雨と歌う



 しとしとと降る雨は小雨故か、ほぼ一日中本丸の空を灰色に染め変えていて止む気配を見せない。雨が全てを飲み込み余計な物音がせず静かなように思えるが、存外に本丸の騒がしさに変わりはない。なにせ人数、人数?本数?・・・さておき、数はそれなりなので、外に出られずとも屋内は賑やかだ。細々とやることはあるし、屋根のある道場の方は鬱憤が溜まっているのか何時にも増して騒々しいぐらいだ。
 あと雨だからと言って任務がなくなるわけではないし、出陣先では本丸の天気などあまり関係ない。静かといえば静かだが、けれど特別音がないというほど無音でもない、結局はいつも通りな本丸で、生活の喧噪を背後に廊下をぺたぺたと歩く。
 雨の日は嫌いじゃない。出かけるのは面倒だなと思うけれど、家の中にいて眺める分にはむしろ好ましいぐらいだ。特にこういう、柔らかい雨が降る日なんかは。何より庭が日本庭園風に整えられているので、普通の一般家庭の庭を見るよりもよほど風情がある――そう思った直後、廊下の端に腰掛けるようにして見慣れた初期刀の横顔を見つけて、おや?と眉を動かした。
 廊下の縁に正座し、整った横顔は緩やかな微笑みを描いて、手には筆と短冊が握られている。翡翠色の瞳が楽しそうに細くなっているのを見やって、一瞬ばかり考えるとさっと踵を返した。それからしばらくして、お盆の上に急須と湯呑み、それからお茶菓子を乗せてそそくさと彼に近づく。

「歌仙さん」
「主。・・お茶を持ってきてくれたのかい?」

 できるだけ彼の静寂を崩さないように足音を潜めて声をかければ、庭に目を向けていた歌仙さんがゆっくりとした動作で振り無く。日頃は任務や本丸の雑事、あるいは男士同士のいざこざや政府によるあれこれで振り回され、苛烈さを見せることもある彼だがその実穏やかな静寂を好むタイプだ。なにしろ雅を愛する刀なので、本刃自体はゆっくりと自然を愛でながら筆を取っていたいと常々考えているらしい――いやまぁ血沸き肉躍る瞬間も大層好んでいるようだが。血気盛んなところは刀剣故、致し方ないというものだろう。どれだけ平穏や平和を説いても、彼らの本質は斬ることに特化した器物である。
 肉を断ち、血を浴びることを厭うような刀は実際のところ一振りもいないといってもいいだろう。和睦を説く平和主義者な刀でさえも、恐らくはその本質からは逃げようもないはずである。だからといって彼の思想を否定する気もないが。むしろ全面的に支持する。和睦万歳。話し合いで解決できるならそうしたい。刀達には悪いが、人間傷つかないのが一番なのである。
 さておき、彼の横にお盆を置き、一緒に横に座りながら急須から湯呑みにお茶を注いで、自分の湯呑みよりも一回り大きなそれをはい、と歌仙さんに差し出す。
 一旦持っていた筆と短冊を脇に置いて、歌仙さんはゆるゆると口元を緩めて湯呑みを受け取った。ちなみにこの湯呑みは歌仙さんが厳選に厳選を重ねたお気に入りの一品である。彼のお気に入りは他にもいくつかあって、際限なく買いそうだったので一季節ごとに一個にしなさい、と待ったをかけた曰くつきの代物である。つまり春用夏用秋用冬用と分けさせて、それじゃ足りないよ!!と嘆かれたのでしょうがなく梅雨用正月用と増やしてあげた。それでも不満そうだったが、厳選に厳選を重ねて自分の珠玉を見つけてみなさい、と発破をかけたらやる気を出したので問題はないだろう。そしてこの湯呑みはその梅雨の珠玉の一品である。ちなみに珠玉といいながら未練たらしく他のもみていたので、甘いと言われつつもそれを私が使う用とすることで実は彼のコレクションは増えている。
 ・・・金額は決して安くはない。むしろ「え?使うの怖いんですけど」ってものばかりだが、本人としては鑑賞するのもいいが、道具は使ってこそだからね、というさすが付喪神という持論を展開している。そうだね、絵画とかはともかく湯呑みとかお皿とかは基本使うこと前提だものね。鑑賞用もあるだろうけどね。なので正直滅多に使おうとは思わないのだが、偶に取り出しては使っている。でも本当に普段使いの物は適当な値段帯のものを使ってるが、まぁ、こういう雰囲気の時ぐらいはいいだろう。ちなみにこの歌仙さん秘蔵の湯呑み、勝手に触っていいのは主に私だけである。それはそれで超怖いなと思いつつも、湯呑みを手にとり両手で包み込むようにしてもった歌仙さんはその温かさにほっと息を吐いて口をつけた。
 こくん、と嚥下する喉の動きをみて、私も座り直して庭に体を向けながら、湯呑みを傾けた。少し肌寒い今日という日に、温かなお茶の温度が身に染みる。

