セーラー服と日本刀



 襲撃の回数は、考えるよりは少ない。
 それでも全くないというわけではなく、忘れた頃に訪れることもあれば、日を開けずにやってくることもある。その法則性も彼らの目的も何一つとしてわからないまま、ただ惰性のように、襲い掛かってくる脅威を退ける。
 無論、時間も関係ない。真昼間の晴天の日もあれば、明け方の時間帯も、雨の日も風の日も、食事中だって関係ない。所構わず場所問わず。思い出したように現れる異形は、いつ何時でも、私を殺そうとその刃を閃かせるのだ。泣きたい。
 一番困ったのはお風呂に入っている時である。お風呂といっても、電気もガスも水道も通ってないこの屋敷で、たっぷりのお湯を使った入浴などは見込めない。
 お風呂場はあるが、どれだけの人数入るのさ、ってぐらいに大きいし、そこにお湯を溜めるだけの気力はない。水を溜めるのもそうだけど、沸かすのも一苦労・・いや十苦労はする。まぁ最初からまともなお風呂なんて期待してなかったけどさ。
 それでも清潔にしていたいのは乙女心と人間性。お風呂大好き民族舐めんな。ということで、苦肉の策で大き目の盥にお湯を溜めて半身浴?めいたことをしている日々である。盥程度のお湯なら、まぁ、ちょっと頑張れば沸かせるし。それでも一日の最後のお風呂というのは格別である。全身浸かれれば言うことないが、一部とはいえ熱いお湯に体を浸してゆっくりと汗や泥や埃を落とすのは気持ちがいい。
 そんな至福の時間を、邪魔する無粋な輩。人がまったり、それこそ気を完全に抜いてのんびりとしている、その時に。
 衝立を破壊して飛び込んでくる骨骨しい外見。偶にもっと見た目えぐい化け物もくるのだが、今回はこの骨魚らしい。どちらにしろ嬉しくもないのだが、でかい武器こさえた怨霊よりはマシだと思っている。
 しかし、考えてみても欲しい。お風呂中である。ザ・入浴中である。例え全身浴はできずとも半身浴程度はしている真っ最中である。特別なことでもない限り、そんな時の恰好といえば、全裸である。服や下着つけたままお風呂に入るような人間はそういないだろう。禊をしているわけでもないので、単を着ているわけでもない。完全なる裸の状態。隠すものなんて手拭いぐらい。服を着る時間?あるわけないよねそんなもの!
 結果、素っ裸で盥から飛び出し怨霊の一撃を避けて床を転がる羽目になりましたともちなみに現在進行中でな!!
 ひっくり返った盥からばしゃんとお湯が零れる音を聞きながら、素早く体を立て直して、手に持っていた手拭いを腰で結んだ。ここまで多分数秒もかかってないぐらいの早業だ。バスタオル欲しかった。けど贅沢は言わない。多分これ動いたら簡単に解けそうだけどないよりはマシだ、と色んな意味で諸々のことをぐっと我慢して、そっと片手で胸元を隠した。素っ裸で敵と対峙とか、やるせない。しかし恰好を気にしている余裕などないので、さっと急いで周囲に視線を走らせた。
 何かあっても怖いので、基本肌身離さず持っている刀は、逃げた方とは反対側だ。ガッデム!と内心で舌打ちを打ったが、こちらが体勢を立て直したとほぼ同時に相手も体勢を直してこちらに向き合ったので、じりじりと間合いを測り合う。
 どうにかして刀がある向こう側に行かなければならないのだが、丁度敵を挟んだ反対側という最悪なポジション取りである。宙に浮いている怨霊の足元でちらちら見える刀に、眉間に皺を寄せてゆっくりと横に移動する。それに合わせて、怨霊もまた私の正面に来るように体を動かした。このまま上手いこと時計回りにでも行けたらいいが、そう簡単にはいかないだろうな。そう考えた刹那、怨霊が刀を閃かせて切りかかってきた。
 口に咥えたそれを、頭を振って上段から振り下ろしてくる。ブォン、と風を切る音が聞こえ、体を捻って交わすと、すぐさまその軌道を修正して、今度は横の軌道線で白刃が迫った。それをバックステップで躱し、すぐに横に逃げる。直後に、再び白刃が閃いたが、そこにすでに私はいない。しかしながら、避けてばかりではジリ貧確実。そもそも体力もある方ではないので、逃げ続けるのは結構辛いのだ。長期戦が非常に不利だ。どうにかして刀の元まで行かなくては。ちらり、とまだ遠い刀の位置を横目で確認すると、ヒュッと風を切る音がして、咄嗟に首を横に傾けた。ビッと耳に微かな痛みが走る。
 その痛みに僅かに眉を寄せ、しかし躊躇うことなく片手を振り上げ、裏拳で怨霊の横っ面を殴りつけた。骨と骨がぶつかる堅い感触。痛みが確かに鈍く残るものの、僅かに怯んだ隙を見計らって、思い切って背中を向けた。ぶっちゃけ敵に背中を見せるのはかなりの勇気がいる。背後からばっさり、なんてよくあることで、背後からの攻撃を躱すのはかなり難しいからだ。しかし、このままでは刀の元まで行けそうにもない。体力を削られ続けるわけにはいかないのだ。敵は一体だけではない。恐らくもう何体かはいる。いつも徒党を組んで現れるのだから、本当に抜け目ないことである。幸いにして、今は一体だけだけれど、いつ加勢に訪れるか。戦々恐々としながら、ダッシュで刀の元まで走る。
 室内だ、それほど遠くない。攻防しながらでは遠い距離も、物理的にいえばそんなに遠くはないはずなのだ。

