セーラー服と日本刀
とろりと瞼を開ければ柔らかな陽光が室内に差し込んでいた。パチパチ、と瞬きを繰り返し、俯いていた顔をあげて前を見ればボロボロの障子が見えた。障子の穴から入ってくる明かりと、外の明るさからどうやらもう太陽が顔を覗かせている時間帯だと察する。あぁ、夜が明けたのか。
そこまで考えたところで、くあ、と欠伸を零した。ぐしぐしと手の甲で目元を擦り、まだいささかの眠気の残る頭で抱き抱えていた刀を横に置くと壁から背中を放し、ぐっと両腕を天に向かって高く突き上げ、背筋を伸ばして伸びをした。ばきばき、と凝り固まっていた筋肉と筋が動いて伸びて、大層気持ちがいい。首もぐるぐると回して、ついでに肩も回す。その拍子に昨夜の戦闘で怪我をした部位が痛んだが、一通り体の筋肉を解し終える頃には、目も完全に覚めて頭もしっかりしてくる。
朝独特の冷えた空気が肌を撫で、大きく吸いこめば肺の中を満たしていく感覚が体中に広がる。指先まで這い回る血管の中すべてに酸素が行き渡るようなその感覚に、生きてる、という実感が堪らない気持ちになって、ふにゃ、と口元を緩めた。
「あぁ・・・朝だなぁ」
当たり前のことを呟いて、無事に迎えた朝日の存在が無性に尊いものに思えて、いそいそと立ち上がるといささか手荒に障子を開け放った。遮られていた分の光を全身に浴びて、見えた空の少し薄い青色と、輝く太陽の姿に目を細める。
長い、夜だった。むしろ酷い夜だった。あの後怨霊を二体も相手にして、怪我もしたしぶっちゃけ生きた心地もしなかった。今こうしていられるのが不思議なぐらい無様な戦いっぷりだったと自覚している。だってしょうがないじゃん。どれだけ実践からブランクあると思ってるの。そもそも私に戦いの才能の類はない。あくまでも最低限の経験と訓練の元身に着けているだけであって、決してその手のことに才能があって強くなったわけではないのだ。命あっての物種とはよくぞ言ったものである。とりあえず生き延びてればどうとでもなる。生き残ることが第一であって、相手を倒すだとかが第一じゃないんだよね・・・。まぁ今回の場合、相手を倒さないと死んじゃうので死にもの狂いで倒したけれど。
あの後、アドレナリン大放出で神経が尖ってるから眠れやしないし、そもそもまたあれが来ても恐怖でしかないので、横になることもできずに座って仮眠取る羽目になったし。
しかも元いた部屋はぶち破られた障子の残骸が散乱しているせいで寝れなくなった上に遮るものがなくなって開放的にもほどがあった。仕切りが何もないのはちょっと、ねぇ?おかげでちょっとの物音で目が覚めるぐらい浅い眠りにしかつけなかった。これがずっと続くとさすがに体力的にも精神的にもきついな、と思いながら昨日斬られた腕を少し撫で、よいせ、と立ち上がる。年寄り臭い?中身年寄みたいなもんだからね!