「あぁ、美味しいね。主はお茶をいれるのが本当に上手だよ」
「ありがとう。でも私は歌仙さんが淹れるお茶も好きですよ。堀川さんも美味しいけど」
「堀川のお茶も確かに美味しいね。鶯丸殿がくれば、是非ともその腕前を見てみたいものだが」
「あぁ、お茶好きって噂の。それじゃぁ鶯丸さんが来る前に茶室を準備しておかないとね」
「ふふ、僕の主が理解があって嬉しいよ」

 嬉しそうにはんなりと目を細める歌仙さんとは前々から茶室の話をしているので、またカタログ取り寄せて考えなくちゃなぁ、とお茶菓子に手を伸ばす。上生菓子はなかったので、置いてあるのは豆大福だが近々揃えてまったりお茶会を催したいものだ。
 茶席ほどじゃなくて、こういう庭を眺めながらまったりと、ね。ぱくり、と頬張ればこしあんの滑らかな舌触りと求肥のもっちりとした食感、黒豆のコリコリっと固い噛み応えとほんのり感じる塩気がより餡子の甘さを際立てて実に美味しい。あーここの和菓子屋本当美味しいー。

「今度の休みにお茶菓子買いに行って、小夜とかにも声をかけてお茶会したいねぇ」
「それはいいね。この時期なら水無月をおすすめするけれど、紫陽花も捨てがたい」
「雨が降ってると尚いいな・・・どうせなら雨の日を狙ってやろうか」
「ほう・・それは風流だね」

 こうやって縁側に並んで腰掛けながらお茶するのもいいよね。

「激しい雨でも柔らかな雨でも、結構どっちも好きなんだよね」
「おや。主は雨の日が好きなのかい?」
「出歩くのはあんまり好きじゃないけど、こうして見ている分には嫌いじゃないよ」
「ふふ、さすが僕の主」

 そういってくすくすと笑い、歌仙さんも大福を手に取ってぱくりと頬張る。もっちーと伸びる求肥とちょっと口元が白くなるその様子を眺めて、サァサァと降る雨に耳を傾ける。歌仙さんの低い穏やかな声と重なって、ひどく心地よい。うん。

「歌仙さん、歌ってよ」
「え?」
「歌、考えてたんでしょ?ね、それ歌って」
「えぇ、・・・なんだか気恥ずかしいな」

 少しばかり意地悪く、にんまりと笑いながらお願いする。困ったように眉を下げて、脇に置いた短冊を隠すように掌を重ねた歌仙さんの翡翠色の目をじっと見上げれば、やがて観念したように彼は溜息を吐いた。

「・・・全く、時々主は意地悪を言うね」
「愛故ですよ。歌仙さん」
「愛ならば仕方ないね」

 そういって、照れながらも満更ではなさそうに今まで考えていたであろう短冊を手に取った彼に、そっと瞼を伏せて聞き入った。
 サァサァ、しとしと。
 あなたの声は、ひどく心地いい。