(あと、もう、少し・・・っ) 

 伸ばせば届く。足を思いっきり前に踏み出して、大きく刻んだ一歩。近づく刀。刃は鞘に納まったままで、静かにそこにある刀に、ぼんやりと影が重なる。こちらに伸びる手。目一杯誰かが私に向けて手を伸ばしている。人影の口元が動く。何かを言っている。ひどく焦ったように、懸命に、手を伸ばして―――声、が。


 ぞわり。


 刹那、全身の産毛が逆立った。素肌に感じる刺すような気配。身に覚えのある、心臓がキリキリと引き絞られるような、首の皮一枚、そこに掠めるような――殺気。

 振り向けない。

 思考の速度はほぼゼロだった。いや、考える、という行為をしたかも定かではない。けれどもその判断を誤ったとは思わなかった。恐らく体勢を変えるその時間、そのものが、ひたすらに無駄な時間であることは違いなかったのだ。ほんの僅かなタイムロス。
 それさえも惜しむほどに私は、ただ真っ直ぐに―――刀だけを、見つめていなければならなかった。
 そして、それは間違いではなかった。無論、感じた殺気の存在は無視できない。それは確かにそこにあり、確かに私の首を落とそうと迫っていたからだ。
 なれば、天は私に味方したのだろう。それとも日頃の行いか。この不条理に、僅かばかりの情けを見せてくれたのか―――突如、顔の横を礫が凄まじい速さで通過し、がつん、と重たい音が聞こえたのだから。それがなんなのか、後ろがどうなっているのか、一々確認する暇はない。ただ、すぐそこに迫っていた殺気が遠ざかったことだけはひしひしと感じつつ、生命線とも言える刀にようやく手を伸ばす。指先が触れた瞬間、誰かに手を握られたような柔い感触がしたが、すぐにそれは霧散して代わりに堅い柄の感触を掌全体に感じる。そのまま、先ほどの暖かな柔い感触など振り払うかのように刀を掬い取り、鞘を掴んで柄を握りしめ、半身を捻るようにしながら左足を軸に、駒のように体を捻り振り返り様に遠心力をかけながら刀身を鞘から引き抜いた。
 シャァ、と鞘走りの摩擦音が一瞬聞こえ、抜き放たれた刀身が室内を照らす落ちかけた太陽の燃える色を映して橙色に染まる。
 ヒュン、と音をたてて、白刃が鞘の中から抜き放たれると同時に、その切っ先が吸い込まれるように背後の敵の頭蓋を切り裂いた。
 豆腐を斬るように、とは言わない。刀身がガリガリと骨身を削るような感覚。ギギャァ、と怖気の走る苦悶の声を聞きながら、すぐに刀を引いて鞘を床に落とすと、両手で構えた。さすがに片手で打刀を長時間ぶん回すのは無理である。ひたりと切っ先を相手に合わせ、頭蓋を斬られたせいかふらふらと体を揺らす怨霊に一息で間を詰めて、その眉間に向けて切っ先を突き出す。
 吸い込まれるように、切っ先が眉間を貫き通す。一瞬堅い感触が伝わったと思ったら、そのあとは勢いのままに頭蓋を突き通し、反対側までその刀身を覗かせた。刀身の半ばまで差し込んだところで、間近に怨霊の赤い燐光を宿す眼孔が迫る。
 パカリ、と間の抜けた様子で牙の生えた口が開き、ぼとり、と咥えていた刀身が床に落ちる。がつーん、と音をたてて転がったそれに見向きもせず、怨霊はさらさらとその体を光の粒子に溶け込ませていく。赤い燐光に凝る狂気を、緩やかに穏やかなものへと変えながら。
 そうして怨霊の体がすべて消えたところで、止めていた息をふぅ、と大きく吸って吐き出した。剥き出しの胸部が上下し、ぶるり、と肌が泡立つ。あぁ、完全に湯冷めした。ついでに冷や汗もかいて寒いったらない。奇跡的に腰に巻いた手ぬぐいは解けずに済んだけれど、相変わらずほぼほぼ全裸状態でなにやってんだろう、ホント。
 今更すぎるが片手で胸を改めて隠しながら、人目がなくて本当によかった、と心の底から安堵の息を吐いた。なりふり構っていられないとはいえ、この恰好際どすぎる。
 今にも解けそうで、丈もギリギリな手拭い。上半身は潔くなにもなく、あられもない恰好とはまさにこのことだ。怨霊もね、時と場合を考えてほしい。マジで。冗談でなく。零れる溜息を殺しきれずはぁ、と重く吐いて俯くとぴくり、と眉を動かした。

