッシングが非常に美味しい。
「こんなところにきてどうしたんですか。まだまだ宴は終わってませんよ?」
「いやーマルコにさぁ、ちゅーしよーとしたら蹴り出されてよー。酔いを醒まして来いって怒鳴られちまった。ひっでぇよなー。いいじゃんかなーちゅーぐらい」
「選択した相手が悪いと思いますけどねぇ」
よりにもよってマルコさんかよ。もっと別の人選しようよ。サッチさんとか、ジョズさんとか。そしたら笑いながら受け入れて貰えただろうよ。まぁ酔っ払いに正常な判断など望むべくもなし。ボトルの口から直接アルコールを摂取するエースさんに、酔い醒ましにきたんとちゃうんかい、と思いながらもあえて目を瞑る。でもお酒ばっかりは体に悪いので、ぷはぁ、とボトルから口を離したところでまだ残っていたチキンを口元に差し出すと、わかりやすく目を輝かせてエースさんはかぶりついた。美味い!と笑顔を溢れさせる姿の無邪気さに口角を緩めると、エースさんはもぐもぐと顎を動かしながら、じぃぃ、と私を見下ろした。
「・・・なんですか?」
その視線にこてん、と首を傾げ、問い返せばエースさんは赤味がかった顔で、、と真面目腐った調子で口を開いた。酔っ払いのくせに嫌に真顔だ。怪訝に眉を潜めると、たぷん、と残り少ないボトルが小さく揺れる。
「俺達が、嫌いか?」
「いきなりなんですか。好きですよ、勿論」
いきなり何を聞くんだこの人は。突然すぎる質問に面食らいながらもさらりと答えるが、それで満足するかと思いきや彼はやはり真面目腐った様子でじゃぁ、と再度口を開いた。
「俺達が、怖いか?」
「え?」
思わず、ぎくりとする。瞬間的に言葉に詰まった私をどう見たか、エースさんはボトルをゆらゆらと揺らし、ぐいっと酒を煽った。反り返った喉がごくごくと上下し、ピンと伸びて晒された首筋に視線が吸い寄せられるように向かう。背後から抱え込まれるように座り込まれている時点で逃げ場がないのが居心地が悪く。じりりと体を動かせばそれを狙ったかのように再びエースさんの顔がこちらを向いた。びくりと止めた動きに、常の賑やかしさとは裏腹な冷静で理知的な光が二つの黒い瞳に煌いた。
「海賊である俺達が、怖いんだろ?」
「え・・と、」
断定的な言い方に反論しそうになるが、言葉がつかえて上手く出てこない。眉を下げると、エースさんも少し寂しそうに眉を下げた。
「がこの船に乗ってから、今日が初めてだったもんなぁ。他の海賊船が襲ってきたの」
「そう、ですね」
こくり、と頷けば、エースさんがガシガシと頭を撫でてきた、大きな掌はごつごつとしてかさついて、多分傷だらけなんだろうな、と思う。それはまるで学園の先生のように、先輩達のように、武器を手にとり他者を傷つける術を得た人間の手で、私は為されるがままになりながら、気遣わせてしまったのだろうか、と思い至った。
エースさんはそんな私に構わずに、仕方ねぇよ、と呟いた。
「海賊なんてさ、どんなに気のいい奴らでも、結局やってるこたぁ褒められたもんじゃねぇし、こういうことだって数え切れないぐらいある。殺し合いなんざ茶飯事さ。奪い奪われて奪い合って。そういう職業だからさ。・・・普通の人間にしてみりゃ、そりゃぁ怖いだろうぜ」
「・・・・」
「だから、別にが気にすることねぇよ。それで俺達のこと恐くなっても仕方ない。最初にこの船に乗るときに覚悟したって言ってもよ。やっぱり現実と想像じゃかなり違うだろ?」
そういいながら、くしゃりと笑うエースさんは、笑ってるのにどこか寂しそうだ。拒絶を悲しんでいる人たちの顔だ。もしかして、宴を離れた私を誰も呼びにこないのは、今日のことを気遣ってのことだったのだろうか。いつもなら離れれば引っ張りこもうとするサッチさんたちが、今日に限って何も言ってこなかったのは。拒絶されても、恐がられても、仕方ないと、諦めたからだろうか。それで、もしかして、そのことを私が気にしていると、思ったから、こうしてエースさんは、酔っ払いの振り・・いや多分半分ぐらい酔ってるんだとは思うが、それでもわざわざきたというのだろうか。
ふと、彼から視線を外して、オレンジジュースに口をつける。甘みと酸味のオレンジの味が口の中に広がって、こくりと喉を鳴らすと暗くなって色の判別もままならないジュースの水面を見つめた。今日の宴は、襲ってきた海賊船に勝利した喜びの宴。その海賊船から巻き上げた金品への、歓喜の宴。いつも開かれるどうでもいいような、些細なことでの宴ではなくて、明確な理由がある、確かなお祝い。目を閉じなくても思い出せる。今の陽気で楽しげな喧騒ではなくて、耳慣れた怒号と剣戟、叫びと銃声の喧騒。
悲鳴と雄叫びが同じで、翻る剣先は血塗れで、敗者は海へと沈み、船はいつか残骸と成り果てる。勝者と敗者に別れて、人が人を傷つけて、人殺しが当たり前にあるような、そんな世界。犯罪者なのだと、声高に、それでも誇りを持って、胸を張る人たちの世界。
自嘲が浮かんだのは、例え彼らが恐ろしいといわれても、笑みを浮かべていられるだろうと、容易く想像できたからだ。
「・・・正確に、言うと」
「ん?」
「別に、エースさん達を怖いと思ったわけじゃ、ないんです」
