セーラー服と日本刀
この屋敷、廃れすぎにも程がある。
腰に差すにも差せない刀を左手に持ち、ボロボロの障子を開けて出た廊下は、歩けるには歩けるが気を付けないと腐食した板を踏み抜いて落っこちそうなほどに危なかった。
所々浮いた床板に足を引っ掛けそうになるは、ギィギィギシギシとしなる音が聞こえて、本気で踏み抜きそうで怖い。完全に腐食した板の一部が折れて穴さえ開いているので、これはよほどの期間放置されていたのに違いない。人の住んでいない家屋の衰退は早いと聞くが、幽霊屋敷も真っ青の有様だ。いっそ可哀想、と同情心すら芽生えてくる始末。穴の開いた廊下の下は暗く、時折板の隙間から雑草も顔を覗かせているところから、屋敷の一部は植物による侵略を受けている気がしてならない。種子が家屋の中にも入っていそうだ。
「靴履いててよかった・・・」
うっかりしていたが、寝て起きたあの部屋の時点で靴を履いたままだったのだ、私は。室内で土足はどうなのかと一瞬思ったけれど、これは逆に履いていないと危険なぐらいだ。靴下のみだと怪我をしかねない。開き直って土足でずかずかと遠慮なく屋敷の探索を続けると、長い廊下を折れて、ボロボロと一部が崩れた漆喰に、完全に木枠が折れて仕切りの役目を果たしていない障子がある前に立った。
その崩れた障子の外側から室内を見れば、室内はざっと10~12畳ぐらいの広さがある座敷だった。奥には押入れがあり、隣の部屋を区切る襖が見えたので、室内には入らずにそのまま廊下を進んで、こちらは一応障子の形を保っているそこを開けた。似たような作りの部屋になっていたので、覗き込んだ顔をひっこめて、首を巡らして続く廊下の先を見る。等間隔に障子戸が並んでいる様子に、忍術学園の長屋の様子を思い出した。・・・もしかしてそういう用途の部屋なのかな?
くるっと後ろを向くと、中庭を挟んで反対側も似たような棟が続いていたので、恐らく向こう側も似たような部屋が並んでいるのだろう。
元よりかなり大きそうな屋敷だとは思ったが、これだけの部屋数と広さを見るに、想像以上に規模のでかい屋敷じゃないか?うわぁ、勿体ない。そんな立派な屋敷がこんな廃れっぷりを見せるとは、諸行無常を感じる。
しかもこれだけの部屋数を揃えているところをみると、使用人なりなんなり住込みの人間もかなりいたのだろう。それが今や人っ子一人見当たらないとは・・・一体この屋敷に何が起こったのだ。歴史的建造物だとしたらこんな廃れさせ方はしないだろうし・・・。こんなに見事な和風建築なのだし、寂れ方を見るに結構な年月も経っていそうだし、かなりの価値はありそうなんだがなぁ。
やはりどうにも腑に落ちない。首を捻りながらも、まぁ、考えてもわからないな、と切り替えて開けた障子を閉じた。部屋の中に関してはまたおいおい探るとして、次に行こう。そのまま腐食した床板部分は避けながら廊下を突き進み、突き当りを曲がって無作為に廊下を歩いては、部屋の戸を開けて閉めてを繰り返した。
どの部屋も作り自体は似たり寄ったりだ。広さこそ違うけれど、まぁ和室に変化を求めろというのも難しい。家具など生活用品があればまた違ったのだろうが、なんというか、悲しくなるほど物が少ないんだよね・・・。立ち退きで押収でもされたんか?それとも火事場泥棒にでもあったんか?