「・・・刀?」

 あれ、これ、さっきの怨霊が咥えてたやつ?首を傾げ、しゃがみこんで床に刺さることもなく転がる短刀に手を伸ばす。怨霊が持っていたには穢れを何も感じなかったので、消える際に同時に祓ったのだろうか、と思いつつ手に取り、しげしげと観察した。
 柄に張り合わせられた・・・これは紫檀だろうか?少し赤味がかった木の感触を指で辿り、鞘尻の唐草模様に巻かれた籐まで撫であげる。しげしげと観察しながら、はて、とまたこてりと首を傾げた。どこかで見たことあるような・・・?なんか、こう、喉に小骨が引っかかるような違和感を覚えながら、じっと食い入るように短刀を見つめる。
 んん・・・うーん?あれ、どこで見たんだろう。見覚えがあるってことは、多分見たことあるんだろうし。ただ機会は前世にいくらでもあったので、それがどこで誰のというとかなり難しい。眉間に皺を寄せながら考えてみたものの、ついぞ記憶が蘇ることは無く、まぁ思い出すときはきっと唐突に思い出すもんだ、と開き直った。それよりも、気になることと言えば・・・・・・あの怨霊、剣に鞘なんてしてたか?いや、してないわ。いつも剥き出しだったわ。うん?ということはこの鞘付きの刀はなんなの?
 いつもは怨霊が消えると同時に彼らが持つ武器も砕けて消えてしまうので、今までこうして武器が手元に残るということはなかった。さて・・・罠なのかそれともRPGにありがちなアイテムドロップ?はて。しかし嫌な感じも一切ないしな、と思いながら逆さまにしたり引っ繰り返したりしながらためつすがめつ短刀を眺めていれば、ふわり、と肩に何かがかけられる。きょとん、と目を丸くして後ろを振り返ると、妖精さんが二人、肩車をしながら立っていた。一瞬何故肩車、と思ったものの、肩にかけられたものが着物だとわかって、瞬きをして、次いで仄かに口元が綻んだ。

「持ってきてくれたの?ありがとう、いっちゃん、ごーくん」

 肩にかけられた着物に袖を通し、簡単に前を合わせて掲げるように差し出された帯を受け取って締めながらざっと身形を整える。一枚着るだけで全然違う。なにこの安心感。というか裸のまま考え込むなってね!帯に刀を差しこんで固定しながら、改めて部屋の惨状を見やる。ひっくり返ってお湯の零れた盥に、壊れた衝立。相変わらず人様の家だというのに情け容赦のない荒らしっぷり。これ片付けなくちゃいけないんだよね、と思うと思わず遠くを見てしまった。・・・まぁ、それも全て退けた後の話だが。
 