ぽつり、とたどたどしく口を開けば、喧騒が一層遠のいた気がした。エースさんの視線が、自分の旋毛に注がれているのがわかる。俯いた顔に浮かぶ自嘲に、気づかれなければいい。
「いや、そりゃちょっとは怖いですよ。でも、なんていったらいいか・・・エースさん達が怖いんじゃなくて、行為そのものが、私には恐ろしいことで。でも、その行為が、私に襲い掛かるわけではないのなら、それは、別に、エースさん達を恐れることと同じではないと、思うんです」
だって、エースさん達は、私を傷つけたりはしないでしょう?と。ようやく顔をあげて問いかければ、エースさんは丸く目を見開きながら、当たり前だろ!と言い切ってくれた。
「なんで俺達がを傷つけるんだよ!」
「ほら。なら、別に、エースさん達を恐がることは、ないんですよ。傷つけることは恐くても、それを向けられる対象でないのなら、揮う人を恐れることは、ないと思うんです」
だって、私が、怖いのは。
「・・・逆に、聞きたいです。エースさんは、恐くないんですか?」
人を、傷つけるという行為が。人に、傷つけられるという、行為を。吐息に乗せるように問いかけると、エースさんは意外そうに目を丸くし、眉間に皺を寄せて考えるように頬杖をついた。前を向いた視線は私ではなく海を捉え、もうすっかりと陽も落ちた水平線の切れ目のような線を見つめている。見つめる横顔のエースさんは、凪いだ海のように静かで、そして、どこか張り詰めていた。
「・・・怖くは、ねぇよ」
「どうして、ですか?」
「この世界に入るって決めたときから覚悟は決めてたしな。今更怖いなんて言ってたら海賊なんてやってられねぇ。何かを傷つけること、傷つけられること・・・死ぬことを、怖がってちゃこの世界じゃ生きていけねぇからさ」
死の覚悟なくして、海賊などできないのだと。にぃ、と笑みを浮かべて言い切る姿に、私は笑みを返せただろうか。自信がなくて、すぐにエースさんから顔を逸らすと、その腕の中から逃げるように腰を浮かす。引き止められることなく離れた体で背を向けて、私は空を仰いだ。あぁ、やっぱり、私と、彼らは、あまりに、違う。それは恐れの対象ではないけれど、ひどく私を揺らがせる。それが怖いと、眉間が寄った。
「・・・・エースさんは、強いですね」
ぽつりと零れた声は、憧憬の響きを帯びていたように感じた。エースさんからの応えはなく、私は背を向けたままで、とつとつと話した。
「私は、そこまで強くなれないなぁ。死ぬことって、すごく怖いじゃないですか。怖くて怖くて、覚悟なんていっても、その覚悟すらダメになっちゃうような、怖いことじゃないですか。・・・でも、エースさんも、マルコさんも、サッチさんも、ビスタさんも、ジョズさんも・・・エドワードさんも。きっと怖がらないんでしょうね。受け入れちゃうんでしょうね。だからどうしたって、笑えるんだ」
それはなんて眩しい強さなのだろう。死を受け入れ、死を覚悟して尚、笑える強さはどこからくるのだろう。人の死を背負えるだけの強さを、どうしたら持てたのだろう。どうやって、持てばよかったのだろう。
逃げることなく、受け入れ、背負えるだけの強さを、明るさを、覚悟を、一体どうやったら、私は手に入れることができたのだろう。生まれた世界が違うからだと、言われてしまえばそれで終わりかもしれないが。
それでも今でさえ。覚悟も度胸もなく。ただただ、目をそらして、受け入れた振りをして、そうして誤魔化して立っている私には、あまりにも、彼らの生き様は、泣きたくなるほどに、辛かった。
顔を覆いたくなるほどの自己嫌悪。思い出すのは総てが途切れたあの一瞬。終わったのだと思った。総て終わったのだと。もう、この手に、過去はない。かつて得ていたものなど、この手にあるはずもなかった。・・・本当は、そこで全部終わったら、よかったのに、と。澱んだ思いが、燻り、慌てて、蓋をする。
閉じて開けた視界に優しい藍色の世界が広がり、瞬く星の小さな灯りすら優しくて、きっとこの情けない顔も夜闇が誤魔化してくれる。
一つ深呼吸をして、私は後ろを振り返った。ポカンと呆けた顔をしているエースさんに、苦笑めいた笑みを浮かべる。くすりと零れた声は、恐らく子供らしくはなかっただろう。
「死ぬって、怖いですよ。とても怖い。何にもなくなってしまうから。そこで、全部、今までのことが、全部終わってしまうから。・・・・・・私は死へと繋がる行為が怖いだけで、それを向けられない限り、エースさん達を恐れることはありません」
だから大丈夫。あなた達を否定などはしない。貴方達を恐ろしいものだと断じたりはしない。唯、私は貴方達の強さが、覚悟が、明るさが。
羨ましくて、妬ましいだけ。
どうやって手に入れていいのかすらわからないものを、私が欲しいと望むものを、覚悟を決めたのだとたったそれだけで得られてしまえることが。その覚悟が、きっと揺るがないことが。羨ましくて羨ましくて仕方ない。どうしてそんなに強くあれるの、と。聞いたところで、私に同じ強さは得られないのだろう。
そのことがまた歯がゆくて、情けなくて、へらりと崩した顔で、私は、溜息を吐いた。