あぁ、でも、この屋敷には複数の用途のわからない部屋があった。同じような作りの部屋が並んで、障子戸の上に何故かデジタル時計?が設置されているというデザイン。何故あえてそこでデジタル時計?その部屋の中には薬箪笥と文机、中にまで入ってはいないのでよくわからないが、他にも何か道具が転がっていたように思うので、また探ることがあれば探ってみようと思う。イメージでいうなら医務室的な?専属の医者でも住み込みでいたのかもしれないな。他には、神棚・・というよりも神社の祈祷部屋のような神厨子と大きく立派な神鏡の置かれた部屋もあり、ともすればなにかしらの神事でも行っていたのだろうか?と首を傾げる。そういう家系だったとか?それだけ立派な部屋ではあったんだが、しかし一般的な家にはやはりあまりない代物である。
あとは、そうだな。この家で異質だと思った部屋は一部屋だけ。デジタル時計が嵌められた部屋も、祈祷部屋も、この屋敷に似合わない一室ではあったが、それでもなぜか馴染んでいたように思う。その中にあって、尚異質と思った一部屋があった。無論作りが違うとかだとか、そんな単純なものではない。この屋敷の一番奥。恐らくはこの家の主であろう人物が過ごしていた奥の間に、その部屋にだけ、和風建築には見合わない現代機器・・・パーソナルコンピュータ、所謂パソコンがあったのだ。その他にもそう広くない部屋に文机と本棚といった家具が残っていたので、唯一そこだけはこの時代を勘違いしそうな家の中でようやく現代に繋がる物を垣間見たのだ。いわば、生活感とでも言おうか。他の部屋に欠如していたそれが、その部屋には残っていた。
その他の部屋でも時々箪笥や卓袱台などは見かけたが、それにしてもおよそ人が住んでいただろう生活感はどこか欠如しており、気味の悪さを覚えたものだ。まるで最初から、人なんて住んでいなかったかのような、そんな薄気味の悪さ。ぶるり、と悪寒に体を震わせ、居心地の悪さを覚えつつも土間まで辿り着いたところで、どこかほっとする人の生活の名残を見つけた。
「土間か・・・昔ながらすぎるでしょ。マジでここ遺産とかじゃないの?」
文化遺産とかになってても可笑しくない気がするんだけど?いや、デジタル時計があったからそれはないか?あの部屋の時計マジなんだったんだろ。そう思いながら、高くなった床から土間に降り、竈と壁に沿うように配置された大きな甕、それから備え付けられた上下の棚にある多数の鍋や盥、それに包丁やまな板などといった料理器具をぐるりと見渡した。三口の竈に、流し台、調理スペースが繋がるように作られており、流し台の中を覗きこんんでみると、カラカラに乾いた中に薄らと積もる砂埃が見えた。
顔をあげて、梁の見える高い天井を見上げ、右手で顎を撫でてふむ、と一つ頷く。
中は一通り見たには見た。まだ全部とは言い切れないが、ある程度見て回った中でも人影どころか生き物の影も見えなかったので、大方の想像通りここは無人なのだろう。
なら次は外だな、と土間から続く外への出入り口を見やり、正面玄関とは程遠い裏口から外に出た。
見上げた空は曇天だった。晴れやかな空を特別求めていたわけではないが、それにしても気が滅入る空だ。あぁでも、時間が経てば晴れ間も見えそうだ。厚く垂れ込める灰色の雲の切れ間から青い空が顔を覗かせ、その間から降り注ぐような陽光が見える。雨あがりの空を思わせるその様子に僅かに目を細め、視線を庭先へと向ける。
まぁ、屋敷の中からも見たような、良く言えば趣のある、悪く言えば荒れた庭の様子に、一つ溜息を吐いて歩き出した。とりあえず正門を目指して、そこから外に出てみよう。見た限り周囲が緑に囲まれた様子はないので、多分山だとか森だとかそういった場所ではないのだろうし。田園風景でも広がってるのかなぁ。とりあえず街中であるとかそういったことはない気がする。そんなことを考えながら歩いていけば、大きな屋敷に似合いの大きな蔵が見え、更に進めばどうやら馬小屋らしき木造の小屋も見えてきた。
馬までいたのかこの屋敷すげぇな、といっそ感心しながら馬小屋を覗き込めば、藁や干し草、あとは馬小屋の掃除道具だろう箒やら藁を集める熊手やらがボロボロの壁に立てかかっている。肝心の馬の一頭もいはしなかったが、まぁこんなところで馬だけいても困るだろうし、馬も可哀そうだ。馬屋番とかもいたんだろうなぁ。
この屋敷の使用人のことを考えながら、馬小屋から顔をひっこめて正門を目指して屋敷の周りをぐるりと回っていく。途中、やけに広い敷地で、なんか畑?らしき場所を見つけたが、雑草の茂り具合にあんまり自信が持てなかった。なんかこう、畝があったから畑っぽいなぁ、と思ったぐらいで、実は違ったのかもしれない。まぁいいや、関係ないし。
さくさくと通り過ぎて、ようやく広すぎる屋敷の周りを一周?半周?ぐらいしたところで(これだけで結構な運動になりそうだ)、目的地に辿り着く。
高い塀の切れ目・・・木製の門扉の存在に、ほっと息を吐いた。大きな屋敷に相応しい立派な門構えのその前に立ち、マジマジと門扉を眺めて眉を下げる。
「ここも結構壊れてるな・・・勿体ない」
門扉の片側の木の腐食が進んだのか、それとも別の要因か。蝶番が外れて傾き、本来ならばガッチリと閉じられているべき門が半開きの状態になっている。
まぁ歪んで開かなくなってるよりはマシか。そうなったら塀を乗り越えて行かなくてはならないところだった。そう思いながら、心持軽い足取りで門扉に近づいた。
なにせようやく外に出られるのだ。誘拐犯が何を目的としていたのかは知らないが、マジで誰もいない屋敷に放置して何がしたかったんだろ?山の中じゃなければきっとご近所ぐらいいるよね?と小さな希望を抱きつつ、あ、でもこの刀どうしよう、別に必要なかったな、と手に持ったままのそれの所在を考えつつ、壊れた門に手を触れそこから外を覗き込んだところで、大きく目を見開いた。
「・・・え?」
門の、外が、ない・・・?