「さて、まずは水を探すかね」
一旦部屋の中に戻って刀を手に取ってから、怪我を洗うためと、飲み水の確保のために背筋を伸ばす。あの穢れ塗れの刀で切られたせいなのか、単純に傷口が熱を持っているのか、ちょっと体がだるいので早急に水は見つけ出しておきたいところだ。あるいは寝不足のせいかもしれないが、どっちにしろ水については最重要項目なので優先順位は変わらない。
ついでにどっかでこの刀を固定する帯みたいなものでもないかな、と思いながら無造作に引っ掴んだ刀を持って飲料水探しに屋敷を抜け出した。
あぁ、それにしても、晴れてよかった。これで雨だったら・・・いや、雨水の確保ができたな。まぁでも水を見つけたら食べ物も探したいし、あ、でも布団も干しておきたいし・・・やることいっぱい、と肩を竦めた。まぁ、当分は色々悩まずに済みそうだが。
※
木枠に囲われた、ぽっかりと丸い穴の開いている底を覗いて、ゆらゆらと光を跳ね返す水面に少し考え、滑車式の水汲み桶をぽいっと放り込んだ。少しの間の後、ばしゃん、と桶が水面に到達した証の着水音が聞こえたので、よっこいしょ、と掛け声をかけながら縄をガラガラと滑車の音をたてて引っ張った。
格段に重みを増している桶だが、滑車がある分大分楽に引き上げることができた。そうして上がってきた桶を木枠の縁に置くようにして、組んできた水の様子を伺い見る。・・・ふむ。
「大分放置されてた割に綺麗な水だな」
想像では結構あれな感じなってるかと思ったのだが、思った以上に澄んだ水に、はて、と首を傾げる。いや、良いことなんだけど、微妙に納得できないような?あぁ、でもこの異空間である。こういうこともあるか、と一人で頷いて片手で水を掬うと口をつけた。こくり、と喉を鳴らして、喉元を過ぎる冷たい感触にほぅ、と吐息を零した。
・・・ん。まぁ飲み水としても問題なさそうだ。このまましばらく過ごして、体に変化がなければ水の確保はOK、と。え?自分で実験するなって?他に実験対象がないんだからしょーがない。人間泥水啜ってても案外なんとかなるものである。
誰にともなく言い訳しながら桶を降ろしてしゅるり、と制服のリボンを解いた。それを桶の水に浸して、かたく絞るとまずは顔を拭いて、それから思い切ってセーラー服の上着を脱ぐ。いや、袖を捲るのもちょっと大変なので、いっそ脱いでしまった方が楽かなと。下着は着てるし、別に誰も見てやしないので構いやしないだろう。なんか井戸に立てかけた刀ががたがた、と揺れた気がしたが気にしない気にしない。うん。気にしたら負けだ。
さてもとにかく、傷口に固まってこびりついた血をふき取るように擦って、粗方落とすと今度は直接水をかけて傷口を洗う。ちょっとばかり染みたけれど、さほど深く切れていたわけではないのが幸いか。でも血が流れるぐらいは切れていたので、制服の袖がちょっと悲惨なことになったのが悲しい。まぁもう止まってるけど。これ痕が残ったら嫌だなぁ。
制服はクリーニングにだしたらなんとかなるかしら。その前に繕わないとだけど。そもそも出せないけどね!
濡らした腕をスカーフでふき取り、ばしゃばしゃと洗って汚れた水を捨ててまた新しいのを汲んで、汚れた手足を軽くふき取ってさっぱりしてから、この一日で薄汚れた制服をまた着込んだ。
思いのほかあっさりと飲み水問題が解決して、幸先がいいやら不安やら。まぁいいことだと素直に受け止めておこう。水問題が解決できれば今後についてもぐっと楽になる。人間、食べなくてもしばらくはなんとかなるけど水がないのは致命的だからね。
さてお次は、と視線を泳がせ、燦々と照る太陽を見上げ、そして程よく庭先を抜けていく風。うん、と一つ頷いた。
「布団洗おう」
今日の天気ならばよく乾きそうだし。洗って干している間に食料探しだ。家の中についてはそれらが終わった後がいいだろう。ともかく生きていく基盤を作らなければどうにもならない。
いつまでここにいるのかわからないし、いつ帰れるともわからない。もしかしたら一生このままということも有り得るかもしれないが、その時はその時だ。
世の中、割と為るようにしかならないのである。生き物なんて、その中でどうちっちゃく足掻いていくか、その一点に尽きる。
真理さね、とぼやいてばさりとスカートの裾を払った。
それからの作業は早い。まず洗濯場を探しだし、その近くの干場と思われる場所にあった恐らく物干し竿と思われる長い棒と、それを立てかける台・・・割とボロボロだったが、まぁ布団の一枚二枚程度ならなんとかなりそうな感じだったので、それらをセッティングしてから、昨夜最初に寝泊まりしていたパソコンのあった部屋に戻って押し入れから布団を取り出す。湿気た黴臭い布団を押し入れから引きずり出し、それを抱えて洗い場を目指す。結構遠いのが難点だが、仕方ない。刀はまだ腰に差すための帯を見つけてないので、抱えた布団の上に置いて運んでいる状態だ。今この状態で襲われたら死ぬな、確実に。そう考えながら洗濯場につくと、手押しポンプの近くで、水を溜める仕様になっている溝の中に三つ折りに畳んだ布団を置いて、排水溝に栓をする。ちなみに、場所のイメージがわかない人はと○りのト○ロを思い描いて貰えるとわかりやすいんじゃないかな!