「・・・いっちゃん、ごーくん。行ってくる」

 溜息を一つ。唇から零して、疲れたように小さく微笑みを浮かべて見せた。
 その弱い声音に、妖精さん二人は心配そうに眉を下げて見上げてきたが、しかし引き止めることはしなかった。私も彼らもわかっているからだ。行かなきゃ、やらなきゃ、平穏などなくなることを。彼らも彼らであの荒れ野のような屋敷には戻りたくないようだし、自惚れていいのなら少なからず私も好いて貰っていると思いたいし。
 あぁ、今回はどれだけの怪我で済むかな。無傷の時もあるけれど、やっぱり私自身はそこまで強いわけではないので、毎回無傷というわけにはいかない。幸い、大怪我というほどの大怪我はまだしていないので、多分あの怨霊のレベルはさほど高くないのだろう。まぁ、大怪我じゃなくてもそれなりの怪我はいくつかあるけども。生きて動けりゃなんとかなるなる。
 諦めと開き直りを繰り返し、拾った短刀をどうするか一瞬考え、まぁそう邪魔になるものでないし、と考えて同じように腰に差した。いざという時の武器にはなるだろう。
 それから着物の裾を捌くように大股で一歩踏み出すと、壊れた衝立の向こうで、しゅた、と複数の人影が現れる。それに首を傾げ、足を止めた。

「むっくん、にぃくん、さっちゃん、しぃちゃん?」

 え?どうした皆勢揃いで。むん、と仁王立ちで立ち塞がる妖精さん達に戸惑い気味に眉を下げると、彼らはずいっと何かをこちらに向けて指示した。
 向けられたものを見れば、彼らの顔の半分ほどもある石の塊で、彼らはそれを掲げ持つようにして、キリリ、と眉を凛々しく釣り上げている。えーと・・・あ、もしかして!

「さっきの礫、もしかして皆が?」

 あの時飛んできた礫。見事に怨霊にぶち当たったあの生々しい音を思い出しながら確認すれば、そうだ、と言わんばかりに大きな頷きが返ってくる。そして再び石・・・礫を抱えて、むん、と胸を張るむっくんたちに、私は疑問符を一瞬飛ばし、次いではっと目を見開く。

「まさか、援護してくれるの?」

 あの礫でまたしても怨霊を牽制するつもりなのか。問いかけると、彼らはこくん、と頷いて、ばしっと胸を叩いた、後ろは任せろ!とばかりの勇ましい姿に、頼ればいいのか危ないよ、と止めればいいのか迷ったが、あまりに彼らが真っ直ぐ見つめてくるので、しばし目を閉じて考える。・・・こんなちっさい方々の手を煩わせるのは忍びない。見た目デフォルト二頭身の妖精さんだ。荒事に向いているとは到底思えないし、できるならば奥にいてくれた方が気持ち的に気安い。けれど。冷静に考えて、・・・戦力は、多いに越したことは無いのだ。私がなんでも一人でやってやんよ!って言えるぐらい強ければいい。強くなれればいい。けれど悲しいかな、凡人には化け物と戦って絶対勝てるぜ!なんて自信もなければ強さもない。今後もそんな都合のいい戦闘能力が手に入るなんて言えやしない。だって前世分掻き集めてこの現状である。今更伸び代があるとは到底思えず、なれば、いや、だからこそ。閉じていた目を開けて、下を見下ろした。見上げてくる黒い円らな眼差しを受け止め、こくり、と頷いた。

「行こう」

 使えるものはなんでも使う。投石の有用性はわかっている。彼らの手助けは、私にとって無碍に切り捨てるにはあまりにも惜しい。本当は、そんなことさせないぐらいに強ければよかったのだろうけれど。ごめんね、とありがとう、をぐっと飲み込んで、刀の柄に手をかけた。すらり、と鞘から刀身を引き抜く。―――さぁ。

「殲滅戦を始めるよ」

 目の前に、ギラギラと輝く、赤と青の燐光を睨みつけた。