そこは、無明の闇だった。いや、闇という表現も可笑しいかもしれない。もしくは真っ白な空間だったのかもしれない。しかし、共通して言えることは、おおよそ想像していた「外」の風景が、そこにはどこにもなかったということだ。何もない、ただただ表現のし辛い空間が広がっているばかりで、ごくり、と生唾を飲み込む音がやけに大きく聞こえた。
「なに、これ・・・」
私が思い描いていた門の外は、例えば田舎の田園風景が広がっているとか、道路が目の前にあるだとか、住宅がそこにあるだとか、まぁおおよそ有りえるだろう光景ばかりだ。
それが、なんだこれは。どうして「何も」ないのだ。可笑しい。可笑しいなんて言葉が可笑しいほどに、それは「有りえない」光景だ。
家の外の空間が何もないだなんて有りえるか?道も、住宅も、田んぼも、この際森だろうと山だろうと、なんでもいいがそういった物質が何もないのは可笑しいだろう。
ぐにゃぐにゃと歪んで色を変える、白とも黒とも虹色ともつかない奇妙な空間。まるで、異空間にでも、飛ばされているかのよう、な。
「は、はは・・・まさか、そんな」
自分の想像に乾いた笑いを零して、現状から逃げるように門の外に手を伸ばした。
不意に、カタカタ、と手の中の刀が震えた気がしたけれど、現状、信じ難い光景に意識を持っていかれてそこに気づくことはできなかった。ただ、縋るように外に手を伸ばして、僅かに門扉の外に指先が出た瞬間、――激痛が、指先に走った。
「っ!?」
思わず手をひっこめ、半歩後退りながら驚愕に見開いた目で引っ込めた指先を見下ろす。指先は、切り裂かされたように無数の裂傷を携え、ぷつぷつと赤い血が浮き上がってきていた。ズキズキと鋭い痛みが切り裂かれた指先から伝わり、脳内に警告音を鳴り響かせる。傷口自体は深くない。血もさほど出てくるわけでもなかったが、それでも、まるで外に出ることを拒否するかのように・・・いや、外自体が生き物を拒絶しているかのようなその現象に、ぞっと背筋に悪寒が走った。傷ついた手を握りこみ、逃げるように門から一歩、後ろに下がる。
出れない。ここから、この門の外へ、私は出れない。一瞬だけ、ほんのちょっと、指先が外に出ただけだ。それでも、傷を負った指が告げる。僅かでも外にでた指先が教えている。何かが、「ズレ」ている。ここと、外では。何かが確定的に、違っているのだ。
生身の人間では、決して通ることのできない何か。それが何かはわからない。わからないが、それでも人を愕然とさせるには十分だった。
「嘘でしょ・・・」
茫然と、口から零れた声は酷く掠れて聞き取り辛い。それはまさに私の心情そのものを表しているようで、先ほどまでの安堵の気持ちは吹き飛び、ただひたすら、最早私を拒絶しているとしか思えない門扉を見上げて、左手に持つ刀を強く握った。
なるほど、つまり、誘拐犯が私を拘束もせずに、こんなボロ屋敷に放置していたのは―――どう足掻こうと、ここから外へ逃げることができないという、絶対の自信があったからなのか。
希望から絶望に叩き落とされたかのように、ただ茫然と、成す術もなく見上げた門は・・・私にとって、何よりも大きな壁のように見えてならなかった。