さておき、水を出すには井戸から水を汲んでこなければならない。というわけで、近くに転がっていた、やっぱりぼろっちぃ桶を抱えて井戸に戻り(割と近い)水を汲んで、洗濯場に戻ってポンプに組んできた水をいれてひたすら漕ぐ。この作業が案外力がいるので大変なのだ。そうしている内に、ザパァ、と出てきた水が下の溝に溜まっていく光景を見ながらある程度水を張ったところで、動きを止めて靴と靴下を脱いで、水に浸った布団の上にのる。冷たい水と浸った布団の柔らかい感触を足の裏で感じつつ、その上で軽く足踏みをした。
ばしゃばしゃびちゃびちゃと水飛沫と音をたてながら、何度も足踏みを繰り返して全体を踏み洗いをしたところで、洗い場の栓を抜いて水を捨てて今度は水切りをするように布団を思いっきり踏みつけていく。ある程度水を絞ったところで、あらかじめセッティングしておいた物干し竿に布団を引っ掛け、天日干しと水切りをいっしょくたに終わらせる。補した布団から絞りきれなかった水分がぽたぽたと落ちて地面に染みを作ったが、この天気と風ならば夕方までには乾くだろう。掛布団も同様の作業をこなし、一段落をつけると今度は脱いだ靴下を折角なので軽く水洗いにして欲し竿の先に引っ掛けて干しておいた。いや、まぁ、折角だし。素足を靴に突っ込んで、立てかけておいた刀を手に取って再び部屋に戻る。いい加減この刀を手持ちにし続けるのはちょっと邪魔だ。しかし、置いていくにもまた昨夜のようなことがあっては怖いので、常時身に着けて置くに越したことは無い。あの襲撃が一回だけとは到底思えないし・・・。というわけで家探し再び。部屋に戻って壁際にある衣裳箪笥の引き出しを開ける。歪みがきているのかそれとも腐食が進んでいるのかわからないが、何かに引っかかるようにして滑りの悪い棚を悪戦苦闘しながら引き出して、中を検分する。
あー・・・着れるかいまいちわからない着物が数着。色味からして男物だろうか?古びた着物を引きだしから出して見れば、案の定男物だった。まぁ女物ならもっと華やかだわな。
灰色とか黒とか紺とか藍色、それから松葉色等、完全に色味が男物のそれだ。着れなくはないだろうけど、サイズがこりゃ大きすぎる。しかし、幸いにして帯を見つけたのでとりあえずこれで刀を差すことはできそうだ。黒い帯を引っ張り出して、腰に三回巻きつける。後ろで結び目をつけると、外側にできた隙間に刀を差しこんだ。あとは下緒で刀を抜き取られないように固定するのだが、まぁ、大丈夫だろう。人間相手ではないのだし、背後から刀を抜き取ろうとしてくる相手とは思えない。下緒は鞘に綺麗に巻いたままにして、改めて腰に差した刀を見やる。・・・・・・・・・・・・。
「・・・不恰好だな・・」
思わず、ぼそっと呟く。瞬間、ガタガタガタと刀が震えた。ビックリするほどの振動だった。思わず折角腰に差したものを抜き取って庭に投げ捨てる勢いで驚いた。ひっと悲鳴をあげた私を責める人などいるはずもなく、ばっと両手を上にあげてバイブレーションのごとく震えている刀にナニコレ!?っと顔を引き攣らせる。
腰から伝わる振動と鍔鳴に、気のせい、など、口が裂けても言えるはずがなかった。
いや・・・その、昨夜からその傾向はあったと思うんだけど、まぁ、なんていうか、普通にスルーするよねって。怪奇現象など現状だけで十分だし、まさかそんな刀まで、ねぇ?とか思うじゃん?てか思いたいじゃん?さっきも井戸で震えた気がしたけど無視したのに!気のせいだって言い聞かしたのに!!これ以上色々増やしたくないからスルー一択だったのにぃぃぃぃ!!!
何故ここで!自己主張するの!?嫌だなにこれ怖い!この刀なに!?妖刀なの!?その割に悪い気配はしてないけどね!うわぁぁ、と顔を青くさせているのに、刀はお構いなしにガタガタガチャガチャ音を鳴らす。物凄い何か訴えられている気がする。気がするが、まぁさすがに言語もなしに刀の鍔鳴だけで何言ってるかなど判別できるはずもなく。しかしながら、揺れ方が非常に乱暴というか荒いというか・・・そう、まるで怒っているかのような・・・・?
「あ、え、・・ご、ごめんね・・・?」
わけもわからず、恐る恐る謝罪を口にすれば、ぴたっと刀の揺れが止まった。思わずお、おう、と動揺の声を漏らす。
しん、と先ほどの鍔鳴が嘘のように静まった刀に、やべぇ、すごい投げ捨てたい、と思いながらも、これが唯一の武器と思えば手放すこともできず、泣く泣く腰に差したままで、遠い目をした。・・いや、普通の刀ではないなぁとは思っていたけれども、こんな怪奇現象はいらんかった。切実にいらんかった。なにこれ迂闊な発言すれば揺れるの?自己主張するの?超怖いなにこの刀。そして何に怒ってたのこの刀。わけがわからないが、少なくとも刀が勝手に動いて首取ったりしませんように、と思わず両手を合わせて南無、と拝んだ。
これ、手荒なことできんわ、本当。したら最後、祟り殺されそうである。嫌だ本当ナニコレ。泣きたい、と思いつつ改めて刀を見やり、自分の恰好を見下ろし、今度は口に出さずに、内心で呟いた。
うん、本当に、この恰好で刀って、ないな。しみじみと思う。だって、セーラー服に刀だよ?いや、それ自体はいい。むしろビジュアル的には物凄い好みだ、二次元的な意味で。セーラー服と日本刀なんて大体の二次オタのツボに嵌る絵だと思う。思うが、あくまでそれは二次元の話であり、尚且つ手に持っていたり構えていたり・・・まぁ要するにこうやって腰に帯つけて固定してるのはなんか違うよねって話で。正しいんだけど、これでもそういう時代で生きたこともありますから?この差し方は間違いでもなんでもないんだけど、セーラー服で刀を帯刀するには、やっぱりこう、帯刀の仕方にも道具にもそれなりにビジュアル面が推される気がして・・・。
そもそもやってるの自分だし。萌えない。何をどう足掻いても萌えない。おまけに何か憑いてるっぽい怪奇現象付きの刀とか。あれだな。こういうのは客観的に見るのがいいのであって、自分でするもんじゃないね!うん。まぁ別にコスプレをしているわけでもない、割と死活問題でやってるわけなのでビジュアルも何も、という話なのだが。
・・・・・・・この着物も洗って着替えとしておいとこ。大きいけど、まぁ、着方でどうにでもきるし、着物は。袴は流石に無理だけど、襦袢程度なら帯で止めれば丈は調節できる。ずっと制服のままでもいられないしねぇ。
図らずとも衣服問題を解決し、他に問題も浮上したがともかく、刀の位置も定まったところで次の問題に移る。そう、食糧問題だ。
「まぁ、まずは、台所?」
無難にそこから攻めてみるべきだよねぇ。頬に手をあて、小首を傾げながら、刀の縁頭の部分を親指で撫でて吐息を零す。まぁ、あったところで食べれるようなものがあるかどうか。とりあえず、行かねばなるまい、食糧の為!ぐっと拳を握って、踵を返した。